15日(金)その1。昨日は、まず池袋の新文芸坐まで徒歩で(初めて)往復し、帰ってきて夕食を作ってからサントリーホールまで(地下鉄と徒歩で)行ったので、万歩計は12,994歩を記録しました ということで、わが家に来てから474日目を迎え、ゲージに引きこもりを決め込んだモコタロです
ハンガーストライキはやらないよ 腹へるから
閑話休題
昨日は、夕食に「チンジャオロウスー」とサラダを作りました ソースを作ろうと思ったら非常に大変なようだったので、市販のものを使いました。無理しない無理しない
昨日、池袋の新文芸坐で「自転車泥棒」と「鉄道員」の2本立てを観ました 「自転車泥棒」は1948年、ヴィットリオ・デ・シーカ監督による88分のイタリア映画です
第二次世界大戦後の混乱の中、アントニオ(ランベルト・マッジォラーニ)は長い失業の末、やっとポスター貼りの仕事にありついた。しかし自転車を持っていることが条件だったため、シーツを質に入れて、預けてあった自転車を請け出した。しかし仕事の最中、ちょっとした隙に見知らぬ若者に盗まれてしまう 彼は必死に追いかけるが見失ってしまう。6歳の息子ブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)とともに街中を探し回る。偶然泥棒を発見するが、彼を庇う仲間にやられそうになる
機転を利かせたブルーノが警官を呼んできて何とか切り抜ける。どうしても自転車が手に入らないアントニオは、やけになってついに競技場の外にあった自転車を盗んでしまうが、すぐに捕まってしまう
ブルーノの嘆願によって放免されるが、アントニオは恥ずかしさのあまり泣き出してしまう。そんな父の手を取ってブルーノはローマの道に姿を消す
この映画の主人公であるアントニオとブルーノ役は ともに素人だということです 撮影場所もすべてセットではなく現実のもので、芝居らしくない芝居がイタリアのネオレアリズモの代表作として世界に知れ渡りました
この作品を最後に観たのは何年も前のことなので、「ああ、そういえばこういうストーリーだったんだな
」という場面が少なくなかったのですが、ブルーノ少年の顔だけは良く覚えています。子供らしいのと同時に賢さを秘めていました
戦後の混乱期には実際にこういう小さな事件は山ほどあったのではないか、と想像しますが、ヴィットリオ・デ・シーカ監督は、そうした日常的な庶民の出来事を88分の作品の中に、言いようのない感動とともに表現しました 観終わった後、何となくやるせなくなる映画です
2本目は1956年、ピエトロ・ジェルミ監督が自ら主演した116分のイタリア映画「鉄道員」です
50歳の鉄道機関士アンドレア・マルコッチ(ピエトロ・ジェルミ)は頑固一徹で、末っ子サンドロ(エドアルド・ネヴォラ)以外の家族からは疎まれていた ある日、彼の運転する電気機関車に一人の若者が身を投げた。そのショックで赤信号を見過ごし、列車の正面衝突を起こしかけた
そのため、月給も下げられ、役割も格下げされた。そのころ鉄道ではゼネストが決行され労働組合員は働かなくなった。マルコッチは久しぶりに電気機関車を運転したが、それはスト破りと非難された
その結果 友人たちから孤立し、酒におぼれるようになり家にも帰らなくなった。サンドロは父を探し、父がよく通っていた酒場に連れ出すことに成功した
しかし、彼の身体はすっかり弱っており、床に倒れ込んだ。それから3か月が経った。クリスマスを迎え、家族が揃って大パーティーを開いた。宴のあと、マルコッチはギターを弾きながら息を引き取った。安らかな顔だった
この作品もイタリアのネオレアリズモの代表作と言われています どこの家庭でもありそうな親子の対立や、仲間の温かさなどを描いています。意外かも知れませんが、この作品の要になっているのはアンドレアの妻サラ(ルイザ・デラ・ノーチェ)です
一時バラバラになってしまった家族を再び元に戻したのは母としての彼女の力です
さて、この作品ではクラシック音楽が3曲使われています 最初は、映画の冒頭で、家の中でマルコッチらが会話をしている時にラジオから流れてきたシューベルトの「楽興の時」です
次は同じく家の中で長男が母親のネックレスを黙って持ち出そうとするときにラジオから流れていたチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の中の「行進曲」です
それに続いて3曲目がラジオから流れます。ウェーバーの「舞踏への勧誘」です
残念ながら3曲ともイタリアの作曲家による音楽ではありませんが、この3曲に共通しているのは”楽しい音楽”だということです。これらの曲は、この物語の最後のシーンを暗示しているのでしょうか
最後に「自転車泥棒」と「鉄道員」という代表的なイタリアン・ネオレアリズモ作品を観て「おやおや」と思ったことがあります。それは、両作品とも父親がわが子に「ワインを飲め
」と奨めるシーンがあったことです。当時のイタリアでは、あるいは現在のイタリアでも、子どもにアルコールを奨めることは悪いことではない、というのがリアリズムなんだろうか、ということです
最もお国柄というのがあるでしょうから、あり得ないことではないとは思いますが
お酒に関するお国柄ということで思い出すのは、1991年1月(東西ドイツ統一の翌年、湾岸戦争勃発の直前)にドイツ、フランス、イギリスの新聞社を仕事で訪問した際、南ドイツ新聞社の印刷工場を見学した時に、輪転機が回っているすぐ外のベランダに、何とビールの自動販売機が設置されていたのです 例えば、日本の新聞社の印刷工場で休憩時間に自販機のビールを飲んで仕事をして、もし事故があったら”労災問題”になる、というのが日本の視察団の一致した意見でした
つまり事故があった場合は、自販機を設置した会社側の責任となるので、日本では”あり得ない”ことなのです
しかし、日本側の質問に対するドイツ側の回答は「ドイツではビールは水と同じです
」という唖然とするものでした。これがドイツのリアリズムだったのです
これと同じ理屈で、「イタリアではワインは水と同じです」というのがイタリアのレアリズモなのでしょうか
昨夜はヴィスコンティの映画「家族の肖像」にも使われた モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲を、川久保さんとオリ・カムの演奏で聴いてきました。
笑顔で楽しそうに弾く彼女の演奏は勿論 とても良かったです。
その前に、森美術館で観た、村上隆の「五百羅漢図展」は予想以上の素晴らしさで、撮影自由というのが驚きでした。
「家族の肖像」で使われたのは第二楽章。
家主の老人がベッドに入りレコードに針を置くと静かな第2楽章が流れますが、すぐ 部屋を貸している人の他の曲に邪魔されてしまいます。
「ルートヴィヒ」という超大作がありましたね。あれはワーグナーの音楽のトリコになったバイエルン国王の物語でした。
彼はワーグナーのために”ノイシュヴァンシュタイン城”を建てましたが、その当時は国家予算を何と心得るか、と非難ごうごうでした。しかし、今ではバイエルン州の貴重な収入源になっているのですから、歴史は皮肉ですね