私は書くことが仕事である。
書く仕事に耳の聞こえないことは、
決定的なマイナスではない。
少しぐらい聞こえなくとも、
私は目がよく見える、手も動く。
何よりも今、現在、私はこうして書いている。
何の気にすることがあろうか。
そういう自分に言い聞かせているうちに、
いつかそれも自然な状態になった。
聞こえないことが日常になったのである。
補聴器をつけるようになったのは、
ここ、5、6年のことである。
初めは雑音が気になって、
すぐに外そうとした。
この度に、うちの者たちを慌てさせたり
迷惑をこけたものであった。
今は慣れた。というより、
そんなことをいっていられなくなったのである。
「私 なんだか死なないような気がするんですよ」
宇野 千代 著
今日も難聴の話し
耳の聞こえないこと・・・
なんとも不安なこと、
いずれ僕もそういう事態に陥ることは覚悟している
5年前の健康診断の時に耳の検査は苦手だった
耳鳴りなのかテスト音なのか
よくわからなかったから
難聴であることは間違いない
集中してれば地獄耳だが
そうでなければよく聞こえない
人からは「耳、遠いんじゃない・・・」
なんて言われるから
いずれ補聴器のお世話になるだろう
今から練習しておこうかな・・・
でも耳に補聴器をあてている人を見ると
本当に年寄り臭い
でも僕ならヘッドホーンでもして
歩こうか思ったりする
千代さんじゃないけど、
歳をとると目や耳など、
具合が悪いなってきて不便だけど
頭の中だけは鍛えて若く保ちたい
新しいことに対するチャレンジ精神
頑張りたいと思っている・・・
早起き鳥
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