人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

METライブビューイングでベルク「ルル」を観る~驚くべきソプラノ=マルリース・ペーターセン

2016年01月21日 07時55分48秒 | 日記

21日(火)。わが家に来てから480日目を迎え、おやつにつられてゲージを出るかどうか悩んでいるモコタロです

 

          

 

  閑話休題  

 

昨日は、勝浦在住の大学時代の友人S君が送ってくれたサバを塩焼きにしました 体長18センチの大振りなサバです。決してサバを読んでません これで彼の送ってくれた海の幸はすべて食べ尽くしました どれも美味しくいただきました。あらためてS君ありがとう

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ベルクのオペラ「ルル」を観ました これは昨年11月21日に米メトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です

キャストはヒロインのルルにマルリース・ペーターセン(ソプラノ)、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢にスーザン・グラハム(メゾソプラノ)、シェーン博士/切り裂きジャックにヨハン・ロイター(バスバリトン)、シゴルヒにフランツ・グルントヘーバー(バリトン)、アルヴァにダニエル・ブレンナ(テノール)。指揮はローター・ケー二クス、演出はウィリアム・ケントリッジです

 

          

 

この公演の大きな特徴はウィリアム・ケントリッジによる演出です 2010年のMETライブ、ショスタコーヴィチのオペラ「鼻」と同様、スケッチをコマ撮りしたアニメーションを舞台の背景に大きく映し出し、舞台上の歌手陣とのコラボレーションを図ります

 

          

 

自分の欲望通りに生きる天衣無縫なルルだが、何故かその魔性に引き付けられて男たちがすり寄ってくる。しかし、誰一人として長続きはしない。嘘つきで自由中心的なルルは最後には男に殺されてしまう 世紀末ウィーンにルルを登場させたベルクはルルを「可愛い女」と呼んだ

ルルを歌ったマルリース・ペーターセンは昨年のMETライブ、モーツアルト「フィガロの結婚」でスザンナを鮮やかに歌い 演じたソプラノ歌手です それが今回はベルクの「ルル」。この人のレパートリーの広さには驚愕します 2つのオペラを聴いた範囲では、ベルクの方が彼女に合っているような気がします。それもそのはず、彼女はこの十数年の間に10回の異なる演出でこのルルを歌い、演じているのです それにしても、モーツアルトの「調性音楽」と比べてルルの「無調整音楽」は歌うのが超難しそうです

第1幕が正味で約1時間、第2幕が約53分、第3幕が約1時間と、約3時間のオペラで、ペーターセンはほぼ出ずっぱりですが、何の苦も無くルルを歌い演じています これは驚くべきことです。幕間のインタビューで「ルルを歌うのは今回が最後になる」と語っていましたが、彼女が歌わなくなったら、いったい誰がルルを歌うのだろうと心配になるくらいです

と、ここまで書いてきて 何なんですが・・・・

ベルクやシェーンベルクは、正直言って苦手です。今回の「ルル」もまったく予習なしで観て聴いたのですが、”普通のオペラ”と違って”心地よさ”を求めて聴くと裏切られます そんなことは理解しているのですが、このオペラにはついていけません 周りの人を見ていても同じような反応のようでした

隣席の老齢のご婦人はイビキをかいてお眠りあそばしていましたし、前席のご婦人は第1幕の途中で姿を消し、そのまま席に戻ることはありませんでした かくいう私も、第1幕などはいつの間にか目が閉じてウツラウツラしていたことを告白しなければなりません。私の周りだけでこういう状態ですから、劇場の全体状況はルル説明するまでもないでしょう

それでも、観なければ、聴かなければ、何も語れないのです

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「がんばろう!日本スーパーオーケストラ」のチケットを買う/伊集院静著「作家の遊び方」を読む

2016年01月20日 07時27分28秒 | 日記

20日(水)。わが家に来てから479日目を迎え、お菓子を前に身の潔白を訴えるモコタロです

 

          

           刑事さん これ食べたの 俺じゃねえんだ 信じてくれ!

 

  閑話休題  

 

昨日、当ブログの読者ゆえさんと日比谷公園内にある小さなレストランH・P・Cでランチしました 実は今月27日(水)夜に2つのコンサート(新日本フィル・サントリー定期と読響アンサンブル)がダブってしまったので、片方のチケットをお譲りすることにしたのです 新日本フィルは「トリフォニー・シリーズ」公演にチケットを振り替えることも出来るのですが、マーラーの「第5番」が演奏されるのはサントリー・シリーズのみなので、こちらを聴くこととし、読響アンサンブル=シューベルト「ピアノ五重奏曲”ます”」他(ピアノ:小山実稚恵)のチケットをお譲りしました

 

          

 

時間的に余裕のある私の方が先にレストランに着いたので、そこで しばし待ちました。ゆえさんは午前中の仕事が終了してから駆けつけました ハヤシライスを食べながら、お互いの近況を報告しました。彼女が「最近CDを買うようになって、ますますクラシックにのめり込むようになった」と話したので、私が約4,000枚のCDを所有するに至った経緯を話し、「集め出したらきりがないから気を付けた方が良い。収容する場所の問題もあるし」というアドヴァイスをお伝えしました が、多分 増えていくでしょうね。何かを好きになるということは、もっとそれを知りたいと思うことですから 例えば、ある作曲家の交響曲第1番のCDを聴いて それが好きになったとすると、「第2番はどんな曲だろう」と思ってCDを買い、その次は「第3番は・・・・」と、結局その作曲家の全交響曲を聴くことになります。交響曲の次は「協奏曲は・・・・」となるわけですからCDは増える一方だと思います。本当にお気の毒ですが つける薬はありません

ゆえさんは最近チェコのオケを生演奏で聴いて、「チェコのオケがチェコの作曲家の曲を演奏することの意味はどんなものか?あるチェコのオケがドヴォルザークを演奏したのを聴いたらすごく良かったのに、別のチェコのオケが同じ曲を演奏したのを聴いたらそれほど良いとは感じなかった これはどういう理由だろうか?オケの個別の問題なのだろうか?」という疑問を抱いたとのことで、「トラさんはどう思いますか?」と尋ねられました。私からは、

「例えば、ウィーン・フィルを例にとれば、そもそもウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーの中からウィーン・フィルのメンバーが選ばれるし、そのウィーン国立歌劇場管弦楽団に入るためにはウィーン国立音楽大学の出身者でなければならない したがって、ウィーン・フィルの演奏にはそういう歴史と伝統が昔から受け継がれてきた。だからオーストリア出身のヨハン・シュトラウスなどの音楽はウィーン・フィルが最高だという言われ方をしている それと同じように、チェコのオケも、多くのメンバーが地元の音楽大学(プラハ音楽院等)の出身者で占められており、昔から”我らがドヴォルザーク”、”わがスメタナ”の音楽はチェコのオケが最高だという言われ方をする しかし、どちらのオケにしても、国際化と実力主義(男女平等)の波には勝てず、少しずつインターナショナル化しているのが現状だと思う。したがって、同じチェコのオケでも歴史と伝統の深さによって、あるいはインターナショナル化の度合いによって演奏の印象が違ってくるのではないか

というようなことを、無い知恵を絞って答えました ここで付け加えれば、ひと昔前までは、世界のオーケストラにはそれぞれ特色があって、個性を楽しんで聴けたのに、現代では、厳しいオーディションを通過した演奏家のみから構成されているので、個々人の実力は凄く高いのだけれど、実力主義と平等主義が行き過ぎて、「どのオケを聴いても同じ」という印象を持つようになってしまった、というのが現状ではないかと思います

話が弾んで、あっという間にゆえさんの昼休み時間を過ぎてしまいました 帰りがけにゆえさんから、先日、みなとみらいホールにコンサートを聴きに行った際のお土産(紅茶とお菓子のセット)をいただきました ゆえさんは いつも ちょっとした気遣いをしてくれるので感心しています  ゆえさん、ありがとうございました。大事にいただきます

 

          

 

時間がかなりあったので徒歩で丸の内まで歩き、三菱一号館美術館で開催中の「プラド美術館展」を観ました

 

          

 

スペイン三大画家 エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤをはじめとする絵画を観てきましたが、その当時の絵画はキリスト教との結びつきが強いのだということをあらためて感じました

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

コンサートのチケットを買いました 3月15日(火)午後7時からサントリーホールで開かれる「がんばろう!日本 スーパーオーケストラ 毎日希望奨学金チャリティーコンサート」です。プログラムは①ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」(ピアノ独奏:小山実稚恵)、②サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」(ヴァイオリン独奏:松田理奈)、③オーレ・ブル「セーテルの娘の日曜日」(同)、④プッチーニ「私のお父さん」(同)、⑤ラヴェル「ボレロ」です 指揮は本名徹次、オケは読響コンマス・小森谷巧以下 内外のオケの寄せ集め集団です。昨年も聴きましたが素晴らしいコンサートでした 全席指定3,000円でこの内容です。文句の付けようがありません

 

          

 

   またまた、閑話休題  

 

昨日は、夕食に「手羽元と野菜のスープ」を作りました。これは所有の2冊の料理本には載っていない料理です 材料は手羽元、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、ホウレン草で、醤油とお酒と味醂で味付けしてあります

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

伊集院静著「作家の遊び方」(双葉文庫)を読み終わりました 伊集院静は1950年山口県防府市生まれ。立教大学卒業後、CMディレクターなどを歴任。92年「受け月」で直木賞、94年「機関車先生」で柴田錬三郎賞を受賞しています

 

          

 

「作家の遊び方」なんて粋なタイトルの本を書いている伊集院静氏は故・夏目雅子さん、今は篠ひろ子さんの夫です 否が応でも天下の美女を妻に持つ男の遊び方とはどんなものか、と期待が高まります

ということでページを繰ってみると、出てくる話は競馬、競輪、麻雀、ルーレットといった ほとんどギャンブルばかりで、さらにお酒の話が付いて回ります  どうやら、この本は双葉社から出ている、その方面の記事が中心の週刊誌に連載した小文をまとめて出版したエッセイ集らしいのです

著者は最後に「文庫化に寄せて」の中で「本書の中の一節でも、何か”遊び”の気配、やり方を得ることがあれば幸いであるが、『バカなものを読んだ』と放り投げることがあっても、私はそれでエクスキューズしない。なぜなら、ムダなこともすべて生きる時間であり、”人生にムダなことは何ひとつない”が私のモットーであるからだ」と書いています

『人生にムダなことは何ひとつない』というのは同感です。伊集院氏は競馬、競輪、麻雀、ルーレットに明け暮れ、そのうえ大酒を食らって人生を謳歌しているのに対して、私の場合はコンサートに行き、映画を観て、本を読んで、お酒を飲んで人生を謳歌しています 違う点は、伊集院氏はそうしたことを文章にして原稿料を得て生計を立てているのに対して、私の場合はブログに書いているけれど、そこから何の利益も得ていないということです

伊集院静氏が作り近藤真彦が歌ったヒット曲のように「ギンギラギンにさりげなく」生きていきたいと思いますが、一人で生きているわけではないので、思うようにいかない時もあります。人生いろいろ、男もいろいろ、女もいろいろ、てか

 

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「室内楽の夕べ~バロック音楽の素敵な世界」を聴く~都民芸術フェスティバル

2016年01月19日 07時44分36秒 | 日記

19日(火)。わが家に来てから478日目を迎え、空腹が我慢できず昨日の夕刊をかじるモコタロです

 

          

            昨日は都心で雪が降ったんだって? 雪ずりの・・・・

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「メカジキのソテー」、「生野菜とワカメと白すのサラダ」、「インゲンのお浸し」、「トン汁」を作りました。ワカメと白すは池袋ショッピングセンターのN水産で手に入れたもので、新鮮です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨夕、上野の東京文化会館小ホールで「室内楽の夕べ~バロック音楽の素敵な世界」を聴きました この公演から「2016都民芸術フェスティバル」室内楽シリーズがスタートしました。プログラムは①テレマン「四重奏曲」よりソナタ第2番ト短調、②バッハ「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ・ホ短調BWV1023」、③ラモー「クラヴサン・コンセール第5番ニ短調、④テレマン「忠実な音楽の師」よりチェロ・ソナタ ニ長調、⑤ブラヴェ「ソナタ第2番ニ短調」、⑥テレマン「パリ四重奏曲第2番イ短調」です。演奏はフルート=有田正広、ヴァイオリン=桐山建志、チェロ=山本徹、チェンバロ=曽根麻矢子です

 

          

 

自席はE28番、右ブロック左通路側です。会場は7~8割くらいの入りでしょうか。雪は上がったものの足元が悪い中、よく集まりました

ステージに登場した4人の奏者を見て「おやっ?」と思いました というのは4人とも古楽器奏者として名の通ったプロなのに、持っている楽器が一見モダンだったからです ヴァイオリンはガット弦の古楽器か現代楽器か見た目は分かりませんが、有田の持つフルートは木製のフラウト・トラヴェルソではなく、金ぴかの金管のフルートで、チェロもエンド・ピンが付いているので、現代楽器のように見えます。古楽器の場合はエンドピンがないので、チェロを又に挟んで演奏します この日の演奏曲目と演奏者を見れば、ある程度クラシックを聴き込んだ人なら「ほぼ間違いなく古楽器で演奏するはず」と思って聴きに来ているはずです そういう意味で、演奏を聴く前から、意外な光景にちょっと驚きました

1曲目はテレマンの「四重奏曲」から「ソナタ第2番ト短調」です。テレマンという人は、バッハやヘンデル(この二人は同じ1685年生まれ)より4年先輩に当たりますが、1721年に40歳でハンブルク市の音楽監督に就任してから死去するまでの46年間を当地で過ごして名を馳せ、多くの作品を残しました このソナタは1730年にハンブルクで公刊された「6つの四重奏曲」の中の1曲で、フラウト・トラヴェルソ(フルート)、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ(又はチェロ)、通奏低音(チェンバロ等)によって演奏されます 第1楽章「アンダンテ」、第2楽章「アレグロ」、第3楽章「ラルゴ」、第4楽章「アレグロ」から成ります。演奏を聴いている限り、ヴァイオリンは古楽器で演奏しているように思えました。響きが柔らかいというか、包括力があるような気がしました

2曲目のバッハ「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ」は、ワイマール時代(1714年~17年)に書かれたと推測されています。第1楽章「プレリューディオ」、第2楽章「アダージョ・マ・ノン・タント」、第3楽章「アルマンド」、第4楽章「ジーグ」からなります 第1楽章冒頭はヴァイオリンによる速くて しかも息の長いパッセージが続きますが、桐山建志は気迫に満ちた素晴らしい演奏を展開しました 久しぶりに彼の演奏に接しましたが、今までは、おとなしい演奏家くらいにしか思っていなかったのが、今回の演奏を聴いて考えを改めました

3曲目はラモー「クラヴサン・コンセール第5番」です。突然ですが、ここで共通一次試験を出します。「クラヴサン」はフランス語ですが、英語とドイツ語では何と言いますか?・・・答え:英語で「ハープシコード」、ドイツ語で「チェンバロ」です

4人の並びが変わっています。向かって左サイドにチェロ、その右にチェンバロ、ステージ右サイドにフルートとヴァイオリンが並びます 第1楽章「ラ・フォルクレ」、第2楽章「ラ・キュピ」、第3楽章「ラ・マレ」から成ります。第1楽章は速いパッセージがフルートなしで演奏されます。第2楽章は4人でゆったりした音楽が演奏されます。第3楽章は愉悦感に満ちた音楽が展開します

 

          

 

休憩後の最初はテレマンの「忠実な音楽の師」より「チェロ・ソナタ」です。テレマンは貴族のために「ターヘル・ムジーク(食卓の音楽)」を書く一方、一般庶民のために「忠実な音楽の師」を作曲しました その中の唯一のチェロソナタがこの曲です。曽根のチェンバロの柔らかい響きをバックに山本のチェロが気持ちよく演奏されます

次の曲はブラヴェ「ソナタ第2番」です。フルート、チェロ、チェンバロによって演奏されます 作曲者のブラヴェは1700年生まれでパリで活躍したフルート奏者でした。したがって「ソナタ」というのは実質的にフルート・ソナタのこと。有田のフルートが自在に活躍します

最後はテレマン「パリ四重奏曲第2番」です。テレマンは1737年に8か月に及ぶパリ旅行を挙行しますが、その時にパリに持って行ったのが6曲から成る「パリ四重奏曲」です 急ー緩-急ー緩ー急ー緩の6楽章構成を取りますが、1曲1曲が短いので一つの変奏曲を聴いているような感じです

大きな拍手に、曽根が4人を代表してあいさつをしました。最初に「テレマンのパリ四重奏曲を演奏しました」というようなことを多分フランス語で言いました 続けて日本語で何か言ったらしいのですが、最後の「それではアンコールを演奏します」しか聞こえず、その前の部分は早口で声が小さかったのでほとんど聞き取れませんでした 前から5列目で聞き取れないのですから、後ろの方の席の人はなおさらチンプンカンプンだったでしょう

音楽家ならホールの音響特性を理解しているはずで、小ホールとはいえ広い会場で多くの人に話しかけるのですから、大きな声でゆっくリと話すべきです 演奏内容は良いのに、こういう極めて初歩的なことが理解できていない演奏家が少なくないのは残念なことです もちろん、コンサートは演奏がメインなので「演奏さえ良ければすべて良い」のですが、せっかくあいさつをするのなら、聴衆に伝わるように話すべきだと思います

 

          

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秋山和慶+小曽根真+東響でショスタコービチ「ピアノ協奏曲第1番」他を聴く~第637回定期演奏会

2016年01月18日 07時21分49秒 | 日記

18日(月)。わが家に来てから477日目を迎え、マガジン・ラックから顔を出しておやつをねだるモコタロです

 

          

 

  閑話休題  

 

16日(土)午後6時からサントリーホールで東京交響楽団の第637回定期演奏会を聴きました プログラムは①ヒンデミット「ラグタイム」、②ケルチェック「トランペット・ダンス」、③ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲第1番ハ短調」、④同「ジャズ組曲第2番」です。②のトランペット独奏はマティアス・ヘフス、③のピアノ独奏は小曽根真、指揮は秋山和慶です

 

          

 

昨日のブログにも書きましたが、風邪気味で最悪の体調のままこのコンサートに臨むことになりました おまけに、映画を観てから一旦家に帰った関係で夕食を取る時間がなかったので空腹のまま聴くことになりました 根性で音楽に耳を傾けました

オケがスタンバイします。この日のコンマスは水谷晃です。1曲目のヒンデミット「ラグタイム」は、ドイツ生まれの作曲家が「もしバッハが1920年代に生まれていたらどんな曲を作っていただろうか」という考えのもと、当時流行していたジャズ・ダンスなどに敬意を表しただろうと想像して作曲したものです たったの5分足らずの短い曲ですが、バッハの平均律のテーマをもとに賑やかな音楽が展開します。ひとことで言えば「喧騒」です ヒンデミットがこういう音楽を作っていることが新鮮でした

2曲目はドイツ出身で現在ハンブルク音楽演劇大学のジャズ科教授を務めるケルシェックが2013年に作曲した「トランペット・ダンス」です ステージを見ると、指揮台の傍らに置かれた椅子の上にトランペット(コルノ・ダ・ガッチャ)と消音器が置かれています。指揮者・秋山和慶が登場しますが、肝心のソリストが登場しません 第1楽章が始まり、しばらくするとバック・ステージの方からトランペットの音が聴こえてきました しかし、まだソリストは登場しません。さらに曲が進むと、やっとステージ左サイドからヘフスがトランペットを吹きながら登場しました この曲は4つの楽章から成りますが、かなりの超絶技巧曲です。ヘフスのために書かれた曲というだけあって、何の苦も無く鮮やかに演奏します

 

          

 

休憩後の最初はショスタコーヴィチ27歳の時の作品「ピアノ協奏曲第1番ハ短調」です 「ピアノ協奏曲」というとバックを務めるのは管弦楽を思い浮かべますが、この曲はトランペットと弦楽器のみです。正式な名称は「ピアノとトランペットと弦楽オーケストラのための協奏曲ハ短調」です。東響の「Symphony」1月号の曲目解説には「ピアノと弦楽オーケストラのための協奏曲」と書かれていますが、これは誤りです。次号で訂正してほしいと思います

ソリストの小曽根真が指揮者とともに登場し、グランド・ピアノに向かいます。トランペットのへフスは指揮台の右サイドにスタンバイします。この曲は4つの楽章から成りますが、続けて演奏されます 第1楽章の最初からショスタコーヴィチらしく、人をおちょくったようなパッセージが演奏されます 一方、第2楽章や第3楽章では、これもショスタコーヴィチらしい何とも言えない美しいメロディが奏でられます 第4楽章では軽快で速いパッセージが展開し、フィナーレになだれ込みます

全体を通して小曽根真の演奏を見ていると、時に、右足でペダルを操作しながら、左足で床を踏んでリズムを取っています そして両手から紡ぎ出される音楽を聴いていると、まるでジャズで言う「インプロヴィゼーション」(即興演奏)を聴いているような気分になってきます 明らかにこれはクラシックのピアニストによる演奏とは違うアプローチです。もしショスタコーヴィチが生きていて彼の演奏を聴いたら拍手喝さいを贈ったでしょう

演奏後は拍手とブラボーの嵐でした 小曽根は自らピアノの蓋を閉じて、「ほら、こうすればピアノの蓋で見えなかった秋山さんと演奏者の皆さんの姿が見えるようになるでしょ」と言わんばかりです。これに対しても大きな拍手が送られました。鳴りやまない拍手に、アンコールに移るのですが、彼はピアノの蓋を再び開けなければなりませんでした そして彼自身の作曲による「マイ・ウィッチズ・ブルー」をノリノリで演奏し、大きな拍手を受けました

さて最後はショスタコーヴィチの「ジャズ組曲第2番」です。1950年代に作曲されましたが、正式な名称は「ステージ・オーケストラのための組曲」で、「ジャズ」という言葉は入っていません 作曲家自身の映画音楽などから抜粋した8つの曲から成っています

「行進曲」は、まるで晴天下で開かれる運動会のブラスバンドの行進曲です 「第1ダンス」はスピード感があり、これではダンスは出来ないでしょう 「第2ダンス」は舞曲に相応しい曲です 「小さなポルカ」はホイリゲ(ドイツの居酒屋)で演奏されるような陽気なポルカです 「抒情的なワルツ」はサックスとアコーディオンが活躍するメランコリックな音楽です 「第1ワルツ」はチャイコフスキーのワルツを思い起こしました 「第2ワルツ」は確かにどこかで聴いたようなメロディが流れます そして最後の「フィナーレ」は軽快な音楽で幕を閉じます

この日のコンサートの一番の収穫は、小曽根真の演奏です 彼は最近、クラシック界にも積極的に進出していますが、バークリー音楽大学ジャズ作・編曲科を首席で卒業したという実力は、クラシック音楽にも十分通用しています。素晴らしいアーティストです

 

          

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「素晴らしき哉、人生!」「王様と私」を観る~新文芸坐

2016年01月17日 10時10分34秒 | 日記

17日(日)わが家に来てから476日目を迎え、おとなしく現下の情勢を見守るモコタロです

 

          

 

  閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で「素晴らしき哉、人生!」と「王様と私」の2本立てを観ました  「素晴らし哉、人生!」は1946年、フランク・キャプラ監督による2時間10分のアメリカ映画です

 

          

 

ジョージ・ベイリイ(ジェームズ・スチュアート)は子供のころから世界一周旅行をする夢を抱いていた 彼の父は住宅金融公社を経営し、街の貧しい人々に低利で住宅を提供して尊敬を集めていた。その父が過労のため死去したため、成り行きで彼は父の跡を継ぐことになった 世界旅行の夢はお預けになったが、彼は幼馴染みのメリー(ドナ・リード)と結婚し4人の子供に恵まれた 町では銀行家のポッター(ライオネル・バリモア)がボス的な存在になっており、ジョージを目の敵にして事あるごとに邪魔をしていた 第2次世界大戦が起こり、ジョージの弟は殊勲をたてて大統領に表彰された。しかし、そんな嬉しいニュースばかりではなかった。ジョージの伯父で共同経営者が銀行に預ける8,000ドルを紛失してしまい、窮地に立たされる 実はこの大金は手違いでポッターの手に渡っていたのだが、彼はジョージを困らせるため事実を告げないでいた。絶望したジョージは橋の上から身投げしようとしたが、その寸前にクラレンスという老人が身を投げた ジョージは必死で彼を救い出した。話を聞くと、クラレンスは「2級天使」でまだ翼が無く、翼を得るためにジョージを救ったのだと言う ジョージが、自分は生まれてこなければ良かったとこぼすと、クラレンスはジョージが生まれていない幻の世界に連れて行った。そこは義理も人情もない殺伐とした世界で、ジョージは失望し、元の世界に戻してくれと頼んだ 再び現実の世界に戻ったジョージは、生きる喜びを感じながら、クリスマス・イヴを祝うわが家に戻った。そこに、ジョージの窮状を知った町中の人たちが寄付金を持って駆けつけてきた 妻のメリーが町中に助けを求めたのだった。ジョージは、あらためて人々の温かさを感じ、妻と子供たちを抱きしめた

この映画は、大手映画会社のもとでは自分の作りたい映画が出来ないとして、キャプラ、ワイラー、スティーヴンスの3人が協力して設立した「リバティ・プロ」の記念すべき第1回作品です

「欲張り者は相手にされず、貧しい人たちを助ける者は窮地に陥っても誰かが助けてくれる」という分かり易いコンセプトの映画です 今では薄れた”道徳観”を説いた「文科省特選」に相応しい作品です 何と言っても「2級天使」というのが可笑しい。アメリカの古き良き時代のクリスマス映画といったところでしょうか

 2本目は1956年、ウォルター・ラング監督による2時間13分のアメリカ映画「王様と私」です

1862年、アンナ夫人(デボラ・カー)は息子ルイズ(レックス・トンプソン)を連れてシャム王(ユル・ブリンナー)の王子や王女らの教師としてイギリスからシャム(タイ)にやってきた アンナは王が宿舎を提供する約束を忘れていることを知り、直談判する ところが王は取り合おうとせず、王子や王女を紹介する。賢いアンナは王子や王女の教育の中で「家」という言葉を教え、王が忘れた宿舎の提供を思い出させようと画策する ある日、英国人が自分のことを野蛮人だと思っていることを知った王は、国情調査に来る英特使のもてなしをアンナに任せ、歓迎会は成功裏に終わった しかし、ビルマからの貢ぎ物である姫タプティム(リタ・モレノ)が恋人のラン・タと駆け落ちしたと知り、タプティムを捕らえて鞭打ちの刑にしようとするが、アンナの取りなしで免れる 愛想を尽かしたアンナは故国へ帰ろうとするが、王は心臓発作で倒れる 瀕死の王と王子、王女たちの懇願にアンナはシャムに残ることを決心する

 

          

 

当たり前のことですが、この作品はロジャース=ハマーステインによるミュージカル映画です 映画の中で歌が歌われます デボラ・カーはすごく上手だけれど、ユル・ブリンナーはあまり得意ではないような気がします。シャム王のセリフでは「エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ」が何とも可笑しい そして「王様と私」と言えば、ユル・ブリンナーとデボラ・カーが踊る「シャル・ウィー・ダンス」が忘れられません かなりのスピードでダイナミックに踊っているので、勢いでデボラ・カーが飛ばされてしまうのではないかと心配になるほどです 

英国から来た一人の女性教師の力によって、次代の王が啓もうされ、奴隷制度を取るシャムの政治を変えていくことが暗示されて物語の幕が閉じます ミュージカル映画では「サウンド・オブ・ミュージック」がベスト作品だと思いますが、この「王様と私」はそれに次ぐ素晴らしい作品だと思います

 

  も一度、閑話休題  

 

映画の帰りに、巣鴨駅アトレ2階の高級スーパーS・Iでチーズの詰め合わせセットを2つ買ってきました 映画(特にイタリア映画)を観ていると、さかんにワインを飲むシーンが出てきて、「ワインを飲みたいなあ」と思うと同時に「つまみはチーズが一番だな」と思います。そんなわけで、思わず買ってきました 

右側の袋入りのチーズは、色々な種類のチーズが少しずつ入っていて、いわばサンプルのようなものです。これを食べて、一番気に入ったチーズを買うのが賢い選択だと思います

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

この後、一旦家に帰って、午後6時からサントリーホールで行われる東京交響楽団のコンサートを聴くため あらためて出かけました 実は、映画を観ている時に”ちょっと熱っぽい。風邪を引いたかな?”という自覚症状があり、家に帰ってから体温計で熱を測ったら7度1分ありました それというのも、1月4日から16日まで13日間連続で毎日映画を観て(新文芸坐の「魅惑のシネマ クラシックス」全24本)、コンサートにも3回行ったことが身体に相当の負担をかけた原因だと思います そうは言うものの、今年に入ってから一度、コンサート会場を間違えてチケットをおジャンにしたこともあり、コンサートだけはチケットを無駄にしたくないので、意を決して出かけたのです

今日は新文芸坐で「追悼 原節子」全28作品上映企画の第1弾「東京物語」と「東京暮色」があるのですが、観たい気持ちを押さえて家で身体を休めることにします。16日の東響のコンサートの模様は明日のブログに書くことにします

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イタリアン・ネオレアリズモの代表作「無防備都市」「イタリア旅行」を観る~新文芸坐

2016年01月16日 07時10分18秒 | 日記

16日(土)。わが家に来てから475日目を迎え、おやつを食べながら後ろのテレビが気になるモコタロです

 

          

          ぼくはいつも耳で後ろを警戒しているんだ 日本語わからないけど

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「鶏肉とキャベツの重ね煮」と「生野菜と生ハムのサラダ」を作りました 寒い冬は、やっぱり身体が温まる鍋料理的なものが食べたくなりますね

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で「無防備都市」と「イタリア旅行」の2本立てを観ました 「無防備都市」は1945年、ロベルト・ロッセリーニ監督、フェデリコ・フェリーニ脚本による103分のモノクロ映画です

 

          

 

舞台は第二次世界大戦末期のローマ。レジスタンスのマンフレーディ(マルチェロ・パリエーロ)はドイツのゲシュタポの追跡から逃れ、同志フランチェスカの家に逃げ込む 彼は資金調達のためにローマに来たのだった。しかし、ドイツ軍の警戒が厳しく、神父のドン・ピエトロ(アルド・ファブリッツィ)に連絡を依頼する フランチェスコと子持ちのピーナ(アンナ・マニャー二)との結婚式の日、ナチの捜索からマンフレーディは逃れたが、フランチェスカたちは捕らえられ、その車を追ったピーナはドイツ兵に射殺される 護送の途中、レジスタンスの仲間が車を襲い、フランチェスカたちを救い出す マンフレーディとフランチェスカは、マンフレーディの恋人マリーナ(マリア・ミキ)のアパートに逃げ込む。しかし、彼女はゲシュタポの婦人部員の陰謀にかかり、同性愛と麻薬中毒になっていた マンフレーディとマリーナとの恋人関係は破たんする。マリーナの裏切りにより、神父ら3人はナチに襲われ捕えられる 神父の目前でマンフレーディはゲシュタポの凄惨な拷問にあうが、秘密を一切自白しないまま息絶える フランチェスカは厳しい拷問には耐えられないことを予想し首を吊る 神父も反逆罪で銃殺される。それを見ていた少年たちは黙々と立ち去っていく

この映画は、ローマ解放直後の極めて困難な状況下で6か月にわたって製作されたもので、公開されると一躍、史上最高の傑作と称賛され、イタリアン・ネオレアリズモ誕生の記念碑的な作品となりました ゲシュタポの監視下の中でいかにレジスタンスたちが困難な地下活動を強いられていたか、また、子どもたちまでが親に内緒でレジスタンス活動を展開していたことがリアルに描かれています。まるでノンフィクションのようです

2本目は1953年、ロベルト・ロッセリーニ監督による85分のモノクロ映画「イタリア旅行」です この映画は一言でいえば、結婚生活が危機にある英国人夫婦のイタリア旅行記です

 

 

          

 

ナポリの海辺の別荘を相続したアレクサンダー(ジョージ・サンダース)は経済的な理由からそれを売却することとし、妻のキャサリン(イングリッド・バーグマン)とイタリア旅行に出かけるが、二人の結婚生活は危機に直面していた 別荘の売却以外に興味を持たないアレクサンダーに対し、ナポリの観光を楽しみたいキャサリンの溝は深まるばかり ついに離婚話に発展してしまう。二人はポンペイに旅行することになるが、旅の途中でキャサリンの気分が悪くなり、別荘に引き返すことになる。帰り道で祭りの渋滞に巻き込まれ、車を降りて歩く二人は群衆に押されて離れ離れになってしまう キャサリンは夫の助けを求め、アレクサンダーは必死に駆けつける。再び一緒になった二人は強く抱き合い、あらためてお互いの愛を確かめ合うのだった

イングリッド・バーグマンが魅力的です。この映画の最後のシーンは、お互いに離婚をすることで一致していたのに、キャサリンの方が最初に「別れたくない」と言って事実上 離婚宣言を撤回する訳ですが、これについては女性の観衆から非難の声が聞こえてきそうです。「なぜ、いつも女の方から折れなければならないのよ」と。しかし、1953年当時はそういう時代風潮=イタリアン・レアリズモだったのでしょう。気持ちは分かりますが、押さえてください

 

  最後の、閑話休題  

 

映画の帰りに新宿に出て、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ベルクのオペラ「ルル」の座席指定を取りました 「ルル」は16日から22日までの1週間上映されますが、当面のスケジュールの関係で20日(水)午前10時からの部にしました

 

          

 

その後、新宿タワーレコードに行ってCDを買いました 14日の読響定期公演でピアノを演奏したフランチェスコ・ピエモンテージがアンコールで弾いたリストの「巡礼の年~第1年”スイス”」が素晴らしかったので、この曲を収録したCDが欲しかったのです 巡礼の年~第1年「スイス」は9つの曲から成りますが、彼が弾いたのは第2曲「ワレンシュタートの湖にて」でした。家には リストのCDは18枚しかありません。残念ながら その中に「巡礼の年~スイス」は収録されていませんでした 昨日 買ったのは5枚で、まずアルフレート・ブレンデルの演奏による「巡礼の年:第1年『スイス』」とワーグナー/リスト「イゾルデの愛の死」を収録したCD(国内盤)です

 

          

 

もう一組はラザール・ベルマンの演奏による「巡礼の年~スイス、イタリア」、「ハンガリー狂詩曲第9番」、「シューベルトの歌曲のピアノ編曲版」などを収録した4枚組CD(輸入盤)です

 

          

 

なお、今読んでいる村上春樹の本に出てくるリストの曲は「スイス」の中の第8曲「望郷」(ル・マル・デュ・ペイ)でした いずれも時間はたっぷりあるので、ゆっくり聴こうと思っています。気が向いたら感想をブログに書きます

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ツェムリンスキー「人魚姫」他を聴く~読売日響サントリー定期演奏会

2016年01月15日 07時55分22秒 | 日記

15日(金)その2。よい子は「その1」から見てね モコタロはそっちに出ています

昨夕、サントリーホールで読売日響第554回 定期演奏家会を聴きました プログラムは①リヒャルト・シュトラウス「交響詩”ドン・ファン”」、②リスト「ピアノ協奏曲第2番イ長調」、③ツェムリンスキー「交響詩”人魚姫”」で、②のピアノ独奏は1983年スイス生まれのフランチェスコ・ピエモンテージ、指揮はミヒャエル・ボーダーです ボーダーは巨匠ミヒャエル・ギーレンのアシスタント指揮者としてフランクフルト歌劇場で研鑽を積み、現在はデンマーク王立歌劇場首席指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーを務めています

 

          

 

オケがスタンバイします。この日のコンマスは長原幸太、すぐ隣には小森谷巧が控えます ロマンス・グレイのミヒャエル・ボーダーが登場、1曲目のリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」の演奏に入ります。極めてキビキビした指揮で、オケをグングン煽り立てます このコンビによる小手調べといったところでしょう

グランド・ピアノがステージ左サイドからセンターに移動し、2曲目のリスト「ピアノ協奏曲第2番イ長調」の演奏に備えます。長身でガッチリした体格のソリスト、フランチェスコ・ピエモンテージが指揮者とともに登場します

この曲は2度の改訂を経て1857年に初演されましたが、その際にリストはソリストではなく指揮者として参画したそうです。曲は実質的に3つの部分から成りますが、曲の切れ目のない単一楽章です 聴いていて思うのは、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストであるリストが、自分の超絶技巧の実力を披歴するために書かれた曲であるということです というのは、バックを務めるオーケストラの演奏を見ると、例えば弦楽器だけを取り上げてみても、ヴァイオリンも、ヴィオラも、チェロも、同じパートの楽譜を弾いているのではないかと思うほど、弓使いがほとんど一致しているからです ピアノ・パートの超絶技巧に比べて、あまりにも大雑把なオーケストレーションに思えます

そうしたピアノに関しては超絶技巧曲を、ピエモンテージは何の困難さも感じさせず、ダイナミックに演奏しました 彼はアンコールを演奏しましたが、私は最初の数小節を聴いて、リストには違いないけれど「コンソレーション」の何番か、あるいは、まさかの「巡礼の年」のどれかか、と思いながら聴いていましたが、結局分かりませんでした すごく静かで感動的な曲でした。休憩時間にロビーの掲示を見ると、その まさか の「巡礼の年第1年」から「スイス」でした  まさかと思ったのは、今読んでいる本の中にその曲名が出てきたからです CDで持っているかどうか、探さなければ、と思いました それと同時に、アンコール曲として、彼が何故リストの作品の中から「巡礼の年第1年」から「スイス」を選んだのかが分かりました。もちろん、彼がスイス出身だからです

 

          

 

休憩後はツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」です。私が疑問に思ったのは、ドイツ出身のミヒャエル・ボーダーが、なぜツェムリンスキーの「人魚姫」を演奏しようと思ったのか、ということです それは彼の現在の肩書を見て分かりました

「人魚姫」はデンマーク生まれのアンデルセンの作った童話です。それに基づいてツェムリンスキーが作曲したのですが、それを演奏するボーダーは現在、デンマーク王立歌劇場の首席指揮者を務めています そう、デンマーク繋がりだった訳です。多分、彼は地元デンマークでも、この曲を演奏しているのでしょう

この曲は、一言でいえば、アンデルセンの「人魚姫」に基づくオーケストラのためのファンタジーで、物語をほぼ忠実に音楽によって描いています 第1楽章では首席ヴァイオリン奏者が人魚姫の主題を奏でますが、長原幸太の独奏は、人魚姫の悲しさを表現しているようで素晴らしいものがありました

ツェムリンスキーはシェーンベルクの作曲の師であることから、果たしてどんな とんでもない曲 を作ったのだろうか、と懸念していたのですが、実際に聴いてみると、非常に分かり易い音楽でした なお、彼の妹マティルデはシェーンベルクと結婚したので、姻戚関係になったとのことです

最後に指揮者ボーダーに注文するとすれば、演奏後、全員を立たせる前に、素晴らしいソロを演奏したコンマスの長原幸太を一人で立たせてほしかった、ということです

 

          

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イタリアン・ネオレアリズモの代表作「自転車泥棒」「鉄道員」を観る~新文芸坐

2016年01月15日 07時09分19秒 | 日記

15日(金)その1。昨日は、まず池袋の新文芸坐まで徒歩で(初めて)往復し、帰ってきて夕食を作ってからサントリーホールまで(地下鉄と徒歩で)行ったので、万歩計は12,994歩を記録しました ということで、わが家に来てから474日目を迎え、ゲージに引きこもりを決め込んだモコタロです

 

          

             ハンガーストライキはやらないよ 腹へるから 

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「チンジャオロウスー」とサラダを作りました ソースを作ろうと思ったら非常に大変なようだったので、市販のものを使いました。無理しない無理しない

 

          

 

昨日、池袋の新文芸坐で「自転車泥棒」と「鉄道員」の2本立てを観ました 「自転車泥棒」は1948年、ヴィットリオ・デ・シーカ監督による88分のイタリア映画です

 

          

 

第二次世界大戦後の混乱の中、アントニオ(ランベルト・マッジォラーニ)は長い失業の末、やっとポスター貼りの仕事にありついた。しかし自転車を持っていることが条件だったため、シーツを質に入れて、預けてあった自転車を請け出した。しかし仕事の最中、ちょっとした隙に見知らぬ若者に盗まれてしまう 彼は必死に追いかけるが見失ってしまう。6歳の息子ブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)とともに街中を探し回る。偶然泥棒を発見するが、彼を庇う仲間にやられそうになる 機転を利かせたブルーノが警官を呼んできて何とか切り抜ける。どうしても自転車が手に入らないアントニオは、やけになってついに競技場の外にあった自転車を盗んでしまうが、すぐに捕まってしまう ブルーノの嘆願によって放免されるが、アントニオは恥ずかしさのあまり泣き出してしまう。そんな父の手を取ってブルーノはローマの道に姿を消す

この映画の主人公であるアントニオとブルーノ役は ともに素人だということです  撮影場所もすべてセットではなく現実のもので、芝居らしくない芝居がイタリアのネオレアリズモの代表作として世界に知れ渡りました この作品を最後に観たのは何年も前のことなので、「ああ、そういえばこういうストーリーだったんだな」という場面が少なくなかったのですが、ブルーノ少年の顔だけは良く覚えています。子供らしいのと同時に賢さを秘めていました

戦後の混乱期には実際にこういう小さな事件は山ほどあったのではないか、と想像しますが、ヴィットリオ・デ・シーカ監督は、そうした日常的な庶民の出来事を88分の作品の中に、言いようのない感動とともに表現しました 観終わった後、何となくやるせなくなる映画です

2本目は1956年、ピエトロ・ジェルミ監督が自ら主演した116分のイタリア映画「鉄道員」です

 

          

 

50歳の鉄道機関士アンドレア・マルコッチ(ピエトロ・ジェルミ)は頑固一徹で、末っ子サンドロ(エドアルド・ネヴォラ)以外の家族からは疎まれていた ある日、彼の運転する電気機関車に一人の若者が身を投げた。そのショックで赤信号を見過ごし、列車の正面衝突を起こしかけた そのため、月給も下げられ、役割も格下げされた。そのころ鉄道ではゼネストが決行され労働組合員は働かなくなった。マルコッチは久しぶりに電気機関車を運転したが、それはスト破りと非難された その結果 友人たちから孤立し、酒におぼれるようになり家にも帰らなくなった。サンドロは父を探し、父がよく通っていた酒場に連れ出すことに成功した しかし、彼の身体はすっかり弱っており、床に倒れ込んだ。それから3か月が経った。クリスマスを迎え、家族が揃って大パーティーを開いた。宴のあと、マルコッチはギターを弾きながら息を引き取った。安らかな顔だった

この作品もイタリアのネオレアリズモの代表作と言われています どこの家庭でもありそうな親子の対立や、仲間の温かさなどを描いています。意外かも知れませんが、この作品の要になっているのはアンドレアの妻サラ(ルイザ・デラ・ノーチェ)です 一時バラバラになってしまった家族を再び元に戻したのは母としての彼女の力です

さて、この作品ではクラシック音楽が3曲使われています 最初は、映画の冒頭で、家の中でマルコッチらが会話をしている時にラジオから流れてきたシューベルトの「楽興の時」です 次は同じく家の中で長男が母親のネックレスを黙って持ち出そうとするときにラジオから流れていたチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の中の「行進曲」です それに続いて3曲目がラジオから流れます。ウェーバーの「舞踏への勧誘」です

残念ながら3曲ともイタリアの作曲家による音楽ではありませんが、この3曲に共通しているのは”楽しい音楽”だということです。これらの曲は、この物語の最後のシーンを暗示しているのでしょうか

最後に「自転車泥棒」と「鉄道員」という代表的なイタリアン・ネオレアリズモ作品を観て「おやおや」と思ったことがあります。それは、両作品とも父親がわが子に「ワインを飲め」と奨めるシーンがあったことです。当時のイタリアでは、あるいは現在のイタリアでも、子どもにアルコールを奨めることは悪いことではない、というのがリアリズムなんだろうか、ということです 最もお国柄というのがあるでしょうから、あり得ないことではないとは思いますが

お酒に関するお国柄ということで思い出すのは、1991年1月(東西ドイツ統一の翌年、湾岸戦争勃発の直前)にドイツ、フランス、イギリスの新聞社を仕事で訪問した際、南ドイツ新聞社の印刷工場を見学した時に、輪転機が回っているすぐ外のベランダに、何とビールの自動販売機が設置されていたのです 例えば、日本の新聞社の印刷工場で休憩時間に自販機のビールを飲んで仕事をして、もし事故があったら”労災問題”になる、というのが日本の視察団の一致した意見でした つまり事故があった場合は、自販機を設置した会社側の責任となるので、日本では”あり得ない”ことなのです しかし、日本側の質問に対するドイツ側の回答は「ドイツではビールは水と同じです」という唖然とするものでした。これがドイツのリアリズムだったのです これと同じ理屈で、「イタリアではワインは水と同じです」というのがイタリアのレアリズモなのでしょうか

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ピーター・オトゥール主演「アラビアのロレンス」を観る~新文芸坐

2016年01月14日 07時22分31秒 | 日記

14日(木)。わが家に来てから473日目を迎え、またまた久しぶりのドアップで登場して、最近の北朝鮮情勢について沈思黙考するモコタロです

 

          

            いつまでも気無ジョン・運に任せておいて大丈夫かな?

 

  閑話休題  

 

昨日は夕食に「豚肉のねぎ塩焼き」と「生野菜と生ハムのサラダ」を作りました。あとは なめこと豆腐の味噌汁です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で「アラビアのロレンス」を観ました これは1962年、デイヴィッド・リーン監督による3時間47分の超大作です

 

          

 

第一次世界大戦中、カイロに赴任したイギリス陸軍のロレンス少尉は、砂漠の利権をめぐるオスマン帝国とアラブ人の衝突に巻き込まれていくーこれはT.E.ロレンスの自伝「知恵の七柱」に基づいて、アラブ国民から英雄と称えられた男の苦悩と挫折を壮大なスケールで描いた作品です

ロレンス少尉を演じるのは舞台俳優のピーター・オトゥール、エジプトのファイサル国王には「戦場にかける橋」で二コルスン大尉を演じたアレック・ギネス、アウダ・アブ・タイには「ナバロンの要塞」でスタヴロウ大佐を演じたアンソニー・クインが演じています

映画の冒頭、真っ暗な画面の中、ティンパ二の連打が鳴り響きます モーリス・ジャール作曲による「アラビアのロレンス」のテーマです。これは効果的です 観衆は画面を見つめますが、そこには何かが映っているようで何も見えません。そうした中で、壮大なテーマだけが壮大に鳴り響くのです。聴衆は音楽だけに集中しこれから始まる一大ストーリーに思いを馳せます

音楽が終わると、COLOMBIAのクレジットが現れ、いよいよ本編に入ります。冒頭はロレンスがバイクに乗って郊外を走り回るシーンです。対向車を避けようとして彼は転倒します これはロレンスが実際に何度も交通事故に遭って、そのたびに”復活”してきた事実から採られています。かなり前にこの映画を観ましたが、このシーンだけはよく覚えています

4時間弱にも及ぶ壮大なストーリーを簡単に説明することは困難ですが、何度か出てくる砂漠のシーンが実に美しい ラクダに乗ったロレンス達が砂漠を進むシーン、夜の砂漠の神秘的なシーン、どれもが幻想的で美しい光景です モーリス・ジャールの音楽が華を添えます

 

          

 

ちょうど2時間位経ったところで休憩が入ったので、いつものようにコンビニおにぎりとお茶で昼食を済ませました 

映画の前半はロレンスがアラビアの英雄になるまでの過程を描いていますが、後半に入ると”人間の弱さ”が出て、「おれをただの人間だと思うか?」と言い放ち、”自分に出来ないことは何もない”という思い上がった気持ちになって、平気で人を殺すようになります 最後にはダマスカスを奪還し、一連の功績に対し大佐に昇進しますが、彼にとってそれが本望だったのかどうかは分かりません この映画は、"英雄が英雄であり続けることの難しさ"を描いていると言えるのではないか、と思います

 

          

 

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「ナバロンの要塞」「戦場にかける橋」を観る~新文芸坐

2016年01月13日 07時25分20秒 | 日記

13日(水)。わが家に来てから472日目を迎え、食べるものなら何でも興味津々なモコタロです

 

          

         1枚でも千べいとはこれいかに・・・1人でも仙人と言うがごとし ってか

 

  閑話休題  

 

昨日は寒かったので、夕食にクリームシチューを作りました。あとはいつもの生野菜サラダです

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で「ナバロンの要塞」と「戦場にかける橋」の2本立てを観ました 「ナバロンの要塞」は1961年、リー・トンプソン監督による2時間37分の映画です

 

          

 

第二次世界大戦下の1943年、エーゲ海はドイツ軍の制圧下にあり、ケーロス島のイギリス軍2,000名の兵士は全滅の危機にあった ナバロン島の断崖の洞窟に据えられたドイツ軍の2門の大砲を破壊しない限り兵士たちを救う道はないとして、フランクリン少佐(アンソニー・クェイル)はナバロン島の絶壁400フィートをよじ登り潜入する計画を立て、必要な人材を集めることとした 登山家のキース・マロリイ大尉(グレゴリー・ペック)、元ギリシア軍大佐スタヴロウ(アンソニー・クイン)、化学者のミラー伍長(デヴィッド・ニーヴン)、ナイフの名人ブラウン無線兵(スタンリー・ベイカー)、ナバロン島生まれのパパディモス1等兵(ジェームズ・ダーレン)の5人が招集された。フランクリン少佐を含めた6人の少数精鋭部隊は、無事に難攻不落の要塞を破壊することが出来るのか

まず、ナバロン島に近づくのが大変です。漁船で近づくのですが、途中ドイツ軍の艦船に呼び止められ疑われますが、彼らを射殺します すると今度は大嵐に遭い島に着いた途端に大波で漁船は大破します やっとナバロン島に着くや否や、今度は難攻不落の断崖絶壁の岩山登山が待っています このシーンは思わず手に汗を握ります。山頂の古城でレジスタンスの女性2人と出逢い、仲間に引き入れます そして、それぞれの役割分担によって、”要塞”に接近していきます

「ローマの休日」で新聞記者を演じたグレゴリー・ペックが実質的なリーダーとしてメンバーを引っ張りますが、最初は違和感がありました。あまりにも「ローマの休日」のイメージが強すぎたからです しかし、時に冷血な判断を下さざるを得ない大尉を演じる姿を見て、次第に慣れてきました アンソニー・クインはいつもニヒルで、カッコいいですね デヴィッド・ニーヴンは、昔から、何故かピーター・オトゥールと間違えてしまい困っています。顔が似ているわけではないのに、ニーヴンの顔を見ると「あっ、ピーター・オトゥールだ」と思ってしまうのです。どこでどう取り違えたのかさっぱり思い出せません。困ったものです

2本目は「戦場にかける橋」です。これは1957年、デイヴィッド・リーン監督による2時間42分の映画です

 

          

 

第二次世界大戦下、タイとビルマ国境の日本軍捕虜収容所を舞台に、日英両軍兵士の交流を描いた作品です

捕虜収容所に二コルスン大佐(アレック・ギネス)を隊長とするイギリス軍捕虜の一隊が送られてきた。彼らはバンコックとラングーン間を結ぶ鉄道を貫通させるためにクワイ河に橋を建設する労働力として期待された 収容所の斎藤所長(早川雪洲)は橋の完成まで時間的な余裕がないため、将校を含めた捕虜全員を労役に服すよう命令するが、二コルスン大尉は”ジュネーブ協定”に反するとして断固として拒否する そのため、彼は狭い営倉に隔離されるが、齊藤所長はついに彼の頑固さに負け彼を開放する。意外にも二コルスン大佐は橋の建設工事をやらせてくれと言い出す。彼の考えは、橋を建設することによって捕虜たちに生きる意義を見出させることだった 橋が完成し、汽車が来ることになる その頃、収容所から脱走していた海軍少佐シアーズ(ウィリアム・ホールデン)らが橋に接近し、密かに橋の爆破に向けて着々と準備を進めていた そうした中、二コルスン大佐は、橋の下に線が延びているのを発見する。斎藤所長とともに橋の下に下りてそれを確かめると、それは橋を爆破するための発火装置まで続いていた 二コルスン大佐が銃で撃たれ、発火装置の上に倒れ込んだためスイッチが入り、橋は大爆発して汽車もろともクワイ河に雪崩落ちる。二コルスン大佐は「私は何のために・・・・」と言う言葉を残して息を引き取る

イギリス人が作った橋をイギリス人が爆破したというわけです 「戦争とはそんなもの」というデイヴィッド・リーン監督の声が聞こえてきそうです この映画では、兵士たちが口笛で奏でる「クワイ河マーチ」が印象的です 映画の中で何度か流れますが、自分たちの手で完成した橋の上を口笛で「クワイ河マーチ」を吹きながら行進するイギリス人捕虜たちの誇らしさが忘れられません 映画の内容は知らなくとも、この音楽なら知っている人はいくらでもいるでしょう

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