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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(111) 「1号機メルトダウン」公表の意味するもの。

2011年05月14日 10時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日

守田です。(20110514 10:00)

5月12日、東京電力は、福島第一原発1号機でメルトダウンが起こっており、燃料棒が崩壊して圧力容器に数センチの穴をあけ、格納容器下部に落下していると思われると発表しました。

またその格納容器もどこかが破損していて漏れており、水を入れても入れても、満水にできないこと、事実上、水棺化の道が厳しいことも公表しました。これをめぐってネット上でも深刻だという受け止めが多く流れているようです。

しかし僕は、なんでいまさら・・・という第一印象を受けました。「そんなこと、すでに分かっていたじゃないか」と僕には思えた。しかし暫くして、「今更ながらこの事実から引き出すべき重大な何かがあるのでは」とも思えてきた。

それでちょっと、頭の中の「東北の旅モード」をオフにし、「原発解析モード」をオンにし、科学者の友人と交信しながら、あれやこれや調べてみました。その結果、浮かんできた推論をここに述べてみたいと思います。


1号機で起こったのは、おそらく冷却材喪失事故

まず1号機でメルトダウンが起きた問題で重要なのは、なぜ、どのようにして、それが起きたかでしたが、元日立の設計士・田中三彦さんは、3月下旬に重要な解析を行い、原子力資料情報室の会見で明らかにしていました。

田中さんが着目したのはこのころにやっと明らかになった各原子炉のパラメーターでした。それを解析して田中さんは、事故直後に1号機で、冷却材喪失事故が起こった可能性が高いことを示唆されました。

当時、東電と政府は、起こった事故は電源の喪失であると語っていました。冷却ポンプが動かなくなり、緊急冷却装置も作動しなくて、水を送れなくなった。そのために冷却ができなくなったと言っていた。

しかし実際に起こったと思われるのは、炉内にたまっていて、燃料棒を包んでいた水も、一気に抜けてしまったことでした。原因として考えられるのは、配管系統の深刻な破断などでした。

このため、燃料棒は一気にむき出しになり、高温化していった。このため被覆管のジルコニウムが水素を出しながら溶けていき、中にある燃料ペレットがバラバラ下に落ちた。しかもペレットも高温化し、溶け出した。

これは水が送れなくなったことよりも、はるかに重大な事態でした。水を溜める機能に何らかの損傷が起こったからです。それの持つ意味を田中さんは社会的なものと、技術的なものに分けて説明された。

何と言っても重要なのは、このとき、1号機はメルトダウンが原子炉格納容器の破断を引き起こし、破局的な事故に発展する可能性があったことでした。にもかかわらず、東電と政府はそれを住民に伝えるべき義務を怠った。

同時に技術的には、この事態は1号機が何らかの深刻な損傷を抱えており、冷却のための水の保持が困難になっていることを浮上させていました。修復の困難さが、この解析の中で浮かび上がってきたのです。

これについて、僕は「明日に向けて(5)」3月28日で特集しました。詳しくは下記をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c587a4b12542da359d0ea03a16079ab4


メルトダウンは、燃料棒をさし込んでいる場所から

さらにメルトした燃料がどのようにダウンしたのか。とくにどのように原子炉圧力容器を破って、その周りの原子炉格納容器の中に漏れたのかについても後藤政志さんが同時期に的確な分析を行っています。

実はこのとき、東電と政府は、タービン建屋などからみつかった、「高濃度」放射能汚染水に関する発表を繰り返していました。1CCあたり、何万倍の濃度のものがでてきた・・・という話にすべてのマスコミが引き寄せられていた。

このドサクサにあたかもまぎれるように、東電はこの時期に、実は幾つかの炉で、燃料が圧力容器の外に漏れていると考えられると既に発表しています。これに対して後藤さんが、汚染水問題よりもこちらが大事だと反応した。

後藤さんの分析は、原子炉圧力容器の下の部分に制御棒駆動機構(CRD)ハウジングがあり、この溶接部分が弱いので、そこから漏れ出して、次第に穴が大きくなったのではないかというものでした。

これらの点を僕は「明日に向けて(11)」3月31日に特集しています。こちらも詳しくは下記をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4ad01f5065eb7cf60592bf49d0fbe518


「1号機メルトダウン」の意味するもの

この点をまとめるならば、「1号機メルトダウン」の意味するものは、東電と政府が、冷却材喪失という、およそこれまて考えられてきた最悪の事故が起こったこと隠していた事実の露見です。これが追求されなければならない。

しかし時間が置かれることによって、すっかりこれがぼかされてしまっている。いわば「ほとぼりが冷めて」からこの事態は公にされたのです。もちろんマスコミはどこもこの重大なポイントに気づいていません。残念なことです。

第二に、水棺化は、事故を数か月で収束に向かわせる展望を、東電や政府が有しているような幻想を国民や住民、また海外にアピールするためにのみ行われたのではないかと思われることです。

東電や政府は、1号機の深刻なトラブルを知っていたはずです。実は水棺化はそれを確認するためになされたのかもしれない。水が漏ることを承知の上でどれぐらい漏れるか確かめたのではないかとすら思えます。

しかし第三により深刻な事態が横たわっており、それが今回もどさくさまぎれに語られているのではないか。そしてそれが何かと言えば、プルトニウムなどの物質が漏れ出しているという重大なことなのではないか。

というのは焦点をメルトダウンがこれ以上進むのか否かよりも、メルトダウンで何が漏れ出したのかに移してみるならば、起こっていたのは燃料ペレットが溶ける事態であり、必然的に中のものが漏れ出す事態だったことが分かります。

もちろん、破局的な爆発が恐ろしいのは当然ですが、実際にはそうした爆発が起こらなくても、燃料ペレットが溶けてしまったのであれば、当然にも深刻な放射性物質の漏えいがかなり深刻になっている可能性がある。

メルトダウンを知っていた東電と政府は、本来、早くからこのことに取り組み、各地で、プルトニウムをはじめとした超ウラン元素などを計測すべきであった。それを行ってきていないことが何よりも追求されねばならないと思えます。


なぜ通常は固体のプルトニウムが漏れるようになるのか?

その場合、もう少し整理しておく必要があることは、通常は個体で、融点や沸点が高いプルトニウムがなぜ、どのように漏れてくるかの仕組みです。プルトニウムの漏れにくさを強調する科学者もいるのでこの点は重要です。

核燃料が水素爆発を起こす温度よりも高温にさらされ、かつ燃料損傷が起きる状況が続くと、ヨウ素やセシウムがでてきますが、続いて、通常は固体であるストロンチウム、プルトニウムなどの放射性物質もエアロゾル化しやすくなります。

エアロゾルとは「気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子」と定義されるものですが、ストロンチウムやプルトニウムも、煙などに含まれて大気中に放出されれば、ヨウ素やセシウムと同様に、広範囲に拡散するのです。

これは、故高木仁三郎さんが強く訴えてきた問題です。ちなみに高木さんは、原子力関係の会社に勤めていた時に、このことに気づいて会社に提言書を出し、「君は企業人には向いてない」と言われて、悩みだしたと回顧しています。

実際に今回は、すでに、テクネチウム、ランタン、ストロンチウムなど、同じく飛散しにくいと言われている固体の放射性物質が原発敷地よりも100km以上も外部でも検出されており、プルトニウムなども飛散している可能性を物語っています。

科学者の友人によると、そのデータからは、SPEEDIなどによる想定以上に固体の放射性物質の漏洩・飛散状況が深刻であることも示唆されているといいます。SPEEDIはその点の想定が甘いのだそうです。

しかし最近になって公表されたそのSPEEDIのデータにおいても、ストロンチウムやランタンやイットリウムなど、固体の放射性物質の外部漏洩が予測されています。核燃料の固体の揮発性は、深刻な原子炉事故解析の重要なパラメータの一つです。

またこれまで「プルトニウムなどの重元素は融点も高く、飛びにくい」とも言われてきたのは、燃料棒の温度が比較的に低く、圧力容器や格納容器の健全性も維持されている場合で、現状はその前提が大きく崩れていることも重要です。

これらからも一刻も早く、固体の放射性物質・・・なかでもウラン、プルトニウム、超ウラン元素、ストロンチウムなどの内部被ばくの危険性が高い核種について、かなりの広範囲でに汚染状況の調査・分析が求められます。

このことは、もっと声を大にして言わなくてはならないことです。ぜひヨウ素やセシウムの汚染が確認されている各地で、続けてこれらの物質を測定せよという声をあげてください。


まとめます。
1号機のメルトダウンの公表から私たちが現時点で引き出すべきもっとも重要な点は、燃料溶解と原子炉圧力容器および格納容器の破断により論理必然化する、プルト二ウムなどさまざまな放射線核種の漏えいです。

メルトダウンがこれ以上、進むかどうかの推論よりも、何よりもこれらの物質の計測と、防衛的対処が急がれるべきです。今、現に目の前に猛毒の物質がありながら、それが認識されていないかもしれないからです。

とくにプルトニウムなど、α線という、ほとんど飛ばずに、内部被ばくで深刻な害をもたらす放射線を出す猛毒の物質が出ているのならば、現在のモニタリングポストなどの値は、目安としてもまったく不十分であることが見えてくる。

ガイガーカウンターでもほとんどα線は測れないのです。だからこそ専門的な徹底した計測が問われます。これが今、何よりも必要だと僕は思います。

同時に、私たち自身も、放射線被ばくからの身を守ることを、一層、真剣に一生懸命に行っていく必要があります。「1号機メルトダウン」という事実から受け止めていくべきことは何よりそこにあると僕は思います。

***************************

1号機は「メルトダウン」…底部の穴から漏水

2011年5月13日01時33分 読売新聞
 東京電力福島第一原子力発電所1号機で、原子炉内の核燃料の大半が溶融し、高熱で圧力容器底部が損傷した問題で、東電は12日、直径数センチ程度の穴に相当する損傷部から水が漏れていると発表した。

 溶融した燃料は圧力容器の底部にたまっていると見られ、東電は、この状態が、核燃料の「メルトダウン(炉心溶融)」であることを認めた。

 東電はこれまで、燃料の一部損傷などと説明していた。

 東電は、圧力容器の温度は100~120度と安定しているため、事態がさらに悪化する可能性は低いと見ているが、圧力容器を覆う格納容器からも水が漏れだしている可能性が高く、格納容器を水で満たす「冠水(水棺)」など事故収束に向けた作業は難航も予想される。

 東電の松本純一原子力立地本部長代理は同日夕の記者会見で「燃料が形状を維持せず、圧力容器下部に崩れ落ちた状態」と現状を説明し、メルトダウンを認めた。

 東電によると、1号機では現在、燃料を冷却するため圧力容器内への注水(毎時約8トン)が続き、累積注水量はすでに1万立方メートルを超えている。ところが、10日に圧力容器の水位計を調整した結果、冷却水の水位が容器の底部から最大4メートル程度しかないことが判明。この漏水量から圧力容器の損傷を計算したところ、直径数センチの穴に相当することが分かった。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110512-OYT1T01114.htm

***

1号機、燃料棒すべて落下の可能性と発表

2011年5月12日13時54分 読売新聞
 東京電力は12日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉圧力容器の水位が、当初の想定より大幅に低く、完全露出した核燃料が、容器底部に落下しているとみられると発表した。

 原子炉を冷やすため水で満たす冠水(水棺)作業が進む格納容器内の水位もはっきりせず、水は漏れだした可能性が高い。東電は「圧力容器の温度は100~120度と安定しているが、冠水作戦は再検討が必要」と説明し、毎時約8トンの注水量を増加させる検討を始めた。

 東電によると、圧力容器の水位は、10日から原子炉建屋内に入った作業員が水位計を調整して判明。これまで水位は、燃料頂部から約1・6メートル低い位置で事故直後からほとんど変化しなかった。そのため、水位計を調整したところ、燃料頂部から5メートル以上低いことが明らかになった。燃料は長さが約4メートルであることから、完全に冷却水から露出した状態。東電は、既に燃料の大半は
溶けたり、崩れたりして、底部に落下したとみている。経済産業省原子力安全・保安院は、圧力容器の温度も低いことから、「燃料は容器底部にたまった水によって冷やされている」と指摘した。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110512-OYT1T00529.htm

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明日に向けて(110)5月22日、京都で原発とめろデモをします!

2011年05月13日 11時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110513 11:00)

すでにお知らせしましたが、4月3日の京都の初めてのデモを引き継いで、
5月22日、再び河原町通りを歩くデモを行います。
主催は、原始力の会とピースウォーク京都です。僕もピースウォーク京都の
スタッフの一人として参加します。

主催者の1人の橋本君が、デモにむけた思いを書いてくれたので、
みなさんにお知らせします。

なお京都では来週の頭からこの日まで、ぶっ続けでデモが行われるそうです。
雨が降っても、ヤリが降っても行うそうです。主催者の決意は固いです。
さすがにヤリが降ったら、僕は止めてもいいような気がしますが・・・・(笑)

これについては明日に向けて(97)をさんしょうしてください。
17日に行う僕のお話会のお知らせもここに載せています。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6bf47700390bfc31df2a1d46ccbaff56

さらにこの日京都では、午前中から、京都大学西部講堂で、山水人たちの
ライブが行われ、アイリーン・スミスさんと食糧問題に詳しい平賀緑さんの
トークショーも行われる予定です。これは詳しい案内が入手しだいお知らせします。

またこの日は「幸せの経済学」という映画が2回、上映されます。
1回目はデモの少し前。2回目はデモの後。それぞれデモ参加者を考慮した
設定で、違うグループによる主催です。

僕はデモの後で2回目の方に参加して少しお話させもらいます。
「不幸せの経済学・原発」というタイトルにしようかな。

・・・ともあれ京都は元気です!
以下、22日の案内を貼り付けます。

******************************

原発をとめろ!核事故の真相を明かせ!こどもを救え!デモ
2011年5月22日(日)

放射能汚染の危機はまだこれから起こってくる。
こどもたち-未来-を守らなければいけない。

浜岡原発は止まった。全ての原子炉を止めよう。
止めるために声をあげよう。繋がるためにともに歩こう。

【日時.場所】 2011年5月22日(日)
 14:00 三条河川敷 集合
 15:00 デモ出発~(雨天決行)
【コース】 三条大橋下(西側)→ 河原町通
 → 河原町通四条を南へ一筋目で折り返し → 市役所前 解散
(※プラカードなどを持参してください)
【主催】 原始力の会 と ピースウォーク京都
【連絡先】 橋本 080-5356-2140
http://gensiryokunokai.blog94.fc2.com/ 
http://pwkyoto.com/

●「日本の被災ー地震と原発事故」について個人的な想い

ゴールデンウィーク中のテレビのニュースでは、
東北近辺の観光客が震災のせいで激減していると報じていた。
「震災のせいで」とは言うが、放射能汚染が怖いからとは言わない。

テレビでは福島原発の報道がめっきり減ったように思う。
あの地震以前と比べれば、毎日毎日、放射能は原発から漏れ出ている。
いや、もはや、漏れているという言葉が当てはまらない。

いまだ福島原発は危険という言葉では足りないほど危険な状態にある。
10年、20年後に「あれは破滅だったのだ」と嘆かなければならないのだろうか。
政府は、隠しようもないことを隠そうとし、
逃れられようのないことから逃れようとし、でき得ることをしようとしない。


5月2日から6日にかけて
「ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ」というキャンプに参加していた。
福島近辺のこどもたちを少しでも放射能の被曝から遠ざけるため、
東北の人との繋がりを作るため、逃げられないわけではないと思ってほしくて、
そんな趣旨で行われたキャンプだった。

外に出られない。外で遊べない。外に出るときには、マスク、カッパ、手袋。
こどもたちは京都に来て、たくさんたくさん遊んだ。
たくさん一緒に笑ったし、みんなでご飯を食べた。
素直でかわいいこどもたちだった。

けれど、こどもたちはまた自分たちの家に帰ってしまった。
年間20ミリシーベルトまで「安全」とされる土地へ。


東北では「放射能は怖くない」というようなキャンペーンがなされている。
インターネットらを使い自分から情報を得ようとする人と、
テレビしか見ない人とでは放射能に対する感覚がまるで違ってくる。
多くの人が何の対処もしないまま、平気で出歩いたり、生活している。
駅前でも高い放射線が測定されているのに。

放射能に対して、人による温度差が激しい。
こどもたちも学校では大きな声で言えない。
農村では「これはうちのばあちゃんが作ったホウレンソウだ」と言われて
いただいたりする、山菜をおすそ分けしてもらったりする。
後でこどもが、「家で食べたか」と聞かれる。
仕方なしに「大人たちで食べたと答えておいて」とこどもたちに言う。
周りに安全な水を飲むことを勧めると、
まるであやしい宗教への勧誘を行っているように受け取られる。
地域がバラバラになっていることを感じるとこどもたちのお母さんは言った。


先祖代々受け継いだ土地を離れたくないと老人が言う。
経済的に不安だと大人たちが言う。
こどもたちだって、友達や大事にしている生活がある。
けれども、放射線の値は大きいのだ。
いまだに原発は危機を全く脱してはいないのだ。

政府は「復興」ばかりを口にする。
なぜだろう。まだ危険な土地で、夏には南からの風が吹く土地で、
なぜ、今、復興なのだろう。
地震や津波の被害を受けた人たちが、早く復興したいという気持ちはわかる。
でも、まだ全く安全になったわけではないのだ。

法律で決められた基準値は年間1ミリシーベルト。
それでも確率的には、10万人に5人はガンになる恐れがある値。
それが20ミリシーベルトに引き上げられた土地なのだ。


僕はこどもたちに会った。こどもたちのお母さんに会った。
これは現実に今、起こっていること。
目の前にいたこどもたちの身に起こっていること。
わずか数百キロ離れただけの土地で起こっていること。

政府は動かない。
なぜヨウ素やセシウムばかりが報道されるのか。
原子力安全委員会によって作成され、
2008年に改定された「環境モニタリング指針」に、
原発敷地外の超ウラン元素は測る必要がないと書いてある。
ヨウ素やセシウムと同じく、
放射性物質であるうちのウランに中性子を当てたときに出てくる
プルトニウムやアメリシウム、キュリウムなどは測る必要がないと。

飛散していないのではなく、測っていない可能性があるということ。
比較的重たい物質である超ウラン元素は、遠くに飛ばないから大丈夫と言っている。
一方、ハワイでは通常時の数倍~数十倍の値でプルトニウムが検出されたという。

政府は、3月11日からの10日間ほどで、チェルノブイリ事故での10分の1の
放射能が福島原発から出ていたことを一月も経ってから公表した。
では、今、その後、何がどれくらい出たのかをいつ言うのだろうか。


逃げてほしい。
たくさんの想いがそこにあることも、たくさんの無理があるのも承知の上で。
10年、20年経ったとき、ガンになるこどもたちを少しでも見たくない。
1ミリたりとも放射能を浴びたいと思う人がいるだろうか。

逃がしたい。
少しでも多くの人が逃げられる土台を作りたい。
政府が動かないなら、たくさんの人が集まってその場を作れないだろうか。
せめてこどもたちだけでも、まとまって避難できる先を作ってはいけないだろうか。


放射能は怖いと思う人、原発は危ないと思う人は、少しでも声をあげてほしい。
気持ちを同じくしている人と繋がっていってほしい。
そして、今、一番、被曝の危険に晒されている人たちと繋がってほしい。

今、その危険をそのままにすることは、
やがて日本中の人が同じく危険に晒されることを意味すると思う。
原発はまだ18基も動いている。

原発は電力の問題ではない。
必要な電力は原発がなくても、すぐにでも間に合うようにできるだろう。
原発は、あの原爆と同じものがもとになっている。
必ず誰かが被曝する。
僕は被曝したくない。僕は被曝させたくない。


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明日に向けて(109) 大崎の熱い夜その2・・・東北の旅第4信

2011年05月13日 03時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110513 03:30)

大崎の夜の続きを書きます。

実はこの日、僕にとって特別な方が、会場に来られていました。大崎在住の
Sさんです。彼女は僕の友達の富家香さんの友だちです。富家さんと僕は
ピースウォーク京都での活動を共にしてきました。とくにアフガニスタンで
医療援助から井戸掘り、運河建設までおこなっているペシャワール会を支援
する活動をいろいろな形で共に担ってきた。

その富家さん。今年の3月19日に結婚式を予定していて、僕はお招きを受け、
もちろん参加を決めていました。しかも式は、国宝の奈良の薬師寺で行うという。
とても楽しみでした。ところがその直前の3月11日にあの災害が起こってしまった。
彼女も悩んだそうですが、僕も参加するかどうか悩みました。
原発のウォッチをひと時も休んではいけない気がしたのです。

そんなとき、同じく結婚式に招待されていて、4月3日の脱原発京都デモを呼び
かけた橋本さんが、僕にこんなことを言いました。「もし富ちゃん(富家さんの
こと)が、こんなときに結婚式なんてともうしわけなさそうな顔をしたら、「こんなとき
だからこそ、結婚式をやろうぜ」と言ってやるんだ!」と。笑いながらそう語る
橋本さんを僕はかっこいいと思った。それで僕も出席を決めました。

結婚式は予定通り、薬師寺で行われ、披露宴はバスで移動して菊水楼という
老舗で行われました。その披露宴の開始にあたって、富ちゃん、慣例を
破って、新婦からのあいさつを行った。そして彼女は開口一番、今日は
新婦側の列席者で出席してない人がいますと、ひとつだけある空席を
示しました。

「その席は私の友人で気仙沼に実家があります。私はユネスコの活動で
毎年、気仙沼でキャンプを行ってきました。それを一緒にやっていた友人が
今日、かけつけてくれることになっていたのに、来れなくなりました。いや
そもそも連絡が取れずにとても心配しました。数日前に元気な声がきけ
ましたが、これなくなったと聞きました。」

「東日本でたくさん被災されている方がいます。今日も、停電の続く関東方面
からも来て下さった方もいます。このような状況の中で結婚式を行うかどうか
私たちも悩みました。でも今、自分に何が出来るか考え、私たちはやっぱり
結婚式をやろうと思いました。それが私に今できること、することだと私は
思いました。」・・・彼女はそんな風に語りました。

そうして始まった披露宴もとても素敵でした、菊水楼の料理も、もてなしの
心が尽くされていてとてもおいしかった。富ちゃんと新たなパートナーの
細やかな心が伝わってきました。そして結婚式や料理を、心から楽しんで
いるうちに、なんだか僕はとても癒されていくのを感じました。原発
ウォッチでがちがちになっていた心が、ゆっくりとほぐれていった。

僕は彼女のためにと列席したのですが、自分のために良かったのでした。
それでこんなときに、結婚式をやってくれてありがとうと心の底から思いました。
そうなのです。僕が必死で原発のウォッチをしているのも、こういう幸せの
ためなのです。こういう幸せを守り、育み、みんなで育てていきたいからこそ
原発事故に取り組んでいるのです。

そんな僕の心の中の原点、いや多くの人の幸せの原点を思い起こさせて
くれる素敵な結婚式だったがゆえに、僕は残念ながら出席できなかった
富ちゃんの友人のことがとても気になりました。気仙沼の火災が忘れられない
だけに、余計に心配でした。それで何か彼女の分も、結婚式を祝い、そして
自分が楽しみ、喜びたいと思ったのでした。


それからわずか2カ月足らず。僕は今、気仙沼のそばに来ています。3月19日
の時点で、僕は気仙沼へのいかなるつても持っていなかった。アビスさんとも
出会っていなかった。ところが不思議なことに、翌日20日に、山水人の方たちが
京都で行った会合に僕は吸い寄せられるように参加して、祖牛さんと知り合った
のでした。そうして山水人MLへのお誘いを受けた。

やがて僕はこのMLへの投稿を始めると同時に他のみなさんのものを読むように
なり、その中で、アビスさんの気仙沼からの便りに目を魅かれるようになった
のです。僕が動かされたのは、一つにアビスさんの文体の独特の魅力である
ことは間違いないのですが、同時にそれが、富ちゃんの友だちにつながりの
ある気仙沼からの便りでもあるからでした。

そうして僕はアビスさんの便りを友人たちにまわして、支援を呼びかけはじめた。
多くの方たちがそれにこたえてくださった。そうする中で、アビスさんとも連絡を
重ねるようになった。忘れもしない、初めて電話で話をしたとき、僕はアビスさんに
「何か機会があったら、僕も気仙沼に行きたいと思っているんです」と語ったの
でした。そんな展望など何もないままに。

しかしそうこうしているうちに、車が出て来て、僕が乗り込んで、こうしてとうとう
東北まで来てしまった。そうして大崎でお話をすることになった。そうしたら富
ちゃんから、メールがきて、「友だちのSさんが参加するから」という。なんと
いう偶然の重なりでしょう。いやもうこれは一つの必然であったとしか思えない。
何かが僕を気仙沼に呼んだのではないか。何かが気仙沼に向かわせたのでは。

そうして昨夜、僕はSさんにお会いしました。僕は携帯で撮っていた富ちゃんの
結婚式の写真を彼女に見せました。こんなときが来るとは思わず、何気なしに
撮った写真でした。それで僕は彼女に結婚式の「匂い」を届けることができた
ように思います。それはこの東北の旅の副産物の一つです。・・・彼女は
富ちゃんの結婚式の写真を、とても楽しそうに見てくださいました。


さてそんな思いも込めたお話の場が終わり、会場を出ました。が、みなさん、
冷めやらず。話の輪が咲いています。そんなとき、デモと署名と・・・と質問して
くれた方が話しかけて来てくれました。彼の名はウビンデ・ユタカさん。お連れ
合いと2人、伊豆から気仙沼ボランティアに駆けつけ、その足で、大崎まで話を
聞きにきてくださったのです。ここにも気仙沼に引きひせられた人がいる。

彼もまた山水人MLの参加者です。凄い迫力の中にユーモアのある絵を描く現代
作家さんですが、伊豆の山奥にいて、なかなか情報が取れない状態にあるのだ
とか。そのためわざわざときおり山を降りて来て、山水人MLをチェックし、その
ときに「明日に向けて」も読んで参考にしてくださっているのだそうです。なんだか
とてもありがたい気がしました。


その後、2次会の場へと移動しました。そこにも10人以上が集まって下さり、いろ
いろな話が飛び交いました。中でも印象的だったのは、indeadでギターを弾いて
いたタックさんの言葉です。彼はタイコのリョウタさんが、僕に大崎の汚染の
状態を聞いたとき、同じことを聞きたいと思ったそうです。しかもできるだけ
率直に聞きたい。危険なら危険と言って欲しいと思ったのだとか。

そのタックさん、小さいお子さんが2人いて、原発事故に対して非常に強い
危機感を持ち、子どもたちにマスクをさせることからはじめ「過敏な」防護を施した
そうです。外でも遊ばせないようにしたという。でもだんだん子どもがマスクを
嫌がり、外で思い切り遊びたがることに対して、どうしていいか分からなくなった
とも。タックさん、とにかく自分は「過敏だったから」という。

僕は違うと言いました。その行為は凄く正しかった。タックさんは、お子さんたちに
素晴らしいプレゼントをした。いつかお子さんたちが、物心がついて、事態が
分かった時、お父さんは自分を守ろうとしてくれたことをしみじみと知ることに
なる。それは素晴らしいことだと、僕は力を込めて語りました。いや本当にそう
思った。

同時に、福島原発から140キロの大崎でも、事故のことを深く心配し、子ども
たちを何とか守ろうとした親たちが、こうしていたことを知り、何か胸が熱く
なるのを感じました。同時に、だからこそ、安全ばかりを語って、人々の
防護意識を壊そうとしてる政府のあり方に、再再度、腹が立ちました。感動と
怒りがないまぜになって僕を襲いました・・・。


さらに僕の横には、会場でも真剣に質問をしれたHさんが、座わってくれていて
帰り際に、その横にいたお連れ合いを紹介してくれました。実はお二人は
最近、結婚されたのだといいます。しかもこの事態の中でこそ、未来を考え、
結婚をしたのだといいます。僕は何か嬉しくなってしまいました。「こんなときに
結婚して下さってありがとう」と僕いいました。きっと誰かが癒されただろうからです。

そうしたらHさん、あとで電話をくれました。彼はサーファーでもあるのですが、
友人のサーファーたちが、海の日以降、宮城の海岸で海に入ろうと言いだしてるが
大丈夫かと言うのです。僕は安全とは言えないデータがいろいろ出ていると
お伝えしましたが、そうしたらHさん、ただ語ってもダメなので、しっかりとした
パンフレットを作るという。アドバイスを頼まれたので、もちろん、快諾しました。


こんな風に話がいろいろと盛り上がる中で、最後の方に、大崎でも脱原発デモを
してはどうかともちかけてみた。そうしたら講演会には参加しなかったけれども
興味深く話を聞いていた方が、自分は原発の危険性をこれまでも伝えてきた。
だから「知らなかったのですか?言ってたじゃないですか!」と自分は言いたいと
言う。

ところが彼はこれを地元の言葉でしゃべった。「しゃねがったのすかや。いってだ
すぺっちゃやあ!」・・・それいい!僕は思わず笑いながら叫んでしまった。「それ
教えてください」。そうしたらみんな笑いながら僕に発音指導をしてくれる。でも
僕はなかなかうまく発音できない。何度か繰り返し聞き取りをし、携帯電話を
使って文字におとしておいたのがカッコ内の言葉です。

「しゃねがったのすかや」。そうなんです。知らなかったのですか?「いってだす
ぺっちゃやあ」、言ってたじゃないですかと僕も言いたいし、言わなくてないけない
と思う。そしてそれを言うことで流れが変えられると思うのです。そしてどうせなら
それは固い「標準語」ではなくて、それぞれの地の言葉で語られるともっと
パワーが出るように思います。大崎なら「しゃねがったのすかや」でなくっちゃ!


とまあ昨夜は本当に熱い時間を過ごすことができました。新たに出会えた
すべてのみなさんに感謝です!

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明日に向けて(108)大崎の熱い夜・・・東北の旅第3信

2011年05月12日 23時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110512 23:50)

みなさま。今、僕は岩手県一関市のアビスさん宅にいます。
昨夜は宮城県大崎市でお話をし、そのまま大崎市で泊めていただきました。
今日になって、一関のアビスさん宅に移動し、しばし休憩してから、
気仙沼に行きました。大津波の爪あとがそのまま残っている市街を走り、
海の際まで行ってきました。

その後、海岸線を北上し、福伏(ふっぷし)の避難所を訪問。インタビューを
させていただきました。さらに北に走り、陸前高田市を回ってから再度、
岩手県側に入り、アビス亭に戻ってきました。
昨日と今日だけでも、たくさんの人に会い、たくさんの場所を見て、たくさんの
話をし、たくさんの声を聞いてきました。

そのすべてを一刻も早く伝えたい気持ちにかられますが、どれもがたっぷりと
したボリュームになりそうなので、まずは昨夜の大崎市でのできごとから
ご紹介していきたいと思います。ちなみに大崎市は、仙台市の北にある市で
2006年に大合併で成り立った市です。中心は旧古川市で、僕が訪れたのも
そこでした。古川の大崎市中央公民館がお話の会場でした。

大崎市に向けて、秋田をたったのは昨日の12時前。僕が「明日に向けて」を
発信するのを待ってくれてのことでした。秋田から大崎市まで全部で3~4時間
ぐらいだったでしょうか。向かった車は、アビスさんの乗るワゴン車、僕が
乗るランドローバー。2人の運転手の他に、秋田から佐藤生美さんが同乗して
くれました。彼女はアビス亭での催しの料理長をしてくださいます。

ちなみに生美さんは、マクロヴィオティックという食事法を実践しています。
健康に害があるものを排除し、本当にいいものだけを食べて、免疫力を上げ
心身を素晴らしい状態に持っていく食事法で、放射能汚染が深刻化している
今、心強い知恵だと思います。彼女もそれを発信することを模索しているそうで、
それなら僕のこの発信を利用して!と車中で話し合いながら、大崎に行きました。

大崎到着は4時半頃。今回の大崎での話の場をセッティングしてくださった
マッチさんが迎えに来てくれて、一緒に会場に向かいました。するとだんだんと
お仲間が集まってくる。またまた音楽仲間がやってくる。タイコとギターと
機材が会場に運び込まれる。同時に参加者も集まりだしました。みなさん若い!
小さい子を連れた親子も何組か来て下さいました。

だいたい30歳前後が中心だったでしょうか。小さなこじんまりとした会場を
借りたのですが、最終的に子どもをのぞいて30人強が集まってくれました。
緊急の呼びかけでしかも平日だったので、10人でも良いとおもっていたとの
ことでしたが、みなさんの関心の高さ、またマッチさんたちの交友関係の広さ
が反映していました。


やがて6時半になり、まずマッチさんと仲間たち4人が演奏を初めてくれました。
マッチさんの他の3人は、タックさん、チダさん、リョウタさん。普段はエレキなど
電気をつかっているそうですが、今日は電気を使わないでやることにしたと
アコースティックギター2本に、タイコ2つで開始。レゲエの耳と心に残る曲調で
その上に、マッチさんの綺麗ではりのある声が乗っていく・・・。

4人のバンドの名前はindead。なかなか死なないという意味と、死にそうに
深刻な中でという二つの意味をかけあわせているそうですが、とにかく、凄く
いい。めちゃめちゃかっこいいやん・・・と僕は大急ぎで車に走り、ビデオと
カメラを持ってきて撮影開始。聴き惚れながら、夢中でシャッターを切って
しまいました。何だかすっかり自分が次に講演することを忘れてしまった。

それで続いて、ちょっとドギマギしながら、僕の話へ。基本は秋田のときと
同じ話をしましたが、大崎市の福島原発への近さを意識しながら話を
進めました。大崎市は福島原発からおよそ140キロぐらいの位置にあります。
しかもこれから東北には強い南風の日が多くなっていく。やはりプルトニウム
などの飛散の可能性を言わねばとその点に前日よりも力点を置きました。


その後、質疑応答になり、この日も実に活発に次々と意見が飛び出しました。
どの質問も長く考え抜かれた上でのものでしたが、特に印象的で、ある意味
こたえることが問われたのは、タイコをたたいてくれたリョウタさんからの、
大崎市の被ばくの状態はどうなのか。この付近の野菜は安心して食べられる
のか、その辺、思っていることを述べてほしいという問いでした。

僕はこれに対して、「僕自身も計測してないので分からない。しかし分からない
というのは安全に確証が持てないということで、放射能汚染が疑われるという
ことだ。空振りだったら申し訳ないけれども、プルトニウムが飛んできている
可能性もあり、安全と言える状態ではない。ぜひ行政にきちんと測定をするように
声を出して欲しい」とお答えしました。

その場合、安全とグレーゾーンと危険の関係の整理をしました。つまり安全とは
危険がまったくないことが確認された状態であり、グレーゾーンは危険がある
可能性がある状態のことです。危険は当然にもはっきりとした危険な状態のこと
ですが、今の日本の状態では、この状態以外はすべて安全にみなされてしまう。
危険かどうかはっきりしないグレーゾーンが安全にみなされてしまうのです。

それは安全思想から言って間違いなのです。グレーゾーンは危険が証明されて
ないだけで、実際に危険である可能性が介在してるのであるから、このグレー
ゾーンまでが危険と扱われなくてはいけない。安全とは、グレーゾーンから、
危険がないことがはっきりして、安全の側に組み込まれた側を言うのです。

原発から140キロ大崎市の場合、まさにグレーゾーンの中に入っている。だから
徹底して調査を行うべきであり、それもヨウ素やセシウムだけでなく、ストロン
チウム、さらにはプルトニウムなどの超ウラン元素などの有無も徹底して
測定されるべきです。それらがないこと、ないし極微量であることが確認
できなければ安全とはとても言えないし、言ってはいけないのです。

ただし、その場合、計測はすぐに生産者を苦しい立場におくことになる。
そのため安全が確認できない場合は、政府と東電が生産者に補償をすべき
たどいうことも合わせて声をあげてほしいと僕は付け加えました。そうしないと
危険性を感じている消費者と、生産者、共に被害者同士が対立するような
理不尽で非人道的な世論操作もなされかねないからです。


当日の会場使用は9時までだったので、途中からアビスさんがテキパキと
片づけを開始しだし、その横で僕を椅子で囲んでくれて、話が続きました。
僕が浜岡が止まろうとしているのは、デモの成果だと語ったら、ではデモと
署名がどちらが効果があるかという。僕がそれぞれが一番、自分に合うと
思う方法でするのが効果が高いのではと語ると、それはそうだと笑いが起こります。

またではどのようなエネルギーに変えると良いかというので、待ってましたと
岩波ブックレットを持ち出し、小水力のことなどを紹介すると、みなさんいろいろ
考えてくれていて、ブックレットを買って下さる方も次々いました。結局、この日は
5部、前日と合わせて12部が売れました。僕はこれからのエネルギーはできる
だけ小さい規模で自治的に運営できるようにするのが理想だと提案しました。

そんな感じで話を場はいったん幕を閉じましたが、実はここから場所を
移して、もう一度盛り上がることになります。
しかしもうずいぶん、長くなってきたので、一たびここで記事を送信したいと
思います。
みなさま。大崎の熱い夜は、まだまだこれから続くのでした・・・。

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明日に向けて(107) プルトニウム飛散の可能性あり!

2011年05月11日 11時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110511 11:30)

今回は、深刻な情報をお伝えしたいと思います。放射性物質の中でも非常に
猛毒のプルトニウム、さらにもっと恐ろしいアメリシウムやキュリウムが
私たちの周りを汚染しているのではないかという推論です。
根拠となるのは4月27日の読売新聞の次の記事です。短いので引用します。


***

核燃料損傷で放出?放射性物質2種、敷地で検出

東京電力は27日、福島第一原子力発電所の敷地内土壌から、原子炉の運転で
生成される放射性物質アメリシウムとキュリウムをごく微量検出したと発表した。

事故に伴う核燃料の損傷で放出されたとみられる。
東電によると、土壌は敷地内の2地点で、3月28日に採取された。うち1号機
の西北西約500メートル地点の土からは、1キロ・グラムあたりアメリシウム
241が0・033 ベクレル、キュリウム242、243、244が0・2~4
ベクレル検出された。量は通常 の土壌から見つかるのと同程度という。この土
からは、微量のプルトニウムやウランも見つかっている。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110427-OYT1T00904.htm
***

ここで少し解説しておくと、プルトニウムやアメリシウム、キュリウムが毒性が
高いのは、これらの物質が、α線を出すからです。α線は、β線やγ線に比べて
粒子が格段に大きい。その分、遠くには飛びませんが、エネルギー量が多い。

そのため他の放射線に比べて、人体の細胞に対する破壊力が著しく高いのです。
しかも粒子が大きいために、透過性が低く、あまり飛ばないので、ごく直近の
細胞にそれだけ激しくダメージを与えることになる。

プルトニウム(239)は半減期が2万4千年もあり、なかなか減らない点も厄介なの
ですが、反対にアメリシウムやキュリウムは、半減期が短い分だけ、より単位
当たりの時間の中で、α線を出す回数が多い。その点では危険度はより高い。

ちなみに半減期についていえば、キュリウム242は163日。243は29.1年。244は
18.1年。アメリシウム241は432.2年です。アメリシウムの同位体は他にも
たくさんありますが、ほとんど1時間以内に半減していきます。


問題はこれがどこから出てきたかです。考えられるのは、3号機で起こった爆発が
燃料プール由来の即発臨界爆発であったこと。このときに燃料棒の中に含まれて
いたプルトニウムとともにアメリシウム、キュリウムも出てきた。

もう一つは炉心から出てきた可能性。とくに3号機にはMOX燃料が装荷されて
いたため、これが溶融などで崩れ、ペレットに焼き固められていたプルトニウム、
アメリシウム、キュリウムが漏れ出てきたということです。

そもそもプルトニウムは、自然界にはほとんどない物質で、原子炉で人間が人工
的に作りだしたものです。どのようにして生まれるのかと言うと、核分裂しない
ウラン238に中性子があたって取り込まれ、プルトニウム239になります。

このため使用済み核燃料の中には、新たに生成されたプルトニウムが含まれて
いますが、これを他の放射性物質と分けて抽出する作業が、燃料の「再処理」
工程です。この技術は難しく、たびたび放射能漏れを起こします。

今、説明したのは通常のウラン燃料で燃やしている原子炉のことですが、福島
3号機ではプルサーマルという新たな方式が行われていました。ウラン燃料に
プルトニウムを混ぜた燃料=MOX燃料で行う発電のことです。

もともとの原子炉はこうしたことを想定していません。しかもプルトニウムは、
ウランより核分裂性が高いので、その分、制御も難しい。そのためプルサーマルは
通常の原発以上に危険だと指摘され続けてきたものです。

しかし主にプルトニウムを燃料とする実験段階の炉=高速増殖炉もんじゅ事故
により、今、日本はプルトニウム使用の目処が立っていません。原爆の材料で
あるプルトニウムは大量保管が国際的に禁じられていて政府は困ってきました。

そのために高速増殖炉がだめなら、通常の原発でプルトニウムを使ってしまえと
いうのが、「プルサーマル」であり、福島第一原発3号機は、多くの人々の反対を
押し切って、ついにこれを始めたばかりでした。

この3号機のMOX燃料が溶解してしまい、ペレットが砕けて、プルトニウムとともに
アメリシウムやキュリウムが出てきている可能性があります。その意味で、今回の
事故は人類が初めて遭遇した、MOX燃料事故という要素も孕んでいそうです。


しかし3号機プールの即発臨界爆発=小さな核爆発が起こって、これらの物質が
大量に飛び散ったのか、またMOX燃料を含む、炉内の燃料溶解によって、これらが
出てきているのか、決定的な判断を下せる状態ではないようです。

しかしいずれにせよ、これらの物質が、原発の敷地内だけで観測されているのは
不合理ではないか。爆発で飛散したか、炉内から漏れ出してきているのかにより
大きな違いがあるにせよ、少なくとも敷地のすぐそばでも計測されうるのではないか。

実はこの記事が出たときから、僕はこの点ついて、科学者の友人と、頻繁にメール
交換を行ってきました。誰かこの件について論じている人はいないかと、リサーチ
もしてきました。

しかしなかなかデータがでてきません。またプルトニウムの危険性を指摘する人でも
プルトニウムは重金属なので、固体の場合は重く、それほど遠くには飛散しない
だろうという意見が多くあることも分かりました。

プルトニウム漏れは、さほど重要ではない(!?)という科学者の指摘もあります。
過去、1950年代ごろは大気圏内核実験の影響でプルトニウムの日本における
大気中濃度が2000年代の平均値に比べて100-1000倍だったからだそうです。

しかし、その科学者からは、今回の事故によるプルトニウムの大気中濃度はどう
なのかという議論がありません。さらにそもそも現代人の多くがガンになるのも
この核実験のせいなのではないかという重大な洞察も聞かれない・・・。


そうこうしているうちに、グアム、ハワイ、米西海岸などで、アメリカ政府機関・環境
保護局の環境放射性物質モニタリングシステムによって、ウラン、プルトニウムなどの
固体の放射性物質が検出されたという報告が入ってきました。

しかも通常時の数倍~数十倍の値で検出されたといいます。これが3号機プールの
即発臨界爆発=核爆発説の有力な根拠となっていました。この説を採ると相当の
プルトニウム等々の飛散があったことになります。

どう判断すればいいのか。友人とは、核爆発であったかどうかは、今の段階で
われわれには確かめようがないので、いずれにせよ、福島原発由来のプルトニウム
等々が出ていること、それはハワイまで飛散しうることに注目することにしました。

そうなるとますます福島原発周辺でのプルトニウムやアメリシウム、キュリウムなど
(ウランに中性子をあてたことから出てくるこれらの物質は、超ウラン元素とも
言われます)による汚染が懸念されている。

ところがこれが一向に計測されている気配がない。なぜかと探るうちに、原子力
安全委員会によって作成され、2008年に改定された「環境モニタリング指針」にいき
あたりました。なんとそこに、敷地外の超ウラン元素は測る必要がないと書いてある。

具体的には以下の通りです。

「原子炉施設等においては、多重の物理的防護壁により施設からの直接の放射
線はほとんど遮へいされ、また、固体状、液体状の放射性物質が広範囲に漏え
いする可能性も低い。したがって、周辺環境に異常に放出され広域に影響を与
える可能性の高い放射性物質としては、気体状のクリプトン、キセノン等の希
ガス及び揮発性のヨウ素を考慮すべきである。また、これらに付随して放射性
物質がエアロゾル(気体中に浮遊する微粒子)として放出される可能性もある
が、その場合にも、上記の放射性物質に対する対策を充実しておけば、所要の
対応ができるものと考えられる。」

なんということか。超ウラン元素はでるはずがないから、測らなくてよいというのです。
今回もこの規定が採用されているのではないか。規定の前提が覆っているにも
関わらず、これを楯にとって?計測がなされていない可能性がある。

となると、ますます超ウラン元素は、そこに存在しながら測られていないだけなので
はないだろうか。福島原発の周りのどれぐらいの範囲かは分からないけれど、
これらの物質が飛び散っているのではないか。

例えそれが重くて一度に遠くに飛ばなくても、繰り返し風にさらされることによって
これらの粒子は大きな移動を行う場合があります。とくにこれから夏にかけて東北に
は南からの強い風が吹く。非常に強い風です。それがこれらを運ぶのではないか。

こう考えると、小佐古氏の辞任劇のもやもやさも、もう少し理由が見えてくるように
思えます。小佐古さんは、もうこれ以上、住民を被ばくさせる共犯者になりたくないと
思って、涙したのではなかったか・・・。


まとめます。
福島原発の敷地内から、ウラン、プルトニウム、アメリシウム、キュリウムなど、α線
を出す放射性物質が検出されました。またウランやプルトニウムなどが、ハワイなど
でも観測されており、これらの物質が広範囲に飛散した可能性が高くあります。

にもかかわらずこれらの物質は充分に計測されていない。だとすると現在、様々な
地域で観測されている放射能汚染の度合いは、重大な欠損がある可能性がある。
端的に、測られていない重大な物質があるのではないかということです。

そうなると、周辺の被ばく量も、これまで考えていたものよりも、かなり高いことが
予想されうるし、今後の被ばくの危険性も今までもよりも更に高いものとして考える
必要性が出てきます。

ありていにいえば、すでに被ばくしてしまったものは、もはや嘆いていも元には
戻らない。それが由縁の健康の悪化の可能性に対して、さまざまに抗っていくしか
ない。しかし今後予想される被ばくはまだまだ避けることができる。

その点では、超ウラン元素、プルトニウムなどの飛散は、高い蓋然性をもったものと
受け止め、それを前提に被ばくからの防護体制を作っていくべきではないでしょうか。
いや、していくべきなのです。そうすることが命を守ることにつながります。

超ウラン元素以外にも、ストロンチウムなど、まだまだ充分に計測できていない
放射性物質は他にもたくさんあります。それらも考慮に入れるならば、今の段階で
空間線量だけを放射能汚染の目安にするのは危険です。

なぜなら超ウラン元素の出すα線も、ストロンチウムが出すβ線も、普通のガイガー
カウンターでは測りにくいからです。各地で測られているのは、主に空間に飛んでいる
放射線量であり、その多くはγ線です。ごく短距離しか飛ばないα線は測れない。

その点で、福島の学校での年間許容値の20ミリシーベルトを大きく引き下げることは
とても大事なことですが、その際に、そもそもこの攻防が、測られていない放射線も
ありうる中でのものになっていることを見据えておく必要があります。

プルトニウムの飛散をもしっかりと見据えて、何重もの被ばくからの防護体制を
築き上げていきましょう!
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明日に向けて(106) 秋田より・・・東北の旅第2信

2011年05月11日 11時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110510 10:00)

みなさま。僕もツイッターをはじめました。@toshikyotoです。
いつも案内が送れるので、はじめに書いておきます・・・。

さて秋田からの第2信をお届けします。

昨日秋田に上陸してから、あらかじめ調べていたネットカフェに向かい、
そこから「明日に向けて」を発信したのちに、ついにアビスさんたちと
合流しました。アビスさんの他、秋田の受入れの中心を担ってくださる
ヤナティさん、明るい青年のマロ君も合流して下さった。

市内の象徴的なところを見たいとの僕の願いで、久保田城(秋田市
千秋公園)に連れて行ってもらいました。久保田城主佐竹氏の居城で
江戸時代には「秋田城」とも呼ばれましたが、古代、奈良時代から平安
時代に東北平定にために作られたものとは別のお城です。

どの土地でもそうですが、秋田にも深い歴史があります。まず久保田城
について言うと、幕末の動乱の中で、この城と久保田藩は、東北諸藩の
集中攻撃を受ける立場にありました。東北でほとんど唯一、勤皇を
貫き、維新政府に味方したからです。

東北のことを知る時に重要なのは、この地が、明治維新のときに、維新
政府に攻撃され、平定される側にあったということです。反対に言えば
そこから何百年かさかのぼると、この地の多くの藩は、関ヶ原の乱で
東軍側に立ち、後の徳川幕藩体制を支える位置にありました。

このため幕末の動乱でも多くの藩は、幕府の側に立ちました。その先頭に
たったのが言うまでもなく会津藩でした。会津藩は配下に新撰組を
抱え、京都守護職の要職を引き受けた。そのためとくに長州の恨みをかい
戊辰戦争で過酷な攻撃を受けました。

このとき東北の諸般は、奥羽列藩同盟を作って、会津を支えようとしました。
ところが久保田藩は事情が違った。勤皇派の活動が活発だったためでした。
そのため久保田藩は、維新政府の側につき、他藩の攻撃を受けることに
なったのです。戦火は久保田城の寸前にまで及びました・・・。


さて「秋田城」の歴史を見る時には、さらに大きく歴史をさかのぼる必要が
あります。古代、この地は、近畿を中心に形成され、やがて「日本」として
自らを形成する政権にとっての勢力範囲の及ぶぎりぎりのところにありま
した。その先はアイヌ民族につらなる人々の聖地でした。

当時の名で言えば、蝦夷(えみし)になります。それに対して、奈良や京都から
繰り返し討伐軍が送り込まれ、その拠点として形成されたのが、古代の
秋田城でした。しかし秋田城はたびたび、蝦夷によって奪われ、争奪戦が
繰り広げられた。

・・・そんな話をしていると俄然、アビスさんが乗ってきました。岩手出身の
アビスさんは古代の蝦夷の闘いへの思いが深い。とくにアビスさんがよく
知っているのは、主に現在の岩手県で活躍した、アテルイとモレのことでした。
彼らも京の都から送り込まれた平定軍を何度も敗走させた。

やがてこの夷的をやっつける将軍としておくりこまれたのが、坂上田村麻呂
でした。かれは征夷大将軍と呼ばれた。この名は幕末まで引き継がれるもの
となった名前です。やがて坂上田村麻呂は、アテルイとモレと和議を結び
あるいは降伏させて京都に連れて行く。

このとき田村麻呂は、彼らに朝廷に東北の独立を進言させようとしたという
解釈があります。しかし朝廷はまったく東北の人々の願いを受け入れず、
アテルイとモレは処刑されてしまいます。それらを契機に、東北の平定が
進んでいったのです。

奥羽山脈をはさんで、秋田城での攻防戦と、岩手側のアテルイ・モレたちの
闘いがどのような連携を持っていたのか、あるいは持っていなかったのか、
よくは分かりません。ただいずれにせよ、ここでは平定作戦が行われ、その
のちに「日本」ができあがってきたことを私たちは知っておく必要があります。

さらに明治維新でもまた、東北は平定の対象になった。その中で久保田藩は
維新政府の側についたわけですが、このため、後に明治維新政府や、その後の
政権が行った戦争では、常に東北の人々が、もっとも過酷な戦場に送り込まれる
構造も生まれました。天皇政権に忠誠をつくすことが問われたのです。

そんな話をしていると、アビスさんがこう言いました。自分は関西にも住んだことが
あるし、岩手にも住んでいるわけだけれど、行政と人の関係の違いを感じる。
どうも西日本では行政に対して人々が対等な感じがするけれど、東日本では
行政が高圧的で上から目線で接してくるように思う・・・。

これがどこまで正確な洞察なのか、今の僕には確かめるすべがありませんが、
さまざまな土地を見てきたアビスさんの感覚は、かなり的確にそれぞれの土地の
特徴を見通すものがあるように思えます。これらのことを頭に入れながら、
さらにいろいろな土地をみていきたいと思います。


さて、歴史の洞察を終えて、その後のお話をしましょう。久保田城の見学を
終えてから、僕らがいったのは、「あきこうまえ茶屋」です。秋田工高前にある
「駄菓子軽食屋」さんとのことなのですが、何とも不思議な空間です。45年間、
5代の方が運営を引き継いできた・・・。

現在の店主さんは、土井卓さん(32歳)。広島出身で、各地を旅をしながら
この地にたどりつき、前の店主さんにお店を託されました。このお店には
秋田工高の高校生たちが次々と訪れてくる。駄菓子屋なので、子どもたちも
遊びに来る。そうすると高校生たちと子どもたちが遊びだす。

土井さんは「ここにはこれからの進路を考える若者たちが、3年間も通って
くれます。その高校生たちがここでは子どもたちと接することができます。
大人たちもここにやってくる。普段は接することのないいろいろな世代が
ここで交流できるのです。そこに僕は可能性を感じました」と語ります。

「高校生たちは、未来を見通す力は弱いけれど、その分、今を生き抜く力は
すごいんです。3年間の中のたった1回の大会にすべての力を注いだりする。
その力を大人の人に知って欲しい。またその大人の方たちの笑っている姿が
また若い子たちの力になるんです。そんなふれあいがここにはあります」とも。

「若い人だけでなく、おばあちゃんたちも来るんです。すべての世代がやって
きます。今日のように旅をしている人もよってくれます。いろいろなイベントを
したり、ここから高校生たちと被災地にボランティアにも行っています」と
土井さんの説明は生き生きと続きます。

この場所の雰囲気はとてもこれ以上、文字では伝えられません。とにかく
駄菓子屋さんで軽食屋さんで、カフェで、子どもと大人が集っていて、その上、
古着が売られ、楽器が集められていて、マンガが並んでいます。これ以上、
知りたい方は、ぜひご自分で訪れてください!


さてここでゆったりとした時間を過ごしていると、だんだんと今日のスタッフに
なってくれるヤナティさんのお仲間たちが集まってきました。みなさん、音楽系
の方たちなので、次々にスピーカーや機材も集まってくる。講演会に大きな
スピーカー?僕にはちょっと驚きです。

やがて時間になって、今日の講演と交流の場である秋田大学に赴きました。
会場につくと、てきぱきとセッティングが始まる。黒板の前に大きなスピーカー
二つが設置され、マイクもスタンドつきでおかれます。コンサートみたい。
プロジェクターやらの設置も実にスムーズ。

そうこうしているうちに参加者が集まってきました。急きょの呼びかけだったし、
岩手からきたアビスさんにもぜんぜん数は読めなかったそうなのですが、
思ったよりたくさん集まってくださって、最終的には40人近くになりました。
20人ぐらいはと思っていたので驚きましたとアビスさん。

講演会の前に、東京渋谷でもデモの映像を流し、やがて僕の話をはじめ
させていただきました。僕は簡単な自己紹介の後に、原発の今の状況、
放射線被ばくからいかに身を守るか、脱原発の方向性について、話を
させてもらいました。

その後、質疑応答と意見交換に移りましたが、みなさん、実に活発に
意見と質問をだしてくださる。次々といろいろな意見が飛び出す。
例えば「デモをやって意味があるのだろうか。それで何かが変わるのだろうか」
という切実な質問が飛び出してきました。

僕は「流れが変わりつつあるのではないか。菅首相が浜岡原発の停止要請を
出したのも、僕はデモの力だと思う」と答えました。すると質問した方は大きく
首を立てにふってくださった。この方だけでなく、多くの方が、共感のサインを
それぞれに示して下さいました。

そうこうしているうちに、だんだん質問よりも意見が多くなってくる。原発を
止めるためにこんなことがいいのではないか、あんなことがいいのではないかと
面白い意見が続きました。アビスさんも黙ってられなくて?次々と発言。
今、すべてを紹介できませんが、討論には講演の倍の時間が費やされました。

いい場ができた!と僕はそう思いました。僕はちょっとだけ火をつけただけで
みなさんがそれぞれに温めてきた思いがバッと出てきた感じでした。そして
その中で、秋田での初めてのデモをしようという話もでてきました。僕からは
6月11日、12日の全国一斉行動のときに歩いてはとアドバイスしました。

また今回、僕は自然エネルギーの考え方を伝えるために、友人の古谷桂信さんが
編集してくださった岩波ブックレット『地域の力で自然エネルギー』を持ってきて
いるのですが、机に出していた5部があっという間に売れ切れ、さらにつぎたした
2部もすぐに売れてしまいました。嬉しい悲鳴でした・・・。

とまあ、秋田の交流会は大盛況のうちに終えることができました。新しい
出会いに感謝するばかりです。とくにヤナティさんに大感謝です。
今日はこれから車で奥羽山脈を越えて宮城県に入り、大崎市を目指します。
あたらしい出会いに期待を膨らませつつハンドルを握ります。


補記
昨夜は、「あきこうまえ茶屋」の2階に泊めていただきました。アビスさんと
2人でした。実はアビスさんも僕も、311以降、かなり睡眠時間が減っている
ことが分かりました。3,4時間寝るとパッと目が覚めてしまう。すると何か
やることがあって、そのまま一日起きていてしまうとアビスさん。

僕も同じなのです。多分、これは「コンバットハイ」なのですね。原発に
何か起こってはと、常に神経をとがらせてきたためでもある。同じような
感覚をアビスさんも持っていると聞いて、どこかでホッとするところがあり
ました。

そんな話をしたせいもあったのか、昨夜はひさしぶりに長く、ゆっくりと
寝ることができました。あるいは「あきこうまえ茶屋」の不思議な力なの
かもしれません。ここに素敵なオーラを漂わせてくれている、店主の
土井さんと、高校生たちに感謝です!

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明日に向けて(105)政府の虚言を覆そう(「チェルノブイリ事故との比較」再考)

2011年05月10日 09時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110510 09:00)

今回の旅に向けて、今、何を伝えることが大切なのか、船中で
考えてまとめたものをお伝えしておきたいと思います。


旧ソ連政府と日本政府の同質性

これまで何度が書いてきたことですが、僕が311以降、福島原発の
ウォッチと情報の発信を行ってきたのは、こうした深刻な事故が
起こったときに、政府や電力会社がそれを隠してしまい、人々が
逃げるべき機会を逸してしまう可能性が高いと思ってきたからでした。

それは『原発事故を問う―チェルノブイリからもんじゅへ』(七沢
潔著岩波新書)などに説かれてきたことです。旧ソ連と日本の体質が
極めて似ている。「同じ匂い」がする。だから同じことが起こりうる
のではないかという洞察です。

そしてそれは―大変、残念なことに―ほとんど的中してしまいました。
事故当初、事態はメルトダウン⇒水蒸気爆発などの破局的な方向に
進みつつあったのに、そのことは一切、発表されませんでした。
人々は無防備なままに破局寸前の事態の前に立たされていた。

しかもただそれで破局が去ったのならまだしも、大変深刻な放射能
漏れが起こりました。とくに当初、原子炉や格納容器の破断を防ぐ
ための人為的な放射能の放出が行われた。これは事前通告が可能
だったのに、政府はそれすらも一切行わなかった。

これで一体、どれだけの人が被ばくしてしまったことでしょう。
政府が調査を控えたので、それも不明のままですが、その後の
政府発表ですら、チェルノブイリ事故のときの10分の1以上の
放射性物質が飛び出し、多くが人びとの上に降り注いでしまった。

怒りを感ぜずにはおれません。あのとき、これから高濃度の放射能を
噴出させることを通告し、その流れを予測したSPEEDIのデータを
公表すれば、かなりの被ばくを避けることができたはずです。多少の
パニックが起こっても、人々はかなり自らを守れたでしょう。

しかし、パニックは起きなかったけれど、深刻な被ばくがおきて
しまいました。本当に無念です。人々に黙ったまま毒を撒いた政府、
この国に住まう人の良い人々の信頼を手ひどく裏切った政府に対して
批判を強めなければ社会正義が立ち行かないと僕は思います。


事故隠しの次には、放射能は怖くないキャンペーンが

ただ、その前に立ち止まって考えるべき重要な問題があります。こうした
構造はもう過去のものになったのかということです。断じて否。
いまもまた人々に迫りくる危機を教えず、人々が、放射線被ばくから
身を守る手段を奪っていくことが行われている。

それが僕が繰り返し述べている「放射能は怖くないキャンペーン」です。
このことで人々は、再び三度、今、現実に進んでいる被ばくや、今後の
被ばくから身を守る手段を奪われつつある。「放射能は怖くない」という
キャンペーンで防護体制が崩されてしまっているのです。

これらは今後の訴訟をも念頭にいれたことだと思われます。放射線で
被害をうけてガンを発症しても、因果関係は説明しにくい。また繰り返し、
多少の被ばくは気にすることがないと刷り込まれてしまえばガンに
なっても自分自身でも因果関係を感じれなくもなってしまうでしょう。

では政府はこうしたキャンペーンをどのように行っているのか。
それを象徴するのが、4月15日に首相官邸のホームページに掲載された
「チェルノブイリ事故との比較」という文章です。これは非常にひどい。
国際的常識から見ても、完全な虚言だからです。

というのはこの文章は、チェルノブイリ事故の影響を非常に小さく描いた
もので、大人にはガンは発生しなかった、事故の収束作業にあたった
24万人の労働者の中で、健康被害にあったもはいなかったという数値が
並べられています。

実はこれは1991年にIAEAが行った調査が下敷きになっています。
このとき原発推進のための国際機関であるIAEAはできるだけ、事故の
被害を小さく描きたかった。そのために事故直後に強制避難させられた
十万人以上の人々を除外するなど、非常に恣意的な調査をしたのでした。

しかもこのときの団長を務めたのは、広島放射線影響研究所理事長の
重松逸造氏でした。重松氏は、水俣病とチッソの関係を調べて、「因果
関係はない」と結論づけた人物です。科学的デタラメ性と、御用学者
としての顔が明らかな人物にIAEAは「調査」を任せたのです。


虚言を首相官邸ホームページに掲載

問題はこの調査がすでにとっくに国際的に否定されていることです。
とくに「チェルノブイリ事故との比較」でも触れられている2006年の
IEAEの調査では、この事故で死亡する人数は最終的に4000人という
報告が出された。死者4000人が事故被害の規模だというのです。

ところが合同調査に加わったベラルーシ―共和国が、そんな軽微なもの
ではありえないと抗議して、すぐに共同の調査報告から脱退して
しまった。国際的な批判が強まる中で、一緒に調査に加わったWHOが
すぐさま4000人を9000人に修正する報告を出した。

それでも旧ソ連諸国内をはじめ、多くの国々からの批判が収まらない。
調査はさまざまな国や機関・団体に継続され、国際的環境団体である
グリーンピースは、その後に、死者数の見積もりを98000人とする
報告書を提出しています。

さらにアメリカでは、旧ソ連大統領だったゴルバチョフのもとで
作られた医療チームに参加した人々を中心とした継続的な調査・研究が
行われ、最近になって重厚な調査報告書を発表しましたが、そこには
なんと事故による被害は98万人にのぼるという報告が出ています。

この数値を日本政府が採用しないにせよ、2006年のIAEA報告にすら
背いた1991年の報告書にのっとった内容を、まさに今、放射能漏れが
続いている中で行うことは、人々を意図的にあざむき、放射線の
前に無防備にさらすことに他なりません。

その意味で、その恣意性ということで言えば、事故当初に政府がそれを
住民に伝えなかったこと以上に、この国際的に完全に否定された内容
を首相官邸のHPに示すことは、悪質な行為であり、人道的な罪その
ものであるといわざるをえません。

原発事故は、さすがに意図的に起こされたものではあるとは言えませんが
「放射能は怖くないキャンペーン」のもとでもでたらめな数値の羅列は
完全に意図的になされていることがらです。人々をだまして、放射能を
受け入れさせ、被ばくさせてしまおうというのです。


虚言をさらに煮詰めて学校で配布

しかも今日、政府は文部科学省に命じてそれを福島の学校現場にまで
配り始めています。問題の文章は45ページにも及ぶパンフレットの形式を
とっていますが、その12ページ目に「チェルノブイリ事故との比較」の
エッセンスにあたることが詰め込まれています。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/21/1305089_2.pdf

ポイントは、チェルノブイリ事故では大人のがんの発生はなかったという
国際的に否定された虚言を強調することにあります。だから心配はするなと
いうのです。むしろ心配することが一番良くないということが強調されて
いる。これも1991年報告が、いの一番に上げたポイントです。

しかも文科省パンフレットは、「チェルノブイリ事故との比較」よりも
さらに一歩、巧妙なだましをおこなっている。というのは上記の文章では、
被害の一部として「例外ながら6000人の子どもが甲状腺癌にかかり、15名が
死亡」と書かれていました。ここには6000人という数字が出ていた。

ところが文科省パンフは、この点を改定して「ベラルーシでは2010人
が甲状腺癌にかかり」とわざわざなおしている。つまり6000人という数字を
消すために、ベラルーシ―共和国だけの当時の低く見積もったデータだけを
もってきてあたかも甲状腺癌が2010人だったかのようにみせかけているのです。

その意味で、文科省パンフレットは、政府の「チェルノブイリ事故との比較」
よりももう一歩悪質に被害が小さく見せられている。おそらくお母さんたちの
目を気にして「例外ながら6000人の」という記述を問題にしたのでしょうが、
その分、より強い悪意を感じます。

どうしてこのようなことをするのでしょうか。俄かに信じられない人も多いのでは
ないかと思えます。しかし政府はまっとうな対策をした場合に沸き起こる政府への
批判や、膨大な予算を恐れているのだと思えます。そしてそれを回避するために
国民と住民のある程度の部分に深刻な被ばくがおこってもやむなしと考えている。

そのことの動かしがたい証拠が「チェルノブイリ事故との比較」の首相官邸HP
への掲載です。僕自身、これを発見したときには俄かに信じられませんでした。
どこかで政府をもう少しは信頼したい気がしていた。人に悪意があると疑うのは
どこか悲しいことでであるからです。しかしどんなに悲しくともこれが現実です。


政府の虚言を覆そう!

これをどう覆えせば良いのでしょうか。これは、放射線被害をめぐる論争でも
なんてもなくて、全くのウソ、でたらめですから、まずはこのことをできるだけ
多くの人に伝えることが大切だと僕は思っています。そのために今回の東北の
旅でも、僕は出会う人の多くにこれを伝えます。

またこれは国際的にみたときに、大ウソであることがよりはっきりしている
文章なので、これを海外にアピールすることも大事だと思います。こうした
観点から、英語が非常に堪能な友人が、これを英訳してくださったので、それも
最後に貼り付けておきます。どうか英語を使うご友人に紹介してください。

さらにこれが嘘であることを暴くために、最新の研究成果を自分たちのものに
していくことが大切です。実は海外からのさまざまな文章を訳してきた友人
が参加するこの研究書の翻訳チームがすでに立ち上がり、今後その成果を
逐次提供してくれるそうです。なので、これが手に入り次第、お届けしたいです。

またこれらの内容を、可能な限り、学校現場に反映させること。福島県への
政府への対応を見て、疑問に感じている教育委員会の委員や、学校の先生方に
この事実を知らせることです。どうかそれぞれの現場で、この内容のコピーを
取り、この事実を広めてください。

政府への直接の抗議も行いましょう。各地のデモでも、ぜひ、「チェルノブイリ
事故との比較」というウソの文章の撤回を求めて欲しいと思います。主張官邸、
文科省に撤回を求める電話・FAX・メールなど、思いつくことをどんどん
行ってください。

さらに大事なのは、チェルノブイリの被災者と私たちが結びつくことです。これまで
国内のたくさんの方々が、チェルノブイリの支援に携わってきています。僕は
こうした方々こそ、キーパーソンではないかと思います。こうした方々の経験を
聞くことからはじめて、チェルノブイリの人々との結びつきを強めましょう。

これらすべてのことは私たちが放射線被身を守るためにとても大事なことです。
放射線の害の前に、国民と住民を晒す、この惨い政府のあり方を変えないと
多くの人々が、被ばくを続けてしまいます。今こそ、私たちは、能動的に行動
しましょう。政府のあり方を変えましょう。僕も努力を続けます。

************

<Note from the translator>
As schools opened in April, many children and their families came back to
Fukushima. It is said that many parents wish to take the children out of Fukushima, but they
are prevented from leaving there because of unspoken pressure from relatives and
neighbors, backed by the institutional pressure from authorities.

Prime Minister of Japan and His Cabinet published below statement, "The Comparison
with Chernobyl Accident" on their website on April 15, 2011. This document hugely
underestimate the number of death and the health effect caused by Chernobyl
accident, and saying "Fukushima is different from Chernobyl". In other words, so don't worry and don't make a fuss.

It is said that this document was delivered to schools in Fukushima. It is also
said that schools were discouraged from removing radiation polluted surface soil of
school yard or from measuring radiation in school by themselves.


Original statement in Japanese at the website of Prime Minister of Japan and His
Cabinet:
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html

(unofficial translation into English for your reference)

"The Comparison with Chernobyl Accident"
April 15, 2011

The health influence of Chernobyl Accident was jointly published 20 years after the
accident (Note1) by eight international organizations including WHO and IAEA, and
three republic states which were affected. This year, which is the 25th anniversary
of the accident, UNSCEAR published the summary (Note 2). This statement compares
these publications from international organizations and the case of Fukushima Nuclear
Power Plant Accident.

1. People who were exposed to radiation inside the nuclear power plants
- In Chernobyl's case, 134 cases of acute radiation damage were confirmed, and 28
people died within three weeks. Since then to today, 19 people have died but the
relationship between their death and radiation exposure has not been confirmed.
- In Fukushima's case, there has been zero case of acute radiation damage among
workers at the nuclear power plant. (note 3).

2. People who participated in cleaning work after the incident:
- In Chernobyl's case, the radiation dose was the average of 100 millisievert for
240,000 workers, and there has not been influence on their health.
- In Fukushima's case, there has not been such worker yet.

3. Local residents around the nuclear power plants
- In Chernobyl's case, the radiation doses are calculated as more than 50
millisievert for 270,000 people in high polluted area, and about 10 to 20 millisievert for 5
million people in low polluted area. The influence on their health has not been
confirmed. The exception was thyroid cancer among infants. Among children who drank
unlimited amount of polluted milk, 6,000 children had operations, and 15 children
have died so far. These is no problem in case of Fukushima, because milk in Fukushima
follows the guideline of tentative standard of 300 becquerel/kg (100 for infants),
and milk more than 100 becquerel/kg is not distributed.

- The present radiation dose of local residents in Fukushima is under 20
millisievert, so effect of radiation will not occur.

As a general theory, IAEA says "In case of level 7 radiation leak, the risk of
stochastic effect (of getting cancer) can increase, and deterministic effect (physical
disorders) can happen in large area." However, when we concretely inspect
specifics, the result is as seen above. Thus, it is clear that the case of Fukuchima and the
case of Chernobyl are clearly different.

NAGATAKI Shigenobu
Emeritus Professor, Nagasaki University
(Former Director of the Radiation Effects Research Foundation; Chairman Emeritus of
the International Radiation Exposure Medical Association)

SASAKI Yasuhito
Director, Japan Radioisotope Association
(Previous Chairperson of the National Institute of Radiological Sciences)

The original reference are as follow:
Note 1: Health effect of the Chernobyl accident : an overview Fact sheet303 April
2006 (published in 2006)
http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs303/en/index.html

Note 2: United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation,
SOURCES AND EFFECTS OF IONIZING RADIATION UNSCEAR 2008 Report: Sources, Report to the
General Assembly Scientific Annexes VOLUME
Ⅱ Scientific Annex D HEALTH EFFECTS DUE TO RADIATION FROM THE CHERNOBYL ACCIDENT
Ⅶ. GENERAL CONCLUSIONS (Original title in 2008, published in 2011) P64 -
http://www.unscear.org/docs/reports/2008/11-80076_Report_2008_Annex_D.pdf

Note 3: Press release from the National Institute of Radiological Sciences,
"Workers of March 24th Radiation Exposure Consulted Radiation Experts" April 11, 2011
Original Japanese document available at
http://www.nirs.go.jp/data/pdf/110411.pdf
(the end of translation)


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明日に向けて(104)秋田につきました・・・

2011年05月10日 08時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110510 08:00)

みなさま。昨日午前10時に敦賀港を立ち、日本海をひたすら北東に
向かって、さきほど、朝6時に秋田港に上陸しました。
今、ネットカフェにはいって、東北の旅の第一信を書いています。

このコースを採ったのは、一人での長距離ドライブを避けることと、
福島の車での通過を避けるためでした。ところが敦賀原発で放射能
漏れがまさにこのときにおこってしまった。

その直後に僕は一路、北陸道を敦賀に向かい、しかもフェリー
ターミナルから、敦賀原発の真横を通って、日本海へと出て行ったの
でした。遠くにかすむように、もんじゅも見えていました・・・。

敦賀原発のトラブルには気づいており、不安を感じながらの敦賀行き
でしたが、途中で嫌な胸騒ぎがしました。後で放射能漏れを知り、本当に、
もはや日本の中に、安心なところなどないのだと実感しました。


さて気持ちを変えて、今回の東北の旅について書いてみたいと思います。

旅の発端は、京都OHANAプロジェクトによる、被災地への
自転車搬送支援にあります。その自転車の要請が、自動車に化けて
しまった。そうして僕が敦賀まで運転していって、フェリーに乗った。

そのプロジェクトから、第一回目の自転車配送を振り返っての
文章が出ていますので、ごらんください。なかなか示唆に富んでいると
僕は思います。アドレスは下記の通りです。
http://www.success-running.com/news/2011/kyoto_ohana_1st.pdf

実は今回の旅でも、このプロジェクトの次の可能性を探ることが一つの
課題になっています。端的に、どこに持っていくかを調査する。被災者に、
より合理的に、また平等に自転車を回してくださる方を探す。

これはなかなか難しいことでもあるので、アビスさんや渡辺さんと相談し、
三陸海岸沿いのいくつかのポイントを決められるといいなと思っています。
もちろんアビスさんたちにも配り手になっていただこうと思っています。


さて出発前夜の8日夜には、京都市出町柳のかぜのねに、山水人の面々
や「明日に向けて」を読んでくださっいる方たちが、それぞれに
たくさんの物資を持ってかけつけてくださいました。

僕の話と、討論会の後に、車のお披露目も兼ねて、近くの空き地で
物資の積み込みをしましたが、なんと奇跡のように、物資が
目いっぱい、車に載りました。誰かがあらかじめはかったみたい。

積み込んだのは、Nさんにいただいたタイヤ4本を筆頭に、アビスさん
から依頼があって、祖牛さんが買ってきた衣装ケース、ロクローさん
からのたくさんの化粧水や保湿剤。他の方からは軍手と電池などなど。

女性の方たちからは、紙ものが多かったようです。おむつや生理用品を
はじめ、いろいろなペーパー類など。なんだか老若男女が、それぞれに
必要なものを持ち寄った感じでした。おもしろい。

事前に荷物をキッチン・ハリーナという、京都市左京区の素敵な自然食
レストランに届けておいてくださった方もおられました。そのハリーナ
からも食べ物が。店で売っているアンデスの笛も3つももらってしまった。

たくさんの方から、配送費のカンパもいただきました。一人ずつ、記入
できなくて申し訳ありませんが、本当にありがとうございます。なんとか
無事に行って帰ってこれそうです。


さて今日は、こうして「明日に向けて」を発信する時間をとって後に、
昨夜のうちに秋田まで走ってきてくれたアビスさん。また、秋田から
気仙沼に物資を送り続けてきてくれたヤナティさんと合流します。

実は僕は秋田は初めての訪問。アビスさんもそうだそうで、ちょっと
秋田見学もしてきてしまおうと思います。物資配送の旅の途中ですが、
僕にとってこれは初めての土地と人々への礼のように思えるので。

夜は秋田大学で場所を設定してくれているそうです。資料もたくさん
印刷してきました。メインの資料は、滋賀県の絵本作家市居みかさん
作成の「まずは知らなきゃね」。くまさんによる原発の解説です!

これ、4月16日の大阪でのデモのときに、小学生の女の子に渡して
もらいました。僕の中では当日もらったチラシの中の超ベスト。
以来、かなりプリントして配っています。下記アドレスをご覧あれ!
https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=1n4BN-8yTV5-BqPLEixco6GMXyRBn1Hz1NF8pdV_ibNfW20AATCj_rShSINd8&hl=en

今宵は秋田のヤナティさんのところに身を寄せ、明日、みんなで車で
奥羽山脈を越えて、宮城県大崎市に向かいます。できればここでも
町の一番大事なところに赴きたいなあ。それで夜に話の場を持ちます。

翌日、いよいよ気仙沼に。ここにも礼を尽くさねば。津波により
亡くなられた方々に精いっぱいの鎮魂の思いを傾けてきます。被災地に
思いを寄せているみなさんの心を伝えてきます。

その後、陸前高田町、三陸町などを訪れ、できれば石巻のボランティア
テント村に訪れて、ボランティアに入っている方たちとも交流して
こようと思います。これも大切なことだと思っています。

それを終えたら15日に仙台に行きます。ここは僕は何度も訪れてきた
ところでいろいろな思いがあります。またブログに仙台から熱い
メッセージを寄せてくれる方があり、できればお会いできればと思います。

16日は宮城県角田市の農場で、交流の場を持つことになりました。場所は
下記の通りです。ともあれ現場の様子をしっかり聞いてこようと思います。
京都に帰るのは、17日の朝。午後の出町柳の集いに直行です!

再度になりますが、それぞれの交流の場所を貼り付けておきますので
来られる方はぜひお越しください。また近くにご友人のおられる方は
それぞれの企画のことを伝えていただけると嬉しいです・・・。

***********


「大地震・大津波・原発大災害の中を能動的に生きる(仮)」

       --------------------------------------------
5月10日(火)  
      場所 国立大学法人 秋田大学 
         教育文化学部3号館 1階 講義室150 
         〒010-8502 秋田市手形学園町 1番1号

      時間 18:30開場  19:00開演

      連絡お問合せ先: 柳田征一郎 
               090-3122-4448 
               snowgarden@live.jp


       --------------------------------------------
5月11日(水)  
      場所:宮城県大崎市中央公民館(音楽室)
         宮城県大崎市古川北町五丁目5番2号

      時間:17:30開場  18:00開演

      連絡お問合せ先:町嶋 光昭
              090-7796-0834
              indead-match@i.softbank.jp


       --------------------------------------------
5月13日(金)                
      場所:岩手県一ノ関市室根町折壁字上山1-7 庭先にて
      連絡お問合せ先:Abyss 菅野 敦
              0191-64-2520
     kannoabyss@sky.plala.or.jp
      
時間:昼ごろから  日暮前まで
         交流会を中心とした集い


       --------------------------------------------
5月15日(日) 
      場所:たぬき茶屋
         宮城県仙台市青葉区芋沢二尺木36-2うつくし森内

      時間:5月15日 14:00~16:00

      連絡お問合せ先:佐藤 充
              090-4014-7012
              tanuki.yui@gmail.com        --------------------------------------------

5月16日(月) 交流会
      場所:ピースファーム
          宮城県角田市島田字日向47

      時間:19:00~21:00

      連絡お問合せ先:ピースファーム
              090-6250-0832
              y8e9ca2c72p3q6v@softbank.ne.jp

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守田敏也(もりたとしや)1959年生まれ。京都市在住。
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、
現在フリーライターとして取材活動を続けながら、
社会的共通資本に関する研究を進めている。
ナラ枯れ問題に深く関わり、京都大文字山での害虫防除なども実施。
原子力政策に関しても独自の研究と批判活動を続けてきた。

ご自身でなされているブログ
「明日に向けて」
http:// blog.go o.ne.jp /tomorr ow_2011
http:// abc.pwk yoto.co m/
http:// www.suc cess-ru nning.c om/news /2011/0 3/post- 66.html


★☆★☆★☆★☆★☆ ★☆★☆★☆★☆★☆ ★☆★☆★☆★☆★☆


戦場のような、
または、ハリウットのセットのような被災地。
そして、原発事故後のクソッタレなこの国の対応。

次の世代にバトンを渡す前に、
しなければならない事が山積み。

この状況をあえて戦いと言うならば、
俺たちの武器は、愛とネットワーク。

次の世代のために、つながりましょう。

そんなネットワーク作りに、この講演会が役立てればと思います。

Abyss   菅野 敦
〒 029-1201
岩手県一関市室根町折壁字上山1-7
0191-64-2520

kannoabyss@sky.plala.or.jp
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明日に向けて(103)生活の周りに、溢れ出てきた放射能と闘おう・・・

2011年05月09日 02時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110509 02:30)

3月11日以降の福島原発事故で、数日間の間に、チェルノブイリ原発事故の
1割以上と言われる放射性物質があちこちに飛びだしました。
それは周辺の町々を高濃度に汚染しましたが、僕はそれがどのような形で
表面化してくるのか、不安でなりませんでしたが、このところ、広範囲に及んで
いる被害の実態を示す兆候が現れ出しています。


まさに、放射能は、私たちの周りにどんどん溢れだしてきています。
このことをしっかりと見据えなければならない。見据えて対処していく必要が
あります。子どもたちを、そしてまた私たち自身を守らなければならない。
そのために、何がどこでどのように溢れだしてきたのかを、逐一、おさえていく
必要があります。こうした観点から、この間のニュースを拾って、まとめてみました。


まず注目すべきは、放射能汚染は、福島県だけでなく、他県でも次々と
その兆候を表しだしているということです。
その一つを報じているのが、「群馬の牧草から規制値上回る放射性セシウム」
という読売新聞の記事です。(5月6日)

記事はこう述べています。
「牧草1キロ・グラムあたり、前橋市富士見町で750ベクレル、高崎市箕郷町で
530ベクレル、館林市で440ベクレルがそれぞれ検出された。」
汚染は前橋市や高崎市、館林市にも広がっています。


続いて母乳の調査が国によって行われました。朝日新聞はこう伝えています。
(4月30日)
「母乳は4月24、25日に採取。同県いわき市の女性の母乳から1キロ当たり
放射性ヨウ素3.5ベクレル、放射性セシウム2.4ベクレルが検出されたほか、
茨城県の5人と千葉市の1人から放射性ヨウ素2.2~8.0ベクレルが出た。」

注目すべきことは、4月24日、25日に採取された母乳から、なお、ヨウ素が
検出されていることです。これはヨウ素の半減期や、体内残存時間を
考えると、もともとの被ばくはかなりの量だったことが予測される大きな値で、
とても胸が痛いです。


さらに毎日新聞は次のような記事を載せています(5月3日)
「東京電力は3日、福島第1原発から約15~20キロ離れた海底2地点の土
から放射性物質が検出されたと発表した。海底土壌の汚染が明らかになった
のは初めて。」

とうとう海底土壌からも、「初めて」、放射能が検出されてしまいました。

記事は続けます。
「海底土壌の汚染に規制値はないが、いずれも通常時の100~1000倍
以上の値だという。東電は海洋生物への影響について「魚介類の継続的な
監視を進めて評価したい」とした。」

海底土壌の汚染に規制値がないのは、これまでそんなことは考えられも
しなかったからです。そこに通常時の100~1000倍もの汚染が起こっている。
さすがの東電も、「にわかに被害はない」とは言わずに「魚介類の継続的な
監視を進めて評価したい」と述べている。
もはや東電すら「にわかに・・・」とは言えなくなりつつある点、深刻さが象徴
されているようにも思えます。


6日には、読売新聞に次のような記事が載りました。
「東京電力は5日、福島第一原子力発電所の防波堤内の海底で採取した
土から、1キロ・グラム当たり8万7000ベクレルの放射性セシウム137を
検出したと発表した。
 事故前に同じ場所で行った環境調査に比べ約3万8000倍の濃度にあたる。」

防波堤内とはいえ、今度は3万8千倍です。ともあれ、海の汚染は本当に
深刻です。

そして8日、今度はストロンチウムが出てきたことが読売新聞によって
報じられました。
「東京電力は8日、福島第一原発敷地内3か所の土壌と、同原発と福島第二
原発の沖合4か所の海水から、放射性物質のストロンチウム89、90を検出した
と発表した。 」

これまで東電や保安院、政府は、放射性ヨウ素やセシウムのことばかり
発表していて、この二つに次いで、放射能漏れ事故のとき出てきやすいこの
ストロンチウムのことに触れてきませんでした。わずかに4月12に検出が
報告されただけでした。

ところがこれが敷地内と沖合の海水から出て来ている。これはストロンチウムが
もっと広範な被ばくを生み出している可能性を強く示唆するもので
ストロンチウムが体内に入ってくると、私たちの身体は、それをカルシウムと
勘違いして取りこんでしまう。だから怖い物質です。それが検出され
出している・・・。


一方で読売新聞は、5月3日に、郡山市にある県中浄化センターの汚泥から
放射能が検出された問題で、汚染された汚泥が、セメント材として、すでに
群馬県内に出荷されていたことを報じています。

これはショッキングな記事です。放射性物質が、このようにして、人為的に
運ばれてしまう可ことがあることが表面化したからです。出荷先は
栃木、群馬、茨城県だという。


そして本日9日、午前1時に、朝日新聞が、次のような記事をアップしました。
「福島県郡山市の下水処理施設の下水汚泥などから高濃度の放射性セシウム
が検出された問題で、県は8日、福島市の施設の汚泥からも、より高濃度の
放射性セシウムが検出されたと発表した。県内の19施設を調査した結果、
18施設で検出。原発事故の影響が県内の広範囲に及んでいる可能性を
うかがわせる。」

かなり深刻です。残念なことに、記事は現れてきた放射能の量を書いてない
のですが、それでもここには郡山市のものより、高濃度のものが出て来て
いると書かれている。

そもそも郡山市の県中浄化センターから出てきた放射能の量は、
あの海洋投棄されて国際問題になった「低レベル放射能汚染水」の総量の
約三分の二という莫大なものでした。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/5f22cfa08625392a8a5cda6900c13449

これは誰も指摘しなかったことですが、今回は、その時よりももっと濃度が
濃いという。だったら量を発表しなさいと、福島県に詰めよりたくなりますが、
そんな形での検出が、県内19か所の施設のうち、18か所で起こっている。

これを読んですぐに思うのは、これは18か所の施設は除染が必要なのでは
ないかということです。県中浄化センターもそう。浄化センターも除染する
必要がある。しかしそうなると、そこにいたる水や汚泥の経路はどうなるので
しょうか。一体、何をどこまで除染しなければならないのか。

・・・もはや私たちは、こうしたことをあいまいにしてはいけない。いわんや次々と
溢れてくる放射能を前に、けして無力感に捕らわれてはいけない。一つ一つの
データをきちんと明らかにした上で、断固として、除染に取り組むべきです。
能動的に立ち向かわないと、とても身を守ることなどできません。


このように、注意して記事を拾い上げて行くと、わたしたちが今、だんだんど
放射能に取り囲まれていっていることが分かります。それさまざまな形で
福島県境を越えて、周辺に広がりだしています。

当たり前の話ですが、放射能汚染に県境はないし、国境もありません。
福島原発から漏れ出した膨大な放射能は、まさにさまざまな形で私たちの
生活圏に出て来ています。だから汚染は福島だけのことはありません。
これは私たち、みんなを襲いだしているのです。

だから今、これと闘わなくてはいけない。闘って、命を守っていく必要があります。
まさにそのために僕は、ますます多くの人々に、放射線被ばくからの防御を
固めることを訴えたいです。


みなさん。真剣に、一生懸命に、命への愛を燃やしながら、放射能汚染の
拡大と闘いましょう!

*************************

群馬の牧草から規制値上回る放射性セシウム

2011年5月6日13時11分 読売新聞
 群馬県は6日、乳用牛と肉用牛の牧草に含まれる放射性物質について検査
した結果、採取した6か所のうち3か所で農林水産省の暫定規制値を上回る
放射性セシウムが検出されたと発表した。

 牧草1キロ・グラムあたり、前橋市富士見町で750ベクレル、高崎市箕郷町で
530ベクレル、館林市で440ベクレルがそれぞれ検出された。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110506-OYT1T00386.htm

*****

母乳から微量の放射性物質 福島など在住、健康影響なし

2011年4月30日19時0分 朝日新聞
 厚生労働省は30日、福島県や関東地方に住む女性23人から提供された
母乳について放射性物質の調査をしたところ、7人から微量が検出された
発表した。厚労省の担当者は「調査結果は不検出か微量の検出であり、
母乳を与えても乳児の健康に影響はないと考えられる」としている。

 厚労省によると調べた母乳は4月24、25日に採取。同県いわき市の
女性の母乳から1キロ当たり放射性ヨウ素3.5ベクレル、放射性セシウム
2.4ベクレルが検出されたほか、茨城県の5人と千葉市の1人から放射性
ヨウ素2.2~8.0ベクレルが出た。

 残り16人(福島県3人、茨城県4人、千葉県1人、埼玉県1人、東京都7人)の
母乳からは、検出されなかったという。

 母乳には国の基準がないため、厚労省は、飲料水の暫定基準の放射性ヨウ素
100ベクレル(乳児)、放射性セシウム200ベクレルを参考に評価した。

 調査の対象者は、食品の出荷停止や水道水の飲用を控えるよう求められた
地域に住んでいる授乳中の女性ら。日本産科婦人科学会などを通じて協力を
求めたという。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104300238.html

*****

福島第1原発:海底2地点から放射性物質検出

2011年5月3日 20時54分 毎日新聞 
 東京電力は3日、福島第1原発から約15~20キロ離れた海底2地点の土
から放射性物質が検出されたと発表した。海底土壌の汚染が明らかになった
のは初めて。東電は同原発から大気中に放出された放射性物質が海底まで
沈んだか、海洋に流出した汚染水が拡散する過程で海底に蓄積したとみている。

 事故に伴う海洋汚染を受け、東電は先月29日に同原発の北約15キロの
福島県南相馬市沖3キロの海底(深さ20~30メートル)の土を採取。1キロ
グラム当たりの放射性物質の濃度は、ヨウ素131が190ベクレル▽セシウム
134が1300ベクレル▽セシウム137が1400ベクレルだった。同原発から
約20キロ南の海岸沖3キロの海底土も同程度の濃度だった。

 海底土壌の汚染に規制値はないが、いずれも通常時の100~1000倍
以上の値だという。東電は海洋生物への影響について「魚介類の継続的な
監視を進めて評価したい」とした。【八田浩輔、久野華代】
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/archive/news/2011/05/20110504k0000m040102000c.html

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1号機近くの海底土砂から高濃度放射性セシウム

2011年5月6日11時14分 読売新聞
 東京電力は5日、福島第一原子力発電所の防波堤内の海底で採取した
土から、1キロ・グラム当たり8万7000ベクレルの放射性セシウム137を
検出したと発表した。

 事故前に同じ場所で行った環境調査に比べ約3万8000倍の濃度にあたる。

 土は1号機北側の岸壁から東約30メートルの海底で4月29日に採取された。
セシウム137以外にも、事故前は検出しなかった放射性のヨウ素131が
同5万2000ベクレル、セシウム134が同9万ベクレル検出された。

 これらの濃度は、事故で放射性物質が飛び散った同原発敷地内の土壌に
比べ、5分の1以下のレベル。東電は「高濃度の放射能汚染水が流れ込んだか、
大気中の放射性物質が落ち、海底に沈殿した可能性がある」としている。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110505-OYT1T00619.htm

*****

原発敷地内土壌と沖合の海水からストロンチウム

2011年5月8日23時17分 読売新聞
 東京電力は8日、福島第一原発敷地内3か所の土壌と、同原発と福島第二
原発の沖合4か所の海水から、放射性物質のストロンチウム89、90を検出した
と発表した。

 特に土壌2か所から見つかった、骨に沈着するストロンチウム90は、冷戦
時代に実施された核実験の後に、日本で観測された濃度の約100倍に上り、
東電は今回の原発事故で放出されたものとしている。一方、第一原発の放水
口付近などから採取した海水に含まれていたストロンチウム90は、国が定める
濃度基準の最大でも3割程度だった。採取日はいずれも4月18日。

 文部科学省は4月12日、福島県飯舘村など6市町村の土壌などから微量の
ストロンチウム90が検出されたと発表している。

 ストロンチウム90は、カルシウムと似た性質を持ち、体内に取り込まれると
骨に沈着するため、毒性の高い放射性物質の一つとされる。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110508-OYT1T00509.htm

*****

放射性物質含む汚泥、セメント材に使用

2011年5月3日23時06分 読売新聞
 福島県郡山市の県中浄化センターの汚泥から高濃度の放射性物質が検出
された問題で、汚泥がセメント材として栃木県内などに出荷されていたことが
3日、わかった。

 住友大阪セメント(東京)によると、汚泥は栃木県佐野市の栃木工場で
セメント原料として再利用されていた。同工場でのセメントの生産・出荷を中止した。

 福島第一原発事故後に使った汚泥は928トンに上り、栃木をはじめ群馬、
茨城県などに出荷していた。

 汚泥から放射性セシウムが1キロ・グラムあたり2万6400ベクレル検出
されている。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110503-OYT1T00636.htm

*****

汚泥の高濃度セシウム 福島市の下水処理施設からも

2011年5月9日0時58分 朝日新聞
 福島県郡山市の下水処理施設の下水汚泥などから高濃度の放射性セシウム
が検出された問題で、県は8日、福島市の施設の汚泥からも、より高濃度の
放射性セシウムが検出されたと発表した。県内の19施設を調査した結果、
18施設で検出。原発事故の影響が県内の広範囲に及んでいる可能性を
うかがわせる。

 県は、汚泥の搬出先について追跡調査する。また、国は下水汚泥の放射性
物質の処理基準を策定中で、基準がまとまり次第、県は処理方法を決める。
県内の下水処理施設は汚泥などの搬出を休止しており、基準策定が遅れると
下水処理が滞る恐れがある。

 郡山市の県中浄化センターでは4月30日の調査で、汚泥から1キロあたり
2万6400ベクレルの放射性セシウムを検出。その後、19施設を調査した結果、
福島市の堀河町終末処理場の汚泥から同44万6千ベクレルの放射性セシウム
が検出された。郡山市の別の施設でも汚泥から高い値を検出。いわき市の
施設では、原発事故前は検出されなかった汚泥の燃え殻から3万5700
ベクレルを検出した。

 堀河町終末処理場の汚泥が高濃度になったことについて、県は「下水に対して
雨水の割合が高い処理場で、広い範囲の土壌から放射性物質が流れ込んだ」
とみている。

 同処理場を管理する福島市によると、郡山市の施設の問題が明らかになった
後は脱水処理や搬出を休止し、汚泥は敷地内でコンテナに保管しているという。
福島市は「処理をしなければ今月20日ごろまでに満杯になり、汚泥が河川に
流出してしまう」としている。
http://www.asahi.com/national/update/0508/TKY201105080250.html


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明日に向けて(102)【注意】1号機から8日午後に放射性物質放出の可能性

2011年05月08日 01時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110508 01:00)

みなさま。8日午後に、1号機からの放射性物質放出の可能性が示唆されて
います。特に近くの方は注意が必要です。

毎日新聞の報道では「微量」とされていますが、事前に周辺市町村に通知が
なされるとされています。

とり急ぎ、ニュースを転載します。

******************************

1号機、8日午後にも放射性物質放出の可能性

2011年5月7日22時26分 読売新聞
 東京電力は7日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋内から8日
午後にも、放射性物質が外部へ放出される可能性があると発表した。

 原子炉建屋内で人が本格的な作業を始めるのに先立ち、原子炉建屋の
二重扉を開放するため。東電は発電所周辺の放射線量の監視を強化する。

 東電によると、タービン建屋との間にあるこの二重扉を利用して敷設した
配管で、原子炉建屋内の空気をタービン建屋側に設置した浄化装置に
引き込み、浮遊する放射性物質を除去している。二重扉はタービン建屋側に
作った小部屋で覆っているため、両方の建屋は事実上は仕切られていた。

 しかし、5日に始めた浄化で原子炉建屋内の放射性物質濃度が下がり、
作業を本格化させるめどがついた。そのため、東電は8日午後にも小部屋を
取り払い、扉を開放することを決めた。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110507-OYT1T00628.htm?from=top

福島第1原発:1号機建屋より放射性物質放出へ ごく微量

2011年5月7日 23時41分(最終更新 5月7日 23時42分)毎日新聞
 東京電力は8日にも、福島第1原発1号機原子炉建屋内の放射線量低下を
確認したうえで、二重扉を開放して建屋内の作業に入る。その際、放射性物質
が大気中に放出される見通しだが、経済産業省原子力安全・保安院は「周辺
環境にはほとんど影響がないほど微量」としている。東電は先月、低レベルの
放射性汚染水を周辺自治体に通報せずに放出して批判を受けたため、第1、
第2原発の地元4町のほか周辺9市町村にも方針を説明。開放時間が
決まれば「できるだけ早く」(東電)事前通報する方針だ。

 東電や保安院によると、8日午後にも、原子炉建屋内で圧力容器の水位計の
修正や原子炉内を継続的に冷却する設備を設置するために、タービン建屋と
つながる二重扉を開放する。その際、建屋内の空気に対流が起き、水素爆発で
吹き飛んだ屋根のすき間から放射性物質が外に漏れ出すとみている。ただし、
東電の見積もりでは同原発敷地の境界付近の1年間の放射線量は
0.0056ミリシーベルトと「微量」だという。

 先月4日に低レベル汚染水を海へ放出した際に、東電は放出開始約30分前に
第1、第2原発がある福島県と地元4町へ事前通報したが、経産省以外の
省庁や他の周辺自治体などは「事前通報がなかった」として反発した。原子力
災害特別措置法では、周辺自治体への通報について明確な対象範囲の
記載はない。

 保安院は先月5日、今後放射性物質を放出する場合、環境に影響を与える
可能性がある全自治体に事前通報するよう東電に指示。事故対策統合本部
事務局長の細野豪志・首相補佐官も「今回は失敗は許されない」と、通報の
徹底を要請した。保安院の西山英彦審議官は7日「今回はしっかりやりたい」と
述べた。【日野行介、足立旬子、藤野基文】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110508k0000m040121000c.html
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