Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.4.2.「聖職停止」

2010年04月18日 | ルフェーブル大司教の伝記
「聖職停止」

 それでもルフェーブル大司教は、教皇聖下との謁見に精一杯の努力を傾けた。仲介者の役を務めるティアンドゥム(Thiandoum)枢機卿がパウロ六世に謁見してこう伝えた。

「教皇聖下、もしルフェーブル大司教様が非難される事になったら、ダカールの人々がどれだけ混乱するかお知りおき下さい。彼に謁見の機会を与えて下さい。」

 「枢機卿閣下、ではヴィヨ枢機卿の所に行ってお話し下さい。」
 国務聖省に赴くと、ヴィヨはティアンドゥムに言った。
「ルフェーブル大司教様が教皇聖下に謁見する事など以ての外です。教皇聖下がお考えを変えるかもしれませんし、そうでなったら混乱を巻き起こす事になります。」

 ルフェーブル大司教は結論した。「ある障壁が教皇聖下と私の間に置かれています 」と。

 ジャン・ヴィヨはこのルフェーブル大司教の発言に不満だらけで、パウロ六世から明確な考えを取り付けた。教皇はヴィヨ枢機卿に「それは誤解です。謁見前にルフェーブル大司教は、容認することの出来ないそのお考えを変えるべきであると私は考えております。」 と書き送った。

 ルフェーブル大司教は国務聖省長官代理のジョヴァンニ・ベネッリ(Giovanni Benelli)大司教と会見する事になり、後日4月21日、この人物はルフェーブル大司教に、第二バチカン公会議とその全公文書を受け入れ、パウロ6世その人と、その全ての教えに対する完全な忠誠と共に、服従の具体的証しとして新しいミサ典書を採用する事を要求して来た。

 予想通りに事が運ばないので、パウロ六世は、多くをルフェーブル大司教の事を扱う1976年5月24日の教皇枢密会議で訓示を垂れた。パウロ六世は大司教を非難し、過去の権威の名によって新しい権威を拒否した事、“自分の信仰を無傷に保つという口実で”人々を不従順に導いている事、さらに古いミサへの「感傷的な愛着」ゆえに、新しいミサを拒絶する事などを理由として挙げた。更にパウロ六世は「新しいミサの通常文は古いミサに取って代わるものとして発行された」と述べ、さらに、
「この行為は、私たちの前任者、ピオ五世が、トリエント公会議の後に、自分の権威の下で改革されたミサ典書の使用を義務付けた時に行った事に決して異なるものではない」と主張した。

 ルフェーブル大司教は、信仰を守る為の闘争に対してこのような誤解されたことに憤慨した。ましてパウロ六世があえて自分の推進する改革と聖ピオ五世が成し遂げた改革とに対し、厚かましくも虚偽の比較を行った事により多く憤慨した。

 しかし、司祭叙階式が近づくに従い、ローマは熱病に冒されてしまった― 果たして大司教は、司教区入籍及び受品許可状を所持せずに司祭叙階式を大胆にも挙行するだろうか?6月12日と25日の両日に、ベネッリ大司教は、教皇特別命令(de mandato speciali Summi Pontificis)により、教会法2373条1項 で想定される制裁を妨げずに、大司教に司祭叙階を禁じた。

 さらに加えて、もしルフェーブル大司教の神学生たちが「第二バチカン公会議後の教会に対する真の忠誠において司祭の役務に向けて真剣な養成を受けているならば」、彼らの為により優れた解決策の発掘に着手すると彼は提言した。

 この6月25日付けの手紙を持ってやって来たのは、グレゴリアン大学現教授であり、かつては同大学の学長であったエドワール・ダニ(Edouard Dhanis)神父だった。使者として送られ、急ぎ足でフラヴィニーのメゾン・ラコルデールに到着した彼だが、その時ルフェーブル大司教はちょうど叙階予定者の為の黙想会を指導しているところだった。それは6月27日の夜9時頃、つまり予定していた叙階式の2日前だった。この訪問者の興奮具合には度肝をぬかれた大司教も、ベネッリ大司教が手紙に書いた“公会議後の教会 ”という言い回しによって更なる一撃を食らった。

 パウロ六世のミサ典書を手に持つダニ神父が、大司教に懇願した。
「大司教閣下、もし本日にでも、あなたが私と一緒にこのミサを捧げる事に同意して下さるなら、ローマとの問題は万事解消されるのです!」

 大司教は簡潔に答えた:「もう御ミサは捧げてしまいました。」

 すると、この気の毒な司祭は落胆の内に立ち去った。

 エコンでは、翌日神学生たちが、神学校の隣にある野原に張った大テントで、大聖堂を作った。授階候補者たちがフラヴィニーの黙想会から帰ってきた。午後5時ごろ、オラニエ神父の部屋の扉をノックする者があった。びっくり!大司教様じゃないか!大司教は、椅子に腰掛け言った。
「明日、この叙階式を行うべきだと思いますか?」彼は真剣な面持ちでそう言ったのだ。

 心配そうに考え込んではいたが、完全に冷静であった。「この偉大な司教に、私は何と言うべきだろうか?」とオラニエ神父は心中考えた。しかし、きっぱりと賛成であるという自分の意見をどもりながらも伝えたのだ。こうして大司教は部屋を後にした。決意は固まった。

 1976年6月29日がやって来た。テントの大聖堂は風に打たれてパタパタと揺らめき、太陽は降り注いでいた。来賓客の車の列がテント隣の野原を駐車場に変えてしまった。スイスのみならず、ヨーロッパ、さらに世界中の至る所からやって来た数千人のカトリック信徒たちは、準備された場所を占めた。写真を撮る者や報道記者たちの規制は困難だった。9時になると、入堂の行列が開始され、野原の斜面上方からゆっくりと下ってきた。ミトラを被り、手袋を付けた大司教は手に司教杖を持ち前進する。その顔にはやや緊張が漂っていたが、決然としていた。彼は13名の司祭と14名の副助祭を叙階する事になっていたのだ。彼はちょうど、ティアンドゥム枢機卿の短い訪問を受けていたばかりだった。 しかし、ルフェーブル大司教は妥協などしなかった。

 叙階式の説教中、彼は長時間に渡って、自分が抵抗している理由を説明した。

「ですから、ミサの問題でエコンとローマとの間のドラマが展開されていることは、明らかではっきりとしています。・・・ところが、まさにそのローマからの使者たちが私たちに典礼様式を変えるようにと要求するその要求の仕方が、私たちをして考えさせました。・・・この新しいミサは、新しい信仰の、近代主義者の信仰のシンボル、表現、イメージです。なぜなら、聖なる公教会が長い歴史のなかで、私たちに下さったこの貴重な宝、すなわち、聖ピオ5世によって聖別されたミサ聖祭の典礼様式を守ろうと望んだのは、きわめて重大な意味があったからです。何故かというと、このミサのなかに私たちの信仰が全て含まれているからです。全てのカトリック信仰が、すなわち、聖三位一体への信仰、イエズス・キリストのご神性にたいする信仰、私たちの主イエズス・キリストの贖いへの信仰、私たちの罪の赦しのために流された私たちの主の贖いの御血にたいする信仰、ミサ聖祭、十字架、全ての秘跡から来る超自然の聖寵への信仰が、すべてあるのです。」

 この日、ルフェーブル大司教は教会法に基づく品級授与停止処分を受け、一年間叙階を授けることが禁止される。1976年7月6日、司教聖省長官セバスチアーノ・バッジオ(Sebastiano Baggio)枢機卿が厳粛な警告書を送り、彼に“教皇聖下への謝罪を要求”した。

 7月17日、ルフェーブル大司教はパウロ六世に対して手紙を書いてこれに答えた。
 典礼に“あらゆる教義的価値や何世紀にもわたる使用により聖別されたラテン・ローマ典礼様式に基づいた階級的表現”を返して下さい、そうすれば「教皇聖下はカトリック司祭職と、個人や家族、さらに市民生活における私たちの聖主イエズス・キリストの君臨を復興することになります。」
 また、「第二バチカン公会議直前に、カトリック教会内の高位聖職者たちとフリー・メーソンのロッジ(集会所)の高位会員たちとの間に交わされた密約 に起因する近代人の思想との妥協という、この有害な事実」を放棄して下さい、という内容だった。

 7月22日になって、司教聖省の秘書は、ルフェーブル大司教に対し、大司教が依頼した通りの悔い改めの印を示さなかったので、教皇聖下は教会法2279条2項2号に基づいて、如何なる秘蹟であっても、それを授与する権利を彼から剥奪する聖職停止の処罰を彼に課した事を通告した。

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:世界中から1800万環のロザリオ集計中

2010年04月17日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 メンツィンゲンにある聖ピオ十世会の本部は、世界中からロザリオの十字軍の報告を受けました。2009年5月1日から2010年3月25日までのこのロザリオの十字軍は、ファチマのメッセージに従って、教皇様と全世界のカトリック司教たちによってロシアが聖母の汚れなき御心に奉献されることを天主に求める目的がありました。それによって聖母の汚れなき御心の凱旋を求めることです。

ロザリオの十字軍 既に1800万環のロザリオが集まっています


 今まだ、全ての報告が到着していないのですが、既に1800万環のロザリオが集まっています。

アメリカ管区  (5.351.500環)
アフリカ管区  (2.815.350環)
フランス管区  (2.766.709環)
アジア管区   (2.583.200環)
カナダ管区    (717.000環)
ドイツ管区    (680.000環)
南米管区     (576.740環)
スイス管区    (411.000環)
オーストラリア管区(402.000環)
メキシコ管区   (332.800環)
イタリア管区   (215.000環)
アイルランド管区 (136.190環)

 最終的に決定的な数が分かった後に、世界中で唱えられたこのロザリオは、フェレー司教様によって教皇様へと届けられる予定です。ロザリオの十字軍の軍人の方々は、心からの感謝をお受け取りください。

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Quels sont les résultats de la Croisade du Rosaire ?


La Maison générale de la Fraternité Sacerdotale Saint-Pie X, à Menzingen, reçoit ces jours-ci, de tous les pays du monde, les résultats de la Croisade du Rosaire lancée par son Supérieur général, Mgr Bernard Fellay. Cette croisade s’étendait du 1er mai 2009 au 25 mars 2010, elle avait pour but de demander la consécration de la Russie au Cœur Immaculé de Marie par le Souverain Pontife et tous les évêques du monde catholique, conformément au message de Fatima où Notre Dame annonce elle-même le triomphe final de son Cœur Immaculé.

A ce jour nous ne disposons que d’un chiffre provisoire, tous les résultats n’ayant pas encore été recueillis. Mais DICI a la joie d’annoncer en exclusivité à ses lecteurs que les 12 millions de chapelets, qui devaient composer comme un couronne de 12 étoiles offerte à Marie Reine, sont largement dépassés, puisque plus de 18 millions de chapelets sont déjà enregistrés. Parmi les districts qui ont communiqué leurs résultats, on peut déjà noter la générosité des Etats-Unis (5.351.500), de l’Afrique (2.815.350), de la France (2.766.709) et de l’Asie (2.583.200) . Viennent ensuite le Canada (717.000), l’Allemagne (680.000), l’Amérique du Sud (576.740), la Suisse (411.000), l’Australie (402.000), le Mexique (332.800), l’Italie (215.000), l’Irlande (136.190)…

Une fois obtenu le chiffre définitif, cette couronne de chapelets récités dans le monde entier, pendant près d’un an, sera remise au Saint-Père par Mgr Fellay. Que tous les croisés du Rosaire soient vivement remerciés pour cette admirable ferveur mariale !

復活の徹夜祭の有名なエクスルテット(EXSULTET)の日本語訳を紹介します

2010年04月17日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 もう復活祭は過ぎてしましました。
 天主様のお計らいで、17年、毎年、復活の徹夜祭の有名なエクスルテット(EXSULTET)【別名「復活の賛歌」】を歌うことを許されています。実に、「それは、私の功徳によるのではないがこの私を聖職者の数の中にかたじけなくも入れ給うた方が」お計らいになって下さっていることで、天主様に心から感謝します。
 その内容は、とても美しく、すばらしく、歌いながら、感動して涙が自然とあふれ出るほどです。そこで、愛する兄弟姉妹の皆様にこの内容(私の作った日本語訳)をご紹介します。もとになるラテン語は、1962年版のローマ・ミサ典書です。

「従って、臨席のあなたたち、いとも愛する兄弟たちよ、
この聖なる光のいとも驚くべき輝きへと、全能の天主の憐れみを
私たちとともに、請い求めよ、と私はお願い申し上げる。」



天の天使たちの群れよ、すでに喜び踊らんことを、
天主の神秘らよ、喜び踊らんことを、かくも偉大な王の勝利のために救いのラッパを響かせんことを!

地も喜ばんことを、かくも大いなる閃光を放ち、
永遠の王の輝きに照らし出され、全地球は邪悪を失ったと感じるが良い。

かくも大いなる光の輝きに飾られた母なる教会も喜ばんことを、
諸民族の大きな声でこの部屋は喜ぶが良い。

従って、臨席のあなたたち、いとも愛する兄弟たちよ、
この聖なる光のいとも驚くべき輝きへと、全能の天主の憐れみを
私たちとともに、請い求めよ、と私はお願い申し上げる。

それは、私の功徳によるのではないがこの私を聖職者の数の中にかたじけなくも入れ給うた方が、御自分の光の輝きを注入し給い、
この蝋の賛美を満たすことを完成し給うためである。

V/ 主は、あなたたちと共に
R/ またあなたの霊と共に
V/ 心を上に挙げよ
R/ 我らは主へ挙げ奉る
V/ 我らは主なる我らの天主に感謝しよう
R/ それはふさわしく正しいことなり。

目に見えない聖父なる全能の天主とその御一人子私たちの主イエズス・キリストを心をこめて愛情を尽くして声の役務により賛美を響かせることは、実にふさわしく正しいことなり。

イエズス・キリストは、私たちのために永遠の聖父にアダムの罪の負債を支払い、いにしえの負債帳を尊き血潮で破り引きちぎった。

これこそ実にパスカの祭りである。この祭りにおいて本当のあの子羊はされ、その血によって信者たちの家の入り口は聖別される。

この夜こそ、御身が、エジプトから導き出された私たちの祖先であるイスラエルの子らが、紅海を乾いた足跡をのこして渡るようになし給うた夜である。

故に、この夜こそが、罪人たちの暗闇を光る雲の柱で輝かせて清めた夜である。

この夜こそが、今日、全世界で、この世の悪習と罪の邪悪とから区別されたキリストを信じる者たちを、聖徳と結びつけ、聖寵を再び与える夜である。

この夜こそが、死の鎖を打ち壊し、キリストが勝利者として地獄から上った夜である。

私たちが生まて来たことは、キリストによって贖われなかったなら、いかなる利益もなかった。

おお!御身の私たちに対する何と驚くべきかたじけなき優しさよ!
おお!評価しきれない愛徳の深さよ!御身が奴隷を買い戻すために、御身は御自分の子を渡し給うた!

おお!キリストの死によってそれが破壊されるために、確かに、アダムの罪は必要であった。
おお!かくも偉大でかのような贖い主をいただけるとは、何と幸せな罪であったか!
おお!じつに幸せな夜である、この夜だけがキリストが地獄からよみがえり給うたその時と時間を知ることが出来たのだから!

この夜こそ、聖書に記されている夜であり、「夜が真昼のように照らし出されるであろう、私の甘美さにおける私の照らし出しの夜」と。

故に、この夜の聖化は、極悪を逃げ去らせ、罪を浄め洗う、また失った者たちに無罪を返し、悲しむ者たちには喜びを戻す。
憎しみを追放し、心の一致をもたらし、おごり高ぶる者を低める。

故に、この夜の恩寵において、聖なる父よ、この荘厳な蝋の奉献において、蜜蜂の働きから役務者の手を通して、神聖にして犯すべからず教会が御身に捧げるこの夕の賛美のいけにえを受け入れ給え。

しかし、既に天主への誉れのために火が付けられたこの蝋の柱の予告を私たちは知っている。これは、部分には分けられるかもしれないが、光に変わった部分の損失はない。火は、母なる蜂がこの貴重な明かりの材料を運んだ融けた蝋によって養われる。

おお、実に幸せな夜よ、エジプト人たちから奪い取り、ヘブライ人たちを豊かにした夜!この夜において地上のものは天上のものに、人間的ものは天主的ものに結びつく!

従って、主よ、私たちは御身に祈る。御身の御名の名誉のために聖別されたこの蝋が、この夜の邪悪を破壊するために、壊されずに守られるように。そして甘美な香りを受け入れ給い、天上の光に混ざり合わされるように。明けの明星がその炎を見いだすように。私は言う、つまり、かの沈むことを知らない明けの明星、キリストのことである。地獄から再び戻ってきた、平和の内に人類を照らしだしたかのキリストである。

従って、主よ、私たちは御身に祈願する。私たち御身のしもべたちと全ての聖職者、いとも敬虔な民を、至福な私たちの教皇ベネディクトおよび私たちの司教 N. と一つに、平和な時が与えられて、この復活祭の喜びにおいて、御身が堅い守りにおいてかたじけなくも君臨し、統治し、保存し給わんことを。

さらに、私たちを権力をもって統治する人々をご覧になり、御身のえもいわれぬ優しさと憐れみとの賜で、彼らの考えを正義と平和へと導き給え。それは地上の業から天上の祖国へと御身の民と共に彼らが到達することが出来るためである。

御身と共に聖霊との一致において代々に至るまで生きかつしろしめし給う御身の御子、私たちの同じ主イエズス・キリストによりて、

R/ アメン


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PRAECONIUM PASCHALE


Exsúltet iam angélica turba cælórum: exsúltent divína mystéria: et pro tanti Regis victória tuba ínsonet salutáris.

Gáudeat et tellus, tantis irradiáta fulgóribus: et ætérni Regis splendóre illustráta, tótius orbis se séntiat amisísse calíginem.

Lætétur et mater Ecclésia, tanti lúminis adornáta fulgóribus: et magnis populórum vócibus hæc aula resúltet.

Quaprópter astántes vos, fratres caríssimi, ad tam miram huius sancti lúminis claritátem, una mecum, quæso, Dei omnipoténtis misericórdiam invocáte.
Ut, qui me non meis méritis intra Levitárum númerum dignátus est aggregáre, lúminis sui claritátem infúndens, cérei huius laudem implére perfíciat.

V/ Dóminus vobíscum.
R/ Et cum spíritu tuo.
V/ Sursum corda.
R/ Habémus ad Dóminum.
V/ Grátias agámus Dómino Deo nostro.
R/ Dignum et iustum est.

Vere dignum et iustum est, invisíbilem Deum Patrem omnipoténtem Filiúmque eius unigénitum, Dóminum nostrum Iesum Christum, toto cordis ac mentis afféctu et vocis ministério personáre.

Qui pro nobis ætérno Patri Adæ débitum solvit, et véteris piáculi cautiónem pio cruóre detérsit.

Hæc sunt enim festa paschália, in quibus verus ille Agnus occíditur, cuius sánguine postes fidélium consecrántur.

Hæc nox est, in qua primum patres nostros, fílios Israel edúctos de Ægypto, Mare Rubrum sicco vestígio transíre fecísti.

Hæc ígitur nox est, quæ peccatórum ténebras colúmnæ illuminatióne purgávit.

Hæc nox est, quæ hódie per univérsum mundum in Christo credéntes, a vítiis sæculi et calígine peccatórum segregátos, reddit grátiæ, sóciat sanctitáti.

Hæc nox est, in qua, destrúctis vínculis mortis, Christus ab ínferis victor ascéndit.

Nihil enim nobis nasci prófuit, nisi rédimi profuísset.
O mira circa nos tuæ pietátis dignátio!
O inæstimábilis diléctio caritátis: ut servum redímeres, Fílium tradidísti!
O certe necessárium Adæ peccátum, quod Christi morte delétum est!
O felix culpa, quæ talem ac tantum méruit habére Redemptórem!
O vere beáta nox, quæ sola méruit scire tempus et horam, in qua Christus ab ínferis resurréxit!

Hæc nox est, de qua scriptum est: Et nox sicut dies illuminábitur: et nox illuminátio mea in delíciis meis.

Huius ígitur sanctificátio noctis fugat scélera, culpas lavat: et reddit innocéntiam lapsis et mæstis lætítiam. Fugat ódia, concórdiam parat et curvat impéria.

In huius ígitur noctis grátia, súscipe, sancte Pater, laudis huius sacrifícium vespertínum, quod tibi in hac cérei oblatióne solémni, per ministrórum manus de opéribus apum, sacrosáncta reddit Ecclésia. Sed iam colúmnæ huius præcónia nóvimus, quam in honórem Dei rútilans ignis accéndit.

Qui, lícet sit divísus in partes, mutuáti tamen lúminis detrimenta non novit. Alitur enim liquántibus ceris, quas in substántiam pretiósæ huius lámpadis apis mater edúxit.

O vere beáta nox, quae exspoliavit Aegyptios, ditavit Hebraeos! Nox, in qua terrénis cæléstia, humánis divína iungúntur!

Orámus ergo te, Dómine, ut céreus iste in honórem tui nóminis consecrátus, ad noctis huius calíginem destruéndam, indefíciens persevéret. Et in odórem suavitátis accéptus, supérnis lumináribus misceátur. Flammas eius lúcifer matutínus invéniat. Ille, inquam, Lúcifer, qui nescit occásum. Ille, qui regréssus ab ínferis, humáno géneri serénus illúxit

Precamur ergo te, Domine: ut nos famulos tuos, omnemque clerum, et devotissimum populum: una cum beatissimo Papa nostro Benedicto et Antistite nostro N. quiete temporum concessa, in his paschalibus gaudiis, assidua protectione regere, gubernare, et conservare digneris.

Respice etiam ad eos, qui nos in potestate regunt, et, ineffabili pietatis et misericordiae tuae munere, dirige cogitationes eorum ad iustitiam et pacem, ut de terrena operositate ad caelestem patriam perveniant cum omni populo tuo.

Per eumdem Dominum nostrum Jesum Christum Fílium tuum : qui tecum vivit et regnat in unitate Spiritus Sancti Deus :

Per omnia sæcula sæculórum.

R/ Amen.


聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.4.1.カトリック教会の自己破壊に参与せず

2010年04月17日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅳ.エコンは存続する


カトリック教会の自己破壊に参与せず

 ジャン・マディラン(Jean Madiran)氏は、第二バチカン公会議に、ニケア公会議以上の権威を付与する途方もないこの主張に突っ込みを入れた。彼らは、この公会議は司牧的公会議であって教義的なものではないと言ってはそれを繰り返したが、今ではそれを教義に変更することさえ望むようになったのだ!

 エコンでは、生き残りの問題に対処しなければならなかった。(その後二度と授業を教えに来ることのない2人の高名なドミニコ会士たちは別にして)4人の教授が神学校を去ることになり、彼らの中には最後に行った授業中に自分たちが出て行く理由を神学生たちに説明する者までいた。残った教授たちは、神学校を小さなグループに分けて、秘密裏に継続したらどうかと提案した。ベルト参事会員は反発して
「大司教様、そうなったら神学校は死に絶えてしまいます。ここは私たちが神学校を存続させるか、しないかのどちらかです!もし私たちが分散すればこの存続はあり得ません。神学生たちの勉強や、司祭になるまで持ち堪える事、そして神学生の募集は不可能になってしまいます。エコンは存続しなければなりません。エコンはエコンです!」 と言った。

 他方で、神学生たちの方は完全な平和の内に過ごしていた。大司教は引き続き彼らに事の進展を知らせることを怠らなかった。状況を見抜く彼の目は賞賛に値するものであり、個人攻撃、とりわけ教皇に対する批判などは決してしなかった。神学生たちは、「皆さんを決して見捨てません!」と約束した大司教に対して完全な信頼を寄せていた。

 そこで大司教は非常に淡々と決断した:「新学年度は9月14日から始まります。神学校存続。私たちはこれまでカトリック教会が行って来た事をしたいと思います。ですから、アッペンツェル(Appenzell)近くのヴァイスバット(Weissbad)で、私たちはドイツ語圏の司祭志願者向けに神学校計画を進め、それを開校するつもりです。」

 聖ピオ十世会廃止に対する大司教の答えは前進することであった。1975年11月21日、大司教が行った“宣言”の記念日であると共に、エコン、アルマダ、そしてヴァイスバットなどの神学校に127人という神学生たちを目にする学年度が始まって二ヶ月目にあたる日に、ルフェーブル大司教は、“例の3枢機卿たち”の命令(大司教は依然としてパウロ六世に疑問を投げかけることを避けていた)への拒絶に含まれる根底原理を明らかにした。

「聖ピオ十世会は依然として存在しています。聖ピオ十世会の廃止は違法であり、どんな事情があるにせよ不正です。何時の日か、御摂理は聖ピオ十世会に公式な名誉回復を行われるでしょう。しかし、聖ピオ十世会は既に天主とカトリック教会の御前に存在しているのです. . . . 法律とは生命に仕える為の手段です。しかし現時点において、法律は死に仕える手段として利用されています。人間の権威は、生命の創り主である天主の権威への参与です。ですが、この公会議以後、カトリック教会法は死と霊的堕胎をもたらす法律となっている以上、このような法律は無効です。」

 10月27日、ヴィヨ枢機卿は全世界の司教評議会に書簡を書き送り、聖ピオ十世会会員たちの司教区への入籍を拒否するように“厳格に”招いた。しかしルフェーブル大司教は、この決定的な死をもたらす政策によって妨げられる事はなかった。

「もし司教区への入籍が難しいのなら、私は皆さんの聖ピオ十世会への入籍を考える事も躊躇しません 。」

 この見解の根拠は、ライト枢機卿によって書かれたあの“賞賛宣言”の意味を持つ、褒め言葉で織り成された手紙にあった。さらに彼は、もともとの修道会から聖ピオ十世会へ、司教区入籍の申請なく直接に聖ピオ十世会に入籍するため、3人の(他修道会所属の)修道士たちに対して修道会聖省が与えた認可 を基にこの見解に到った。最後のものとして、彼はアダム司教の見解を用いたのだ。

 アダム司教は彼にこう言っていたからである。
「あなたの会はすでに多くの司教区に拡散していますね、ですから確かに聖ピオ十世会は、自会内に(司祭を)入籍させる権威をお持ちですよ。」

 これらの論証のどれも、教会法の専門用語を使用すれば「潤色されて」おり、入籍させることが出来ることはまず確実であった。


 8月の終わりに、大司教はシオンの司教と(司教館ではない場所で)二回、面会した。アダム司教はヴィヨ枢機卿が個人的に訪問して来た事を彼に伝えた。これにより大司教は、ジャン・ヴィヨの狙いが、フランスの司教らの要求を満足させる事であり、終始聖ピオ十世会に対する反対運動を煽った人物である事を確信したのだった。しかし、ネストール・アダムは彼に忠告した。

「エコンは存続しなければなりません!その為にも、“パウロ六世”のミサを少し“聖ピオ五世”のミサに付け加えて続けて下さい。」

 大司教は司教の言葉に含まれた欺瞞は取り上げず、ただこの「続けて下さい」に見られる激励を受け入れた。パウロ六世は、9月8日付けでルフェーブル大司教に手紙を書き送り、従順を拒絶した事に対する制裁を加えると脅しをかけて来た。9月24日、ルフェーブル大司教は回答し、“全カトリック教会にとっての‘真理の教師’なるペトロの後継者への忠誠”を表明した。しかし彼は応じなかった。何故なら、そこには新しく生まれた一団体や神学校の廃止よりもはるかに勝って危険に晒されている何かが存在したからである。彼は自分の考えを神学生たちに説明した。

「私たちに対するエコンの神学校閉鎖要求は、カトリック教会崩壊への参与を要求するに等しいことです。天主様が何時か私をお呼びになる時、私は自分の良心の中で、『そうです、私は天主様が御摂理を通して私に成し遂げるのをお許しになったもの、教会法による認可のあり、さらにローマから来た視察訪問者たちによって実質的に教会法認可を頂いたものを破壊致しました。』などと言いたくはありません。私はこれ全てを破壊するように頼まれています。何故ならカトリック教会を破壊している公会議後の方針に神学校が従わないからという理由で破壊せよと頼まれました。いえ、できません!」


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聖ピオ十世会の修道女会では、4月10日に着衣式と誓願の更新式がありました

2010年04月16日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会の修道女会(les Soeurs de la FSSPX)では、フランスの聖マルシャル大修道院(Abbatiale Saint Martial)で、4月10日に着衣式と誓願の更新式がありました。

 詳しくは、La Porte Latine をご覧下さい。


Comme tous les ans à Quasimodo, les Soeurs de la Fraternité Saint-Pie X, ordre religieux ami de la FSSPX, se retrouvent à l'occasion des prises d'habit et de renouvellement des voeux.聖ピオ十世会の修道女会(les Soeurs de la FSSPX)では、フランスの聖マルシャル大修道院(Abbatiale Saint Martial)で、4月10日に着衣式と誓願の更新式がありました。

Comme tous les ans à Quasimodo, les Soeurs de la Fraternité Saint-Pie X, ordre religieux ami de la FSSPX, se retrouvent à l'occasion des prises d'habit et de renouvellement des voeux.聖ピオ十世会の修道女会(les Soeurs de la FSSPX)では、フランスの聖マルシャル大修道院(Abbatiale Saint Martial)で、4月10日に着衣式と誓願の更新式がありました。

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Comme tous les ans à Quasimodo, les Soeurs de la Fraternité Saint-Pie X, ordre religieux ami de la FSSPX, se retrouvent à l'occasion des prises d'habit et de renouvellement des voeux.聖ピオ十世会の修道女会(les Soeurs de la FSSPX)では、フランスの聖マルシャル大修道院(Abbatiale Saint Martial)で、4月10日に着衣式と誓願の更新式がありました。


聖ピオ十世会のシスターたちのためにお祈り下さい。
日本からも多くの召命が出ますように!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【教会の危機・信仰の危機】スペイン(トルトーサのカテドラル)でのロック・ミサ

2010年04月16日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 スペイン(トルトーサのカテドラル)でのロック・ミサをご紹介します。(Missa rockera a la catedral de Tortosa)かわいそうなスペイン人たち!!





主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【教会の危機・信仰の危機】メキシコでの子供のミサ

2010年04月16日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 メキシコ(ヌエボ・レオンのモンテレイにあるメルセデスの聖母マリア小教区)での子供のミサをご紹介します。(PARROQUIA DE NSTRA.SRA. DE LA MERCED MISA CON NIÑOS A LAS 10:AM MONTERREY N.L.Mexico)かわいそうな子供たち!!

主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!





愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.3.3.聖ピオ十世会の廃止

2010年04月16日 | ルフェーブル大司教の伝記
聖ピオ十世会の廃止

 しかし、教導権は信仰の絶対的基準であり、ガロンヌはこの教導権が本来の機能を果たさない可能性を一切認めなかった。公会議に関しては、彼は公会議の後にカトリック教会の危機が到来したことを認めはしたが、公会議がこの危機の原因だということは認めなかった。

 この教導権に関する無理解という壁を前にして、ルフェーブル大司教は言った。
「私は会話に招かれたというのに、その実、私に対する非難宣告を取り決めてあった法廷に直面しなければならないとは。」

 自分の宣言文に関しては、彼は3枢機卿に述べた。
「これを別表現で書くことは出来ますが、異なる内容を書くことは出来ません。」

 その時エコンでは、教授陣が例の宣言を修正し、改めて“穏健な宣言文”の作成に入るために集まった。
「大司教閣下」彼らは頼んだ。「閣下が最初に書かれた宣言文を撤回して、これに署名してください。」

 しかし大司教は、もはやローマに対してもエコンに対してもしなかった。彼は自分の宣言文を撤回しなかった。ローマでの裁判に負けることは確実だった。
 実際に4月25日、タベラ枢機卿はマミ司教に対し、彼には先任者(シャリエール司教)がなした許可と譲歩を撤回するのに必要な全権が与えられている事を伝えた。残念ながらそれは正しかったのだ!聖ピオ十世会はローマからの公認(nihil obstat)さえ受けておらず、司教区権に属する共同体 にはなっておらず、予備段階であるピア・ウニオに留まっていたからである。よって、もし深刻な理由があれば、当司教にはこのピア・ウニオを解散する事が出来たのだ(教会法492条1-2項、493条参照)。天主の御前においてはそうではなくとも、地位に就いていた者たちの前では、あの“宣言文”も一つの深刻な理由となった。
 それで5月6日に、マミ司教はルフェーブル大司教に、自分は先任者が聖ピオ十世会創立に与えた認可を撤回すると知らせ、同日、例の3枢機卿たちはパウロ六世からの認可を取り付けて、この決定を是認した。彼らは、いったん聖ピオ十世会が“廃止”されれば、それが有する神学校及び活動は存在する権利を喪失すると付け足した。

 ルフェーブル大司教は3通りの方法で回答した。
先ず、聖年の聖霊降臨祭に、大司教並びに神学生らはクレド連盟の荘厳な巡礼に参加し、信徒たちと一緒に常に変わらぬローマへの固執を表明した。

 それからアルバノで5月31日付けの手紙を書いて、ペトロの後継者への服従を、自分に対する“裁判”再審理を求める懇願を織り交ぜて書いた。

 最後に、6月5日、彼は使徒座署名院最高裁判所法廷に対し、マミ司教の決定を不服とする上訴趣意書を提出した。そこには、聖ピオ十世会を廃止する権限は聖座にあり、フリブールの司教にではない事(この第一主張は議論の余地がある)、次に、彼は教義に関して裁かれており、この領域に関しては、教理聖省だけが適任である事、そしてもし自分の宣言文が非難に当たるのなら、この非難宣告は自分の仕事にではなく、自分個人に向けられるべきであるという事が書かれてあった。

 この上訴は6月10日に却下された。マミ司教がなした聖ピオ十世会廃止の処置は、特別な形で(in forma specifica)教皇聖下によって承認された枢機卿委員会の決定を遂行しただけだたからだ。6月14日に開始されたもう一つの上訴は、この特別な承認に関する証拠を要求した。しかし何の回答もなかった。なぜなら、国務聖省長官ヴィヨ枢機卿がスタッファ(Staffa)枢機卿に対し、この上訴の受理を禁じる手紙を書いていたからである。

 1975年6月29日ルフェーブル大司教は、エコンで3名の司祭と13名の助祭を叙階した。同じ日、パウロ六世は彼に手紙を書き、服従を要求した。つまり、聖ピオ十世会の廃止とその全ての実際的結果を承諾する事と、さらに“ニケア公会議と同等であると言うより、ある意味でそれ以上の権威を持つ”第二バチカン公会議を承認する事を“必然的に暗示する”行為を求めた。

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.3.2.1974年11月21日宣言

2010年04月15日 | ルフェーブル大司教の伝記
1974年11月21日宣言

 大司教の説明によれば、全改革、つまり新しいミサと新しい公教要理、さらに新しい神学校とは“一貫性がある”。これらは、全て、第二バチカン公会議に台頭し現在ではカトリック教会をその荒廃に導いている自由主義とプロテスタント主義、さらに、近代主義に起因する。私たちは追い詰められている。選択を迫られているのだ。反乱をすることなく、私たちは永久のカトリック教会が信じてきたことと実践してきたこととを選ぶ。その結果:

「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる。私たちは、しかしながら、第2バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。」

 ルフェーブル大司教は宣言文を全て読み上げることが出来なかった。神学生たちが、まさに極めて重大な瞬間を生きているのだと意識して拍手喝采したためだ。大司教は人間くさい全ての賢明に重きをおかず、信仰の観点から、第二バチカン公会議以後の改革全てに対して、公然と戦争開始の宣言をしたのだ。

11月27日、彼は教授陣に打ち明けた。
「私たちに反対するどの様な制裁が加えられようとも、この状況下では、もはや従順の問題は一切発生しません。これは信仰維持の問題ですから。もしも、10人や20人、さらに40人が立ち去ろうとも、私はここに留まります!」

 しかし、12月2日になっても誰もそこから去らなかった。ある神学生たちは急いで外部にいる両親に電話し、この宣言によって自分たちが元気付けられたと、その喜びを伝えていた。

 エコンを訪問中のバルバラ神父は、大司教から例の宣言文を渡され、アリウス主義者に対する聖アタナシウスの「彼らは教会を有するが、しかし、我々は信仰を有している」と言う説教の横隣に、フォー・ダン・ラ・フワ(Forts dans la Foi=信仰の強者)誌面にこの宣言文を発表するのを急いだ。間もなく、この宣言文はイティネレール誌 や他の定期刊行物に再掲載された。

 1975年1月25日、例の2名の視察訪問者が作成した報告書を、3名の枢機卿たちにマミ司教立会いの元、提出した。ガロンヌ枢機卿は、「ご覧ください!」と言いながらルフェーブル大司教の宣言文を振りかざした。

 この時以降、成り行きは早まった。
 24日にマミ司教は、聖ピオ十世会に対して自分の前任者が与えた認可を取り下げる許しをタベラ(Tabera)枢機卿に要請した。この3枢機卿たちは、この施策を採る前に、警告が先に立つべきだろうと考え、25日には、先の教会法に基づく視察訪問の後に「幾分我々を当惑させている項目について」話すためにと言ってルフェーブル大司教を召喚した。

 2月13日、大司教は3枢機卿たちと会見した。
 「この視察団の報告は(あなたに対して)非常に好意的なのですが」とガロンヌが口火を切る「彼らは公会議と教皇に対する対立を見つけ出しました。ここをご覧ください。」 机の上にあったイティネレール誌 を指して彼は言った:「あなたの宣言は、この報告書に記されている疑いを確証付けるものですよ。つまりあなたは教皇と公会議に逆らっているのです!」

 ルフェーブル大司教は反論に出た。
「あの新しい異端の公教要理はどうなのですか?しかもルターのミサ以外の何物でもない新しいミサはどうでしょう?さらに共産主義への門戸開放は?それにもはや破門される事のないフリー・メーソンは?そしてどんな宗教も(カトリックと)同格にしてしまう信教の自由はどうなのですか?」

 2回目の会議が3月3日に行われた。タベラが叫んだ。
「あなたはご自分をアタナシウスと呼ばせているじゃないですか!」
ガロンヌは怒鳴った。
「あなたは自由主義に憑り付かれているんだ!」更に「気違いだあなたは!」と言い加え「カトリック教会は探求の途上にあるのです」と主張した。このような序章から始めて、彼らはようやく自分たちの言わんとする最も重要な部分に辿り着いた。
「あなたの宣言文は容認できません。何故ならあの文書は、神学生たちに、自分の個人的判断や、自分が理解するところの聖伝にに従うことを教えているからです。これは、あらゆる自由主義的教義の中でも最悪のものである自由解釈です!」  
 「それは違います」と大司教は応じて続ける。「私たちの判断の根拠となるものは、永遠の カトリック教会の教導権です。」

 「あなたは過去の教導権は認めても、現在の教導権は認めていません。それから1966年に教皇がピッツァルド(Pizzardo)枢機卿閣下にお書きになったように、第二バチカン公会議は教導権的なものです。」

 「カトリック教会とは、自分の聖伝を保全し、聖伝と断絶することが出来ない、そんなことは不可能です、教会とはそういうものです。」

 確かに、ガロンヌが言うように、現在の生ける教導権は信仰の規則ではある。しかし、ルフェーブル大司教が回答したように、現在の教導権は、それ自体が過去の教導権つまり聖伝により規定される限りにおいてのみ信仰の規則となるのだ。よってこの規定がはずれて教導権がうまく作用しない時、判断する基準は聖伝なのである。


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■ 聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれるローマ典礼様式のミサ)にようこそ!

2010年04月14日 | 聖伝のミサの予定
「もうこんなミサは嫌だ!もっとカトリックらしいミサに与りたい!」
と願うあなたを、聖伝のミサにご招待いたします

アヴェ・マリア!

「主日と守るべき祝日とを聖とし、ミサ聖祭に与るべし」とは、カトリック教会の六つのおきての一つです。カトリック信徒はミサに与る義務があります。ところが、その与るべきミサについて、あなたは悩んでいるのではないでしょうか。

あなたは、ミサに与るたびにこのような思いをしてはいませんか?

口語の祈りはどこか味気なく、典礼聖歌はカトリックらしさが感じられません。跪き台はなく、聖変化のときも立ったままです。まして跪いて御聖体拝領などできる雰囲気ではありません。ラテン語ミサに興味を示そうものなら、「古い」「時代に合わない」と言われて、寂しい思いをさせられます。

そこで、私は司祭として、そのような境遇にいるあなたに手をさしのべたいと思っています。あなたをカトリック伝統のラテン語ミサにご招待いたします。

今のカトリック教会から失われたものが、此処にはあります


正直なところ、日本の聖ピオ十世会には常設の聖堂がありません。ステンドグラスもありませんし、パイプオルガンも持っていません。大きな部屋をその都度お借りして使っています。

しかし、ひとたび祭壇を準備し、信徒が集まり、ミサ聖祭が始まると、どこよりもカトリックらしさに満ちた空間となります。東面式の祭壇、司祭の祭服、侍者のスータン、女性のベール、ラテン語の祈り、グレゴリオ聖歌・・・。目に見え、耳に聞こえるもの全てが、あなたを魅了するはずです。侍者の数が揃えば香を焚くこともあります。

「もうノヴスオルド・ミサには戻れない」という信徒もいます


深い沈黙も聖伝のミサならではです。司祭は囁くような声で祈りを唱え、神秘を保ちます。特にサンクトゥスの後、会衆は一斉に跪き、静寂と緊張のうちに聖変化の瞬間を待ちます。奉挙された御聖体を仰ぎ見るとき、あなたはこれまでにないほど敬虔な気持ちになれることでしょう。

いよいよ御聖体拝領のときは、安心して跪いて下さい。誰かに何かを言われたり、一人目立ったりすることは一切ありません。聖なるホスチアは、司祭自らの手で、一人一人の舌の上にラテン語の祈りとともに授けられます。

これこそ、あなたが求めているミサなのではないでしょうか。実際に、聖伝のミサに与った信徒からは、「もうノヴスオルド・ミサには戻れない」という声も聞いています。

聖伝のミサに来たら、もうあなたは一人ではありません


私たちの共同体は、あなたと同じように、ロザリオを文語で唱えたり、ラテン語の聖歌を愛する信徒ばかりです。トリエント・ミサのために遠くから駆けつけてくる熱心な人もいます。本当にカトリックの兄弟姉妹たちです。

ミサの後、お時間がありましたら、私たちと一緒にお食事やお話をしましょう。可能ならば勉強会や晩課にも参加してみて下さい。きっと充実したひとときを過ごすことができます。それはまた、本当の意味で主日を聖とすることでもあります。

それでは、今度の聖伝のミサに与れるよう、今から予定を立てておきましょう


聖伝のミサに与るために、今から何か一つの準備をして下さい。例えば、カレンダーに印をつける、巡回聖堂までの交通費を調べる、地図をプリントアウトする、シャツにアイロンをかける、スカートの試着をしておく、などのことができるでしょう。

ヨハネ・ヴィアンネ、ドン・ボスコ、マキシミリアノ・コルベ、パドレ・ピオなどなど、多くの聖人司祭たちがこよなく愛し、生涯捧げたカトリック伝統のミサに与れる日を、楽しみにしていて下さい。心よりお待ちしております。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


追伸: 聖伝のミサに初めて与るのは不安かも知れません。それでも、本物のカトリックのミサに与っているという安心感をお約束いたしますので、ぜひ勇気を出して下さい。

追伸2: ロザリオなど、何か祝別してほしいものがありましたら、初めてだからといって遠慮しないで持ってきて下さい。ラテン語の祈りと聖水とで祝別いたします。

2010年4月の聖伝のミサの予定

【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

   4月23日 金 17:30 平日(4級)白 殉教者聖ジョルジオの記念 小斎
   4月24日 土 11:00 殉教者シグマリンゲンの聖フィデリス(3級祝日)赤

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

   4月24日(土)午後6時30分 グレゴリオ聖歌に親しむ会
   4月25日(主)午前10時   ロザリオ及び告解
         午前10時半    聖伝のミサ
         午後2時半ごろ  公教要理の勉強
         午後3時半ごろ  休憩
         午後4時    グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
   4月26日 月 7:00 殉教者教皇クレトとマルチェリノ(3級祝日)赤
   4月27日 火 7:00 証聖者聖ペトロ・カニジオ(3級祝日)白

ウィリアムソン司教様のためのお祈りのお願い

2010年04月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
ウィリアムソン司教様のためのお祈りを心から愛する兄弟姉妹の皆様にお願い申し上げます。


アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様への祈りのお願い


 4月16日、ドイツにてウィリアムソン司教様の裁判が行われると、ウィリアムソン司教様からのメールのディアノスコプスにありました。
 この16日の裁判がウィリアムソン司教様にとって有利に終わるよう愛する兄弟姉妹の皆様の多くの祈りをお願いいたします。
 裁判まであと数日と迫りました。ウィリアムソン司教様のためのお祈りを心から愛する兄弟姉妹の皆様にお願い申し上げます。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.3.1.ローマの秘密会合と視察訪問

2010年04月14日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ш. 聖ピオ十世会廃止


ローマの秘密会合と教会法による視察訪問(Canonical Visit)

 一年が経った。神学生の数が95名となった事は、“複数の司教団を警報発動状態”に到らせていた。それは1974年3月9日にガロンヌ枢機卿がアダム司教に書いた手紙に現れている。6人か7人に1人という割合で、フランス人神学生たちがエコンを目指したのだから無理は無い!

 ガロンヌは、この問題解決をフランス司教団に約束した国務聖省長官ジャン・ヴィヨ枢機卿によって行動に打って出るよう動かされていた。常設秘書であるエッチェガライ(Etchegaray)大司教は、“6ヶ月もすれば、エコンは終わる”と保障した。神学校と、聖職者、そして修道会のそれぞれを管轄する三つのローマ聖省の長官たちは会合し決議をまとめた、“教皇聖下による認可”を受けた。続いて3月5日に、(おそらくはヴィヨから?) “与えられた命令への従順として”、例の三つの聖省はこの問題に関わる二名の司教(マミとアダム)を交えた会議を企画した。4月26日、神学校(及び大学)聖省本部にてこの会議は開催された。出席者らは、前述の「決議」を先ず検討し、ルフェーブル大司教には、彼が“どのようにして公会議の教令に従っているのかについての明確かつはっきりとした説明”と、“他司教区における修道院の開設”を統制する諸規範の受諾を要求することに決定した。

 フリブールに戻ったマミ司教は、1974年4月30日に大司教を呼び出した:「次は何処へ新たな修道院を創設するのですか?」

 「ちょうど私はローマに行って修道会聖省の秘書と会う事になっているので、その件に関しては彼に伝えます。」と大司教は答えた。5月4日、アルバノでの(修道院)創設について策略を企てたオギュスタン・マイヤー(Augustin Mayer;修道会聖省秘書)枢機卿はルフェーブル大司教と会談を行った。さらに(パリの)シュレン(Suresnes)とアルマダ(Armada)についてが話題に上った。

 秘書は言った:「それは良かった。ですが、御会が使用される典礼については?」

 ルフェーブル大司教は説明を試みた:「カトリック教会の利益になると言うこと以外に、私には他に選択の余地がありません。これは神学的問題でありまして、閣下もお分かりの様に、深刻な状況が存在しております。当然そこには原因も解決策も揃っています。ですから、この改革全体を受諾する事を避けながら、その一部分だけの受諾をする事など出来ません。そんなことをすれば、あの神学校は3週間で閉校です!」

 「それは非常に深刻ですね。」と、驚きと不安によりオギュスタン・マイヤー枢機卿は答えた。

 しかし「非常に深刻」なのはエコンではなくフランスである。フランスの神学校では、典礼の改革と、これに合致した司祭職の概念が強要され、新たに入学して来る学生の数は非常に少なかった。1973年の10月の時点で、フランスの神学校への新入生の数は、僅か131名だった!

 1974年夏、ある休暇中の訪問客がエコンに立ち寄り、ルフェーブル大司教への面会を要求したが、大司教は、黒の背広の司祭服に身を包みローマン・カラーを付けたこの男が誰であるか分からなかった。

 「何だね!」と叫んだ人は、ストラスブールの司教(1967年か1984年までの在位)だった。「君は(Ya)、このアルチュールがわからないのかね?」

 「おお、エルチンガー司教様じゃないですか」やっとのことで、大司教はそれが神学校時代の同僚であるレオン・アルチュール・エルチンガー(Léon Arthur Elchinger)だと気付いた。

 しかし「アルチュール」が尋ねる。「聞いたところによると、たくさん神学生がいるそうじゃないか?ストラスブールじゃ、あまり事が上手く行っていないよ。一体どのようにしているのかい?」

 ルフェーブル大司教がどのようにしているのか?いや、もっと適切な言い方をするなら、どのようにして病めさせるのか?これこそが、フランス、フリブール、シオン、そしてローマを悩ませる問題だった。

 1974年11月11日、突然「雷」が鳴り響いた。朝食後、大司教はエコンの共同体を呼び集め、正にその日、パウロ六世教皇聖下ご自身の命を受けた例のローマ三つの聖省の意向により調査にやって来る、二名の使徒訪問者を迎えると告げた。
 その訪問者を待つ間、神学校の廊下にいたルフェーブル大司教はオラニエ神父に打ち明けた。

「私たちが新しいミサを拒絶している事は、遅かれ早かれ躓きの石になるのは十分に読んでいますが、ローマや教皇聖下と対決しなければならなくなるなら死んだ方がましです!」

 (教皇庁)聖書委員会秘書モンシニョール・アルベール・デカン(Msgr. Albert Descamps)と、教会法典改正委員会の準秘書のモンシニョール・ギョーム・オンクラン(Msgr. Guillaume Onclin)は午前9時に到着した。3日かけて、この2名のべルギー人は、司祭や神学生たちに質問し、さらに神学的に逸脱ている発言をした。何と彼らは、既婚者の司祭叙階は正常かつ避けられない事だと考えており、真理が不変である事を認めず、さらには、キリストの御復活の物理的、現実性に疑念を表明した。彼らは一度も聖堂には行くこともなく、出発時には、プロトコールに反して、ルフェーブル大司教に対し視察報告書への署名さえ申し出なかった。

 ところが、彼らはゴットリープ神父にこう言ったのだ:「この神学校は99%問題ありませんね。」すると当の神父は自問した:「99%だって?減点された1%はミサだな、1%などとは極めて少ない!」

 11月11日、シオン司教区の婦人がアダム司教に面会に来て、彼に伝えた:「これからは、聖ピオ五世の御ミサだけを望みます。ですから私はエコンに行くつもりです。」

 司教は冷たく答えた:「心配しなくていいですよ。何れにせよ、カトリック教会の一致は直ぐになされるでしょうから。」

 ルフェーブル大司教は11月16日、ローマに出発した。11月22日、例の三つの聖省の一つを訪問中に、その瞬間まで彫像のように身動き一つしなかった一人のスイス人教皇護衛隊員(Swiss guard)が突然彼に話しかけた。

「大司教閣下、閣下はまだここにいる人々から何かを期待しておられるのですか?」

 驚きの余り、大司教は何も言わなかったが、あの11月11日に起きた教会法による視察訪問のことを思い出し、自分は聖省からは何一つ期待し得ないのだと悟った。アルバノへ帰ったルフェーブル大司教は、後に言うように、“義憤に駆られて”一気に、訂正する事もなく、自分の根本的立場を記したすばらしい声明書を書き上げた。彼は、この文書を12月2日にエコンの共同体に対して紹介した。
「これは、この神学校と聖ピオ十世会が、その創立以来持ち続けて来た立場ですが、(カトリック教会の)危機がより深刻化したためにこの宣言文では、より明確かつ限定的な言葉を使って表現しました。」


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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.2.5.ネストール・アダム

2010年04月13日 | ルフェーブル大司教の伝記
ネストール・アダム

 ネストール・アダムとしてはエコンがやっかいで、関係を断ち切りたかった。ガロンヌ枢機卿との会談の中で、自分は、エコンの神学校ではなく霊性学向けの一年度の設置だけを認可しただけだと主張した:「あの小神学校は、私の許可なく神学校になってしまったのです。私は既成事実として受け入れなければなりませんでした。」

 彼はこう言いながらも、実は言葉をもてあそんでいたのだ。狐のように抜け目無く、自分は書面による許可などしなかった、何故なら自分の与えた許可は口頭のみで書面においてではなかった、と彼は言い張る事が出来た。

 彼は念を押して、エコンでは“聖ピオ五世のミサ典書に固守し、教皇聖下はそれを廃止する事をお望みにならなかったと主張している”と伝えた。それ故、アダム司教は聖座からの確認を望んだ。

 1973年3月17日(例の確認を受けた、とどう見ても考えられる)、アダム司教はルフェーブル大司教に手紙を書いた。

「パウロ六世のミサには執行義務が伴います。私は司教区におけるセクトの形成を放置出来ません。カトリック教会の全歴史は、真の改革者たちは従順を免除された人々ではないと教えています。」

 そうではない、大司教は応じた。エコンは“反逆の中心地”などではなく、もし自分たちが古い典礼様式を固守しているとしたら、それは“反逆でもなければは不従順の精神によるのでもなく、信仰を守る精神に基づいてのこと”なのだ、と。

 ここまで演じられている劇的な事件はシオンが舞台であり、エコンではない。マルセル・ルフェーブルは、信仰を守る戦いは「誤って解釈された従順」以上に重要である事を言明した。ネストール・アダムはこの信仰を守る戦いに絶望してしまった。彼は、第二バチカン公会議を盲目的に信じる事を選択し、それが自分の司教区に及ぼす損害が何であろうと、従う決意をしていた。信徒と司祭からなる評議会の進歩主義的要素が彼を麻痺させた。アダム司教は、リッドの小教区主任司祭を“聖ピオ五世派”という理由で追放したが、この勇敢な司祭は村から出ることなく、聖堂に転用された製材所に留まった。ある日、彼の所にやって来たアダム司教は、明快かつ酷い言葉を口にした。

「雪崩が来るぞ、そうだ、来てしまえ!どうして何時も邪魔をするんだ君は?」

 ルフェーブル大司教を中心に集まったのは、様々な原理のために、真理のために、さらに聖なるミサに対する愛を彼がその中に鼓舞した多くの若者たちだった。彼は、人間的には予想し得なかったこの(聖伝による信仰死守の)活動の発展の中に、“天主はカトリック教会の善の為にこの仕事を必要とされている”という摂理的確証を悟った。“カトリック教会に本物かつ聖なる司祭たちを提供する”為に、彼は自分の道をまっすぐに進んだ。たとえそれが、“第二バチカン公会議の改革主義的教会破壊の風潮”と対決するという危険を冒す事は十分知りつつも。



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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.2.4.「聖伝の実験をお願いしている」

2010年04月12日 | ルフェーブル大司教の伝記
「私は聖伝の実験をすることをお願いしているのです」

 討論というこの段階において、大司教はこのような騒ぎは、自分の事業にとってローマにおいて不利な結果を招き得る事を案じたかも知れない。それにもかかわらず、生まれつき悲観主義者ではなかった彼は安心していた。それは、ただカトリック教会の業を行いたいという願望と、カトリック教会こそが裁いてくれる!という確信に基づいていた。1973年2月2日、聖霊司祭修道会から招かれて、ブゥヴェレ(Bouveret)に行った際に、テーブル上での活発な会話の中で、彼はこのような言明さえした。

「ある神学生たちが私に会いに来るのです。彼らを見殺しにすべきだったとでも言うのですか?私の神学校は流れに逆らっているのを知っています。もしローマが介入してくれば、私は降参を認めます。ですが、聖なる司祭の養成は( . . . )私たちには、常に必要です。(司祭が必要な)司教様の中には、もう司祭の注文を済ませている司教さまたちもいます。」

 マミ司教はフランス司教団の見解に寄り添い、こう宣言した。
「過去のやり方に逆戻りすることで、将来を担う司祭たちを準備する事など出来ない。」

 大司教は、パリのミュチュアリテ(Mutualité)公会堂で、「優しく微笑みつつも、特徴ある物に動じない決意をもって」講演しながら、自分は、神学生たちに“母なるカトリック教会を愛するように教えている事、さらにミサの聖なる犠牲は、司祭生活の中心であること、公教要理とは、聖伝を通して伝承された啓示の遺産であること”を挙げて応酬した。

 聖ピオ五世のミサに関してはこう述べた。
「いろいろな小グループのためのミサに関して出された方針には従っています(聴衆の笑い声)。私は聖伝の実験をやらせてほしいとお願いしているのです(拍手喝采)。」

 “この急成長している野良猫神学校”を扱う新聞の記事、報道はさらにその数を増した。コアッシュ神父は、1972年にフラヴィニーにあるメゾン・ラコルデール(the Maison Lacordaire )を既に購入していたが、今度はこのフラヴィニーというブルゴーニュの小さな村の小神学校を、「エコンと連携して」)1974年度に入学して来る最初の小神学生たちを収容するために考えて買い取った 。

 こうして、増大するフランス司教団の不満と、ネストール・アダムに募る不安、さらには、むしろ共鳴してくれる新聞報道と慎重なローマの沈黙の全てが、カトリック教会内部の健全かつ合法的な勢力として活動する、生き生きとした戦闘的な聖伝の自由な活動を助長した。

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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.2.3.エコンは“野良猫神学校”?

2010年04月11日 | ルフェーブル大司教の伝記
エコンは“野良猫神学校”?

 “ラテン語のミサ”が依然として執り行われ、スータンの着用、厳格な規則が遵守され、“公会議以前の”司祭養成をなし、フランス人司祭志願者たちが殺到している神学校は、フランスの司教たちにとって、悩みの種でしかなかったであろう。

 1971年の間、ある誤った報告が、フリブールにおけるルフェーブル大司教の一元協力者によってなされ、フランス司教団の耳に入った。彼らはガロンヌ枢機卿に尋ねた。他の神学校からの離反者を受け入れるこの神学校は一体どういう所なのか、間もなくガロンヌはアダム司教に尋ねた。

「エコンが、司教区の神学校からの神学生たちを受け入れているという話は本当でしょうか?そうなれば、教会法に抵触することになりますよ。」

 1972年2月10日、ネストール・アダムは回答し、そこに在学する41名の神学生の内、他の神学校から来ているのは3名だけであり、彼らは、所属する司教区とは教会法的に何の問題もないことを伝えた。ヴァレー地方エコンの影響力に関しての枢機卿からの他の質問に対し、アダム司教は何時ものように決めかねる様子で答えた。

「進歩主義者たちは痛烈に反対し、‘完璧主義者’たちは賛成する傍らで、多くは無関心です。個人的な意見を言わせていただければ、多元主義のためにも彼らのような人々は存在する権利を持つはずです」。

 ネストールの言う通りであった。エコンはスイス全土における逆らいの印、あるいは(反近代主義)集結地点となりつつあったからである。3月18日、フリブールへの巡礼に700名のカトリック信徒たちが集まり、決議文を作って、「聖ピオ五世が復興したローマ・ミサ典書が有する完全な合法性の承認と、さらに聖ピオ十世司祭会に対する全面的な支援」とを要求してスイスの司教たちに求めた。
 彼らが求めたのはそれだけだった!しかし、ルフェーブル大司教が、この信徒たちの自発的な行動には一切の係りを持たなかったという事を言い加えたい。フランス人司教らは身震いし、カルメル会神学校校長のマルクス(Marcus)神父はパリ大司教区から来た司祭たちの会議中、「司祭養成への野蛮な事業の・・・冒険と、・・・地元司教らの許可を持たない志願者たちの受け入れをする超保守的神学校」とを告発する権威を持つと考えた。「彼らはカトリック教会に確かな司祭たちを与えるとうそぶいている。しかしカトリック教会は彼らを自分たちの者と認めることは出来ないだろう。」切断の包丁は冷たくグサリと降りた。驚くべき事に、この将来の司教はその少し前までは、フリブールの聖ピオ十世会神学校に入学を望むカルメル会神学生たちの件でルフェーブル大司教と手紙のやりとりがあったばかりだった。

 本人からの情報を得ようと、フランス司教らは、ナンテール(Nanterre)のジャック・ドゥラリュ(Jacques Delarue)司教を非公式視察人としてシオンとエコンに送った。1972年3月24日、彼は数人の教師及び神学生たちと話す事ができた。彼は手厚い歓迎を受けたのだが、この視察後、アダム司教に言った。

「個々の雰囲気は友好的で. . . . 私は、自分がここに来たのは非難するためでも、賛成する為でもなく、何よりも先ず彼らを知る為だったという事を伝えたのです。」

 計画を立てれば、直ちに口ばしを挟み、自分たちとは全く無関係な神学校や、自分たちに対して、これっぽっちの期待もしていない神学生たちに向けられる(少なくとも聖ピオ十世会の会員になろうとしてエコンにやって来た神学生)フランス人司教たちの干渉にルフェーブル大司教は怒りを覚えた。

 しかし、1971年に237名に落ち込んだフランス国内の神学校への入学者数を比較する秤において、大半はフランスからやって来た40名の、そして間もなく70名に達する(エコンの)神学生たちが、大きな割合を占めていた事を彼は熟知していた。

 特にメナジェ(Ménager)司教は、モー(Meaux)の小神学校からもともとマソン神父が霊的指導をしていた学生たちを魅了し、地元の小神学校からエコンに移って行ってしまった生徒たちの損失に不満だった。彼は自分の“思い”をパリ大司教のフランソワ・マルティ(François Marty)枢機卿に打ち明けた。
 ボルドーの補佐司教フランソワ・フルテリエールは、次回のフランス司教総会に向けて、フランス国内の神学校に関する報告書をまとめ上げなければならなかった。マルティ枢機卿はこの司教に、エコンの神学校についてルフェーブル大司教に尋ねるよう要請した。

 大司教は率直な提案をもって回答した。
「私は、元トゥールの司教として、対話し、誤った情報を訂正するためにルルドに行きましょうか。」

 そこで、パリではパニックが発生し、マルティ枢機卿がエコンにいる大司教に手紙を書いた。
「あなたがルルドにお越しになる事は、我々にして見れば相応しいとも適当であるとも考えられません。」

 大司教は彼に直接電話を入れると、当のフランソワ・マルティは、ルルドではエコンについての如何なる議論も行わない事を約束した。

 10月30日にルルドで可決された“決議”には、彼らが(約束に反して)エコンについて議論した事が証明されている。事実それはこう言明していた。
「司祭役務に向けた養成は、司教団の枠における司教の責任下にある。それ故、我々は、我々が同意した選ばれた諸神学校で司祭職の準備をしている[志願者]の叙階のみを引き受けるものとする。」

 マルティ枢機卿は述べた。
「カトリック教会が望む通りの、・・・第二バチカン公会議が描写する通りの司祭の役務を保護するのは私たちの義務である。」

 この公言ははっきりとしている。つまり、第二バチカン公会議は新しい司祭職を考案し、エコンこそがそれを危険に曝す神学校なのだ。

 12月11日発行のフィガロ誌と、13日発行のオロール誌(L’Aurore)の中で、ルフェーブル大司教は回答した。エコンにある聖ピオ十世会の神学校は「ジュルネ枢機卿の激励とアダム司教の賛同により」創立されていること、さらに、ローマも聖ピオ十世会を励ましていること、最後に「神学校は原則として、如何なる司教評議会にも依存しておらず、とりわけフランスの司教たちの承認を必要としないこと、さらに、それは聖ピオ十世会の神学校であり、それ故に自主独立したものである」ことなどを説明した。


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