人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「コンクールに思う」~ 朝日の記事から / 「伊藤悠貴 チェロリサイタル」のチケットを取る ~ 芸劇ブランチコンサート / 「ムンバイのヴァイオリン弾き」を観る ~ Netfrix配信映画

2021年11月14日 19時24分16秒 | 日記

14日(日)。昨日の朝日新聞朝刊のコラム「多事奏論」に同社編集委員・吉田純子さんによる「コンクールに思う 音楽の本質 競争でなく個性」という見出しの記事が載っていました エッセンスだけご紹介すると次の通りです

「この秋のショパン国際ピアノコンクールほど、メディアが試行錯誤を強いられたイベントはかつてなかったと思う 一般の人々が先に、リアルタイムの配信を通じ、最初の予選から本選までの詳細な情報を共有していたからだ(略)この地殻変動は、順位を権威化してきた従来の音楽ビジネスの在り方にも大きな発想の転換を促すことになるだろう スターを生成する『装置』だったコンクールが、盛大なエンタメとして大衆の手のうちに入り、旧態依然とした商業主義のシステムの内側でもはやコントロールできなくなったからだ アーティストの多様かつ繊細な個性にあらためてどう向き合うか。音楽業界は初心に立ち返らねばならないと思う(略)若手たちがそれぞれの歩幅で多様に成熟を重ねられるよう、私もこれまで以上に真剣に伝えていかねばならないと思う。芸術は本来、競い合うためにあるのではないということを。日本の楽団や演奏家が今、どれほど凄いレベルに達しているかということを。そして、現実の劇場にこそ、コンクールを超えるスリリングな精神の冒険の桃源郷が待っているということを

吉田さんは同様の趣旨の持論を何度か書いていますが、確かに今年のショパン・コンクールは「コンクールの在り方を変えた」、「演奏する側と聴く側の意識を変えた」と言えるかもしれません その一方で、何かで読んだ記憶があるのですが、「日本国民全体の中に占めるクラシック愛好家の人口は約1%に過ぎない」という実態を鑑みると、今回のショパン・コンクールを巡る国内での大騒ぎも、ほんの一握りの人々の中での出来事に過ぎない、と言えなくもないでしょう 言うまでもなく、1%を2%に挙げるのは至難の業です

ということで、わが家に来てから今日で2500日目を迎え、NHKは13日、大河ドラマ「青天を衝け」の7日放送(第34話)で、オランダ、ロシア、英国の国旗の向きを上下逆さまにして放送する誤りがあったと番組の公式サイトなどで謝罪したと  いうニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     NHK(日本反転協会)にとっては「青天の霹靂」だったか  今度は「雨天を衝け」

 

         

 

来年3月9日(水)午前11時から東京芸術劇場で開かれる芸劇ブランチコンサート「名曲リサイタル・サロン 第17回『全歌曲集から紐解くラフマニノフ』 伊藤悠貴」のチケットを取りました プログラムは下のチラシの通りです↓ 実は7月28日のリサイタル・サロンの際に、11月(福間洸太朗)、1月(藤田真央)、3月(伊藤悠貴)のチケットを取るはずだったのですが、この日は3時からミューザ川崎でN響コンサートが、7時から東京シティ・フィルのコンサートあり、慌てて芸劇を出て川崎に向かったので、チケット購入が頭からスッポリと抜け落ちてしまったのです その結果、11月10日の公演は聴けず、1月の藤田真央の公演は「予定枚数終了」ということで聴けません まあ、たまにはこういうこともあります

 

     

    

         

 

Netfrix配信映画「ムンバイのヴァイオリン弾き」を観ました 1時間程度の短編映画はないかな、と思ってNetfrixのメニューを検索していたら72分の映画がありました それが2016年製作の「ムンバイのヴァイオリン弾き」です 監督はBauddhayan  Mukherjiという人です

主人公は交響楽団のヴァイオリニスト。景気が良くないため仕事が少ない ある日、練習帰りに駅のホームで列車を待っているとき、自分をジッと見つめる白シャツの男がいた その男が近づいてきて「君はヴァイオリンを弾くのか?」と聞く。彼が「そうだ」と答えると、「自分は映画監督だが、音楽を演奏してほしいので すぐに来てもらえれば前金を払う」と言う    彼は白シャツ男に着いていくことにする。彼は見知らぬ街の汚い安アパートに連れていかれるが、そこは演奏用のスタジオではなく、パソコンやマイクがあるだけだった 白シャツの男は「合図をしたら西洋音楽を弾いてほしい」と言う。彼は「どんな映画なのか、どんな曲を弾いたらいいのか?」と聞くが、白シャツの男は答えてくれない 「映像を流すからそれに合わせて自然な感じで演奏すればいい」と言うだけ 納得がいかないまま、映像が始まるが、そのタイトルは「音楽のある浴室の風景」だった 明るい浴室でタオルを巻いただけの女が身体を洗っていると、ドアから男が入ってくるという映像だ 驚いて振り向いた女の顔のアップが映し出される。それはポルノビデオの収録だったのだ 男は驚いて一瞬演奏が止まってしまうが、演奏を再開すると、女が興に乗ってくる。目をつぶって演奏すると、白シャツの監督から「目を開けてちゃんと見ろ」と指示される 映像を見つめながら無我夢中で演奏すると、映画も演奏も最高潮に達する 映画が終わると、彼は悲しみに満ちたメロディーを静かに演奏し仕事を終える 監督は素晴らしい演奏だったと男を称え、残りの報酬を支払う 彼は納得のいく演奏ができたと物思いに耽りながら家路につく。帰宅すると不機嫌な妻が待っていた。実は映像の女は彼の妻だったのだ 男は一瞬、その朝ゴキブリを叩き潰したように妻の首を絞め、ヴァイオリンで叩き殺すシーンを想像するが、実際には妻を抱きしめたのだった そして、「今日は、ヴァイオリンをソロで弾いて最高の演奏ができた」と嬉しそうに報告し、妻も嬉しそうに受け止めるのだった

 

     

 

インド映画というと、お約束のように、いきなり人々が躍り出すシーンを思い浮かべますが、この映画はまったく種類が異なります 冒頭から中盤にかけてはほとんどミステリーと言えるほど緊迫感に満ちています 主人公の男が列車の中で、どんな音楽を弾こうかと想像するシーンがありますが、彼の頭の中で鳴っていたのはベートーヴェン「ロマンス」、モーツアルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、チャイコフスキー「白鳥の湖」といった定番の音楽でした また、映画の本番を迎えて、「西洋音楽」といっても何を弾けばよいのか迷った挙句 弾き出したのは「白鳥の湖」の「情景」でした

結局 主人公は、妻がポルノビデオに出ていたという予想外の衝撃と、感情を込めて弾いたソロの演奏が監督に認められたという喜びとが交錯して、複雑な心境になったに違いありません

映画の最後にパブロ・ピカソの「芸術は日常生活で汚れた魂を洗う」という言葉が現れます 主人公が自分で納得のいく演奏ができたからこそ、妻をゴキブリのように叩き殺すことはせず、抱きしめることができたのだと思います 芸術は妻の肉体を救い、夫の精神を救ったのです

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