とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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夏目家の食卓

2005年03月17日 06時17分20秒 | エトセトラ
今年の正月5日に放送された毎日放送の新春ドラマ「夏目家の食卓」をやっと見た。
ビデオに録画しておいたまま、3ヶ月も見ないままずっと放置していたのだ。
なぜそんなに長いあいだ見ないまま放っておいたか、と問われれば、深い理由はまったくない。ただ単に、見たいという気持ちになかなかならなかっただけなのだ。
というのも、ここのところテレビ番組をじっと見ていることが少なくなってしまっており、テレビを点けてもたいてい映画のビデオや報道番組やスペシャル番組を見るだけなのだ。
ドラマを、しかも放送時間が90分もあるような長いドラマを見る根気は普段の私にはまったくない。
「夏目家の食卓」も、ともすれば見逃してしまいそうなドラマだったが、放送された日の朝たまたま新聞のテレビ欄に目を通していて偶然に発見したに過ぎない。

それではどうして「夏目家の食卓」を録画までして保存しておいたのかとの理由を説明すると、タイトルに「夏目家」の文字が踊っていたからなのだ。
夏目漱石の名前を聞くと、明治の文豪というイメージよりも、どことなく明治の変人というイメージがつきまとい、漱石その人と、それを取り巻く周囲の人々に興味が向いてしまうのだ。
その原因の多くは漫画家で漫画評論家にして大学教授の夏目房之介の著作の影響によるところが大きい。
夏魔房之助は夏目漱石の実の孫。孫ではあるが年寄りでもないし、中年の終りかけ、というような人なので、とても親近感がある。そのために祖父「夏目漱石」に関する記述が、やたら身近に感じられ、興味を魅かれるというわけだ。
今回も番組表の欄外の解説を読んで見ると、夏目家の人々を描いたドラマだというので、いくらテレビドラマを見ない私でも、これは見逃してはならないと、とりあえず録画だけはしておいたのだ。
夏目家の人々の変人奇人ぶりを見ることは、夏目房之介の夏目漱石に関する記述のもっとも面白い部分を演劇を通じて垣間見るという機会だったように思われる。

今回の原作もこれまた漱石の孫の半藤末利子の「夏目家の糠味噌」と、漱石夫人の夏目鏡子の「漱石の思いで」だった。
どちらも私は読んだことがなかったが、身内の著作を原作としているだけに、実に奇抜で愉快で感動的な作品に仕上がっていた。

一般に明治時代を舞台にしたドラマには面白いものが多い。
ちょっと古いが「あかんたれ」。井上ひさしの「國語元年」。桂枝雀が主演した「なにわの源蔵事件帳」などなど。
きっとこの明治という時代がどことなく煌めいているから、この時代を舞台にしたドラマが面白いのだと思っている。

こういう明るいドラマを見ていると、1945年8月15日より以前の日本は人々を弾圧した暗黒時代ばかりだという、左巻きの人たちの主張に疑問を感じる。
そう感じてしまうのは、このドラマがコミカルに描かれているためではなく、この時代自体が現代とほとんど代わらなかったことにあるのだ。

鏡子夫人を宮沢りえが演じているのが少し美し過ぎるのと、木本雅弘演じる漱石先生があまりにピッタリなのが心憎かった。
配役もばっちりの秀作だったのだ。
それでもあえて難を言うなら、現実の鏡子夫人はヒステリー持ちで漱石先生をたまたま悩まし、そして漱石先生の死後、その膨大な著作の印税で遊びまくったことなども、描いて欲しかった。