人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「がんばろう!日本スーパーオーケストラ」のチケットを買う/伊集院静著「作家の遊び方」を読む

2016年01月20日 07時27分28秒 | 日記

20日(水)。わが家に来てから479日目を迎え、お菓子を前に身の潔白を訴えるモコタロです

 

          

           刑事さん これ食べたの 俺じゃねえんだ 信じてくれ!

 

  閑話休題  

 

昨日、当ブログの読者ゆえさんと日比谷公園内にある小さなレストランH・P・Cでランチしました 実は今月27日(水)夜に2つのコンサート(新日本フィル・サントリー定期と読響アンサンブル)がダブってしまったので、片方のチケットをお譲りすることにしたのです 新日本フィルは「トリフォニー・シリーズ」公演にチケットを振り替えることも出来るのですが、マーラーの「第5番」が演奏されるのはサントリー・シリーズのみなので、こちらを聴くこととし、読響アンサンブル=シューベルト「ピアノ五重奏曲”ます”」他(ピアノ:小山実稚恵)のチケットをお譲りしました

 

          

 

時間的に余裕のある私の方が先にレストランに着いたので、そこで しばし待ちました。ゆえさんは午前中の仕事が終了してから駆けつけました ハヤシライスを食べながら、お互いの近況を報告しました。彼女が「最近CDを買うようになって、ますますクラシックにのめり込むようになった」と話したので、私が約4,000枚のCDを所有するに至った経緯を話し、「集め出したらきりがないから気を付けた方が良い。収容する場所の問題もあるし」というアドヴァイスをお伝えしました が、多分 増えていくでしょうね。何かを好きになるということは、もっとそれを知りたいと思うことですから 例えば、ある作曲家の交響曲第1番のCDを聴いて それが好きになったとすると、「第2番はどんな曲だろう」と思ってCDを買い、その次は「第3番は・・・・」と、結局その作曲家の全交響曲を聴くことになります。交響曲の次は「協奏曲は・・・・」となるわけですからCDは増える一方だと思います。本当にお気の毒ですが つける薬はありません

ゆえさんは最近チェコのオケを生演奏で聴いて、「チェコのオケがチェコの作曲家の曲を演奏することの意味はどんなものか?あるチェコのオケがドヴォルザークを演奏したのを聴いたらすごく良かったのに、別のチェコのオケが同じ曲を演奏したのを聴いたらそれほど良いとは感じなかった これはどういう理由だろうか?オケの個別の問題なのだろうか?」という疑問を抱いたとのことで、「トラさんはどう思いますか?」と尋ねられました。私からは、

「例えば、ウィーン・フィルを例にとれば、そもそもウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーの中からウィーン・フィルのメンバーが選ばれるし、そのウィーン国立歌劇場管弦楽団に入るためにはウィーン国立音楽大学の出身者でなければならない したがって、ウィーン・フィルの演奏にはそういう歴史と伝統が昔から受け継がれてきた。だからオーストリア出身のヨハン・シュトラウスなどの音楽はウィーン・フィルが最高だという言われ方をしている それと同じように、チェコのオケも、多くのメンバーが地元の音楽大学(プラハ音楽院等)の出身者で占められており、昔から”我らがドヴォルザーク”、”わがスメタナ”の音楽はチェコのオケが最高だという言われ方をする しかし、どちらのオケにしても、国際化と実力主義(男女平等)の波には勝てず、少しずつインターナショナル化しているのが現状だと思う。したがって、同じチェコのオケでも歴史と伝統の深さによって、あるいはインターナショナル化の度合いによって演奏の印象が違ってくるのではないか

というようなことを、無い知恵を絞って答えました ここで付け加えれば、ひと昔前までは、世界のオーケストラにはそれぞれ特色があって、個性を楽しんで聴けたのに、現代では、厳しいオーディションを通過した演奏家のみから構成されているので、個々人の実力は凄く高いのだけれど、実力主義と平等主義が行き過ぎて、「どのオケを聴いても同じ」という印象を持つようになってしまった、というのが現状ではないかと思います

話が弾んで、あっという間にゆえさんの昼休み時間を過ぎてしまいました 帰りがけにゆえさんから、先日、みなとみらいホールにコンサートを聴きに行った際のお土産(紅茶とお菓子のセット)をいただきました ゆえさんは いつも ちょっとした気遣いをしてくれるので感心しています  ゆえさん、ありがとうございました。大事にいただきます

 

          

 

時間がかなりあったので徒歩で丸の内まで歩き、三菱一号館美術館で開催中の「プラド美術館展」を観ました

 

          

 

スペイン三大画家 エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤをはじめとする絵画を観てきましたが、その当時の絵画はキリスト教との結びつきが強いのだということをあらためて感じました

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

コンサートのチケットを買いました 3月15日(火)午後7時からサントリーホールで開かれる「がんばろう!日本 スーパーオーケストラ 毎日希望奨学金チャリティーコンサート」です。プログラムは①ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」(ピアノ独奏:小山実稚恵)、②サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」(ヴァイオリン独奏:松田理奈)、③オーレ・ブル「セーテルの娘の日曜日」(同)、④プッチーニ「私のお父さん」(同)、⑤ラヴェル「ボレロ」です 指揮は本名徹次、オケは読響コンマス・小森谷巧以下 内外のオケの寄せ集め集団です。昨年も聴きましたが素晴らしいコンサートでした 全席指定3,000円でこの内容です。文句の付けようがありません

 

          

 

   またまた、閑話休題  

 

昨日は、夕食に「手羽元と野菜のスープ」を作りました。これは所有の2冊の料理本には載っていない料理です 材料は手羽元、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、ホウレン草で、醤油とお酒と味醂で味付けしてあります

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

伊集院静著「作家の遊び方」(双葉文庫)を読み終わりました 伊集院静は1950年山口県防府市生まれ。立教大学卒業後、CMディレクターなどを歴任。92年「受け月」で直木賞、94年「機関車先生」で柴田錬三郎賞を受賞しています

 

          

 

「作家の遊び方」なんて粋なタイトルの本を書いている伊集院静氏は故・夏目雅子さん、今は篠ひろ子さんの夫です 否が応でも天下の美女を妻に持つ男の遊び方とはどんなものか、と期待が高まります

ということでページを繰ってみると、出てくる話は競馬、競輪、麻雀、ルーレットといった ほとんどギャンブルばかりで、さらにお酒の話が付いて回ります  どうやら、この本は双葉社から出ている、その方面の記事が中心の週刊誌に連載した小文をまとめて出版したエッセイ集らしいのです

著者は最後に「文庫化に寄せて」の中で「本書の中の一節でも、何か”遊び”の気配、やり方を得ることがあれば幸いであるが、『バカなものを読んだ』と放り投げることがあっても、私はそれでエクスキューズしない。なぜなら、ムダなこともすべて生きる時間であり、”人生にムダなことは何ひとつない”が私のモットーであるからだ」と書いています

『人生にムダなことは何ひとつない』というのは同感です。伊集院氏は競馬、競輪、麻雀、ルーレットに明け暮れ、そのうえ大酒を食らって人生を謳歌しているのに対して、私の場合はコンサートに行き、映画を観て、本を読んで、お酒を飲んで人生を謳歌しています 違う点は、伊集院氏はそうしたことを文章にして原稿料を得て生計を立てているのに対して、私の場合はブログに書いているけれど、そこから何の利益も得ていないということです

伊集院静氏が作り近藤真彦が歌ったヒット曲のように「ギンギラギンにさりげなく」生きていきたいと思いますが、一人で生きているわけではないので、思うようにいかない時もあります。人生いろいろ、男もいろいろ、女もいろいろ、てか

 

コメント
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