俺が六年生の頃、
親父は二三頭の馬を持って
あちこちの地方競馬を回って
滅多に家に戻ることがなかった。
たまには勝つこともあったようだが、
結果は家の身上を減らす一方で
ある時、新潟の競馬で
勝つつもりでいたところ本命だった馬が
レースの最中に怪我をしていまい、
親父から家に電報で至急
5、60円の金を送れといってきた。
にわかにそんな大金をつくるあてもなく
親戚の富裕な材木屋に
借金を申し込むことになった。
この家の娘をゆくゆく俺の嫁にという
親たちの腹づもりがあったらしい、
親しい仲の相手だった
母親はそんな相手の家に息子を
借金に出向かせるのを嫌って嘆いたが、
俺としては親父の苦境を察して出かけていった。
「天才」
石原 慎太郎 著
なんて父親だろう
いい年をして放蕩三昧とはいやはや
親が子供の尻拭いというのはあっても
親の尻拭いを子供が、
それも小学校の六年生とは・・・
結果借りられたことにはなるのだが
そんな少年期を経験した角さん
金の威力、怖さを身にしみていたのだろう
逆に借金を頼まれたら、
できない時ははっきりNO
できるのであれば、
渡す金はもう返ってはこないと
肚をくくって貸すのだろう
自分の元を離れた金は
一切関わりのないという考えなのかもしれない
なんと勇ましいというか
金に対する感覚の図太さに敬服
自分では決して金を溜め置かない
水のように流れている金の行き場所を
管理しているかのようである
お金とは空気のようなものなのかもしれない
ないと思うかならないのであって
空気のようにふんだんにあると思えば
特段、執着することもなく
必要な分だけは回ってくるにちがいない
早起き鳥
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