トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

猫が死んだ

2009-03-31 22:08:04 | 
母が大切に飼っていた猫が死んだ。
老衰だった。

母にしか心を開かなかった猫だった。

母もこの老猫をとても可愛がっていた。

あんなに泣く母を初めて見た。
あんなに落ち込んだ母を見たのも初めてだった。

『あの子がいなくなったら、この家にいる意味がない。家にいてもつまらない。』
『あの子がいなければ生きている意味がない。あの子がいたから楽しみがあったのに』

『孫なんて所詮我が子じゃない。口出しできるわけでもない。好きに出来るわけでもない。』

『子供たちも育った。もう私など用なしだ』

大嫌いな父と2人っきり。

『だから!ちっこ!私に心を埋められる仕事を探してきて。
年寄りでも出来る内職で良い。
私が楽しめる物を探してきて!
私には何も浮かばない。
あんた!見つけてきてよ!』

床に頭をこすり付けてからだをゆらゆらとゆすりながら
小さな子供のように駄々をこねる。

あれはどう?
これはどう?

とりあえず思いつくままに言ってみる。

『そんなの面白くない!』
『そんなの目が痛くなってできない』

『そんなのやれるわけがない!』

『新しい猫なんて絶対飼わない!情が移る者はもう飼わない!』

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

結局さ!悲しい気持ちを誤魔化すから苦しいんじゃないの?
たかが猫一匹だ。大した事ないって思おうとするから辛いんじゃないの?

あんなに可愛がっていた猫が死んだんだよ。
家族のように思っていた猫が死んだんでしょ。

そんなに簡単に立ち直れるわけないじゃん。
いっぱい泣いて、いっぱい寂しいって思って
そして沢山話せば良いじゃない。

写真は猫が成仏できないとか。
墓を作ったらダメだとか。そんな型にはめずに
自分で『もう良いや。仕方ない。あの子に会えた月日は楽しかった。ありがとう』って思えるまで写真に話しかけたり。墓参りに行ったり。
私に愚痴ったりすれば良いじゃない。

揺らしていたからだは床にうつぶせになったまま小刻みに揺れた。
『そうなんだよね。。。。』

次の日。姉一家も母を心配してやってきた。
末の男の子が言った。

『ばあちゃん。猫、死んじゃって寂しいね』

『そうだね。。』

『ぼく!あの子のこと忘れないよ。大丈夫だよ。絶対覚えてるからね』

母は『今朝、あの子がベットにやってきたんだよ。トンって登ったから
布団を上げて中に入れてあげようとして、ハッとしたんだ』

『私の飼っていたピーちゃんだって死んだ後しばらくピーピー鳴いてたよ』

『そうかい。火葬された次の日に窓の外に帰ってきたんだよね。黒い透けた形でさ。ばあちゃん呆けたかと思ったけどやっぱり側にいるのかね。
お姉ちゃんのところに遊びに行って温泉入って来ても良いかな。
付いてくるかな。』

『くるさ。ずっと側にいるよ。きっと』

母は安心したように姉の田舎に遊びに行った。