明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(330)東電が原発がなくても電気が足りることを認めた・・・が?

2011年11月23日 00時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111123 00:30)

非常に興味深い記事が飛び込んできました。なんと東電が来年の夏に向けた
電力供給量の試算を行い、原発がなくても電気が足りることを認めたという
のです!記事が短いので、まず全文を紹介します。

*****

東電が“原発抜きの夏”を試算 今年上回る供給力
【共同通信】2011/11/22 17:38

東京電力が来年の夏に向け、保有する全ての原発が東日本大震災の影響や定期
検査で停止しても、火力発電や揚水式発電の増強により、今夏の最大供給力を
上回る約5700万キロワットを確保できるとの試算をまとめたことが22日、
東電関係者への取材で分かった。

東電は福島第1原発事故後も「原子力は重要な基幹電源」との立場を変えてい
ないが、実際には原発がなくても計画停電などの影響が出ない可能性が高い。
原発を中心とした供給計画を立てているほかの電力会社にも影響を与えそうだ。

国内の商業用原子炉54基のうち、東電は電力会社トップの17基を保有して
いる。
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011112201002278.html

*****

まず押さえておくべきことは、脱原発サイドではもはや「常識」ともいえるこの
点を東電がようやく認めたという点です。原発がなければ電気は足りなくなると
いうウソが崩れたわけでそれ自身は好ましいことです。しかし東電がそれだけを
素直に認めるとは思えない。このウラに隠された意図はなんでしょうか。

短い記事ですが、非常に気になるのは次の点です。

「保有する全ての原発が東日本大震災の影響や定期検査で停止しても、火力発電
や揚水式発電の増強により、今夏の最大供給力を上回る約5700万キロワット
を確保できる」

・・・つまりここからは「火力発電や揚水式発電の増強」を目指しだしたのでは
ないかという意図が読み取れる。ではどうして東電はそう考えるのか。全国的には
ともあれ、少なくとも東電は、自らの管内では、原発の再稼動は少なくとも当面は
とてもできないと踏んでいるのではないか。しかしそれで電力供給が落ちると、
電気の大口需要者からそっぽを向かれてしまい、自家発電が増えてしまう。なので
「火力発電と揚水式発電の増強」で凌ごうとしているのではないか。

事実、大口需要者であるデズニーランドをはじめ、多くの事業者が、自ら発電する
ことを検討するなど、「計画停電」で営業をあやうくされた轍を踏むまいとして
いる。節電の努力も重ねられ、人々の生活も含めて、かなりの領域で節電ができる
ことも実証されてしまった。

このままでは電気の独占的供給体制が壊れてしまう。いや壊れるのももはや必死だと
見切った上で、少しでも会社の利益の減少を抑えたい。そのためには原発を護持し
ようとしている他の電力会社の都合などは二の次で、とりあえず火力に走ろうとして
いるのではないでしょうか。少なくともこうした点が推測できます。


この推理があたっているかどうかを確かめるためには、まだあまりに情報が少ない。
東電が現時点で完全に原発をあきらめたとも到底思えません。その点で今後の東電
や政府の発言に注目していきたいですが、ともあれここで踏まえておかなければなら
ないのは次の点です。原発がいらないことをはっきりさせることはとても重要ですが、
だからといって火力発電の増強もまた、安易に認めてはならないということです。

なぜか。火力発電は深刻な大気汚染の発生源だからです。このことは四日市喘息を
はじめ、各地の公害被害の中で告発されてきたことであり、だからこそ火力発電所は
容易に「増強」できなくなったのです。この公害を押しとどめてきた住民運動の流れ
を守り、継承していく必要がある。

ましてや私たちの国は今、深刻な放射能汚染の最中にあります。最も激しい汚染は
それこそ東電管内やその北方の地域に広がっている。そこに住んでいる方たちの多く
が政府と東電によって被曝させられてしまっている。これに対抗するには免疫力を
上げることが大切ですが、大気汚染はまさにこれに逆行するダメージの追加です。


問題は次の点にあるのです。私たちの社会が明らかに電気を使いすぎていること、
それこそ原発を維持するために、電気の過剰使用構造が作られてきているという
点です。だからそれを見直していけばいい。僕はそのことで私たちの生活水準は
むしろあがると考えています。

たとえば僕が常々思うのは、特定の名前を出しますが、「セブンイレブン」にぜひ
せめて本当のセブンイレブンに戻って欲しいということです。朝7時に営業を開始し、
午後11時に営業を終える。それが「セブンイレブン」の名前の由来だからです。それ
でもコンビニが生まれた1980年代では驚くような長さの営業だった。

しかし今やコンビニは24時間営業が常識です。そのため町が夜でも暗くならなくなっ
た。コンビニで働く人々を含め、多くの人々が夜に寝れなくなった。寝れないのは
町と人だけではありません。動植物もそうです。夏になるとコンビニの前では夜の間
中、セミや鳥が鳴いている。こんなこと生態系によいはずがない。

そして生態系によくないことは、必ず私たち人間にも良くないのです。この眠らない
町の出現は私たちの睡眠サイクルを壊しています。リズム障害という病を生んでいる。
ところがコンビニは、かなりの高いルックスで明かりをつけ続けてきた。なぜか。人
もまた生命体であり、命に重要な光に群がる習性があるからです。

もっとも東京をはじめ、311以降、東電管内や被災地の多くで節電が叫ばれ、夜の町が
一時期より暗くなっています。コンビニも明かりを落としている。不夜城の楽しさを知る
人にはさみしいかもしれませんが、そういう東京の街を歩いて、少しだけほっとするのは
僕だけでしょうか。そうではないと思います。


電気の使いすぎは他にもいろいろと上げられます。夏の炎天下に鉄の箱に入れてジュースを
冷やし、真冬の寒い最中に、誰も飲まないコーヒーを一晩中温め続けている自動販売機もそう。
これまた町を眠らせない装置の一つですが、このようにかえって生活の質を落としている
ものがたくさんある。

だからこそ、都会に住まう人々は、週末になると車に食材を積み、電気もガスもない川原に
いって、持ってきた炭に火をつけてバーベキューを行い、ああ、日ごろの疲れがとれた
・・・とやっているわけです。それもまた電気とエネルギーの過剰使用時代の断面の一つ
です。だから私たちは電気の使い方をこそ改め、生活を良くしていくこと、人間的な潤いを
取り戻していくことにこそ努力を傾ける必要がある。

そしておそらくは東電はそのことを一番恐れているのだと思います。大口需要者が離れる
だけではない。多くの人が電気の無駄遣いに気がついていく。電気が少なくなると生活の質が
落ちるのではなく、もはやあがるような状況になってさえいる。そのことに人々が気づいて
大きく電力需要が減る事態。これこそを避けようというのではないでしょうか。

だから原発はもはや必要がないと東電が認めたことは、はっきりと言質として取りつつ、
私たちはさらに「節電」、いやこの言い方もよくない、電気の過剰使用をやめ、適度な
使用にかえていくこと、その意味で「適電」とでもいうべきものを社会的に広げていく必要が
あると思います。電気がないから我慢して節電するのではない。無駄に使いすぎて、生活を
かえって悪くしてきたので、適度な使用に変えようということです。


・・・ただそのためには、僕自身が、夜中の仕事をもっと戒めなければなりませんね。
今日はそんな自戒もこめつつ、電力の適正使用社会を目指しましょうと呼びかけて、もう
寝ることにします。みなさま。電気の支配を脱却して、健康生活を取り戻しましょう!!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする