明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(316)3号機建屋内で高線量・・・福島第一原発のウォッチを強化しなければ

2011年11月06日 14時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111106 14:00)

今回の「臨界騒ぎ」はある意味で非常に示唆的でした。一つに臨界という非常に
重大な危機に対し、東電がそれを的確に把握する術を持っていなかったこと、い
や1号機、3号機については未だ、把握できる状態にないことが明らかになったこ
とです。また原子炉と原子炉格納容器の内外で、自発核分裂が続いていること、
それだけでなく、原発から遠く離れた地点、Pu240などが飛散した地点で、自発
核分裂起こっていることも、あらためて浮き彫りになりました。

残念なことに、臨界が一時的に確実視されたときに、1面トップかそれに準じる
扱いで報道した大手新聞は、その後の追跡調査を行っていません。こういうとき
は、その後にこそ、隠されている事実、あるいは東電も含めて、気づかれていな
い事実を暴き出す重要なヒントが見え隠れしていると思うのですが、これらを
検証する姿勢が見られない。結果的には「臨界の可能性あり」という東電の発表
に踊らされたにすぎなくなってしまいます。

危険なのは、こうしたことが繰り返されると、真に重大な危機が発生した場合に、
「また何かの勘違いではないか」という憶測が働いてしまい、事実の伝達がなさ
れなくなってしまうことです。そのためにこそ、東電発表にある意味で振り回さ
れたことを真摯に捕らえ返しつつ、そこから何かを学ぶことが必要だと思います。
もちろんこれは自分に対して向けている言葉でもあります。なんというか、この
間延びした危機の連続への慣れが社会を覆い、僕もそこに捉われていた面がある。

政府と東電が、あまりに出鱈目な発表を繰り返すので、だんだんと怒りが減衰し、
怒りよりも呆れに移行してしまい、まともに相手をする気を失ってしまうとい
うか、どうせまた嘘を言っているのだろうということで、それ以上の分析が進ま
なくなっていた傾向が少なくとも僕にはあります。それよりも、現に外に飛び出
した放射能への対処に必死になってきたためでもありますが、今回の臨界騒動を
契機に、あらためて、原発ウォッチを強化しなければとの思いを強めました。


そのような点を考察しているときに、「3号機建屋内、依然高線量=ガス管理装置、
年内設置-福島第1」という記事が目に入ってきました。記事は、今回、3号機で
当初は臨界の兆候として捕らえられたキセノンを検出した「格納容器ガス管理シ
ステム」を設置するための作業の一環として、ロボットでがれきの移動などを行
って、周辺の放射線値を図ったところ、最大で毎時620ミリシーベルトもの値が
計測されたことを伝えています。

同時に、同じ装置、したがって臨界の兆候でもあるキセノンを感知できる装置の
設置が年内いっぱいかかることが明らかにされている。つまり年内いっぱいは、
1号機、3号機ともに、臨界が生じたとしてもにわかに把握ができない状態が続く
わけです。もちろん臨界の可能性は、非常に小さいと、小出さんなどによっても
指摘されているわけですが、注目すべきは、年内冷温停止達成などといいながら、
そこで起こっている核反応の実態すらこそが、まだつかめる状態にないことです。

しかも相変わらず毎時620ミリシーベルトもの放射線が計測されている。それを
どうして年内に押さえ込めるというのか、あまりに根拠が薄弱です。年内の冷温
停止などとても不可能だとしか思えません。ただしここが曲者で、そう考えると、
というか実際そうしか考えられないのですが、先にも述べたように、まともに分
析するのがばかばかしくなってしまう循環に再度、入りこんでしまいます。そう
ではなく、なんとかして、今、何が起こっているのかをつかまなくてはいけない。

もちろんデータがあまりに不十分であり、なおかつおそらく東電すら事態のきち
んとした把握はできていないと思われますが、その中で東電が何をしていて、そ
の狙いは何なのか、さまざまな言動に隠れているものは何かの推論を重ねる中か
ら、可能な限り事態を把握し、今目の前にある私たちの危機の実相をつかむ努力
を重ねていかなければならないと思います。かかる観点から、福島第一原発の
今に関するウォッチの強化に向かいます!

*****************

3号機建屋内、依然高線量=ガス管理装置、年内設置-福島第1
時事通信 時事ドットコム(2011/11/05-23:25)

東京電力福島第1原発事故で、東電は5日、ロボットを使った3号機原子炉建屋
1階の調査で、最大毎時620ミリシーベルトの高い線量を確認したと発表した。

調査は、格納容器内の空気を抜き出し、フィルターで浄化した後に外部に放出す
る「格納容器ガス管理システム」設置準備の一環として実施。2、3日の両日、
ロボット3台を使って同建屋1階北東側の床面に散乱するがれきなどを移動させ
た後に測定した。その結果、作業場所に最も近い地点で毎時215ミリシーベル
ト、約3メートル離れた地点で同620ミリシーベルトを記録した。

同システムは、格納容器内の気体の採取も可能なため、既に設置されている2号
機では水素濃度の確認や核分裂反応を示す半減期の短い放射性物質の検知に用い
られており、東電は1、3号機でも設置を急いでいる。

東電の松本純一原子力・立地本部長代理は5日の会見で、「線量が高いため、設
置作業の前には遮蔽(しゃへい)や除染が必要になる」と説明。1号機も含め、
同システムの設置完了は年内いっぱいかかるとの見通しを示した。
http://www.jiji.com/jc/eqa?k=2011110500317&g=eqa

**********

福島第1原発事故 ガス管理システムを3号機に設置するため、建屋内の放射線量低下作業
FNN フジニュースネットワーク 2011・11・06 10:20
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00210996.html
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明日に向けて(315)足立力也さんの福島再訪レポート・・・その1

2011年11月06日 07時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111106 07:30)

友人でコスタリカと平和の専門家、足立力也さんが、5月に続いて福島を訪問し、
レポートを書いています。共感したので、みなさんとシェアしたいと思い、転載
させていただくことにしました。2回に分かれています。なお足立さんについて
は、以下のページをご覧ください。
http://www.adachirikiya.com/index.html

足立さんはこの中で、南相馬市を訪れ、事故直後のヨウ素剤未配布の問題につい
て、地元の方と話し合ったことを記しています。実際、あのときに適切な配布が
行われていればどれだけ被曝が軽減されたことでしょうか。三春町が、鈴木町長
の英断の下、即刻配布をし、飲用指示を出しましたが、他の市町村の多くが、
未配布に終わったか、配っても手遅れになってしまいました。

足立さんのレポートを読んでいて、この点の検証を行っておく必要性を感じまし
たが、長くなるので、この点は、別の記事にまとめたいと思います。
以下、足立さんのレポートをお読みください・・・。

*************

福島再訪レポート その1
2011年11月1日


前回福島県を訪れたのは5月だった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1725664537&owner_id=464709

前回の福島訪問は、ドイツ緑の党国会議員の視察の「お付き」としてだった。
今回の訪問も、ドイツ緑の党の調査団の通訳・コーディネーターとしての同行。
今回は、10月29日、30日と、郡山を拠点として福島市、南相馬市、
田村市、飯舘村などを駆け足で訪問。

結論から言うと、やっぱヤバいわ。
福島県はほとんどの地域が高濃度もしくは低濃度汚染地域。
低濃度といっても、全く気にしなくていい程度というのとは違う。
郡山市のことなんて福岡にいたらこれっぽっちも報道されないが、
例えば市内のど真ん中にだって、チェルノブイリ後のウクライナだったら
強制避難区域になる程度の土壌汚染(60万ベクレル/m2)地域がある。
それ以外でも、避難権利区域と同等の汚染地域がたくさん。
チェルノブイリの経験をもとにすれば、基本的に郡山は退去すべき
地域ということになってしまうということだ。

しかし、そこにもたくさんの人は住んでいて、普段通りの生活をしている。
週末の居酒屋は満席で入れないほど。
住んでる場合じゃないというのに、この「日常」っぷり。
それが郡山の現実。
彼らが今後どうなってしまうのか、想像しただけでもうすら寒くなる。

2日間のレポートを、2回に分けて書く。
まず、29日に起こったこと、思ったこと。

29日朝、郡山市に入る。マルクス、アンティエのドイツ緑の党メンバー2人
に会い、早速レンタカーで福島市へ。米沢でボランティアをしているMさん
と落ち合い、南相馬市議の只野さんと懇談。
只野さんは、最年少の市議という立場から、「例えば今もし100億あるのだと
したら、現時点での対応策に100億使いはたすより、10億を10年単位で分けて
使って、やっつけで対応するのではなく、長期的視点を持って対応すべきだ」
という持論を展開。

これはこれでひとつの方法論ではある。
もちろん、緊急にやらなければならないことがある。
そのための資源はちゃんと確保しつつも、息の長い復興策を練るべきだ、
ということだ。
元NHK記者の冷静さが垣間見えた懇談だった。

そこから東へ、南相馬に向かう。
霊山→伊達市に入るあたりで線量がぐんぐんと上昇し、車内で1μSv/h超え。
年間になおすと8mSvを超える。生涯100mSvってヤツと照らし合わせると
12年でアウト。
途中、至る所で道路工事をやっていたので、そのたびに渋滞にはまる。
その機を逸さず、マルクスは車外に出てγ線を計測。
あっという間に2μ超え。
さらに山間に進むと3μを軽く超えた。

…ちょっと待てよ、さっきから土埃まみれになって働いてる工事現場の人たち、
マスクしてなかったような…
次の工事現場で確かめてみると、誰ひとりマスクしてない!
放射能云々がないところでも防塵マスクのひとつくらいしてよさそうな
現場なのに。
放射能の話があるからかえって意識してしていないのだろうか?
いずれにしても高線量の現場であり、マスクどころかフル装備必要なのに、
この現場作業員たちは確実に内部被曝しているはずだ。
彼らのうち何割かは将来放射能による健康被害が出てくるのではないだろうか。
これってある意味チェルノブイリの時のリクビダートルよりひどいんじゃないか?
日本はいったいどうなってるんだ。

空恐ろしさを感じつつも、やがて下り坂に入り、南相馬市へ。
鹿島区あたりは平均して0.22~0.25μくらい。
他に比べて低いとはいえ、通常値より遥かに高いことには変わりない。
このあたりは放射能の問題もあるが、地震と津波被害も大きな課題。
ゑびす屋さんという古い和菓子屋さんで、3人の女性の話を聞く。
三者三様の話が聞けた。
ゑびす屋のおかみさんは、以前から原発に関して問題意識を持っていて、
地震があった時、原発もヤバいとすぐに思ったらしい。
が、他の二人はまさか原発が南相馬まで影響を及ぼすとは
これっぽっちも考えなかったそうだ。
そうだろうなあ。

それでいいとは言わんが、それが大半であってもおかしくないだろう。
3月12日から17日の間が「空白の5日間」だったと3人は口をそろえる。
12日、水素爆発が起き、「ヤバいんじゃないか」と誰もが思い出した。
原発問題に意識が高い人は、ヨウ素剤の配布が必要では、
とも言いだしていた。
だが、ヨウ素剤は市が管理していて、市長の決済が要る。
市長はその判断を逡巡していた。
そのため、市が原発について南相馬市にも影響を及ぼし危険な状態にある、
と広報するのに、17日まで待たねばならなかったのだ。
ヨウ素剤の配布もそのために手遅れになった。
インタビューを受けてくれたある一人が言う。
「私の知り合いには薬剤師がいて、そこではすぐにヨウ素剤を子どもに飲ませて
即時逃げた」。
予備知識と情報の格差によって、対応が変わってきてしまういい例だ。
結局彼らは、17日の避難指示によって慌てて家を放り出さざるを得なくなる。

しかし、そのころには既に、市内から出ることはできても、
市内に入ることはできなくなっていた。
ガソリンの供給も断たれていたため、ガソリンスタンドには長蛇の列。
5時間、6時間も並んで、給油できたのはわずか10リットル。
車にもよるが、100キロそこらしか走れない。
そこで多くの人が向かったのが米沢市だったというわけだ。
数キロしか離れていないところに避難した人は、その後結局
二次避難をさせられる羽目になる。
このあたり、SPEEDIの情報をさっさと開示していれば、
そんな混乱は起きなかったはずだ。
行政の怠慢によって信じがたいほどの混乱がもたらされたのだ。

話の途中で、ゑびす屋のご主人が現れた。
ほとんど口を開かず、じっと私たちの話を聞いている。
と、おかみさんが説明した。
この間、被災し、逃げ、戻り、補償を受けるために交渉し、受け入れられず、
また交渉し…といった繰り返しで、うつ病を発症したのだ。
病院にもかかっているが、とりあえず休め、気晴らしにでかけたらどうか、
と医者には言われたらしい。

被災地の医療体制が整っていないことは事前知識で知っていたが、
激増しているであろう精神疾患に対するケアが遅れていることが見て取れた。
休めというのはうつ病に対する「はじめの一歩」ではあるのだが、
ほとんどの人が「休み方が分からない」からうつ病になるのだ。
じっとしていれば休まるかというとそうではない。
気晴らしに行くと言っても、その気力がないからうつ病なのだ。
私にも経験があるので、「休めと言われても休み方も分からないし、
じっとしていても頭がぐるぐる回って休まりませんよね」
と声をかけると、初めて自分の病状を理解した人がいたかのように、
表情が和らいで、口を開いて話を始めた。
とりとめのない話ではあったが、ともかく心の中を吐露することができたのは
彼にとってはよかった。
恐らく、被災地には彼のような精神疾患を発症した人がたくさんいる。
そして恐らく、そのケアをどうしていいか、ほとんど分かっていない。
被災地の精神疾患については少しだけ話題になっているが、
実際の対策は全くなされていないのではないだろうか。

109年使い続けた焼き器で作った鯛焼きなどをいただき、ゑびす屋を後に。
途中原町火力発電所を臨む海岸線に立ちよる。
交差点近くに遺棄された、積み上げられた車たち。
フロントドアについた赤い丸の印は、中に遺体があったことを示している。
海岸線に着くと、地盤沈下が見て取れた。
かつて美しい砂浜が続いていたビーチにはもはや砂浜はなく、
コンクリートの護岸壁を波が洗っていた。
原町火力発電所の重油タンクはベコベコにへこんでおり、
被害の大きさをうかがわせる。

さらに南下して原町区、福島第一原発から25kmほどのところで
イタリアンレストランを新規に開業しようとしているOさんを訪ねる。
10日後に控えたオープンに向けて、家族で忙しそうにしていた。
この地域は、計画的避難準備区域を解除されたことで、
逆に補償が受けられなくなるという憂き目に遭っている。
最初は落ち着いた語り口だったが、徐々に熱くなっていく。
弟が10キロ圏内に住み、その息子が福島第一原発で働いていたので、
彼のもとには情報がいち早く伝わった。
12日、弟がOさんのもとにやってきて、「すぐ逃げなきゃヤバい」
という話になる。
10分後には、暖房も切らず、店に鍵もかけずに飛び出し、避難した。
結果、その判断は正解だったことになる。

その後誰もが逃げるタイミングを失ったということは、
鹿島区でも聞いた話だ。
5つの店舗を構えていたOさんだが、自らはおろか従業員も通勤できなくなり、
閉店を余儀なくされる。
多くの従業員は20km圏内に住んでおり、避難してしまった。
それどころか、常磐線を使って福島第一原発の横を通って
通勤していた従業員もおり、新規雇用も望むべくもない。
また、お客さんの6割は原発方面からだったので、
お客さんも激減してしまった。
今後新規開店しても、売上は3分の1程度しか見込めないという。
借金を返せるかどうかすら分からない、綱渡り経営になってしまった。
しかも補償は、利益に対して分配される。
つまり、中小の赤字企業には補償がない。
せめて売上高とその減少額に合わせて補償をするべきだいう
Oさんの訴えには説得力があった。

結局、儲かっている人はいつまでも儲かり、
儲かっていない人たちはいつまでも損をする仕組みになっているのだ。
原発事故はそれをさらに加速することになってしまった。
確かにそれは理不尽である。
あたかも、この際赤字企業をリストラしようとでもしているかの如しだ。
汚染マップとOさんの店を照らし合わせると、この地域における
経済「復興」の難しさがよく分かる。
放射能が南から北西までこの地域を取り囲んでおり、
北にしか逃げ道がない。
お客さんも従業員も、その地域しかこない。
つまりデッドエンドになっているのだ。
福島第一原発周辺は「この世の終わり」だとOさんは言っていたが、
人の流れもモノの流れもカネの流れも、福島第一原発周辺で
全て止まってしまう。
開店後のメニューに並べられるであろうパスタをいただきながら、
この世の終わりと始まりの間に、どこに線を引くべきか、思いを馳せた。

---

30日の模様はまた後ほど。

足立

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