明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(328)阿媽たちを幸せにしたい・・・(台湾のおばあさんたちの東京での訴えに寄り添って)

2011年11月19日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111119 23:30)

みなさま。本日19日は京都で矢ケ崎さん講演会が行われました。朝から強い
雨が降っていたにも関わらず、たくさんの方が詰め掛けてくださり、成功の
うちに終わることができました。どうもありがとうございました。
すぐにもご報告を出したいのですが、すでにお伝えしたように、僕はこの
19日に先立つ17,18日と東京に行って、台湾から駆けつけた旧日本軍性奴隷
被害者のおばあさんたちと行動をともにしてきました。なので今日は先に
おばあさんたちのことを報告させていただきます。


今回来られたのは陳桃さん、陳蓮華さん、イアン・アパイさんの3名です。
陳桃さんと陳蓮華さんは台湾人、イアン・アパイさんはタロコ族です。
17日の午後1時に羽田に到着。空港で再会を祝いました。台湾から来たのは
他に台湾市婦女援助会のスタッフ、ホエリン、リーファン、カンカンの3名、
アパイさんの通訳で、ご自身のお母さんが被害者の高さん。他におばあさん
たちの映画をとっているクルー3名です。

日本側からは東京の、台湾の元「慰安婦」裁判を支える会の柴さんと中村さん、
支える会代表の渡辺牧師、京都から赴いた僕と連れ合いの浅井さん、友人の
村上さん、あわせて6人でした。

一行は、空港からすぐに国会を目指し、議員との面接に臨みました。阿媽
(アマア・・・台湾語でおばあちゃん)たちにあってくださったのは、社民
党党首の福島瑞穂さん、同じく社民党の服部良一さん、民主党の岡崎トミ子
さん、石毛えい子さん、今野東さんの3人です。

阿媽たちは、福島さん、服部さん、民主党のお三方と3回にわたって面談し、
それぞれに声を振り絞るような訴えをしてくれたのですが、そのうち福島さん
にお話したときの声を録音から文字起こししたので、まずはそれをごらん
いただきたいと思います。


陳桃さん(1922年生まれ)・・・日本語で直接訴え

私はね、渡辺警察に捕まえられて、高雄の、なんていうホテルか、私、名前
分からない。それで一晩泊まってね、翌朝、旭丸で6月4日に乗ってね、アン
ダバンまでいった。そのとき私はね、17歳のときよ、台湾の女学校の1年。
もう過ぎたことはわたし、何も言わない。

でも現在の日本政府はね、私たちを馬鹿にしてるよ。私たちはもう96歳の人
もいるのよ。それがね、私の思いはね、日本政府が出てきてね、おばあちゃん
たちにお詫びしてもらいたい。私の考えはね、お金はいらない。日本政府が出
てきてお詫びしたら、もう許すよ。

それが今ね、私たちは、おばあちゃんたちは、今年も二人、去年も二人、亡く
なっている。それで現在は10名しか残っていない。だからね、私の願いはね
日本政府が早く出てきてお詫びしてもらいたい。私の願いはね、賠償はいらな
い。今もう、年取っているからね、お金もらってもね、役にたたない。すぐに
亡くなってしまうよ。

日本政府のずるいところはね、60年間の歴史を隠して、若い人たちに教えない。
だから若い人たちは、ぜんぜん昔のことを知らない。歴史を隠して、ずるいよ。
台湾は違うよ。台湾は昔の出来事を何でも書いてるよ。


陳蓮華さん(1924年生まれ)・・・台湾語で訴え。台湾語から日本語に通訳。

私は今回はとても我慢して来ました。体はぼろぼろで足は痛いです。ですから
心から福島先生にお願いしたいのは、ぜひ日本政府が過去にやったことを認めて
欲しいです。そして被害を受けたおばあちゃんたちは亡くなって行きます。残る
のは数人だけです。だからぜひ早いうちにこの問題を解決してください。

今回は非常に期待を持っています。福島先生が助けてくださると思っています。
もう私たちは年を取っていて、体が言うことを聞きません。ですからこのことを
日本政府がどう解決してくれるか、寝ても考えています。

昔は本当に大変だったんです。生きて帰ってきた人は少なかったんです。ですから
先生、ぜひ、先生の力を借りて、問題を早く解決してください。そうしないと
死んでも悲しいです。この年になっていつこの世を去っていくか分かりません。
生きている間に解決してくれなければ、死んでも目を閉じたくないです。
日本政府はこのことをどうみているか、一言でもいいから話をしてください。


イアン・アパイさん(1927年生まれ)・・・タロコ語で訴え。タロコ語から
北京語、北京語から日本語に通訳。

今回は私は他の二人と一緒に日本に来て、福島先生にお会いして、先生を通して
この問題の解決ができると期待を持っています。このことで日本に何回も抗議に
来ています。ところが日本政府は私たちにあった過去のことをぜんぜん聞いて
くれません。

今回のことは確かに今からみると歴史の事件で、でもその中でどれほど私たちが
被害を受けたのか、日本政府はこれを見て欲しいです。日本政府は過去にあった
ことをあまり見てないみたい。実は私はこうして日本に来れましたが、体にたく
さんの病があります。心の病は本当に深いです。

先生のことに期待しています。もう私は日本に来れるかどうか分かりません。
ですから今回、日本に来て心から話していることをぜひ先生、聞いてください。
今、台湾の慰安婦にされたおばあちゃんたちは、元気なのはもう数人です。多く
はないのです。

以上


ちなみに阿媽たちは、公式には日本政府に謝罪と賠償を求めています。その点で
陳桃さんの発言は、阿媽たちの公的な要求と少しズレてもいるのですが、しかし
お金などいらないからとにかく謝って欲しいのだという声は、おばあさんたちの
思いをストレートに代弁しているとも思うので、そのまま載せました。
みなさん、これらの発言をどう思われるでしょうか。

いっぺんにたくさんの議員と会うためには時間調整がとても難しい。東京の
WAM(WOMENS ACTIVE MUSIUM)の渡辺さんが、随分骨を負って設定してくださり、
またそれぞれの議員の方たちも、何とか時間を繰り合わせてきてくださったので
すが、それでも僕は、日本につくや否や国会に直行し、議員会館の中で、何時間
もかけて日本の議員たちに話をする阿媽たちを見ていてとても胸が痛かったです。
申し訳ない。心からそう思います。


発言を終えた陳桃さんの手を握り、「阿媽、感動したよ。良かったよ」と言ったら
「あんたも本当に手伝ってよ」と阿媽は僕に言いました。笑いながら語られたの
ですが、心の中に響きました。

阿媽たちには時間がない。僕が親しくしていただいたおばあさん、一昨年、京都
から10人近くで台湾を訪れたときには、一緒に二人乗りの自転車に乗って遊んだ
おばあさんが、もう二人も亡くなってしまいました。僕が直接出会ったおばあさん
だけでもすでに5人も亡くなられてしまった。本当に淋しいばかりです。

陳蓮華さんは、日本政府が謝らなければ死んでも目を閉じたくないと語りましたが
すでに亡くなった阿媽たちの目は閉じていたのだろうか。今も開いているのでは
ないだろうかと思わずにはおれません。

かつて日本軍に地獄のような思いを強いられ、今は年老いて体に痛みを抱えた
おあばさんたち。そのおばあさんたちにこの国の政府は本当に冷たく惨い。それが
政府の姿である限り、同じ仕打ちは、国民・住民に対しても繰り返されます。
それが今回の原発事故への対応にはっきりと現れています。

だからこそ、僕は、この放射能に取り巻かれた状態の中で、台湾の阿媽たちをはじ
め、日本軍に性奴隷にされたおばあさんたちのことに、多くのみなさんに、目を向
けて欲しいと思うのです。おばあさんたちを助けることが、私たち自身の人権を守
ることにもつながるからです。

その意味で、阿媽たちの痛みは、水俣の痛み、そして原発事故被災者の痛みにつ
ながっていると僕は思います。・・・そんな痛みがもう消えはてて、阿媽たちに幸せ
になって欲しい。心の底からそう思うのです。

続く








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