Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

私たちは聖母を「象牙の塔」と呼びます。なぜ「象牙」なのでしょうか。

2021年05月19日 | お説教・霊的講話

御昇天の祝日についての短い説教

ドモルネ神父

はじめに

この前の木曜日、私たちは、私たちの主イエズスの御昇天の祝日をお祝いしました。私たちは、希望の徳を、御昇天に関連づけられたものと考えます。イエズスが天国へ昇られたことは、私たちが地上においてイエズスの教えに従うならば、私たちも天国に行けるという保証なのです。

また5月中、私たちは通常毎日、童貞聖マリアの連祷を唱えます。ですから、この二つの要素を合わせて、私たちが童貞聖マリアにお捧げしている「象牙の塔」という称号についてお話ししたいと思います。この称号が私たちに教えるのは、マリアについて、そして希望の徳についてです。

希望の徳

私たちは地上で、霊的な戦いの状態にあります。私たちは、自分自身の情欲、すなわち快楽を求める無秩序で罪深い渇望と戦わなければなりません。私たちは、私たちの永遠の滅びを目指して熱心に活動する悪魔と戦わなければなりません。私たちは、この世、すなわちその教えや言葉、手本によって私たちをつまずかせ、私たちが、永遠の命よりもこの世の物事や快楽に幸せを見いだすようにさせようとするすべての人々と戦わなければなりません。これらの敵は常に活動的です。こういう訳で、地上に永続的な平和はないのです。私たちは常に戦う必要があり、その結果、常に何らかの苦しみを耐え忍ぶ必要があります。

このような状況ですから、私たちは自分の意志を強める必要があります。それは、敵の攻撃に抵抗し、苦難の中にも多少の慰めを得て、永遠の命に目を向け、私たちを助けてくださるという私たちの主イエズス・キリストの御約束に、確信を持ち続けるためです。この特別な強さは、特別な徳、すなわち希望の徳によってもたらされます。

童貞聖マリアの希望

童貞聖マリアの生涯を見てみましょう。聖母が、あらゆる試練やひどい悲しみを、どれほど固く耐え忍ばれたかを見てください。このことは、聖母の希望の徳がどれほど強かったかを明らかにしています。エジプトへの逃避や異教徒の国での亡命生活も、ナザレトでの生活の貧しさも、御子である私たちの主イエズスに対する迫害も、イエズスのご受難も、イエズスの十字架刑も、いずれも聖母を倒れさせたり、絶望させたりすることはできませんでした。聖母は十字架のもとに立っておられました。聖母の強さの秘訣は何だったのでしょうか。その秘訣は、聖母の希望の徳でした。贖いに関する天主の御約束への希望、敵に敗れたように見えても最終的にはキリストが勝利されることの確信、御受難と十字架のいけにえによって罪の赦しが得られたことへの確信、贖いのみわざによって、比べようのない栄光が天主に捧げられたことへの確信でした。

象牙の塔という称号

希望の徳は霊魂を、いかなる試練にも耐え、敵のいかなる攻撃にも抵抗し、あきらめることなく、絶望することなく、苦悩や悲しみに沈むことのないようにするのです。希望の徳は、岩の上に建てられた塔に例えられます。聖母の連祷の中で、私たちは私たちの祝されし母を「塔」と呼びます。これは聖母の英雄的な希望の徳に関する称号です。

私たちは聖母を「象牙の塔」と呼びます。なぜ「象牙」なのでしょうか。なぜなら、象牙は芸術品に使われる高価な素材であり、素晴らしい美しさの象徴だからです。また、象牙は白いため、純粋さの象徴でもあります。また、象牙は非常に硬く(象の牙が象牙であることを思い出してください)、強さの象徴でもあります。また、象牙は腐敗しないものであり、永遠の象徴でもあります。

ですから、私たちが童貞聖マリアが「象牙の塔」であると信仰告白するとき、私たちはマリアが、その希望のゆえに、いかに偉大なお方であったかということを言いたいのです。希望の徳は、聖母がすべての完徳の源である天主の方に完全に向いておられたがゆえに、聖母を美しくしたのです。希望は、マリアをこの世の物事への執着から離れさせ、純粋にしました。希望はマリアを強め、共贖のみわざにおいてマリアが必ず耐え忍べるようにしました。希望はマリアを腐敗することのないものとし、マリアを永遠の命に至らせました。

ウィーンの勝利

1683年、強力なトルコ・イスラムの軍隊が、キリスト教世界を破壊するためにヨーロッパに侵攻しました。【現在の】オーストリアの首都であるウィーン市を取り囲み、包囲戦を開始しました。もしこの都市が制圧されれば、全ヨーロッパがイスラム軍の攻撃の対象となってしまうのです。そこで、全キリスト教徒は、天主の御母に御助けと御保護を求めて、真剣に祈り始めました。教皇イノチェンチオ十一世は、もしトルコ軍に対する勝利が与えられるならば、童貞聖マリアをたたえる特別な祝日を設けることを約束しました。敬虔なポーランド王ソビエスキは、トルコ軍と戦う軍隊を何とか集めました。しかし、その軍隊はトルコの軍隊よりもはるかに人数が少なかったのです。彼の勝利への唯一の希望は、「キリスト信者の助け」なる聖母の御助けにありました。戦いの前に、ソビエスキはミサを捧げさせ、自ら侍者を務めました。その後、トルコ軍との戦いが始まりました。そして、それはキリスト教軍の完全な勝利となったのです。トルコ軍は本当にちりぢりになってしまいました。教皇イノチェンチオ十一世は約束を守り、この信じがたい勝利を記念して、マリアの聖なる御名の祝日を制定しました。

結論

この話から、童貞聖マリアの御助けがあれば不可能なことはないということを学びましょう。逆境においても揺るがず、どんな敵に対しても揺るがず、私たちのカトリック信仰において、いつも揺るがないようにしましょう。私たちは地上の巡礼者です。私たちの故郷は天国であり、私たちが行きたいのは、その天国です。童貞聖マリアは、私たちの象牙の塔です。

私たちが情欲や悪魔やこの世から攻撃を受けるとき、童貞聖マリアのところに逃げ込みましょう。聖母は私たちを成聖の恩寵の状態に保ってくださるでしょう。聖母は、私たちのどんな意向においても、私たちを純粋に保ってくださるでしょう。聖母は、私たちが何事にも打ち負かされないよう、私たちを守ってくださるでしょう。聖母は、私たちが永遠の命に至ることができるよう、この世において私たちを守ってくださるでしょう。象牙の塔なる聖母、われらのために祈り給え。


2021年5月9日と16日 カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass SSPX JAPAN, Tokyo and Osaka

2021年05月18日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖伝のミサの報告をお知らせいたします。

2021年5月9日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計97人でした。大阪では22人でした。
2021年5月16日、東京のミサ(入谷ホール)に来られた方は、子供達も入れて合計92人でした。大阪では24人でした。
来る主日は聖霊降臨の主日です。聖霊来たり給え!信者の心に満ち給え!








【報告】【2021年5月9日】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today.
The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 97, including children.

09:00 mass
M: 22 (incl. 2 children)
F: 18 (incl. 2 children)
Total: 40 (incl. 4 children)

11:00 mass
M: 18 (incl. 3 children)
F: 18 (incl. 7 children)
Total: 36 (incl. 10 children)

12:30 mass
M: 14 (incl. 3 children)
F: 14 (incl. 2 children)
Total: 28 (incl. 5 children)

Total of 3 masses (excl. 7 people who participated in multiple masses)
M: 51 (incl. 8 children)
F: 46 (incl. 11 children)
Total: 97 (incl. 19 children)

【報告】【2021年5月16日】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today and the amounts of donations received and payments made.

The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 92, including children.

09:00 mass
M: 23 (incl. 4 children)
F: 16 (incl. 3 children)
Total: 39 (incl. 7 children)

11:00 mass
M: 15 (incl. 4 children)
F: 17 (incl. 3 children)
Total: 32 (incl. 7 children)

12:30 mass
M: 17 (incl. 5 children)
F: 13 (incl. 2 children)
Total: 30 (incl. 7 children)

Total of 3 masses (excl. 9 people who participated in multiple masses)
M: 50 (incl. 13 children)
F: 42 (incl. 8 children)
Total: 92 (incl. 21 children)


イェルカロ(チベット)のカトリック・ミッションのジロドー神父はどうやって守られたか

2021年05月18日 | お説教・霊的講話

イェルカロ(チベット)のカトリック・ミッションのジロドー神父はどうやって守られたか

ドモルネ神父による話 2021年5月9日

今日の説教では、聖心の聖母についてお話ししました。それについて、もう少しお話しします。

1864年から1895年の間に、聖心の聖母のお取り次ぎによって受けた特別の御恵みへの感謝のしるしとして、全世界から50万を超える感謝の手紙が、聖心の聖母連盟に届きました。

大きな困難に面している現代、私たちが聖母マリアにますます信頼する心を奮い立たせることができるよう、その手紙のうちの一つをご紹介したいと思います。

それは、中国の雲南省に面するチベットのイェルカロ(Yerkalo, Tsakalo, tsha kha lho, 鹽井)にあるカトリック・ミッションの長上であったジロドー(Giraudeau)神父からの報告です。

イェルカロのカトリック・ミッションは、1865年、パリ外国宣教会の2人の宣教師によって創立されました。するとすぐに、このカトリック・ミッションはチベット仏教の僧侶たちからの強い反対に遭いました。1880年には、チベット仏教の僧侶たちは、チベットから全てのカトリック教徒を追放、ないし殺害する計画を立てました。ラサの王であったダライ・ラマや、ラサの主要な僧院によって承認された命令が国じゅうに送られましたが、それは全国民に対して、キリスト教徒に対する作戦に協力するよう命じるものでした。チベット内に設立された五つのカトリック・ミッションを攻撃するため、僧侶たちは秘密裏に軍隊を徴集しました。

この計画は中国の役人の知るところとなり、攻撃の準備のことはカトリック教徒たちにも伝えられました。事態を恐れたカトリック教徒たちは逃亡を試みました。幼い子どもたちを背負って、雨や雪の中を、歩いてイェルカロのミッションまで逃げてきた人たちもいました。しかし、イェルカロのミッションには防御の手段がありませんでした。そこで、ジロドー神父は、女たち、子供たち、そして一部の男たちを、遠い雲南省の村に送ることにしました。

宣教師たちにはどこからも助けがなく、僧侶たちの攻撃から逃げるすべがありませんでした。この絶望的な状況下、宣教師たちと信者たちは、天に、とりわけミッションの守護の聖人であった聖心の聖母と、聖ヨゼフとに助けと求めました。カトリック信者は、全てのことは天主の御支配のもとにあり、天主のお許しなしには何事も起こりえないことを知っています。ですから、良いカトリック信者は、物事が実際に起こるまで、決して希望を捨てないのです。

状況は更に悪化してきました。僧侶たちの軍団がイェルカロに向かって進んでいたのです。僧侶たちは人々に、キリスト教徒に食べ物を売ったり、キリスト教徒をかくまったりすることを、すでに禁じていました。ついにある日、僧侶たちの軍団がイェルカロを攻撃するために近づいてきていることが、ジロドー神父に知らされました。

ところが、しばらくあとで実際に現れたのは、その軍団ではありませんでした。そこに現れたのは別のカトリック・ミッションから来た宣教師で、ラサに駐在する中華帝国の特使が、カトリック教徒たちへの攻撃をすぐ停止するようにと僧侶たちに命じたことを、ジロドー神父に伝えにきたのです。誰も全く予期せぬことでしたが、権勢を誇った僧侶たちが、すでに全ての計画を準備し、またその計画を実行する手段を持っていたにもかかわらず、特使の命令に従ったのです。

このように突然、そして忠実にその命令に従ったことは、信じがたい出来事でした。カトリック・ミッションを救ったのは、まさに本当の奇跡だったのです。そしてその奇跡は、聖心の聖母と聖ヨゼフによって与えられたものでした。

ご参考までに、最後に、このイェルカロのカトリック・ミッションの歴史について少しお話ししておきます。1949年、イェルカロのミッションの長上であったスイス人のモーリス・トルネ(Maurice Tornay)神父は、僧侶たちに殺害されて殉教しています。

そしてこのミッションは、1966年に中国の共産党政権によって閉鎖され、その閉鎖は1980年代の末まで続きました。

2003年には、横浜司教区が、地震の被害を受けた教会の改修の援助として、イェルカロ・カトリック教会に3つの鐘を寄贈しています。

https://www.irfa.paris/fr/annales/ga-c-na-c-rosita-c-des-chra-c-tiens-de-yerkalo

 



 


2021年5月16日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for May 16, 2021

2021年05月16日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

最新情報は次のカレンダーをクリック
年間の予定はSSPX JAPAN MISSION CALENDARをご覧下さい。

今週末:2021年5月14日(金)15日(土)16日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

5月13日(木)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 5月14日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 5月15日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 5月16日(日) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

【東京】 東京では5月16日(日)のみ会場を変更してミサを捧げる予定です。この主日だけで後は通常に戻ります。ご注意下さい。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』  Special Mass Location-0412.pdf - Google ドライブ

5月16日(日)主日ミサが三回捧げられます。

午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。司祭は待機しております。

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of May 16, 2021.

Mass times in Tokyo:
09:00 - Sung mass Facebook live
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.
Mass location:
Address: Plars Iriya 3F, 1-27-4, Iriya, Taito-ku, Tokyo (near Metro Iriya, JR Uguisudani and JR Ueno stations)
Map and directions: Please see the pdf file.

Mass schedule in OSAKA:

Thu, May 13: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Fri, May 14: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, May 15: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, May 16: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30






主の御昇天の目的とは?聖母の望徳の称号について|Sermon Hope and Tower of Ivory_l'Espérance et Tour d'Ivoire

2021年05月15日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、今日2021年5月16日は御昇天後の主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「御昇天後の主日の説教」の動画をご紹介いたします。

ドモルネ神父様と小野田神父による、英語、フランス語、日本語のお説教です。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の至聖なる童貞マリアへの嘆願の祈り

2021年05月15日 | カトリック・ニュースなど

Supplication of Archbishop Carlo Maria Viganò to the Most Holy Virgin Mary
カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の至聖なる童貞マリアへの嘆願

2021年5月13日

この一年以上、全世界は、パンデミックを口実に「グレート・リセット」と新世界秩序(New World Order)の確立のための条件をつくり出そうとするエリートたちの人質となっています。天主および人類に対する敵対者が計画したこの最新の革命は、地獄のわざであるのは確実であり、祈り、断食、償いという霊的な武器に頼って戦わなければならないものです。私は忠実なカトリック信者の皆さんに、聖母に捧げられた今月(五月)の間、毎日聖なるロザリオを唱え、以下のような祈りを付け加えるように勧めます。すべての恵みの仲介者、勝利の元后が、この背教の時にそのご保護によって私たちを助け、悪に抵抗し罪人の改心を得るために剛毅の徳を与えてくださいますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

至高なる聖母、天の元后よ、この暗黒と苦悩の時に、御まなざしを御身の子なるわれらに向け給え。今この時、敵の軍勢が、天主とその教会と人類とに対して、地獄からの攻撃を増大させつつある真っ只中にあるわれらが、ひれ伏して捧げ奉る信頼に満ちた祈りを聞き入れ給え、祈りに答えるを軽んじ給うなかれ。

御身は、謙遜の模範のみならず、天主のみ旨への従順の模範にして手本なり。われらの統治者らを照らし給い、それによりて、彼らが行使する権威は主から来ること、また自らがなさなかった善および犯した悪のいずれについても公正な審判者なる主に責任を取らねばならぬことを思い起こさせ給え。「信実なる童貞」よ、公務を司る者らに、その職務についての道徳上の義務を尊び、悪徳や誤謬とのいかなる共謀をも拒否するよう教え給え。

天主の玉座の御前にて執り成し給え。霊魂と身体の悪を癒やし給い、まさしく「病人の快復」として皆が祈り奉る御身よ、医師や医療従事者をその職において導き給え。彼らが病人の世話を行い、われらのうちで最も弱き者らに援助を与えるのを助け給え。不適切な治療や有害な薬物で死や病気を引き起こすことを強制する者どもに対抗する勇気を彼らに与え給え。われらの霊魂の天主なる医師、われらの主イエズス・キリストに祈り給い、身体の生命と健康を促進する役割と義務に対する意識を彼らの良心に呼び起こすよう主に願い給え。

エジプトへの逃避の際、ヘロデの虐殺から天主なる御子を救い給うた御身よ、われらの子供たちを、迫り来る道徳的・霊的な脅威から救い出し給え。われらの小さき子らを、罪および悪なるまことの疫病から、また身体と霊に打撃を与えんとするイデオロギー独裁体制の犯罪計画から守り給え。われらの子供らに危険かつ道徳的に違法な薬物を実験的に使用することに反対するよう、親や教育者を強め給え。子らの無垢な心を傷つけ、さらには子供らの道徳を腐敗させ、子らの知性をゆがめることで、幼きころより堕落させんと試みる者どもの攻撃をくじき給え。

永遠の命への道において、御子の現存で慰めを受け給うた御身よ、病人、高齢者、死にゆく者、特に、非人間的な規制によって、秘蹟を受けるのをはく奪され、病院のベッドで孤独に死を迎える者に寄り添い給え。彼らに慰めを与え給え。彼らが天主との友情の慰めをもって目を閉じることができるよう、自らが犯した罪に対する悔い改めと、その罪の償いとして自らの苦しみを捧げ奉らんとの望みを彼らに起こさせ給え。

「司祭職の母」と呼ばれ給う御身よ、われらの牧者らを照らし給え。今ある脅威を認識すべく、彼らの目を開かせ給え。彼らを、御子キリストの一貫した証人となし、主が彼らに委ね給うた群れの勇気ある守護者となし、誤謬と悪徳に勇敢に反対する者となし給え。至聖なる童貞よ、世間体や罪との共謀などのすべてを彼らから取り除き給え。天主と隣人への愛で彼らを燃え上がらせ、彼らの心を照らし、彼らの意志を強め給え。

御身の御前では地獄のすべての悪魔が逃げ出すなり。この憎むべき専制政治による悪魔の計画、パンデミックという欺瞞、邪悪を働く者どもの嘘を打ち破り給え。キリストのまことの光が誤謬と罪の暗闇を照らすごとく、嘘の上に真理の光を輝かせ給え。御身の敵を混乱させ給い、あえて天に挑み、反キリストの支配を確立せんと欲する者どもの高慢なる頭を、御足の下で辱め給え。

天主の御定めにより、すべての恵みの仲介者にしてわれらの共贖者なる御身よ、御身の汚れなき御心の凱旋を見奉る御恵みを、われらに得しめ給え。その汚れなき御心に、われら自身、われらの家族、われらの共同体、聖なる教会、われらの祖国、そして全世界をわれら奉献し奉る。

アメン

2021年5月13日
主の御昇天
ファチマの童貞聖マリアの御出現

【訳注】
Auguste Dame (仏), Augusta Signora(伊), August Lady(英)Augusta Señora(西)の訳語として、「至高なる聖母」とした。その理由は、聖体降福式の時の讃美の時に 聖母についてフランス語で "auguste Mère de Dieu" とあり、同じauguste という単語が使われており、日本語では特に auguste に対応する言葉は訳されてはいないが、中国語では「至高至聖」と訳されているので、それを参考にしたからである。参考までに各国語では次の通りである。
Bénie soit l'auguste Mère de Dieu, la très Sainte Vierge Marie !(仏)
Benedetta la gran Madre di Dio, Maria Santissima(伊)
Blessed be the great Mother of God, Mary Most Holy(英)
Bendita sea la Incomparable Madre de Dios la Santísima Virgen María(西)
讚美至高至聖瑪利亞天主之母。(中文)


ヴィガノ大司教「キリストは、革新主義者たちが「特別な形式」と呼ぶ完全な声で御父に語りかけると同時に「通常の形式」という天主の敵に好意を示す不完全な声で御父に語りかけることはできません。」

2021年05月15日 | カトリック・ニュースなど

Viganò: There are Those who Want the Church to be an NGO Imbued with Freemasonry.
ヴィガノ大司教「教会をフリーメーソンに染まったNGOにしようと望む者たちがいる」

2021年5月4日

マルコ・トサッティ
親愛なる「Stilum Curiae」の友人および敵の皆さん、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教がラジオ・スパダに行ったインタビュー(第二部)を発表させていただきます。第一部はここにあります。

ヴィガノ大司教「ベネディクト教皇は『不適切な協力者、信頼できない協力者、さらには腐敗した協力者にまで取り巻かれていた』」

ラジオ・スパダによるカルロ・マリア・ヴィガノ大司教とのインタビュー

【ラジオ・スパダ】
大司教様、3月にマルコ・トサッティの新刊本「Neo-Vatican Gallery」(ネオ・バチカン・ギャラリー)を、大司教様の序文とともに発表した際に開始したインタビューを「完結」できるのをうれしく思います(この本は英訳のほか、イタリア語とスペイン語でも出版されています)。まず第一に、あの最初の対話がわずか数週間で世界中に広まったことを確認しておきましょう。多くの言語に翻訳され、活発な議論が始まりました。広く関心と注目を集めました。あちこちで少し小さな批判がなされ、それはとりわけ「ベネディクト十六世」をテーマにしたものでしたが、その批判には神学的なレベルにおいてはあまり一貫性がありませんでした。その討論は主に、ラッツィンガーの思想における、ある種のヘーゲル的な影響に関連してあなたが提起なさったテーマに関するものでした。あの議論の中でこのような点を認識しておられましたか。もしよろしければ、このインタビューを機にお返事をいただけないでしょうか。そうでない場合は、ほかの問題に話を進めたいと思います。

今日の対話はいくつかの部に分けて行いますが、ここでは読者の理解を助けるために、読者に役立つ内容の概要を説明します。最初に、聖伝を守るための英語圏の現在の役割、そのあとで聖母マリアの問題、次に典礼の問題、そして最後にエキュメニズムについての部分です。

では、マルコ・トサッティの新刊本が取り扱っている英語圏のテーマから始めましょう。歴史的に、公会議のイデオロギーに反対する人々は「多くはフランス語を話していました」(マルセル・ルフェーブル大司教が指導的役割を果たしていたためでもあります)が、今日では、英語を話す人々の間で、特に米国で、この戦線が大きく拡大していることが分かります。また、有名な「アガサ・クリスティ特別許可」(Agatha Christie Indult)【*】は、その活動に明らかな限界があったにもかかわらず、当時(1970年代初頭)としては重要な意味を持っていたことを忘れるべきではありません。大司教様は外交官として任命されたことから、特にワシントン駐在の教皇大使としての役割から、何十年にもわたって英語圏のことをよくご存じです。では、この進化についてはどう思われますか。それは何によるものでしょうか。この意味で、大司教様はどのような見通しをお持ちでしょうか。

【*訳注:ヒーナン特別許可(Heenan Indult)ともいう。ウィキペディアなどによると、英国のヒーナン枢機卿が1971年、教皇パウロ六世に、イングランドとウェールズで聖伝のミサに愛着のある人々に、このミサを捧げる許しを求める誓願を提出した。その誓願にはトリエント典礼という芸術文化遺産を守るという意向もあったため、署名にはカトリックでない著名人の名前も多かった。教皇が署名者を見て「おお、アガサ・クリスティ」と叫んで許可に至ったとされたため、その通称がついた。ただし、このミサは1962年版ではなく、1965年版の典礼に基づいている。】

【ヴィガノ大司教】
あなたの表現を使わせていただければ、公会議のイデオロギーに反対する人々が当初は主に「フランス語を話していた」理由は、そのころ、フランスには、信徒と聖職者の両方で、ある種の深みのある知識人がいたという事実のためであり、彼らが、社会的な出来事と教会的な出来事との間に非常に密接な関係があることを明らかにしていたからだと私は想像します。忘れてはならないのは、フランスは1968年の激しい社会的対立と超進歩主義の一形態に直面していたものの、イタリアでは、その超進歩主義はとりわけ大都市以外では、おそらくあまり広まっていなかったのだろうということです。フランスでは、反聖職者の政府による迫害や影響をすでに経験していたカトリックの伝統の深い国で進行中の革命について、もっと大きな認識がありました。

英国では、少数派であるカトリックが英国国教会と常に対峙していましたが、公会議の教会がプロテスタントの典礼や教理の立場を受け入れつつあることが明らかになると、信徒だけでなく、多くの非カトリック信者も固く一致した反応を起こし、彼らは、聖座が現代社会の世俗化のメンタリティーに屈することを理解できないと考えました。いわゆる「アガサ・クリスティ特別許可」は、カトリックと英国国教会を区別する要素であった聖伝の典礼を取りやめるという決定に対して、多くの知識人が失望していたことを明らかにしました。それは、宗教的迫害に直面してきたカトリックの何世紀にもわたる英雄的な抵抗を否定するかのようなものでした。

公会議前の健全なエキュメニズムは、カトリック教会の胎内に戻ってくる英国国教会信徒の絶え間ない流れを支持していましたが、70年代、特に典礼改革の後、この流れは枯渇し、「改宗」は[カトリックに向かう]代わりに東方教会に向かうようになりました。異端的な公会議のテーゼによれば、唯一の牧者の下にある唯一の囲いに再び入ることを心から望みそう希望している人々でさえも[カトリックに改宗する代わりに]、離教と異端の中にそのまま残されるべきだ、と考えられていたからです。

キリスト教民主党が政治的に主導していた教皇座のイタリアでは、おそらくカトリックが消滅するという危機にあるとは思えなかったという事実もあって、公会議革命への反応はもっとずっと緩やかなものでした。

米国での信仰の復興はもっと最近のもので、米国のカトリック信者が、信仰と典礼が日常生活の中で脅かされていることに気づくのが遅れた結果です。1950年代の米国の教会は、ピオ十二世の先見の明のある行動と、多くの優れた高位聖職者たちの使徒職のおかげで、急速に成長していました。その高位聖職者たちの中でも、フルトン・シーン大司教を忘れることはできません。比較的若い国民の熱狂、無数の改宗、米国におけるカトリックの「新鮮さ」が、おそらく危機が表にはっきり出るのを遅らせたのでしょう。しかし、この危機は、イエズス会の大学や、バイデン、ケリー、ペロシら「カトリック信者の」政治家が出てきた進歩主義者のサークルで、すでに始まっていたのです(こちら)。

生命の尊重のようなカトリックの道徳に関連するテーマは、カトリック信者ではない大統領たちも支持し、司教団や信徒の喝采を浴びました。社会的にも教会的にも、草の根の人々と上層部の間の亀裂が感じられるようになってきたのは、最近のことでした。それは一方では、ビル・クリントンに始まる熱心な中絶推進派の大統領たちによって、他方では、フランスや英国だけでなく、イタリアや、スペイン、ポルトガル、アイルランドなどのカトリックの伝統が強い国で広まっている欧州の進歩主義の要求にさらに近い立場の司教たちによってです。

この亀裂は、市民と政治家、そして信徒と司教を隔てる大きな距離を明らかにしました。政治階級と位階階級による裏切りに直面して、トランプ大統領をカトリック信者も信頼を置くことのできる米国民の伝統的価値観の擁護者とみなす良心が再び目覚めたことは正常であって、さらに私は賞賛すべきこと、御摂理的なことであるとさえ言いたいと思います。

昨年11月3日の不正選挙は、逆にディープ・ステートとディープ・チャーチの間の「邪悪の合意」(pactum sceleris)を強化し、司教、知識人、超進歩的なカトリック・メディアの断固たる支持のもと、世界統一主義者(globalist)のイデオロギーと新世界秩序(New World Order)の計画に完全に従順な自称「カトリック信者の大統領」をホワイトハウスにもたらしました。米国における疑似パンデミックの扱いは、ディープ・チャーチの本当の顔を明らかにし、多くの信徒の目を開かせ、「グレート・リセット」の提唱者たちの間に存在する共犯関係を信徒に理解させました。

大統領選挙の本当の結果が最終的に明らかになり、[アメリカで]干渉や操作に悩まされない新しい選挙が行われうる時には、バイデンはまたも米国のディープ・チャーチを自分の側に引き込むでしょう。その時には、特に、教会の信仰・道徳・典礼に改変を受け入れるつもりのないカトリック信者たちには、社会的に関わることになるような新たな刺激となるでしょう。

【ラジオ・スパダ】
マリア信仰というテーマが、今の時期ほど広く語られたことはこれまで決してありませんでした。ベルゴリオがまたしても、マリアの共贖者としての役割の重要性を最小限にするような発言をしてから、聖母の称号をめぐる「討論」(そう呼びましょう)が始まりました。このマリアの特権を守るために、私たちは最近、「Libro d'Oro di Maria Santissima」(至聖なるマリアのゴールデン・ブック)という本を出版しました。私たちは、カトリックがマリアなしで存在できるとは考えていません。さらに、現在私たちが経験している反マリア的攻撃の原因が、公会議に、そして公会議後の時代の管理者にないとするのは不可能であると考えています。一方では、公の演説や「文書」を通して、直接的にも間接的にも本物のつるはしを使い、他方では、まことのマリア崇敬を否定するかのような新・出現信奉主義的な感傷的言動が浮上しています。ヨハネ・パウロ二世がペトロの座に就き、ラッツィンガーが教理省長官に就任したとき、この意味で受け入れがたい作戦が、エキュメニズムの名の下に、大きな力のある革命に典型的な交互に入れ替わるプレートを使って【押し進めたり引き下がったりして】、実行されたことを忘れてはなりません[1]。
(1)1996年、第12回国際マリア学会議がチェンストホヴァで開催された際、東方「正統」教会3人、英国国教会1人、ルター派1人を含む神学者グループが、共贖の教義に反対する宣言を発表しました。完全な対話形式の宗教的無関心主義の方式(ここが問題の本質です)で、共贖者、仲介者、代願者の称号を「曖昧」と定義し、その文章が「オッセルヴァトーレ・ロマーノ(L'Osservatore Romano)」【聖座所有の日刊紙】に掲載されました。
(2)マリア信心に対する「宗教改革」の悲惨な結果を一時的に脇に置くことによって、また、あたかもキリストの神秘体からマリアを分離してもマリアを愛することができるかのように「すべての異端に対する凱旋者」(Triumphatrix over all heresies)としてのマリアの役割を不明瞭にすることによって、ヨハネ・パウロ二世は1997年11月12日の一般謁見で次のように述べています。「ルターの著作には、例えば、あらゆる聖徳の模範として称賛されているマリアに対する愛と崇敬の念が込められています。ルターは、天主の御母の崇高な聖性を支持し、時には無原罪の御孕りの特権を肯定し、他の改革者たちとマリアの終生童貞に対する信仰を共有しています」[2]。大司教様の個人的な経験で、マリア信仰の「公会議による」衰退をどのように経験されましたか。高位聖職者として、イタリアや海外での長年の奉仕活動の中で、このテーマに関連してご覧になってきたことについて、私たちに教えていただけますか。教会の危機に関するあなたの「良心の決断」に、童貞聖マリアは役割を果たしておられましたか。

【ヴィガノ大司教】
いつの時代も異端者たちを一致させているのは聖母に対する不寛容です。つまり、童貞聖マリアのための崇敬と、それが前提としているマリアの教理、そしてそれを典礼的に表現したものに対する不寛容さです。さらに言えば、これは驚くべきことではありません。サタンは、天主の御母に、その御子によっていにしえの蛇の頭を踏み砕いたお方、歴史の流れの中で教会に対する地獄の攻撃を打ち破ったお方、そして、時の終わりに反キリストとサタンに対する最終的な勝利を収めるお方を見いだしているのです。

至聖なる三位一体は、聖母とともに贖罪のみわざを行うのを喜んでおられます。聖母に対して、いかなる被造物も考えつくことができなかった特権を与えられました。その筆頭は、聖母を原罪から守り、救い主のご誕生の前も、その間も、その後も、聖母の童貞性を無傷で守ったことです。新しいエバであるマリアに、サタンは自分に勝利し、エバの誘惑と堕落の償いをする被造物を見いだしているのです。こういう訳で、マリアは、新しいアダムであるキリストと一致した共贖者なのです。

キリスト信者の中にある、聖母への子としての信心を根絶することは非常に困難です。プロテスタントの偽改革や英国国教会の離教の後でも、童貞女マリアへの信心は、それを消すために特別な努力を必要とするほど生き残っていました。天の母への愛があまりにも自発的で、自然で、適合している場合、素朴な人の心から天の母への愛を引き剥がすことは困難です。幼い子どものころに唱えるよう母親が教えてくれた1回の「めでたし」だけが理由であったとしても、至聖なるマリアへの信心のおかげで教会の胎内に戻った異端者たちのケースのことを私は思い浮かべます。この信心は、素朴で、謙虚で、甘美で、確信に満ちていて、最も純粋なものです。この信心は、神学的な教理の高邁さを知らない人々でも減ることはありません。

なぜなら、この信心は、ほかの何よりもまさって、私たちを子どもとして、また聖母を母としてみなしており、私たちの犯したすべての欠点にもかかわらず、聖母を、私たちが常に依り頼む「救い主」(Salvatrice)、あわれみ深きお方、代願者として認識させるからです。たとえ、私たちが御怒りを招いたため天主なる御子の方へ目を上げるのが恐ろしいときであったとしても、「あなたの母を見よ」(ヨハネ19章26-27節)なのです。【つまり聖母を私たちの母としてすがって行くことができる。】

こういう訳で、サタンは「婦人」(the Lady)を嫌うのです。祓魔式の際にサタンは聖母(Our Lady)をそう呼びます。サタンは、イエズス・キリストの御力がその御母によって少しもぼかされることがないだけでなく、むしろ高められることをあまりにもよく知っているのです。なぜなら、サタンの傲慢がサタンを地獄に沈めたのに対し、御母の謙虚さは御母をすべての被造物のはるか上へと高め、御母にご托身になる天主の御子を孕らせたからです。そのご托身によって、御子は人間の肉体をお取りになりましたが、ルチフェルにはそれが許せなかったのです。

公会議後のマリア信仰の衰退は、天の元后に対するサタンの嫌悪感の最新の表現に過ぎず、最も異常でつまずきを与えるものと言えるでしょう。マリア信仰の衰退は、あの集会【第二バチカン公会議】が天主から来たものではないことを示すしるしの一つであり、至聖なる童貞の称号や功徳にあえて疑問を呈することさえする人々が天主から来たものではないのと同様です。

一方、父親の敵を喜ばせるために、自分の母親が貶められることを許す息子がいるでしょうか。ですから、天主の御母にして私たちの母の名誉が危うくなっているとき、【教会の役務者による】異端者や異教徒とのあからさまなこの共犯関係があるのは、いったいどれほど深刻なことでしょうか。三位一体の最愛のお方は、父なる天主によってその娘として、子なる天主によってその御母として、そして聖霊なる天主によってその浄配として選ばれ給うたのです。

公会議の欺瞞と現在の背教に気づくようになるという私の「回心」の賜物は、聖母に対する私の絶え間ない信心のおかげで可能になったと、私は信じています。1944年4月の連合国軍の爆撃の際、母は私をヴァレーゼの私たちの家の下の防空壕に連れて行き、御影が小さなランプで照らされた聖母のご保護を祈りながら、私を抱きしめました。聖母の祝されし「冠」(ロザリオ)は、いつも私の祈りに活力を与えてくれました。

聖なる童貞は、そのかかとで、御子の教会にはびこって冒涜する地獄の偶像を踏み砕き給うのです。ご自身の役務者によって追放された御子に王冠を回復させるお方です。この暗黒の時に良き人々を支え、保護し、罪人のために回心と悔い改めの聖寵を懇願するお方です。

【ラジオ・スパダ】
典礼のテーマも関連しています。今日、最も困難な戦いの一つは、全時代のミサ【聖伝のミサ】と新近代主義者による公会議革命の結果生まれたミサとの間に存在する深遠な違いを信徒に説明することである、と私たちは考えています。それは、その根底にある神学の問題だけでなく、「パウロ六世のミサ」の歴史それ自体の問題でもあります。その改革はプロテスタントの著名な代表者が参加した委員会の助けを借りて行われ、その結果、現在のようなエキュメニカルな典礼になった、という事実を知っているカトリック信者は、ほとんどいません。残念ながら今日、典礼の問題における「実質的な宗教的無関心主義」の風潮がないわけではありませんが、これは前回の対談でも言及したように、ベネディクト十六世の自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)の矛盾した内容の所産でもあります[3]。また、ミサのテーマについても、2020年6月9日に大司教様の友人のM・グァリーニ博士のウェブサイトに掲載されたエッセーの中で、大司教様は次のように述べておられます。「歴史の流れの中で異端が広まったとき、教会は常に迅速に介入してそれらを断罪してきました。それは、ある意味で第二バチカン公会議を先取りしていた1786年のピストイアの司教会議(シノドス)のときに起こったようにです」。この考察について、さらに詳しく教えてください。大勅書「アウクトレム・フィデイ」(Auctorem Fidei)を参照して、現在の状況に関連してどのような要素を強調することができますか。この段落で示唆されている事実を、もっと多くの人々に明らかにするために、できることは何でしょうか。

【ヴィガノ大司教】
キリストの神秘体が、公式で荘厳で公の行為である典礼の祈りを、二重の声で神秘体のかしら【キリスト】に向かって上げることができるということを維持するのは、少なくとも困難であるという事実について、私はあなたに同意します。この二重の性質は二枚舌を意味し得るものであり、カトリックの真理の単純性と直線性に反します。ちょうどその二重性が、そのみ言葉が永遠であり、至聖なる三位一体の第二のペルソナである天主に反しているのと同じようにです。キリストは、革新主義者たちが「特別な形式」と呼ぶ完全な声【聖伝のミサ】で御父に語りかけると同時に、「通常の形式」で天主の敵に好意を示す不完全な声【新しいミサ】で御父に語りかけることはできません。

一方、「通常の形式」という同じ不適切な表現は、一般的な言葉で言えば、特別ではないもの、当たり前のもの、価値の低いもの、レベルの低いもの、を示す「普通・平凡」という認識を、意図せずに示しています。人が「通常・普通・平凡」であると言うと、確かに褒め言葉には聞こえません。ですから、私は、この状況を一時的なものとして受け入れて、許容しなければならないと考えています。

その状況下で、伝統的な典礼は、唯一のカトリックの典礼への復帰が必要であることと、その公会議版の廃止が不可欠であることを考慮して、霊魂に多くの善を及ぼしつつ、復帰し、広まっていく道があるはずです。典礼において、教会は人間にではなく、天主の御稜威に語りかけることを忘れてはなりません。洗礼を受けて生きている教会の成員は、彼らと至聖なる三位一体との間に「橋を架ける者」(pontifex)である「聖なる役務者」によって、典礼の祈りにおいて共に一致しています。典礼をある種の人間中心的なイベントにすることは、カトリックの精神とは最も無縁なものです。

私がピストイアの司教会議に言及したのは、第二バチカン公会議の文書の中に、さらには公会議後のいわゆる「教導権」の中に、大勅書「アウクトレム・フィデイ」によって断罪された誤謬が顕著に再提示されたからです。私が顕著にと言うのは、真理が天主において[天主の他の本質と共に]本質的であるのと同じく、嘘や誤謬もサタンのしるしであって、サタンは何世紀にもわたって反逆の叫びを繰り返し、常に自分が憎む真理を、消し去ることのできない憎しみをもって攻撃しているからです。

アリウスからロワジーまで、ルターからLGBTQ支持のマーティン神父(イエズス会)まで、その叫びを起こさせる者は常に同じです。この理由により、教会は「常に」誤謬を断罪し、「常に」同じ真理を確認するのであり、この理由により、異端者は「常に」同じ誤謬を再提示するのです。金の子牛を使ったイスラエルの民の不忠実や、アッシジ、パチャママ、アスタナの忌まわしいものに関しては、新しいものは何もありません。


【ラジオ・スパダ】
これまでに述べてきたことを最終的に確認する意味でも、エキュメニズムというテーマに、さらに具体的に入っていかない訳にはいきません。以前の質問でも注目したように、エキュメニズムは、私たちが証人になっているこの危機のあらゆる面と密接に結びついています。その存在は、少なくとも、パウロ六世のアテナゴラス【コンスタンティノープル総主教】との会見や「正教会」のメリトン【カルケドン府主教】の足への接吻以来、本格的な形となり、1986年(ヨハネ・パウロ二世)と2011年(ベネディクト十六世)といったさまざまなアッシジの会議で徐々に勝利を収め、アブダビ文書やアマゾン・シノドスの際に聖ペトロ大聖堂に持ち込まれた異教徒の像にまで至っています。このような宗教的無関心主義の道は、理論的にも実践的にも、数え切れないほどの教皇庁の文書(ピオ十一世の「モルタリウム・アニモス」(Mortalium Animos)、聖ピオ十世の「パッシェンディ」(Pascendi)、ピオ九世の「シラブス」(Syllabus)は誰にでも適用されます)によって直接的に断罪されています。超自然的な信仰の光に反しているだけでなく、まず第一に自然的な理性の光にも反しています。なぜなら、非論理的で、間違っており、曲解しているからです。それ(エキュメニズム)は、いわゆる「進歩派」や、残念ながら少なからぬ「保守派」の公然とした協力のおかげで、もう一度復活して繁栄しています。あなたの経験の中で、特にさまざまな大陸でなさったさまざまなミッションの中で、司教団がこの問題について認識があることに、少なくとも個人として、気づかれましたか。つまり、公の場の「慎重さ」の裏で、少なくとも録音されるマイクがないときには、この背教の重大性を認識している聖職者が存在するのでしょうか。もしそうであれば、その認識は、行われる行為がひどくなるにつれて、年々高まっているように思われますか。

【ヴィガノ大司教】
主を愛する司教たちや司祭たちは、公会議の教理と啓示された信仰の間には、どうしようもない矛盾があることをよく知っています。そして、誤謬を広め、自ら革命の推進者となっている傭い人たちも、そのことを完全によく知っています。しかし、傭い人たちが教会をフリーメーソンの原理に染まったある種のNGOに作り変えるために教会を変化させようと本気で考えている一方で、良き牧者たちは、多くの失敗が、第二バチカン公会議がほのめかした誤謬そのものの必然的な結果ではなく、ほとんど途中の事故であって遅かれ早かれ何らかの方法で正されるだろうと信じることに甘んじているのです。

この哲学的かつ心理学的な誤謬は、神学的な誤謬であるというよりはもっとそのようなものですが、彼らは、現在の危機の発生源【第二バチカン公会議】を維持するとともに、教会の不変の教導権への忠誠とを維持しているのです。これは、まさに無駄で自然に反しているがゆえに失敗を運命づけられているタイタニック号のような巨大な作業です。

たとえを言わせてください。医者が特定の病気の症状を見つけた場合、その診断は病状を特定し、症状を取り除くだけではなく、症状の原因を取り除くことを目的とした治療法を採用します。また、症状を病気と結びつけることを拒否しながら、症状を治すことはできません。公共的な問題でも同じことが言えます。統治者が、管理されていない移民によって犯罪が増加していることを発見した場合、犯罪者を逮捕することは確かにできますが、不法移民を止めなければ何の成果も得られません。さて、このことは日常生活の問題では明らかですが、なぜそれが、天主の御稜威に当然なされるべき礼拝、教会の名誉、霊魂の救いに関わる問題のような、さらに重大な問題にまで適用されることがないのでしょうか。

私の兄弟たちは、自分たちが陥った欺瞞を認識するという、危機の発端となった教理的、道徳的、典礼的な原因を特定するという、誤って踏み出した安易な道から引き返すという、謙虚さを持つべきだと私は思います。それは、自分たちが放棄し、何世紀にもわたって唯一の実行可能な道であることが証明されてきた狭くて険しい道、すなわち十字架の道、自己犠牲の道、そして真理、すなわちイエズス・キリストに対する英雄的な証しの道を再開するためです。そうなったならば、悪魔とそのしもべによる教会への攻撃は、これまで常にそうだったように増えていくことでしょう。「彼らが私を迫害したなら、あなたたちにも迫害を加えるだろう」(ヨハネ15章18-27節)が、兄弟たちは天国と勝利の手柄を得ることができます。逆に、この世とそのかしらと折り合いをつけることができると信じているなら、自分に託された霊魂と自分自身の霊魂について、天主にお答えしなければならなくなるでしょう。

このような時代精神への安住は、おそらく勇気の欠如とある種の臆病さを表しているものであり、カトリック信者、さらには天主の聖職者のあるべき姿である「天の国は暴力で攻められ、暴力の者がそれを奪う」(マテオ11章12節)とは正反対のものです。

【ラジオ・スパダ】
大司教様、このような対話ができて、本当にありがとうございます。

注:

[1]「革命的」な台本に従って、この時期にマリア信心に「好意的」な宣言がなされたことは驚くべきことではない。この宣言は明らかに反対の実践と交互に行われ、一般的な新近代主義の文脈に挿入され、現在明らかになっている結果をもたらした。

[2]一般謁見1997年11月12日【教皇ヨハネ・パウロ二世】

[3]特に、以下の一節に注目したい。「第一条 パウロ六世によって公布されたローマ・ミサ典書は、ラテン典礼様式に属するカトリック教会における『lex orandi(祈りの法)』の通常の表現である。一方、聖ピオ五世によって公布され福者ヨハネ二十三世によって改訂されたローマ・ミサ典書は、教会の同じ『lex orandi』の特別の表現であると見なされる。そしてその敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない。教会の『lex orandi』におけるこれら二つの表現は、決して教会の『lex credendi(信仰の法)』を分裂させるものではない。実のところ、これらは唯一のローマ典礼様式の二つの執行方法である」

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Deuxième entretien de Mgr Viganò avec Radio-Spada - medias-presse.info

Radio-Spada : Excellence, nous voici pour «  compléter  » notre entret...

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【参考資料】マジャール・ネムゼット紙に掲載された「ダボス時代の新共産主義」2021年3月1日

2021年05月15日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】マジャール・ネムゼット紙に掲載された「ダボス時代の新共産主義」2021年3月1日

この記事は、2021年3月1日にマジャール・ネムゼット紙のオンライン版に掲載されました。「マジャール・ネムゼット」(Magyar Nemzet)は、ハンガリーの主要な日刊紙です。1938年に創刊されたマジャール・ネムゼット(ハンガリー国民)は、ハンガリーの保守派が参考とする保守系新聞で、ヴィクトル・オルバン首相率いる現ハンガリー政府に近い立場にあります。フランス革命を準備した啓蒙主義の論理的結論として行きつく先として、新しい共産主義的な新世界秩序が樹立しつつあるとの警告です。

***

ひねくれたイタチ【ずるい者】にしろ、単なる愚か者にしろ、無知なリベラル派は、いまだにディープ・ステートや隠された権力などは存在しないと必死に大衆に信じ込ませようとしている。一方、あまりにも現実である隠されたネットワークは、2020年に戦略を変更して、それを世界に公表した。

世界経済フォーラム(WEF)の創設者であるクラウス・シュワブは、昨年5月のダボス会議で、チャールズ英皇太子とともに「グレート・リセット」を発表した。

この新たな始まりは、現在の世界秩序の基盤およびルールを置き換え、作り変えることにほかならない。彼らの見解によれば、現在の形態の資本主義は人々の福祉に貢献していないため、環境を保護し、社会的不平等を減少させるような新たな種類の資本主義を構築しなければならないという。

グレート・リセットは、新型コロナウイルス感染症後の時代に新世界秩序をもたらすものであり、それは政治的、イデオロギー的、経済的なまとまりを意味し、また、国家のない世界を意味する。

シュワブやその他多くの人々の発言から、彼らの大きな計画は、マルクスとエンゲルスの偉大な夢である、ある種の国境を越えた国際的な支配体制の下で世界的な共産主義を導入するものであることが分かる。(これは正確にはプロレタリア独裁とは呼べない。ロスチャイルド一族からビル・ゲイツに至るまで、世界のエリートのメンバーはプロレタリアとは言えないからだ。「プロレタリア」という言葉を「エリート」に置き換え、「独裁」を残し、エリート独裁とすることで、われわれは真実に近づき始める。)

これらの隠された権力は、今、その姿を現し、前面に出てきている。そのため、メインストリーム(主流)の、政治的に正しい(politically correct)とされるナラティヴが、いままで"錯乱した幻想"というレッテルを貼っていたことは、今ではこれらの紳士たち自身の言葉で、つまりこれらの大きな野心を持った権力者たちの最前線で(au premier plan)見ることも、読むことも、聞くこともできるのだ。もちろん、彼らはシュワブが最大の善意と慈善活動に関心を持っていると言い続けるだろうが、こうしたマントラにはあまり価値はない。少なくとも、彼らはこの「グレート・リセット」から利益を得る立場にあるからだ。

それよりも、もっと注目すべきなのは、クラウス・シュワブが、新「トランスヒューマニズム」世界秩序という目標についてインタビューで語った多くことの裏にある意味である。

第一に確認しておきたいのは、次のことである。グローバル・エリートの最重要の目標が、国民や国民国家を解体し、包括的で大規模な世界政府を創設することであり、それによって、社会的不平等、気候変動、持続可能でない成長、移民などの問題を処理し、解決しようとするのは、もはや疑いのないものだということだ。

もちろん、世界のエリートたちは長い間、これについて準備をしてきたのである。著名な人物が何十年も前からこのことについて語ってきた。

1970年代から80年代にかけて、元米国務長官・大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーがハーバード大学で講義を行い、経済のグローバル化の次は政治のグローバル化だと言っていた。この講義をクラウス・シュワブは50年ほど前に聞いていたのだ。また、ブレジンスキー元米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は主権国家の終焉を説き、デヴィッド・ロックフェラーは世界政府の必要性に言及し、ブッシュ米大統領(父)は1990年の演説で新世界秩序を宣言した。つまり、彼らは本当に目立たない「陰謀の生みの親」なのである。

第二に、シュワブのこれまでの発言や、昨年7月に発売された著書「グレート・リセット」(ティエリ・マルレとの共著)から推測されるのは、彼らが世界統治形態(global governance)を、「市民社会も市場も政府も問題を解決できない」という考えに基づいた、ある種のユニークで新しい複合的なシステムと考えているということだ。

そのため、彼らが考える解決策は、企業と政府が「効果的に互いにコミュニケーションをとる」ことである。これは、グローバル市場の主要企業が、各国政府からこれらの「困難な任務」を徐々に引き継いでいくということにほかならないと私は思う。

また、83歳のシュワブが率いるWEF(世界経済フォーラム)の指導者たちを見てみると、ブラックロックやブラックストーンのCEO、カーライル・グループのデヴィッド・ルビンシュタイン会長、中国最大の富豪ジャック・マー、さらには国連、IMF、欧州中央銀行のリーダーなど、巨大企業や大富豪が名を連ねている。WEFがグローバル・エリートのネットワークにとって不可欠な結節点、(理論物理学者アルベルト・ラースロー・バラバーシの概念を用いるなら)「ノード」であることは疑いの余地がない。しかし、もちろん、米外交問題評議会やビルダーバーグ・グループなど、他のノードとも密接に動いている。私がここで言いたいのは、この巨大な再起動は、クラウス・シュワブとその友人たちの個人的な努力だけではなく、継続的な会話、合意、承認が先に存在していたということだ。

「国家時代」以後の、国家を超えた統治形態に話を戻すと、彼らの対話や発言から明らかなように、彼らは実際に、伝統的な各政府とグローバル市場の各層を統合し、民間の企業が補完する、複雑でグローバルな権力の秩序を構想している。既存の制度的・機能的な国境線は解消され、一種の共同管理あるいは共同支配が形成されるだろう。当然ながら、繁栄や健康、世界平和といった「ヒューマニスト」の目標のためにだ。

もう少し掘り下げてみると、これらの大物たちは、民主主義を複雑な統治形態に置き換え、選挙や国会議員よりも技術官僚制(technocracy)を優先させ、透明性の代わりに一般市民には理解できない「専門知識」(expertise)を重視しようとしているという事実に、すぐに気づかされる。

第三に、シュワブが「プロジェクト・シンジケート」(ジョージ・ソロスが所有するウェブサイトでもある)で、グレート・リセットを確立するために新しいイデオロギーは必要なく、単に「より回復力があり、結束力があり、より持続可能な世界に向けた実用的なステップ」を踏めばいいと説明していることは注目に値する。

私に言わせれば、[グレート・リセットを確立するために]必要なのは、新自由主義であり、社会・社会主義版の新自由主義(正確には新共産主義)の「新しい波」だ。言い換えれば、共産主義的自由主義が確立されるべきだと思える。(また、不幸な運命を迎えたハンガリーの詩人アティッラ・ヨージェフ Attila József の1936年の言葉を引用すればこうなる。 Talán dünnyögj egy új mesét, fasiszta kommunizmusét 「きっと君は新しい物語をはなすだろうね。ファシズム的な共産主義の話を。」)

そして、社会主義・共産主義的な自由主義がすべての人に受け入れられた後は、専門的・科学技術的・環境保護的な(technical- technological-ecological)問題や危機に対処するだけである。つまり、、実用主義であり、これはフクヤマの「歴史の終わり」という説の温めなおしとも考えることができるだろう。あるいはマルクスかもしれない。彼の共産主義の考えは、この世の問題はある日全て解決されることになっており、その暁には、各々は自分の必要に応じて配給を受け取り、人々は狩りをしたり、釣りをしたり、あるいはもしも好むなら、批判の批判において活動するだろう。皆が平等で、皆が幸せになるだろうということだ。

第四に、シュワブが表明するようなグローバル・エリートが設定した目標の中には、デジタル化、ロボット化、人工知能の時代に適応して人間の地位が変革しなければならないという考えがある。
すでに2016年に、シュワブはその著作「第四次産業革命 ダボス会議が予測する未来」(Shaping the Fourth Industrial Revolution)の中で、新たな巨大IT企業(new tech giants)が使用する技術によって、政府は私たちの心という(今まではプライベートだった)私的領域に侵入し、私たちの考えを読み、私たちの行動に影響を与えることができ、その結果、私たちの物理的世界の一部にもなると書いている。シュワブは、ラップトップパソコンやバーチャルリアリティー・ヘッドセットのような今日の外部デバイスが、いずれ「ほとんどの場合、われわれの身体と心に埋め込むことができるようになる」と予測している。そしてシュワブは、こう結論づける。「第四次産業革命が導くところは、私たちの物理的、デジタル的、生物学的なアイデンティティーが統合して一つになることだ」。

本当の陰謀論者を紹介しよう。クラウス・シュワブである。残念なことに、彼は実際には陰謀論者ではなく、むしろ陰謀家の方なのだ。リベラル派の皆さん、このことをよく考えてもらいたい。しかし、その目標が本当に「[オルダス・ハクスリー流に言えば] 新共産主義の)すばらしい新世界」であることを疑問に思わないようにするために、WEFのユニークなCMで語られているスローガン(あるいは、むしろその中のいくつかの内容)も引用しておこう。
「2030年へようこそ。私は何も所有せず、プライバシーもありません。そして人生はかつてないほど素晴らしいものになりました!」
「あなたは何も所有しません。そして、あなたは幸せになります」
「あなたが欲しいものは何でも借りられます。そしてそれはドローンで配達されます」
「気候変動によって10億人が立ち退くことになるでしょう」
「難民の受け入れと統合をもっとうまく行わなければなりません」といった具合だ。

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8 predictions for the world in 2030

From the death of shopping to the rise of the nation state, experts re...

World Economic Forum

 
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8 predictions for the world in 2030

 

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こういった偉い人たちは私たちのために最善を尽くそうと思っている。これこそが、私たちが恐れるべき正当な理由であり、そしてまた、ようやく目覚めるべき正当な理由なのである。

タマシュ・フリッチ(Tamás Fricz):筆者は政治学者であり、【ハンガリーの首都ブダペストにある】基本的権利センター(Center for Fundamental Rights)のリサーチ・アドバイザーである。

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Davos-era neocommunism | Magyar Nemzet

Klaus Schwab, founder and president of the World Economic Forum (WEF),...

Magyar Nemzet

 

 


明日の修道院のミサの時間、午前7時15分です

2021年05月12日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

【明日の修道院のミサの時間、午前7時15分】

5月13日(木曜日)主の昇天 午前7時15分 ミサ聖祭

The holy Mass at the priory tomorrow May 13: 7:15 am.




勤労者聖ヨゼフの祝日はごく普通の生活の中に、最も偉大な尊厳と聖性が一体化していることを私たちに教える

2021年05月11日 | お説教・霊的講話

勤労者聖ヨゼフについての説教

ドモルネ神父

はじめに

典礼年には、聖ヨゼフの祝日が2日あります。3月19日には、童貞聖マリアの浄配にしてキリストの養父である聖ヨゼフの卓越した尊厳をお祝いします。5月1日には、勤労者聖ヨゼフをお祝いします。

この勤労者聖ヨゼフの祝日の特徴は何でしょうか。ごく普通の生活の中に、最も偉大な尊厳と聖性が一体化していることを私たちに教えることです。

1.契約の箱の天幕のかたどり

旧約において、ヘブライ人たちが砂漠を移動していたモーゼの律法の時代には、契約の箱が、彼らが持っていたもののうちで最も貴重なものでした。契約の箱は、ヘブライ人たちの天主との結びつきの象徴であり、彼らの中に天主が現存しておられることの象徴でした。そのため、この結びつきを示す箱は、最も貴重な織物、最も高純度の金(きん)や、最も高価な素材で周りを覆われていました。最高の質の香が、その箱の前で焚かれました。

しかし、契約の箱とその宝物【十戒の石板、マンナのつぼ、アロンの杖】は、嵐や灼熱に耐えることができるように、丈夫でざらざらした皮革や布で作られた天幕で覆われていました。そのため、外から見ると、契約の箱の天幕はごく普通のものに見えました。言われなければ、誰もその中にある宝物を想像することはできませんでした。

この天幕は、聖ヨゼフのかたどりです。聖ヨゼフは、世間の目にはごく普通の人に見えましたが、実際には、天主と人間をご自身のペルソナにおいて一致させられるという、まことの結びつきを示す箱であるイエズス・キリストを守っていました。ですから、私たちの主イエズスとの近さのゆえに、聖ヨゼフの霊魂は最も貴重な恩寵と聖徳で飾られていたのです。

2.聖ヨゼフの外的生活

外的には、聖ヨゼフはごく普通の人に見えました。これは天主のご計画に沿ったものでした。聖ヨゼフの使命は、ご托身の神秘【であるイエズス・キリスト】を保護し、キリストが公の生活を始められるときが来るまで、それを秘密にしておくことでした。聖ヨゼフはこの使命を完璧に果たしました。

第一に、彼は自分の秘密を完全に守りました。たいていの人は、秘密のうちに自分に託されたことを他人に話したくてうずうずして我慢できないものです。しかし、聖ヨゼフは30年間、ご托身の秘密を誰にも明かしませんでした。

第二に、聖ヨゼフは、人となられた天主の神秘を、ごく普通の質素で、貧しくさえある生活のもとに隠していました。聖ヨゼフは、ナザレトという無名の小さな村に住む大工でした。彼は世間の注目を集めるようなものを何も持っておらず、そのようなことを何もしませんでした。彼には富もなく、目立つ活動もしませんでした。聖ヨゼフは、ダヴィド王の家系ではありましたが、ヘロデ王がイスラエルの王位を奪っていたため、そのことが足しになることはありませんでした。

第三に、そしてこれが一番重要ですが、聖ヨゼフはその深い謙虚さによって、ご托身の神秘を守りました。聖ヨゼフは、ご托身の神秘を保護することから決して個人的な栄光を得ようとはせず、良き、かつ忠実なしもべとして、常に天主のみ旨を果たすことを目指しました。

3.聖ヨゼフの内的生活

外的生活とは反対に、聖ヨゼフの内的生活はまったく抜きん出たものでした。私たちは、天主との友情における霊魂の生活を「内的生活」と呼びます。友情とは、友人間の相互の善意と愛情のことです。友情は、お互いに助け合いながら、より良くなるという、友人間の相互作用によって成長します。内的生活においては、霊魂に対する天主の活動と、天主に対する霊魂の活動という二重の活動があります。

天主は聖ヨゼフに対して、マリアにふさわしい浄配にして、またキリストの養父であるという二重の使命に応じた、卓越した成聖の恩寵を与えられました。信仰の徳によって、天主は聖ヨゼフの知性を、天主の神秘についての確かで深い知識で飾られました。希望の徳によって、天主は聖ヨゼフの意志を、天主が望まれたことは何でも行うという強い決意で飾られました。愛の徳によって、天主は聖ヨゼフを、燃える愛でご自身に一致させられました。

聖ヨゼフの側では、自分の霊魂の中に天主の現存を強く感じる生活をしていました。彼は絶えず天主の完徳と行動を黙想し、キリストの神秘を黙想していました。彼は絶えず、かつ熱心に天主を礼拝し、心の中で感謝と祈願を捧げていました。人間として、大工として、家庭の父親として、外的な活動がどのようなものであっても、エジプトへの逃避の間も含めて、人生のあらゆる状況において、聖ヨゼフは心の中に天主が現存しておられる感覚を失うことは、決してありませんでした。そして、この絶え間のない祈りによって、天主は聖ヨゼフへの賜物を絶えず増やされ、聖ヨゼフを最高段階の聖性へと到達させられたのです。

結論

勤労者聖ヨゼフの祝日にあたり、次のことを覚えておきましょう。

第一に、名もなく、たとえ貧しくとも、正直な普通の生活を送ることは、聖人に、そして偉大な聖人になるための障害ではない、ということです。

第二に、私たち人間の生活の本質は、私たちが「内的生活」と呼ぶもの、つまり、天主との内的な友情関係にある、ということです。私たちの内的生活を発展させることが、天主に最も大きな栄光を捧げることになるのです。また、そのことが、天国での私たちの栄光の段階を決定することになるのです。

ですから、内的生活の模範にして、内的生活の守護聖人である聖ヨゼフに対して、私たちが常に天主の現存のうちにとどまり、聖三位一体の各ペルソナと、心の中で何度も、繰り返し対話をすることができるように、助けを願いましょう。聖三位一体は、そのような態度に無関心ではおられず、ますます私たちの中にお住みくださることでしょう。


Pone luctum, sume vestem Candidam Ecclesia! 悲しみを置き、輝く服を身につけよ、教会よ!

2021年05月11日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

復活の節に、私たちが歌ミサで、歌った有名な Pone Luctum, Sume Vestem の日本語訳をご紹介いたします。

Pone Luctum, Sume Vestem
悲しみを置き、輝く服を身につけよ

Pone luctum, sume vestem Candidam Ecclesia!
Tolle palmas, et coelestem Triumphantem celebra!
Morte mortem debellavit, 
Peccatores vindicavit.
Jesu, tibi gloria.
悲しみを置き、輝く服を身につけよ、教会よ!
棕櫚の枝を取り、天の凱旋を祝え!
主は死によって死を打ち破り、
罪人らを解放し給うた。
イエズス、御身に栄光あれ。


Ut nos morte liberaret, Se sepulcro subdidit,
Et ut nostram renovaret Vitam, vivus prodiit.
Mors, tu jaces triumphata, 
Vita nobis est renata!
Jesu, tibi gloria.
死によって私たちを解放するために、ご自身を墓に従わせ給うた。
私たちの命を新たにするために、主は生きて現れ給うた。
死よ、おまえは征服されて横たわり、
命なる主は、私たちのために再び生まれ給うた!
イエズス、御身に栄光あれ。

Nos in coelum perducturus, Se ad Patrem elevat,
Morte lucrum est facturus, Vitam qui sanctificat.
Observemus Christi cursum: 
Fidos, justos trahit sursum.
Jesu, tibi gloria.
私たちを天国に導こうと、御父に向かってご自身を上げ給う。
生命を聖化する方は、死によって、利益を得ようとし給う。
キリストの歩みを私たちはよく見よう。
忠実な者ら、義人らを、主は上に引き上げ給う。
イエズス、御身に栄光あれ。

Alleluja! sit Paschalis Nobis benedictio,
Infundatur triumphalis cordibus dilectio;
Ut in Christo renovemur, 
Et cum Sanctis collaetemur!
Jesu, tibi gloria.
アレルヤ! 復活の祝福が私たちにあらんことを。
凱旋の喜びが心に注がれんことを。
私たちがキリストにおいて新たにされ、
聖人たちと共に喜ばんことを!
イエズス、御身に栄光あれ。

OGPイメージ

Cantiones sacrae : a collection of hymns and devotional chants for the different seasons of the year, the feasts of our Lord, of the Blessed Virgin, of the saints, low masses &c. : arranged for four mixed voices : Mohr, Joseph, 1834-1892 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

GENERAL INDEX. TO THE MOST HOLY SACRAMENT. 1. Tantum ergo, 1—12 ...

Internet Archive

 

 


復活の節(Tempus Paschatis)と復活祭的な時節(Tempus Paschale)との違い:

2021年05月11日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

復活の節(Tempus Paschatis)は、もうすぐ終わろうとしています。

復活の節(Tempus Paschatis)と復活祭的な時節(Tempus Paschale)との違いにご注意ください。

復活祭的な時節(Tempus Paschale)とは、復活祭の前日のミサから聖霊降臨の八日間の最後の土曜日(これを含む)までのことです。この時節の間には、次が含まれています。a) 復活節(Tempus Paschatis)b) 昇天節(Tempus Ascensionis)c) 聖霊降臨の八日間(Octava Pentecostes)です。

典礼書には、よくカッコつきで(T.P. Alleluia)などと書かれていますが、これは、御復活の時節(Tempus Paschale)の間は、アレルヤを唱えよ、という意味です。

ところで、復活の節(Tempus Paschatis)と復活祭的な時節(Tempus Paschale)との違いは、日本語に違いをつけて訳すのが難しいので、復活節(Tempus Paschatis)と復活節(Tempus Paschale)と同じように訳されがちです。

英語でも、この翻訳の仕方にはいろいろ見受けられます。
● Rev. Patrick Murphy. The New Rublics of the Roman Breviary and Missal, 1960. 
Tempus Paschatis = Eastertide
Tempus Paschale = Season of Easter  

● Fr. Kevin Seasoltz, The New Liturgy: A Documentation, 1903-1966. Herder & Herder, NY, 1966, pp.308-328.
Tempus Paschatis = Easter season
Tempus Paschale = Paschaltide

● Fisheaters
Tempus Paschale = Eastertide or Paschaltide


イエズスの聖心を知りたければマリアに願え。マリアを通らなければ誰もイエズスに行けない。マリアを通さなければ誰もイエズスから何ひとつ受け取ることはない

2021年05月10日 | お説教・霊的講話

聖心の聖母についての短い説教

ドモルネ神父

はじめに

5月8日に、教会は童貞聖マリアの三つの称号をお祝いします。諸聖人と美しき愛の母マリア、すべての恵みの仲介者なるマリア、そしてイエズスの聖心の聖母マリアです。

これら三つの称号は、互いに関連しています。それを皆さんにわかっていただけるように、「イエズスの聖心の聖母」という称号について、少し説明したいと思います。

1.歴史と御影

「聖心の聖母」の称号は、1857年にジュール・シュヴァリエ神父によって使い始められました。シュヴァリエ神父は、フランスのイスダンにある聖心布教会の創設者です。この修道会は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、パプア・ニューギニアで勇敢に福音を広めたことで特に有名です。

聖心の聖母の御影について、少し説明しましょう。幼きイエズスがマリアの腕の中におられます。イエズスは私たちを見ながら、左手で聖心を指し、右手でマリアを指しておられます。マリアは左腕でイエズスを抱き、右手でイエズスの心臓に触れておられます。イエズスの心臓からマリアへ向けた、またマリアから逆に聖心へ向けた動きがあるかのようです。

では、「聖心の聖母」という称号が何を意味するのかを見てみましょう。

2.聖心の聖母は、天主の御母になられたマリアのことである

聖心の聖母の御影の中で、イエズスはこう言っておられるかのようです。「マリアによって形作られた私の聖心を見よ」。

聖心は、どのようにしてマリアによって形作られたのでしょうか。受胎告知の日に、救い主の母となることにマリアが全面的に同意したことによってです。天主は、天主なる御子のご托身を計画されました。しかし、天主はそのご計画の実現が、マリアの同意に依存するようにされました。ですから、厳密に言えば、もしマリアが救い主の御母になることを拒否なさっていたら、ご托身は起こらなかったのです。自由で完全な同意によって、マリアはイエズスの御母となられました。マリアはイエズスの人間としての御体とその聖心を形作られたのです。イエズスの人間としての心臓は天主の愛の象徴ですから、マリアは「美しき愛の母」という称号にふさわしいのです。教会は集会書の次の言葉を童貞聖マリアに当てはめます。「私は美しき愛の母である」(集会書24章24節)。

旧約では、レベッカはマリアのかたどりです。アブラハムは、息子イサクにふさわしい妻を探すために、しもべエリエゼルを派遣しました。エリエゼルは目的地に着き、井戸の近くで天主がイサクのために選ばれた女性を待っていました。聖書にはこう書かれています(創世記24章16節)。「娘はたいそう美しい女で、処女でまだ男を知らなかった」。彼女は泉におりていきました。彼女の名前はレベッカでした。彼女はイサクの妻になることを受け入れ、後にイスラエル【ヤコブ】の母となりました。エリエゼルを送ったアブラハムは、父なる天主のかたどりです。エリエゼルは、天主から遣わされた大天使ガブリエルのかたどりです。レベッカは、無原罪にして聖寵充ち満てるマリアのかたどりです。イスラエルは、イエズス・キリストを意味します。レベッカがエリエゼルの申し出を受け入れてイスラエルの母となったように、マリアも大天使ガブリエルの申し出を受け入れてイエズス・キリストの御母となられたのです。

 3.聖心の聖母は、すべての恵みの仲介者なるマリアのことである

聖心の聖母の御影の中で、イエズスはご自分の聖心とマリアを同時に指しておられます。イエズスは私たちに、「私の聖心とそのすべての富はマリアのものである」と言っておられるかのようです。なぜそうなのでしょうか。贖い主の母となることを受け入れることによって、マリアは贖いのみわざにおいてイエズスと一致することを受け入れられたのです。エバがアダムと一緒に人類が自然に生まれるわざを行ったように、マリアはイエズスと一緒に人類が霊的に再び生まれるみわざをなさったのです。

この一致のため、イエズスは、ご自身の受難によって得られたすべての恵みを、すべての恵みの仲介者なるマリアに委ねられました。ですから、今、私たちが受ける一つ一つの恵みは、すべてマリアを通して受けるのです。私たちはマリアによって霊的に再び生まれるのです。この現実を表現するために、十字架上のイエズスは私たち全員に「あなたの母を見よ」(ヨハネ19章27節)と言われました。聖母によって霊的に再び生まれなければ、誰も天国に行くことはできません。ですから、聖心の聖母は諸聖人の母なのです。

旧約聖書に出てくるレベッカについてもう一度考えてみましょう。彼女は泉でエリエゼルと出会いました。彼女は、エリエゼルのためだけでなく、彼のすべてのラクダたちのためにも水を汲みました。聖書では、水は恵みの象徴であり、井戸はすべての恵みの源であるイエズスの象徴です。イエズスがサマリヤの女に言われた言葉を思い出してください。「私の与える水は、その人の中で、永遠の命に湧き出る水の泉となる」【ヨハネ4章14節】。また、イエズスの聖心の祝日に、教会はイザヤのこの言葉を聖心に当てはめます。「おまえたちは喜んで、救いの泉から水を汲む」(イザヤ12章3節)。井戸から水を汲み、エリエゼルとそのすべてのラクダたちに水を与えたレベッカは、イエズスの聖心からすべての恵みを汲み取り、それをすべての人に配る童貞聖マリアのかたどりです。

結論

聖心の聖母、美しき愛の母、すべての恵みの仲介者、諸聖人の母というこれらの称号が、すべて互いに関連していることが、お分かりいただけたかと思います。もし機会があれば、聖心の聖母の御影を見てみてください。インターネットで簡単に見つけることができます。その御影では、イエズスは私たちにこう言っておられます。

「私の聖心を知りたければ、マリアに願いなさい。あなたにそれを教えるのは、まさにマリアである。マリアを通らなければ、誰も私のところに来ることはない。私の聖心から何かを受けたいときは、いつもマリアに願いなさい。私のすべての恵みをつかさどるのは、マリアである。マリアを通さなければ、誰も、私から何ひとつ受け取ることはない」。


【参考資料】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の「第5回バチカン国際会議」についての宣言

2021年05月10日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の「第5回バチカン国際会議」についての宣言

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の「第5回バチカン国際会議」についての宣言

Abp. Viganò: Upcoming Vatican Conference “Disturbing Departure from Catholic Orthodoxy”
ヴィガノ大司教「"カトリックの正統からの逸脱を起こす" 間近に迫ったバチカン国際会議」

2021年4月20日

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の
「第5回バチカン国際会議」についての宣言

2021年5月6日から8日まで、「心、体、霊魂を探る。防ぐために一致、癒やすために一致。世界的なヘルスケア・イニシアチブ。革新と新しい配送システムがいかに人間の健康を改善するか」(Exploring the Mind, Body & Soul. Unite to Prevent & Unite to Cure. A Global Health Care Initiative: How Innovation and Novel Delivery Systems Improve Human Health)と題して第5回バチカン国際会議が開催されます。このイベントは、教皇庁文化評議会、「Cura Foundation」、「Science and Faith Foundation」、「ステム・フォア・ライフ」(Stem for Life)の主催で行われます。

ニュースサイト「LifeSiteNews」のマイケル・ヘインズが、取り上げられるテーマと参加者について報告しています(こちら)。

参加者には、恥ずべき利益相反のために米国でのパンデミックの管理を引き受けることができなかった悪名高いアンソニー・ファウチ、サタン教会の信奉者にして妊娠中絶の熱心な支持者チェルシー・クリントン【ビル・クリントン元米大統領、ヒラリー・クリントン元米国務長官の娘】、ニューエイジの指導者(guru)ディーパック・チョプラ、環境保護活動家でチンパンジーの専門家であるデイム(Dame)・ジェーン・グドール、ファイザー社とモデルナ社のCEO、巨大IT企業(Big Tech)の代表者たち、そして一般に知られている妊娠中絶推進者、マルサス主義者、世界統一主義者(globalist)らがいます。会議には、CNN、MSNBC、CBS、フォーブスなどの左翼メディアのみから著名なジャーナリスト5人が進行役として起用されています。

この会議は ---- リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドの「包括的資本主義協議会」、「教育のためのグローバル・コンパクト」、そして6月にカザフスタンのアスタナで開催される諸宗教間の「パンテオン」とともに ----、現在の位階階級、特にそのローマの最高位のメンバーらがカトリックの正統から逸脱を起こしていることの何度目か分からないほどの確認になるという、つまずきを与えるものです。聖座は、教会の超自然的な使命を意図的に放棄し、反キリスト的な反教導権によって、新世界秩序(New World Order)とフリーメーソン的な世界統一主義のしもべとなっています。ホルヘ・マリオ・ベルゴリオとイデオロギー的に一致し、彼が保護・昇進させている人々によって占められている同じローマ教皇庁の諸部署は、信仰、道徳、教会の規律、修道院・修道生活を破壊するという無慈悲な仕事を、今も抑制されることなく自由に続けています。その努力は、キリストの花嫁を、巨大な権力の奴隷となった慈善団体に変えようとするもので、前代未聞であるのと同じほど空虚なものです。その結果、姦淫、同性愛、妊娠中絶、安楽死、偶像崇拝、そして知性と意志のあらゆる倒錯を正当化することを目的とした、異端で堕落した近代主義者のカルトが、まことの教会の上に重ねられているのです。まことの教会は今、その牧者たちによって日食に蝕まれ、否定され、信用を落とされ、最高位の玉座を占める者にさえ裏切られています。

ディープ・チャーチが、ディープ・ステートと一致してこの地獄の計画を実行するために、自らのメンバーを何とか選出することができたという事実は、もはや単なる疑惑ではなく、今や疑問を投げかけ、光を当てることが不可欠となっている現象です。「真理の座」(Cathedra veritatis)がフリーメーソンのエリートの利益に服従していることは、「聖なる牧者たち」の耳が聞こえないかのような沈黙や、見捨てられた天主の民の困惑など、すべての証拠において明らかになっています。

バチカンが、世界統一主義のイデオロギーに向け、堕落した「リビドー・サービス」(ibido serviendi)【欲望を満たすサービス】を行っていることのさらなる証拠が、証言や講演を行う発言者の選択です。妊娠中絶の支持者、研究における胎児材料の使用の支持者、人口減少の支持者、汎性的なLGBTアジェンダの支持者、そして何よりも、新型コロナウイルス感染症やいわゆるワクチンの物語の支持者です。教皇庁文化評議会の議長であるラヴァシ枢機卿は、ディープ・チャーチや近代主義者の進歩主義の主要な代表者の一人であるのは確かですが、悪名高いフリーメーソン・セクトとの対話の提唱者であり、また有名な「異邦人の中庭」【イスラエルの第二神殿にあった異邦人も入れる同名の場所にちなんだベネディクト十六世の意向によるイベント】の推進者でもあります。ですから、このイベント【会議】の主催者の中にステム・フォア・ライフ財団(Stem for Life Foundation)が含まれているのも不思議ではありません。この団体は、誇らしくも自らを「細胞治療の開発を促進するための運動を起こすことを目的とした、宗派にも党派にもとらわれない非課税団体」と定義しています。

しかし、さらによく調べてみると、このバチカン会議の宗派性、党派性は、それが取り上げるテーマ、それが引き出そうと求める結論、その参加者、その後援者によって明らかにされています。システィーナ礼拝堂の天井に描かれたミケランジェロの天地創造のフレスコ画を拡大したもので、父なる天主の手がアダムの手に向かって伸びているものの、どちらの手も使い捨ての手術用手袋で覆われており、新しい「健康典礼」の規定を想起させ、主ご自身でさえウイルスを撒き散らす可能性があることを暗示しています。

この冒涜的な表現によって、創造の秩序は、治療の反創造へとひっくり返り、そこでは、人間が自分自身を救い、人間が自分自身の健康の「贖い」の狂気を帯びた作者となるのです。新型コロナウイルス感染症という宗教は、洗礼の清めの洗盤の代わりに、障害と死をもたらすワクチンを唯一の救いの手段として提案しています。天主の啓示への信仰の代わりに、私たちが目にするのは、迷信と、科学的には何の根拠もない戒律への不合理な同意であり、それには、まことの宗教を冒涜的なパロディで模倣した儀式や典礼が伴っているのです。

このイメージの選択には、異常で冒涜的な響きがあります。なぜなら、よく知られた、そして感情に訴えるイメージを使うことにより、誤りの偏ったナラティヴ(物語)をほのめかし、宣伝しているからです。そのナラティヴ(物語)によれば、「コッホの原則」(こちら)に従ってはウイルスがまだ分離されておらず、既存の治療法で効果的に治癒できる、季節性インフルエンザに対して、効果がないと認められ、副作用が未知の実験段階にあるワクチンを投与する必要があると言うのです。しかもワクチン製造者は、そのワクチン配布のために「免責」という犯罪的な盾をさえ手に入れました。

遺伝子血清を製造するために妊娠3カ月でバラバラにされた子どもたちから、殺されたり傷つけられたりした何千人もの人々まで、健康モロク【モロク:古代の中東の人々があがめていた神の名で、子どもがいけにえとして捧げられた】の祭壇で捧げられたいけにえでは、巨大製薬会社の地獄のようなマシーンを止めることができず、今後数カ月の間にこの[モロクの]現象が再燃することが懸念されています。

ベルゴリオが遺伝子血清の普及に熱心なのは、都市封鎖とミサや秘蹟にあずかる信徒の数の低下でバチカンや教区が被った損失の補償という、経済的な理由もあるのではないかと人は思うかもしれません。一方で、中国での人権や宗教的権利の侵害に関するローマの沈黙が、北京の独裁政権からの実質的な聖職禄で支払いを受けているのだとすれば、バチカンがワクチンを推進することと引き換えに、この[支払いの]枠組みを大規模に再現することを妨げるものは何もありません。

この会議では明らかに、最も重要な道徳的・教理的問題について、昔からの教導権の教えに間接的にさえも触れないように細心の注意が払われています。逆に、ニューエイジに触発された、無定形のエキュメニカルなお題目(レパートリー)とともに、この世のメンタリティーや主流のイデオロギーに対するへつらいの賛辞だけが唯一の声となるでしょう。

2003年に、同じ教皇庁文化評議会が、ヨガや瞑想をはじめとするニューエイジ思想を、カトリックの信仰とは相容れないものとして非難していることに私は注目しています。

このバチカンの文書によると、ニューエイジ思想は、「国際的に影響力のある多くのグループが、人類を統合する一つの普遍的な宗教のための場所を作るために、特定の宗教に取って代わる、あるいは超越するという目標を共有している。これと密接に関連するのが、現代の文化、経済、政治のグローバルな性質を反映した倫理的枠組みである『グローバル倫理』(Global Ethic)を考案しようとする多くの機関の一部に対する非常に協調的な取り組みである。さらに、環境保護的な問題の政治化は、ガイア仮説や母なる大地の礼拝という問題全体を彩っているのは確実である」(2.5)。

言うまでもなく、聖ペトロ大聖堂がパチャママという偶像の崇敬によって冒涜された異教的な儀式は、2003年のバチカンの文書で糾弾された「環境保護的な問題の政治化」に完全に合致するものであり、今日では、回勅「ラウダート・シ」(Laudato Sì)や同「フラテッリ・トゥッティ」(Fratelli Tutti)に始まる、いわゆるベルゴリオの教導権によって、逆に推進されています。

ラ・サレットで、聖母は私たちにこう警告されました。「ローマは信仰を失い、反キリストの座となるでしょう」。 信仰を失うのは、キリストの約束によって守られている聖なる教会ではなく、いとも聖なるペトロの座を占め、今日、私たちが新世界秩序の反福音を広めているのを目にしているセクトでしょう。

もはや沈黙していることはできません。なぜなら、今日、私たちが沈黙しているなら、天主と人類の敵に加担する者になってしまうからです。何百万人もの信者が、牧者たちの数え切れないほどのつまずきや、自分たちの使命に対する裏切り、そして反キリストの国の確立を支持することなく聖なる福音を証しするように聖なる叙階によって召されている人たちの離脱に嫌気がさしています。

私は、司教職にある兄弟、司祭、修道者、そして特に、自分たちが位階階級に裏切られていると感じている信心深い信徒の皆さんに、神秘体のかしらである主へのまことの従順の精神をもって、この背教とその原因を断固として勇気をもって糾弾するために、声を上げていただきたい切に願います。私はすべての人に、天主の御稜威が御慈悲の心に駆られ、私たちの援助のために介入してくださるよう祈ります。「戦列を整えし恐るべき」(terribilis ut castrorum acies ordinata)至聖なる童貞が天主の玉座の御前で執り成してくださり、「キリスト信者の助け」(Auxilium Christianorum)なる栄光ある称号で呼び求めた子らの至らなさを、御功徳で補ってくださいますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2021年4月20日
復活の八日間後の第二週の火曜日


【参考資料】バチカンの透明性に関する新条項:もう一つのファサード作戦(よく見せかける作戦)

2021年05月10日 | カトリック・ニュースなど

アルド・マリア・ヴァッリ 2021年4月30日


バチカンの幹部は、部署の長や管理者である枢機卿たちを含め、テロやマネーロンダリング、脱税などの有罪判決や捜査を受けていないことを示す宣言書に署名する必要があります。さらに、タックスヘイブン(租税回避地)に資産を保有したり、教会の教理に反する活動をする企業に投資したりしてはなりません。これらの規定は、教皇が新たに発表した自発教令に記載されており、その中には財政運営の透明性に関する条項が含まれています。この宣言書には、あらゆる役職や地位に就く際に署名しなければならず、2年ごとに繰り返さなければなりません。また、バチカンの全職員が40ユーロ【約5,200円】以上の贈り物を受け取ることも禁じられています。宣言書の全文こちらからご覧いただけます。

しかし、簡単なコメントをさせてください。新しい自発教令は信じられないものです。教皇が枢機卿たちや管理責任者たちにこのような宣言書に署名を強いるということは、二つのうちの一つが真実でなければなりません。つまり、教皇が自ら選んだ人材に自信がないことを意味するか、あるいは「聖なる宮殿」の腐敗、不正、不道徳の状態が常態化していることを意味するかです。どちらにしても、バチカンの支配階級には悪い印象を受けます。あるいは、第三の可能性として、教皇が、不正と戦う自分の偉大さを世界に示すために、「pro domo sua」【自分の家のために=自分の利害のために】この措置を決定したということです。しかし、この場合でも、この作戦はローマ教皇庁、バチカン市国、聖座の信頼性に壊滅的な打撃を与えることになります。しかし、そのような信頼性は、サンタ・マルタ館の現在の住人【教皇フランシスコ】の気がかりであるようには思えません。


外部から見る者は、汚職との戦いに力を尽くしてきたベルゴリオが、汚職の協力者たちの犠牲になったというメディアのイメージを信じてしまうかもしれません。しかしバチカン内部の力学を知る者には、今日の宣言とは現実を偽るためのもう一つの努力であり、そこで開示された情報が実際に起こっていることとは正反対であるということを知っています。カルロ・マリア・ヴィガノ大司教のように、汚職と戦おうとし、バチカン市国(あるいは行政庁)の予算を浄化するために効果的に働いた人たちは、システムに対する脅威であるという理由で、「昇進」(promoveatur ut amoveatur-「その人を排除するために昇進させる」)させられ、信頼のある協力者のチームは分散させられたのです。その中でも最も重要なエウジェニオ・ハスラー(Eugenio Hasler)は、【2020年3月27日】「あわれみの教皇」から、言葉にできないような扱いを受けました。出頭を求められた彼は、何の理由もなくその場で解雇され、メディアの笑い者となり、その尊厳は破壊されました。

また、ペル枢機卿をはじめとする使徒座の財産を管理する優れた人々の業績が、根拠のない告発や、害によって阻まれたことも忘れてはなりません。実際に、このオーストラリア人のペル枢機卿は不当な投獄の刑を受けましたが、後に完全に無罪となりました。その一方で、バチカンの財政破綻の立役者たちの立場はそのままであるだけでなく、彼らの脇を固めるのは大部分が妥協した人物であり、したがって極めて脅迫しやすく、簡単に操ることができるのです。

中絶薬を製造する製薬会社への出資など、ここ数カ月で明らかになってきたバチカンのスキャンダルは、粉飾決算でごまかすことはできません。また、ロンドンでの不動産投機で糾弾されたあとでベッシウ枢機卿が解任されたからといって、大げさな自発教令で世論を魅了できると信じている人々の極めて重大な責任を軽減することはできません。自発教令を発表した者たちこそが、その代わりに、慢性的な不正行為の状況を決定的に癒やすことができたはずの人々を解任することで、腐敗と利益相反の条件を自ら作り出したまさにその者たちなのです。

ベルゴリオはまたしても、教会のイメージと威信を失墜させて、自分を道徳的な人物として前面に押し出し、個人的な利益を得ようと決心したように思えます。しかし、歴史が私たちに教えてくれるのは、独裁者の典型である人格崇拝は、容易に「記憶の抹殺」(damnatio memoriae)に変わるということです。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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