Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【再掲】O Rex Gentium おお、異邦人らの王

2020年12月22日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

12月22日の晩課のマニフィカトのアンティフォナです。

日本語訳:

おお、異邦人らの王、彼らの願い求める者、角の親石よ、御身は両者を一つにし給う。来たりて、御身が塵から形作り給うた人間を救い給え。

O Rex gentium, et desideratus earum, lapisque angularis, qui facis utraque unum: veni, et salva hominem, quem de limo formasti.





【再掲】O Oriens おお、昇る[太陽]よ!

2020年12月21日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日の晩課のマニフィカトのアンティフォナの日本語訳をご紹介します。

おお、昇る[太陽]、永遠の光の輝き、正義の太陽よ、来たりて、闇に、死の影に座っている者らを照らし給え。

O Oriens, splendor lucis aeternae, et sol iustitiae: veni, et illumina sedentes in tenebris et umbra mortis.

Oriens とは、太陽が昇りつつあることであり、つまり、東である。聖伝によれば、ミサ聖祭は、昇る太陽に向かって ad Orientem 捧げられていた。旧約のエルサレムの神殿の祭壇が西を向かっていた ad Occidentem のとは対照的である。何故なら、新約では、来たるべき救い主の方を向かなければならないからだ。

今日は北半球のほとんどのところでは冬至だ。太陽の日照時間が最も短い日である。しかし、明日からは光を受ける時間が増加する。

世の光であるイエズス・キリストが来る日は近い。





ドモルネ神父様の説教:命をかけてさえも伝えなければならないのは生きたカトリックの信仰である

2020年12月20日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

ドモルネ神父様の今日のミサのお説教をご紹介いたします。

しもべの忠実さについての短い説教(待降節第四主日)

はじめに
この書簡で、聖パウロは私たちにこう教えています。「私たちをキリストのしもべ、また天主の奥義の管理者だと考えよ。管理者に要求されるのは、忠実である」(コリント前書4章1節)。主が私たちに期待しておられるこの忠実について少しお話ししましょう。

天主の統治
宇宙と私たちのいのちの創造主である天主は、すべての知恵と善の源です。天主は、世の最初の瞬間から最後の瞬間まで、最も細部に至るまでのすべてのことをご存じであり、総攬しておられます。これは、私たちが天主のご計画を受動的に、運命論的に「受ける」以外に何もすることがないということなのでしょうか? そうではありません。なぜなら、天主は、私たちが天主のご計画の実行に、能動的に、自由に、自発的に参加できるように、天主のご計画についての知識と理解をある程度示してくださるからです。ですから、善き主が私たちに期待なさっているのは、一人一人がそれぞれのレベルで、天主のご計画を受け入れて忠実に実行することです。それは、ある家の詳細な計画をつくった建築家が、その家を建てようとしている職人にそれを説明するようなものです。建築家は、職人に何を期待するでしょうか? 示された計画を忠実に実行して、自分のノウハウとエネルギーを注ぎ込むことです。

善き主は、聖書と教会の聖職者の永年にわたる教えを通して、三位一体の栄光と私たちの主イエズス・キリストによる人類の永遠の救いのために立てられた主のご計画について私たちが知るべきことを、私たちに明らかにしてくださいました。天主は今、私たちが、積極的に、忠実に、忍耐をもって、私たちのあらゆるエネルギーと資質をこの計画に注ぐことを期待しておられます。

洗者聖ヨハネの忠実
待降節の間、教会は特に洗者聖ヨハネについて私たちに黙想させます。彼は忠実なしもべの典型であり、私たちすべての偉大な模範です。善き主は、ご托身のご計画、パレスチナでの救い主のご生涯を詳細に示してくださいました。主は、洗者聖ヨハネを救い主の先駆者とし、ご托身の神秘についての知識を彼に導入して、私たちの主イエズス・キリストを迎え入れ、主のもとに送り出すための霊魂の準備ができるようになさったのです。

聖ザカリヤは讃歌の中で、自分の子の計画を預言的にこう表現しています。「主に先立ってその道を準備し、罪の赦しによって救いの来たことを、その民に教える」(ルカ1章77節)。洗者聖ヨハネは、天主のご計画の中での自分の立場を理解し、忠実に自分の使命を果たし、一人一人に救いの真理を説きました。

彼はすべての人に「悔い改めにふさわしい実を結ぶがよい」(ルカ3章8節)、「二枚の上着を持つ者は、持たぬ者に分けよ。食べ物を持つ者も同じようにせよ」(ルカ3章11節)と言いました。彼は盗んでいる役人【税吏】に対して、「決まったもの以外のものを何一つ要求するな」(ルカ3章13節)と、正義の徳を説きました。

また、残忍で抑圧的な警察や軍隊に対しては、「人を困らせたり、偽りの訴えをするな。自分の給料で満足せよ」(ルカ3章14節)と、剛毅の徳を説きました。

高慢で異端的な宗教指導者に対しては、「まむし族の者よ、近く来るお怒りから逃れることを、誰があなたたちに教えたのか」(マテオ3章7節)と、その悪意を非難し、彼らに「私はその履物の紐を解く値打ちもない」(ヨハネ1章27節)と、イエズス・キリストの真のしもべの謙遜を説いたのです。

人をつまずかせる政治的指導者に対しては、「兄弟の妻をめとるのはよろしくない」(マルコ6章18節)と、彼らの腐敗を非難しました。すべての人に対して、洗者聖ヨハネは、「世の罪を取り除く天主の小羊を見よ。・・・私はそれを見、そして、その方こそ天主の御子であると証明した」(ヨハネ1章29、34節)と、永遠の救いへの道を示したのです。

そして、その忠実な証明のために、彼は殺されました。私たちはこのことにショックを受けるべきでしょうか? 私たちはこれを恐れるべきでしょうか? いいえ、なぜなら「管理者に要求されるのは、忠実である」からであり、これは殉教へと至らせるからです。洗礼者ヨハネは最後まで忠実でした。「まことに私は言う、女から生まれた者のうちで、洗者ヨハネよりも偉大な人は出なかった」(マテオ11章11節)彼に栄光あれ。

私たち自身の忠実さ
聖パウロの「管理者に要求されるのは、忠実である」というこの言葉は、私たち一人一人にも当てはまります。私たちは、それぞれのレベルで、信仰の宝の管理者です。善き主は、私たちの主イエズス・キリストを通してのみ、いかにしてすべてのほまれが主に捧げられるか、また、いかにして人類の救いが私たちの主イエズス・キリストを通してのみ可能であるかを、私たちに知らせてくださいました。使命を探す必要はありません。私たちに行うよう求められているのは、個人生活、家庭生活、社会生活、政治生活において、忠実なキリストの証人となることです。そして、それが現代の市民社会や宗教社会の税吏、兵士、ファリサイ派、サドカイ派、ヘロデ党を喜ばせないのであれば、あまりにも残念なことです。

親愛なる信徒の皆さん、待降節の期間中、私たちは二つのことを準備しています。

一つは過去についてのこと、もう一つはクリスマスの日の救い主の誕生日です。イエズスをたたえて、皆さんは、皆さんの子どもたちや親戚、友人にさまざまな贈り物をするでしょう。それは良いことです。

第二のことは未来に関するもので、この世の終わりに同じ救い主が来られて、生ける人と死せる人を裁かれることです。この瞬間を考慮しながら、皆さんの子どもたちや両親、友人に贈るべき非常に大切な贈り物があります。それはカトリックの信仰です。私たちの主は福音書の中で、このように恐ろしい警告をなさいました。「人の子の来る時、地上に信仰を見いだすだろうか」(ルカ18章8節)。これは、私たちが生ぬるさと不信仰に陥ることを暗示しています。

ですから、クリスマスプレゼントを包んでいる間に忘れないでいただきたいのは、何よりも、どんな困難に直面しても、そして命をかけてさえも、皆さんが伝えなければならないのは、生きたカトリックの信仰であるということです。




カトリック教会の聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会東京・大阪 SSPX Japan, Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka

2020年12月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

今日東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計83人でした。そのうち私たちの将来である子供たちは14人でした!天主様に感謝!

大阪では24人でした!日本での合計は107人でした!マリア様に感謝します!

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today.

The total number of attendees at the 3 masses in Tokyo today was 83,
including children.

09:00 mass
M: 21 (incl. 1 child)
F: 20 (incl. 3 children)
Total: 41 (incl. 4 children)

11:00 mass
M: 14 (incl. 3 children)
F: 14 (incl. 4 children)
Total: 28 (incl. 7 children)

12:30 mass
M: 8 (incl. 1 child)
F: 12 (incl. 2 children)
Total: 20 (incl. 3 children)

Total of 3 masses (excl. 6 people who participated in multiple masses)
M: 42 (incl. 5 children)
F: 41 (incl. 9 children)
Total: 83 (incl. 14 children)




2020年12月20日は、待降節第四主日(将临期第四主日 장림 제 사주일)です。聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)のテキストをラテン語・日本語・中文・韓国語でご紹介します。

2020年12月20日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
2020年12月20日は、待降節第四主日(将临期第四主日 장림 제 사주일)です。聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)のテキストをラテン語・日本語・中文・韓国語でご紹介します。

Dominica Quarta Adventus 待降節第四主日 将临期第四主日 장림 제 사주일
I classis 一級祝日 一等复式【紫】 .
Statio ad Ss. duodecim Apostolos 指定巡礼聖堂。十二使徒の大聖堂 集合祈祷于十二位宗徒堂 .
Ant. ad Introitum. Is. 45, 8. 入祭文 イザイア45ノ8 进台经(依45:8) 초입경(이사야43.8)
Roráte, cæli, désuper, et nubes pluant iustum : aperiátur terra, et gérminet Salvatórem. 天よ、上から露をしたたらせよ、雲は義人を降らせんことを。地は開かれんことを、そして救い主を芽出さんことを。 诸天哪,由上降露吧!望云彩落下正义来,愿大地裂开而产出救主。 의인을 하늘은 이슬과 같이 내리우고 구름은 비같이 내려 보내고 땅은 얼려 구세주를 발생케 할지어다.
Ps. 18, 2. 詩篇18ノ2 (咏18:2) (성영18.2) 
Cæli enárrant glóriam Dei : et ópera mánuum eius annúntiat firmaméntum. 天は天主の光栄を語り、天空は主の御手の業を告げる。 诸天陈述天主的荣耀,穹苍宣扬祂手的化工。 하늘은 천주의 영광을 보하고 창공은 그 손의 전능을 말하는도다. 
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 光荣归于父……。 영광이 부와 자와 ....
Roráte, cæli, désuper, et nubes pluant iustum : aperiátur terra, et gérminet Salvatórem. 天よ、上から露をしたたらせよ、雲は義人を降らせんことを。地は開かれんことを、そして救い主を芽出さんことを。 诸天哪,由上降露吧!望云彩落下正义来,愿大地裂开而产出救主。 의인을 하늘은 이슬과 같이 내리우고 구름은 비같이 내려 보내고 땅은 얼려 구세주를 발생케 할지어다.
Oratio. 集祷文 集祷经 축문
Excita, quǽsumus, Dómine, poténtiam tuam, et veni : et magna nobis virtúte succúrre ; ut per auxílium grátiæ tuæ, quod nostra peccáta præpédiunt, indulgéntia tuæ propitiatiónis accéleret : Qui vivis et regnas. 主よ、願わくは、御力を奮い起こして来給え。大いなる御力によりてわれらを助け給え。そは、御身の聖寵の助けを通して、われらの罪が妨げているもの[=救い]が、御身の慈悲の赦しによりて、加速せんがためなり。聖父なる天主と共に、(…)。 主,求祢振起祢的威能,并速格赐予我们祢全能的援助;望祢慨发慈惠,使那由我们罪恶所滞碍着的救恩,因着祢的宠佑、提早来临。祢和天主父……。 주여 비오니 네 능력을 떨쳐 오시어 대권으로 우리를 구원하사 하여금 우리 죄과를 인하여 얻지 못하는 바를 네 자비하시고 용서하시는 은택으로 빨리 이루게 하소서. 너 천주 성부와 성신과 ...
Lectio Epístolæ beati Páuli Apóstoli ad Corinthios 使徒聖パウロのコリント人への書簡の朗読。 书信 서간경
1 Cor. 4, 1–5. コリント前書 4ノ1-5 (格前4:1-5) (고린토전서4.1-5)
Fratres : Sic nos exístimet homo ut minístros Christi, et dispensatóres mysteriórum Dei. Hic iam quǽritur inter dispensatóres, ut fidélis quis inveniátur. Mihi autem pro mínimo est, ut a vobis iúdicer aut ab humano die : sed neque meípsum iudico. Nihil enim mihi cónscius sum : sed non in hoc iustificátus sum : qui autem iúdicat me, Dóminus est. Itaque nolíte ante tempus iudicáre, quoadúsque véniat Dóminus : qui et illuminábit abscóndita tenebrárum, et manifestábit consília córdium : et tunc laus erit unicuique a Deo. 兄弟たちよ、私たちを、キリストのしもべ、また天主の奥義の管理者だと皆は考えよ。管理者に要求されるのは、忠実ということである。私としては、あなたたちによって、また人間の審判によって、裁かれることを意としない。そればかりか、自分で自分を裁くこともしない。私の良心には何のやましいところもないが、そのために私は義とされるのではない。私を裁くのは主である。だから、主がこられるまでは、先走った裁きをするな。主は、闇に隠れたものをてらし、心の企てをあらわされる。そのとき、それぞれ天主からほまれを受けるであろう。 弟兄们:希望人家把我们看作基督的忠仆,天主奥理的掌管者。人们对于掌管者所要求的,是忠实可靠。至于我个人,受你们的批评,或受人的法庭的裁判,在我看来都没有什么关系。就是我也不判断我自己。我在良心上虽然自觉无愧,但不能因此为清白无辜;审判我的就是主。所以你们在时期没有来到以前,不要判断人,直到主来临的日子;衪要使隐藏在黑暗中的事大白于世,使人心的计谋显露出来,那时候每人由天主方面要受到应得的赞扬。 형제들아 그러므로 사람으로 하여금 우리를 그리스도의 일군과 천주의 비사를 거행하는 자로 여기게 할지니라. 그런데 거행하는 자들에게 요구할 것은 충실함이로되 나는 너희들에게나 남의 재판소에서 판단을 받는 것을 크게 여기지 아니하며 나도 스스로 판단하지 아니하노라. 나는 양심에 꺼리끼는 일이 없으되 의인이라 아니하나니 대저 나를 판단하시는 자는 주시로다. 그러므로 주 임하실때까지는 먼저 판단하지 말지라. 주는 어두움 가운데 감추인것을 비추시고 마음의 뜻을 드러내시리니 저 때에 각기 천주께 칭찬을 받으리라.
Graduale. Ps. 144, 18 et 21. 昇階誦 詩篇144ノ18,21 台阶经(咏114:18,21) 층계경(성영144.18,21)
Prope est Dóminus ómnibus invocántibus eum : ómnibus, qui ínvocant eum in veritáte. 主は、主を呼び求める全ての人々に、真実において主を呼び求める全ての者らにとって近くまします。 上主接近一切呼求祂的人,就是诚心呼求祂的人。 주 저에게 부르짖는 모든 이에게 가까우시고 진심으로 저에게 부르짖는 모든 이에게 가까우시도다. 
V/. Laudem Dómini loquétur os meum : et benedícat omnis caro nomen sanctum eius. V/. 私の口は主の讃美を話すだろう。すべての肉[=人]は、主の聖い御名を祝し奉らんことを。 我的口要传述称扬上主的话,愿一切有血气的,都要赞美祂的圣名。 내 입은 주의 찬미를 말하리니 모든 인생들은 저의 성명을 찬송할지어다. 
Allelúia, allelúia. V/. Veni, Dómine, et noli tardáre : reláxa facínora plebis tuæ Israël. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ。 V/. 主よ、来給え、遅れ給うな、御身の民なるイスラエルの罪を赦し給え、アレルヤ。 阿肋路亚,阿肋路亚!主啊!来吧!请祢不要迟延!求祢饶恕祢伊撒尔人民的罪过吧!阿肋路亚! 알렐루야 알렐루야. 주여 임하사 지체하지 말으시고 네 백성 이스라엘의 죄를 풀으소서. 알렐루야.
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。 福音 복음
Luc. 3, 1–6. ルカ 3ノ1-6 (路3:1-6) (성루까3.1-6)
Anno quintodécimo impérii Tibérii Cǽsaris, procuránte Póntio Piláto Iudǽam, tetrárcha autem Galilǽæ Heróde, Philíppo autem fratre eius tetrárcha Iturǽæ et Trachonítidis regionis, et Lysánia Abilínæ tetrárcha, sub princípibus sacerdotum Anna et Cáipha : factum est verbum Domini super Ioannem, Zacharíæ filium, in deserto. Et venit in omnem regiónem Iordánis, prǽdicans baptísmum pæniténtiæ in remissiónem peccatórum, sicut scriptum est in libro sermónum Isaíæ Prophétæ : Vox clamántis in desérto : Paráte viam Dómini : rectas fácite sémitas eius : omnis vallis implébitur : et omnis moris et collis humiliábitur : et erunt prava in dirécta, et áspera in vias planas : et vidébit omnis caro salutáre Dei. ティベリオ・チェザル在位の第十五年目、ポンツィオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤ分国王、その兄弟フィリッポがイトゥラヤとトラコニティス分国王、リザニアがアビレネ分国王、アンナとカヤファが大司祭だったとき、荒れ野で、ザカリアの子ヨハネの上に、天主のみことばがくだった。そこでヨハネは、ヨルダンの全地方に行き、罪のゆるしのためのくいあらための洗礼を教えた。それは、預言者イザヤのことばの書に、「"主の道を準備し、その小道を正しくせよ。すべての谷はうめられ、山と丘とはみなならされ、曲りくねった道はまっすぐに、でこぼこ道は平らにされ、人はみな天主の救いを見るであろう"と荒れ野に叫ぶ声がする」と書かれているとおりである。 凯撒提庇留在位第十五年,般雀比拉多做犹太总督,黑落德做加黎利藩王,他的弟腓力做伊丢利阿及特拉克尼地方的藩王,李撒尼亚做阿俾利尼藩王。那时正当亚纳和盖法做大司祭,天主的道,在旷野里授给了匝加利亚的儿子、若翰。他于是来、走遍约旦河全境,宣讲悔改的洗礼,为得罪的宽赦。正如依撒意亚书上写的:“旷野中有呼者之声说:预备主的道,修直祂的路;一切山谷要填满,一切大山小丘要铲除,弯曲的路径要修直,崎岖的道路要削平。一总的人将见到天主的救援。” 디베리오 세살이 즉위한지 십오년에 본시오 비라도는 유데아총독이요 헤로데는 갈릴래아 분봉왕이요 그 아우 비리버는 이두레아와 드라고니디 지방 분봉왕이요 리사니아는 아빌리아 분봉왕이요 안나와 가이파는 대제관이러라. 자가리아의 아들 요안이 광야에서 주의 훈명을 받고 욜단강 모든 근방에 와서 회개하는 세를 강론하여 써 죄사함을 얻게하니 마치 이사야 선지 책에 기록하였으되 '광야에서 소리 지르되 주의 길을 닦으며 그 지름길을 바르게 하고 모든 골짜기를 메우며 모든 산과 고개를 무너쳐 굽던것을 곧게 하고 험하던 것을 평탄한 길이 되게 하라. 이에 모든 사람이 천주의 구세자를 뵈오리라' 함이니라. 
Credo 信経 . 신경외움
Ant. ad Offertorium. Luc. 1, 28. 奉献文  ルカ 1ノ28 奉献经(路1:28) 제헌경(성루까1.28,42)
Ave, María, gratia plena ; Dóminus tecum : benedícta tu in muliéribus, et benedíctus fructus ventris tui. めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の実も祝せられ給う。 万福玛利亚,满被圣宠者,主与尔偕焉!女中尔为赞美,尔胎中子并为赞美。 성총을 가득히 입으신 마리아여 네게 하례하나이다. 주 너와 한가지로 계시니 여인 중에 너 총복을 받아 계시고 네 복중에 나신 자도 총복을 받아 계시도소이다.
Secreta. 密誦 密祷经 묵념축문
Sacrifíciis præséntibus, quǽsumus, Dómine, placátus inténde : ut et devotióni nostræ profíciant et salúti. Per Dóminum. 主よ、願わくは、嘉し給いて眼前のいけにえらに[御眼差しを]注ぎ給え。そは、われらの信心と救いとにこれらが益とならんがためなり。天主として、(…)。 主,求祢以慈目垂视这当前的祭献,使它能增益我们的虔诚,并助成我们的得救。因我们主……。 주여 비오니 이 제물을 인자하게 굽어 보사 써 우리의 정성과 구원에 유익이 되게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ...
Præfatio de sanctissima Trinitate  序誦 三位一体と主日との序誦 天主圣三的颂谢引 .
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : Qui cum Unigénito Fílio tuo et Spíritu Sancto unus es Deus, unus es Dóminus : non in uníus singularitáte persónæ, sed in uníus Trinitáte substántiæ. Quod enim de tua glória, revelánte te, crédimus, hoc de Fílio tuo, hoc de Spíritu Sancto, sine discretióne sentímus. Ut, in confessióne veræ sempiternǽque Deitátis, et in persónis propríetas, et in esséntia únitas, et in maiestáte adorétur æquálitas. Quam laudant Angeli atque Archángeli, Chérubim quoque ac Séraphim, qui non cessant clamáre cotídie, una voce dicéntes : Sanctus… 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。御身は、御独り子と聖霊と共に、唯一の天主、唯一の主にて在す。すなわち、御身は、一の位格の単一にて在すのではなく、唯一の実体(substantia)の三位にて在す。御身の御光栄について、御身が啓示するがゆえに、われらが信じ奉ることを、聖子について、聖霊について、差別なく、われらは信じ奉る。真の永遠の天主の本性を告白するにおいて、位格における固有性が礼拝され、本質(essentia)における唯一性と、御稜威における等しさも礼拝されるためである。これを、天使らと大天使らは、智天使も熾天使も、讃美し、絶え間なく声を上げ、日々声をあわせてこう言う。聖なるかな、… 主,圣父,全能永生的天主!我们时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属于我们得救的。祢与祢的独子及圣神,只是一个天主,只是一个主;不是因为位是单独一个,却是因为三位同具一个性体。的确,我们所怎样依照祢的启示,相信祢享的光荣,我们无区别地也同样确认祢的圣子,也同样确认圣神共享这个光荣。因此,我们在明认圣三真实而永在的天主性上,同时论位,我们敬拜圣三的各一,论体,我们敬拜圣三的无二,论尊荣,我们敬拜圣三的均等。这圣三的尊荣,是天神们和总领天神们,普知天神们和炽爱天神们,所虔诚歌颂的;他们日复一日,永不停止同声高呼说:圣、圣、圣…… .
Ant. ad Communionem. Is. 7, 14. 聖体拝領誦 イザイア 7ノ14 领主咏(依7:14) 영성체경(이사이아7.14)
Ecce, Virgo concípiet et páriet fílium : et vocábitur nomen eius Emmánuel. 見よ、童貞女は子を孕(やど)し産むだろう。その名はエマヌエルと呼ばれるであろう。 看哪!将有一位贞女怀孕生子,给祂起名叫厄玛奴耳。 보라 동정녀 잉태하사 아들을 낳으리니 그 이름은 임마누엘(천주 우리와 한가지로 계시다는 뜻)이라 일컬으리라.
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经 영성체후축문
Sumptis munéribus, quǽsumus, Dómine : ut, cum frequentatióne mystérii, crescat nostræ salútis efféctus. Per Dóminum. 主よ、賜物を受けてわれらは願い奉る。この奥義にしばしば与ることにより、われらの救いの効果が増大せんことを。天主として、(…)。 主,我们既领了祢的圣恩,切望我们得救的功效、随着常领这圣事而增长。因我们主……。 주여 네 예물을 영하며 네게 비오니 이 미사를 가끔 거행함으로써 우리 구원의 효과를 더하게 하시되, 네 아들 우리 주 예수 그리스도를 인하여 하소서. 저 너와 성신과 ...


クリスマスの最も大切な準備:洗者聖ヨハネに倣って私たちがすべきことは?

2020年12月20日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2020年12月20日は待降節第四主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「待降節第四主日の説教」の動画をご紹介いたします。

クリスマスの準備をいたしましょう。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


O Clavis David おお、ダヴィドの鍵よ O Antiphona

2020年12月20日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日の晩課のマニフィカトのアンティフォナは、O Clavis David おお、ダヴィドの鍵よ、です。

日本語訳は次の通りです。

おお、ダヴィドの鍵、イスラエルの家の笏(しゃく)よ、御身が開けると誰も閉じることなく、御身が閉じると誰も開けることがない。来たりて鎖の家から闇に座る繋がれた者を導き出し給え。

O clavis David, et sceptrum domus Israel; qui aperis, et nemo claudit; claudis, et nemo aperit : veni, et educ vinctum de domo carceris, sedentem in tenebris, et umbra mortis.





2020年12月20日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for Dec 20, 2020

2020年12月20日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

最新情報は次のカレンダーをクリック

聖ピオ十世会 ミサのご案内

年間の予定はSSPX JAPAN MISSION CALENDARをご覧下さい。

今週末:2020年12月18日(金)19日(土)20日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

 12月18日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 12月19日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 12月20日(日) 17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 12月21日(月) 06:30 ミサ聖祭

【東京】 「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」 東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図

12月20日(日)主日ミサが三回捧げられます。

午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of December 20, 2020.

December 20
09:00 - Sung mass Facebook live
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.
Mass location:
"Holy Japanese Martyrs' Mass Center"
Akebonocho Jido-kaikan
1-12-5 Honkomagome, Bunkyo-ku, Tokyo
Mass schedule in OSAKA:

Fri, December 18: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, December 19: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, December 20: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Mon, December 21: Holy Sacrifice of the Mass at 06:30 am.

OGPイメージ

2020年12月25日(金)東京での聖伝のミサの予定 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様!今年のクリスマス、ますます祈りが必要な現代世界の為に、私たちの為に人となり生まれた主イ...

2020年12月25日(金)東京での聖伝のミサの予定 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

聖伝のミサに与るときのお願い:感染リスクを避けるためのコロナウイルス対策 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

Measures to reduce coronavirus infection risk - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

Photo Credit


【再掲】O Radix Jesse おお、イェッセの根よ!

2020年12月19日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日のO antiphon の日本語訳です。

おお、イェッセの根よ、御身は民々の印として立ち、それについては王たちは自分の口を閉じるだろう、御身を異邦人らは祈り求めるだろう。我らを解放する為に来たり給え、もはや遅れることなかれ。

O Radix Jesse, qui stas in signum populorum,
super quem continebunt reges os suum,
quem Gentes deprecabuntur:
veni ad liberandum nos, jam noli tardare.

イザヤ書11:1:「イェッセの根から芽が出て、その根から花が登るだろう。」
イェッセの根からの枝は聖母マリアだ。その花はキリスト。聖母マリアはこの世にキリストをもたらす。

枝は生命の木とななり、民々の印となる。十字架の木だ。
地上の王たちは、この印を仰ぎ見て沈黙する。
ヨハネ12:33「私が地上から挙げられた時、私は全ての人々を私に引き寄せるだろう。」












【参考情報】ヴィガノ大司教、詐欺的なマカリック報告書を分析する

2020年12月19日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ヴィガノ大司教の書いた「セオドア・マカリックに関する国務省の報告書」に関するコメント Archbishop Viganò Analyzes the Fraudulent McCarrick Report(ヴィガノ大司教、詐欺的なマカリック報告書を分析する)の日本語訳を、あくまでも参考資料としてご紹介いたします。

何故、ヴィガノ大司教はこのような告発をするのでしょうか? ヴィガノ大司教の訴える目的は何なのでしょうか?

ヴィガノ大司教の最近の記事を見ると、キリストの花嫁である教会の浄化のために、自分にできる全ての手段は果たし尽くした、しかし、通常のありとあらゆる手段ではもはや事態は修正することができなかった、このような告発をするしかなくなってしまった、ということを示しているように思えます。

誰が好きで自分の身内を告発するでしょうか?誰が好んで教会の恥をさらそうとするでしょうか?これは元教皇大使が仕方なく取った最後の手段であるとしか思えません。

癌を直すためには飲み薬やその他の通常の治療は果たし尽くした、しかし今となってはもう他に仕方がなく手術をするしかない、という態度がヴィガノ大司教の記事から読み取れます。つまりヴィガノ大司教は、命がけで、カトリック教会を守ろうとして立ち上がっているのです。これはヴィガノ大司教の心の叫び(cri de coeur)です。

ヴィガノ大司教の告発は、それ自体では目を疑いたくなるような、ありえないような内容です。しかしヴィガノ大司教は、ナイーヴでいられないほど、元教皇大使として現実を知ってしまった人です。以前は、何とか言い訳をつけて否定しようとしたり、言い訳をしてみようとしたり、それほど悪いはずがない、まさかそれほどの悪が浸透してしまっているはずがない、と素朴な期待を抱いたことでしょう。しかし、ここ数年の間で急激に、同性愛者の「結婚」、女性の司祭叙階、聖職者の独身制の廃止、死刑の廃止、など過去2000年にわたって断固として拒否されてきたことが、「この世からの拍手で肯定されている」ことをヴィガノ大司教は見てきました。つまり、もう素朴ではありえなくなってしまったのです。

ヴィガノ大司教の体験に基づくと、教会の教えや道徳に反するスキャンダルを糾弾し、正義と真実を求める人々は、有罪であるとみなされ、教えに背いた人やスキャンダルを起こした本人は、非難されてあたかも被害者であるかのように思われています。あたかも、教会の今まで信じていたことや行っていたことをそのままやり続ける人は、悪を行っているかのようにみなされるのです。

しかし、同時に、ヴィガノ大司教は教会に対する深い信仰を持っています。ヴィガノ大司教の訴える最も大切な点がここだと思います。

まず、スキャンダルを起こす人々は教会の一部に過ぎないということです。癌のような「道徳的、教義的に逸脱した教会の一部分」が犯したことであって、癌は教会全体にまで広がっていないということです。たとえ、それが、天の星のように光って人類を導くはずの高位聖職者たちの三分の一であったとしても、全部ではない、ということです。黙示録にもこうあります。「七つの頭と十の角をもち、頭に七つの冠のある赤い竜がいるのが見えた。それは尾で、天の星の三分の一をはきよせて地上に投げた。」

次に大切なことは、カトリック教会の頭は主イエズス・キリストだということです。キリストが弟子たちから裏切られて十字架につけられたとしても、約束した通り三日目に復活したように、キリスト教会であるカトリック教会も、たとえ裏切られたとしても、キリストの力によって教会は復活するということです。その超自然の希望を私たちに持ち続けるように励ましています。

カトリック教会に対する信仰と愛は、罪の償いへと私たちを導いています。キリシタン時代、フェレイラが背教したとき、多くのイエズス会士たちが罪の償いの祈りや犠牲を捧げました。聖母は十字架を担うイエズス・キリストを離れず、祈りのうちにとどまりました。ロザリオの祈りをもって、私たちも償いの業をおささげ致しましょう。

Archbishop Viganò Analyzes the Fraudulent McCarrick Report - Catholic Family News

Mons. Viganò Risponde al Rapporto McCarrick della Segreteria di Stato.

Archbishop Viganò Analyzes the Fraudulent McCarrick Report
ヴィガノ大司教、詐欺的なマカリック報告書を分析

2020年11月24日

セオドア・マカリックに関する国務省の報告書の行間を読む

ローマ教皇庁国務省が2020年11月10日に発表したマカリック報告書は、多くのコメントの対象となっています。その欠点を指摘する者もいれば、ベルゴリオの透明性の証明として、また私の告発が根拠のないものだとして称賛する者もいます。私としては、さらに探求するに値するいくつかの面に焦点を当ててみたいと思いますが、それは私個人には関係ありません。ですから、ここでの考察の目的は、私に対して提起された議論が虚偽であることについてさらに証拠を提示することではなく、むしろ、報告書の矛盾や、裁く者と裁かれる者の間に存在する利害の対立を強調することであり、それらは、私の考えでは、この調査、裁判、判決を無効にしてしまうようなものなのです。

司法機関の公平さ

まず最初に述べなければならないのは、通常の民事裁判や刑事裁判とは対照的に、教会の調査においては、聖職者によってなされた証言に信憑性があるという暗黙の権利のようなものがあるということです。このことが、マカリックに関して自らが共犯の立場にあったことに気づくことのできた高位聖職者たちの証言さえも、証拠として【価値があるように】考慮されるように許可したように思われるのです。真実を明らかにすることが自らと自らのイメージを傷つけることになるがゆえに、彼らがそうすることに利益がなかったであろうにもかかわらず、です。要するに、カルロ・コッローディ【ピノキオの作者】のイメージを借りると、ネコ(ケヴィン・ファレル)が信憑性を持ってキツネ(セオドア・マカリック)の潔白を証明することができるとは想像しにくいのです。【ピノキオに出てくる詐欺師のキツネとその子分のネコのこと。マカリックはファレル(現カメルレンゴ)を司教聖別し、ニューヨーク大司教とその補佐司教の関係にあった。後にファレルはフランシスコ教皇によって枢機卿となった。】しかし、このようなことが起こっているのです。ちょうど、枢機卿ワシントン大司教としてマカリックを任命することに妥当性があるとヨハネ・パウロ二世を欺くことが可能であったように、あるいはその枢機卿に重くのしかかった告発の重大さについてベネディクト十六世を欺くことが可能であったように。

かのアルゼンチン人【フランシスコ教皇】に関しては信憑性の権利にすぎないものが教義のレベルにまで高められていると理解されます。これは「あわれみの教会」では疑われることのあり得ないおそらく唯一の教義です。現実のもう一つの解釈 -- 死すべき者【人間】はこれを散文的に「嘘」と呼ぶ -- が、彼によって定式化されている場合には、特にそうです。

私たちはまた、マカリックを擁護するモンシニョール・ファレルの証言が強調をもって報告されているという事実にも困惑しています。この司教は「閣下」(Most Excellent 最も優れた)という称号で言及されています。しかし同時に、【マカリックの被害者である】ジェームズ・グレインの証言が完全に省略されていることにも困惑しています。また、彼の友人と同居人を擁護するファレルの言葉が有効で信憑性があると考えられているのに対し、私が大司教であり教皇大使であるにもかかわらず、私の言葉はそうではないというのは、どのような理由からなのかも明らかではありません。私が特定できる唯一の理由は、ファレルの言葉がベルゴリオのテーゼを裏付けているのに対し、私の言葉はそれを反駁し、嘘をついていたのは当時のダラスの司教【ファレル】だけではないこと【教皇もうそをついていること】を示しているからです。

また、マカリックの後継者としてワシントン大司教の座に着いていたワール枢機卿が、兄弟である司教の堕落した行為を認識していたことを繰り返し否定した後、世論からの圧力を受けて2018年10月12日に辞任したことも忘れてはなりません。それでも2004年にワールは、メトチェン教区の元司祭であるロバート・シオレクがマカリックに対して行った告発を、当時の教皇大使モンシニョール・ガブリエル・モンタルボに送って処理しなければなりませんでした。2009年には、贖い主の母神学校(Redemptoris Mater Seminary)からワシントンの使徒聖トマス小教区へのマカリックの転任を命じたのはワールであり、2010年には、ワール自身と司教協議会会長であるフランシス・ジョージ枢機卿が、マカリックの80歳の誕生日にお祝いのメッセージを送るのに反対することを国務省に進言しました。報告書はまた、マカリック個人を取り巻くスキャンダルの危険性に関するサンビ大使とワールとの間のやり取りを引用していますが、同じことが、ワールが「マカリックが神学校に住んでいないときでも、常に彼を支持していた」ことを裏付けている、司教省長官のレ枢機卿のやり取りにも言えます。したがって、報告書に十分に文書化されていて、[大使としての]私の任命の前にこの枢機卿に重くのしかかった重大な疑惑が、私がもう一度国務省にその疑惑について通知したにもかかわらず、ワシントン大司教として辞任した後でも司教の任命で発言力を維持した司教省を含むローマの部署で自分の地位を維持していたワールに対してではなく、私に対する問責の理由とみなされていることは非常に奇妙なことです。

報告書の起草者たちが、ベルゴリオの前任者が「目立たないように」と要請していたテッド伯父さん【マカリック】に関する書類が山積みになっていたにもかかわらず、マカリックを擁護する自分の秘書の言葉に信頼を置いたからといって、ヨハネ・パウロ二世を軽々しく批判しているのはなぜなのか、明確ではありません。被告人に関する司法機関の立場、より正しくは(rectius)「この司法機関」の立場を、すべて最終的に明確にする時が来たと私は思います。

法によれば、裁判官は公平でなければならず、そうあるためには、裁かれる側と利害関係を持っていてはなりません。現実には、この公平性は、被告人に対して申し立てられたスキャンダルや犯罪が、被告人が枢機卿の地位をはく奪され、平信徒の状態に格下げされるのに値するほどの重大性を持っているという、教会の歴史の中で最もセンセーショナルな教会法上のプロセスの一つである場合には、うまくいきません。


まことの断罪の不在

犯罪者に科された刑罰が極端に軽いことを強調する必要があります。実際、その刑罰は存在しないと言うことさえできるでしょう。なぜなら、被告人は、教理省の裁判所からの事務的な手続きをもって聖職者の状態をはく奪され、ベルゴリオによって既判力(res iudicata)【最終判決】として裁可されたからです。しかし、2018年に児童ポルノの所持および頒布によりバチカンで懲役5年の実刑を宣告されたワシントンの大使館の顧問に対して行われたように、被告人に実刑判決を出すことは、まだ可能だったのです。

実際には、聖職者の状態からの解任は、聖職者の状態が罰則的制裁を科すための前提であるべきである一方、平信徒の状態をそれ自体でほとんど一つの刑罰とみなすという、その「聖職者主義」の本質を明らかにしています。言葉にすれば非常に遺憾なことです。とりわけ、投獄あるいは少なくとも自宅軟禁がないということは、マカリックに移動や行動の完全な自由を与え、彼の状況を変化させないことを許しています。したがって、彼は新たな罪を犯すことができる立場にあり、教会の分野および政治の分野の両方で犯罪活動を続けていくことができるのです。

最後に、教会法上の手続きは、米国の裁判所で導入されたこの元枢機卿に対する刑事事件を排除するものではないことを覚えておくべきで、これらの事件は、不思議なことに極秘のままであり、バチカンだけでなく米国においても、マカリックの政治力とメディアの影響力をさらに証明しています。

利害の対立と省略

被告人とその共犯者に対して自分が恩義を感じる立場にあるかもしれないという事実、つまり、明らかな利害の対立を抱えているという事実を考慮せずに、この事件の「裁判官」を見ることは困難です。

もし、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオの選出が、マカリックと長く続く強固な関係にある超進歩的な枢機卿たちを含む、いわゆるザンクト・ガレン・マフィアの陰謀に負うところがあるとすれば、もし、ベルゴリオ候補へのマカリックの推薦が、コンクラーベの有権者や、例えば、この米国人枢機卿が2013年のヴィラノヴァ大学での会議で言及した有名な「イタリア人の紳士」のようなバチカンの説得力を持つ人々の間で耳に入っていたとすれば、もし、ベネディクト十六世の辞任が、何らかの形で「ディープ・チャーチ」と「ディープ・ステート」からの干渉によって挑発されるか支持されるかだったのであれば、以下のように仮定するのが論理的です。すなわち、ベルゴリオと彼の協力者たちは、マカリックの共犯者の名前を報告書に記載して漏らしたり、あるいは彼を支持した教会の「エリートコース」(cursus honorum)にいる人々の名前を漏らしたり、あるいはとりわけ、有罪判決の可能性に直面して、たとえば、ベルゴリオ自身ではなくとも、ローマ教皇庁の著名な人物の関与を明らかにすることで、何らかの形で復讐することのできた人々の名前を漏らす、といった意図はなかったのだ、と。

報告書は、透明性があると主張する見せかけに露骨に反して、行政プロセスの行為を明らかにしないように細心の注意を払っています。したがって、被害者が「裁判官」に異議を唱えて公正な賠償を求めることができないようにしながらも、実際にはこのような重大な罪を犯した犯罪者を完全に自由の身にしたままにしておくという、ばかばかしいほど小さな判決と引き換えに、マカリックの弁護側は、依頼人の判決言い渡しが行われることに同意したのではないかと問うことが可能です。確かに、この異常さは、法律の専門家でない人々にも明らかです。

ディープ・チャーチとディープ・ステートの共通の利害

このような共謀と恐喝のネットワークにおいては、「裁判官」と被告人の双方の政治との結びつきを強調することもできます。特に米国民主党、中国共産党、そしてより一般的には世界統一主義の運動や政党との結びつきがあります。2004年、当時ワシントン大司教だったマカリックが、妊娠中絶を支持する政治家への聖体授与禁止について、当時の教理省長官のラッツィンガー枢機卿が米国の司教に宛てた書簡の頒布を阻止するために努めた事実があります。それが意味することは、ジョン・ケリーに始まってジョー・バイデンに至るまで、マカリックが自称カトリック教徒の民主党の政治家たちを支援してきたことを示しているということです。ジョー・バイデンは、妊娠中絶の確信的な支持者であり、位階階級のほぼ全会一致の支持を得て、そうでなければトランプを支持することになっていたであろう有権者の票をあてにすることができました。正直言って奇妙な偶然の一致です。一方では、「ディープ・ステート」が「ディープ・チャーチ」の代理人をローマ教皇に選出するという意図で教会とベネディクト十六世を攻撃し、他方では、「ディープ・チャーチ」が「ディープ・ステート」の代理人を大統領に選出する意図で国家とトランプを攻撃しました。陰謀家たちの計画が意図した目的を達成したかどうかは、読者であるあなたに判断していただきましょう。

この世界的な左翼との共謀は、教会の中心部にまで浸透した解散の第五列【スパイ】が、単一の「指示」のもとに単一の「台本」に従って、「ディープ・ステート」と積極的に協力している、さらに大きなプロジェクトの必然的な帰結なのです。この「芝居」の中の俳優たちはさまざまな役回りを持っていますが、同じ「舞台」で同じ「筋書き」に従っているのです。

パンデミックと不正選挙の類比

さらによく調べてみると、米国のパンデミックと不正選挙のどちらにも、マカリック事件と教会で起こっていることとの憂慮すべき類似性があります。全人口を自宅に閉じ込めるか、あるいはワクチン接種を義務付けるかを決定しなければならない人々は、信頼性の低い検出手段を利用しています。なぜなら、これらの手段によって、彼らは主流メディアの共謀と相まってデータを偽ることに成功したからです。ウイルスによる死亡率が季節性インフルエンザと同じようなものであるかどうか、あるいは死者の数が例年と同じようなものであるかどうかは、ほとんど問題ではありません。単にパンデミックが発生して、「グレート・リセット」の前提を作るために世界経済を破壊しなければならない、と誰かが決めたのです。合理的な議論も、科学的な評価も、患者のケアに携わる真面目な科学者の経験も、俳優たちに課せられた台本の前では何の価値もありません。同じことが米国の選挙についても当てはまります。不正行為の証拠に直面し、犯罪者の心(criminal minds)によって実行された本物のまさに「クーデター」の輪郭を得つつある中ですが、メディアはジョー・バイデンを勝利者として強い調子で提示し、聖座を含む世界の指導者たちは、急いで彼の勝利を認め、共和党側の敵対者たちの信用を落とし、トランプを家族や大統領夫人からさえも見捨てられようとしている孤独ないじめっ子として提示しているのです。インターネット上には、投票の集計中に行われた不正行為を示す動画が何十本も何十本もあることや、何百もの不正行為の証言があることは、ほとんど問題ではありません。民主党、メディア、演技者全員が、バイデンが大統領当選者であり、トランプは身を引くべきだと繰り返します。なぜなら、嘘の国では、【台本の】語られる物語(narrative)に現実が一致していないのなら、修正され非難されなければならないのは現実の方であるからです。したがって、都市封鎖に抗議するために、あるいは選挙の不正行為に抗議するために街頭に出た何百万人もの人々は、主流メディアがテレビでそれを見せず、またインターネット上で検閲するという単純な事実のために単に存在しないのであって、メディアがフェイクニュースとして糾弾するものは何であれ、無批判にそのようなものとみなされなければならないのです。

位階階級の一部の隷属化

したがって、米国カトリック司教協議会が(そのあと「バチカン・ニュース」サイトおよびベルゴリオからバイデンへの愛情あふれる電話が時計仕掛けのように続くのですが)、このシステムに忠実であることを証明するために急いでいたことは驚くべきことではありません。これらの聖職者たちは元から関与しており、彼らに与えられている役回りを細心の注意を払ってやり遂げならないのです。彼らは世界レベルでも同じことをしました。つまり、教会の閉鎖を伴う新型コロナウイルス感染症による規制を支持し、ミサの挙行の停止を命じ、さらには行政当局に従うように信者を誘導したのです。ワシントン大司教は、聖ヨハネ・パウロ二世聖堂への大統領夫妻の公式訪問を批判することをあえて行い、他の司教や聖職者と共にBLM(Black Lives Matter)を支持することを表明しました。このような大義のための自己犠牲は、まさにこの数日間に枢機卿の赤い帽子を受けるに値するものでした。また、世界統一主義の行動計画(アジェンダ)への固執が、スーピッチ、トービン、ワール、マッケルロイ、ストウを筆頭とする、完全に妥協してLGBTQ運動を支持している人々から来ているのは偶然ではありません。もうすぐ配布されるワクチンには、妊娠中絶による人間の胎児の細胞が含まれているのですが、この倫理的な問題に直面している中で聖座と世界の司教たちが沈黙していることは、非常に重要なことです。中国とバチカンとの間の協定ですでに起こっているように、パンデミックに関する製薬会社の思惑も、ディープ・チャーチを寛大な「献金」の受領者と見ているということはありませんように。

悪徳と腐敗は、「ディープ・チャーチ」と「ディープ・ステート」が、不快な犯罪の掃き溜めの中で一体となっていることを示しています。その犯罪では、妊娠中絶、ジェンダー・イデオロギー、性転換を含む未成年者の性的自由を押し進める登場人物たちが、無防備な子どもたちを搾取、暴力、嫌がらせの犠牲者としているのです。

不法移民もまた、国家を不安定化させ、アイデンティティーを消し去るために支持されていますが、未成年者の人身売買、犯罪の増加、社会構造の破壊に直結しているという事実にもかかわらず、左翼とベルゴリオの教会の両方から支持を得ています。実際、米国の選挙での政治的危機、パンデミックの犯罪的操作による経済危機、そして欧州全体の教会へのイスラムによる攻撃や冒涜行為を通じた宗教戦争をけしかけたいという願望があるのと同じように、この理由で不法移民が支持されているのです。

全体を見渡すことの必要性

また、これも非常に心配なことですが、この完全に首尾一貫した枠組みの中で、多くの高位聖職者たちが、ほとんど全員ではないとしても、カトリック教会に影響を与える出来事だけを分析していることです。出来事が、ほとんど教会の領域でのみ存在していたかのように、世界レベルで展開されている政治的、社会的なイベントとの関係を持っていなかったかのように、分析することにとどめていることです。シビル・ユニオン【同性愛者の「結婚」】の合法化を支持するベルゴリオの言葉や、マカリック報告書に出てくる矛盾や捏造に対して、臆病な態度をとる司教もいますが、たとえ善意に駆られていたとしても、事実の証拠、すなわち、位階階級の逸脱した部分、正確には「ディープ・チャーチ」と、金融と情報の世界に属する国家の逸脱した部分との間にある邪悪な合意(pactum sceleris)の存在を、あえて糾弾しないのです。しかし、この事実はあまりにも明白であるため、多くの、ほとんどが世俗の知識人によって分析の対象とされてきました。

信憑性の欠如

この点は、大きく糾弾されなければなりません。国務省が作成した報告書は、新世界秩序(New World Order)に仕える変質者や堕落した男たちの一団に信憑性のようなものを与えようとする、いかがわしくて不器用な試みです。超現実的(シュール)なことは、この不謹慎なごまかしの作戦が、被告人によってではなく、被告人を裁くべき人々によって実行されたことです。しかも、被告人と一緒に、彼らは逆説的に、自分たちを裁かねばならず、自分たちの兄弟、友人、そして自分たちの無罪や昇進、キャリアを保証した人々を裁かねばならないということです。

この報告書の執筆者たちの信憑性【のなさ】は、ベルゴリオ自身が中国の共産主義独裁政権と【ローマと】の間で聖座の窓口として派遣し、同時に米国務省に代わって公務を遂行し、クリントン政権、オバマ政権、予定されるバイデン政権、民主党に頻繁に出入りしていて、体制に有機的に関与していた高位聖職者【マカリック】を軽めに非難していることから証明されるかもしれません。この信憑性【のなさ】は、堕落した同性愛者であり、若い男性や子どもへの性的変質者であり、聖職者たちや神学生たちを堕落させた者が、司祭が犯しうる最も憎むべき罪の一つである告白において「sollicitatio ad turpia」【肉の罪を求める】という罪を含む、自らを汚した不法行為のために、実刑判決を受けることなく、また破門されることなく、単に枢機卿と聖職者状態の尊厳をはく奪されただけだという事実によっても裏付けられるかもしれません。この「プロセス」においては、【報告書に】省略されていた要約文と同じように、有罪の霊的な次元が完全に欠如していました。この罪を犯した者は、永遠の救いのために命じられた非常に効果ある制裁である破門を受けることもなく、悔い改めをし、公に改心と償いをするように命じられることもありませんでした。

独立委員会

第二次世界大戦後、ナチズムの犯罪に対するニュルンベルク裁判が行われたとき、法廷はロシア人裁判官が裁判長を務めていましたが、その裁判官は、私たちが知っているように、ドイツがまさにロシアとともに行ったポーランド侵攻を裁くことを任されていました。マカリック事件の責任をヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世、そしてこの文書の署名者【ヴィガノ大司教】に押し付けようとしている今日の状況と、これとの間に大きな違いはないように私には思えます。国務省の語る物語の中で、触れることができない唯一の人物は、いかなる疑惑にも、いかなる非難にも -- それがたとえ間接的であっても、あるいはいかなる隠蔽工作の影であっても -- それは明らかにかのアルゼンチン人【フランシスコ教皇】でなければならないのです。

独立委員会が作られることが適切であるように思われます。これは、2018年11月に米国司教協議会がすでに希望していたものでしたが、その後ベルゴリオの命令で司教省によってしっかりと阻止されました。この委員会があれば、外部からの影響を受けず、決定的な証拠を隠すことなく、この事件を調査することでしょう。しかし、私は、米国司教協議会のこの実現しそうにない希望が聞き届けられることはないと思っています。なぜなら、次回の枢機卿会で枢機卿に昇進する人々の中には、【教皇の】最も忠実なしもべであるスーピッチとトービンの仲間入りをするサンタ・マルタ館【教皇の住居】の命令の執行者であるワシントン大司教がいますから。

もし事件の全容が本当に明らかにされるならば、この数年間に構築されたカードづくりの家全体が崩壊し、最高レベルの位階階級のメンバーの共謀とともに、米民主党や世界的な左翼との結びつきも明らかになることでしょう。つまり、多くの人々がまだあえて認めようとしないこと、すなわち、ヨハネ二十三世の選出以来、教会が新世界秩序のしもべとなり、教皇を反キリストの偽預言者に置き換えることを可能にするような神学的な前提条件と教会的な環境を作り出すことで、「ディープ・チャーチ」が果たした役割が裏付けられることになるでしょう。もしこれがまだ完全には起こっていないのであれば、私たちはただ御摂理に感謝するしかありません。

知的な誠実さ

穏健派は、不正選挙やマカリック報告書という茶番劇を非難するのを沈黙するのと同じように、今日も新型コロナウイルス感染症に直面して沈黙していますが、第二バチカン公会議に疑問を呈するという話を聞いただけでぞっとしているのではないでしょうか。民主党もまた、そのおかげで米国が有権者の意志が覆されたのを見るようになった法律への批判を聞いて、ぞっとしています。自称健康の専門家たちは、科学的真理や疫学的証拠とは対照的な自分たちの主張が争われているのを見て、ぞっとしています。不法移民の受け入れの支持者は、それらの同じ不法移民によって犯された殺人、レイプ、暴力、強盗の割合を見せられたときに、ぞっとしています。同性愛ロビーの支持者たちは、聖職者が犯した捕食的な性質の犯罪が、非常に高い割合の同性愛者が関与していることが示されたときに、ぞっとしています。このような一般的な「衣服の引き裂き」【悲しみのとき】において、苦しくても証拠を直視するだけの少しの知的正直さと少しの批判的判断力があれば十分であることを、私は思い起こしてみたいと思います。

異端と同性愛のつながり

教理的逸脱と道徳的逸脱の間にあるこの本質的なつながりは、マカリック事件を隠蔽した人々との正面衝突の際にはっきりと浮かび上がってきました。関係者はほとんど常に同じであり、信仰と道徳に反する同じ悪徳を持っています。彼らは、立法者の活動や、政府あるいは他の行政機関の決定に自分たちの利益のために影響を与えることができる力を持つグループとして理解される、真の意味で正しい「ロビー」の一部であるため、お互いに擁護し合い、かばい合い、助け合っているのです。

教会という戦場では、このロビーは、同性愛に対する道徳的非難をなくそうと活動していますが、まず自分たちの利益のためにそうしています。それはこのロビーが主に同性愛者で構成されているためです。このロビーは、やはり悪徳に身を染めている政治家たちによって推進されているLGBTQ運動の要求を正当化する政治的な行動計画(アジェンダ)に順応しています。そして、ここ数十年の間にカトリック教会が --- もっと正確な言い方をするならば、道徳的、教義的に逸脱した教会の一部分が --- 同性愛に関する「オヴァートンの窓」(Overton window)【多くの人に受け入れられる思想は窓のように一定の範囲の中に限定されているが、その窓は大きくなったり動いたり変動するという考え】を大きく開くことで、教会が常に非難してきた自然に反する罪【という主張】が、ますます明るみに出ている不祥事という証拠により、或る意味で否定されたという意味で、果たした役割もまた明らかです。

40年前には一人の司祭が小さな少年にいかがわしい行為をしたことを知ることが恐ろしいことだったのですが、今では、この数年の間に、聖職者たちが麻薬つきで売春婦と一緒にパーティーを開いていた聖邪検省の宮殿にあるコッコパルメイロ枢機卿の秘書のアパートにバチカン憲兵隊が突入したことがニュースで報じられているのです。【ここまできてしまうと】ここからはごく小さな一歩で、特定の政治家たちが望むように小児性愛を合法化するようになってしまうでしょう。未成年者のいわゆる「性的権利」の理論化によって作られた前提、国連の勧告による小学校での性教育の義務化、同意年齢を引き下げるための法律を議会で通過させようとする試みなどは、すべて同じ方向に向かっています。

素朴な人ならば、-- まだ素朴であると語ることが可能であると仮定して -- 「途切れることのないカトリックの教導職に矛盾するので、教会が子どもの堕落を支持すると言うことは決してできないでしょう」と言うでしょう。私は、いわゆる同性愛者の「結婚」について、あるいは女性の叙階、聖職者の独身制の廃止について、または死刑の廃止について、わずか数年前に言われたことを、思い出すことにとどめたいと思います。しかし、その逆のことが、今日ではとがめもなく、この世からの拍手で肯定されているのです。

マカリックの「ライン」

報告書で注目すべきなのは、報告書に含まれていることよりも、報告書が書いていないこと、そしてそれがどれほど恐ろしいものであっても、山のような文書や証言の下に隠されていることです。多くのジャーナリストや多くの聖職者は、この「赤い帽子をかぶった男」【マカリック】のスキャンダラスな人生を知っていました。

それにもかかわらず、彼は、「ディープ・ステート」の表現としての民主党や「ディープ・チャーチ」の表現としての進歩的カトリックの利害のために、マキャヴェリ主義的【権謀術数的】に役立つとみなされていたのです。月刊誌「ワシントニアン」が2004年に、「大統領選で物議を醸しているカトリック教徒[ジョン・ケリー]と共に、この枢機卿はワシントンにいるバチカンの男として多くの人に思われている、そして彼は次のローマ教皇の選択に大きな役割を果たすかもしれない」(ここ)と書いています。

マカリックが2013年10月11日にヴィラノヴァ大学で行った演説で誇らしげに主張した役割は、今日では、聖なるローマ教会のカメルレンゴ【枢機卿たちのトップで教皇選出の時には指揮をとる責務がある】にベルゴリオが任命したおかげで昇進したファレル枢機卿によって、再び実現する可能性があります。「ラベンダー・マフィア」のメンバーの間で強化されている忠誠関係を考えれば、マカリックが、友人や共犯者のネットワークのおかげで -- その内の何人かは枢機卿で教皇選出選挙権の有権者である -- というだけではなく、コンクラーベの手続きやその準備に積極的な役割を果たすことによって、教皇選挙に対して介入できると考えるのは、少なくとも理にかなったことです。

米大統領選挙での不正選挙に気が付いた後に、もしも「誰か」が教皇の選挙を操作しようとするとしたら、私たちは驚くことになるでしょうか。すでに何人かの関係者に指摘されているように、前回の【フランシコ教皇選出のための】コンクラーベの2日目の4回目の投票で、投票用紙のカウントに不正が発生し、新たな投票によって修正されたのですが、その修正は1996年にヨハネ・パウロ二世によって公布された使徒的憲章「ウニヴェルシ・ドミニチ・グレジス」(Universi Dominici Gregis)の規定を逸脱していたことを忘れてはならないでしょう。

しかし、一方では、マカリックは今ではその地位から追放され、秘密の場所に住んでいますが(そこでは素人を装って匿名で「ディープ・ステート」や「ディープ・チャーチ」のための「パラディプロマティック」(paradiplomatic)【正式な外交関係以外の疑似的な外交関係】活動を邪魔されずに続けることができます)、他方では、マカリックのおかげで教会のキャリアを積んできた人たちは皆、まだ自分たちの地位にいて、昇進さえしているということは重要です。彼らは全て、共通の生活様式と共通の意向のためにマカリックが待遇した人々であり、皆が自分の地位のおかげで知ることになった秘密のせいで恐喝されやすかったり恐喝したりする人々であり、彼らは皆、もし誰かが仲間に手を出そうとするなら、名前と状況と日付を引き出す準備ができている人々です。マカリック氏が、今もはや教会のプリンス【枢機卿】ではないとしても、もしマカリックが、彼らを脅迫することができ、彼らに自由に使える巨額の金で賄賂を贈ったりすることができれば、まだ彼に従わざるを得ない人々もいることでしょう。
この枢機卿が始めた「ライン(系統)」【ライン(line)は通常、司教聖別の系統を表すが、ここではマカリックの同性愛関係の系統を示す】は、私たちが見ているように、今日、教会と社会の生活に干渉し、働きかけることが可能であり、「ラベンダー・マフィア」全体の罪を都合の良いスケープゴート【マカリック】の上におしかぶせたという利点を生かして、あたかも虐待の疑惑を知らない人であるかのように表に出てくることができるのです。

しかし、ポルタ・アンジェリカの門【バチカンとサンタンジェロ城を取り囲む中世のレオの壁に開いた門】をくぐるだけで、表には出てこない複数の人物に出くわすことができ、その中には、海外で彼らに対して係争中となっている捜査から彼らを救うためにバチカンに呼ばれた者もいれば、サンタ・マルタ館の常連であったり、そこで管理する職を務めていたりする者もいて、君主【教皇】の甘い目の下で共謀と共犯のネットワークを固めています。一方で、ベルゴリオの道徳的な役割を強調しても、それは高いレオの壁の向こう側では、とりわけペーニャ・パラ【大司教】やザンチェッタ【司教】が保護を享受していて、何も変わっていないという厳しい現実にぶち当たるだけです。

同性愛を非難しないこと

コメンテーターの中には、正しくも、失望させるような事実を強調した人もいます。マカリックが裁判に召喚された犯罪は未成年者への虐待にのみ関係しているのに対し、同意を得た大人との不自然な関係については、まるで一人の聖職者の不道徳で冒涜的な行為が非難されるべきではなく、その関係を私的な秘密の状態しておく方法を知らなかったという彼の不謹慎さだけが非難されるべきであるかのように、静かに受け入れられ、容認されているのです。これもまた、責任を負う人々に説明を求めなければならないでしょう。とりわけ弛緩した司牧的アプローチ -- 回勅「アモーリス・レティチア」でのテスト済みの方法に従って、同性愛についての道徳的非難をせずに -- を適用しようとするベルゴリオの意志がますます明確になっていることをすべて考慮しながら。

スキャンダルの有罪とされる者と被害者

この聖職者のスキャンダルから浮かび上がってくる逆説的なことは、ベルゴリオのマジック・サークル(魔法陣)にとって最後の関心事が、正義だということです。つまり被害者に補償をすることによって被害者に正義を与えるだけでなく(これは、さらに言えば、加害者が行うのではなく、信徒から寄付された物品を使って教区が行います)、模範的な方法で責任者を罰することによっても、正義を科すことは、最後に最後に払う関心事なのです。

国の法律で刑法上の犯罪と認められた罪だけでなく、成人が聖職者によって重大な罪に導かれてしまった道徳的な罪にも罰を与えなければなりません。神学生や司祭も含めて、多くの若者たちの心の傷、純潔の汚れを誰が癒やすというのでしょうか。それとは対照的に、発見されて公開処刑にさらされた人々は、自分たちのほうが真の被害者であると考えているように見えます。彼らは自分たちの利益や不正な取引、陰謀を邪魔されていると感じています。一方、兄弟のうちの一人の倒錯を勇気をもって自分の司教に知らせたために、転任させられたり、精神的ケアを奪われたりしている司祭たちをはじめとする、スキャンダルを糾弾し、正義と真実を求める人々は、有罪であるとみなされているのです。

聖なる教会が役務者たちの罪の犠牲者

しかし、これらの不祥事による全く無実の犠牲者がもう一人います。聖なる教会です。これらの罪を犯した人々は、彼らが身につけている身なりに置かれた信頼を悪用し、霊魂を陥れ堕落させるために司祭や高位聖職者としての自分の役割を利用して行動したため、キリストの花嫁【である教会】のイメージは汚され、屈辱を受け、信用を失墜させられました。教会の信用を失墜させた責任者には、バチカン、教区、修道院、カトリック学校、修道団体、私が思うには例えばボーイスカウトなどの人々も含まれています。彼らは、芽を摘むことなく隠蔽してまでも否定したのです。この同性愛者と変質者の侵入が計画され、意図されたものであることは、今になって明らかになっています。それは、管理を怠ったためだけに起こった偶然の出来事ではなく、教会を内側から破壊するために組織的に教会に浸透させようとする綿密な計画でした。そして、主がご自分の花嫁の統治を託し給うた人々は、このことについて主に答えなければならなくなるでしょう。

しかし、これらすべてのことにおいて、私たちの敵対者は、教会が、盲目的に傭い人に従う顔のない人々の顔のない集まりではなく、むしろ私たちの主イエズス・キリストという天主なるかしらを持つ生ける体であることを忘れています。浄配【なるキリスト】が介入しなくてもキリストの花嫁【である教会】を殺すことができると考えるのは、サタンだけが信じることができる妄想です。実際、サタンは、まさに2000年前に救い主が十字架につけられたのと同じように、教会を十字架につけ、教会を唾と鞭で覆うことにより、自分自身の決定的な敗北に署名していることに気づくことになるでしょう。O mors, ero mors tua: morsus tuus ero, inferne[死よ、私はおまえの死となるだろう。地獄よ、私はおまえの激痛となるだろう](オゼア13章14節)。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

2020年11月21日
至聖なる童貞マリアの奉献

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2020年11月29日(主日)待降節第1主日、無原罪の御孕りのノベナの始まり

2020年12月18日 | お説教・霊的講話
2020年11月29日(主日)待降節第1主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、

今日は待降節第1主日で、新しい典礼歴が始まりますが、同時に無原罪の御孕りのノベナも始まる第1日目です。

「無原罪の御孕り」というのは、私たちの贖いの神秘の、その最初の瞬間でした。

天主は、聖子イエズス・キリストの十字架の無限の功徳を既に先取りして、マリア様が聖アンナの胎内に御孕りになるその瞬間に、適用されました。

ですからマリア様はその存在の最初の瞬間から、もう目に見えない本当に小さな小さな命の始まりの瞬間から、既に無原罪であり、罪が赦され、全く清い存在でした。

この祝日を12月8日に、全カトリック教会は祝っています。そして今日そのノベナの最初の日です。

この事は、旧約聖書のゲデオンの羊の服で表れていました。

ある時、ゲデオンが「しるしを見たい。勝利するしるしを見たい」と言った時に、「もしもそうならば、私のこの羊の毛皮だけに露が落ちて、他はカラカラであるようにして下さい。」

朝起きて見ると、その通りになっていました。それ服だけがびしょびしょに露で濡れていました。

「これはマリア様の、『聖寵に充ち満てる御方である』という事の象りだ」と言われています。

ゲデオンは更に、「これではたまたまかもしれない。明日も、もう一つ奇跡を起こしてほしい。今度はこちらが、羊の毛皮がカラカラに乾いていて、地面だけがびしょびしょに露で濡れるようにして下さい。」

そうなっていました。

これは教父等によると、「マリア様だけが原罪の汚れを免れていて、そして『無原罪の御孕りである』という事の前印であった」と言います。

実に、1854年12月8日、ピオ九世教皇様がこのドグマを、この無原罪の御孕りのドグマを発表したその4年の後、1858年2月11日、フランスのルルドでマリア様が御現れになりました。そしてベルナデッタに名前を聞かれて、「私は無原罪の御孕りです」と答えました。

天は、マリア様は、実にこのカトリックのドグマの真理を確証して下さいました。

愛する兄弟の皆さん、ではマリア様のこの清らかな霊魂の神秘を黙想する事が良くできますように、今日からノベナを、9日間の祈りを始める事に致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




待降節第1主日の前の土曜日に、生まれてくる全ての命の為のミサ

2020年12月18日 | お説教・霊的講話
2020年11月28日(土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ(生まれる赤ちゃんの為のミサ)

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

このミサは、ベネディクト十六世の提案によって、待降節第1主日の前の土曜日に、典礼暦年の終わろうとするその土曜日に、生まれてくる全ての赤ちゃんたちの為に、その意向で、その命が生まれる為に、ミサを捧げています。

特に、日本での主要な第一の守護者である「聖母の汚れなき御心」のミサを、赤ちゃんたちの為にも捧げる事ができて非常に嬉しく思っています。

そしてその一人一人の、たとえ見えなかったとしても、赤ちゃんはお母さんのお腹の中で、ちゃんとお母さんとは独立して、人間として生きています。

全ての赤ちゃんたち、その命の大切さを御存知の皆さんが、このミサに与って下さって、赤ちゃんたちに代わって、感謝を申し上げたいと思います。

またマリア様に代わって、イエズス様に代わって、そして赤ちゃんたちの守護の天使たちに代わって、心からの感謝を申し上げたいと思います。

この一人一人の生命は、「永遠の命」を受ける為に、この世に生まれようとしてきています。永遠の命が懸かっている、このたった一度の人生です。

一度だけの生まれ変わりのない人生ですから、守ってあげなければなりません。もしも私たちが守らなければ、誰が赤ちゃんを守る事ができるでしょうか。

イエズス様は、「最も小さな者にした事は、私にしてくれた事だ」(マテオ25:40)と仰います。皆さんはこの為に大きな報いを必ず受けます。この祝福を受けて下さい。

そして日本では、10万人以上の赤ちゃんたちが毎年、命を落としています。生まれてくる6人に1人が殺されています。ですからこの命が守られますように、マリア様にお祈り致しましょう。

そして日本が、命を大切にする、永遠の命の為に開かれた国となりますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




【再掲】晩課のマニフィカットのアンティフォナ「おお、アドナイ」O Adonai!

2020年12月18日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日の晩課のマニフィカットのアンティフォナは「おお、アドナイ」でした。

おお、アドナイ(主)よ、イスラエルの家の導き手よ、御身はモーゼに赤き炎の火において現れ給い、彼にシナイ山において法を与え給えり。伸ばした腕において我らを贖う為に来たり給え。

O Adonai, et dux domus Israël,
qui Moyse in igne flammae rubi apparuisti,
et ei in Sina legem dedisti:
veni ad redimendum nos in brachio extento.








2020年12月25日(金)東京での聖伝のミサの予定

2020年12月17日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

 
愛する兄弟姉妹の皆様!
 
今年のクリスマス、ますます祈りが必要な現代世界の為に、私たちの為に人となり生まれた主イエズス・キリストを礼拝し、感謝し、賛美するために、聖なる日になりますようにいたしましょう!
 
東京では、12月25日の夕方にミサを予定しています。
 
曙町会館ではなく、当日と翌日26日のミサは入谷ホール2Fで行います。
お間違えのないようよろしくお願いいたします。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』

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Special Mass Location-20201225-26.pdf

 

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この両日のスケジュールは下記の予定です。

 
12月25日(金曜日)ミサ二回
入谷ホール2F
 
17:30頃から:告解開始
18:00:読唱ミサ(御降誕の日中のミサ)
19:00過ぎから:ミサ終了後、告解
19:30:歌ミサ(御降誕の日中のミサ)
 
12月26日(土曜日)
入谷ホール2F
 
08:00頃から:告解開始
08:30:歌ミサ(聖ステファノ)ミサの開始時間にご注意ください。
 
また今回は入谷ホールのいつもの3Fではなくより広い2Fを予約しました。(3Fの部屋の方が2Fより31m2広く、椅子の数も30脚多くなっています。)お間違えの無いようお願いいたします。

また、例年通り、ミサの直後に幼子イエズス様に「接吻する」式をする予定です。(ただし、今年はコロナウイルスのため実際に接吻することはできませんので、それに代えて御像の前で跪いていただくか、礼をしていただくだけになる予定です。どうぞご了承ください。今年の聖金曜日の十字架の礼拝の時と同じような形式にする予定です。)

今年はコロナウイルスのため、クリスマス・パーティーは行いません。ミサの後の感謝の祈りで終了です。ご理解をお願い致します。

大変心苦しいのですが、コロナ対策の一環として、換気をよくするために窓を開けてミサを行う予定です。寒くない服でお越しくださるようにお願い致します。

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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】