3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

水谷孝

2008-05-07 21:34:04 | Weblog
昭和43年から52年まで、阪急ブレーブス、読売ジャイアンツで活躍した右腕投手です。印象としては入団2年目に、自己最高の15勝を挙げ、阪急の優勝にもの凄く貢献した事が鮮明に残っています。非常にオーソドックスな、スリークォーターから投じるカーブと落ちる球を主な武器としていました。球速としては平均位でしょうか?良く言えばまとまりのある投手、悪く言えば個性のない投手というタイプだったと思います。矢張り球威不足の為、安定した成績を挙げる事は出来ませんでした。昭和42年のドラフトで、江夏豊獲得に失敗した阪急の外れ一位でしたが、入団発表の席で、彼は目標の投手として同一球団の豪腕米田哲也を挙げています。全くタイプの違う投手を挙げるという事は、多分同一球団ということで言わされたのだと思います。もの凄い実績の割に地味な米田哲也を目標にするという投手は、当時としても非常に稀なものでした。



通算成績    199試合    53勝27敗    防御率3.17    289奪三振

上田卓三

2008-05-06 21:33:07 | Weblog
昭和42年から53年まで、南海ホークスに在籍した左腕投手です。細身の体の上、全く迫力を感じさせない、腰の捻りの少ないスリークォーターからの投球フォームでした。当然の如く球速、球威には著しく乏しく、更に決め球となる程の威力のある球もありませんでした。残念ながら活躍したとは言えない成績の侭、引退したものです。ドラフト1位で入団していますが、球団は入団当初、この投手にどの程度期待したのでしょうか?どう贔屓目に見ても、中心投手となり得る存在では有りませんでした。右投手に比べて希少価値のある左腕と言う事が、この程度の投手でも、11年間のプロ生活を過ごす事が出来たと思わざるを得ません。現役の投手でもいますが、左投げの利点だけで生き延びた投手と言えるのでしょう。



通算成績    205試合   13勝13敗    防御率   3.41   194奪三振

金田正一の晩年

2008-05-05 19:02:01 | Weblog
金田正一が常に言っていた言葉が、いい投手になりたければ兎に角走れという言葉でした。現役引退後、評論家や監督になっても、異常な程言い続けていました。自身も当然人一倍走っており、その結果として400勝投手になれたと言う発言をしています。確かに走る事は本当に大事だと思いますが、彼はその陰で、重要なトレーニング方法を見過ごしていたのではないかと思います。昭和44年に36歳という年齢で現役引退していますが、今の選手と比較すると、意外な程の若さでの引退かと思います。高校中退での入団、20年間での5500イニングスを越える投球回数を考えると、年齢だけでは判断できないのですが?しかし晩年(特に巨人時代)の彼の投球を見る限り、球速は可哀相な程に、はっきりと衰え、大きなカーブと投球術、大投手の顔だけで勝負していた感じでした。又以前にも触れましたが、走ることに拠って鍛えた下半身を、巧く使っている様な投球フォームではありませんでした。当時の投手の大半がそうであったのでしょうが、上体の鍛え方が足りなかったと思えてなりません。現在のメジャー或いは日本の投手もそうですが。30代後半でもかなりの球速を誇っている投手もかなり多く見受けられるものです。これがトレーニング方法の違いに拠るものだけではないでしょうが、もし金田正一がもう少し上半身を鍛えていたらと思ってしまうものです。

木次文夫

2008-05-04 21:30:18 | Weblog
昭和35年から37年まで、読売ジャイアンツ、国鉄スワローズに在籍した右投右打の一塁手です。早稲田大学で通算7本の本塁打を放ち、かなりの期待をされて入団したのですが、素人目にも、プロでは全く通用しないだろうと一目で解る程のレベルでした。183cm,81kgと当時としてはかなりの大型選手でしたが、本当に下半身の弱さのみが目立つ選手でした。もっと言えば、何故、当時決してレベルの低くない東京六大学で7本も本塁打を打てたのかと思ったものです。後に王貞治を発奮させる為に取ったとか、色々な記事を見かけますが、少なくとも、首脳陣はキャンプの段階でその実力に気付ていたと思います。それ程彼の下半身の固さ、弱さは後に同じく読売に入団する堀田明を見るまで最低のものでした。当然の如く下記の様な通算成績に終わりましたが、54打数23三振と凄い被三振率を残しています。



通算成績   59試合   5安打    0.093 0本塁打    2打点

球速自慢の投手達(3)

2008-05-02 22:32:56 | Weblog
マサカリ投法の村田兆冶は、自著で全盛期のストレートの球速は常時155kmを超えていたであろうと記しています。58歳の今にして尚、140km前後の球速を誇る彼の事なので、あながち嘘ではないかと思いますが、常時155kmは多少疑問を感じざるを得ません。現役メジャーリーガーでも、ストレートの平均球速が155kmを超える投手は殆どいません。最近では2006年のジョエルズマヤの98.6マイル(158.6km)がストレートの平均の速さでは、最速かと思います。村田兆冶の場合、多分好調時には155kmを超えていたのでしょうが、平均球速ではそれより、ある程度落ちるのかと思います。クローザーとして日米で大活躍した、佐々木主浩も、平成2年大洋ホエールズ入団時、同じく新人の中日ドラゴンズ与田剛と先発として投げ合った試合の後、与田剛より球は速かったでしょう?と言う旨の発言をしています。しかし現実はスピードガンの数字、及び見た目の感覚でも、球速に関しては与田剛の方が上かと感じたものです。

球速自慢の投手達(2)

2008-05-01 21:37:43 | Weblog
意外にも温厚、人柄の良さで知られる梶本隆夫も自身の快速球を自慢しています。梶本自身と同僚米田哲也、稲尾和久、杉浦忠の4人の全盛期には皆155kmを超していたと発言しています。多分梶本隆夫の性格を鑑みると、昭和30年代半ばの実績から、稲尾和久、杉浦忠を加えたのでしょう。当時のもの凄い実績を考えたにしても、この偉大な2人の投手とは言え、球速がそれ程あったとは思えません。次に同じく阪急ブレーブスの、華麗なアンダースローの快速球投手、山田久志投手は、昭和44年入団以後、球団一の球速と豪語しています。米田哲也、梶本隆夫の球速にかなり衰えが見られ、多分そうであったでしょう。しかしその速球自慢の山田久志も、50年入団の山口高志を一目見た時点で、あっさり負けを認めています。しかし彼の様に、あっさり負けを認める例は本当に稀なものです。昭和37年に同じ球団、同じ左腕の快速球投手の渋谷誠司のカミソリの様に切れる快速球を初めて見た時、金田正一はどう感じたのでしょうか?本当に一度聞いてみたいものです。殆ど実績が残っていない渋谷誠司ですが、未だに忘れられない程の球速を誇っていたものです。