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ヴィガノ大司教「ベネディクト教皇は『不適切な協力者、信頼できない協力者、さらには腐敗した協力者にまで取り巻かれていた』」

2021年04月09日 | カトリック・ニュースなど

ヴィガノ大司教「ベネディクト教皇は『不適切な協力者、信頼できない協力者、さらには腐敗した協力者にまで取り巻かれていた』」

ヴィガノ大司教、広範囲にわたるインタビューで、教皇ベネディクトの協力者たちや、教皇フランシスコの下での教会の状況について語る

2021年3月14日(主日)

ラジオ・スパダ(Radio Spada、Spadaは剣の意味)によるカルロ・マリア・ヴィガノ大司教とのインタビュー
(翻訳およびカギかっこ内の注釈はロバート・モイニハン博士による。ヴィガノ大司教の許可を得てLifeSiteNews.comが掲載)

【ラジオ・スパダ】大司教様、おはようございます。今回の対談をお引き受けいただき感謝いたします。まずは、あなたが序文を書かれたマルコ・トサッティの新刊「Galleria neovaticana」(ネオ・バチカンのギャラリー)についてお聞きします。この本が出版されるというニュースが流れた数時間後に、ツイッターで、この本の表紙とタイトルだけをもとにして、「きわどい告発や、必ずしもためになる訳ではない事実に特化した本を出版することが、どれほど福音にふさわしいことなのか」という投稿がありました。あなたはこの反論にどうお答えになりますか?

【カルロ・マリア・ヴィガノ大司教】ベネディクト十六世が、「名誉教皇」という特異な称号を担う前の数カ月間に、[2011年の]「バチリークス」事件で流布された機密情報を徹底的に調査するために、[フリアン・]エランス枢機卿を委員長とし、[ヨゼフ・]トムコ枢機卿と[サルヴァトーレ・]デ・ジョルジ枢機卿で構成される枢機卿委員会を設置したことをここで思い起こしてください。その際、私はエランス枢機卿に何度も自分の証言を追加させてほしいと要求しなければなりませんでした。なぜなら、教皇宛ての機密文書の作成者として私が個人としてかかわっていて、その文書が盗まれて報道機関に届けられたにもかかわらず、エランス枢機卿は私に質問するつもりがなかったからです。私は彼らにかなりの量の書類を渡しました。その中で私は、私が知ることになり、バチカンの事務局長として直面しなければならなかった[ローマ教皇庁の]機能不全のすべてを記載し、また腐敗のネットワークを詳しく説明したのです。私はその書類に送付状を添え、その中で特に次のように書きました。

「これほど多くの機密文書が流出したことで、教会と聖座に深刻なダメージを引き起こしたことを非常に悲しく思います…このような軽率な行為に責任がある者がいるとすれば、聖座とバチカン市国における多くの腐敗と道徳的低下に責任を負ってきた人々の過失の方がはるかに重大であり、また、(これらのことを)知っていたにもかかわらず、権力を持った長上を喜ばせ、教会でのキャリアを築くために自らの良心を眠らせて、多くの堕落とともに生きることを好んだ一部の枢機卿、高位聖職者、信徒の過失の方がはるかに重大です。私は、少なくともこの枢機卿委員会が、教会への愛から、教皇に忠実であり、教皇がお望みになった必要な浄化をすべて実行し、教皇のこの取り組みが再び隠蔽されることをお許しにならないように願っています…さまざまな国の数多くのジャーナリストが私に連絡を取ろうとしました…私は、教会と教皇への愛から、沈黙を守りました。真実の力は、メディアからではなく、教会の中から流れてこなければなりません…枢機卿の方々には、教皇に真実を伝える勇気を持っていただけるように祈っています。また、教皇には、教会において真実を明るみに出す強さを持っていただけるように祈っています」。

[注:教会の腐敗に対するこの批判は、教皇ベネディクトの下で、2011年頃にヴィガノが行ったものであることに注目するのが適切だと思われる。このことは、ヴィガノが2018年8月25日の証言の中で書いたことに新たな光を当てている。2018年の証言は、明らかに、ヴィガノが教会内部の腐敗に光を当てようとして初めて試みたものではなく、その7年前にも内部調査でその光を当てようとしていたのである…ロバート・モイニハン]。

この大量の情報は、3人の枢機卿が集めた他の証拠と合わせて、浄化作戦を可能にしたはずですが、すべてが隠蔽されてしまいました! そしてそれは、そこに含まれている名前に対する更なる脅迫の要素となり、過去8年間、一方で教会と聖座に忠実に仕えてきた人々の信用を失墜させる機会となり得るだけです。

「Necesse est enim ut veniant scandala; verumtamen væ homini per quem scandalum venit (マテオ18章7節)。『つまずきは避けがたいけれども、つまずかせる人にのろいあれ』」。聖職者や高位聖職者の腐敗を糾弾することは、信徒への愛徳のジェスチャーであると同時に、苦しんでいる教会への正義の行為でもあります。なぜなら、一方では、天主の民に対して小羊の皮をかぶった狼のことを警告しており、他方では、キリストの花嫁【教会】が、権力を欲する欲望に満ちた男たちによる小集団の陰謀家たち[イタリア語原文では「conventicola」]の犠牲になっていることを示しています。この集団が[教会の権力のある地位から]排除されれば、教会は福音を宣べ伝えることに立ち戻ることができます。福音の愛徳に対して罪を犯すのは、つまずきを明るみに出す者ではなく、そのつまずきを実行し、隠蔽する者なのです。主の御言葉は、この点について非常に明確です。

【ラジオ・スパダ】周知のように、道徳的なテーマを超えて、現在の教会の危機のまさに中心が、教理的な崩壊にはないとするのは不可能です。このことに関して、あなたは何度も第二バチカン公会議を鋭く批判しておられます。この点について、さらに具体的な説明をお願いしたいと思います。イタリアのベテランのバチカン専門家(Vaticanist)であるサンドロ・マジステルとの対談で、あなたは次のように述べておられます。「解釈法というおとぎ話は、たとえその作者のゆえに権威あるものだとしても、それでも、教会に対する真の固有の意味の待ち伏せ攻撃そのものに、公会議という尊厳を与えんとする試みであることに変わりはありません」。したがって、問題は第二バチカン公会議のあとだけではなく、第二バチカン公会議にもあるということを明確にしてもよろしいでしょうか? 言い換えれば、革命の過程は「公会議」の中で転機を迎えたのであって、「公会議」の後だけではないということです。つまり、公会議後の「第二バチカン公会議の精神」だけでなく、公会議文書そのものの文面も非難の対象とするのでしょうか?

【ヴィガノ大司教】誰もがほめたたえていた公会議の精神によって裏切られて、何年にもわたって誰も語ることがなかった正統的な第二バチカン公会議とされるものが存在するということを、どのようにして維持できるのか、私には分かりません。公会議の精神とは、公会議に生命を吹き込むものであり、その性質、特殊性、特徴を決定するものです。その精神が異端的であるにもかかわらず、公会議のテキストが教理上は異端的であるようには見えないとしたら、それは陰謀家たちの抜け目のない動きのせいであり、公会議の教父たちの甘さのせいであり、教理的、道徳的、典礼的な逸脱を明確に非難する立場に立つよりも、最初から他の場所に目を向けることを好んだ人々の共謀のせいなのです。

自分たちの目的のために公会議のテキストに手を加えることの重要性を最初によく理解していたのは、専門家[periti]を擁する進歩的な枢機卿たちや司教たち、特にドイツ人やオランダ人でした。彼らが、検邪聖省が用意した「準備草案」(Preparatory Schema)を拒否し、現代の誤謬、特に無神論的共産主義を非難することを含む、世界中の司教たちのdesiderata[要望]を無視したのは偶然ではありません。第二バチカン公会議の新しい指導体制は、本当の意味でのクーデター、イエズス会士(アウグスティン・)ベア[1881-1968年]の卓越した役割、そしてロンカリ[教皇ヨハネ二十三世、1959年から1963年まで在位]の支援のおかげで可能となったのです。もし、「草案」が残されていたら[公会議の文書の基礎となったが、公会議が始まった直後の1962年秋に脇に置かれ、残されていなかった]、「委員会」[公会議が準備された「草案」を脇に置くことを決めた後、公会議の文書を起草するために1962年秋に設置された委員会]から出てきたものは何もなかったでしょう。

革命はここから始まったのですから、公会議の文面そのもの[すなわち公会議文書のテキスト]は、それゆえに告発の下に置かれなければなりません[イタリア語では「messo sotto accusa」]。一方で、教会の歴史の中で、エキュメニカルな公会議が、その公式決議の中で教えていることが、その後、実践の中で覆されたり矛盾したりするのを確実にするために、意図的に曖昧な形で文書化されたケースがあれば教えていただけますか? いいですか、これだけでも[曖昧さや不明確さが公会議のテキストの特定の文章の中に意図的に織り込まれたという事実]、第二バチカン公会議を、学者が手を加えることはできても、教会の最高権威によって解決策を見いださなければならなくなる特異なケース、ハパックス[ハパックス(hapax)とは、一度、一度だけ、特異なケースという意味のギリシャ語]として分類するのには十分です。

【ラジオ・スパダ】この危機をどのようにして意識したのですか? 徐々にでしたか? 最近になって突然気づいたのですか?

【ヴィガノ大司教】私の意識は進歩的に、比較的早い時期に始まりました。しかし、聖霊の霊感の賜物として提示されていたものが、実は inimicus homo[“敵なる人”、悪魔]によってそそのかされていたと理解したり疑い始めたりしても、さらには位階階級の一部のメンバーの不誠実さや悪意を示す多くの証拠がある中であっても、位階階級への義務的な従順さを崩すには十分ではありませんでした。すでに述べたように、当時、私たちが目にしたものは、例えば、司教の団体制やエキュメニズム、ノブス・オルド・ミサといったいくつかの新奇なものを言っているのですが、戦後の復興をきっかけにした再生への共通の望みを満たすための試みであると考えることもできました。経済的なブームや大きな政治的な出来事に直面して、教会は何とかして若返らなければならないと、教皇をはじめとして誰もが言っていたようです。公会議前の規律、権威の尊重、ローマ教皇への敬意に慣れている人々は、信仰を広め多くの霊魂をカトリック教会に回心させるための手段として密かに私たちに示されたものが、実際には背後で、一部の人々の心の中に、信仰の力を次第になくし、霊魂を誤謬と罪の中にとどめておこうとする意図が隠されている乗り物、欺瞞であるとは、あえて考えようともしませんでした。このような「新奇なもの」は、ほとんど誰にも、特に信徒には喜ばれませんでしたが、私たちには、福音のさらなる普及と引き換えに、第二次世界大戦で疲弊し、物質主義に脅かされた西洋の道徳的・霊的な再生を図るために、受け入れるべき一種の償いとして提示されたのです。

根本的な変化は、パウロ六世の典礼改革とトリエント・ミサの思い切った禁止から始まりました。1970年代、当時のロンドンの教皇使節の若い秘書だった私は、聖座がウナ・ヴォーチェ協会にウェストミンスター大聖堂の地下でこの古代典礼によるミサを一度であっても行うことを禁じたとき、個人的に傷つき、無力感を覚えました。

ヨハネ・パウロ二世の在位期間中、公会議によるさらに極端な傾向のいくつかは、アッシジのパンテオン[1986年]、モスクやシナゴーグでの出会い、十字軍や異端審問への赦しの求め、いわゆる「記憶の浄化」に推進力を見いだしました。「信教の自由に関する宣言」(Dignitatis humanae)と「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」(Nostra aetate)の破壊的な力は、そのころの数年で明らかになりました。

その後、ベネディクト十六世が登場し、伝統的な典礼の自由化を行いました。それまでは、[1988年の]エコンでの司教聖別式の後に教皇【ヨハネ・パウロ二世】が譲歩したにもかかわらず、【ラッツィンガーは自由化に】これ見よがしに反対していました。残念なことに、エキュメニズムを進める大げさな振る舞いはラッツィンガーになってもやむことはなく、それを正当化する公会議のイデオロギーも同様でした。ベネディクトの辞任とベルゴリオの登場は、多くの人々、特に信徒の目を開き続けています。

【ラジオ・スパダ】異なるテーマではありますが、関連しているのは、公会議の時期と公会議後の時期の主人公たちに関するものです。ラッツィンガーという人物については、少し立ち止まって考えてみましょう。第二バチカン公会議とそれ以降において、このバイエルン出身の神学者が果たした役割は、ニュアンスの違いこそあれ、否定できません(1981年から2005年までは教理省長官であり、2005年から2013年まではペトロの玉座に君臨し、2013年からは「名誉教皇」となっていることを思い起こしてください)。私たちとしては、ラッツィンガー主義の意義についての判断は確かに否定的です。ラッツィンガーは、教理省での彼の統治下で、今日私たちが明確に「繁栄」しているとみなしているのと同じ逸脱が繁栄していました。ペトロの座に選出されるやいなや、教皇の紋章から三重冠を外し、アッシジでのつまずきを与える行事【宗教間対話】を再開して無関心主義的なエキュメニズムの道を歩み続け、「ルターの思想、彼の霊性全体は完全にキリスト中心であった」と書きました。[2007年7月7日の]自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)において、全時代のミサとノブス・オルド・ミサを二つの形式の同じ典礼だと定義しました(その反対に、二つの全く異なる神学を意味しています)。そのあと、「白衣を着た名誉教皇」というありそうにないハイブリッド、雑種を生み出しました。私たちが判断することのできない意図はさておき、彼は危険な誤解をしているだけでなく、教会解体の現在の動きを活発にさせる二元論においてほぼ必要な歯車のように見えます。これらのいくつかの例は、他にも多くの例があるかもしれませんが、私たちの意見では、ラッツィンガーが、役割や立場は同じではないものの、常に「塀の反対側」【伝統主義の反対派】にいたという事実を明らかにしています。「解釈学というおとぎ話」についてのあなたの発言はすでに見ましたが、それ以外にも、あなたはラッツィンガーの思想の問題点を指摘なさっています。特に、LifeSiteNewsに掲載されたあなたの最近の発言を紹介します。「しかし、特に彼を待ち受けている天主の審判を考慮すると、彼が神学的に正しくない立場--特に『キリスト教入門』の立場を指しています--から決定的に距離を置くことが望ましいでしょう」。そこで、私たちはあなたにお尋ねします。このバイエルンの神学者の思想に対するあなたの判断を要約するとしたら、私たちの読者に何と言われますか? さらに言えば、ベネディクト十六世と親しく仕事をする機会があったとのことですが、彼の人間的な面について教えてください。プライベートなことについての質問ではなく、彼と親しくなることができた人柄についての質問です。

【ヴィガノ大司教】あなたが挙げられた点は、いくつかのニュアンスがあるとはいえ、残念ながら、かなりの苦痛を伴わずにはいられないほど、私も同意します。ベネディクト十六世の統治下の多くの行為は、神学者ラッツィンガーが常に断固とした確信を持って支持していた公会議のイデオロギーに沿ったものです。彼のヘーゲル哲学的なアプローチによって、例えば、第二バチカン公会議の文書(テーゼ)と公会議後の時期の行き過ぎたこと(アンチテーゼ)を、彼の有名な「連続性の解釈学」(ジンテーゼ)で和解させることで、彼はテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼの枠組みをカトリックの文脈に適用しました。また、名誉教皇の発明も例外ではなく、教皇であること(テーゼ)ともう教皇ではないこと(アンチテーゼ)の間で、一部だけ教皇であり続けること(ジンテーゼ)が妥協点として選択されました。伝統的な典礼を自由化する一方で、その横に公会議による対応物【新しいミサ】を並べて、典礼革命の支持者と由緒あるトリエント典礼の擁護者のどちらも動揺させない試みをするという決定の背後にも、同じmens[心、メンタリティー]が存在しています。

ですから、この問題は、知的な、イデオロギー的な土台に属することなのです。それは、このバイエルン人神学者が教会を苦しめる危機に解決策を与えようとするたびに現れます。こういったあらゆる機会において、ヘーゲルの思想に影響を受けた彼の学問的教育は、自分が相反するものを一つにまとめることができると信じていました。ベネディクト十六世が自分なりの方法でカトリック伝統主義の希望との間で和解のしるしを示そうと望んでいたことや、彼が教会という組織が置かれている悲惨な状況を知らないということを、疑問に思う理由は私にはありません。しかし、教会を復興させる唯一の方法は、福音に従うことによるのであって、その際、超自然的なまなざしを持ち、さらに善と悪は天主のご命令により非現実的なjuste milieu[幸福な中庸]によって一つにまとめられることはあり得ず、両者は相容れずに対立するものであり、そうあり続けるものであって、2人の主人に仕えることはどちらも不幸にすることに終わるという認識を持つことが必要です。

ベネディクト十六世を直接知っているという点では、私は教皇の在位中に、国務省、事務局長、そして駐米大使として教会に仕えていましたが、ベネディクト十六世は、不適切な協力者、信頼できない協力者、さらには腐敗した協力者にまで取り巻かれていると感じていました。彼らは、ベネディクト十六世の性格の「柔和さ」と、ある種の「ストックホルム症候群」[捕らわれ人が、ある意味で、自分を捕らえた者を愛するようになる症候群]と考えられるものを主に利用していました。それは特に、ベルトーネ枢機卿と自分の個人秘書[G.G.]【ゲオルク・ゲンズヴァイン大司教】でした。

【ラジオ・スパダ】CatholicFamilyNews.comに掲載された何本かの記事の中で、教会の状況に関するあなたの立場が、ルフェーブル大司教によって聖別された4人の司教のうちの1人であるベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教の立場に近いことが注目されました。同じウェブサイトで、ルフェーブル大司教自身が模範的な証聖者であるとするあなたの文章が報じられました。さらに、第二バチカン公会議を厳しく批判する一方で、教皇座空位論には固執しないという点もあり、あなたが推進するアプローチは聖ピオ十世司祭兄弟会のそれに非常に近いと思われます。それについて教えていただけますか?

【ヴィガノ大司教】ベネディクト十六世が「真の教皇」であり、ベルゴリオは「反教皇」であるという意見が、カトリック世界の多くの部分、特に保守的な環境下にあるところから聞こえてきます。この意見は、一方でベネディクト十六世の教皇職放棄が無効であるという考え(放棄がなされた方法、外部からの圧力、munus[地位]とpapal ministerium[役務]の区別などによる)に基づいており、他方では2013年のコンクラーベで、ヨハネ・パウロ二世の使徒憲章「ウニヴェルシ・ドミニチ・グレジス」(Universi Dominici Gregis)の規範に反して、進歩的な枢機卿グループが自分たちの候補者を選出しようとしたと言われているという事実に基づいています。もし確認されればベルゴリオの選出が無効になる可能性があるこれらの議論の信憑性を超えて、この問題は教会の最高権威によって解決されるしかあり得ず、そのとき御摂理がこの非常に深刻な混乱の状況に終止符を打ってくださることになるのです。

【ラジオ・スパダ】これからのことについて話しましょう。この嵐のような数年間、あなたは書面での介入で、新たな取り組みへ参加するビデオで、あなたを支持する人々がよく知っているあらゆる活動で、教会に奉仕しようとなさっていました。将来的には、司教としてのミッションがさまざまな形になる可能性があるとお考えですか? 何か具体的な活動をお考えですか? 公の場でより大きな存在感を示すことでしょうか?

【ヴィガノ大司教】私の年齢、近年の激動、そして教会の状況を考えると、私は計画を立てることができません。御摂理が私を適切に取り計らって、私が進むべき道を時折示してくださるのに任せています。私は、特に教会で起こっている欺瞞の理解に関する私の証言が、枢機卿たちや司教職・司祭職における私の兄弟たちが謙虚さと勇気と天主の御力への信頼のしるしとして、彼らの目を開くことを可能にしてくれることを心から願っています。私たちは、自分たちが惑わされていたことを認めたくないからというだけで、現在の危機の原因と起源を擁護し続けることはできません。このように誤謬に執着することは、誤謬そのものよりも悪い過失となるでしょう。

【ラジオ・スパダ】私たちの質問に答えていただいたことに感謝します。今後、比較検討する機会があれば幸いです。

2021年3月11日
四旬節第三週の木曜日





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