政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト
とりがら時事放談『コラム新喜劇』



「そのほう、今回の働き。まことに見事であった。殿も大層お喜びであられる。」
「ははっ!」
「おぬしを江戸に放ち、藩転覆を謀った者共は残らず召し捕ることができた。つまり儂の判断が正しかった、ということだ。」
「ご家老様におかれましても、この度の働きにて筆頭家老に列せられたこと、まことに祝着至極に存じまする。」
「うむ。ところで、青江。今度の働きにより、其方に殿よりご加増の旨、お達しがあった。慎んで拝領するように。」
「はっ!」
「この度の青江の虚偽の脱藩による働きは、藩転覆の危急を救った。さらに、当藩に対する幕府からの不信を払拭することもできた、と江戸表よりの書状も届いておる。そこで、その方のこの度の働きに対し、五十石の加増を申し渡すものとする。」
「はは、ありがたき幸せ。」
「......オッホン。なお、昨今の藩の財政厳しいおりがら、加増分の五十石は藩のお預かりとするものである。」
「.............はは。」
「よいな。.......青江」

と、いうようなシーンが藤沢周平原作のテレビ時代劇「腕におぼえあり(小説の原題:用心棒日月抄)」の最終回にあった。
藩の政変に巻き込まれた主人公「青江叉八郎」が脱藩し、江戸で用心棒家業をしていくうちに、藩の転覆をたくらむ陰謀を突き止め、事件を解決する、という内容だったと記憶する。
せっかくの働きに対し、藩上層部からの苦渋の報償がみてとれる。
これはフィクションの世界だ。だから現実の世界は異なるのではないか、と思われる人がいるかもしれないが、ほんの一握りの人々を除いて、実際、侍階級の収入など、いたって少ないものだった。
とりわけ地方の小藩の下級武士などは生活に窮する者も少なくなく、自宅の庭を畑にして作物を育てたり、私塾を開いて子供に手習いなどを教えたりして、糊口をしのぐ足しにしていたことなどは、よく知られている現実だ。
それでも武士階級の道徳心はきわめて高く、際立った汚職や不正といったものも少なかった。これが250年間にもおよぶ徳川時代の平和をもたらした一つの要因であることは明らかだ。
したがって田沼時代や元禄時代に見られる行き過ぎた貨幣経済の時代が、江戸期における特異な期間であったこところに、人々の注目も集まるのだ。
この窮迫した生活の中でさえ自分を律し、高いモラルと向学心、そして命をも懸ける責任感が庶民から武士階級に統治者としての尊敬を払わせる大きな要因になっていたわけでもある。
少し美化しすぎた考え方ではあるが、この自己犠牲を伴う武士階級の律義さが幕末、西欧列強の侵略を排除することができた原因でもある。
また、司馬遼太郎の小説に出てくるように、幕末の幕府の役人が官僚然となり、使い物似ならなくなっていたというのも完全にその通りというわけではなく、たとえば幕府勘定方がそのまま新政府の大蔵省に引き継がれたことからも、優秀な武士階級の貧なるが志高し、という姿が浮かびあがるのだ。

明治維新からおおよそ百四十年。
国の政と運営は責任もモラルも知らない盗人然とした守銭奴によって行われるようになった。
いっそ江戸時代に学んでみてはどうだろう。権力あるものは銭にこだわらず。公務員の給料を大幅にカットして、愛国精神と慈愛の精神を教育すれば、世の中ちっとはマシになるのではないかと思うのだが。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )