アメリカの大学では、先生の授業の良し悪しを学生が評価することがあります。その学生評価が、妥当性かどうかの研究も盛んなのです。先生の授業により、学生がすくすくとその才能を伸ばせれば、世の中にとって福音になります。そこで、ある実験が行われました。俳優の方に講義をしてもらって、その評価を学生に聞くというものです。俳優には、ユーモアやジェスチャーをたっぷりまじえておもしろおかしく講義してもらいました。でも、講義の筋道はメチャクチャになるようにしたのです。学生の評価は、興味深いものでした。俳優の講義に対して、学生の評価が全般的に高かったのです。授業方法だけでなく、授業の内容までもが、すばらしいという評価をする学生が多数いたのです。深い知識を持つ先生とユーモアやジェスチャーだけの俳優の授業が、どのように学生に受け入れられているのか、そして学習効果はどのように評価するのかに興味が湧きました。
そこで、学生の知識の獲得とか好奇心の高揚などについて考えてみました。深く分かることは、大切です。でも、世の中常に深いところまで分からなくとも生活はできます。状況によっては、とりあえず浅い分かり方でも良い場合も多いようです。子ども達の勉強を見ていると、大人が無理矢理分からせようとすると、子どもに重荷になっているような状況が見られます。与えたいものを、少しずつ小出しに与えるくらいが、ちょうど良い場合もあるようです。浅い分かり方でも、知識が豊かになると、前とは違う見方や好奇心が現れることがあります。勉強すれば、勉強するほど、知れば知るほど、知的好奇心が湧いてくる子ども達がいます。
まったく分からなければ、何をどのように勉強してよいかわかりません。100%分からせてしまえば、子どもはそれ以上勉強しようとはしません。分かることが多すぎても少なすぎても、知的好奇心は湧かないようです。分かりやすい教え方は、子どもが知識を取り込むために使う頭の努力が軽減されます。でもこれはこれで、頭の働きを低下させることに繋がります。勉強への動機づけは、60%ぐらい分かってもらうのが良いようです。大学における俳優の講義は、多くもなく、少なくもなく、学生の好奇心を引き出すちょうど良いレベルだったのかもしれません。ところで、講義を受けて学生の能力が向上しているかどうかを、先生の側から評価する視点はどの辺にあるのでしょうか。先生からは、講義に遅れない、聞く姿勢に工夫があるなどの点から評価されるようです。その工夫を行う中で、異質な知識を持つ人々や異なる文化を持つ人と接触をするようになれば、その学生の評価はさらに高くなるようです。