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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(101) 気仙沼からの便り・・・番外編

2011年05月08日 00時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110508 00:30)


みなさま。今日も東京で4千人の脱原発デモが行われました。
以下、動画が見れます。
http://www.47news.jp/movie/general_national/post_3649/
サウンドデモが映ってます。いいですねえ!


さて、これまでもお伝えしてきたように、9日から秋田に向かい、宮城県
大崎市を通って気仙沼に行きます。
ここで車をお渡しし、近くの被災地にも訪れた後に、仙台に行き、
可能であれば福島近郊にも訪れて帰ってきます。

明日8日の夜7時から、再び、京都市出町柳の「かぜのね」で、福島原発事故
に関するお話をしますが、そのときに、物資も集めて頂きます。そこに
Nさんからお譲りいただいた車を持ってきて、かぜのねに集まった
みなさんにもお見せし、物資を積もうと思います。

この数日、気仙沼の方で車の任意保険の手続きなども進めてもらいました。
またアビスさんが、講演会などセットしてくれました。

今回の気仙沼からの便りは、この一連の動きを紹介してくださったものです。
僕が書いた経緯も中に入っています。
一部重複になりますが、これもお知らせしておきます。


なおアビスさんの便りの冒頭に、山水人の説明があり、滋賀県朽木村の
ことが書いてありますが、ここは僕もよく通っている、芦生の森という
原生極相林の入り口にあたるところです。

原生極相林というのは、歴史をたどると人の手が入ったことがあるので、原生林
とは言えないのだけれど、その後、何百年も自然状態におかれ、原生状態に
戻っている森林のことを指します。

ここには樹齢1000年を越す、芦生杉の大木や、ブナ林、土地林などが
見事に茂っていて、僕にとっても聖地のようなところです。

山水人の方たちは、そこに毎年集ってきたわけで、何だかもともと
すぐそばにいた人たちなのだという感覚が僕にはあります。

この芦生の森のこと、またそこにナラ枯れという現象が迫っていることを
書いた僕の論稿を、今回、原発事故に関する記事を、アップし続けて来て
くれた「サクセスランニング」さんが、PDFで紹介してくれていますので、
これもお知らせしておきます。
http://www.success-running.com/news/naragaresekai.pdf

原発事故のことと、直接のつながりはありませんが、僕の中で、山と森を
守ろうとしてきた活動と、今の行動は、その奥底で深く結びついています。
その意味で僕もまた、山・水・人の一員だと勝手に思っています。

・・・山のこと、森のこと、ナラ枯れのことも、
いつかまたここに書きますね。


********************

気仙沼のアビスさんから
5月7日 午前2時30分


滋賀県の朽木村というところで、
秋に、山水人(やまうと)と、言うまつりがあり、
そこを中心とするメーリングリスト(以降、ML)で、
守田 敏也さんという方と、知り合うことになりました。

その方のプロフィールをここに載せます。

守田敏也(もりたとしや)1959年生まれ。京都市在住。
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、
現在フリーライターとして取材活動を続けながら、
社会的共通資本に関する研究を進めている。
ナラ枯れ問題に深く関わり、京都大文字山での害虫防除なども実施。
原子力政策に関しても独自の研究と批判活動を続けてきた。

山水人のMLからのご縁で、
俺がやっている支援活動の会計報告のため立ち上げたML
「HIBAKU原人村」にも、
参加をしてもらい、以来、ご自身でなされているブログ
「明日に向けて」
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
http://abc.pwkyoto.com/
http://www.success-running.com/news/2011/03/post-66.html

の記事を、おれのML「HIBAKU原人村」にも、随時転送してくれてます。
おかげさんで、HIBAKU原人村も、読み応えたっぷりなMLとなっています。

今回、守田さんの紹介をさせていただく背景を、守田さんのブログから
抜粋、転送させて頂きます。

********************************************************

[ 明日に向けて(96) 京都から気仙沼へ 車を届けてきます!]

守田です。(20110505 09:00)

今回は、京都から気仙沼に車を送る話をします。

この話の発端は、被災地に自転車を送ろうという
京都OHANAプロジェクトにありました。
プロジェクトを進めている森さんから、ある日、僕に電話が。
「話はだいぶ進んだのですが、自転車を置く場所がないんです。
どこか心当たりはありませんか?」

それで僕は京都大学の岡真理さんに電話。
岡さん、当初は、
「大学は新学期が一番混雑していて、難しいと思う」と話されたのですが、
後になって
「私の研究室の近くならなんとかなるかも」と電話してきてくれました。

結局、そこを自転車の集積地に使う事が出来たのて、
被災地に116台の自転車が送れた。

そのとき岡さんは、自転車募集の呼びかけも送ってくださいました。
それが京都市弁護士会の方々の間にも流れた・・・(ということですよね?)
そうしたらなんと、「自転車だけでなく、自動車もいるのでは?」
という話が返ってきたのです。

それが僕に伝わり、仲介して下さった弁護士さん経由でNさんという方と
コンタクトができました。

Nさんは精密機械のメーカーの社長さんですが、ランドローバーという
イギリスの4駆自動車をお持ちでした。
しかし最近は乗っていなかったし、被災地でどんな車でも必要と
言われているのを見て、なんとか送れないかと思われていたそうです。

そんなときにこの話がつながった。
それで僕が、気仙沼からの便りをみんなお送りしたところ、
「まさにこういうところで使って欲しかった」というお答えが
返ってきました。

アビスさんにもこういう車が必要ですかと連絡したら、
「是非、是非、お願いします、是非」と答えが返ってきた。
それでありがたく車をいただき、気仙沼に届けることにしました。

アビスさんサイドでも使い道をあれこれ考えて、
これまでも便りの中に出てきた
渡辺さんを中心に使っていただくことになりました。


そうなったらもう、僕が持っていくしかない。
一度は気仙沼へと思っていたので、渡りに船、いや車だと考えて、
僕が乗っていくことにしました。

それでNさん宅を訪問し、車を見て、車検証などをいただいてきましたが、
なんとこの車、車検が切れていたので、わざわざ整備をして車検を通して
いただいたばかりであることが分かりました。経費もカンパしていただいた
ことになります。

しかも今はスノータイヤを履いているので、
ノーマルタイヤ4本も付けてくださるといいます。
その上に、なんと、配送費にと2万円のカンパまでしていただいてしまった。
もういたれり、つくせりです。
お名前を紹介したいといったら、「京都のNでいいです」とのこと。
Nさん、本当に、何から何までありがとうございます!


さてそれで、連休明けに東北に向かう事にしました。
フェリーで秋田に入ります。
そうしたら、アビスさん、向こうで講演会などをセットしてくれるという。
ありがたい!
それで、今のところ、秋田、気仙沼、仙台、大崎あたりで
話の場を設けようということになりました。


また現地との折り合いがつけば、大槌町にも訪れたいと思っています。

出発は9日。10日には秋田につく予定。
前日の8日に再び「かぜのね」で
お話をさせていただき、そのときに物資も集めて積んでいく予定です。
みなさま、ご協力をよろしくお願いいたします

なお、守田さんが気仙沼に自動車を持って行っていただく経費は、
山水人の義援金から出すことにいたします。
8日の集まりでも義援金を募りたいと思います。
どうぞうぞよろしくお願いいたします。

◎義援金の振込先

★郵便局からのお振込み…
【ゆうちょ銀行】口座名/ヤマウト
 記号一番号/14460-3267501

★他の金融機関からのお振込み…
【ゆうちょ銀行】口座名/ヤマウト
(店名)四四八(ヨンヨンハチ)
(店番)448 [普通預金]口座番号/0326750

*************************************************

と、ここで、しっかりと、ちゃっかりと、義援金の振込先まで、
お伝えさせていただきます。

今にして思うと、気がついたらこう言う事になっていた。って、
感じなのです。

という訳で、告知です。

守田 敏也さんの 講演会をします。

★☆★☆★☆★☆★☆ ★☆★☆★☆★☆★☆ ★☆★☆★☆★☆★☆

「大地震・大津波・原発大災害の中を能動的に生きる(仮)」

       --------------------------------------------
5月10日(火)  
      場所 国立大学法人 秋田大学 
         教育文化学部3号館 1階 講義室150 
         〒010-8502 秋田市手形学園町 1番1号

      時間 18:30開場  19:00開演

      連絡お問合せ先: 柳田征一郎 
               090-3122-4448 
               snowgarden@live.jp

       --------------------------------------------
5月11日(水)  
      場所:宮城県大崎市中央公民館(音楽室)
         宮城県大崎市古川北町五丁目5番2号

      時間:17:30開場  18:00開演

      連絡お問合せ先:町嶋 光昭
              090-7796-0834
              indead-match@i.softbank.jp

       --------------------------------------------
5月13日(金)                
      場所:岩手県一ノ関市室根町折壁字上山1-7 庭先にて
      連絡お問合せ先:Abyss 菅野 敦
              0191-64-2520
     kannoabyss@sky.plala.or.jp
      
時間:昼ごろから  日暮前まで
         交流会を中心とした集い

       --------------------------------------------
5月15日(日) 
      場所:たぬき茶屋
         宮城県仙台市青葉区芋沢二尺木36-2うつくし森内

      時間:5月15日 14:00~16:00

      連絡お問合せ先:佐藤 充
              090-4014-7012
              tanuki.yui@gmail.com

   ------------  ----------------  ----------------

すべての会場において
入場無料とさせて頂きます。 

よろしければ、カンパを、お願いします。

カンパで集まったお金は、
守田さんの経費、会場経費とさせて頂きます。

それ以上集まったお金は、
今回の震災の義援金とさせて頂きます。

★☆★☆★☆★☆★☆ ★☆★☆★☆★☆★☆ ★☆★☆★☆★☆★☆

という事になりました。
よろしくおねがいします。
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明日に向けて(100) 浜岡に停止要請・・・脱原発第一歩!

2011年05月07日 00時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110507 00:30)

みなさま。昨日6日、菅首相より、浜岡原発の全原子炉に対する停止要請が
発せられました。津波に対する対策が不十分であることを根拠としています。
脱原発への第一歩だと思います。菅首相の浜岡原発停止要請を歓迎します。

ただしこれは菅首相の英断というわけでもないと思います。
これを報じた朝日新聞の記事にも
「政権が原発停止要請に踏み切った背景には、浜岡原発から20キロ圏に
東海道新幹線や東名高速などが走っていることや、東京電力福島第一原発の
事故を契機に国民世論に浜岡原発への危惧が高まっていることなどがある。」
とあるように、一つには、当然なすべき判断であったということです。

また第二に、この判断は、「国民世論に浜岡原発への危惧が高まっている
こと」、正しくは国民と住民の世論の高まりが生み出したものです。英断を
したのは、この間、全国で脱原発デモに飛び出した多くの人々であり、
その力が政府を動かしたのだと僕は確信しています。

しかし私たちの前にはさらなる課題があります。

例えば津波対策で言うならば、4月16日に朝日新聞は次のような調査結果を
発表しています。
「福島第一原発で、非常用ディーゼル発電機が水密性の高い原子炉建屋内に
設置されていなかったことや、海水ポンプが建屋内に収容されていなかった
ことが、津波を受けた後の電源喪失事故に至った主要な原因ではないかと
東電内で指摘されている。

これらの点について、四国電力伊方原発(愛媛県)や九州電力川内原発
(鹿児島県)など12カ所の計31基で、ディーゼル発電機が原子炉建屋ではなく、
タービン建屋内などに設置されていた。海水ポンプも、関西電力美浜原発
(福井県)や九州電力玄海原発(佐賀県)など11カ所の計34基で、屋外に
ほぼむき出しの状態で置かれていた。」

(詳しくは「明日に向けて(48)国内原発の大半、安全対策に難点」参照)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/7172ee0fffba6e465c85fa3eb2ab7e30


このように津波対策だけでも、今すぐに止めるべき原発は国内に多数
あるのです。それに対して、それぞれの地域の方々を中心にしながら、
みんなで声をあげ続けていくことが大切だと思います。

同時に、今回の福島事故で、私たちは原発は止まっていても地震や津波に
よって大変な危機に陥ってしまうことを知りました。福島第一原発4号機は
その典型です。また格納容器に入っておらず、大気中にむき出しになって
いる燃料プールが、どれほど危険なのかということも、私たちは思い知る
ことになってしまいました。

その点で、原発は、停止してもなお大変危険な存在です。燃料プールから
より安全な場所に燃料棒を移さないといけない。一体それをどうするのかと
いうことも検討していかなくてはなりません。
これはもちろん浜岡以外のすべての原発についていえることです。どこも
かしこも危険な燃料プールを持っているからです。


原発地震災害の危険性を訴えてきた神戸大学の石橋教授は、今回の
停止宣言に対して次のように述べています。

「1978年に(東海地震への対応を定めた)大規模地震対策
特別措置法が制定され、公共施設や民間施設などが防災対策を講じたにも
かかわらず、直ちに停止すべき原発は聖域とされ、運転し続けてきた。浜岡
原発をもっと早く止めていれば、それを機に原発の安全性への見方が厳しくなり、
日本の原発行政が変わって福島第1の惨事も防げたかもしれない」

「全面停止は当然だが、もっと早い時期に止めるべきだった。少なくとも
福島第1原発事故が起きた直後に止めなくてはならなかった。」

まったくその通りだと思います。
浜岡以外の多くの原発もまた、早急に止めることが必要です。

これに対して、電力が足りなくなったらどうなるのかという声がすでに上がり
出していますが、そのためには電力が足りなくならないためにはどうすれば
良いのかと考えればよいのです。そのとき私たちは、今の社会が、
あまりに電力使用過多に偏っていたことに気がつくはずです。

また原発以外に、小水力をはじめ、さまざまな可能性があることも見えて
きます。実は原発がなくても、電力は十分賄える。いやそれよりも、もっと
電力消費を少なくした方が、私たちの生活のクオリティは、むしろよくなると
僕は確信しています。

私たちはさらにここに歩みを強めていく必要があります。
第一歩は着実に始まりましたが、その次の歩みを記さなくてはいけない。


・・・実は今、これまでそれぞれに「原発はいらん」と街頭を歩いてきた多くの
地域の人々が、全国一斉のデモ(パレード、ウォーク・・・言い方はさまざま)を
しようと呼びかけて出しています。

僕のところにも、複数の地域から、311から3カ月の611に一斉に歩こうという
声が聞こえて来ています。611が土曜日なので、12日日曜日を含めて
脱原発のウィークエンドに!という声もあります。
僕も浜岡原発への首相からのSTOPの声を引き出せた今だからこそ、
一斉にみんなで歩くことはとても意義深いと思います。

どうかみなさま。それぞれの地域で、611、612、一斉行動への参加を
ご検討ください。さまざまな経路から話が回っているので、それぞれの
地域にどこからか呼びかけが来ると思います。いや、僕自身、今、
みなさまに、全国一斉行動を呼びかけます!

脱原発への第一歩を、より確かな歩みに。そして駆け足に!
一緒に歩きましょう!

****************************

首相、浜岡原発の全原子炉停止を要請 防潮堤完成まで

2011年5月6日20時53分 朝日新聞
 菅直人首相は6日、東海地震の想定震源域である静岡県御前崎市にある
中部電力の浜岡原子力発電所について、定期検査中の3号機のほか現在
稼働中の4、5号機も含めてすべての原子炉停止を要請したと発表した。
津波対策などで中部電が2~3年後の完成を目指している防潮堤の新設
までを期限とした。これらの要請は海江田万里経済産業相を通じて中部電に
伝えた。

 中部電は判断を保留している。首相の政治判断で稼働中の原発が止まれば、
初めてのこととなる。

 首相は同日夜、首相官邸で記者会見して停止要請を明らかにし、「国民の
安全と安心を考えてのこと。浜岡原発で重大な事故が発生した場合、日本
社会全体におよぶ甚大な影響を併せて考慮した」と強調した。

 首相は停止要請の理由に東海地震を挙げ、「30年以内にマグニチュード
(M)8程度の地震が発生する可能性が87%という数字も示されている」と説明。
特有の事情があるとの認識を示し、浜岡以外の原発への対応には
言及しなかった。

 停止期間については「防潮堤の設置など中長期の対策が完成するまでの間」
とした。中部電は海岸沿いの高さ10メートル以上の砂丘と原発の間に、高さ
15メートル以上の防潮堤を2~3年後をめどに新設する予定だ。

 首相は停止要請までに「先の震災とそれに伴う原子力事故に直面し、私自身、
浜岡原発の安全性について様々な意見を聞いてきた。熟慮を重ねた上で
内閣総理大臣として本日の決定をした」と語った。今後の中部電管内の電力
不足対策については「需給バランスに大きな支障が生じないよう政府として
最大限の対策を講じていく。全国民の理解と協力があれば夏場の電力需要にも
十分対応できる」と語った。

 ただ、首相には法律上、原発の運転停止を指示する権限がない。首相も
「指示とか命令という形は現在の法律制度では決まっていない」と認めた。
首相は、中部電側が要請を断った場合の対応については「十分にご理解
いただけるように説得して参りたい」と述べるにとどめた。

 政権が原発停止要請に踏み切った背景には、浜岡原発から20キロ圏に
東海道新幹線や東名高速などが走っていることや、東京電力福島第一原発の
事故を契機に国民世論に浜岡原発への危惧が高まっていることなどがある。
川勝平太静岡県知事ら地元自治体の首長も、新たな安全基準を満たさない
段階での浜岡原発の稼働に難色を示している。

 首相は4月下旬から側近らと調整を進め、この日、海江田氏や枝野幸男
官房長官、仙谷由人官房副長官、細野豪志首相補佐官らと会談し停止
要請を決めた。
     ◇
 中部電力の水野明久社長は「経済産業大臣より、本日午後7時に、浜岡原発
の運転停止に関する要請を受けた。当社としては要請内容について迅速に
検討する」とのコメントを出した。

     ◇
 〈浜岡原発〉 中部電力では唯一の原発で、静岡県御前崎市にある。
1~4号機は福島第一原発と同じ沸騰水型炉(BWR)、5号機は改良型沸騰
水型炉(ABWR)。1号機(1976年運転開始)と2号機(78年開始)は
2009年1月から廃炉の手続き中。現在、代替として6号機の新規建設の
計画がある。中電が発電したり他社から受けたりした電力量実績は、
10年度速報値で1423億キロワット時、そのうち浜岡原発の発電電力量は
153億キロワット時と、1割強だった。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105060230.html

*****

浜岡原発:石橋・神戸大名誉教授「もっと早く止めるべき」

2011年5月6日 22時31分(最終更新 5月6日 22時46分) 毎日新聞 
 浜岡原発は東海地震の想定震源域の真上にあり、その危険性がたびたび
指摘されてきた。東海地震の可能性を70年代から警告し、「原発震災」という
言葉も提唱した石橋克彦・神戸大学名誉教授(地震学)は今回の要請について
「全面停止は当然だが、もっと早い時期に止めるべきだった。少なくとも
福島第1原発事故が起きた直後に止めなくてはならなかった」と指摘する。

 石橋名誉教授は「1978年に(東海地震への対応を定めた)大規模地震対策
特別措置法が制定され、公共施設や民間施設などが防災対策を講じたにも
かかわらず、直ちに停止すべき原発は聖域とされ、運転し続けてきた。浜岡
原発をもっと早く止めていれば、それを機に原発の安全性への見方が厳しくなり、
日本の原発行政が変わって福島第1の惨事も防げたかもしれない」という。

 石橋名誉教授は、05年の衆議院予算委員会公聴会でも浜岡原発への
懸念を表明していた。

 石橋名誉教授は「アメリカでは地震は原子力発電所にとって一番恐ろしい外的
要因と考えられている。地震の場合はいろんなところがやられるので、多重
防護システムが働かなくなるなどで、最悪の場合、炉心溶融とかにつながり
かねない」と指摘。浜岡原発については「東海地震の予想震源域の真上。
中部電力は東海地震に耐えられるというが、地震学的に疑問がある。想定の
地震がまだ不十分ではないか」と話していた。

 また、浜岡原発の地理的な特性として「御前崎は南西の風が吹くことが多い。
その場合、静岡、三島を通って箱根の山を越えて、首都圏にも流れてくる」と
懸念した。

 さらに、地震と原発事故が複合的に起こることで「放射能から避難しようと
思っても、地震の被害で、津波や液状化で道路、橋はずたずた、建物は倒れ
道路をふさいでいるということで、逃げようにも逃げ切れない。原発事故に
対処しようと思っても対処できない。通常の震災では救出できる人が見殺し
になる」と危惧を示していた。【藤野基文、飯田和樹】
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110507k0000m040135000c.html
コメント (3)
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明日に向けて(99)福島原発の現状はどうなっているのか。靄の向こうにあるのは何か。

2011年05月06日 23時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110506 23:00)

福島原発の今の状況の分析に戻りたいと思います。

このところ僕は、福島原発の現状に、靄のようなものがかかっていること、情報
がよく見えなくなっていることを何度が指摘してきました。この状態が依然、
続いていますが、こうした中で、欧米では、事故当初に起こった3号機の爆発が
水素爆発ではなく、即発臨界爆発=核爆発だったのではないかという推論が
出され、話題となっているようです。

これらの背景にあるのは、超ウラン元素、プルトニウムやアメリシウム、
キュリウムなどが、環境中に出ていることが、測定されだしていることです。

この点については、のちほど分析を深めて紹介していきたいと思いますが、
これらも頭に入れつつ、まずここでもう一度、福島原発の現状に注目して
みたいと思います。そうして福島原発の今の報道を拾ってみると、ここの
ところ、もう長い間、1号機の水棺化が進められていながら作業が難航して
いることが目につきます。

朝日新聞の記事でみていくと、4月28日に「「水棺」作戦難航」という記事が
出されました。(すでに紹介しました)。そこでは原子炉格納容器内に、毎時
14立法メートルの水を入れようとしたが、水素爆発の懸念が出てしまうので
10立法メートルに下げると書かれています。

さらに5月6日の記事では「1号機の注水量増やす」とありますが、これは
4月28日以降に、10立法メートルも入れられなくなり、6立法メートルまで
下げたものを、再度、8立法メートルまで上げたことを指すもので、当初の
毎時14立法メートル注水するという目標には、ほど遠いことが分かります。

しかしこれらの記事を読んでいても、現場の臨場感というか、緊迫感が
伝わってきません。この間の記事の全般的な傾向ですが、なぜかを考えたとき、
最近、ほとんど地下やタービン建屋に溜まっているはずの高濃度放射能
汚染水の、濃度や、量が報道されないことに要因があると思われます。

つまり、現状では相変わらず、相当量の放射能が漏れており、何万トンという
汚染水が未だ現場にあるはずなのに、それらのリアルは報道がなくなって
しまっている。その結果、あたかも放射能がどんどん消えており、事故が
収束に向かっているかのような誤解が、醸成されているように思えます。

しかしそうではないはずです。今も大量の放射能が出ており、さらにそれが
さまざまな形で私たちに跳ね返り始めている。郡山市の県中浄化センターで、
政府が海洋投棄した「低レベル放射能汚染水」の3分の2にあたる量の
放射能汚染物質が出て来て、そのうちの多くが、すでにセメント資材として
配送されてしまっていたことなどは、その顕著な例です。

しかしこうした情報がほとんどリアルに出てこなくなってきている。なぜなので
しょうか。やはり汚染が、今、確認されているよりも、もっと深刻であることが
明らかになってきているにもかかわらず、再び三度、「パニックを恐れて」
実態隠しがなされているのではないでしょうか。


この点で大変、気になる情報を見つけました。
「米NRC委員長、余震による事態悪化を懸念」という読売新聞の記事です。

核心部で同委員長は次のように述べています。
「大きな余震などで施設の冷却能力の一部が失われることはありうる。現状は
静止しているが安定しているとは言えない。時間とともに改善しているが誰もが
望む状態にはなっていない。」

静止しているが安定しているとは言えない。つまり余震など、何らかの要因で
事態が悪化する可能性をNRCは認識しているというのです。

さらに注目すべきなのは次の点です。
「 ――在日米国人に対する原発50マイル(約80キロ・メートル)内からの
避難勧告の根拠は
 限られた情報しかなく、その中で最善の判断をした。起こりうることについて、
かなり手堅い評価をしたため、50マイルになった。日本は違うアプローチと違う
見方を取ったのだろう。条件が整えば50マイルを緩和するが、今すぐ判断を
変更する決定的な情報はない。」

これは極めて重要です。アメリカは今なお80キロ圏外への退避指示を
解除していない。「今すぐ判断を変更する決定的な情報はない」。
つまり事故当初の避難指示を変更する情報はないとアメリカNRCは
述べているわけです。

これはもはや、80キロという判断が、事故当初にとりあえず安全マージンを
取ろうとしてなされたのではなく、何らかの合理的判断に裏付けられたもので
あることを示しています。重要なのはアメリカがそれを今なお維持している
ことです。アメリカは80キロ圏内に、一般の人が近づいてはいけない
何らかの根拠を持っているのだといわざるをえません。

そこにあるのは何なのか。
さらにデータ解析と推論を重ねていきたいと思います。

*************************

1号機、「水棺」作戦難航 気になる原子炉圧力の低下

2011年4月28日11時58分 朝日新聞
 東京電力福島第一原発1号機の格納容器を水で浸す「水棺」が難航している。
東電は原子炉への注水量を2.5倍にして内部の温度や圧力の変化を見る
予定で27日に作業を始めたが、まず毎時6立方メートルから10立方メートル
にしたところで温度や圧力の低下が長引いた。27日中に予定していた
14立方メートルにできずにいる。

 東電が特に気にしているのが、格納容器の圧力が低いことだ。冷たい水が
増えたことで、水蒸気が水になっているとみられる。もし1気圧を下回れば
外部から空気が入り込みかねない。水素爆発を避けるために窒素を注入して
いるが、酸素濃度が高まると、水素と混合して爆発する危険が高まる。
東電は28日、さらに24時間、10立方メートルのまま様子を見ると発表した。

 一方、原子炉圧力容器の温度は、27日朝に132度だったのが、24時間で
107度になった。まだ下がり続ける傾向にある。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104280170.html?ref=recc

「水棺」に向け、1号機の注水量増やす 福島第一原発

2011年5月6日12時29分 朝日新聞
 東京電力は6日、福島第一原発1号機の原子炉格納容器を水で満たして
冷やす「水棺」に向け、原子炉圧力容器への注水量を毎時6トンから8トンまで
増やした。前日の5日に、東電は「設計上の想定地震と同程度の余震なら
耐えられる構造で安全性に影響はない」との報告書をまとめ、経済産業省
原子力安全・保安院に提出。保安院も「妥当」と評価していた。

 圧力容器への注水で、蒸気や水があふれ、外側の格納容器内にたまって
いく見込み。今後、建屋内に作業員が入って水位計を確認する。保安院は、
想定より大きな揺れがあれば、格納容器につながる圧力抑制室の支柱が
曲がる恐れはあるとみているが、「やむを得ない」と判断したという。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105060093.html

米NRC委員長、余震による事態悪化を懸念

2011年5月4日13時54分 読売新聞
 【ワシントン=山田哲朗】米原子力規制委員会(NRC)のグレゴリー・ヤツコ
委員長は2日、米紙ワシントン・ポスト本社で同紙や読売新聞と会見し、東京
電力福島第一原子力発電所について「大きな余震などで冷却能力の一部を
失うことはありうる」と述べ、余震や津波で事態が悪化することへの懸念を示した。

 そのうえで、「専門知識の提供を続けていく」と日本政府への支援継続を
表明した。

 以下、会見の要旨 
――現在の態勢は
 11人のチームが日本にいて専門知識の提供を続ける。米国内では福島の
教訓を受け、規制の見直しを進める。
 ――福島で余震の心配は
 大きな余震などで施設の冷却能力の一部が失われることはありうる。現状は
静止しているが安定しているとは言えない。時間とともに改善しているが誰もが
望む状態にはなっていない。
 ――在日米国人に対する原発50マイル(約80キロ・メートル)内からの
避難勧告の根拠は
 限られた情報しかなく、その中で最善の判断をした。起こりうることについて、
かなり手堅い評価をしたため、50マイルになった。日本は違うアプローチと違う
見方を取ったのだろう。条件が整えば50マイルを緩和するが、今すぐ判断を
変更する決定的な情報はない。
 ――日本政府の情報提供が不十分だったのでは
 日本政府の第一の責任はNRCに情報を提供することではない。最終的に
時間と資源をどう最も能率的に使うかは日本の判断だ。
 ――蒸気放出や海水注入は遅かったか
 なされなかったことにコメントしても得るところは少ない。地震と津波という
非常に特異な状況で、米政府なら違う対処ができたのか、推測はしたくない。
 ――チェルノブイリ事故と同じレベル7は妥当か
 レベル8や9があったならチェルノブイリと比べられないかもしれないが、
既存の尺度では重大な事象だ。
 ――日本政府に米国の原発のテロ対策を伝え、注意喚起したことはあるか
 詳細は話せないが、米同時テロ後に原発への影響を研究した。日本を含め
多くの国とテロ対策の情報は共有している。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110504-OYT1T00180.htm
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明日に向けて(98) 福島のお母さんさんたちの声を受けて・・・。

2011年05月06日 13時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110506 13:00)

明日に向けて(94)で、京都精華大学のキャンプに参加している福島の親子の
お母さんに声を聞かせていただき、紹介しましたが、非常に多くの反響があり、
この声をぜひ、友人に伝えたいというメッセージを次々といただきました。

また、ブログへもたくさんのメッセージをいただきましたので、これらを
一つにまとめるとともに、山水人の祖牛さんのキャンプ訪問
報告などもまじえ、一本の情報として発信したいと思います。

キャンプは昨日(5日)が最終日。子どもの日ということで、山水人の祖牛さんたち
が赤飯を炊いて、差し入れにかけつけてくれたそうです。以下、山水人MLに
流れた祖牛さんの報告を転載します。

**************************

祖牛です。

今日は『こどもの日』、すべてのこども達が、安全で、平和に暮らせる
日が、はやく来るように願います。

精華大の卒業生たちが企画した福島の子供たちのキャンプに行って
きました。

京都岩倉の精華大学キャンパスの一番奥の森の中に不思議な空間があって、
福島から来た子供たちやお母さん、それにボランティアの人たちが
餅つきをしていました。大きな焚火をしたり、石うすできな粉をひい
たりと、みんな生き生きしていました。

関西テレビも取材に来てこども達にお土産をプレゼントしていました。
山水人に来る精華大の卒業生達も何人もいて大活躍。

「わく星学校」の敬子さんが「こどもの日」ということで赤飯をつくり
差し入れにもって行き、私たちもあんこの入ったお餅やお汁を一緒に
いただきました。こども達の元気な笑顔にふれ、こちらも元気を
もらいました。

*************************

僕は「明日に向けて」を、ピースウォーク京都HP上に作らせていただいている
特設ページと、gooブログで作っている僕のブログにアップしていますが、
それぞれにたくさんのコメントをいただています。

このうち、gooのブログでは、キャンプを主催した側の左近さん、あの日、お話を
聞かせて頂いた「福島の母B」さんからもコメントが寄せられてました。そこで
これらをまとめて、再度、情報として発信することにします。
以下、寄せられたコメントと、僕からの返信を掲載します。

**********************

「明日に向けて(94) 福島のお母さんたちの声を聞かせていただいて」
への、gooブログへのコメントから
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/8508287b3a427a159c65cd5c1b288e1d?st=0


福島の現状をどう支援? (右近ゆみ)
2011-05-04 23:45:19

こんばんは、守田さん。
日頃の情報発信、ありがとうございます。
私も上記の支援に「お母さん係」として携わり、Bさんと何時間もお話ししました。
正直、できることはなんでもしたい気持ちですが、何をどうすればいいのか考えて
しまいます。

私の周りのお母さん達の間では、自民党・河野太郎さんのブログにあるように、
「とにかく国会議員に会いに行こう」という計画があります。
その時に「20mシーベルト」という基準を見直してほしい!と意見し、資料も
出したいと思うのです。
来週の火曜日、出町柳での守田さんの講演会に参加しますので、是非アドバイス
をお願いします。


ありがとうございます。 (守田敏也)
2011-05-04 23:52:37

そうですか。お母さん係、どうもご苦労さまでした。ありがとうございました。
現場でも会っていたのかもしれませんね。

アドバイスとはおこがましいですが、僕にできることは何でもしますよ。
ただ出町柳のその講演会は17日なので、来々週になります。他に8日午後
7時から、おなじく出町柳の「かぜのね」というところでも、お話します。
この情報もまたあとで流します。



ありがとうございました。 (福島の母B)
2011-05-05 05:09:27

おとといは、守田さん、右近さんに話を聞いていただきましてありがとう
ございました。
思っていることを口に出せない現実が続いていたので、共感していただける
方々に気持ちを吐露できてどれだけ救われたことか…

また、こんなに遠くの方々が…大勢の方々が…福島の事を心配して下さって
いることをただただ有難く有難く思いました。

この連休中で風が変わり始めています。
文科省VS原子力安全委員会…なんてものも見えてきました。
また、福島大の先生方も動き始め外に発信しだしました。
市民団体もリスクアドバイザーの解任を求め動き始めます。

私達は中から風を大きくすべくでき得る限りのことをしていくつもりです。
どうぞ、外からも大きな団扇で扇いでください。
出会うはずのないご縁をいただいた事…たくさんの方々に感謝します。


ヒバクシャ (郡山在住)
2011-05-05 06:41:15

http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/adi-pphy/prof/201104.html
我々県民は彼によってヒバクシャに認定されたようです。
大丈夫だと言い続け、今後どのような病気が出てくるか観察していくつもりかも
しれません。早く追い出して欲しいです。


福島の母B様 (守田敏也)
2011-05-05 07:53:31

当日は大切なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。
また直接コメントをいただきありがとうございました。あとで個人メールも
させてください。

みなさんのお話はとても胸を打つもので、たくさんの方から、これを友人に
伝えたいというメッセージをいただいています。

そうした方々に、再度、「外からも大きな団扇で扇いでください」というBさんの
メッセージを伝えます。

ぜひ、今後も一緒に歩んでいきましょう!


本当にひどい・・・ (守田敏也)
2011-05-05 07:58:44

ヒバクシャ(郡山在住)様

山下教授の言葉を確認しました。これですね。
「『原研医療』では大学病院国際ヒバクシャ医療センターと準備してきた緊急
被ばく医療対応に加え、グローバルCOEプログラムの根幹である放射線
リスク健康管理を、福島県ならびに福島県立医科大学の要請を受けて、
いち早く現場で実践しています。本領域における20年間の海外での活動実績は、
広島・長崎に次ぐ国内3番目のヒバクシャを生み出した福島県にこそ
生かされるべきだと考えると、新生『原研医療』も直ぐに正念場を迎えることに
なりました。」

福島県民には、放射性降下物の影響は皆無、マスクもしなくていいといい
ながら、「広島・長崎に次ぐ国内3番目のヒバクシャを生み出した福島県」と
語っているのは本当に許しがたいです。

しかもここにはグローバルCOEプログラムという、巨額の予算のつくプログラム
を走らすために、福島県民の苦しみを使っていることがあけすけに見えています。
今、友人が、山下教授の福島講演の内容を精査して批判を書いてくれています。
こうしたものなどを活用して、みなさんで一緒に、山下センセイを追い出しましょう!


Unknown (Unknown)
2011-05-05 16:17:07

我が家も原発のおかげで真っぷたつです
それに避難したくても、現役高校生と、高校受験の結果発表と入学手続きの
日程変更通知待ちの子供もいて、とてもじゃないけど仙台を離れられない
状態でした小学生以下だったら実家に帰ってただろうと思います。


Unknown (k)
2011-05-06 10:23:17

福島のお母様たちの生々しい証言に食い入るように記事を読みました。貴重な
発信をありがとうございました。九州の私の友達にもこれを知らせたいと思います。
お母様たち、こどもさんたち、心挫けそうになると思いますが理解者がいることを
信じて生きていかれますよう願います。


胸が痛いです。 (守田敏也)
2011-05-06 11:28:24

Unkown様
「我が家も原発のおかげで真っぷたつです」・・・。胸が痛いです。多くの家庭で
温度差から非常に苦しい対立が生じてしまっていることを耳にしています。
僕はこれ自身も、放射能漏れ事故の深刻な被害の一つだと思います。

今はそんなコメントしか出せずにごめんなさい。また考察したことをブログに
書きます。


ありがとうございます。 (守田敏也)
2011-05-06 11:31:56

Kさん
いつもコメントをいただいて、ありがとうございます。ぜひお友達にお伝えください。
そこから福島や、仙台をはじめ原発近隣の地域の人々を包む温かい輪が
生まれるといい、苦しい気持ちが吸い取られ、事態の打開の何かが生まれると
いいと僕は思うのです。そのためにも、今は少しでもこの痛みを、たくさんの
人でシェアすることが大切だと思います。
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明日に向けて(97)共に考える集い(17日)と、1週間ぶっとおしデモのお知らせです(京都)

2011年05月05日 14時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110505 14:00)

催しのお知らせです。
一つは僕がお話をする会です。お子さんのおられるお母さんの来られる会に
したいとのことで、設けてくださいました。ぜひみなさんでいろいろと語りあい
ながら、原発事故のこと、今後どうしていったらよいかなど、深めていきたいと
思っています。気軽にご参加ください。

************************

「これからどうなるの?どうすればいい?ー守田敏也さんを迎えて」
~明日に向けて  福島原発事故…ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの
中で、私たちはいかにいきればよいのか。共にかんがえましょう。~


今も放射能を出し続ける福島第一原発。
メディアからは今、どういう状態なのかよく分からない。
だんだん危機感も薄れてくる。京都はけっこう離れてるし。
それでも原発では今も決死の作業を続けてくださってる人がいる。
放射能をいっぱいあびながら。

守田さんに、今原発で起こってる現状やこれから起こりうる可能性などに
ついてお話していただいた後、質疑応答、みんなでこれからどうすれば
いいのか、一緒に考えたいと思います。

お子様がいらっしゃる方にもぜひ来ていただきたいので、平日の昼間と
夜の2回、行います。
参加無料。


2011.5.17(火) ①pm1:30~3:00  ②pm6:30~8:00
出町柳アカテレテコベソベサーバ 京都市左京区田中下柳町3-17


*守田敏也(もりたとしや)
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在
フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本に関する
研究を進めている。


問い合わせはこちらまで
sovesahva@sovesahva.org
http://www.sovesahva.org
**************************

この週は、なんと京都では毎日デモも企画されています。最後の22日の
デモは僕も主催者として準備から加わります。
みなさん。ぜひいける時に参加してください。
以下、案内を貼り付けておきます。呼びかけの文章、胸に響いていいです!

***

もっと行動を!ネットだけじゃなく街の中に脱原発・反原発の声とウネリを景気よく!!というわけで、最近の日本では週末ともなれば、各地でデモが起きてますね。素晴らしい! 京都ではなんと、5月中旬に1週間連続デモをやります。

■5月16日(月)~5月21日(土)
1週間ぶっとおしデモ★アゲインスト原発
18:00 三条大橋西側集合  18:30 デモ出発(三条河川敷出発、河原町を南下、
四条をすぎ、仏光寺通りをUターンして三条河原にもどる)
5人でも10人でも歩きます。プラカードや鳴り物、自分の得意な表現で、あるいは
仕事帰りにフラっと立ち寄る感じで自由にどうぞ! 雨天決行。

※できるかぎり子守・ノートテイク用意します。今回は主催者人数の関係で
調整が必要なので、お手数ですが事前にご連絡くださるようよろしくお願いします。

主催:関電の原発を止める会(仮)・大風呂敷 090-9860-9860 genpatsu.tomeru@gmail.com
http://genpatsumoumuri.seesaa.net/
http://ooburoshiki.tumblr.com/
twitter.com/#!/oooburoshiki

そして、1週間デモの最終日は盛大に

■5月22日(日) 
原発をとめろ!核の真相を明かせ!こどもを救え!・京都デモ
 14:00 三条河川敷 集合 15:00 デモ出発~(雨天決行)
【コース】 三条大橋下(西側)→ 河原町通→ 河原町通四条を南へ一筋目で
折り返し → 市役所前 解散(※プラカードなどを持参してください)
【主催】 原始力の会 と ピースウォーク京都
【連絡先】 橋本 080-5356-2140 (仕事中は電話に出られません)
http://gensiryokunokai.blog94.fc2.com/
http://pwkyoto.com/

デモコースなど詳細は、わかり次第アップします。みなさん、街で会いましょう!
 (ヒデヨヴィッチ上杉)
 
(主催者のひとりから)
★現実があまりに馬鹿げてるので、私たちはつい愚かなデモをすることになって
しまった。その名も『一週間ぶっとおし
デモ★アゲインスト原発』。
ふざけた名前だけれども、わたしたちは至って大真面目。現実が過酷すぎて、
ひとりで考え込んでいたら気が滅入る。とりあえず集まって、歩きながらみんなで
考えようよ。
 
★原発のことはとても気になるけれど、正直なところ、めまぐるしく飛び交う情報
に完全に置いてけぼりをくっている。ただそんな私にも分かるのは、今回の
福島原発の事故によってものすごくたくさんの生活や人生が、生命が破壊され
続けているということ。もし同じことが関西で起きれば、ここ京都だってヤバイと
いうこと。どうひいき目に見てもこれほど危険な原発というやつは、いったん
すべてを止めてその是非が問われるべきではなかろうか。急に止めるのが
無理だとしても、その方向を政府が模索しようとすらしないのはなぜなのか。
人が暮らすための電力だったはずなのに、金のためにつくり続けられる電力が
人の暮らしを破壊していく。これはいったいどういうわけだ。
 
★そもそもほんとうは、この事故が起こる前から破壊され続けていた。
ウランを採掘する人・輸送する人・原発で働く人、ほかにもいろいろな過程で、
日常的に被曝する人がいなければ成り立たないのが原子力発電なのだった。
だから事故が起きても起きなくても原発はやめるべきだと思う、といったら、
炭鉱労働でも火力発電でもなんでも健康被害があるし亡くなる人がいる、
どんなエネルギーにもそういう側面があるのに原発にだけ反対するのは
どうなんだろう」と言う人がいた。そうか・・・私には、知らないことが多すぎる。
その問題が原発より軽いとは思えない。でも、そのことが原発を続けていい
理由になるとも思えないよ。そうして、こんなこと言ってた人がいたな、となんと
なく思い出した。「全ての行為が罪の積み重ねであり、差別を伴うものであると
しても、なおかつ人は(私は)行き続け行動し続けなければならない。それは
行けば行く程、行動・失望、行動・失望への道であり、絶望する己に絶望した
とき、そこに悲しみがある。その『悲の場』に待って私は多くの人に逢いたいと
思う。そこはこの上なくすばらしい世界であろう」(横塚晃一著『母よ!殺すな』
より)。原発の問題と向き合うのも、こういうことなのかもしれないなぁ…
 
★なんてことを思いながら、気づけばなぜこんなアホみたいな名のデモを
計画してしまったのか。いやでもその実、私たちは大真面目なのだ。もっと
たくさんの人と話し合いたい、考えたい、おかしなことには声をあげたい。
迷ってる人も怒ってる人も、みんなで集まろう。まいにち夕方、デモしよう。(G)
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明日に向けて(96) 京都から気仙沼へ 車を届けてきます!

2011年05月05日 09時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110505 09:00)

今回は、京都から気仙沼に車を送る話をします。

この話の発端は、被災地に自転車を送ろうという京都OHANAプロジェクト
にありました。プロジェクトを進めている森さんから、ある日、僕に
電話が。「話はだいぶ進んだのですが、自転車を置く場所がないんです。
どこか心当たりはありませんか?」

それで僕は京都大学の岡真理さんに電話。岡さん、当初は、「大学は
新学期が一番混雑していて、難しいと思う」と話されたのですが、後になって
「私の研究室の近くならなんとかなるかも」と電話してきてくれました。

結局、そこを自転車の集積地に使う事が出来たのて、被災地に116台の
自転車が送れた。

そのとき岡さんは、自転車募集の呼びかけも送ってくださいました。それが
京都市弁護士会の方々の間にも流れた・・・(ということですよね?)
そうしたらなんと、「自転車だけでなく、自動車もいるのでは?」という話が
返ってきたのです。

それが僕に伝わり、仲介して下さった弁護士さん経由でNさんという方と
コンタクトができました。

Nさんは精密機械のメーカーの社長さんですが、ランドローバーというイギリス
の4駆自動車をお持ちでした。しかし最近は乗っていなかったし、被災地で
どんな車でも必要と言われているのを見て、なんとか送れないかと
思われていたそうです。

そんなときにこの話がつながった。それで僕が、気仙沼からの便りをみんな
お送りしたところ、「まさにこういうところで使って欲しかった」というお答えが
返ってきました。

アビスさんにもこういう車が必要ですかと連絡したら、
「是非、是非、お願いします、是非」と答えが返ってきた。
それでありがたく車をいただき、気仙沼に届けることにしました。

アビスさん再度でも使い道をあれこれ考えて、これまでも便りの中に出てきた
渡辺さんを中心に使っていただくことになりました。


そうなったらもう、僕が持っていくしかない。一度は気仙沼へと思って
いたので、渡りに船、いや車だと考えて、僕が乗っていくことにしました。

それでNさん宅を訪問し、車を見て、車検証などをいただいてきましたが、
なんとこの車、車検が切れていたので、わざわざ整備をして車検を通して
いただいたばかりであることが分かりました。経費もカンパしていただいた
ことになります。

しかも今はスノータイヤを履いているので、ノーマルタイヤ4本も付けてくださる
といいます。その上に、なんと、配送費にと2万円のカンパまでしていただいて
しまった。もういたれり、つくせりです。
お名前を紹介したいといったら、「京都のNでいいです」とのこと。
Nさん、本当に、何から何までありがとうございます!


さてそれで、連休明けに東北に向かう事にしました。フェリーで秋田に入ります。
そうしたら、アビスさん、向こうで講演会などをセットしてくれるという。
ありがたい!それで、今のところ、秋田、気仙沼、仙台、白石あたりで
話の場を設けようということになりました。決まり次第、案内をお届けします。

この他、石巻のボランティアテント村にも訪れる予定です。
また現地との折り合いがつけば、大槌町にも訪れたいと思っています。

出発は9日。10日には秋田につく予定。前日の8日に再び「かぜのね」で
お話をさせていただき、そのときに物資も集めて積んでいく予定です。
みなさま、ご協力をよろしくお願いいたします。

以下、祖牛さんからの案内を転載します。


****************

『フクシマ・・・ゆっくりと、長く、大量に続く
放射能漏れ事故の中を生きる』

―私達みんなが直面している危機だからこそ、真実が知りたい(第4回)―


話:守田敏也(もりたとしや) 
[1959年生まれ。京都市在住。
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、
現在フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本に
関する研究を進めている。ナラ枯れ問題に深く関わり、京都大文字山
での害虫防除なども実施。原子力政策に関しても独自の研究と批判
活動を続けてきた。
3.11以降、発信続ける記事が注目され、多数の講演を依頼されている。]

日時:2011/5/8(Sun) 19:00開場  22:00終了

場所:「かぜのね」 京都市左京区田中下柳町7-2《出町柳駅下車》
http://www.kazenone.org
出町柳駅前パン屋さん「柳月堂」と美容院の間の道を南に入ったところにあります。

*料金はカンパしてくださると助かります。
 (経費を除いた全額を、『山水人』の有志が行っている。義援金に使わせて
いただきたいと思います。)


呼掛け人
 福村祖牛(山水人)
 

Fukushima Daiichi Nuclear Plant - What's really happening?(part4)
We need to know the truth of this danger we're facing.

Talk by Toshiya Morita (freelance writer)
Sunday 8th May @ Kaze No Ne 7:00 open, ~ 10pm. Entry by Donation

http://www.kazenone.org/ Kyoto, Sakyo-ku, Tanaka ShimoYanagi-cho 7 -2 ph/fax: 075-721-4522
祖牛 090-1587-6185 Enquiries

守田さんが自動車に積んでいける支援物資を当日の『かぜのね』に持ってきて
いただければ幸いです。
今日、アビスと相談したのですが、避難所ではレトルト食品が多く、それに変わる、

◎乾めん
◎小麦粉
◎豆類
◎海藻
などの乾物類

現在も日用品として不足している、

◎洗濯セッケン
◎洗濯バサミ
◎洗濯乾し用ロープ

◎トイレットペパー
◎紙おむつ
◎生理用品

が必要との事です。

なお、守田さんが気仙沼に自動車を持って行っていただく経費は、山水人の
義援金から出すことにいたします。
8日の集まりでも義援金を募りたいと思います。
どうぞうぞよろしくお願いいたします。

◎義援金の振込先

★郵便局からのお振込み…
【ゆうちょ銀行】口座名/ヤマウト
 記号一番号/14460-3267501

★他の金融機関からのお振込み…
【ゆうちょ銀行】口座名/ヤマウト
(店名)四四八(ヨンヨンハチ)
(店番)448 [普通預金]口座番号/0326750





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明日に向けて(95) 気仙沼からの便り・・・その10

2011年05月05日 08時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110505 08:30)

気仙沼のアビスさんより、便りが届きましたので、お送りします。
最後の方に、福伏避難所でのライブの映像が見れます。
二つ目の方ではアビスさんが歌っています!必見です(笑)

アビスさん、清志郎の影響を受けているのかなあ。
とにかく楽しくなるリズムですね!!

それにしても、音楽っていいなあ。
アビスさんや山水人の方たちは、音楽での結びつきが深い。
いいなあ、僕ももっと楽器をやっていたらなあとか思えてしまいました。

ともあれみなさん、アビスさんからのメッセージをお読みください。
(山水人MLの方、重複をお許しください)

*******************

気仙沼のアビスさんより
5月3日午前8時46分

5月1日
陸前高田市気仙町福伏の避難所で、
今日はライブです。
誰のライブかも知らず、
ただ、関東から二人の
アコースティックデュオの方が
来るとだけしか知りませんでした。

朝起きると、天気はスッキリしてなく、
雨を考えると、ダンボールで支援物資を並べるのは、
ためらわざる終えない天気でした。

そんな時、福伏の避難所の代表の小松さんから、
ライブの誘いをかねたマイミクのお誘い。
躊躇していた腰も、表に回り、腹を決めました。

今回のメンバーは、カリンバのコウスケさんと、
気仙沼のReggaeBand 「ちょす」のドラマー、
ガラムマサヤと、その息子、リン。
そして俺の、4人です。

前回のような、お姉ちゃんたちがいる華やいだ雰囲気とはかけ離れた、
むさっ苦しさを、リンが一人でカバーしている構図。

気仙沼市鹿折地区にある、
(気仙沼の被災地の写真で、大きな船が駅前に乗り上げていた所です。)
最近ちょくちょくお邪魔している、ローソン横の無料配布所で、
待ち合わせました。
ここの渡辺さんとは、今回の震災がきっかけになって知り合った人で、
今後もいろいろ絡んで行きそうな人です。
渡辺さんの話は、また今度にします。

鹿折の無料配布所を後にした四人は、
天気を伺いながらも、車を45号線を北上させました。

天気予報は午後から回復傾向と、希望をもてそうなことを言ってくれました。

車を走らせること30分弱。
目的地だある、岩手県陸前高田市福伏に到着。
福伏に着く3km手前ぐらいで、宮城から岩手への県境を跨ぎます。

ここは岩手の海岸線の最南端の集落。
海を挟んで向かい側に広田半島が見えます。
向かい合った広田半島とは、高田の市街地で結ばれています。
高田の市街地が、この広田湾のドン詰まりなのです。
南に口を開けてる広田湾。
震源が南だった津波をもろに受け止め、
ドン詰まりに在った市街地は、壊滅的な打撃を受けました。
と言う表現より、高田の町は壊滅しましたと、表現しても、
異を唱える人は誰もいないでしょう。

ここ福伏の集落は、リアス式海岸の典型的地形で、
山が海まで迫っています。
そんな地形の中、海に面したちょっとした平地は、
漁業の基地となるべく、小さな漁村が点在していました。

そんな小さな漁港のひとつが福伏の漁港です。

避難所から見下ろす漁港までの坂道。
避難所から遠のく坂道の途中、畑の中に漁船があります。
その漁船を境に、天国と地獄が一目の中に存在していました。
見慣れた景色の一部が破壊された地元の人たちにとって、
この景色の意味は、通りすがりの俺には、理解することは無理です。

三度目の福伏。
避難所にいるおばあちゃんも、俺の顔を覚えてくれて、
話しかけてきてくれました。
おばあちゃんと言うよりは、
この辺では、じいちゃん、ばあちゃんがよく使われます。
ばあちゃんは、確か80代後半って言ってました。
この年になるまで、5回も津波を経験したって、
こっちが聞く前に、教えてくれました。

空の機嫌を伺いながら、会場の片隅の小高い丘の上、
被災した海岸沿いの民家跡が見えるところで、
ガラムマサヤと息子のリンとでタイコを叩いていると、
5人乗りの車がやって来ました。

その車から降りてきた人たちが、今回のステージをしに
神奈川県大和市からやって来てくれた、「アミタメ」という、
デュオの方々と、サポートなさっている方々でした。

女性ボーカルのアミちゃんと、ギターのタメさんとで、
構成されているそうです。

ステージの予定の場所に車を横付けすると、
PAを降ろしてセッティングし始めました。
聞くところによると、今回の被災地訪問ツアーのため、
サポートなさっている方が、買ってくれたと言ってました。

彼らがセッティングしている間に、
いつものように俺たちもダンボールを並べました。
今日はゴールデンウイークの初日。
三度目の福伏。
始めてきた時、一人の子供を見かけましたが、
学校が休みだからでしょうか?
三人の小学校の低学年の子供たちがいました。
男の子一人に、女の子二人。
よく見ると、二人の女の子は双子でした。

その双子の女の子の一人が、
いっぱい絵本が入ったダンボールの中から、
工作の本を取り出して、その本を呼びさしながら、
俺に話しかけてきました。
その本は、紙で作った台所用品などが表紙を埋めていました。
それを指差しながら、
「あたしねぇ。これ作った。」
「これも作ったことがあるのよ。」
「これも。」 「これも。」
って感じで、なんとも言いがたい癒される会話で、
「へ~。そうなんだぁ。」って感じに応対していると、
「でもねぇ。みんな、ながされちゃった。」と一言。
俺は、言葉に詰まり何にも言ってあげられませんでした。

そんな会話したなんて記憶は、彼女のどこにも残ってないかのように、
また元気に、三人で走りだしました。
走っていったほうを見ると、ステージの準備ができたようです。
 
「アミタメ」のお二人は、準備万端みたいです。
先ず二人が口にしたのは、陸前高田に着いて被災地を見て、
言葉にならなかったという感想でした。

「アミタメ」のアミちゃんは、南こうせつや、中島みゆきなどの
ステージで、コーラスをやっておられるそうです。

たぶんいつものステージとは、曲の構成が違うんだろうなと、
思ちゃいました。
被災地のお年寄りから子供まで楽しませる構成を作って来たのでしょう。

さすがプロだなぁと言う感じのステージは進みました。

その時の最後の曲を、YouTubeにアップしました。
http://www.youtube.com/watch?v=DQYUtCJ3m8g

大胆かつ、身の丈低く、身の程知らずの俺は、
そのプロのステージに飛び入りしました。
この曲の前にも、マサヤと二人でタイコだけでもやらせたもらいました。
災害特区に吹く、まつりの風を伝えたいので、
恥を忍んで、アップします。
災害特区は、ありありです。
(曲は、札幌出身 東京在住 犬狼の歌です)
http://www.youtube.com/watch?v=IgSTdl-vqwo



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明日に向けて(94)福島のお母さんたちの思いを聞かせていただいて

2011年05月04日 17時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110504 17:00)

現在、京都精華大学のキャンパスと寮を使って、福島から避難してきた親子
向けのキャンプが行われています。
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/440/97/N000/000/000/130379410079516310294_gogocamp2.jpg

すでに関西で新しい生活を始めている親子もいれば、このときだけ、福島を
離れて、キャンプに来た親子もいます。

実はその中に僕の古い友人も参加していました。それで昨日の午後に現場を
訪れてきました。素晴らしい試みだと思いました。
福島から、また宮城から来た子どもたちが、思いっきりはしゃぎまわっていた!
今日は市内近郊の山に登るとの話でした。
京大から福島の調査に赴いた滝澤さんたちも昨日、今日と参加しています。


そんな場で、昨日、子どもたちが山菜採りにでかけている合間を利用して、
4人のお母さんたちからお話を聞くことができましたので、以下、紹介します。

Aさん 
4月20日に、小学校高学年の娘さんを連れて、福島市から大阪のある街に避難。
新たな生活を始めている。

Bさん
福島市内在住。事故後、小学校高学年の男の子と3週間、沖縄に避難。仕事の関係で
福島に戻ったが、できるだけ福島滞在時間を減らすため、週末ごとに県外に
でかけるようにしている。

Cさん
福島市郊外の農村に在住。中学生と小学生の女の子のお子さんとキャンプに参加。

Dさん
福島市内在住。6歳の女の子とキャンプに参加。


-Aさんはどのような経緯で、大阪に移られたのですか?

大阪市内に友人がいて、避難をするなら関西がいいと考えていました。
福島からの避難者を京都府と滋賀県が受け入れていると聞いて、それぞれに
メールで問い合わせを行いましたが、滋賀県からはメールでは詳しい話が
分からないので、直接電話をくれという回答があり、京都府からは回答が
ありませんでした。

そんなとき、大阪府は罹災証明がなくても、受け入れてくれるという情報が
入り、連絡を入れると、確かに証明がなくても大丈夫だといいます。詳しい話は
現地でというので行ってみたら、あっという間に手続きを進めてくれて、
今の街を紹介してくれました。

罹災証明があれば府営住宅に入れますが、ない場合でも雇用促進住宅に
入れます。それで落ち着く先を見つけることが出来ました。


-子どもさんは、避難することをどう受け止められたのですか?

子どもには事故があって以降、外出時に被ばくへのそなえを徹底させていました。
帽子にマスクに手袋にと、厳重なかっこうをさせました。
折に触れて被ばくの怖さも教えました。

当時は寒かったのでまだ良かったのですが、だんだんあたたくなり、そぐわない
格好になってきました。
子どもは女の子なので、こんなの嫌だ。おしゃれがしたいと言いだしました。
それじゃあ、移ろうかという話になりました。

友だちと離れるのは嫌だと言っていましたが、テレビを見ていて
仕方がないとなりました。


-地震のときの様子はどうでしたか

Bさん
福島市では当日は15分に1回、余震が起こり、本当に大変でした。
雪が降り出したのに、大きく揺れるたびに私たちは外に飛びなさなくては
なりませんでした。まったく寝ることができませんでした。

Dさん
断水で10日間、水がでなくて、お風呂にも入れませんでした。
電気は来ていたのでインターネットは使えたので、それで情報を取りまく
りました。あのときネットを使えた人は、みんな必死に情報を集めていたと
思います。


-水はどうしたのですか

Aさん
給水車に並んでもらいました。放射能が降る中、立っていたのだと思います。

Bさん
そうそう。とくに私たちの地域は同じ福島市内でも、電気も止まってしまいました。
それで原発事故のことも何も知りませんでした。3号機の爆発があって、初めて
知ったのです。そのため放射能が来ているときに何時間も水を得るために外で
並んでしまいました。

Dさん
まるで市内は戦時中のような感じでした。
爆発した・・・。でも安心しろ・・・。と断片的な情報がラジオなどで流れていました。

Bさん
新聞は配られていたけれど、とても読む余裕がなかったですね。

Aさん
お米もすぐになくなってしまったし。

Dさん
私も買いにいったけど、翌日にはもうなかったですね。
水は給水に頼るしかなかったのだけれど、福島市内には井戸を使っている
家が多数あり、「この井戸を使ってください」と貼り紙をしてくれるところも
あって、そこに行きました。

このころ放射能対策が新聞などに書かれました。放射性物質が身体についたら
シャワーを浴びればよいと書かれていましたが、水がない私たちはどうしたら
いいのと思いました。

移動は車を使うようにと書かれていましたが、ガソリンがありませんでした。
カッパを着るようにと書いてありましたが、どこにも売っていません。
頭が爆発しそうでした。


-農村にいたCさんの場合はどうでしたか

放射能汚染がどれほどか分からなかったのですが、友人がガイガーカウンター
を持ってやってきてくれて、周辺を測ってみたら針が振れて、汚染を実感
しました。

それで役場に連絡をしてみましたが、国が100ミリシーベルトまで安心と言っている
ので、独自の対応はできないし、考えてないと言われてしまいました。
それでも風が強くなってきていて不安なので、学校に、風の強い日は外で
子どもを遊ばせないでと申し入れをしました。子どもに聞いたら、実際に
強い風の日は外にでてはいけないと言われたそうで、先生たちが対応してくれた
ことに少しホッとしました。

でも私の周りはいたって平和で、誰もが何事もなかったかのように暮しています。
土壌の汚染も誰も気にしていません。実際には針が振れるのに。

私は内部被ばくも気にしていますが、農村では、「これはうちのばあちゃんが作った
ホウレンソウだ」と言われていただいたりすると、断るわけにはいきません。
おすそ分けしていただく山菜なども気を使います。

後で子どもが、家で食べたかどうかと聞かれたりするのです。
子どもにどう答えればいいかと聞かれて、「大人だけで食べたと答えておいて」
と言いました。

私の場合、夫と意見があうので、まだいいのですが、小さい子を抱えたお嫁さん
が、1人だけで心配している場合が多いのではないかと胸を痛めています。

とにかく放射能に対しては、人による温度差が激しいです。
子どもも学校で大きな声で言えないと言っています。


-福島市に話をもどしますが、それ以後はどのような感じですか。

Dさん
長崎大学の山下俊一という教授が、福島県の「放射線健康リスク管理アド
バイザー」になり、講演など行ったのですが、放射線の影響はない、大丈夫だ、
マスクもする必要はない。布団を外に干して大丈夫と語り、多くの人が
大丈夫だと思ってしまって、何の対処もしてない人が多いのです。駅前でも
高い放射線が測定されているのに。

-京大の滝澤さんたちが新幹線で向かったときは、栃木県北部の那須塩原
あたりから数値があがったそうです。福島駅では毎時2.5マイクロシーベルトが
計測されたとか。

Bさん
それでも福島市は、政府が100ミリまでは大丈夫だと言っているからと何の
対応も取っていません。学校での対応も教育委員会に丸投げされ、教育
委員会は、学校長に丸投げしている感じで、そのため学校ごとに対応が
違っています。

とにかく放射能については、周りとの温度差が激しいです。私が周りに安全な水を
飲むことを進めると、まるであやしい宗教への勧誘を行っているかのように
受け取られてしまいます。
地域がバラバラになっていっていることを感じます。

私自身は当初、息子と一緒に沖縄に避難しました。でもお金が続きませんでした。
今回のことは突然の出費で、たくさん使ってしまいました。
子どもも福島で卒業したいといいます。スポーツや習い事もしていて、
やりたいことがたくさんあるのですね。

それで学校が始まる時に、福島に戻りました。そうしたら周りから、「鬱はもう
治ったのか」と言われてしまいました。
今は週末などを利用して、なるべく福島から離れる時間を稼ぐようにしています。
それで今回もキャンプに来ました。

Dさん
私たちが望むのは、今、起こっていることは、福島だけのことではないことに
他の地域の方たちが気づいてくださることです。

とくに周りから子どもたちが危ないという声をあげてくれると、悩んでいる
親たちはその分だけ楽です。福島の中ではとても声があげにくい状態に
なっています。

ぜひ20ミリシーベルトが許容値になっていることは、福島の子どもだけの
ことではない。日本全体の問題だと考えて、周りからも声をあげてください。
私たちもできる限りのことをします。

********************

聞き取りを終えて。

お母さんたちから話を聞いた後、宿舎に一緒に向かいました。京都精華
大学が留学生用の寮を提供してくれています。そこに子どもたちが9人
集まっていました。子どもだけを他のお母さんに託された方もいるとの
ことでした。

お世話をしているのは、このプロジェクトを立ち上げた若者たち。
おいしそうなハンバーグが、子どもたちと一緒になって焼かれ、やがてテーブルに
並べられ、賑やかな食事が始まりました。子どもたちの笑顔が印象的でした。


お母さんたちが口々に語っていたのは、山下俊一教授の話や、それに
基づいた福島市の広報などで、「安全」が繰り返し強調され、多くの人が
放射線被ばくへの身構えをしていない福島の現状の異様さでした。

これに疑問を挟むことができないような雰囲気が作られており、そのことで
あちこちで共同性が壊されているとのことでした。女性たちの1人は、
放射能は地域をズタズタにしてしまう。それが一番、残酷だと語っていました。

またその点では小佐古さんのような「権威」のある方が、子どもたちが危ないと
言ってくれたことで、少しは流れが変わっていいかもとも。残念ながら周りの
人たちは権威に弱いのだと話されていました。


ちなみにその山下教授のことを少し調べてみました。
彼は4月6日に、「日経メディカル」で次のように断言しています。

「福島第一原発の原子炉が今回の地震で損傷なく生き延び、日本の科学の粋
をもって緊急炉心停止が行われたのは不幸中の幸い。今後大爆発は起こら
ないだろうし、炉心の中のくすぶりを抑えるため、いま懸命な努力がなされている。
ただ、チェルノブイリの100分の1程度の放射性物質が環境中に放出されたと
推測されるため、今後長期的なモニタリングと健康影響調査が必要だろう。
今回は、過敏と思われるほど情報が公開されており、また、農産物の出荷
停止などの対策も講じられている。いまの日本人に放射性降下物の影響は
皆無に近く、起こり得ないことだ」。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/int/201104/519274.html

原子炉が損傷なく生き延びた?現実に続く放射能漏れのことを一体どう
考えておられるのでしょうか。

さらに政府はこの5日後の11日に、今回の事故がレベル7に相当することを
告白し、とくに原子力安全委員会は、大気中への放射性物質の放出だけで、
67万テラベクレルにあたることを明らかにしました。チェルノブイリ事故の
1割以上の放射能が出たというのです。

・・・安全委員会が、SPEEDIの情報を握りつぶし続けていたことなどを
考える時、これとてまだまだ疑わしい数値とみなさざるをえませんが、それでも
山下教授が、放射能汚染量を かなり低く見つもっていたこと、放射線の
「専門家」としては、あまりにずさんな状況把握をしていたことが、はからずも
明らかになってしまいました。

ただしこれは「放射能は怖くないキャンペーン」というよりは、「放射能は
ほとんど漏れてないキャンペーン」であり、その論拠が、政府の発表によって
大きく崩れてしまったわけです。この点について、山下教授は何か県民に
対して釈明をしたのでしょうか。

・・・福島県はこのことを、アドバイザーの山下教授に、ぜひ問いただして
欲しいものです。県の側にも、これほど大きな誤りをおかして平然としている
人物を、そもまま採用していることに責任があります。


私たちが考えなければならないのは、国がこのようにとても科学的な誠実さを
持いあわせているとは言えない人物を、アドバイザーとして福島に送り込み、
マスクもする必要はない、放射性降下物の影響は皆無に近いと、最低限の
放射線被ばくへのそなえさせ、やめさせてしまっている現実です。これでは
被ばくを促進しているようなものです。

原発に近い人々が、それでもさまざまな事情の中で避難できないのなら、
せめて可能な限りの被ばく対策をするべきなのに、それに逆行することを
この国は行っている。あまりに酷いです。


私たちは、子どもたちだけでなく、福島県民全体を救うことも、考えなければ
ならないと思います。そのために、「これを福島だけの問題と考えないで欲しい」
という、あるお母さんの声を、みなさんとシェアしていきたいです。










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明日に向けて(93) どうして放射線の害は子どもにより大きく出るのか

2011年05月04日 14時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110504 14:30)

福島県下の幼稚園、小中学校等々が、高い放射線が飛び交っているにも
かかわらず、開校されています。笑顔の子どもたちが被ばくしており、一刻も
早く助け出したいです。

こうしたことから子どもたちを守っていくために、ここで、どうして放射線の害は、
子どもにより大きく出るのか。子どもが受ける放射線量を、同じものを浴びた
大人の3倍から10倍と捉えるのはなぜかということをまとめておきたいと
思います。


まず確認したいのは、次の点です。細胞の放射線感受性には、①細胞が
未分化なものほど、②細胞分裂が盛んなものほど高いといえることです。

この内容を説明します。
私たちの生命は、精子と卵子が出会って受精卵ができることから始まります。
受精卵は次々と細胞分裂を経て増えていきますが、次第に細胞分化という
変化を起こします。分化とは、細胞がある役割を担うものに変化することです。

例えば、筋肉になる細胞は、その役割を果たすために、それに見合った機能や
形になっていく必要がある。こうして筋肉になることを、「筋肉の細胞に分化
した」と呼びます。

この場合、似たような臓器や組織は、ある一つの細胞から生まれてくることが
多い。このあるひと固まりの集団のもとになる細胞を「幹細胞」といいます。

例えば血液には、赤血球、白血球、血小板などがありますが、これらは同じ
幹細胞から生まれてくる。血を造る細胞ですので、これは造血幹細胞と
言われます。

幹細胞には二つの特徴があります。自己複製能力を持っていることと、異なる
細胞に分化する能力を持っていることです。このため幹細胞は、自分で自分を
複製しながら、一方で、さまざまな役割を持つ細胞にも分化していくのです。
このことで私たちには非常にたくさんの機能が備わっていくわけです。

ところがここが放射線によって回復不能なダメージを受けるとどうなるでしょうか。
例えば造血幹細胞では、造血作用が壊されて、血液のがんである白血病が
発症したり、造血幹細胞がつまっている骨髄のがんである、多発性骨髄種などが
発症します。

同じように、他の幹細胞がダメージを受けると、その細胞がつかさどっている
細胞分化に支障がでる。細胞分化がうまくいかず、多くの場合、その部分での
ガンなどが発症しやすくなります。

胎児の場合はもちろん、子どもの場合もまだまだ細胞分裂だけでなく、細胞
分化も激しく起こっており、それが「細胞が未分化」という意味になりますが、
そのため当然にも放射線の影響を受けやすいわけです。分化の元が
ダメージを受けてしまうからです。


一方、私たちの体内では細胞分裂が繰り返し起こっていますが、これも
より年齢が小さいほど盛んです。細胞分裂では、細胞の核の中にある染色体が
まず二倍になり、二つに分かれ、やがて細胞そのものが二つになっていくと
いう過程を経ます。

ところが放射線は染色体の中にあるDNAを傷つけてしまうのです。DNAが
そのままの状態で分裂が行われると、正しい分裂ができずに、間違った
分裂がおこり、細胞が死んでしまったり、ガン細胞に変わったりします。

このため細胞分裂が活発に行われているときほど、DNAの損傷のダメージは
大きくなります。

一方で細胞には、活発に分裂を繰り返していくものと、それほど分裂を
しないものがあります。例えば皮膚では基底細胞が、毛根では毛母細胞が、
腸では腺か(せんか)細胞が、骨髄では骨髄細胞が盛んに細胞分裂します。

また血管、肺、肝臓の細胞のようにゆっくり細胞分裂しているものや、神経
細胞のようにあまり分裂しないものもあります。そのため、神経細胞や筋肉
細胞に比べて初めにあげた細胞の方が、放射線に対する感受性が高くなります。

このように細胞によっても放射線の感受性は違いますが、いずれにせよ、
子どもは細胞分裂が活発であるため、大人より感受性が高く、放射線の
害を受けやすいことがポイントです。


ここから被ばく量について考える場合、同じ量でも子どもの方がよりダメージ
を受けることを考え、子どもの場合はより数値を大きく見積もることが必要です。
概ね3倍から10倍と考えられています。

放射線の感受性は、性差や個人差もあります。女性の方が感受性が高く、また
個人で感受性が高い人もいます。この点も考慮されなければなりません。
放射線の感受性は測ることが難しいので、ある一定の量の放射線により、平均
した値よりもより強いダメージを受ける人がいることにも配慮する必要があります。

ただし子どもの方が、感受性が高いからといって、大人が影響を受けないのでは
まったくありません。放射性ヨウ素の甲状腺への取り込みをおさえるための
ヨード剤の服用が、40歳以上では必要ないとされていることから、高齢者への
放射線への影響はあたかもないような誤解もありますが、そうではありません。

これまで述べてきたように、私たちが生きている限り、私たちの体内では
新しく血液が作られたり、活発な細胞分裂も行われているのであり、放射線による
ダメージは、当然、大人であっても受けるのです。
それらから放射線被ばくはできる限り避けるにこしたことはないことを
知る必要があります。


まとめます。
子どもは大人よりも、細胞分化も細胞分裂も活発に行っています。
だからこそ、放射線のダメージを大人より激しく受けてしまうのです。

福島の学校では、年間の被ばく許容量が20ミリシーベルトとされてしまって
いますが、3倍から10倍で見積もった場合、60ミリシーベルトから200ミリ
シーベルトの被ばくに該当します。

放射線に関連する仕事に従事する人々が、やむを得ないものとしてがまん
しなさいとされているのが年間50ミリシーベルトであり、しかも5年間の総計で
100ミリシーベルト以上浴びることは許されていません。

そもそも放射線管理区域は、3カ月で1.3ミリシーベルト以上の被ばくをする
地域のことを指しており、そこでは飲食も眠ることも禁止されています。
子どもを連れ込むことももちろんご法度です。

これらから20ミリシーベルトを許容値にするのは子どもに対する暴力で
あり、ただちに止めさせる必要があることは明らかです。
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明日に向けて(92)市民が自ら情報を解析し、発信することの意義

2011年05月04日 13時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110504 13:00)

毎日新聞京都支局の太田裕之記者が、僕が行っている情報発信を記事に
してくれました。丁寧な取材を経てのことです。記事の下段に僕のことが
出てきますが、「行政や専門家に任せず、個々の市民が主体的に情報を
収集・交換する動き」として紹介してくれています。

これを読んでいて、自分が問われて語ったことであるにもかかわらず、こうして
情報発信をしていることの意義を、再度、確認するものがありました。


これまでも述べてきたように、僕がこのような情報発信を行っているのは、
七沢潔さんが書いた『原発事故を問う チェルノブイリからもんじゅへ』(岩波
新書)と高木仁三郎さんの『市民科学者として生きる』『原発事故はなぜ
くりかえすのか』(岩波新書)などの影響です。

とくに七沢さんは、旧ソ連と日本は似ている、チェルノブイリともんじゅに同じ
匂いがすると語ったのですが、それが強烈な印象として僕の脳裏に刻み込まれた。
深刻な事故が起こった時に、この国の電力会社や政府官僚たちは、まず
自己保身を考え、情報を隠してしまう。そのため深刻な被ばくが起こりうる。

だからそのときがきたら、事故が近ければすぐに逃げ出さなければならないし、
遠ければ、「逃げてください」というメッセージを発しなければいけないと
僕は考えてきました。


実際に福島原発事故がおこったとき、似たような考えを持った人々が、たくさん
関西に逃げてきました。同時に、情報解析と発信が始まった。

しかし今回は、幾つもの予想しえなかった壁が立ちふさがりました。
一つは大地震に大津波が重なり、膨大な数の人が被災してしまったことです。
その上に原発大災害が重なった。

人々を助けなければならない。
そのために救援隊が続々と入って行く。
しかし原発は、1号機が水素爆発し、3号機が、もっと深刻で激しい爆発をした。
大量の放射能が漏れ出しました。

救助隊もこれに振り回されたはずです。
原発事故のせいで、津波被災者への支援が各地で滞った。つまり原発事故の
二次被害が、救援の遅延として各地で起こった。


二つ目に、原発事故が、想像を超えた長期的展開に入ってしまったことです。
これまで原発推進派は、こうした深刻な事故が起こる可能性は、何万分の一で、
考えるに値しないと語ってきた。

したがって、事故の想定は、原発に批判的な人たちの間でしかなされて
きませんでしたが、その場合、事故が拡大するかどうかは、数時間が勝負だと
言われてきました。

今回の事態がおこってからも、多くの専門家は、事態を収拾できるか否かは
数日の間に決まる・・・と考えたようです。例えば京大原子炉実験所の小出さんも
1週間が勝負と考えたと述べられています。

ところが、福島原発事故は、ゆっくりと、長く、大量の放射能漏れを起こしながら
現在まで進行形で続いてきました。本当に長い間、危機が続いている。
その間に、これまでの常識を絶する量の放射能が漏れ出してきました。


当初、政府や「御用学者」は、大丈夫、大丈夫、安全、安全と繰り返し続けた。
はたしてそうなのか。事故は極めて危機的な局面にあるのではないか。
当初はそれを分析することが問われました。

そのとき思いもしなかったような壁も現れました。原発に批判的であったり、
政府に批判的である市民運動内部からも、原発の危機をあおって、被災地の
人を不安に陥れてはならないという声があがってきたのです。

僕があるところで、「ゆっくりしたチェルノブイリの中を生きる」というタイトルで
講演を行いたいと語ったら、「チェルノブイリのような爆発はありえない。この
ように被災地をまどわずことに与しえない」と猛烈な抗議をうけたこともあります。

しかし実際に、事故後の数週間、炉内では燃料の溶解が進み、炉が破断して
しまうような事故に発展する可能性があった。いやそれは過去形ではなく
何らかの要因で冷却がうまくいかなくなれば、すぐにも極限的な危機に陥る
状態に福島原発は今なお置かれ続けている。

・・・この状態を自分たちで把握することが問われました。原子力資料情報室に
ゲストスピーカーとして参加した後藤政志さんや、京大の小出さん、今中さん
等々、何人かの方が必死で事故の分析を発信し続けてくれましたが、データが
限られる中で、その方たちの間でも部分的には見解が分かれたりしていた。

そのためそれらの方たちの人となりは信頼しても、分析のすべてをただ信じる
ことはできず、自分の頭で情報を分析し、自分なりに危機を把握することが
問われました。それは1人ではとてもできない。そのため多方面の分野の
友人たちと、頻繁にメールを交わし、情報交換し、意見を闘わせ合った。


そうこうしているうちに、違う難題が出てきました。原発事故がどのような
状態に向かっているのかとは別の問題として、大量に漏れ出してくる放射能に
いかに向き合うのかが問われだしたのです。

このとき、僕の言う「放射能は怖くないキャンペーン」が始まりだした。それは
想像もしなかった形での、事故の新たな隠ぺいであり、人々を被ばくから
逃げさせない非人道的な方策でした。

その出所を探っていくと、下敷きになっているのは、まさにチェルノブイリ事故後の
旧ソ連、ロシア政府の対応であり、それを支援した「国際社会」=核クラブと
日本の動きであることが見えてきました。核武装を推進し、その延長で生まれた
原子力発電を擁護する国々が、チェルノブイリ事故後の被害を過小評価し
続けてきたことが見えてきたのです。

例えば1991年、IAEAはチェルノブイリ事故を非常に過小評価し、成人では
癌の被害はみられない。むしろ問題は、放射線被ばくを気にしすぎて、健康を
害したことの方にあるというデタラメな報告書を出しています。しかもこのときの
団長は日本人だった。広島の放射線影響研究所理事長(当時)の重松逸造氏です。
この人物は、かつて水俣病とチッソの因果関係を否定したことでも有名な方です。

それでこの放射線影響研究所とは何かを調べてみると、アメリカが広島原爆
投下後に、その威力を把握するために作った原爆傷害調査委員会(ABCC)
という組織の末裔であることが分かりました。それは核戦争のための組織
だった。

そしてその放射線影響研究所が、まさに今、朝日新聞や読売新聞の紙面を
大きく使って、「放射能は怖くないキャンペーン」をはじめた。僕はこれに
強い危機感を覚えました。


このとき問われたのは、それでは放射線は、人体に対してどのような影響を
与えるかでした。どれぐらいの量がどれぐらいの害を与えるのか。
・・・ところが、政府の安全キャンペーンばかりが語られて、これに対する
有力な説明が出てこない。

これまでの「放射線管理区域」や、被ばく労働に対する定義などがなし崩し的に
覆されているのに、では危険をどのように考えるのか、政府と距離を置いた
見解がなかなか出てこないのです。それでこちらが自力で調べなくてはならなく
なった。さまざまな数値との格闘が始まりました。


友人たちの頻繁にメールを交わしながら、途中ででてきた疑問は、どうして
われわれのような素人が、こうした分析をしなければならないのか。どうして
このことに関する深い知識をもっている専門家が声をあげないのかという
ことでした。

そのことに悩む中で、二つのことが見えてきました。おそらく問題を知りうる
専門家に対しては、事実上の緘口令が敷かれているのだということ。良心的な
人ほど、意見がいいにくい状態におかれていること。
これは後日、エントロピー学会に参加した時に、東大の中で、この問題について
発言するなという事実上の緘口令が敷かれているとの説明があり、一定の
確証を得ることができたと思っています。

同時に、気づいたのは、そもそもこうした問題を専門家任せにしていては
いけないのであり、多くのことを市民サイドが把握し、解析する力をつけて
おかなければならないということ。

なぜなら専門家は専門機関に属していることが多く、その機関をおさえられて
しまうと、必要な情報がでてこなくなるからです。とくに放射能の危険性について
は市民が自ら学んでいかなくては、自らを守ることができない。


今、そのことを象徴しているのが福島の学校をめぐる事態だと思います。
政府の政策に従わされていた「専門家」が、衆目の前で、涙を流して、自分の
子どもをこんな目にあわせたくないと、絶句するような状態が生まれている。
まさにこのことに、専門家任せの危うさがあらわれています。

特に今、政府は、さきほど紹介した1991年にIAEAが行ったチェルノブイリ事故
調査報告を首相官邸ホームページにそのまま載せるという暴挙を行っています。
1996年の同じくIAEAの報告や、さらにそれをも否定したWHO報告等々で
完全に否定されたデタラメな報告書をです。

しかも文科省は、そのうちの一部を抜き出したものをパンフとして成し、福島の
全ての学校に配っている。虚言であることが国際的に判明した文章をです。
このあまりに不正義な所業を、僕は自分自身が、チェルノブイリ事故報告を
追いかけることで、気づくことができた。ウソの出所を瞬時に見抜けたのです。


非常に残念なことに、この国の政府と官僚は、私たち国民と住民を、本当に
平気で欺きます。事故直後もそうでした。膨大な放射能が出ていて、それこそ
チェルノブイリのような大爆発にいたる可能性すら非常に高まっていたのに、
それを隠し続けた。そのために多くの人々が甚大な被ばくを受けてしまいました。

いやそもそもその前から、政府は原発の危機を隠し続けた。地震の可能性も
津波の可能性も指摘され続けていたのに、もみ消し続けていたことが今日
明らかになっています。まさに七沢さんが説いたように、旧ソ連と日本は
似ている。いや同じように民衆を軽視し、欺いているのです。


そして今も、放射線管理区域の放射線量を大きく超える地域で子どもたちを
学校に通わせている。先生たちも仕事に縛り付けられていますが、これはなに
よりも子どもへの虐待です。これまで絶対に子どもを入れてはならないと
されてきた地域で子どもたちを学ばせているのですから。

こうした状態から私たちが私たちの身を守るために、私たちは知恵をつけ
なければならない。そのために私たちはネットワークを作り、私たちの側で
情報解析能力をつけて行く必要があります。

私たちは一介の市民ですが、同時にそれぞれが仕事をしており、何らかの
領域の専門家でもあります。その知恵を横糸を通してつなぎあい、「今ここ」に
集め、そうして私たちの未来の方向を探りだしていく必要がある。

僕はその一つの交差するポイントに立っているにすぎませんが、これからも
多くの皆さんとともに、情報を集め、解析し、意見を交換し合いながら、
ポストフクシマをいかに生きていくのか、考察し、検討し、発信していきたいと
思います。

みなさんの変わらぬご協力をお願いします・・・。


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再考のとき:“3・11”後の京都で/2 防災/下 /京都
 ◇「放射能に県境はない」 市民が情報収集・交換も
 「ここらの人は逃げられん」。福井県高浜町の関西電力高浜原発から直線で
約6キロの舞鶴市田井地区。住民で府漁協職員、倉内智さん(36)は不安を
募らせている。隣接の成生地区と合わせ約300人が暮らすが、避難するには
険しい山道を通らねばならず、同原発にいったん近づく形になる。「漁業被害も
心配だが、それ以前にどう避難するのか」。歴代市長に陳情してきたトンネル
整備は実現していない。

 同原発から約8キロの同市朝来中の農業、林茂義さん(82)は約1ヘク
タールの水田を営む。東京電力福島第1原発事故で避難生活を送る農家の
姿が他人事に思えない。「あのようになれば逃げるしかないが、先祖代々の
土地を離れ作物をあきらめるのは大変つらい」

 福島の事故では高齢者福祉施設などで高齢者が置き去りにされたり、避難
するバスの中で死亡する悲劇が起きた。高浜原発から約7キロの特別養護老人
ホームやすらぎ苑には70人の入所者がいる。大半が自力で歩けない高齢者だ。

 「認知症の人も多く、環境の変化でパニックを起こす危険がある」と大橋裕子
施設長(56)は懸念する。そばに同様の福祉施設と障害者支援施設もある。
「原発から離れた地域の福祉施設と事前に連携し、万一の場合に入所者を
受け入れてもらう体制が必要」

 舞鶴市は同原発から20キロ圏内に人口の9割以上の約8万6000人が
暮らす。4月8日、関電幹部らが市役所を訪れて原発の健全性を強調したが、
市は放射線のモニタリングポスト(現在市内7カ所。うち2カ所が関電)の増設を
求めた。

 市議会も同14日、初めて関電幹部を参考人として招へいし、住民説明会を
要求した。関電は福島での事故を受け、安全対策への対応状況を説明するビラを
福井県内で配布していたが、舞鶴市内では一度も無かった。議員らは「放射能
に県境はない。高浜原発から10キロ圏内だけでも住民は1万2000人。一番
多いのは舞鶴市だ」と不満をぶつけた。関電は20日付の新聞各紙に安全対策
などを説明する広告を掲載。ビラ配布や住民説明会も検討するという。

 多々見良三市長は言う。「8万6000人を緊急に避難させることは物理的に
不可能。市に出来るのは、逃げ方を考え、放射線量計で正確な情報を入手
することぐらいだ」

  ◇  ◇  ◇

 行政や専門家に任せず、個々の市民が主体的に情報を収集・交換する動きも
芽生えている。京都市左京区のフリーライター、守田敏也さん(51)は震災発生
当日から、東電・政府機関の「当局発表」や国内外の報道、原子力資料情報室
など在野の研究機関・研究者らの分析を比較検証してインターネットで発信。
当局の過小評価が報道にも表れていた当初から事故の深刻さを見通し、
訴えてきた。

 電子メールなどで意見交換するのは医療関係者や計測・分析機器技術者、
農家、報道関係者ら。複数の市民団体を経由して情報の受け手は1000人を
超え、ネット接続が困難だった被災地でも印刷されて届けられた。

 事態は結果的に警告通りの展開に。「そもそも当局が否定してきた原発事故が
現実に起きた。市民一人一人が自ら、互いに守り合うことが必要と気付く
転換点になった」と守田さんは言う。【岡崎英遠、太田裕之】=つづく
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110503ddlk26040448000c.html
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