とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

年齢制限

2005年03月03日 21時53分16秒 | エトセトラ
昨日、一年ぶりに誕生日を迎えた。
たまには三年くらい誕生日が来ないときがあってもいいのでは、と思うことがままあるが、どういうわけか頼みもしないのに一年に一度は必ず誕生日がやってくる。
まわりの友達がみんな成人式を迎える二十歳の時に「おまえ、まだ五つやないか」と言われるような例外も中にはいる。が、誰もが一年ごとに年齢を重ねていくことは天が与えた摂理なのだ。

誕生日を迎えると、人はふつう祝福する。
海外でも「Happy birthday」などといって、決して「So sad birthday」とか「Tragic birthday」などと言うことは決してない。
どうして誕生日に祝福するのか、その理由がほんとのところよくわからない。
子供の頃は「病気もせずに、一年無事に過ごせました」と祝うのかも知れないが、年を重ねると単純に喜ぶことができないようになってくる。
「誕生日を迎えるということは、一歩一歩着実に死期に近づいていることを意味する。ああ、また一年寿命が縮まった」などとひねくれた考えが頭をよぎり、誕生日を迎えるたびに鬱になる、というネガティブな思考が重みを増してくるのだ。

なぜそのような否定的な考え方が生まれてくるかというと、年を重ねるとどうしても「年齢制限」という名前の社会的ハードルにぶつかってくることが増えるからだと言えるだろう。

たとえば、私のように自分の干支を三回以上経験するような年齢になると、求人広告に掲載されている年齢の上限に引っかかってくるようになる。
そうなると少なくともウィーン少年合唱団やひばり児童合唱団、ぼっぼっ僕らは少年探偵団などに加入することはできなくなる。
もちろんモーニング娘。のメンバーにもなれないのだ。(私は男だ)
いくつかの職種を除いて公務員試験も受けられなくなってくる。つまりいくら希望してもドロボウや詐欺師の仲間にはなれないのだ。

一般企業の採用年齢の上限もだいたいが30歳、35歳になっている。
どういう理由から、年齢上限を定めているのか、その理論的根拠もわからない。
40歳を超えると、人間が擦れていてヘンコになって使いにくいということが理由なのだろうか。
それとも経営者自身、自分のことがよくわかっているだけに自分の年齢にに近い世代のものを雇いたくないというのが理由なのか。
ともかくわからないのだ。
そもそも30歳以下、35歳以下に優秀な人材が多いのかどうかが疑わしい。
ほとんどの新卒社員には半年ぐらいは無駄飯を食わせなければならないし、中途入社の20代社員は若いくせに擦れていて使いにくい。
たとえ有名大学を卒業しているからといって、その道のスペシャリストかというと、教授のコネだけを頼りに潜り込んできたというアホタレも少なくない。
むしろ昨今はリストラされた経験がある40代50代の方が、即戦力でよく働く。

だいたい求職情報に年齢制限をすることは、職業選択の自由を奪うことではないかと思うのだが、だれも文句を言わないので、それが社会の常識なのだろう。
年齢制限。
できることならその制度、見苦しい外国俳優の追っかけオバハンだけに当てはめて。