人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「追悼・田中邦衛」で山田洋二監督「学校」 & 田中邦衛・宮藤官九郎共演「福耳」を観る 〜 新文芸坐

2021年07月02日 07時20分39秒 | 日記

2日(金)。わが家に来てから今日で2365日目を迎え、中国共産党は1日午前、北京市内の天安門広場で創立100周年の記念式典を開き、周近平総書記は演説で「香港での全面的な管轄権を持ち、台湾独立のたくらみを断固として粉砕しなくてはいけない」と強調した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     覇権主義国家・中国の習近平は 香港の次に支配下におくのは 台湾だと明言したな

 

         

 

昨日、夕食に「牛ヒレカットステーキ」「生野菜サラダ」「チンゲン菜のスープ」を作りました ステーキはレアで焼きましたが、てとても美味しかったです

 

     

 

         

 

昨日、新文芸坐で「追悼・田中邦衛」のうち「学校」と「福耳」の2本立てを観ました

「学校」は山田洋二監督による1993年製作松竹映画(128分)です

ベテラン教師・黒井(西田敏行)が勤める下町の夜間中学には、昼間は清掃会社で働くカズ(萩原聖人)、元不登校児のえり子(中江有里)、焼肉店を営む在日韓国人のオモニ、中国と日本のハーフの青年チャン、シンナーをやっていたミドリなど 年齢も環境も様々な生徒たちが通っている 卒業が近づいたある日、卒業記念文集のための作文を書く生徒たちの横顔を見ながら、黒井は彼らとの思い出を振り返る やがて彼らのもとに、病気のため田舎に帰っていたクラスメイトのイノさん(田中邦衛)が亡くなったという知らせが届く

 

     

 

貧しい境遇にありながらも一生懸命生きようとする市井の人たちに目を向ける山田洋二監督らしい作品です

カタカナを書く授業で、黒井に指名されたイノさんは恥ずかしがって黒板に書こうとしません するとカズから「イノさんは競馬新聞を読んでるからカタカナを書けるはずだ」と暴露され、黒板に自信満々に「オグリキャップ」と書きます クラスメイトから大きな拍手を受けたイノさんは「オグリキャップ」の過去の名レースの様子を熱く語り始めます このシーンには笑ってしまいましたが、長い人生を生きていれば、誰にでも一つくらいは得意な分野はあるもの 「好きこそものの上手なれ」です

イノさんの死を知らされたオモニは「イノさん、幸せな人生だったと思うよ」と言いますが、カズは「そんなわけないだろう。どんなものが幸せなんだよ」と突っかかります。黒井は「いい機会だ。幸せとは何か、みんなで考えてみよう」と問題を投げかけます 脳性麻痺のため言葉が不自由なオサムが「お金があれば幸せになれる」と言うと、皆は笑います しかし黒井は「確かに、お金も大事だね」と同調します。それに対し、えり子は「お金は使ってしまえばなくなってしまう でも幸せって何かは分からない。分からないからこうやって学校に来て勉強するんじゃないかな」と言います。カズは「よくわかんないけど、生きていて良かったとか思うことがあるじゃない。そういうのが幸せなんじゃないか」と言います。このやり取りを聞いていて、私は「男はつらいよ」の寅さんの台詞を思い出しました 満男から「おじさん、生きるってどういうことなんだろう?」と哲学的なことを聞かれた寅さんは、「長い間生きていると、つらいこともたくさんあるけど、たまに、ああ生きていて良かったなあ、と思うことがあるだろう。人間はそういう時のために生きてるんじゃないかなあ」と答えます。この辺は「学校」も「男はつらいよ」も同じベースに立っています

印象的なシーンがあります 黒井が生徒たちに作文を書かせている間、隣の教室から外国人の生徒たち向けの日本語の授業の様子が伝わってきます この映画の製作は今から28年前の1993年ですが、この時すでに夜間中学の生徒の中に かなりの外国人労働者の姿があったことが分かります 映画はその時々の世相を反映しています

 

         

 

「福耳」は瀧川治水監督による2003年製作映画(110分)です

フリーターの里中高志(宮藤官九郎)は、浅草にある高齢者用マンション「東京パティオ」の中にあるレストラン「タイムマシン」で働くことになった 理由は以前入院した病院の看護師だった信長珪(高野志穂)に一目ぼれしてストーカーのように跡を追い、彼女がこのマンションでヘルパーとして働いていることを突き止めたためだ 仕事の初日、マンションの前で高志は不思議な老人・藤井富士郎(田中邦衛)に出会う 富士郎はすでに亡くなっているが、生前好きだった神崎千鳥(司葉子)への想いを諦めることができず、高志に憑りつき、彼の身体を使って想いを遂げようとしていた かくしてフリーターの若者と幽霊の老人の奇妙な共同生活が始まった 最初のうちは迷惑に感じていた高志だったが、富士郎が信長珪との恋の駆け引きの手助けをしてくれるようになり、お陰で二人は結ばれることになる

 

     

 

この作品は宮藤官九郎の初主演映画とのことですが、私はクドカンというとNHK「あまちゃん」の脚本家としてしか知りません その後の活躍からすると、どうやら役者としてよりも脚本家としての方が才能があるような気がします

この映画を観て、まず最初に驚いたのは宝田明です。元文部官僚で今はゲイとなってバーのマスターをしている井上五郎を演じていますが、あの「ゴジラ」の尾形秀人役の宝田明が・・・マジかと思いました 俳優って何でもやる(やらされる)んですね

高志(=富士郎)の神崎千鳥を巡るライバルとして緑川(坂上二郎)と小林(谷啓)が登場しますが、往年のギャグ「飛びます 飛びます」「ガチョーン」をかましたりして懐かしかった

ところで、富士郎が高志に憑りついたのは、神崎千鳥に愛を伝えることだけではなかったことがラストで明らかになります 実は、10年前に息子が死んだのは自分のせいだと思い込んで、富士郎は自分を責め続けていました その息子の耳は高志と同じ福耳で ホクロがあり、仏壇に飾られた遺影は高志とそっくりだったのです つまり、富士郎は死んだ息子を高志と思い、恋の手助けをして罪滅ぼしをしようとしたのです

「東京パティオ」のロビーでダンスパーティーをするシーンがありますが、レハールのオペレッタ「メリーウィドウ」のワルツが流れていました こういうシーンでは、レハールやヨハン・シュトラウスの音楽が良く使われますね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする