とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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為政者たちの財産保全

2006年09月23日 20時57分51秒 | 政治
1986年2月。
フィリピンのマラカニアン宮殿に突入した民衆と軍隊は、贅の限りを尽した異様な世界を目撃した。
そこには自分たちの住む世界とはまったくの異なる異次元が存在しており、怒りを爆発させるよりも呆れ返った。
その象徴が数百数千といわれたマルコス大統領夫人イメルダの靴コレクション。
毎日違った靴を履いたとしても一生涯で履ききれない。
その無数のコレクションは独裁者としてのマルコスの異様さを極めて強く印象づけるものとなった。

こと政治家というものは民衆とかけ離れた存在であることが多く、そういう輩が選挙の時だけ「市民の代表として」などとおっしゃるものだから「民主政治」は罪なもの。

フィリピンの政治的教育を行ったのはアメリカ合衆国。
帝国主義時代に遅ればせながら参加した米国が、自分の植民地に組込んだ数少ないアジアの国がフィリピン。
だから、さもありなんと言ったところか。

とかく為政者は独裁者に限らず庶民とかけ離れた生活をすることによって「我こそは選ばれし民なり(=選ばれてはいるが「民」とは言い難いところがホントのところ)」と自己満足浸にるのが一般的だ。

イスラム革命以前にイランを支配したパレービ国王は、ホメイニに追い出されたにも関わらず亡命と称してフランスで悠々自適の余生を送った。

「あら、坊主のバーベキューが出来たわね」
と政府の仏教弾圧に焼身自殺で抗議した高僧を罵った南ベトナム大統領のニュー(新しいという意味ではなく名前です)夫人は、齢90代の今もなお、亡命先のアメリカ合衆国で悠々自適。

壁の崩壊と共に自らの地位も崩れ去った赤の独裁者ホーネッカー(東ドイツ)もまた、南米に亡命して悠々自適に余生を送った。

それに引き換え、日本の為政者は海外へ逃亡するという思想に欠けるのが外国のそれと比較して唯一の美徳と言えるかも。
戦争に敗れた帝国日本の為政者たちは、誰一人として亡命しようとするものはいなかった(尤も亡命できるような場所もなかったし、亡命しようと思うような卑怯者はいなかった)。
仕方がないのであの世に亡命をした無責任な近衛文麿みたいな人もいるにはいたが、個人財産までもあの世へ持っていくことはなかった。

為政者に比べ、商売人や役人には卑怯な輩が日本にもたくさんいる。
中世堺の貿易商で政商だった呂宋助左衛門は秀吉の堺焼き打ちに恐れをなして財産もろともフィリピンへ亡命し、これまた死ぬまで悠々自適に余生を送った。
時代はぐっと下って現代。
日本での商売がやばくなってきたの「本拠をシンガポールに移して、東京の店はたたみます」といった元官僚の村上世彰は、逃げる切る前に告発された。
悪徳海外投資ファンドとグルになって日本の財産をかすめ取れるだけかすめ取り、それを華僑の都市国家シンガーポールに移すとは、不逞な輩、売国奴だといわれても仕方がない。

タイの突然の政変で、ニューヨーク滞在中だったタクシン首相は、どういうわけか英国のロンドンへ移動した。
で、同国の外相もロンドンへ移動した。
「しばらく別邸に滞在するよ」
ということらしいが、なんでタイの首相や外相の別邸がロンドンにあるんだろう?
タクシン首相は中国系タイ人で実業家。
今回のクーデターは首相自らタイで稼いだ途方もない闇銭を親戚うようよのシンガポールに移していたことが原因だ。
「国家の財産を他国に移すとはけしからん」
と、王様はじめほとんどの国民にバレて怒りを買った。

ま、村上世彰程度の男が政治家になったらどういうことになるか。
タイのクーデターを非難する国は、そんなことを分っているのかいないのか。
タクシン首相はロンドンの不動産のお得意だから、パーレビ国王はパリの大切な顧客だから、欧米はタイやイランを非難するのかもわからない。


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