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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(271)ことばの力、絵の力、絵本の力

2011年09月27日 23時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)

守田です。(20110927 23:30)

すでにお知らせしたように、明日、信楽によんでいただき、お話をすることになっています。信楽町開発センターで午後1時からですが、少し前にいって、周辺の放射線を測り、お話の後もまた計測会を行うつもりです。信楽周辺の方、よければご参加ください。

今回の講演会は、「あすのわ」のみなさんによって主催されていますが直接に声をかけていただいたのは、これまでも紹介している絵本作家の市居みかさんです。今回のお話会は、その市居さんが絵を書き、玉崎洋子さんが文を書いて作った、1枚のチラシがきっかけになっています。

タイトルは「まずは知らなきゃね」。市居さん描く「あすのわぐま」が、原発について、「本当はこうなんだよー」と猫ちゃんに説明しているものです。何はともあれ以下をクリックしてみてください。A4二つ折り、見開きようのもので、1枚目の右側からスタートしています。
http://asunowa.shiga-saku.net/e614436.html
https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=1n4BN-8yTV5-BqPLEixco6GMXyRBn1Hz1NF8pdV_ibNfW20AATCj_rShSINd8&hl=en

僕がこのチラシを手にしたのは、4月に行われた大阪での脱原発デモでのこと。カメラを持って、歩道を歩いていた僕に、小学生ぐらいの女の子(玉崎さんの娘さん)が、はい!とにこやかに手渡してくれたのでした。一読して、これはこの間のベストチラシだと思った。

それでただちに持ち帰ってマスプリ。周りにじゃんじゃん配りだしたところ、大好評でしたが、その頃になって、良く読むと、「イラスト市居みか」と書いてある。実は市居さんに僕は、数年前に滋賀県で行われた絵本を読む会の場でお会いしていたのでした。

これは絵がつないでくれた縁だな。絵本の縁だなと感じました。すると市居さんが呼びかけて、絵本作家さん60人が集まって、NO!ゲンパツ展が行われていることを知り、東京に出かけた際に、見てくることができました。圧巻だった!集まった絵の力に胸を打たれ、心が温かくなりました。

このときの様子も、あすのわのHPに市居さんが書いているので、ぜひご覧ください。この展覧会は、滋賀、大阪、新潟、東京、広島の会場を駆け回ったのですが、それぞれの会場の様子、そして出典された作品をみることができます。
http://asunowa.shiga-saku.net/e678870.html

さらに市居さんは、次の展覧会にも踏み切っている。『ぼくらの原始力展』です。9月19日から10月2日まで。東京中野で開催中。「絵本作家たちの、原発なくてもこんなにすごい力がたくさんある!というテーマのグループ展」と銘打たれています。以下をクリックしてください。
http://ichiipk.exblog.jp/

絵の力、絵本の力、絵本展の力、それはすべて人間の想像力に訴えかけてくるものです。そこには物理的エネルギーは使われていない。もちろん電気など介在していない。でもこれほど体があっためられる。何か人間の最も根本にある力を引き出してくれるような気がします。

そう考えているときに思い出したのが、僕がかつて同志社大学社会的共通資本研究センターに属していた時に行なわれた「社会的共通資本としての絵本」という講演会でした。このときにお招きしたのは、絵本の老舗、福音館書店の会長、松居直さんでした。

もうひとり、先日、細川弘明さんの除染報告会を行った京都・堺町画廊の主宰者でもある、絵本作家のふしはらのじこさんも来て下さいました。お二人の話ともにとても素敵だったのですが、今、紹介したいのは、松居さんのことです。


松居さんは、絵本の世界にいる方の中ではとても有名な方で、いわば絵本道の達人です。といってもご本人が絵本を書かれてきたのではない。福音館書店を通じて数々の素晴らしい絵本を世に押し出し、また素晴らしい作家さんたちを育ててこられたのです。

松居さんは、絵本や、こどもの本にまつわる成人向けの本を何冊も書かれています。『絵本をみる眼』『絵本とは何か』『子どもの本・ことばといのち』などです。とくに絵本やこどもの本を開いてみようという方にお勧めなのは『子どもの本・ことばといのち』です。

ここでは松居さんのお勧めの本がずらりと並んで紹介されている。その筆頭にあげられているのは『ハイジ』です。誰もがご存じのアニメーション『アルプスの少女ハイジ』の原作ですが、実は原作と、アニメにはかなりの違いがあり、松居さんはそれを次のように紹介しています。


「久しぶりに完訳で『ハイジ』を読み返したとき、ひとりの読者-それも大人の読者として、私は予想した以上に心をひかれました。これほどまっすぐに心に語りかけ、新鮮な思いに包まれた読書体験も稀でした。それに較べてアニメーションの「ハイジ」のなんと貧しいこと。原作者シュピーリが語り伝えたいと願ったであろう本質の問題は、みごとに消し去られているのです。」

「いえ、その部分は映像化しえないのです。もちろん物語を”読む”というあの楽しさは味わえません。シュピーリが心をこめてことばにした自然の美しさも、人の心のゆたかさや深い悩みも、まるでメッキのように薄っぺらにしか表現されていません。」(『子どもの本・ことばといのち』p10)


僕はこの一説に衝撃を受け、すぐに「ハイジ」の原作を日本語訳し、福音館書店が発刊したものを手に入れ、ゆっくりと、丹念に読みました。そして松居さんがおっしゃるように、この本が本当に深い広がりを持っていることを知りました。さらにパウル・ハイの描いたさし絵にとても感銘しました。

実はこのさし絵は、松居さんが日本語訳を編集されたときに、スイスの著明な絵本編集者で、こどもの本のすぐれた研究者でもあったベッティーナ・ヒューリマンさんに相談を持ちかけ、パウル・ハイさんを紹介されて実現したものなのでした。松居さんはこう語っています。


「すでに『ハイジ』をお読みになったことがある方々も、改めて矢川澄子訳、パウル・ハイ画の完訳本『ハイジ』を、一行一行ゆっくりと、山に登るときのようなあゆみで読んでみてください。そして作者シュピーリの語ることばと思いに、より添ってみてください。」

「さらには、登場人物たちの行為やことばだけでなく、アルプスの自然について語る、シュピーリのことばにこめられた、彼女の実体験とあこがれに思いをいたしてください。この作品の新の立役者は、スイス・アスプスの大自然だともいえるのではないかと、私はおもうからです。」(同p12)


松居さんが、『ハイジ』の紹介を通じて伝えたかったことは何でしょうか。ことばと絵が、人間の想像力をかきたてること、そこにこそ「子どもの本」や「絵本」の素晴らしさがあるということではないかと思います。だから実は優れた本は、大人をも感動させる。

正確にはものごとに感動する私たち自身の力、かけがえのない人間的能力を、引き出してくれるのです。そこに、ピュアに書かれたことばの力、絵の力、そして絵本の力があると僕には思える。あらゆる書物の原点が、そこにあるように思えます。


松居さん自身は、『絵本とは何か』という本の中で、絵本について直接にこう語っています。小さな子どもたちを集めて、お話を読み聞かせたとき、ついてこれる子と、そうでない子がいる。それはなぜかということを解き明かす中で語られている言葉です。

「物語を聞ける力というのは、物語という目に見えない世界を、自分の心の中に見えるようにする、絵(イメージ)にする力です。一般に想像力(イマジネーション)といわれる力です。想像力が豊かであれば、人間は見えないものを見ることができます。絵本は、子どもたちの想像力に大きなかかわりがあります。」
「子どもは、生まれたときから、豊かな想像力を持っているのではありません。それは直接、間接の体験を通して獲得されるものです。体験が豊かであればあるほど、想像力も豊かになるでしょう。絵本は、幼児にとって体験を豊かにする機会をあたえます。」(『絵本とは何か』p7、8)


・・・今、私たちは本当に深刻な放射能漏れの中を生きています。放射能との共存時代といわざるをえない事態の中にいます。その中を前向きに生きてくために必要なのは、放射能の元を断つことと、一方で腹をくくり、免疫力を高める努力を傾けることだと、僕は肥田さんに教わりました。

免疫力を高めるためには健康生活をすることが大切ですが、同時に私たちが経験的に知っているのは、精神生活の豊かさもまた、免疫力の向上に大きく寄与するのだということです。だからことばの力、絵の力もまた、免疫力の向上に大きく寄与するのだと僕は思います。

その意味で、僕は「絵本は放射能に効く」と感じます。そう思うと、大阪のデモのときに、「あすのわぐま」と出会って、心がパッと明るくなった嬉しさ、楽しさを思い出します。そしてそんな力を脱原発の訴えの中で、もっと強めていきたいなと思います。

そんなことを思いながら、明日、信楽を訪問し、みなさんといろいろとお話してきたいと思います。そこから何か新しいものを生み出せるといい。あすのわぐまが楽しそうに踊りながら歩いていく、それにみんながついていって脱原発の道ができていく。思い浮かぶのはそんなイメージです。

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明日に向けて(270)自転車を被災地へ!報告会を行います。おじいさんの自転車の話にもご注目を!

2011年09月25日 22時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110925 22:30)

京都OHANAプロジェクトで自転車を大槌・釜石・陸前高田・気仙沼に
届けてから1か月が経ちました。この間、プロジェクトでは、今回の活動の
振り返りを行い、次の活動をどう組み立てて行くのか話し合いをしてきま
した。それらに基づいて、11月3日に報告会を行います。午前の開催です。
京都のひとまち交流会館で行います。どうぞご参加ください。

報告会に先立って、OHANA通信Vol14も出されています。この中から、今回の
訪問を写真でまとめた映像が観られます。使ってある写真には僕が撮ったもの
もあります!活動の様子が3分ちょっとで観れますので、ご覧下さい。
またKBS京都テレビ番組「ふれ愛さんか」でも活動の様子を取り上げて下さい
ました。これも観ることができます。こちらは12分ほどです。

もう1点、今回、自転車をあるおばあさんから預かって、集積場まで届けて
下さった、友人の山口さだこさんが、このことを京都新聞に投稿して下さい
ました。その報告と、掲載された文章をプロジェクトに届けて下さったので、
これも末尾に貼り付けます。

この自転車、山口さんが、介護に通っているおばあさんが、亡くなったおじい
さんの形見として大事にしていたもの。それを東北の人を助けたいと快く提供
して下さったのでした。プロジェクトはこのストーリーを、自転車を仮設住宅
の方々にお渡しするときにお手紙にして沿えました。1台、1台の自転車に
ストーリーがあることをお伝えしたかったからです。

そのことがおばあさんに伝わると、大変、喜んで下さり、なんと夢の中に
おじいさんが出てきて、自転車を嬉しそうに漕いでいたのだそうです。
感動しました・・・。とてもいい文章です。どうかお読みください。


***********

OHANA通信Vol14 9月24日(土) ちょっとプレゼント

こんにちは。京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

第二弾企画から、早くも1か月の時が経ちました。
今頃、自転車がどんな風に走っているか気になりますね。

さて、今日は少しばかりのプレゼントです。
OHANAの応援もしてくれた親友・マツさんにお願いして作ってもらいました。
↓こちらご覧ください↓
http://www.youtube.com/watch?v=aHIUGfyXubE
皆様の力で生まれた笑顔があります。

ほんの一瞬の出来事かもしれませんが、明日に繋がる力と信じています。

また、KBS京都テレビ番組「ふれ愛さんか」でOHANAの模様を取り上げて頂いています。
こちらからご覧いただけます。
http://www.youtube.com/watch?v=vq5aUY5z28s

最後に、11月3日(木)祝日の午前から報告会を予定しています。
場所は河原町六条のひとまち交流会館です。
詳しくはまたご案内しますが、ご都合つく方は是非お越しください。

お読み頂きありがとうございます。
今日も素敵な一日をお過ごしください。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉

*************

OHANAプロジェクトのみなさんへ
山口さだこ

岩手と福島への自転車プロジェクトありがとうございました。
お疲れさまでした。

8月29日に、守田さんの報告会に参加して、 ビデオと写真で活動の様子が
とてもよくわかりました。

自転車を受け取られた方々の笑顔をみて目頭が、あつくなりました。
森さん 大槻さん、守田さんやチータさんの活躍に感動し、敬意を表します。
しかし、復興が進んでいない風景には愕然としました。

私がお届けした自転車のことを、お手紙に書いていただいて
ありがとうございました。
提供していただいておばあさん(イクコさん)に、印刷をしてお渡ししましたら、
とてもよろこんでくださいました。
東北の141人の方に、おじいさんの自転車のエピソードが伝わったことに、
感激されていました。

また、私がお届けした自転車のことを、京都新聞「こまど」欄に投稿しましたら
8月25日付け紙面に掲載されました。文末に記事を貼り付けます。
イクコさんは10年ほど前までは、「こまど」欄の常連でもありましたから
掲載をとても喜んでくださいました。

そのことをイクコさんは、毎週通所されているデイケア施設(一乗寺)で
お話しされました。
お年寄りのみなさんも職員さんもとても感激されて、OHANAプロジェクトの
手紙と私の「こまど」投稿とを、コピーして施設の掲示板に貼ってくださって
いるそうです。

イクコさんは、「なかなか届かない義援金に比べて、私の自転車は確実に
東北に届いて役に立っている」と、誇らしくされていました。
OHANAプロジェクトのみなさんの努力が、イクコさんの誇りになり、たくさんの
方々にこのようなあたたかい援助があるのだと
知ってもらうことができました。ありがとうございました。

そして、先日、4年前に亡くなられてから一度も夢にでてきてくれなかった
おじいさんが、イクコさんの夢にあらわれたそうです。
おじいさんは、満面の笑顔で自転車をこいでおられたそうです。
きっと、東北の道を駆けておられるのでしょうね。

ありがとうございました。


★おじいさんの自転車★  京都新聞 こまど 2011年8月25日掲載

そのおばあさんの家に、自転車があることは以前から知っていた。
それは、亡くなられたおじいさんのもので、しばらくはおばあさんが乗って
おられたが、今は足を悪くされ、もう自転車に乗ることはむずかしい様子であった。

ある日、東日本大震災の被害をテレビをみていたおばあさんが、「私はテレビを
みるばっかりで、何もできひんけどねえ」といわれた。

私は「自転車を寄付しませんか?」といった。被災地に、中古自転車を届ける
取り組みをしっていたのだ。

おじいさんは、運転免許を返上してのち、おばあさんと二人で、京都各所に
自転車ででかけられていたそうだ。 

お花見、紅葉、色々な催し・・・。ふたり並んで、仲良く、またときには
けんかしながら・・・。

そんな思い出の自転車を、譲っていただくのが、しのびなかったが、おばあさんは、
喜んで自転車を私に託してくださった。

空気はぬけていたけれど、パンクはしておらず、ライトもつく。おじいさんが
丁寧に乗ってこられたことが偲ばれるがっちりとした黒い自転車だった。

中古自転車を集める日、私はその自転車に乗って、鴨川沿いを南下した。

おじいさんの自転車に乗っていると、おじいさんとおあばさんの仲良く走って
おられる姿が目に浮かんできた。

山口さだ子(京都市左京区 介護職)


以下、元原稿にはありましたが割愛されました。

生前お会いすることのなかったおじいさんに心から感謝の気持ちがあふれてきた。

自転車の集積場には、たくさんの自転車が集まっていた。色も形も大きさも
バラバラのたくさんの自転車が、その一台一台に物語を秘めて、東北に運ばれる
のを待っていた。

自転車プロジェクトのボランティアの方は、とても親切に誠意をもって
活動されている。

信頼して、おじいさんの自転車をお渡しした。

おじいさんの自転車さん! 天国のおじいさんに東北をみせてあげてね。






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明日に向けて(269)アフガン空襲開始から10年の10月8日、キャンドル・ビジルに参加を!

2011年09月24日 20時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110924 20:00)

今日はもう一つ、企画のご案内をします。10月8日に行われるキャンドル・ビジル
です。10月8日は911事件直後にアメリカが空襲を開始した日。戦争と暴力の10年の
始まりの日でした。この日にピースウォーク京都の呼びかけで、この10年間に殺害
された全ての人々への追悼と祈りを込めて、キャンドルとプラカードを持った、
スタンディングを行います。

場所は京都市の三条大橋周辺。橋の両側をろうそくで埋められればと思います。
そして静かに平和を祈りたい。亡くなった人に思いを傾けたいと思います。京都
近辺のみなさま、どうかご参加下さい。それぞれの思いを書いたメッセージボード
をご用意ください。またペットボトルを使ってキャンドルを作りますが、それ
ぞれが思い思いのものを持ってきていただくとありがたいです。

放射線被曝の問題でも、この行動には意義があると僕は思っています。この10年、
アメリカ軍によって劣化ウラン弾が世界中にばら撒かれてしまったからです。劣化
ウランは、天然のウランを採掘し、原発の燃料に加工した残りカスで、濃縮ウラン
の逆です。ウランは自然界にある物質の中で最も比重が重いためにこれを使って弾
を作ると、鉄の装甲板を簡単に撃ち抜いてしまう。それで兵器に多用されている。

ところが装甲板を貫通するとき、劣化ウランは超高温で燃焼し、微粒子となって
飛び散るのです。粉塵となり、周囲にばら撒かれ、やがて体内にはいってしまう。
そうすると重金属としての毒性を発するとともに、α線を出し続け、深刻な内部
被曝をもたらします。このための健康被害が、イラクやその周辺国をはじめ、戦場
となった各国で起こっている。何も知らされていなかった米兵も多数被曝している。

昨日、鎌仲ひとみさんの映画『ヒバクシャ』についての感想を書きましたが、この
10年、世界は本当に深刻に劣化ウラン弾によって被曝させられてしまいました。そ
してその10年の最後の半年に、311事態が起こり、私たちの国も手ひどい被曝を受け
てしまった。世界に劣化ウラン弾をばら撒いたアメリカを最も強く支援してきた
この日本という国も、アメリカが設計した原発の崩壊によって被曝してしまった。

この一連の流れを考える時、私たちが放射能に立ち向かい、何とか明るい未来を
築いていくためには、世界中の「ヒバクシャ」のことを考えなくてはいけないし、
さらにまた世界中で理不尽に命を奪われてしまった人々のことを考えなくては
いけないと思うのです。誰かの命が軽んじられる社会で、私たちはけして平和に、
幸せに暮らすことはできない。そのことが311事態の中で示されたのではないか。

10月8日、そんな思いを込めながら、できるだけ多くの方と一緒に、三条大橋に
立ちたいと思います。以下、ピースウォーク京都からの呼びかけを貼り付けます。
英文のものも作りましたので、英語圏の方にも呼びかけていただくと幸いです。
世界中の人々の命もが大切に、尊重される世の中を目指して歩んでいきましょう。
一緒に小さな光を灯して、明日に向かっていきましょう!

******************************

殺された人びとへの追悼と祈りをこめて
 ―キャンドル・ビジルへのお誘い―

とき 10月8日(土)19:00~20:30頃まで
ところ 三条大橋周辺
主催 ピースウォーク京都 090-6325-8054
peace@pwkyoto.com http://pwkyoto.com/

10月8日はどんな日?
2001年の「9・11事件」の報復に、米軍がアフガニスタンへの空襲を始めた日。
(干ばつに苦しむアフガンの人々に爆弾の雨を注いだのは、誰に何を報復するため?)
巨大な国家暴力が次々と牙をむき続けた10年、10月8日はその始まりの日だった。

アフガニスタンからイラクへ、あのとき始まった「戦争」は、まだ終っていない。
(イラクには大量破壊兵器なんてなかったのに)
日米同盟という“つきあい”で、私たちもまた、にんげんの命を奪い、
地球の命をも脅かすこの戦争に加担させられてきた。

戦闘機の上からの視線ではなく、地面を逃げまどう人の視線で、
「殺すな!」 と、ただそれだけを叫びたくて、
小さな一人が、いても立ってもいられずに、
「ひとりの歩みから」を始めた10年でもあった。
世界中の小さな一人のうねりが、何かを変える流れにつながるのを夢見て。

でもこの時間の中で、ありとあらゆる新兵器が殺人に使われ、劣化ウラン弾も
たくさん使われた。
放射能は今このときも、かの地の子どもたちや未来の命を脅かし、奪い続けている。

10年の後に3・11を経て、同じたくさんの放射能を浴びた私たちの大地から、
この10年の暴力の中で失われた命に想いを馳せ、
手の上に灯した小さな炎を見つめる時間をともにしよう。
すべての戦争犠牲者に哀悼を。
命を脅かすモノを「やめることができない」愚かさに終止符!の思いを込めて。

10月8日、三条大橋を灯りのリングで包み込みましょう。
希望の明日への歩みを始めるために、ともに悼む時間をご一緒しましょう。


What is “October 8th”?
It’s the day when the US started to bomb Afghanistan in the name of
retaliation against the tragedy of September 11th, 2001.
Who on earth was that against and what on earth was that for?
– throwing a shower of bombs and bullets over Afghan people who were
suffering from long period of drought.
Huge acts of violence by nations have recurred successively these
10 years.“October 8th” is the day it actually started.

The target shifted from Afghanistan to Iraq and the war that started on
that day is not ended yet although it turned out that Iraq didn’t
have weapons of mass destruction.
Under the “political relationship” called Japan-US alliance, we
Japanese were obliged to support the war that took people’s lives
and also would threaten this planet’s life.

Just to cry out “don’t kill anybody!” for people trying to escape
on the ground, many little people have taken first steps spontaneously
these ten years, dreaming that tiny ripples from all over the world
would come together to become a big wave to change the world.

Various new weapons such as DU bullets have been used to kill people
these 10 years. Radiation continues to threaten and take children’s
lives in that area.

Experiencing “March 11th” 10 years later, and living on land severely
exposed by radiation, let us think of the lives taken by the violence
of these 10 years and look quietly at the small candle lights in our
hands together.

Let us express our grief and sorrow for all war victims and put an end
to our stupidity of not giving up holding and using weapons that
threaten people’s lives.

Let us surround Sanjo Ohashi Bridge with our candle lights on October 8th.
Come and join us to share some time to mourn and to start to walk ahead
together with hope for tomorrow.




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明日に向けて(268)アカテレ(出町柳)、信楽、乙訓、ひとまち、ベジフェス、亀岡でお話します・・・。

2011年09月24日 17時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110924 17:00)

来週から10月にかけて、お話を聞いていただくために、幾つもの会場に
呼んでいただいています。この一連の話では、先日の矢ヶ崎さんの講演会
や細川さんの報告会で教えた頂いたことを反映させたいと思います。京都
近辺の情報で恐縮ですが、お近くで可能な方、どうかご参加ください。

なお28日に信楽を訪問しますが、この事前の打ち合わせなどをかねて、
22日に信楽に訪れ、今回招いて下さる絵本作家の市居みかさんと合流して
信楽小学校などの放射線値を測定しました。結果は・・・思ったより高く、
市居さんも僕もちょっとショックを受けました。

測定に使ったのは、RADEX RD1503というガイガーカウンターです。小学校
の真中の1メートル地点で0.17マイクロシーベルト(毎時)、10センチ付近
で0.20マイクロシーベルトという値が出ました。また校庭のはしにある
ブランコの下(地上10センチ)では、0.23マイクロシーベルトという値が
でました。

ちなみにこうしたガイガーカウンターはけして精度が高くなく、低い値の
計測では少し高めに出る傾向があります。なのであくまで参考値として
いただければと思いますが、それでも0.23という値はやや高い。

比較までに京都市左京区の叡山電車茶山駅南側近くの公園の昨日の数値を
測りましたが、真中の地点の地上1メートルで0.14マイクロシーベルト、
10センチで0.16マイクロシーベルト(毎時)でした。またその近くの我が
家(マンション3階)の中の計測では、0.10マイクロシーベルトから0.12
マイクロシーベルトぐらいの値の間を揺れています。
信楽での数値をも含めて、実際の数値よりやや高めなのではないかと
思っています。なおこの点は、先々精度の高い機器と一緒に測定することで
この機器の数値を読み取る目安を作るつもりです。

ともあれこうした現実をどう捉え、どう考えて行くかをみなさんと一緒に
考えたいと思っています。なお今後、講演を行う時には必ずガイガーカウンターを
持参し、その場の放射線値を測ってからお話しすることにしようと思います。
もっと各地でこまめに測って行かねばと思うからです。

あと講演ですが、クルーズドなものですが、この期間の間に、全港湾労組
阪神支部さん、同志社大学松蔭寮さんからも呼んでいただいています。

それぞれの場で、みなさんと放射線被曝について考えていきたいです。

**********************

9月27日(火曜日)アカテレ(出町柳)
午前10時から12時

「内部被ばくって??放射能との共存時代を前向きに生きる」
守田敏也さんを迎えて

内部被ばくとは?京都は大丈夫なんじゃないの?
日本中に拡散してしまった放射能汚染。
どこまで広がるのか。
そして今、気がついた放射能汚染は3.11以前からあった?
事故を起こさなくても原発からは常に放射能漏れ、中国からの
黄砂にもセシウム、核実験からの被ばく、、。
もうこうなったら一度腹をくくってどう対処して行くか考えて
いく必要があるのでは。
いかに被ばくした放射能物質を体から排出していくか、悲観的に
なりすぎず前向きに、そして放射能を出し続けるもとを止めて行く、、!
気がついた今、私たちは行動していかなくてはなりません。
どうやって。
みんなで一緒に考えたいと思います。

予約不要、カンパ制。

場所:アカテレテコベ ソベサーバ
(左京区田中下柳町3?17 ファラフェルガーデン横)

***

9月28日(水曜日)信楽
午後1時から3時

震災後、ずっとご自分で見て来たこと、聞いたこと、調べたことを、
真摯に発信してくださるフリーライターの守田さん。
一度、ゆっくりお話を伺いたいと思っていました。あすのわにもとても
注目してくださっています。
京都でのお話会は、すぐに満席!
その守田さんの講演会を信楽でやっていただけることになりました。

気さくなお人柄もあり、今、聞きたいこと、初歩のところからわかり
やすく聞けると思います。

ぜひ、みなさま、ご参加くださいー!!!

守田敏也さん講演会
~放射能から身を守るには?これから日本はどうなるの?~

3.11の原発震災以来、わからないことだらけで、不安がいっぱい
ですよね。日本に放射能汚染がやってきた今、逞しく生き抜くため、
子どもたちを守るため、知ることから始めませんか?

原発事故って何が起こってるの?
放射能から身を守るには?内部被曝って何?
子どもの生活は?
食べ物はどうしたらいいの?

守田さんのお話は新しい情報が満載です。
素朴な疑問・質問に何でも答えてくれますよ。
この機会に分からないこと、知りたいことを聞いてみませんか。  

*講演の後、ガンガーカウンターで信楽町内を測っていただきます。
その後、一品持ちよりにて夕食もご一緒する予定です。
お時間許す方はご一緒にどうぞ。

●参加費 800円

●信楽町開発センター(信楽中央公民館内)
甲賀市信楽町長野1251
(甲賀市役所信楽支所横/信楽高原鉄道信楽駅下車徒歩3分)
地図はこちら http://g.co/maps/cbs82
参加される方は、予約をお願いします。

●参加申し込み・お問い合わせは市居まで。
メール ichiipk@ybb.ne.jp
Tel/fax 0748-83-0973 080-5365-4362

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
守田敏也(もりたとしや)さん プロフィール

1959年生まれ。京都市在住。同志社大学社会的共通資本研センター客員
フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、
社会的共通資本に関する研究を進めている 。原子力政策についても独自の
研究を続けている。震災後のデーター収集と鋭い分析力により、震災後、
講演会などに駆け回り、多忙な毎日を送られています。

●明日に向けて 守田さんブログ http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

岩波書店『世界』9月号(発売中)に、守田さんが、6000人の被爆者を診察
してこられ、内部被曝に詳しい臨床医師:肥田舜太郎先生をインタビューした
記事が載っています。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/09/142.html
ぜひご覧ください。

***

9月30日(金曜日)京都・乙訓
午前10時から12時半

生活クラブ京都エルコープ乙訓地区原発学習会

「福島・ゆっくり長く続く放射能漏れ事故の中を能動的に生きる」
2011年9月30日(金曜日)

10時~12時30分
10:00~ 開場
10:15~ 講演
11;45~ フリートーク
12:30  閉会

バンビオ6階配膳室(JR長岡京駅前 バンビオ内)
講師 : 守田敏也(ジャーナリスト)
参加費(場所代など) 200円

福島第一原子力発電所の事故に伴う、広範囲な放射能による
環境汚染と食品汚染について、ジャーナリスト守田敏也さんに
お話ししていただきます。不安や疑問なことをおしゃべり
しませんか。

*保育はエッコロ共催の集団託児を利用しますので、エッコロ
共催未加入者については600円(一時間)をお支払いください。
当日エッコロ共催に加入はOKです。

問合せ先:生活グラブ京都エルコープ西センター
075-934-7371

***

10月4日(火曜日)京都・ひとまち交流会館
18:30~21:00

守田敏也(内部被曝について)18:30~19:00
豊田直巳講演 19:00~20:30
詳しい案内は再度、別に掲載。

***

10月8日(土曜日)京都・ひとまち交流会館
18:00~18:50

ベジフェス 前夜祭 【第1部】10/8(SAT)18:00~19:30 
講演会 @下京区河原町五条下ル ひとまち交流館・第5会議室にて
 (講演会のみの場合は予約不要です)
入場:カンパ制

18:00~18:50  フリージャーナリスト 守田敏也さん 
「放射能汚染と内部被曝 日本は?京都は?私たちどうすればいいの?」 

広がる食料汚染と核のゴミ、迫りくる内部被曝の恐怖・・・。
地球の生きものと、子どもたちを守るために、放射能と立ち向かおう

***

10月9日(日曜日)京都・仏光寺
14:00~16:00

ベジフェス当日 
14:00~16:00 TALK TALK THINK トークライブ
4名のゲストをお招きします。

守田敏也さん
僕生プロジェクト ごっちさん
いきもの多様性研究所 小山直美さん
team SAKE 大関はるかさん

http://www.vegetarianfestival.jp/

***

10月11日(火曜日)京都・亀岡市
午前10時から12時

<10/11>内部被爆ってな~に?

~食べもの選びを考えよう~

•3.11の原発震災以来、分からないことだらけで不安。
•子どもには放射能汚染された食品を食べさせたくない。
•内部被爆って何?暫定基準値って何?
•スーパーで買い物するとき、産地表示を見ると、ちょっと迷うことがある。

こんな風に思っている、ママさんや家族の健康を心配する方が多いのでは
ないでしょうか?
自分も子どもを持つ母親として、自分なりに勉強したいと思い、
亀岡でのこの勉強会を企画しました。
子どもたちを守るため、まず「知ること」から始めませんか?
質疑応答もできるフリートークの時間を長めにとっています。
ざっくばらんに意見交換ができたらよいと思っています。お気軽にお越しください。

内部被爆ってな~に?
~食べもの選びを考えよう~

日時: 10 月11 日(火)
10:00 ~ 11:00 守田さんのお話
11:00 ~ 12:00 みんなでフリートーク
場所: ガレリア亀岡2階研修室にて
費用: 500 円(資料代として)

※託児の必要な方はガレリア託児室(無料)に
直接お問い合わせください

講師:守田敏也さん

同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリー
ライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本に関する研究を進めて
いる。311 以降は原発事故問題をおいかけている。関西各地で、「内部被爆」
に関するさまざまな講演会を行っている。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
守田さんの講演は、京都府各地ですでに数多く開かれ満員状態です・・
ガレリア研修室・・・20名でおさえましたがもしかしてもっと大きい会場の
方がよかったかな。。

亀岡でもやりたいね~・・・と企画してくれたのは1歳児のママ。
5年後も10年後も、その先も、この子たちの笑顔が見たいから、親として
私もできることをしたいと思います。



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明日に向けて(267)鎌仲ひとみさんのこと、映画『ヒバクシャ』のこと

2011年09月23日 23時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110923 23:30)

山水人2011の報告の第2弾です。9月20日、祭りの企画の一つとして、
トークセッション「311以降の生き方とは?」が行われ、スピーカー
の一人として参加させていただきました。他の参加者は映画監督の
鎌仲ひとみさん、ジャーナリストの冨田貴史さん、古谷桂信さん、
そして若狭原発などの映像を撮られてきた山下信子さんです。

企画はほぼ夜の7時に始まり、まず鎌仲さんが撮った映画、「ヒバク
シャ~世界の終わりに~」を上映。これを踏まえて、富田さんの司会
のもと、映画の感想から、この被曝時代をいかに生き抜くのかまで
さまざまなことを語り合いました。一番、マイクを持ったのは鎌仲
さん、次に僕・・・の順だったかな?


今日、ご紹介したいのは、何と言っても鎌仲ひとみさんのこと、映画
『ヒバクシャ』のことです。実は本当に恥ずかしいことに、僕はこの
映画をこれまで観たことがありませんでした。事前の打ち合わせでも、
鎌仲さんに、「えー観てないの?それで肥田さんのインタビューをし
たの?えー?」としかられてしまいました・・・。

それでこの日、初めてこの映画を観ましたが、大変、深く感動し、同
時に自分が恥ずかしくなってしまいました。なぜかというと、この映画
では、内部被曝の恐ろしさが本当にきちんと、丹念に、分かりやすく、
描かれていたからです。つまこんなにも前からきちんとした説明がなさ
れていた。なのに僕は311以降までこれに気が付いていなかったからです。

ここで、つい数日前の僕のように。この映画を観たことのない人のため
に、映画のコンセプトを紹介したいと思います。以下、この映画のホーム
ページの文章をコピーして貼り付けさせていただきます。ホームページ
には「制作日記」や、「取材中に出会った人々」などの項目もあります。
ぜひご覧下さい。
http://www.g-gendai.co.jp/hibakusha/

***

映画のコンセプト

世界で初めて原爆が投下されてからすでに57年、経った。ヒバクシャは
この57年をどう生きてきたのだろうか。原爆の体験はこの間、日本や
世界の人々と共有されてきただろうか?ヒバクシャとはどのような存在
なのだろうか?

この疑問は98年、イラクを訪れ、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により
白血病を病んだ多くの子供達に出会ったことから始まった。彼等は世界
から隔絶し、自分に何が起きたのか語る言葉を持たず、十分な医療もなく、
そして私の目の前で亡くなって行った。その中の一人、14才の少女、
ラシャは「私を忘れないで」とメモを手渡した。ここから私のヒバクシャ
の声を聞く旅が始まった。

広島で被爆した医師、肥田舜太郎は85才の今もヒバクシャの医療と人権の
回復に情熱を傾けている。被曝体験から肥田医師は微量の放射能がもたら
す危険を訴えてきた。肥田医師の活動を通して、人類史上稀に見る悲惨な
体験から日本のヒバクシャが獲得した、アイデンティティ、そしてその魂
のメッセージを探る。

また一方で肥田医師の警告する微量放射能の被害は核開発、核実験、原発
によって世界に拡散している。長崎に投下された原爆のプルトニウムを
生産したアメリカのハンフォードでは50年以上も大量のプルトニウムを
製造する過程で世界でも最大量、高濃度の核廃棄物の汚染にさらされてきた。
そこに住む住民もまたこれらの放射能によってヒバクシャとなっている。

この映画では核の被害者を等しくヒバクシャと呼びたい。放射能は目に
見えないが確実にこの世界を汚染し続けている。だからこそ、今、
ヒバクシャの声に未来へのメッセージに耳を傾ける。

***

映画では、「3つのヒバクシャ」が描かれています。劣化ウラン弾で被曝
したイラクの人々、プルトニウム製造工場の放射能漏れで被曝したアメリ
カ・ハンフォードの人々、そして広島原爆で被ばくした肥田舜太郎さん
です。鎌仲さんはイラクにおもむき、自ら米軍の劣化ウラン弾を使った
爆撃にも遭遇しながら、イラクの人々を撮り続けました。

また肥田舜太郎さんと出会い、一緒にアメリカに赴き、ハンフォードの風下
で被曝し、集団訴訟に踏み切った人々とともに、被曝の現実を撮り続けます。
とくにハンフォードの人々が近くの家々を車で回り、その一軒一軒で発生し
た健康被害について語るシーンは僕にとって圧巻でした。その人々の中に
入りこんだ肥田さんとの会話にもとてもひきつけられた・・・。

原発問題を語る時、というか311以前に僕が語ってきた時、主に原発の抱えて
いる壊滅的な事故発生の可能性と危険性に話題を集中させてきたように思い
ます。高速増殖炉計画の破たん性や、天文学的なコストが隠されている点な
ども語ってきましたが、僕に一番欠けていたのは、低線量被曝の危険性の
認識でした。そのため原発の通常運転も危険なことを強調できなかった。

これに対して、鎌仲さんの視点の鋭いところは、ヒバクシャから出発している
ことだと僕には思えました。理論上、どういうことが起こりうるかよりも、
ヒバクシャに現に起こってきたこと、起こっていることから鎌仲さんは出発
してきた。放射線で被曝した人々に寄り添い、その痛みをシェアしながら
フィルムを回し、その痛みのもとをなくすために映画を編集してきた。

まさにそのために鎌仲さんが必然的に訪ねたのが、肥田舜太郎さんだったの
だと思います。なぜなら肥田さんは、現存する人物の中で、誰よりもたくさん
のヒバクシャを診てこられたのだからです。ヒバクシャに起こったことは一
体何だったのか。誰よりも肥田さんはそのことを見続け、必死になって自分の
眼でみたことをを解明しようとしてきた。事実が先にあり、理論が後にあった。

映画『ヒバクシャ』には、そうして鎌仲さんが捉えていった事実が見事に
盛り込まれています。「そうか、10年以上も前からこれを訴えてきたのか」
と思うと、横に座っている鎌仲さんが本当に偉く見えたし、その取材活動に
頭が下がりました。同時に、これを今まで観たことが無かったこと、この
訴えを活用してこれなかったことが本当に恥ずかしく思いました。


それでもその後のトークセッションでは、僕も鎌仲さんに負けずに?ずいぶん
と意見を言わせてもらいました。思い起こせば311以降の僕はたくさんのヒバ
クシャとの出会いに恵まれ、ヒバクシャの声に導かれてきました。直接的に
僕にアドバイスをくれ続けているのは、広島出身の被ばく3世の友人です。
彼から被爆者訴訟のことなど、丹念に教えてもらいながら僕は歩んできました。

事故当初、放射線の専門家が全面的に沈黙し、政府寄りの「科学者」が100ミリ
シーベルトまで安全だなどという大ウソを公言しはじめたときも、僕は今、
必要なのは、ヒバクシャが歩んだ道に学び、苦難の中で積み上げてきた知恵に
学ぶことだと考えることができたし、その延長上で、肥田舜太郎さんや矢ヶ崎
克馬さんに学び、出会うこともできました。

矢ヶ崎さんも2003年より、被爆者訴訟に関わる中で、あらためて低線量被曝の
ことを研究し始め、肥田さんが必死に訴えられてきたことを理論的に掘り下げ
てこられた方です。つまり矢ヶ崎さんもヒバクシャの現実から出発している。
だからこそ、これまでのアメリカによって作られた放射線の教科書のドグマに
とらわれることなく、事実をつかめたのだと僕は思う。

わずか半年だけども、僕も311以降にこうした観点を急速に深めてくることが
できました。その間、不思議なほどにヒバクシャや、2世、3世の方と連続的に
出会ってきました。今回の鎌仲さんとの出会いもまたその流れの中にあったこ
とのように思います。あるいはヒバクシャの方たちが、「もっと私たちの苦し
みを、的確に知りなさい」と鎌仲さんと会わせてくれたのかもしれません。


さて鎌仲ひとみさん自身のことも少し書きまししょう。トークセッションで、
鎌仲さんが強調していたことの中で印象的だったのは、被曝に対して免疫力を
高めて対抗していくことであり、そのために気功を使うことでした。実は僕も
友人で気功の達人に気功治療を受け続けているので、ここはずいぶん話があっ
てしまった。彼女も自ら病を気功で乗り越えてもきているそうです。

また「給食が心配だがどうしたらいいか」というあるお母さんの問いに対して、
「それはあなた自身が動かなければいけない。あなたが解決するために頑張っ
てください」と、スパッと返したことも印象的でした。そうです。私たち誰も
が自ら立ち向かわなくてはいけない。そのことを鎌仲さんはよどみなく語って
いた。はっきりしていて実にさわやかでした。

彼女の人となりも少し描写しておきましょう。彼女は大変、気さくな方です。
話をしている最中に、「やったーー」などとかわいらしい声を上げたりする。
でもこちらが不明瞭な話し方をしていると、「それはどうして?」「こう
なんじゃないの?」とズバズバと突っ込んできたりもする。とにかく思ったこと
をすぐに端的にまとめて語る。歯に衣を着せる・・・なんてことは全くしない。

竹を割ったような性格・・・というのでしょうか。何でも含みなく、ストレート
に語りかけてくる方です。その姿勢に、ちょっとたじろぐ人もいるかもしれな
いけれど、鎌仲さんの姿勢は、誰に対しても対等です。また一見、きついいい方
をする時にも凄く深い愛情を込めていることを感じます。たぶん、実は結構
シャイで、溢れる思いをちょいと隠して話している面もあるかもしれない・・・。


そんな鎌仲さんとは、翌日の朝にお別れする予定でした。彼女の出発が7時、僕
と古谷さんの出発が8時の予定だった。ところが朝になって、彼女を送るはずの
車がなんと2台も続けてバッテリーがあがってしまい、急きょ、僕の運転する
車で山を下る事に。降りしきる雨の中、JR堅田の駅に急ぎました。その間の
1時間、3人でいろんなことをたっぷり話すことができました。

それで僕らは結構、仲良しになってしまったのでした。何を話したのか。それは
今は3人の秘密ということにしておきましょう。そのうち紹介することになる
古谷さんにまつわる素敵なお話です。(もったいぶってごめんなさい)そのあと
「東京で3つの予定がある」と鎌仲さんは改札に消えて行きましたが、この日の
豪雨で新幹線も止まったとのこと。鎌仲さん、大変だったろうなあ・・・。


以上、鎌仲ひとみさんのこと、映画『ヒバクシャ』のことについてのご報告を
終えます。鎌仲さんとの出会いの場を提供して下さった山水人2011のスタッフ
のみなさんにお礼を申し上げます。素敵な場に呼んでいただき、どうも
ありがとうございました!

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明日に向けて(266)山水人(やまうと)のこと

2011年09月22日 08時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110922 08:00)

19日から21日まで、山水人(やまうと)2011に参加してきました。場所は、
滋賀県高島市朽木村の生杉というところ。芦生の森の東の裾野にあたります。
ご存知のように近畿地方も台風接近によって大雨模様で、この近辺も激しい
雨が降り続け、道がぬかるみ、泥だらけでしたが、その中に無数のテントが
頑張っていて、元気にライブが行われていました。

僕が山水人の方と知り合ったのは、311直後の、京都出町柳の「かぜのね」で
行われた脱原発講演会でのこと。押しかけで少しコメントさせていただいた
のですが、そのとき山水人の中心でいつも頑張っておられる福村祖牛さんに
声をかけていただき、山水人の脱原発学習会の2回目に講師として呼んでいた
だいてご縁ができました。

その後、やはり祖牛さんに誘っていただいて、山水人のメーリングリストに
参加。また山水人が被災地支援の中心にしていた気仙沼のアビスさんと知り
合い、メールを交換したり、電話をしたりするようになり、やがて、京都か
ら被災地向けに提供された自動車(ランドローバー)を僕がもって行くこと
に。フェリー上陸地の秋田ではじめてアビスさんとドッキングました。

アビスさんに導かれて、秋田県秋田市、宮城県古川市、気仙沼市、仙台市、
角田市・・・と訪問しましたが、この旅の間中、いつも耳元に聞こえていた
のがレゲエでした。ちょうど5月のことで、福島原発のメルトダウンが社会的
に明らかになるなど、深刻なニュースが続いてましたが、そんなとき、音楽と、
音楽を愛する方たちに取り囲まれていた。レゲエは放射能に効くと僕は思った。


それやこれやで縁ができて、今回は山水人の盛大な祭り、山水人2011に誘って
頂いたのですが、祭りの場は、あいにくの台風でピーク時より人が少なかった
ものの、想像していた通り、賑やかで、楽しくて、暖かい場でした。それは
ここに集う人々の思い、人生観などによって、かもしだされているものである
と僕は思います。

山水人の人たちを一言で説明するのはなかなか難しい。どこかに参加規約と
かがあるわけではないし、山水人はこういう人の集まりだと宣言されているの
でもない。でもなんとなく似た価値観を持った人が集まってくる。それで
毎年、生杉に壮大な村が形成されているのです。多い時には500人から1000人
ぐらいにはなるのだという。

山水人のホームページには、この村について、次のように説明されています。
http://yamauto.jp/yamautomura.html

***

古来、わたしたちは山々に住み、
生きとし生けるものはそこから湧き出る水により恩恵を受け、
自然と共に生きてきました。

ここ 『朽木針畑郷・生杉』 は、
地元の方々が先祖代々森や水を守り続けてこられた神聖な場所であり、
またその上流に広がる生杉 ブナ原生林は、
近畿、千四百万人の飲み水をまかなう琵琶湖の最も重要な水源地です。

美しい山と水を守り、自然と共に生きる。
た だその当たり前の事を、私たちは後世へ残そうとしているのです。

「山水人村」の自然の中での生活と、
そして”まつり“によって集 まる人々の意識の中で、
様々なすばらしい出会いや経験を通して…
ここに私たちの”ふるさと“を創りませんか?

***

ではどんな人が集まってきているのでしょう。あえて僕なりに定義してみると
自由をこよなく愛する人たち・・・が集ってきているのだと思います。自由を
愛し、束縛を嫌う。何かに鎖でつながれるなんてまっぴら。でも何かの責任か
ら逃れているというのではない。それぞれに、世の中がよくなればいいと思っ
ているし、そのための何かをしている。小さなことでも素敵なことに興味がある。

音楽が好きで、踊るのが好き。自分の奏でる曲や、自分の歌が一番いいと思っ
ている人が多い。思い起つとどこへでも移動し、先々で友達を作ってしまう。
友達とはニックネームで呼び合い、本名を知らないこともしばしば。農に強い
関心を持ち、畑仕事も好き。できれば自分の田畑を持ちたいと思っているか
現に持っている。

子どもが好き。子どもをできるだけ自由に育てたいと思っている。思っている
けれど、自由に育ちすぎて世の中と合うのかという不安もちょっと持っている。
持っているけれど、そもそも自分が世の中と合わないので、まあいいかとも
思っている。悩んだ時は好きな音楽を聞き、歌い、踊る。お金はあまりなくても
それよりもっと大切な何かがあればいいと思っている。

・・・とまあ、こんな感じでしょうか。「いやそんなことはない」「もっと
こうだ」と色々な意見が出てしまうでしょうが、少なくとも僕にはそんな人たち
に見えました。またそれを象徴するかなと思うのは、学生はそれほど見当たらず、
カップルになって子どもを持っている人、あるいはそれぐらいの年齢以上の人が
多いことです。

つまり生き方の選択がある。確定しているわけではないかもしれないけれど、
社会が敷いたレールに乗って、学校にいき、就職し、働き・・・というところ
からどこかで自分の選択をして、飛び出している。それで何かを選んでいる。
選ぶ中で、同じ匂いのする仲間と出会い、その誰かが山水人につながっていて、
それでここに集って来る・・・とそんな風に見えます。

だからここには自由の考察があるし、自由の実践があるし、自由を楽しむ気風が
ある。学生という与えられた自由の消化ではなく、自ら選んだ自由がある。自ら
選んだ自由はときには辛く過酷であったりもするけれども、それを乗り越えて
きた、どこかふてぶてしい面構えをした人もいる。そのまま年を取って、あや
しい中年、壮年、老人となった怪人物もたくさんいる。

そんな山水人にはまた、311事故以降に、すぐさま原発近辺、いやその周りの
関東や、宮城県等々から飛び出し、いち早く放射能から逃れた人たちがたくさん
います。関西でも危険性を感じて、もっと西への移動を計画している人もいる。
生物としての危機感知能力が鋭い。政府に騙されることなく、自分で判断し、
自分で行動する動物的感覚に満ちている。

・・・あれ、また定義が始まってしまった。僕にとって山水人は興味がつきない
のです。最も、これはまだ山水人にとってアウトサイダーの僕の立場から見える
こと。やはりいいものばかりが見えて来る。インサイダーになればそこでの葛藤
や矛盾が当然にも見えても来るのでしょう。でも外から見えるいいところは、実
はそこにある本質でもあると僕は思います。

ということで?山水人に興味をもたれた方、まだ生杉周辺に村があるので、ぜひ
訪問してみてください。祭りはいよいよ終盤ですが、25日までやっています。た
だし最後は片づけになるので、後のお楽しみは明日23日の「キロンボ in 山水人
and 盆踊り!!」です。何がどうやられるのか、僕には皆目分かりません・・・。
最後にホームページにアップされた山水人前半の写真をご紹介しておきます。
http://www.flickr.com/photos/29741193@N08/sets/72157627557345013/show/








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明日に向けて(265)フォトジャーナリスト豊田直巳の見た福島・原発震災のまち(10月4日開催)

2011年09月19日 01時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110919 01:30)

毎度、京都の企画の案内で恐縮ですが、10月4日(火)の午後6時半から、
フォトジャーナリストの豊田直巳さんをお招きして講演会を行います!
豊田さんは、イラク・パレスチナ・サラエボなどを取材してきたフォト・
ジャーナリストで、とくに劣化ウラン弾の問題などをおいかけてきました。

僕自身は、大学が同じだったこともあり、その後、ある取材現場でばっ
たり出会ってから連絡を取りあってきました。イラクなどの取材の話を
聞くために、京都に招いたこともありますが、311後は、福島をはじめ、
被災地に飛び込んで取材している姿を何度かネットなどで拝見して
いました。

その豊田さんの取材内容を詳しく知るきっかけになったのは、8月に
飯舘村で酪農をしてこられた長谷川健一さんをお招きしたときのこと。
なんと長谷川さんから、豊田さんが、彼の家にも取材に訪れ、随分、
親しくなって写真を撮っていることを知りました。

可愛がっていた牛を手放した日のことを長谷川さんが話された時も、
「豊田さんたちなんか、みんなボロボロ涙を流しながらシャッターを
切ってたぞ」と言っていました。そのとき、取材者として現場に立ち
会った彼は何を思い、何を感じたのだろうかと思いを馳せました。

そんな彼から久しぶりの電話があり、京都に来る用事ができたと聞き
ました。それならぜひ話をみんなで聞きたいということに。「劣化ウ
ラン弾のことから話そうか?」という彼に対して、「いやもう、福島
のこと、豊田直巳のみた福島を話してよ。当事者の長谷川さんの話を
聞いて深く胸を打たれたけど、そこに訪れ、立ち会っていた側の話を
ぜひ聞かせてよ」と答えました。

実は豊田さんは、すでにこうした内容を、本にまとめています。
岩波ブックレットです。そのタイトルが『福島 原発震災のまち』です。
帯には「震災直後から現地を密着取材する著者が住民たちの生の声を
伝える渾身の記録!」と書いてある。実際、読んでみるとまさに渾身の
書きつけであることが伝わってきます。ぜひぜひ、手にとってみて
欲しい本です。

しかし直に豊田さんが何を見て何を思ったのか聞いてみたいし、質問も
してみたい。それで講演会という運びになりましたので、お近くの方、
ぜひお越しください。なお、ブックレットもぜひ手にとって欲しいので、
現場で即売します。講演会の後にサイン会もやってしまうのでお得です!!


当日は京都市のひとまち交流会館で18時半から行います。少し前に開場
します。まずはじめに僕が露払いで、内部被曝についての解説を30分
だけさせてもらいます。それから豊田さんのスライドをふんだんに交え
た講演が1時間、質疑応答30分、サイン即売会と流れます。
なおその後に近くでお酒でも飲みながらさらに話を聞くつもりです!

以下、案内を貼り付けます。

******************************

「フォトジャーナリスト豊田直巳の見た福島・原発震災のまち」

311以降、福島原発のすぐそばまで接近して取材を行うなど、被災地とそこに
いる人々の状況をカメラに収め続けてきたフォト・ジャーナリスト豊田直巳
さんをお招きして、原発震災のまちと人の様子をうかがいます。

豊田さんはこれまでイラクに赴いて劣化ウラン弾の取材も行ってきました。
被曝米兵にも取材し、放射線と人の関係を丹念に記録してきました。311の
直前にはチェルノブイリも訪問。まさに放射線被曝の問題を第一線でおい
かけてきた第一人者です。

その豊田さんをお招きして、ふんだんな写真と共に豊田さんのみた福島の
お話をうかがいます。酪農家の長谷川健一さんとの触れ合いをはじめ、
魅力的な話がいっぱいです。みなさま。ぜひお越しください。


10月4日(火)午後6時半から
ひとまち交流館第4会議室

内部被曝についての解説を守田敏也が30分ほど行ってから、豊田さんに
お話ししてもらいます。講演1時間、質疑応答30分のスケジュールです。

豊田さんは、福島現地取材内容を、『福島 原発震災のまち』という本
(岩波ブックレット)にまとめています。当日サイン即売会も行います。
みなさま、ぜひお越しください!


主催 「豊田直巳さんの話を聞く会」
問合せ先 片岡ダイスケ 090-6005-6878(予約不要)
参加料500円



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明日に向けて(264)必読!チェルノブイリ被害実態レポート(前書きがアップされました)

2011年09月18日 23時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110918 23:30)

友人が参加しているTranslators United for Pease(平和をめざす翻訳者たち)が
速報925号で、「チェルノブイリ被害実態レポート第1回「前書き」<チェルノブイ
リを忘れない>」をネット公開しました。非常に重要な内容です。ぜひご覧
下さることをお勧めします。長い内容になるので、転載はせずにアドレスのみ
記しておきます。
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=957

このレポートは、チェルノブイリ事故の犠牲者がいったいどのぐらいであるかに
ついて述べたもので、結論として、約100万人という数字が出されています。
これに対して、IAEAなどの国際機関が2006年に出した数字は4000人。0.4%にし
かなりません。レポートはこれがとんでもない虚偽の数であることを暴いたもの
です。

レポートの名は、『チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響
(Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the
Environment)』。2009年に出版されました。より正確には死者の見積もり数は
98万5千人とされています。まとめたのは、ロシアの科学者アレクセイ・ヤブロ
コフ博士を中心とする研究グループで、英語文献だけでなく、ロシア、ウクライナ、
ベラルーシなど、現地の膨大な記録や文献が精査されています。

現在、翻訳チームが岩波書店からの出版を目指して奮闘中ですが、現在の事態の
中で情報を早く伝える必要性にかんがみて、今回、前書き部分を出版に先んじて
ネットに公開してくれています。次にその前書きについてみていきますが、
前書きのクレジットは、ディミトロ・M・グロジンスキー教授(生物学博士)、
ウクライナ国立科学アカデミー一般生物学部長、ウクライナ国立放射線被曝防護
委員会委員長となっています。


前書きが訴えているのはチェルノブイリ事故後、原発の危険性を覆い隠したい
国際的な動きと、危険性を正しくレポートしようとする動きの中で評価の二極化
が生じたことです。それは前述のように100万人対4000人にまで開いているわけ
ですが、前書きが指摘するのは、本来行われるべきであった低線量被曝について
の系統的な研究が行われなかったこと、そのため住民の被曝を防止する対策が
きちんとなされなかったために、健康被害が増大してしまったこと、にもかかわ
らず、放射能を怖がりすぎたためにこれらの結果が出たという説明がされたこと
です。

さらにこれらの論拠を強化するために、それまでの放射線と細胞との相互関係
に関する基礎的な知見の変更すらが画策され始め、それまで原子力推進側がとって
きた放射線の効果に関しての「しきい値のない直線的効果モデル」までも否定
するキャンペーンがはじまりました。つまり放射線の人体への影響は、その量と
比例して大きくなる。このためほんの少しでも影響が認められ、これ以下は
安全という「しきい値」は考えられないという見解が否定されだしたのです。

本レポートはこうした論議に終止符を打つことを目的としています。そのために
ロシアとウクライナ政府が、1986年から10年間の事故に関する文章を機密解除し
たことなどもうけて、被害状況を精査していますが、そこにはかなりショッキン
グな内容が書かれています。例えばウクライナのキエフでは、事故前は90%の
子どもが健康とされていたものの、現在では20%しか健康な子どもがいないこと。
さらにウクライナ内のポレーショーでは、健康と言える子どもは存在せず、
すべての年齢層で、罹病率があがっていることなどです。

前書きは、こうした実態だけでなく、内部被曝の危険性もまた、隠されてきた
ことを指摘しています。またこうした内容を調査し、明らかにしようとして
きた機関が不当に解散されそうになったり、資金提供が止められたりしたことも
指摘している。そのように放射線被害から人を守ろうとするのではなく、放射線
被害を隠そうとし、まっとうな調査すらゆがめようとしてきた中で、被害者が
100万人にいたってしまったのです。


詳しくはぜひ前書き全文を読んでほしいですが、私たちが何よりも読みとらねば
ならないのは、これは今、福島後の私たちの国で起こっていることだということ
です。死者の推計が100万人にも及ぶような被害、それと同等か、それに近いだけ
の放射性物質が、福島原発から出てしまっています。

そして何よりも注意すべきことは、にもかかわらず、その実態を隠し、さらに
内部被曝の危険性を覆い隠して、避けられるべき被曝をも避けさせず、むしろ
被曝を拡大することで、被害を甚大化していくことが今、行われているという
ことです。まさにチェルノブイリ以降と同じ事が、進みつつあります。

その象徴として指摘したいのが、私たちの国の首相官邸ホームページに、この
レポートで全面否定されているIAEAの2006年の報告が掲載されていることです。
しかも日本政府の場合は、その一部しか掲載していない。なんと100万の0.4%
でしかない、死者推計4000人という数すら載せていないのです。書かれている
のは、原発内で被曝して3週間以内になくなった28名と、甲状腺癌で亡くなった
子ども15名という数字のみ。これだけを読むと、事故の影響による死者は43名
(0.004%)にしかみえないような書き方がされている。詐欺的トリックです。
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html

ここに象徴的にあらわされているのは、私たちの国が、チェルノブイリの経験を
生かすどころか、事故隠しの手法を生かそうとしていること、そのためあたら
避けられる被曝までもが拡大しつつあるという事実です。いやそれだけでなく
避難地区の設定基準や、飲食物の基準値など、多くのものが旧ソ連よりも非常に
甘く設定されてしまっています。旧ソ連では移住義務のある地域、あるいは
移住権利のある多くの地域が、日本ではそのままにされている。そのためこの
ままでは、チェルノブイリの経験よりも、より甚大な被害を私たちの国は出して
しまう可能性がある。

そんなことは絶対にあってはなりません。チェルノブイリのその後の経験、
かの地の人々の苦しみを無にしてはいけない。そこで得られた知見をこそ生かし、
より効果的な避難や放射線防護対策を行っていく必要があります。

本レポートはそのための有力な手がかりになります。それを逐次こうして発表
してくださるのはとてもありがたいことです。ぜひみなさん、本文を参照し、
これをプリントし、それぞれの地域の多くの方、行政や学校関係者等々に
配りましょう。それだけの価値がある文献です。

翻訳チームのみなさんに感謝しつつ、同レポートの紹介を終えます!





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明日に向けて(263)内部被曝-怒りを胸に、楽天性を保って最大防護を-(矢ケ崎さん講演碌)

2011年09月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110916 23:30)

すでにお伝えしたように、本日、兵庫県弁護士会館にて、矢ヶ崎克馬さんの
講演会が行われました。タイトルは「内部被曝-高線量と低線量内部被曝は
全く違う。怒りを胸に、楽天性を保って最大防護を-」です。僕もかけつけ
てノートテークしてきました。速報としてお伝えしたいと思います。
なおこれはあくまでも「守田がかく聞いた」内容であることにご留意ください。

************************

内部被曝 
怒りを胸に、楽天性を保って最大防護を
矢ヶ崎克馬 琉球大学名誉教授

ご紹介いただきました矢ヶ崎です。自己紹介を少しさせていただきます。
私は長野県松本の育ちです。青年期に松本城をにらみながら暮らしました。
私が琉球に渡ったのは1974年でした。まだ学習している時に、1972年、施政
権の返還が勝ち取られました。大変、感激しました。なんとか沖縄県の皆さ
んと一緒にやることがあるという思いになりました。

私は物性物理学が専門でした。超伝導などの基礎研究です。物理学と教育の
基盤整備ぐらいならできるかと思いました。ドクターを出たものは、研究条
件がいかにいいかで職場を選ぶのですが、私は研究条件のないところに飛び
込んでいくという無謀なことをしました。それでも学問を、市民の生活と離
れたところでやってはいかんという思いで、沖縄に渡りました。

物性物理学を行いながら、大学院生時代を広島で過ごして、被爆者の方々と
触れてきたので、学問研究は市民生活と切り離してはいかんという思いで、
沖縄に飛びました。平和の問題についてなんとか自分なりの道を開拓して
いかなくてはならないと思って、沖縄にわたりました。

私が琉球にいってからすぐに、米軍基地に核兵器部隊があることが発覚して
大騒ぎになりました。核の密約に大きな土台をもっていますが、そのときに
琉球大学の中に核兵器について語れるものが一人もいない。これはいかんと
思い、2年半にわたり土曜日に核問題のあらゆることを勉強しました。大学
の一つの教養科学の授業として、核の授業というものを設定することができ
ました。

大学のあらゆる分野から先生に教壇にたってもらい、あらゆる分野から一言
ずつ、一番大事なことを教える授業を設定しました。今も継続していて、学
生に大きなモチベーションを与えています。

その次に、沖縄県に劣化ウラン弾が投下されるという事件がありました。
そのときアメリカが県民に向かって、劣化ウラン弾は放射能ではないといいま
した。まだ内部被曝について勉強してなかったのですが、県民がなめられては
たまるかとアメリカに抗議を始めました。私の基盤は物理学で、放射線がどの
ように作用するかを考察してきましたが、劣化ウラン弾の危険性をそれなりに
みなさんに知って頂くことができたと思います。

そうこうしているうちに2003年に、原爆症の訴訟が行われ、全国の共通の証言
として内部被曝の問題を証言してくれと依頼をうけました。恥ずかしながらそ
のときにはじめて被爆者の内部被曝の問題を読みました。しかしICPRの問題を
体系的に批判したのは私がはじめてでした。そのとき多くの同僚はやめとけ
やめとけといっていました。

しかし現場の被爆者の方は間違いなく放射能の埃を吸って、内部被曝をして
いるのですね。しかしアメリカの核戦略の中で、そういうことはありません
ということで、アメリカはまず内部被曝のもとになる埃がないことにしてしま
いました。内部被曝のありようがないことになってしまった。それで多重がん
になって苦しんでいる人が、あなたは被曝していませんといわれて苦しんでき
たのが現場の姿でした。
裁判は19もありましたが、すべてにおいて、内部被曝の影響が認められ、
いくつかは全面勝訴、すべての判決で勝訴が勝ち取られました。

今、福島でこの事態がおこって、内部被曝という言葉を知らない人はないので
はないのではないかと思います。それで私の、走り出してから学ぶ学問スタイ
ルもちょっと主張していいのではと思います。普通の学者のスタイルとあまり
に違うので恥ずかしい思いもありますが、私は学問は市民とともに切り開く
文化であるということをこれからもモットーにしていきたいと思っています。


今日は内部被曝でどんなことが起こるのかということ、チェルノブイリでどの
ようなことが起こったかをお話したいと思います。内部被曝についての学問は、
科学的にみると大変歪んでいます。物性物理学などとまったく違います。そこ
では真理を発見したら、その人が助手であろうとなんであろうと凄い意味を
持ちます。しかし内部被曝の分野は真理は語ってはいけないものになっていて、
国民を苦しめるものになっています。

内部被曝は放射能の埃を食べたり飲みこんだりして、体のなかに入れてしまう
ことでおこります。目に見えない非常に小さいつぶですが、原子の数では、
10億個も、100億個も含まれます。放射性の原子ですから、埃の中からいっぱい、
放射線が出ます。体の中から被曝するのが内部被曝です。

これに対して放射能の埃が体の外にあるとき、被曝するのが外部被曝です。
放射線は原子によって出て来るものが違いますが、α線、β線、γ線がありま
す。α線、β線は短くしか飛ばない。γ線は遠くまで飛びます。だから放射線
が体をつき抜ける恐ろしいイメージがあります。しかしこの中ではγ線が一番
優しい悪さをします。

なぜ突き抜けて行くのかというと、体の中にある分子や原子との相互作用が弱
い。ところどころ、相互作用がおこり、分子を切断しますが、それでもエネル
ギーを余らせてしまうので、体の外に出ます。
しかしα線やβ線は、相互作用が強い。α線は空気中だと4.5ミリしか飛ばない。
しかしその分、たくさんの相互作用を及ぼします。短い距離の中でギシギシと
分子や原子とぶつかります。β線は1メートルしか飛ばない。体の中にあると
1センチです。

そのため外部被曝では、ほぼγ線だけと言いきってもいいと思います。1メートル
以内の時のみβ線にもあたります。ところがこれらが体の内部に入るとぜんぜん
違ってきます。体の中でたくさんの分子を切ってします。それが放射線の作用
です。

放射線の作用はもう少し難しく言うと、電離といいます。電離放射線といいます。
放射線は電子を原子から吹き飛ばすのです。電離とは分子切断のことであり、
DNAなども切断します。それが放射線の一番恐ろしいところです。

分子は原子と原子の周りをまわっている電子が、ペアをつくることによって結び
つきをつくって、原子の結合を作りだします。ここに放射線がくると、電子が
とびだして、この結合がきれてしまいます。これが分子が切られてしまうという
プロセスです。それがいろいろな悪さをします。

御用学者さんが放射線を少しは浴びた方が健康のためにいいといいますが、そん
なこと、原理からいっていいはすはないです。
分子が切られることで、わたしたちがまず想像するのは、例えば暑さを感じる、
寒さを感じるなど、あらゆる機能が分子を通じて行なわれています。そのため
たくさん切られると生体機能が維持できなくなります。そうした破壊の相がまず
考えられます。急性症状がでてきて、場合によっては死に至ります。高線量で
こうした状態がでてきます。

もうひとつ、これとはまったく違う悪さの仕方があります。細胞が生き残るが
ゆえに悪さをする場合です。これが低線量での悪さです。DNAがたくさん密集し
て切られると、ところどころ切られた場合と結果がずいぶん違ってきます。
ところどころの場合は修復が可能です。これがγ線での結果です。しかしα線
などでいっぱい切られると、再結合しようとしたときに、つなぎ間違えるという
ことがおこります。

遺伝子が変性してしまいます。そうすると変性されたものが何回もコピーを繰
り返していくと癌になってしまいます。晩発性の癌です。それを及ぼすのが内部
被曝です。これまでの放射線化学は、現象論ばかりで、なぜその症状が起こるの
かの本質論を語っていません。なんでそのような現象がでてくるか、きちっと
説明しうる状態で、説明できていると私は信じています。

今いった、外部被曝と内部被曝、高線量と低線量と比較すると、高線量の場合は
ともに生命機能の破壊の相があらわれます。しかし低線量の場合は、もっぱら
内部被曝で被害がでてくるのです。

アメリカの核戦略で、内部被曝が今の国際放射線防護委員会の規定からごそっと
抜けてしまっているのです。ICRPは高線量だけみています。低線量をまったく
みていません。そのため御料学者さんは高線量の危険性だけをいって、100ミリ
シーベルト以下はデータがないといいますが、大ウソです。チェルノブイリの
後でいっぱい研究が重ねられています。こうした核戦略に一番貢献しているのは、
日本です。

分子切断した対象が、遺伝子であれば、つなぎ間違えた変性が、数十回重ねられ
て癌にいたります。これには時間がかかります。晩発性といわれる被害になり
ます。もう一つ、あらゆる生物がそうですが、種の保全の面で非常に大きな問題
があります。子孫に遺伝子の不安定さが伝わって行きます。

遺伝子ではなく、細胞分子などがやられると、そのまま健康被害が起こります。
これは被爆者のみなさんの状態をみると、原爆ぶらぶら病などといわれるような、
何をしても根気が無い、すぐにくたびれてしまうようないろいろな症状がでて
きます。

それで福島について、文科省がメッシュ測定をおこなって、線を網目にして福島
県だけで2200か所測定したものがあります。それでちょうど福島市と郡山市の
青色のゾーンがありまして、ここが線量が高くなっています。この部分は栃木県
や埼玉県や千葉県にもあります。ホットスポットといわれる地帯です。

これをチェルノブイリと比較しました。チェルノブイリのルギヌイ地区のデータ
があります。それがまず私たちが比較していい汚染内容を持っています。なので
かなり突っ込んで分析しました。

ウクライナの法定汚染ゾーンがあります。1年間にどれだけ被曝するかの数をみて
いきますが、一番高いところは移住義務、次が移住権利、次が管理強化という
ゾーンになります。注目するところは、移住権利のところが、自然の放射線より
1ミリシーベルトだけ高い所とされていることです。この地域はもともと年間0.6
ミリシーベルトで、1.6ミリ以上だと、1ミリ高い場所になるのです。

ウクライナはこの年間被曝許容量1ミリシーベルトという条件をきちんと守って
いるのです。日本はそんなことをやるどころか、20ミリシーベルトと値を上げて、
我慢しなさいといっています。「頑張ろう福島」とかいいますが、「我慢しな
さい福島」と私には聞こえます。その点、ウクライナには1ミリを守ろうとした
誠実さがあります。

ここで強調したいのは、1ミリとはどれぐらいの放射線なのかです。誰もが少ない
値だと思ってしまいます。しかしこれは毎秒1万本の放射線があたる値です。1年
では億になります。けして放射線量が低いなどとは言えたものではないです。
ウクライナの誠実さは厳格に実施されていますが、しかしこれによって住民が救わ
れているかというと、まるっきりそうではないのです。

ルギヌイ地区の分布は大部分が管理区域です。85.2%です。移住権利地区と、
移住義務地区は、14.8%です。それに対して福島市は義務と権利を加えて33%に
もなります。これをみると福島はルギヌイ地区より高い放射線を浴びていること
がわかります。郡山市は、ルギヌイと同じぐらいの線量です。ただし管理地区に
入らないところも福島・郡山の方が多いところにも特徴があります。これは今後
のこれらの地域の健康状態をかなり示すことになります。

ルギヌイ地区の健康状態がどこに乗っているかというと、今中哲二さんが、
「チェルノブイリ事故による放射能災害、国際共同研究報告書」を書いています。
これをみると、100ミリ以下ではデータがないなどというのがいかにでたらめか
分かります。実際には100ミリ以下でいっぱい病気がでてきているのに、いかに
公式記録に載せないかが苦慮されてきたことがわかります。

ルギヌイ地区では、免疫力の低下がまず第一にあげられています。感染症の増加
長期化などさまざまな症状があらわれています。特徴的なのはガンの第3期から
4期にある人の平均余命が、胃がんで60ヶ月だったものが、1992年には8ヶ月に
落ちています。肺ガンでは40ヶ月が、8ヶ月です。さらに1996年には、2.3ヶ月
と2ヶ月にまで落ちています。

新生児の病気にかかる率や、先天性形成障害、精神神経的障害も増えています。
これについてICRPの医師たちは、これらの原因を、放射能を浴びたのではないか
心配するころからくるストレスのせいにしています。

一番ショッキングなのは、老化がもの凄く早まっていることです。年齢別に比較
するとピークの死亡率を一番高くカウントする年齢が10歳若くなってしまった。
平均余命では1985から1990、1992年で男性の死期は15年近く短縮し、女性は5年
から8年短縮しています。女性の方が子孫を残していくために強さがあるのですが、
そこでも5年から8年短くなっている。

子どもの甲状腺の病気と癌については、特徴的に事故から5年経ったときに、突然、
もの凄い数であらわれてきています。1995年で9年後で1000人中100人の子どもが
病気になり、1000人中12、3人が癌になっています。こういう実情があるのに、
政府からたくさんの研究者を派遣して病気の痕跡がないという報告が出ている。
科学をかたっているので余計に怖さが際立ちます。

今、ICRPと言いましたが、テレビに出て来る御用学者さんはこれの基準に沿ってい
ます。ヨーロッパではECRRという内部被曝をみる見方をする科学者たちがいます。
さきほど外部被爆でも破壊の相と、生き延びる相があるといいましたが、ICRPは
破壊の相しかみていないのです。

密集して分子が切断される場合、細胞レベルで小さくみていくと分かります。
しかしICRPでは臓器全体にそれをばらまいてしまう。そうなるとそれぞれの切断
地点が遠くて相互作用がおこりようがない。これでは第二の相がみえなくなりま
すが、ICRPは見えないようにしているのです。いっさいを平均化、単純化していて、
これは科学の観点を無視したものです。平均化、単純化されると科学のしようが
なくなるのです。

第二のICRPの基準で犯罪的なことは、功利主義と呼ばれるものです。「経済的
社会的要因を考慮して、合理的に達成できる限り」防護するとしているのです。
これは人の健康を第一にして、どれだけ線量があったら危ないかということでは
なくて、原発を進める上であまり厳しくすると、商売としては成り立たない。
それで適当に緩くしてやっていこうという考え方なのです。それが年間1ミリ
シーベルトなのです。軽いと言われていますが、その値でも大変深刻な問題を
抱えています。

さきほど、ヨーロッパ放射線リスク委員会を紹介しましたが、1945年から1989年で
内部被曝で亡くなった数を6500万人としています。ICRPでは117万人です。
数字だけみると多すぎるなど言われますが、チェルノブイリの放射性のチリは日本
にもきています。しかしICRPはこれらは勘定してないのです。

それさきほど内部被曝が隠されたといいましたが、アメリカの公開された文章に
はっきりあらわれています。核兵器は通常兵器ではない、放射線で苦しめられる
ことはないといった。またウラン濃縮工場を経常的に運営する必要ありました。
これが採算が取れない。それで原子力発電ということで、ウラン燃料を使わせる
ということで、世界に押し付けたのです。これで日本も押しつけられました。
原子力発電は実は常時、放射能を出しているのです。ICRPは規定以上に薄められて
いるので何ら問題はないといってきた。それを戦略として位置づけたのです。

内部被曝を否定するのに、病理学的に否定するのは難しいので、初めから
放射能がなかったということにしてしまったのです。原爆投下後に枕崎台風がきて
長崎で1000ミリ以上、広島では900ミリ以上の雨が降りました。広島では大洪水が
起こった。太田川の橋が20本流された。その後に放射線を測り、それが基準と
されたので、内部被曝が排除されました。

もう一つは、ABSSによるひどい調査が行われましたが、爆心地から2キロまでは
放射線を浴びているが、その先は被曝ゼロにされてしまいました。しかし黒い雨を
降らした原子雲は非常に広い地域に及びました。

ICRPはこれらに対して科学をすることを排除した説明をしてきました。
低線量被曝を公的に公式記録に残さないことを徹底してやってきました。
広島・長崎の調査結果からは晩発性のリスクも低いと原爆病院長がいったりする。

チェルノブイリでは、IAEAの調査団が放射線起因の疾病は皆無である。最も悪いの
は精神的ストレスといいました。日本の重松氏が団長でした。
これと同じように、いずれ福島の周りでいっぱい調査をして、放射線の影響は皆無
だという報告書が必ず出てきます。そのようなことをさせないことが大事です。

現場の問題で、短期的にも長期的にも、被曝をどうしていくかが重要になりますが、
政府が責任をもってやろうとはしないので、政治の中からいい方法は生まれてきま
せん。国民が自ら獲得していくしかない。これまでは科学者同士が決着をつけて、
それを国民が待っているというスタイルでした。これではダメです。国民のみな
さんが声をださなければ自分の命も守れないという悲しい状態です。

広島・長崎の状況では放射能が最も濃かったのは半径15キロでした。さらに枕崎
台風で多くが流された。ところが福島事故の場合は、汚染範囲が非常に広くなって
います。文科省の発表で167倍といっています。(セシウム換算)
そうした汚染された土地がずっと残ってしまいます。こういう状況の中で、
土地をそのままにしていくと、ずっと日本人が被曝してしまいます。

政府は限度地以下は安全といっています。ICRPですら、低線量でも害はありますと
いっているにもかかわらずです。しかし政府は、1キロあたり500ベクレルといって、
それ以上では大騒ぎするけれどそれ以下では大丈夫だと言っています。

しかも政府の計測では野菜を洗ってから測っています。国民の手にわたるのと
違う状態をわざわざ作ってから測っている。検査のごまかしなのです。
魚も検査するときには、えらと内臓を排除してやっています。一番汚染が強い
ところです。これも流通しているものと違います。

さらに稲藁や腐葉土、お米などに汚染が広がっていることが言われています。
例えば福島県内で比較的汚染が低いところで、1キロあたり9ベクレルといわれてい
ます。低いから安心してといっていますが、ドイツでは子どもには4ベクレルと
いっているのです。それも生活していく上でどこかに線を引かねばならないので
だしている線です。

こうしたことに対して、消費者がこれ以上危険な者は食べないというのがいいと
思います。生産者については、汚染食品を政府が買い取って、政府が保護しろと
言う必要があります。
そのところを一緒にやらない限り、生産者と消費者が食い違ってしまい、政府の
思うつぼになるかもしれません。

ヨーロッパ放射線リスク委員会では、外部被曝で測定した場合、内部被曝について
は600倍すると同じぐらいになるという数字を出しています。
外部被曝だけでものをみると、桁違いの過小評価になるのです。これは人の健康を
守る方法ではない。そのため健康管理をきちっとやらなければいけない。最大防御
をしていくという考え立つ必要がある。そうでないと風評被害とか言われて食べ
なくてはならなくなってしまいます。放射線で汚染されている可能性にあるものを
避けるのはまったく合理的な判断で、けして風評被害とかではありません。この
ことをはっきりさせておく必要があります。

除染においては、汚染物の置き場をどうするかが問題になります。
各市町村で汚染されたものの置き場を作らないといけない状態です。
学校教育はとても悲劇です。文科省は1ミリシーベルトといいだしましたが
まるっきり中味のある対応はしていません。ウクライナなどできちっと1ミリを
基準に対応しても、健康被害は出ているのです。
日本では福島近辺だけでなく、東京近郊まで学童疎開が必要です。巨大な危険が
背後に潜んでいます。

以上




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明日に向けて(262)日本の森と環境破壊と放射能汚染

2011年09月14日 23時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20110914 23:30)

先月のことになりますが、8月27日に京都府北部の芦生の森を訪問しました。
そのときに埼玉県からわざわざかけつけて下さった方がいました。森國明
さんです。前日の、京北町での平賀緑さんと僕の講演会から参加して下さり、
その感想をご自身のブログに載せて下さっています。

森づくり「風の谷の森」という素敵なブログで、芦生の森については写真も
満載です。みなさまどうかぜひご覧ください。他にも読みごたえのある記事
がたくさん掲載されています。少しスクロールしていただくと、芦生の記事
や講演会のことが出てきます。
http://kazenotaninomori.wordpress.com/


さて今日は少し日本の森の特徴について書いてみたいと思います。みなさん、
「日本の森」という言葉をみて、どのような森を思い浮かべられるでしょうか。
・・・写真集などを思い起こされる方もいるかもしれませんが、少し山に入っ
た経験をお持ちの方は、それぞれに違った風景を思われるはずです。

なぜなら日本は狭い国土の中に非常に多様な気候条件を持ち、そのため植生が
とても豊富で次々に変化していくからです。これだけの多様性に富んだ森の
あり方は他国・他地域ににはそれほどみられないと言われています。その意味で
私たちはもの凄い自然の宝庫の中に住んでいます。

例えば私たちの国土はどんな気候帯の中にあるのか。北から亜寒帯、冷温帯、
北部暖温帯、南部暖温帯、亜熱帯があります。それぞれアカマツ、シラビソなど
の針葉樹、ミズナラ、ブナなどの落葉広葉樹、シイやカシなどの常緑広葉樹、
さらに、ソテツやアコウ、そしてヤシやタコノキなどが生息しています。

しかも太平洋側と日本海側も大きな違いがある。日本は地球上を西から東に
流れているジェット気流が、ヒマラヤ山脈で一旦、北と南に分かれたものが合流
して吹いてくる位置にあるため、冬には極めて激しい北西風が吹きつけ、日本
海から蒸発したたくさんの水分を運んできて豪雪が降ります。

反対に太平洋側には、今年もそうであったように大海から毎年たくさんの台風
がやってきて、暴風雨をもたらします。このため太平洋側と日本海側では、雨量が
夏と冬でまったく逆転するのです。その間に挟まれて、降水量の少ない瀬戸内
地方もあるし、台風の影響とは別のところにある北海道もあります。

しかも日本列島は急峻な山脈に覆われています。高低差が激しい。そのため一
つの山でも上の方が冷温帯、下の方が暖温帯など、違った気候帯の特徴を示し
ている場所がたくさんある。こういうところでは山を登って高度があがるにつれ
生えている木々が変化していくのです。

さらに地層も激しい変化に富んでいます。アルプスを歩くと、のどかに草の
広がる地帯があるかと思うと、いきなり岩だらけの地帯がでてきたりする。それ
にあわせて植生が変わってくる。このため、すぐ隣にある山の頂をみると、自分
のいる場とは全く違った風貌を示していることがあります。

つまりそれほどまでに日本の山は変化に富んでいるのです。この変化に則して
たくさんの種類の動植物が生息しています。しかもこれに四季が重なるため、
同じ地点とて、季節によって表情がまったく変わってしまう。そこに日本の山の
特徴、美しい個性があります。

とくに芦生の森は、冷温帯と暖温帯、太平洋側と日本海側の気候が合わさるところ
に位置しているため、生物種が大変豊富です。そこにこの森の魅力がありますが、
けしてそれは芦生だけに特徴的なことではありません。いずれにせよ、私たちは
世界でも稀な美しい森に囲まれて生きているのです。


その森に近年、さまざまな形での環境破壊が押し寄せていますが、あまり知られて
いないのは、そうは言っても、日本の森は、まだまだ守られており、戦後直後など
に比べれば森林面積が拡大していることです。これは戦争による乱伐の後に、山里
の人がせっせと植林を行ってくれたことによって維持されてきたものです。

これらのために日本の森林面積は現在国土の67%ぐらい。世界の中でも断トツを
示しています。にもかからわず林業が過小評価され、山の価値が正しく捉えられて
こなかったたために、近年、多くの山が荒れてしまい、災害などに弱くなってし
まっています。

さらにこれに拍車をかけているのが温暖化の影響です。山々では気候変動の影響が
如実にあらわれている。それは先にも述べたように、日本の山々が、入り組んだ
気候帯、ユニークな気候条件の重なりにあることと関係しています。ようするに
気候条件がそれぞれの地域で違うので、急激な温度変化の影響を被りやすいのです。

こうしたことの中で顕著に起こっている被害の一つがナラ枯れです。温暖化の影響で
もともとはカシに生息していたカシノナガキクイムシが、移動を開始し、それまで
触れることの無かったミズナラやコナラに接触してしまった。その時、木の構造の違い
から、カシはそれほど枯らさないカシナガがミズナラやコナラは激しく枯らしてしまった。

このため集団枯損が発生しているのですが、これらの木々はどんぐりを豊富に山に
供給しているために、多くの動物たちがたちまち困窮しています。例えばドングリを
使っているチョウやガは400種類もいます。これらが十分な繁殖ができなくなって
しまった。そしてそれは幼虫を子育てに使う鳥たちに多大な打撃を与えています。

さらに目にみえて困窮を深めているのは、ツキノワグマたちです。冬ごもりにむけて
たくさんのタンパク質をため込むべき時期にあるとき、クマたちは大好物のドングリ
が得られず、空腹になって里に降りてきてしまいます。降りて来るのはクマだけ
ではありません。サルたちも、シカたちもどんどん降りてきてしまう。

こうなる前に森はかなり荒れていたのです。臨床植物が食い荒らされ、昆虫の繁殖が
困難にになり、それらが森の中にあった絶妙な生態バランスを崩してしまう。例えば
昆虫を使って受粉をしている多くの植物もまた打撃を受けてしまう。それらが重なっ
て、森の崩壊が進行していき、大雨などに極めて脆くなってきているのです。


さてこれがこの間、日本の森で起こってきたこと、あるいはそう捉えられてきたこと
ですが、今はそこに放射能被曝が加わりました。正確にはこれまでも加わっていた
のでしょうが、何といっても今年、新たに加わった量は甚大です。そして山々の
動植物もやはり被曝しています。ここでもとくに恐ろしいのは内部被曝です。

人間と違って動植物は、原発事故のことを知るよしもありません。また仮に知った
ところで、どうすることもできない。山の木々はいったいどこに避難できるというの
でしょうか。そのため、もろに放射能を浴びたし、浴び続けています。そしてさまざま
に内部被曝が進んでいるはずです。

これがどのように影響してくるのでしょうか。見えやすいのは、鳥類やほ乳類だと
思います。とくに葉っぱに降り積もった放射能を食べたチョウの幼虫を食べた鳥の
雛たちは、今年はどうなったでしょうか。少なくとも福島原発に近い地域では、繁殖
の失敗が予想されますし、これはその気になればカウントできることでしょう。

さらにネズミたちはどうしたでしょう。カエルやヘビたちは、あるいはタヌキや
キツネ、そしてシカやクマたちなど野生動物はどうなっているのか。生態がよく
分からないものほど、実態を知るのは困難ですが、当然にも被害が起こっている
ことが予想されます。

植物はどうなっているでしょうか。当たり前の話ですが、植物も内部被曝します。
被曝してどのような影響が出て来るのだろうか。そのことが調べられる必要がある。
この点について、これまでに紹介してきたペトカウは、ヨーロッパの森林の枯損を、
酸性雨のためだけではなく、放射能の影響と解き明かしています。

考えてみれば、植物も生物ですから、内部被曝するのは当然です。そうなれば植物も
死んでしまったり、そうはならなくても、人間にガンが発生するように、細胞分裂が
阻害され、さまざまな病気が発生してくる。どういう形になるか分かりませんが、
可能な限りの調査がされればと思います。

かくして私たちの周りを取り囲んでいる豊かな山と森は今、重大な危機の中にあります。
森の危機が進行することは、さまざまな形で私たちの生活の危険性を増大させます。
その意味で私たちは自分を守るためにも、山と森に目を向ける必要があります。僕はその
一端として、ナラ枯れ防除活動を進めようと思うのです・・・。

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