とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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ぼくたちは水爆実験に使われた

2006年07月30日 20時26分17秒 | 書評
「白人のキリスト教とじゃないアジア人だから、原子爆弾を投下してもへっちゃらさ」
と言ったかどうかは知らないが、1945年の夏前にアメリカ合衆国のトルーマン大統領は日本へ原子爆弾を投下することを許可した。
放っておいても敗戦するのは明らかな青色吐息の日本対して出した決断が、戦争のルールを無視した原爆投下。
「せっかく作った原子爆弾だから、なんとか試してみたいのが人情だ」という軍部と科学者の欲求と「日本人はイエローモンキーの異教徒だ」という大統領のレイシズム思想とが合致することにより下された悪魔のような決断だった。

それが証拠に終戦直後から占領軍は軍服着せた科学者を広島長崎に送り込み、原爆被害者の写真を撮るは人体標本は採取するわで、ワクワク、ウキウキだった。
「貴重な人体実験ができたよね」と、これも言ったかどうかはしらないが、ちょうどその頃、彼らの仲間がニュルンベルグ裁判でユダヤ人虐殺の罪でナチスドイツを裁いていたのだから、なんて歴史はシニカルなのだ。

ということで長い間アメリカ合衆国の首脳連中は「相手が人のアジア人だから平気で原爆を投下した」と私たちも思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。

マイケル・ハリス著「ぼくたちは水爆実験に使われた」は1950年代に南太平洋の水爆実験場に送り込まれたアメリカ兵(もちろん白人を含む)の実体験が綴られたノンフィクションだ。
そのアメリカ兵とは著者自身。
書いた本人が経験した内容だけに、かなりリアルで不気味なのだ。

物語は第五福龍丸事件直後から始まる。
徴兵されてマーシャル諸島のエニウェトク環礁に一年の任務で送られた著者は、女気なし、植物なし、ブルトーザーで平坦に均されて、コンクリートで固められたエニウェトク島で数々の狂気と十数件の水爆実験を目撃する。
「直接見なければ目は大丈夫」
「死の灰が降ってきたら窓を閉めて室内で待機」
「水爆実験をしている海はサンゴ礁。綺麗な海だから泳いで大丈夫」
などなど嘘で固められた軍部の説明のもとで任務に当たる。

夜明け前。
総員整列で屋外に並ばされ「爆発方向は向こうだからこっちを向いて」と指示を受け、つぶった目の上を両手で覆う。
「5.......4.......3.......2........1.......」
と進むカウントに続いて轟く音の表現が凄まじい。
「ブーン」

「ドカーン!」でもなければ「ズドーン!」でもない。
「ブーン」なのだ。

目を覆っている手など役に立たないのはもちろんで、後頭部をすり抜けて強烈な光が網膜に突き刺さる。
(感覚で言うと、東京タワーに仕掛けた水爆の爆発を新宿辺りで眺めるのに等しい行為)

「目を開けて良し」の指令を聞いて目を開けたら失明していないことに感動し、後は笑うだけ。
本書に付いている帯の宣伝文句「笑わなくちゃ生きられないぜ」というのがこの環境だ。

ともかく、このような兵士を任務と称して核実験に供したアメリカ政府というのは恐ろしい存在だ。
しかし一方に於て、こういう事実があったことを公表する自由があるところも、ある意味アメリカの恐ろしいところだ。
もっとも事実の詳細が公開されたのは、半世紀近く経過したクリントン政権になってから。

全体的に明るい筆致で書かれているだけに、ある意味そんじょそこらのスリラーよりも恐ろしい雰囲気の漂うドキュメンタリーと言えるだろう。


~「ぼくたちは水爆実験に使われた」マイケル・ハリス著 三宅真理訳 文春文庫刊~

とりがらおすすめ度 ☆☆☆☆(星五つが満点。アマゾンと同じような採点方法でおま)


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