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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(106) 秋田より・・・東北の旅第2信

2011年05月11日 11時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110510 10:00)

みなさま。僕もツイッターをはじめました。@toshikyotoです。
いつも案内が送れるので、はじめに書いておきます・・・。

さて秋田からの第2信をお届けします。

昨日秋田に上陸してから、あらかじめ調べていたネットカフェに向かい、
そこから「明日に向けて」を発信したのちに、ついにアビスさんたちと
合流しました。アビスさんの他、秋田の受入れの中心を担ってくださる
ヤナティさん、明るい青年のマロ君も合流して下さった。

市内の象徴的なところを見たいとの僕の願いで、久保田城(秋田市
千秋公園)に連れて行ってもらいました。久保田城主佐竹氏の居城で
江戸時代には「秋田城」とも呼ばれましたが、古代、奈良時代から平安
時代に東北平定にために作られたものとは別のお城です。

どの土地でもそうですが、秋田にも深い歴史があります。まず久保田城
について言うと、幕末の動乱の中で、この城と久保田藩は、東北諸藩の
集中攻撃を受ける立場にありました。東北でほとんど唯一、勤皇を
貫き、維新政府に味方したからです。

東北のことを知る時に重要なのは、この地が、明治維新のときに、維新
政府に攻撃され、平定される側にあったということです。反対に言えば
そこから何百年かさかのぼると、この地の多くの藩は、関ヶ原の乱で
東軍側に立ち、後の徳川幕藩体制を支える位置にありました。

このため幕末の動乱でも多くの藩は、幕府の側に立ちました。その先頭に
たったのが言うまでもなく会津藩でした。会津藩は配下に新撰組を
抱え、京都守護職の要職を引き受けた。そのためとくに長州の恨みをかい
戊辰戦争で過酷な攻撃を受けました。

このとき東北の諸般は、奥羽列藩同盟を作って、会津を支えようとしました。
ところが久保田藩は事情が違った。勤皇派の活動が活発だったためでした。
そのため久保田藩は、維新政府の側につき、他藩の攻撃を受けることに
なったのです。戦火は久保田城の寸前にまで及びました・・・。


さて「秋田城」の歴史を見る時には、さらに大きく歴史をさかのぼる必要が
あります。古代、この地は、近畿を中心に形成され、やがて「日本」として
自らを形成する政権にとっての勢力範囲の及ぶぎりぎりのところにありま
した。その先はアイヌ民族につらなる人々の聖地でした。

当時の名で言えば、蝦夷(えみし)になります。それに対して、奈良や京都から
繰り返し討伐軍が送り込まれ、その拠点として形成されたのが、古代の
秋田城でした。しかし秋田城はたびたび、蝦夷によって奪われ、争奪戦が
繰り広げられた。

・・・そんな話をしていると俄然、アビスさんが乗ってきました。岩手出身の
アビスさんは古代の蝦夷の闘いへの思いが深い。とくにアビスさんがよく
知っているのは、主に現在の岩手県で活躍した、アテルイとモレのことでした。
彼らも京の都から送り込まれた平定軍を何度も敗走させた。

やがてこの夷的をやっつける将軍としておくりこまれたのが、坂上田村麻呂
でした。かれは征夷大将軍と呼ばれた。この名は幕末まで引き継がれるもの
となった名前です。やがて坂上田村麻呂は、アテルイとモレと和議を結び
あるいは降伏させて京都に連れて行く。

このとき田村麻呂は、彼らに朝廷に東北の独立を進言させようとしたという
解釈があります。しかし朝廷はまったく東北の人々の願いを受け入れず、
アテルイとモレは処刑されてしまいます。それらを契機に、東北の平定が
進んでいったのです。

奥羽山脈をはさんで、秋田城での攻防戦と、岩手側のアテルイ・モレたちの
闘いがどのような連携を持っていたのか、あるいは持っていなかったのか、
よくは分かりません。ただいずれにせよ、ここでは平定作戦が行われ、その
のちに「日本」ができあがってきたことを私たちは知っておく必要があります。

さらに明治維新でもまた、東北は平定の対象になった。その中で久保田藩は
維新政府の側についたわけですが、このため、後に明治維新政府や、その後の
政権が行った戦争では、常に東北の人々が、もっとも過酷な戦場に送り込まれる
構造も生まれました。天皇政権に忠誠をつくすことが問われたのです。

そんな話をしていると、アビスさんがこう言いました。自分は関西にも住んだことが
あるし、岩手にも住んでいるわけだけれど、行政と人の関係の違いを感じる。
どうも西日本では行政に対して人々が対等な感じがするけれど、東日本では
行政が高圧的で上から目線で接してくるように思う・・・。

これがどこまで正確な洞察なのか、今の僕には確かめるすべがありませんが、
さまざまな土地を見てきたアビスさんの感覚は、かなり的確にそれぞれの土地の
特徴を見通すものがあるように思えます。これらのことを頭に入れながら、
さらにいろいろな土地をみていきたいと思います。


さて、歴史の洞察を終えて、その後のお話をしましょう。久保田城の見学を
終えてから、僕らがいったのは、「あきこうまえ茶屋」です。秋田工高前にある
「駄菓子軽食屋」さんとのことなのですが、何とも不思議な空間です。45年間、
5代の方が運営を引き継いできた・・・。

現在の店主さんは、土井卓さん(32歳)。広島出身で、各地を旅をしながら
この地にたどりつき、前の店主さんにお店を託されました。このお店には
秋田工高の高校生たちが次々と訪れてくる。駄菓子屋なので、子どもたちも
遊びに来る。そうすると高校生たちと子どもたちが遊びだす。

土井さんは「ここにはこれからの進路を考える若者たちが、3年間も通って
くれます。その高校生たちがここでは子どもたちと接することができます。
大人たちもここにやってくる。普段は接することのないいろいろな世代が
ここで交流できるのです。そこに僕は可能性を感じました」と語ります。

「高校生たちは、未来を見通す力は弱いけれど、その分、今を生き抜く力は
すごいんです。3年間の中のたった1回の大会にすべての力を注いだりする。
その力を大人の人に知って欲しい。またその大人の方たちの笑っている姿が
また若い子たちの力になるんです。そんなふれあいがここにはあります」とも。

「若い人だけでなく、おばあちゃんたちも来るんです。すべての世代がやって
きます。今日のように旅をしている人もよってくれます。いろいろなイベントを
したり、ここから高校生たちと被災地にボランティアにも行っています」と
土井さんの説明は生き生きと続きます。

この場所の雰囲気はとてもこれ以上、文字では伝えられません。とにかく
駄菓子屋さんで軽食屋さんで、カフェで、子どもと大人が集っていて、その上、
古着が売られ、楽器が集められていて、マンガが並んでいます。これ以上、
知りたい方は、ぜひご自分で訪れてください!


さてここでゆったりとした時間を過ごしていると、だんだんと今日のスタッフに
なってくれるヤナティさんのお仲間たちが集まってきました。みなさん、音楽系
の方たちなので、次々にスピーカーや機材も集まってくる。講演会に大きな
スピーカー?僕にはちょっと驚きです。

やがて時間になって、今日の講演と交流の場である秋田大学に赴きました。
会場につくと、てきぱきとセッティングが始まる。黒板の前に大きなスピーカー
二つが設置され、マイクもスタンドつきでおかれます。コンサートみたい。
プロジェクターやらの設置も実にスムーズ。

そうこうしているうちに参加者が集まってきました。急きょの呼びかけだったし、
岩手からきたアビスさんにもぜんぜん数は読めなかったそうなのですが、
思ったよりたくさん集まってくださって、最終的には40人近くになりました。
20人ぐらいはと思っていたので驚きましたとアビスさん。

講演会の前に、東京渋谷でもデモの映像を流し、やがて僕の話をはじめ
させていただきました。僕は簡単な自己紹介の後に、原発の今の状況、
放射線被ばくからいかに身を守るか、脱原発の方向性について、話を
させてもらいました。

その後、質疑応答と意見交換に移りましたが、みなさん、実に活発に
意見と質問をだしてくださる。次々といろいろな意見が飛び出す。
例えば「デモをやって意味があるのだろうか。それで何かが変わるのだろうか」
という切実な質問が飛び出してきました。

僕は「流れが変わりつつあるのではないか。菅首相が浜岡原発の停止要請を
出したのも、僕はデモの力だと思う」と答えました。すると質問した方は大きく
首を立てにふってくださった。この方だけでなく、多くの方が、共感のサインを
それぞれに示して下さいました。

そうこうしているうちに、だんだん質問よりも意見が多くなってくる。原発を
止めるためにこんなことがいいのではないか、あんなことがいいのではないかと
面白い意見が続きました。アビスさんも黙ってられなくて?次々と発言。
今、すべてを紹介できませんが、討論には講演の倍の時間が費やされました。

いい場ができた!と僕はそう思いました。僕はちょっとだけ火をつけただけで
みなさんがそれぞれに温めてきた思いがバッと出てきた感じでした。そして
その中で、秋田での初めてのデモをしようという話もでてきました。僕からは
6月11日、12日の全国一斉行動のときに歩いてはとアドバイスしました。

また今回、僕は自然エネルギーの考え方を伝えるために、友人の古谷桂信さんが
編集してくださった岩波ブックレット『地域の力で自然エネルギー』を持ってきて
いるのですが、机に出していた5部があっという間に売れ切れ、さらにつぎたした
2部もすぐに売れてしまいました。嬉しい悲鳴でした・・・。

とまあ、秋田の交流会は大盛況のうちに終えることができました。新しい
出会いに感謝するばかりです。とくにヤナティさんに大感謝です。
今日はこれから車で奥羽山脈を越えて宮城県に入り、大崎市を目指します。
あたらしい出会いに期待を膨らませつつハンドルを握ります。


補記
昨夜は、「あきこうまえ茶屋」の2階に泊めていただきました。アビスさんと
2人でした。実はアビスさんも僕も、311以降、かなり睡眠時間が減っている
ことが分かりました。3,4時間寝るとパッと目が覚めてしまう。すると何か
やることがあって、そのまま一日起きていてしまうとアビスさん。

僕も同じなのです。多分、これは「コンバットハイ」なのですね。原発に
何か起こってはと、常に神経をとがらせてきたためでもある。同じような
感覚をアビスさんも持っていると聞いて、どこかでホッとするところがあり
ました。

そんな話をしたせいもあったのか、昨夜はひさしぶりに長く、ゆっくりと
寝ることができました。あるいは「あきこうまえ茶屋」の不思議な力なの
かもしれません。ここに素敵なオーラを漂わせてくれている、店主の
土井さんと、高校生たちに感謝です!

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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旅やねえ (あんず)
2011-05-12 16:26:24
わあ いいですね!

あきこうまえ茶屋 いきたいなあ

パワーアップした守田さんを
京都で待っています!
返信する
パワーアップしちゃいます! (守田敏也)
2011-05-13 09:36:19
杏さん。コメントありがとうございます。

あきこうまえ茶屋、本当にいいです!

たくさんの出会いに恵まれて、必然的にパワーアップしてしまいそうです。まだまだ多くの方と出会ってから帰りますね!
返信する

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