平成の大合弁の前には、市町村が全国に3200ありました。それが、2010年には1700までに減少したのです。市町村は減ったのですが、その体質は弱体化したように見えます。以前、お話をした長野県下條村の職員は、人口1000人当たり8人で村の仕事を行っています。平均的な市町村は、人口1000人当たり17人で行っているのです。職員給料や生涯年金などを考えると、不条理を感じます。平均的な市町村の半分の職員で、効率的に働いているのです。なぜ、他の市町村では、職員を減らすことができないのでしょうか。
そこで、これからの市町村のあり方を考えてみました。下條村は、縦割り行政の弊害をなくしてしまいました。一人の職員が、いろんな業務を行う仕組みにしたのです。ある意味で、現在の先端をいく仕事の仕組みを取り入れていたともいえます。余談ですが、副業を持っていたり、希望したりする人々が、2017年に690万人を超えました。副業の増加の背景には、深刻な人手不足の問題があるのです。一定の大企業は、副業解禁をいち早く行いました。これは、副業をすることにより、異分野の交流を通して、社員の能力が高まることを理解しているからです。副業が、仕事の効率は上がると経験的には知られていました。役場でも複数の業務を行うことで、業務遂行能力が高まっていったわけです。視野も広くなり、村民の望むこと、そのためにできることを準備していくことができるようになりました。下條村は、総務課、振興課、福祉課、教育委員会の4つに統合し、係長制度を廃止しています。収入役もなくし、教育長も欠員にしています。組織の簡素化を行ったわけです。
このように村の組織を簡素化しても、業務の停滞が起きていませんでした。前に、述べたように他の市町村が、補正予算で獲得できなかった1億円とか2億円の美味しい交付金を、下條村は獲得しているのです。この村が職員を減らしていった手法は、退職者の補充をしなかったことです。村長の強い指導力があったのでしょう。この強い指導力は職員だけでなく、村人にも及びました。何と、200万円以下の道路工事などは、村人がやることにしてしまったのです。村は道路工事の資材を提供し、村人は労力を無償で提供するという仕組みです。村道や農道、そして水路の整備などは、村人が行うようになりました。この経費は、公共事業で行う場合に比較して、5分の1で済んでしまいました。節約できた予算は、保育費や医療費の充実にまわされました。保育所にいつでも安く入所できて、医療費が安いという環境は、若い人々を呼び寄せました。結果として、過疎の村に若い住民が、やってくるという現象を生み出したわけです。
蛇足ですが、以前の日本では、「結い」の習慣がありました。住民が労力や資金を出し合って、地域の生活環境を維持した制度です。下條村には、このような制度の名残があったのかもしれません。それを再生したともいえます。村長は、職員の能力を伸ばし、村民の満足のいく地域を作る仕事があります。村人も若者をただ待つだけでなく、自力で引き寄せる努力を追究したということでしょう。