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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

明日7月6日は、聖マリア・ゴレッティの祝日です。聖マリア・ゴレッティの生涯をご紹介いたします。

2017年07月05日 | カトリックとは
聖マリア・ゴレッティ:十一歳で亡くなったイタリアの貞潔の殉教者

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 7月6日は、聖マリア・テレサ・ゴレッティの祝日です。過去の記事ですが、聖マリア・ゴレッティの小さな伝記をご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖マリア・テレサ・ゴレッティ


イタリア語による1949年に制作の映画


イタリア語による最近の映画


トレーラー


英語によるドキュメンタリの動画


スペイン語による動画



十一歳で亡くなったイタリアの貞潔の殉教者(一八九〇~一九〇二)

 マリア・ゴレッティの物語は多くの人々にとってすでになじみ深いものです。貞潔に反する重大な罪への同意を拒んだ一人の少女の物語。あまり知られていないことですが、マリアは最期の劇的な拒絶の前に、甘い言葉と脅しにも抵抗していたのでした。マリア・ゴレッティの列聖は、罪に抵抗したただ一度の戦いに基づいているのではなく、彼女の短い一生を通じて実行された英雄的徳によるものでした。マリアにとって罪を犯すよりも死ぬことは、もう一つの選択──死を避けるために罪を犯すことよりもずっとずっと自然な選択だったのです。

 マリアの物語は彼女の家庭とともに始まります。家庭は彼女の英雄的選びを培った道徳の礎となる場所でした。母アスンタは読み書きを習ったことのない孤児でした。マリアの父は兵役義務を終えた後、故郷のコリナルドに戻り、アスンタと結婚して、生計を立てるため農場を始めました。この夫婦にとって、天主と聖母とお互いへの愛だけが、自分たちを養う術でした。

 アスンタは正規の教育を受けるため学校には一度も行ったことがありませんでしたが、天主の愛を教会から学び、この偉大な愛を、言葉と振る舞いで家族に伝えたのでした。夫のルイジも天主への深い愛と信心を持っていました。この勇気ある夫婦は、自分たちの貧しさと生き方を辛く思うよりも、すべてを天主のご意志として受け入れ、子どもたち一人一人の誕生を天主からの贈り物として、喜んで迎えたのでした。このような愛の学びは、子どもたちに受け継がれました。長男が夭折した後、ルイジとアスンタにはもう一人男の子が生まれ、一八九〇年十月十六日、女の子が生まれました。子どもは感謝のうちに聖母とカルメルの大聖女にあやかって、マリア・テレサと名づけられました。マリアは誕生の翌日に洗礼を授けられました。これは死の危険があったからではありません。母アスンタは原罪への大変な嫌悪を持っていたので、とにかく誕生の瞬間からできるだけ早く我が子を原罪から解放してやるための時間を無駄にしたくなかったのでした。マリアとその兄も当時の習慣に従って、コリナルドで堅信を受けました。

 四人の子どもが一家に加わり、元々貧しかった家庭はよりいっそう貧しくなりました。コリナルドに、一家は小さな家とわずかな土地を所有していました。ルイジはその土地を豊かにしようと努力しましたが、一家を養う糧を生み出すほどの広さはありませんでした。一家には財産はほとんどなく、聖母の小さなご絵は大切な宝物だと考えられていました。子どもたちにはおもちゃがなかったので、りんごや石が遊ぶためのボールの代わりになりました。マリアにはたった一つのお人形もありませんでした。子どもたちは貧しさのために学校に行ったことがありませんでしたが、このような生活にも関わらず、家族全員が幸せでした。食料不足が非常に深刻になって、ようやく対策を講じなければならなくなりました。

 ルイジとアスンタは、イタリアのこの美しい場所にある二人の小さな家を愛していました。しかし、経済的状況をよりよくするため、二人は別の場所で小作人になることを決めました。二人には、この引っ越しが子どもたちに必要なものを与えてやれるだろうとわかっていました。「私たちは自分自身のことを思い煩うべきではないけれど、子どもたちは善い神様からの贈り物だ。あの子たちに必要なものを与えることで、私たちの感謝を示さなければならない」と、ルイジが説明したようにです。

 さて、マリアはどうだったのでしょうか? マリアが六歳の時、従順であること、よく祈ること、そして天主とそのおん母を愛することを娘に教えたのは、母親の功績だと父緒は考えていました。他の六歳の子どもたちと同じようにマリアは遊んだし、野原を駆け回り、花を摘んだりしていて、にこにことよく笑う子どもでした。わずか六歳であっても、マリアには年齢を超えた理解力があったようだと、母アスンタは私たちに伝えています。マリアは従順でしたが、助けを願われるのを待っているよりも、自分からこの名誉を乞い願うのでした。遊ぶことが大好きでしたが、弟たちを面白がらせようと一緒に遊んでやり、彼らが母親に面倒をかけないようにしていました。マリアの列福のために証言した人々は、彼女がほがらかであったと口を揃えて言いました。

 マリアが八歳のとき、一家はポンティノ沼地(Agro Pontino, Marais pontins, Pontine Marshes)へ引っ越しました。この土地の大部分は農地改革によって現在は改善されていますが,一家が引っ越した時には、イタリアで一番痩せた土地の一つでした。湿地帯であったため疫病が蔓延していました──特に蚊が原因でした。空気でさえ健康には良くないと言われていました。マリアの父は、仕事仲間のセレネリ氏とその十六歳の息子、アレッサンドロとともに、マッゾレーニ伯爵の小作人になりました。

 フェリエーレ・ディ・コンカ(Ferriere di Conca)というところで、ゴレッティ一家とセレネリ一家は古い乳牛小屋の二階の家屋へと移り住みました。これ以前に、ゴレッティ家はこのポンティノ沼地の最悪の地域へと引っ越すことを話し合ったとき、ルイジはここの雰囲気が子どもたちに及ぼす影響について憂えていました。アスンタは、マリアはどこにいても自分たちの喜びとなってくれるでしょうと予言しました。その通り、マリアは幸せな、頼りになる子どものままでした。マリアはマリエッタと呼ばれ、優れた善い性質のおかげで、彼女を知るすべての人々から愛されました。マリアは長い明るい栗色の髪の毛の可愛らしい子でした。いつもきれい好きでこざっぱりしていましたが、うぬぼれたところは少しもありませんでした。マリアの友人や遊び友だちの多くは、宝石やレースがないときは、ばらの花で髪の毛を飾っていました。ポンティノ沼地でルイジが最初に小作人となって働いた地主は、見回りの途中、髪飾りの花をつけていないこの少女に気づきました。地主は小作人の親方にマリアを紹介するように頼み、少しばかり会話を交わした後、マリアは遊び友だちのところへ戻されました。親方は地主に「マリエッタはみんなの人気者なんでさ。可愛い上に気だてもいいし、あの年の子にしちゃ頭も冴えてますよ」と説明しました。マリアの美しさを引き立てるためには、ばらの花など必要ないのだと地主にはわかりました。


 マリアが九歳になる頃には、一家の雑用を引き受けることになりました。彼女はいつも親切に時間を割いて使い走りをこなし、自分を必要としている家へとできるだけ早く戻るのでした。町中でのちょっとした立ち話のときでさえ、行商人たちは、家事をするために送られるこの子が、特別なものを持った少女だと感じ取っていました。彼らはたいていマリアにささやかな贈り物をしました。マリアが心から感謝してくれるからでした。ある日、マリアは食料品店で少しばかり買い物をしました。店の主人のジョバンニは「ほら、お嬢ちゃん、あんたのためにおいしいりんごを取っておいたよ」と言いました。マリアは大喜びで彼に感謝すると、りんごを買い物袋に滑り込ませました。ジョバンニは驚いて、りんごをどうするつもりなのかと尋ねました。マリアは元気よく、弟のアレッサンドリーノにあげるのだと答えました。りんごは弟の好物だったからです。これを聞くと、ジョバンニはシュガー・クッキーをマリアにあげました。マリアはもう一度彼に心からお礼を述べましたが、クッキーを食べようとはしませんでした。ジョバンニは「マリエッタ、そのクッキーをどうするつもりなんだい?」と聞きました。マリアはひどく申し訳なさそうに、家にいる妹のエルシリアに持って行くつもりだと説明しました。彼女は自分たち一家にとてもよくしてくれた店の主人に感謝して、帰ろうとしました。けれどもジョバンニはマリアのために何かをしてやらねばと決意し、マリアが自分のささやかな贈り物を受け取ってくれないなら、とても辛いよと告げました。彼はクッキーをもう一つマリアに手渡し、これはマリアのためのクッキーだからと言いました。ジョバンニをがっかりさせたくないので、マリアはその場でクッキーを食べ、もう一度彼にお礼を述べました。


 マリアの人並み優れた資質──親切、ほがらかさ、従順、そして人なつこさ──のために、この地域の多くの人々は、彼女に注目していろいろと噂をするのでした。マリアはこの噂にはまったく気づいていませんでしたが、母親の耳には入りました。母親は「あの子は自分のやるべきことをやっているだけですよ」と答えるのが常でした。でも、時が経つにつれ、マリアは本当に特別な子どもだと母は感じたのでした。マリアの死後、何年も経ってから、アスンタは、マリアが自分から機嫌を悪くしたり、背いたりしたことをまったく思い出せないと述べるでしょう。ゴレッティ家は経済的にはうまくいったように見えました。セレネリ家と協力して働いた時ですらそうでした。過労のために疲労困憊したルイジは、湿地帯でおなじみの多発していた病──チフス、マラリア、髄膜炎、肺炎にかかりました。彼が死ぬまでの十日間、アスンタは夫の病床に付き添いました。十歳のマリアがすべての料理を作り、雑務をこなし、弟や妹たちをなだめるのでした。マリアもまた絶えず祈っていました。マリアは手首にロザリオを巻きつけておき、すぐ手元にロザリオがあることで、空いた時間に祈ることができるようにしました。一九〇〇年五月、ルイジは死の前に、子どもたちを連れてコリナルドに帰るようアスンタに懇願しました。

 ルイジの死によってアスンタは、畑で男がする肉体労働を引き受けなければならなくなりました。アスンタは、この土地から引っ越すことは無理だと感じていたので、一家はポンティノ沼地に住み続けました。マリアはゴレッティ家と、そしてセレネリ家のために必要な家事をしながら「母の務め」の立場を引き受けました。マリアは料理が得意ではありませんでしたが、料理がまずいと責められると、アスンタのように料理ができないことを、ただ詫びました。不幸なことに、一家はさらに悲惨な貧しさへと落ち込んでいきました。原因の大部分はセレネリ氏の吝嗇にありました。彼はある時、自分の食事のとき以外に子どもたちが食べられないよう、食器棚に鍵をかけておきました。アスンタはこの問題を解決するために地主に頼る他はなく、この行動は、セレネリ氏の目にアスンタが反抗していると映り、もう一つの争いの原因となったのでした。

 マリアが当時、自分の義務だと心得ていたことの一つは、彼女が教えられたように弟妹たちを教えることでした。マリアは祈りを教え、物語を聞かせてやりました。正式な教育を受けたことはないにも関わらず、マリアはいつも教会から帰ると、教わった聖書の物語をほとんど一字一句間違いなく繰り返すのでした。この当時の一家を知っていた人々の証言によると、マリアが父親の死後、すべての責任を受け入れ、効率よくだけでなく、喜びとほがらかさをもって実行していたという事実が残されています。マリアは疲れた様子をまったく見せませんでした。マリアが遊んでいる時は、自分が楽しむためではなく弟や妹たちを喜ばせるためでした。一家にスープの鍋を運んできた友だちは、マリアは最初、自分以外の全員にスープを配り、自分のためにはほんのわずかしか取っておかなかったと記憶しています。このことを不審に思われると、お母さんと兄さんは重労働をしなければならないので栄養が必要だし、弟や妹たちはまだ小さいのだから、ごちそうが与えられるべきだと言い訳するのでした。それに加え、マリアはたびたび母を慰め、元気づけ、必要なものとご保護を求めて、天主と聖母に全面的に頼るよう勧めるのでした。父の死は、マリアのうちに蓄えられた精神の強さを引き出したのです。

 父を失ったことに加え、マリアが口にしていたもう一つの唯一の悲しみは、初聖体まで長く待たされたことでした。アスンタはこの秘跡に対して大いなる敬意を持っていたので、マリアが読み書きができないから、また、一家にはお金がないのでドレスを用意してやれないからだと説明しました。アスンタはマリアが待たなければならないのを心配しました。マリアの返事は「大丈夫よ、ママ、神様がお計らいくださるわ」でした。マリアはというと、自分に要理を教えてくれる人について考えていました。その人は要理の勉強のためコンカへ歩いて行く前に、家事の義務をすべて放棄することを約束しました。一九〇二年の春の間中、十一歳のマリアは聖主をいただくための準備をするにつれて、精神的に成長したように見えました。この天主の愛は、周囲の人々のために、日々の仕事を喜んで、よりいっそう積極的に果たすための意欲へと変えられていったのでした。

 五月には教区の司祭がマリアをテストしてみると、マリアがご聖体を受けるための準備がよくできていることがわかりました。白いドレスとレースと真珠をマリアのためには準備できませんでした。その代わり、一九〇二年五月二十九日の朝、マリアはベッドから起き上がると近所の貧しい人がくれた贈り物で身支度しました。贈り主はそのことを名誉に思っていました。アスンタは細かい白の水玉模様のあるワインカラーのドレスを用意しました。ある友人は新しい靴を一足、もう一人はヴェール、三人目はろうそくを持ってきてくれました。さらに別の友人は生花で作ったリースを持ってきました。最後の仕上げに、アスンタは夫ルイジがくれた二つの宝物──珊瑚のネックレスと金のイヤリングを持ってきて、娘を飾り立てました。

 マリアの繊細な良心は、もう一つ、最後の準備へと自分を向かわせました。家の中をあちこち回って、自分の家族とセレネリ一家に、犯したかも知れないすべてのあやまちの許しを乞いました。その後、一家全員はもう一度初聖体の儀式のためにコンカへと歩き出しました。初聖体拝領をする子たちに主席司祭が与えた言葉は「いかなる犠牲を払ってでも潔(きよ)くありなさい」でした。マリアがこの教訓をどれほどよく自分のものとしたかは、二ヶ月と経たないうちに証明されたのです。

 マリアは六月中に、さらに四回の聖体拝領をしました。またこの月の間に、アレッサンドロ・セレネリは二回、マリアに言い寄りました。アレッサンドロは二回とも家の中でマリアと二人きりになろうとしました。この二十歳になろうとしていた青年に、マリアは兄弟のように接していましたが、彼は急にマリアにおべっかを言い出し、近づいて彼女に触ろうとしました。本能的に、マリアは彼が何をしようとしているのかを悟り、純潔な彼女の霊魂は嫌悪を抱きました。アレッサンドロはマリアがもし誰かにこのことを話したら殺してしまうぞと二回とも脅しました。マリアは沈黙を守りましたが、殺されるかも知れないという恐れからではありませんでした。そうではなく、アレッサンドロの悪事を暴露したら、母に心配をかけ、一家が路頭に迷うことになるかも知れなかったからです。六月の間、マリアはできるだけアレッサンドロに近づかないようにし、彼がいるときにはいつも母から離れないようにしていました。こうすることでアレッサンドロと向き合うどんな機会をもマリアは避けようとしたのです。この残酷な殺人者、マリアを強姦しようと企んでいたアレッサンドロとは、どんな人物なのでしょうか? 彼が幼少期に母親を亡くした後、荒々しく乱暴な父親に育てられたということに、精神分析医は興味を抱くかも知れません。十代の数年間を孤独のうちに過ごし、波止場で働きながら、彼はありとあるゆる悪習の中にさらされました。少しばかりの教育を受けましたが、彼の一家はゴレッティ家と変わらない貧しさの中でずっと生きてきました。アレッサンドロは無口でたいへん内気で、アスンタはのちに、アレッサンドロはいつも自分の部屋に閉じこもっていたと証言しました。彼は自室で暴力描写であふれ返った新聞を読んでいました。伝記作家の何人かは、彼がボルノを読みふけっていたと言っていますが、正確に言えば、こういった新聞は官能的というより、暴力や殺人のニュースを報道して、それを煽るような記事を書いていました。いずれにせよ,不健康な読み物でした。

 一方、アレッサンドロと父親がゴレッティ家と共同生活を始めた頃、アレッサンドロは善い性質をたくさん見せていました。ミサにあずかり、ゴレッティ家とともに家族で唱えるロザリオの祈りにたびたび加わりました。畑では働き者で、時には父親の暴言に対抗して、何度となくゴレッティ一家を擁護したのです。アレッサンドロ自身の証言によると、一家で唱えるロザリオの祈りの時に、彼はマリアがどんなに美しいか初めて気づいたのでした。また、祈りの時、この少女はただ口先だけで唱えていたのではなく、心から祈っていたことにも気づいていました。

 一九〇二年七月五日、土曜日の朝、ゴレッティとセレネリの一家は、家から約一三〇ヤード離れた畑で働いていました。昼食の後、セレネリ氏は階段の下で眠り込み、他の者たちは畑に戻りました。マリアは踊り場に腰を下ろして、縫い物をしながら眠っている赤ん坊の妹の子守りをしていました。ゴレッティ家の他の子どもたちは、ギイギイと音を立てる脱穀機に母親と一緒に乗っていました。アレッサンドロはアスンタと一緒にいた先頭の牛たちの後ろに移動し、家へ戻りました。彼はマリアを無視して自室へ行き、ハンカチを持ってもう一度マリアの前を通り過ぎ、階下の貯蔵庫へと入って行きました。後になってわかったことですが、彼は九インチ半の長さの先の尖った鋭いナイフを所持していたということでした。彼はふたたび家へ戻り、マリアに自分のところに来るよう呼びました。

 マリアが理由を聞き返すと、アレッサンドロは自分の要求を繰り返しました。マリアはなぜなのか理由を言わない限り行くつもりはないと伝えました。アレッサンドロは踊り場へ出て来ると彼女を家の中へと引きずり込みました。マリアのあげた悲鳴は、照りつける太陽のもとでぐるぐる回り続ける脱穀機の立てる大きな音にかき消されました。アレッサンドロによると、マリアの言葉は「だめ、絶対にだめです! 何をするつもり? 私に触らないで! それは罪です──あなたは地獄へ行くわ!」でした。マリアは自分の身を守ろうとの本能的な戦い以上に、アレッサンドロを地獄に落とす罪の機会について考えていたのです。彼女は全力で抵抗しましたが、 頑健な若い男に長時間の抵抗は無理でした。アレッサンドロはマリアの口にハンカチを押し込んで猿ぐつわの代わりにしましたが、自分よりも強力な意志に直面して彼女に触れることはできませんでした。

 この時点でアレッサンドロはナイフを取り出し、マリアを刺し始めたのでした。刺し傷がいくつあったのか、報告はまちまちですが、病院では十四カ所の大きな刺し傷を治療しました。脱穀機の音のせいで、畑にいた人々はマリアの助けを求める悲鳴が聞こえませんでした。踊り場にいた赤ん坊が物音に目を覚まし、泣き出しました。赤ん坊の泣き声は階段の下にいたアレッサンドロの父親を起こし、そちらのほうをちらりと見たアスンタは赤ん坊のそばに誰もおらず、踊り場から落ちる危険に気づきました。セレネリ氏とアスンタは家の方へ走って行き、そこで二人はドアに向かって這い寄ろうとしていたマリアを発見したのでした。何があったのかと聞かれ、マリアはアレッサンドロに刺されたのだとはっきり答えました。「彼は私に悪いことをさせようとしたの。私は拒みました。」

 その地方の医者が到着し、マリアの傷を包帯で縛った時、マリアは苦痛のせいで悲鳴も出ませんでした。ですが、時間が経つにつれ「おお、アレッサンドロ、なんてかわいそうな人! あなたは地獄へ行くわ!」と言いました。救急車が到着するまでには人だかりができていました。何人かが自室に閉じこもっていたアレッサンドロを引きずり出し、警察が彼を連行しなかったら暴行を受けていたかも知れませんでした。多くの人々は救急車の後を追い、徒歩で病院までついて行きました。病院に着くまでの間、死ぬ前の二十時間の激しい苦痛に苛まれた時をマリアは過ごしました。

 マリアは長い間意識がありました。一言も文句を言わず、痛みで呻き声をあげることもありませんでした。マリアは水を飲ませて欲しいと二回頼みましたが(傷が内蔵にまで達していて、水を飲むともっと傷が酷くなるからと拒まれました)、不満を言わずにこの慰めを放棄しました。また夜の間、母親がそばについているという慰めも同じく放棄しました。面会人は病院には泊まれないという病院の規則があり、アスンタは仕方なく救急車の後部座席で眠りました。

 マリアが病院に着いてまもなく司祭が呼ばれました、医者たちは手術しましたが、三人の医者にはもう手の施しようがありませんでした。司祭が到着すると、Bartoli医師は「神父様、できることは限られています。私たちは死の淵にいる少女を残して行きますが、あなたは天使を見つけるでしょう」と言い切りました。

 マリアの初聖体の時にご聖体を与えたのと同じ司祭が、最後のご聖体を運んできました。

 臨終の聖体拝領の前に、司祭は殺人者を心から許すかどうかマリアに尋ねました。マリアはなんのためらいもなく「はい、イエズス様への愛のために、私も彼を許します……天国で私と一緒に天国にいてもらいたいのです……私が彼を許したのですから、神様も彼を許してくださいますように。」


 マリアは午後三時を過ぎてすぐに亡くなりました。

 アレッサンドロの裁判は一九〇二年十月十六日、マリアの誕生日に開始されました。アレッサンドロは精神異常であったという口実で弁護されたものの、有罪判決を受けました。未成年だったので禁固三十年の判決でした。シシリア島に送られ、そこで八年間は自分の犯した罪に対してまったく反省や後悔のしるしを見せませんでした。ですが、魂が死んだままの数年間を生きてきたある夜、アレッサンドロは夢を見ました。彼は花畑にいるマリアを見ました。マリアは腕に抱えた白いゆりの花を何本か彼に差し出しました。この夢から数日のうちに、教区の司教がアレッサンドロに会見したいと要求し、それは叶えられました。一九一〇年十一月十日、アレッサンドロは司教に手紙を書き、自分が犯した恐ろしい罪の許しを乞いました。

 アスンタは、夫ルイジの最後の望みに従って、子どもたちを連れてコリナルドに帰りました。そこで彼女は一家を養いました。教区司祭の賄い婦としての職を得て、何十年も働きました。マリアの英雄的な生涯と死は忘れ去られませんでした。ご受難会の司祭たちは、マリアの亡骸を恩寵の聖母教会へと移す許可をアスンタに願いました。この願いは一九二九年に果たされました。聖ピオ十世はすでにマリアを、まことの献身の模範、そして若者たちに勇気を与える存在として掲げていました。この同じ年に、アレッサンドロはマリアの列福調査のために証言するよう求められていました。彼はこのときまでには釈放されており、労働者として静かな生活を送っていました。アレッサンドロはあらゆる非難を受ける覚悟で、進んで証言をし、マリアは襲われた時でさえ彼の霊魂の救いを考えていたこと、回心へと導いた夢の話を繰り返しました。一九三七年のクリスマス・イブ、アレッサンドロは司祭館で働くアスンタ自身の口から、確かな許しの言葉を聞くために、彼女を訪ねました。彼は涙を流してアスンタの許しを乞いました。マリアがあんなにも熱心に彼を許したならば、それを拒んだりはできないとアスンタは答えました。アスンタとアレッサンドロは、マリア・ゴレッティに捧げられた教会で、深夜のクリスマスのミサに一緒にあずかりました。

 一九四七年、教皇ピオ十二世はマリアを列福しました。彼女の死は殉教であるからとして、列福のためには奇跡は必要なかったのですが、その後、マリアの助けを求める人々の声が上がりだし、彼女の取り次ぎによって大変多くの願いが聞き入れられ、列聖に必要な二つの奇跡が、あっという間になんの疑いもなく証明されました。一九五〇年六月二十五日、マリアの列聖式が執り行われました。列福からわずか三年後のことでした。

 そのときまでにはすでに年老いていたマリアの母は、列聖式に出席しました。大変な人ごみだったので、儀式は聖ペトロ大聖堂を前に、外で行われなければなりませんでした。列福から列聖までの期間が最も短かった聖人の一人としてバチカンでは記録されています。

【参考資料】
聖マリア・ゴレッティ童貞殉教者

1890年10月6日、イタリアのアンコナで農夫の娘に生まれる。

1902年の12歳の時に聖女は19歳の農場手セレネリに襲われ、抵抗しつつ聖女は彼が地獄に行くであろうと叫んだ。
男は短剣で聖女を14回突き刺し、後に病院に運ばれた聖女は男を赦し、また彼の赦しを求めて十字架像と聖母マリアのメダイを握りながら2日後に帰天した。

男は服役中に聖女を幻視し、白い衣服を着た聖女が園の百合を集めて微笑みながら男に近づき、一抱えもある百合の束を受ける様に促した。
男がそれを受け取ると百合は白い炎と変わり、聖女の姿は見えなくなった。

この幻視によって男は深く回心し、服役後は修道士となった。またこの証言によって聖女は列福された。

1947年教皇ピオ12世によって列福。1950年同教皇によって列聖。

祝日7月6日。

子供、貧困、殉教者、マリアの子供達の保護者。

<祈願>

「”心の清い人は幸い”と教えられた主イエズス・キリスト、聖マリア・ゴレッティを汚れから守り恵みで満たし、聖女のうちに私達が仰ぐべき模範を示して下さいました。
過ぎ行くものの中で、罪の闇に迷うことなく、あなたの愛のうちにとどまる恵みを与えて下さいました。
小さな者に天国を約束された主イエズス、神の愛に生命を燃やし尽くした聖マリア・ゴレッティの心にならい、人生の歩みを全うすることができますように。 アーメン。」

 <祈願Ⅱ>
「ああいと清くして潔白なる聖マリア・ゴレッティよ、罪を犯すを避けんがため、及びイエズスへの愛がために御身の生命を捧げ給いたり。

御身を襲いたる者をば赦し、かつその者の安泰をば望まれ給うた御者よ、日々我を導き、守り、全ての者を赦しかつわが心の全てを持ちてイエズスを愛し奉るを我に教え給え。
聖父と聖子と聖霊の御名によりて。 アーメン。」

<祈願Ⅲ>
「純潔を愛し給う、潔白の源なる御父よ、御身は聖マリア・ゴレッティに、キリストへの証として生命を捧ぐる特権を与え、殉教の冠を与え給いたれば、彼女の祈りが御身の御教えにおいて我らを忠実に保たんことを。
我らこれを唯一の天主、御身と聖霊と共に世々に生き、かつしろしめし給う御子、我らの主イエズス・キリストによりて願い奉る。アーメン。」

<祈願Ⅳ>
「天主の聖寵によりて強められし聖マリア・ゴレッティよ、御身は十一歳の御年にあられしとも、御身の血を流し、御自らの生命を犠牲と為し、清浄なる純潔を守るに臆し給わざりき。
永遠の救霊の道より遠く迷えし、幸いならざる人類を憐れみ深くみそなわし給え。
我ら全て、殊に若者に勇と激励とをもってイエズスを怒らし得ることごとくを取り除くを教え給え。
罪への大いなる恐れを天主よりわがために得させ給いて、わが霊魂が汚れより守られ、地上においては聖なる生涯を生き、天の御国においては永遠の栄光の得られんことを。アーメン。」



【ロザリオの十字軍】日本から総計、ロザリオ17,647環、犠牲 58,866回が報告されました

2017年07月05日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年 7月 05日現在、

日本から今までの総計で、ロザリオ17,647環、犠牲 58,866回が報告されております。天主様に感謝!愛する兄弟姉妹の皆様のご協力に感謝します。

マニラからは、ロザリオ163,465環、犠牲41,071回が報告されています。マニラからは、5月分としてロザリオ10834環、犠牲53,560回が報告されました。

愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご協力を心から感謝すると共に、これからも是非よろしくお願い申し上げます。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
今年の1月から6月までのロザリオの報告をいたします。
180環です。
よろしくお願いします。

【報告】
            聖なるロザリオ!!♪♪  犠牲

シスター       90 環          
ヨゼフ マリア    60 環        0回
マリア        30環        600 回
アンナ        20環
マリア         8環 位       5回 位
マリア        30環       300  回
アリア・ローザ   111環        450 回
ヨゼフ・パウロ    90環          0 回       
マリア        86環         192回
マリア        90環         180回
マリア        88環         450回
       計  703環        2477回 

以上です♪ どうぞ宜しく御願い致しますm(_ _)m




初水曜日には「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみについて黙想」することをご提案します

2017年07月05日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、7月5日は、初水曜日(月の初めての水曜日)です。

毎月の初水曜日には「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。

聖ヨゼフは、この世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失ならんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔さ良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。

2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。

3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。

4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。

5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。

6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。

7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。

交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。


聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph


英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.

聖霊降臨の大祝日の続誦(Sequentia, 繼抒詠) Veni, Sancte Spiritus, 聖霊来り給え。天より御光の輝きをはなち給え。

2017年07月03日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖霊の恵みを乞い求めましょう!
 聖霊降臨の大祝日の聖伝のミサにある続誦(Sequentia)をラテン語と日本語と中国語と韓国語でご紹介いたします。

Sequentia

Veni, Sancte Spiritus,
et emitte caelitus
lucis tuae radium.

Veni, pater pauperum,
veni, dator munerum
veni, lumen cordium.

Consolator optime,
dulcis hospes animae,
dulce refrigerium.

In labore requies,
in aestu temperies
in fletu solatium.

O lux beatissima,
reple cordis intima
tuorum fidelium.

Sine tuo numine,
nihil est in homine,
nihil est innoxium.

Lava quod est sordidum,
riga quod est aridum,
sana quod est saucium.

Flecte quod est rigidum,
fove quod est frigidum,
rege quod est devium.

Da tuis fidelibus,
in te confidentibus,
sacrum septenarium.

Da virtutis meritum,
da salutis exitum,
da perenne gaudium.

Amen. Alleluia


続誦(別名:聖霊の御降臨を望む祈)

聖霊来り給え。天より御光の輝きをはなち給え。
貧しき者の父、恵みの与え主、心の光にます御者来り給え。
いと優れたる慰め主、霊魂の甘美なる友、心のなごやかなる楽しみ。
つかれたる時の憩い、暑き時の涼しさ、憂うる時の慰め。
いたって幸いなる光よ、主を信ずる者の心に来り充ち給え。
主の御助けあるにあらざれば人には罪ならざる所なからん。
こいねがわくは汚れたるを清め、乾けるをうるおし、傷つけられたるをいやし給え。
固きを柔らげ、冷えたるを暖め、曲れるを直くし給え。
主を頼む信者に神聖なる七つの賜物を施し給え。
善徳の勲を積み、救霊の彼岸にいたり、永遠に喜ぶを得しめ給え。
アーメン。アレルヤ。


繼抒詠
天主聖神,求祢降臨,從至高的天廷、放射祢的光明。
窮人的慈父,求祢降臨!恩寵的施主,求祢降臨!
心靈的真光,求祢降臨! 祢是最會慰藉人心的聖神,
祢是我們衷心歡迎的嘉賓!祢是人生旅途中舒適的庇蔭。
在勞苦中,祢是憩息;在酷熱裏,祢是清風;在悲痛時,祢是慰藉。
祢是幸福的真光,求祢照耀着我們,充滿祢信者的身心。
除非有祢的幫助,人便一無所有,人更一無是處。
求祢洗淨我們的污穢,醫治我們的創傷,滋潤我們的憔悴。
求祢馴服頑強的人,溫暖冷酷的心,引導迷途的人脫離迷津。
凡是信賴祢的人,求祢扶助,賜予豐富的恩寵,施以慈愛的照顧。
求祢賞賜我們,賜給我們善終的洪恩,施給我們永福的歡欣。

부속가
1. 임하소서 성신이여, 하늘에서 내 광채를. 내마음에 내리소서,
2. 임하소서 내 온주여, 빈곤자의 아버지여, 네 광명을 내리소서.
3. 임하소서 위로자여, 뭇 영혼의 참빛이여. 지극히 단맛이여,
4. 수고함의 안식처여, 더울때의 그늘이여, 우는자의 위안이여,
5. 극히 복된 광명이여, 너를 믿는 무리들의 마음속에 내리소서.
6. 내 성총을 안입으면, 이세상의 모든 사람 , 아무 희망 없나이다.
7. 더러운 것 씻으시며, 병든것을 고치시며. 마른곳을 적시소서.
8. 굳은 마음 녹이시며, 냉한 마음 덥히시며, 우리 앞길 이끄소서,
9. 성신이여 비옵나니, 신자들이 마음속에, 네 칠은을 내리소서.
10. 덕행공로 주시오며, 선종은혜 내리시며, 영복상 베푸소서,
아멘. 알렐루야.


【参考資料】
信仰、希望、愛の三つの徳ー聖霊降臨の大祝日ミサ中説教ー:2012年05月30日

聖霊は「主であり命の与え主」であるー聖霊降臨の大祝日お説教ー:2016年05月21日

御聖体の祝日の続誦 Lauda Sion(ラウダ・シオン)の日本語訳と中国語訳と韓国語訳をご紹介します

ラテン語典礼 ローマ聖務日課 2017年7月の聖務日課をKindleの中に入れるためのmovi ファイルをご紹介します Roman Breviary in movi format

2017年07月02日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖伝によると聖職者は、副助祭に叙階された時から聖務日課を唱える義務を教会から頂きます。

 レネー神父様が作って下さった大変良くできたファイルを愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。レネー神父様のために、感謝を込めて天使祝詞をたくさん唱えて下さい。

 2017年7月分のローマ聖務日課のmoviファイル


I am very happy to be able to share a well done file in movi format in order to pray the Divine Office (Breviary) during the whole month of July 2017. This was made by Rev. Fr. Laisney. Please offer prayers for him as well while you are praying with his file.

 Breviarium Romanum mensis Julii anno MMXVII

 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


秋田巡礼-霊的講話【5】-2017年5月3日シュテーリン神父様「汚れなき御心に対する信心について、2つの具体的なやり方」

2017年07月01日 | お説教・霊的講話
2017年5月4日 秋田巡礼 シュテーリン神父様霊的講話5
「汚れなき御心に対する信心について、2つの具体的なやり方」

同時通訳:小野田圭志神父


先程のミサの時にも申し上げましたけれども、では汚れなき御心への信心というのは一体何なのでしょうか?それほどの約束と、それほどの実りがある信心とは一体どうすれば良いのでしょうか?

マリア様はこの汚れなき御心に対する信心について、2つの具体的なやり方を話しています。1つは初土の信心で、もう1つは奉献です。

このまず最初に、奉献の具体的なやり方について見てから、次にその意味について考えます。この具体的なやり方とその意味は、ちょうど「肉体」と「霊魂」というように、2つで1つなので、両方とも無視してはいけません。人間がある為には、肉体と霊魂が必要だからです。肉体だけでは十分ではありません。そこで肉体に対応する外的な信心の実践は大切ですけれども、それだけでは十分ではありません。

残念ながらカトリックの聖伝の信者であっても、「外的な事だけをすれば、それでもう信心は終わった」と思っている人が多く見かけられます。形だけその信心をしながらも、その心が伴っていない、中が虚ろであるので、その意味が失せてしまっている場合が多くあります。

ロザリオも見て下さい。ロザリオも外的な観点と内的な意味の観点があります。もしもロザリオが、お祈りを唱える事だけだとしたら、それは体だけです肉体だけです。

でも教皇レオ13世によれば、ロザリオの玄義を黙想する事によって、初めてロザリオをうまく良く唱える事ができたと言う事ができます。15の玄義。たくさんのロザリオを唱える人もいます。その口先だけで唱えています。でもそれだけではロザリオではないという事はまだ分かっていないと思います。めでたしを10回唱える間に、例えば第1玄義は御告げですから、その御告げについて私たちは黙想しなければなりません。

では、それほど多くの約束が付いている汚れなき御心に対する信心について黙想します。この信心の精神は、この3人の子供の生き方に表れています。この3人の子供たち一人ひとりは、汚れなき御心に対する信心の観点の1つ1つを表しています。

初土の信心、そして奉献、このこれらを通して、フランシスコがやったように、「天主様をお慰めする」「マリア様の汚れなき御心をお慰めする」というこの意向がなければなりません。

初土の信心をしながら、そして奉献をしながら、射祷を唱えて、そして「多くの霊魂を救いたい」という意向をもってそれを捧げなければなりません。これがジャシンタのやっていた信心であって、第2の観点です。

ちょうどこの第3の天使の御出現の時に、霊的な聖体拝領がありました。天使が御聖体を子供たちに授けますが、そこに表れています。というのは、天使は、「罪によって冒瀆されているイエズス様をお慰めしなさい、そして罪の償いをしなさい」と言って聖体拝領したからです。

最後にルチアの生涯を黙想します。ルチアの生涯は、フランシスコやジャシンタとはまた別の、長い人生を生きました。ルチアはこの全世界の前でファチマの目撃証人として、重要な証人として選ばれました。

ルチアは全生涯において、特別なやり方で長い間苦しまなければなりませんでした。

「マリア様とお会いした、マリア様をご覧になった方がいる」といったら、きっとこの方は全世界で一番幸せな方でなくて何でしょうか。「マリア様を見た」という事で、一生涯喜びと幸せに充ち溢れなくて何でしょうか。

でもルチアにとってはその反対でした。「御出現を受けた」という事で、ルチアは一生涯ずっと反対をされて、そして屈辱を受けました。特にルチアが一番愛していた人から受ける反対や屈辱がそうでした。

まずお母さんは、「ルチアが嘘をついている」とそれを確信していました。家族の中で兄弟姉妹たちの中で、ルチアは末っ子の女の子だったので、御出現の時が来るまでは一番可愛がられ、一番ちやほやされていた子供なのですが、御出現を受けたその時から、お姉さんたちからはいじめられて、のけ者にされました。

ルチアの住んでいた小さな村の人たちは、御出現の前まではルチアの事を皆可愛がって「良い子だ」「良い子だ」と言っていたのですけれども、御出現を受けた後には、「魔女」とか「嘘つき」とか「先導者」とか、酷い悪口だけを言われました。

それから偉い当局の人々がやって来て、この「ルチアが嘘をついているのではないか」「細かい点で間違ってはないか」「矛盾はないか」という事で、色んな調査や質問や尋問が何度も何度も絶え間なく続き、それはルチアにとってもう言う事ができないほどの拷問でした。

ファチマが遂に公認されようとされ、それから多くの方が巡礼に公式に行く事ができるようになった、そしてこれでもう全てがうまくいった、と思われるその瞬間、ルチアは永久に永久にもう2度とファチマに戻る事ができなくなり、ファチマを立ち去らなければなりませんでした。

そこで強制的にルチアは引っ越しをして、ファチマを離れて、別の女学校の寄宿舎に入れられました。そこでルチアは自分の本名を語る事を許されず、別名を付けられました。そして5年間学校にいる間、誰一人も、この子がファチマのマリア様を見たという事を誰も知らずに、唯一人、一番上の修道院長のシスターだけが知っていて、他の誰も知らずに、5年間を過ごしました。

女の子たちには、高校生の女の子やそういう若い子たちが、今真っ盛りのトピックが、「ファチマのマリア様が御出現になった、教会がそれを認可した」「あぁ、ファチマでルチアという女の子がそれ見た」「私たちと同い年だ」「あぁ、どんなマリア様だっただろうか」という話しをしている間に、真っ只中にいるルチアは何も言う事ができずに、ただ黙っているだけでした。

学校を卒業した後に、ドロテアの修道会、修道女会に入会するのですけれども、その間ルチアがいたその45年の間、誰もルチアが誰かという事を知りませんでした。ただ修道院長だけしかそれを知りませんでした。

ところで、修道会にいたルチアですけれども、ファチマがますます有名になり、世界中の枢機卿様、世界中の司教様たちもファチマに訪問するようになると、枢機卿様が、「是非ルチアに会いたい」「是非ルチアと話をしたい、マリア様の話を聞きたい」という事で、ドロテア修道会のシスタールチアの方に訪問して来るのです。

すると、「え!?一体このシスターは、一体何で世界中から司教様をこんなに集めているのか?」という事で、とうとう一体ルチアが誰かという事がバレてしまいます。

でもルチアはだからといって、「さぁ、私が誰か知っているか」とは言わずに、いつも末席に着いていて、一番謙遜な仕事をしていました。

1948年、ルチアはカルメル会に入会する事を許されます。シスタールチアを指導した霊的司祭たちは、ルチアの事を証言して口を揃えて、「ルチアの特徴は、謙遜であって、そして従順であって、そして単純さである」と言いました。

ファチマのマリア様はルチアに「私のメッセージを世界中に知らせる」という事を望んでいる事を知っていたのですけれども、ルチアはそれを自由にする事ができませんでした。そこでルチアがやる事には限界がありました。そしてルチアが例えば何かを言ったとしても、それをすぐに信じてもらえるわけではなくて、反対を受けました。

1929年からルチアは、教皇様や或いは司教様たちに、マリア様のお望みであった、「ロシアの汚れなき御心への奉献」について手紙を、お願いの手紙を書かなければなりませんでした。しかし何度もお願いしても、心を込めて何度もやっても、それは拒絶されてばかりいました。

1958年からは、ルチアはもう何も言う事も禁止されました。ローマの、ローマ聖座が許可がなければ、誰一人もルチアと話もできませんし、会う事もできなくなってしまいました。ルチアは特に、マリア様のメッセージや、マリア様のお願いが拒否されている、その元々の根源というのは、ローマ当局から来ているという事を知っていたので、その否定的な態度についてとても多く苦しみました。

時が経てば経つほど、ルチアに対するこの拷問のような取り扱いはますます酷く悪くなっていきました。1967年、命令を受けてルチアはカルメルの修道院を出て、ファチマに行かなければなりませんでした。何故かというと、その時パウロ6世がファチマに訪問していたからです。しかしその旅行の途中でルチアは、涙をずっと流していました。涙を流して、流して、流して、「教皇様に是非お会いして、話をしたい」と言うのですけれども、教皇様は、「会いたくない、時間がない」と言いました。

ではルチアがどのようにこう取り扱われたかという事は、ここでは今は話は置いておく事にして、ルチアがどのように信心を、汚れなき御心への信心を生きたか、生活したかという事に焦点を合わせましょう。

ルチアの生活を一言でまとめれば、「全ての事を、いつでもどこでも皆必ず、マリア様と共にする」という事です。

マリア様は最初に子供たちに聞きました、「あなたたちは、私が知られ、愛される事ができるように、苦しむ事を受け入れますか?」
「はい、そうします。」

ルチアはその、「はい、そうします」という事を決して引っ込めたり、否定したりする事はありませんでした。ルチアの祈りの生活は、イエズス様の聖心に対する信心とそしてロザリオの祈りで、始まり終わっていました。初金曜日になるとルチアは1日中、その日から御聖体の前でイエズス様の礼拝とイエズス様への祈りで時を過ごしました。どうやったのでしょうか?

まずルチアは、マリア様の汚れなき御心の中に入って、そのマリア様の汚れなき御心の中からイエズス様の聖心、或いはロザリオの神秘を黙想していました。昨日も申し上げましたけれども、イエズス様はこう仰います、「マリア様の汚れなき御心こそ、生きる水が聖寵の水が流れる泉であって、火の、光の焦点である。そしてそれによって多くの霊魂を照らし、そしてそのイエズス様の方へと導く磁石である」と。

ルチアと同じ事を私たちもしなければなりません。祈り始めようとする時に、まずマリア様の深い御心の中に入って、御心の中に私たちを隠して。じゃあどうしたら良いのでしょうか?隠すとは?私たちの心をグッと取って誰かに入れるわけではありません。そうではなくて、まず私たち自身の雑念、自分の考えをやめて、マリア様の考えに入ってもらうのです。皆さんの望みとか願いとかをやめて捨てて、その代わりにマリア様のお望みと願いを私たちの心に受け入れるという事です。私たちの愛さえも捨てて、あまりにもみそぼらしい、その代わりにマリア様の愛を頂いて、祈りを始めます。

これを御聖体拝領をする時になさって下さい。御聖体拝領の前に、「どうぞマリア様、私の心に来て下さい。そしてマリア様の愛を以てイエズス様を愛させて下さい。そしてどうぞ私の心に来て、マリア様、御身のように、御身と共に、御身の内に、このミサに与らせて下さい。ちょうど御身がカルワリオの足元にいらしたと同じような態度で、私がミサに与る事ができますように。」

マリア様にお願いして下さい、「私のお祈りの時に、どうぞマリア様、傍に居て下さい。マリア様の中で祈りをする事をさせて下さい。」すると私たちの祈りが、より良く祈る事ができます。

修道女としてシスタールチアは、朝から晩まで色々な労働をしなければなりません、手仕事をしなければなりませんでした。学生の時は学校の仕事や学校の色々な事がありました。たとえそのような多くの仕事が手仕事があったとしても、ルチアは心の中では射祷を唱えているのを決して忘れる事がありませんでした。その事をルチアは手紙によく書いています、「自分の日常の義務についてやりながら、射祷を唱えている。」

特にルチアの長上が、シスタールチアがやっている仕事が、完璧なのを見て褒めている事です。お掃除も、裁縫も、刺繍も、全て完璧なのです。

ルチアはある時書いています、「私たちの単純な日常の生活の義務を、汚れなき御心に合わせてそれを捧げる時に、イエズス様の聖心を非常に喜ばせて、これこそが汚れなき御心に対する最高の信心のやり方だ」と。

ですから、汚れなき御心の信心をするというのは、お祈りをちょこちょこっと唱えるというだけではないのです。私たちの生涯、人生の生き方に懸かる事です。

マリア様は、私たちも同じような生活を、「汚れなき御心との生活を送るように」と招いています。マリア様が私たちの生活に共にいらっしゃればいらっしゃるほど、全てがますます良くなります。もしも皆さんが誰かの所に行ってお話をしなければならない時に、マリア様に一緒に来て下さるように、そしてマリア様に良い知恵を下さるようにお願いして下さい。

私たちがますますマリア様と共にいるならば、私たちの中からはより少なくゴシップとか噂話とか無駄なおしゃべりは無くなり、ますますマリア様のように慎ましく、そして賢明に話をするようになり、これこそが汚れなき御心に対する信心です。

特に苦しみや試練の時には、汚れなき御心は私たちにとってとても重要になります。ルチアにとっても重要でした。ルチアは私たちの模範です。自分の家族の間であってさえもバカにされ屈辱を受けて、そして笑われていました。ルチアの生活は反対を受ける生活であり、屈辱の生活でした。私たちがバカにされたり、私たちが反対される、屈辱を受ける時に、どうやって、どういう態度を取るべきかという事を、ルチアは私たちに教えています。

私たちは、私たちの敵というのみならず、私たちの家族、或いは教会の中からもバカにされたり、屈辱を受けたり、笑われたりしていないでしょうか。もしも私たちについて誰かが悪い事を言うと、どういう態度を取るでしょうか。普通は大人しい子羊のようですけれども、そういう事を聞くと非常に憤って、ライオンのようになります。

ルフェーブル大司教様は言っています、「聖なる女性の舌には気を付けなさい。」教会の中では非常に敬虔ですけれども、教会を一歩でも出ると何を話しているか分からない。もちろんこれはオーバーですけれども、ただそういう危険があるという事です。教会を一歩出ると、さぁ誰かの批判、悪口、ゴシップ、こうだああだという話しが始まるというのは、残念ながらよく見かける光景です。

ここでルチアは、私たちにとって大きな良い模範となっています。これがマリア様が私たちが取るべき態度である事を示しています。ルチアがバカにされたり、屈辱を受けたり、或いは笑われたりする時に、ルチアはすぐに汚れなき御心の中に身を隠しました。そしてそこに平和を見出します。

ルチアは他の人に、「あぁ、私はこんな事を言われたからこんな苦しみを受けて」と他の人に言って、他の人から慰めを受けようとはしませんでした。何故ならばそれは、全然役に立たないという事を知っていたので。その代わりに、マリア様からそれを受けようとしました。

ルチアの口からは、ルチアをバカにするような蔑んだ人々、家族や司祭や他の人たちについて一切悪口を聞いた事がありません。そのお恵みを誰から受けたのでしょうか?汚れなき御心です。この汚れなき御心に対する信心によって、同じお恵みを皆さんも受けます。

ルチアの別の特徴は、誠実さでした。ルチアは母からいつも、「嘘をついてはいけないと言われた」と言っています。ルチアの母親はルチアが嘘をついているというのを確信していたので、「嘘をついてはいけない!」とますます厳しくなって、ルチアを叱ったり、ルチアを「さぁ告解に行きなさい!」と強制したり、ルチアに非常に厳しく辛く当たりました。

もしも自分の見た事、或いは受けた事に終わりまで常に忠実で、どのような脅迫、どのような恐ろしい言葉を受けたとしても、常に「そうである」と言い続けた事は、これは奇跡的な事です。

例えば何百万の人が、「あぁ、これがマリア様を見た人だ!」と言って、もう称賛の声を上げるのを聞きながら、それでも謙遜に留まるというのはこれは大変な事です。

もしもいわゆる幻視者とか、マリア様の御出現を受けた人とか、メッセージを聞いた人という人がいたとします。そのような人がその御出現から何か利益を受けた、何か得をしたという事があったとしたら、これは悪魔からです。

ルルドのベルナデッタですけれども、ベルナデッタの家族の事を知り、ベルナデッタの住んでいた家があまりにもみそぼらしかったので、単純にこの「ベルナデッタを助けたい」と思って、「家族を助けたい」と思って、「お金を寄付します」と言うと、ベルナデッタはこれを受け取る事を拒否しました。

「御出現を受けたこの方だ」という事で、誰かがプレゼントをしようとすると、シスタールチアはそれを一切そういう物を受け取ろうとしませんでした。ルチアは他の人の前に行って、自分の事をショーをするかであるかのように見せびらかす事はありませんでした。

よく私たちは、「マリア様の御出現を受けた人がいる」とか、御出現の話しを聞きますけれども、そのような人たちが信者さん達からの献金で、大きなホテルを造ったりとか、大きな何かを建てたりとか、という事よく聞きますが、そしてその人が何か金儲けをしているという事を聞く事がありますが、これは有り得ません、本物では有り得ません。

ファチマでは、ルチアは精神的な権威がありました。ですからそのようなマリア様に対する信心をちょっとだけ乱用して、ちょっとだけ利用して、注意を自分の方に引き寄せる事さえもできました。しかしもしも誰かがそのような考えでルチアに近付こうとすると、ルチアはすぐにそういうのを拒否しました。

ルチアはこうやって褒められた、或いは何かビジョンを受けた人として高められようとされたのみならず、攻撃も受けました。多くの人は同時に、「あぁ、あなたは間違っている。」「あなたは嘘をついている。」或いは「よく覚えていない。」或いは「矛盾がある」などという攻撃を批判をされるのですけれども、決して落胆する事はありませんでした。教会が言っているように、このようなルチアの態度は、それだけで奇跡です。私たちもルチアを真似なければなりません。反対を受けても謙遜にそれに忠実に、そして賛成を受けて称賛を受けても、謙遜に忠実に留まるという事です。

では10分休憩を入れます。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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