今年は36000人が走ったそうで、とにかく人が多い
それを吸収できる、都庁周辺の空き地は半端ではありません。
8時に到着して、実際に走り出す9時半までは冬の風に晒されました。
日比谷までの10kmは超スローモードで、人を追い越すのスペースが無い
ので、集団でそのまま走りつしかない。そう、10kmは簡単に走ってしまったのです。
そしてそのペースは20kmまでーーー。
練習していないのに、不思議でした。
そして、20kmのところで、またまた男の人が倒れており、心臓マッサージ中。
医者を呼べ、との緊張した声を聴きながら通り過ぎました。
練習していないと同じようになるかなと、不安がよぎる一方で、まだ走れる感じが
してきました。
行けるところまで、行ってみようっと 銀座(25km付近)まで行ったところで
エネルギー切れ。ポーチから、アミノバイタルを取り出して摂取。
給食所ののぼりで、バナナとアンパンを食べながら歩きました。
スカイツリーが間近に迫る
浅草を過ぎたころから、お腹も満足してきたのに走れない状態。
500m走っては500歩くことが続き、もう限界かなあと諦めモード。
浅草橋を過ぎたところ30km付近の給水所で、偶然にも知り合いがボランティアを
していて、頑張れ、このまま行けば完走間違いなしとの励ましを貰いました。
そうすると、その暗示にかかったように、また走れるようになりました。
言葉の持つ力というのがあるものだと、実感しました。
沿道で応援してくれる方から、スプレーをお借りして、ふくらはぎや腿をケアして
だましだましですが、ゴール出来ました。
2009年の初マラソンよりも30分早く、5時間45分。
走行中に、なんでこんなのに申し込んだんやろうって、思っていたのに
ゴールできると、嬉しさがこみ上げてきました。
体力は4年で落ちてきており、しかも練習もせずに、走れるのが
東京マラソンの不思議さです。
ゴールしてから、FINISHERのタオル、メダル、食べ物を受け取り
スタート地点で預けた着替えをもって、更衣室へ。
床に座ってしまたところ、もう立てない。
足が棒になってしまったみたいで、立てないので、久光製薬からプレゼントされた
スプレーを足にかけて、何とか立ち上がりました。
月曜日から、脚を引きづり通勤しました。会社の方からは暖かい言葉をかけてもらいました。
もう、走るのは卒業と宣言したのですが、走法にちょっとしたコツを見つけたので
もう一回走ったら5時間を割れそうな気がしています。
5時間を割ったら、卒業しようかな。次回は今年の大阪? 神戸?