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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 17.3.2.1974年11月21日宣言

2010年04月15日 | ルフェーブル大司教の伝記
1974年11月21日宣言

 大司教の説明によれば、全改革、つまり新しいミサと新しい公教要理、さらに新しい神学校とは“一貫性がある”。これらは、全て、第二バチカン公会議に台頭し現在ではカトリック教会をその荒廃に導いている自由主義とプロテスタント主義、さらに、近代主義に起因する。私たちは追い詰められている。選択を迫られているのだ。反乱をすることなく、私たちは永久のカトリック教会が信じてきたことと実践してきたこととを選ぶ。その結果:

「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる。私たちは、しかしながら、第2バチカン公会議とそれに由来して公会議後の全ての改革において明らかに現れた公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを拒否し、常に拒否した。」

 ルフェーブル大司教は宣言文を全て読み上げることが出来なかった。神学生たちが、まさに極めて重大な瞬間を生きているのだと意識して拍手喝采したためだ。大司教は人間くさい全ての賢明に重きをおかず、信仰の観点から、第二バチカン公会議以後の改革全てに対して、公然と戦争開始の宣言をしたのだ。

11月27日、彼は教授陣に打ち明けた。
「私たちに反対するどの様な制裁が加えられようとも、この状況下では、もはや従順の問題は一切発生しません。これは信仰維持の問題ですから。もしも、10人や20人、さらに40人が立ち去ろうとも、私はここに留まります!」

 しかし、12月2日になっても誰もそこから去らなかった。ある神学生たちは急いで外部にいる両親に電話し、この宣言によって自分たちが元気付けられたと、その喜びを伝えていた。

 エコンを訪問中のバルバラ神父は、大司教から例の宣言文を渡され、アリウス主義者に対する聖アタナシウスの「彼らは教会を有するが、しかし、我々は信仰を有している」と言う説教の横隣に、フォー・ダン・ラ・フワ(Forts dans la Foi=信仰の強者)誌面にこの宣言文を発表するのを急いだ。間もなく、この宣言文はイティネレール誌 や他の定期刊行物に再掲載された。

 1975年1月25日、例の2名の視察訪問者が作成した報告書を、3名の枢機卿たちにマミ司教立会いの元、提出した。ガロンヌ枢機卿は、「ご覧ください!」と言いながらルフェーブル大司教の宣言文を振りかざした。

 この時以降、成り行きは早まった。
 24日にマミ司教は、聖ピオ十世会に対して自分の前任者が与えた認可を取り下げる許しをタベラ(Tabera)枢機卿に要請した。この3枢機卿たちは、この施策を採る前に、警告が先に立つべきだろうと考え、25日には、先の教会法に基づく視察訪問の後に「幾分我々を当惑させている項目について」話すためにと言ってルフェーブル大司教を召喚した。

 2月13日、大司教は3枢機卿たちと会見した。
 「この視察団の報告は(あなたに対して)非常に好意的なのですが」とガロンヌが口火を切る「彼らは公会議と教皇に対する対立を見つけ出しました。ここをご覧ください。」 机の上にあったイティネレール誌 を指して彼は言った:「あなたの宣言は、この報告書に記されている疑いを確証付けるものですよ。つまりあなたは教皇と公会議に逆らっているのです!」

 ルフェーブル大司教は反論に出た。
「あの新しい異端の公教要理はどうなのですか?しかもルターのミサ以外の何物でもない新しいミサはどうでしょう?さらに共産主義への門戸開放は?それにもはや破門される事のないフリー・メーソンは?そしてどんな宗教も(カトリックと)同格にしてしまう信教の自由はどうなのですか?」

 2回目の会議が3月3日に行われた。タベラが叫んだ。
「あなたはご自分をアタナシウスと呼ばせているじゃないですか!」
ガロンヌは怒鳴った。
「あなたは自由主義に憑り付かれているんだ!」更に「気違いだあなたは!」と言い加え「カトリック教会は探求の途上にあるのです」と主張した。このような序章から始めて、彼らはようやく自分たちの言わんとする最も重要な部分に辿り着いた。
「あなたの宣言文は容認できません。何故ならあの文書は、神学生たちに、自分の個人的判断や、自分が理解するところの聖伝にに従うことを教えているからです。これは、あらゆる自由主義的教義の中でも最悪のものである自由解釈です!」  
 「それは違います」と大司教は応じて続ける。「私たちの判断の根拠となるものは、永遠の カトリック教会の教導権です。」

 「あなたは過去の教導権は認めても、現在の教導権は認めていません。それから1966年に教皇がピッツァルド(Pizzardo)枢機卿閣下にお書きになったように、第二バチカン公会議は教導権的なものです。」

 「カトリック教会とは、自分の聖伝を保全し、聖伝と断絶することが出来ない、そんなことは不可能です、教会とはそういうものです。」

 確かに、ガロンヌが言うように、現在の生ける教導権は信仰の規則ではある。しかし、ルフェーブル大司教が回答したように、現在の教導権は、それ自体が過去の教導権つまり聖伝により規定される限りにおいてのみ信仰の規則となるのだ。よってこの規定がはずれて教導権がうまく作用しない時、判断する基準は聖伝なのである。


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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