稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

釣りをする人、しない人、その分かれ目考

2024年06月01日 | 
 世の中、釣りをする人よりしない人の方が断然多い。

 が、しない人の中にも釣りに接する機会があった人は結構いるはずだ。

 その機会があったにもかかわらず、釣りをしなかったのはなぜだったのだろう?

 初めての釣り
 ぼくがまだ小学校の低学年のころ。

 ある日、父はぼくと弟を釣りに連れて行った。

 ぼくら兄弟には初めての釣りで、興味津々だった。

 防波堤でぼくはエサを垂らした。

 上からエサをじっと見下ろしていると、小さな魚が近づいてきた。

 「食った」と思って竿を上げたがのらない。

 ぼくは必至になって、
「もう一度!」、「今度こそ!」と何度もそれを繰り返した。

 そうして、ついに釣れたのだ。

 上がってきたのはフグの仲間キタマクラだった。

 初めて釣った魚にぼくは大興奮。

 ぼくはこれを機に釣りに強く興味をもつようになった。

 しかしこの日何も釣れなかった弟は、その後釣りに関心を示すことはなかった。

     
       ( 串本の海 右側に漁港の防波堤 )

 ある友の場合
 ぼくのある友のお父さんは大の釣り好き。

 休日には管理釣り場でフナ釣りを楽しんでおられたそうだ。

 その友は小学生のころ、釣りに連れて行ってもらうことがあったらしい。

 しかし、後に彼はぼくに話した。
「小学生のころ、俺は親父にフナ釣りに連れて行ってもらったけど、
釣り糸がからんだり、『おまつり』などで、そのたび親父の手をわずらわせた。
 親父の機嫌は悪くなり、そんなわけで俺は釣りについていくことはしなくなった」と。

 この友も、その後釣りとは無縁になった。

 分かれ目
 釣りをする、しない。

 そこには人それぞれの「狩猟本能」のようなものの度合いが関係しているのかもしれない。

 けれども他方では、
初めて釣りに接したときの状況にも大きく左右されるのではなかろうか。

     
        ( 串本港桟橋での釣り風景 )

 「釣りはちっともおもしろくない」
 「釣りなどもうコリゴリ」
 「釣りはむずかしい」 

 初心者にそんな思いをさせ、釣りから遠ざけてしまうことになるのはとても残念なことだ。

 長く釣りをしていると、初心者から「教えて」と頼まれることがよくある。

 初心者がその後釣りを続けることになるのかどうか?

 そのためには、とにかく釣ってもらい、その興奮を味わってもらうこと、
釣れるという確信をもってもらうこと、ここが分かれ目になるような気がするのだ。

 初心者に接するとき、
うまくいったかどうかはさておき、ぼくはそのあたりに心してきたつもりだ。

 いい釣り仲間ができること、こんなうれしいことはないのだから。
コメント (2)
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