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十二月八日 聖母マリアの無原罪の御孕り(一級祝日)の聖伝のミサのラテン語・日本語対訳テキストをご紹介します。

2019年11月19日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

十二月八日 聖母マリアの無原罪の御孕り(一級祝日) 白

無原罪の御孕りの祝日を祝ったという歴史は、東方教会では六世紀、西方教会では九世紀からのことである。聖アンセルモとベネディクト会、ドゥン・スコトとフランシスコ会は、マリアのこの特権を常に支持して来た。
クレメンテ十一世教皇は、一七○八年に、無原罪の御孕りの信心を、全教会に勧め、一八五四年十二月八日、ピオ九世によって、“聖マリアはアダムの罪の結果を身におびずして懐妊され給うた”ことを、信仰箇条として宣言された。天主の母となるべく予定されたマリアは、一瞬たりともサタンの支配下にはなかった。キリストの功徳の予定によって、聖マリアは、原罪なく、聖霊にみちたものとしてやどられ、この世に生まれ出給うた。
ミサ聖祭: 聖マリアのいと浄きよろこびと心を合わせ、聖マリアを御独子の御托身の神殿となすべく、かくも美しく汚れなくえらび給うた天主に感謝しよう。聖マリアは、天主の上智によって永遠に選び出された。公教会は、聖書が天主の上智について語っていることを、ためらうことなく聖マリアに適用する。聖寵にみちみちたこの「新しきエワ」は、あがない以前のあがないであり、御民のほこりであり、喜びである。聖マリアのこの特権に信仰をもたねばならぬ。その恩寵は、全人類に及ぶものである。

 

die 8 decembris 十二月八日
IN CONCEPTIONE IMMACULATA B. MARIÆ VIRGINIS 聖母マリアの無原罪の御孕り
I classis 一級祝日
Ant. ad Introitum. Is. 61, 10. 入祭文、61ノ10.
Gaudens gaudébo in Dómino, et exsultábit ánima mea in Deo meo : quia índuit me vestiméntis salútis : et induménto iustítiæ circúmdedit me, quasi sponsam ornátam monílibus suis. 私は主において喜びに喜ぶだろう、私の霊魂は私の天主において喜び踊るだろう。何故なら、主は私に救いの服を着せてくださり、正義の衣服によって私を覆ってくださったからだ。その宝石によって飾られた花嫁のように。
Ps. 29, 2 詩篇、29ノ2.
Exaltábo te, Dómine, quóniam suscepísti me : nec delectásti inimícos meos super me. 主よ、私は御身を高く褒めるだろう、御身は私を受け入れてくださったが故に。御身は私の敵どもが私の上に立つことを喜ばれなかったが故に。
V/. Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。
Gaudens gaudébo in Dómino, et exsultábit ánima mea in Deo meo : quia índuit me vestiméntis salútis : et induménto iustítiæ circúmdedit me, quasi sponsam ornátam monílibus suis. 私は主において喜びに喜ぶだろう、私の霊魂は私の天主において喜び踊るだろう。何故なら、主は私に救いの服を着せてくださり、正義の衣服によって私を覆ってくださったからだ。その宝石によって飾られた花嫁のように。
Oratio. 集祷文
Deus, qui per immaculátam Vírginis Conceptiónem dignum Fílio tuo habitáculum præparásti : quǽsumus ; ut, qui ex morte eiúsdem Filii tui prævísa eam ab omni labe præservásti, nos quoque mundos eius intercessióne ad te perveníre concédas. Per eúndem Dóminum. 天主よ、御身は、童貞女の無原罪の御孕りを通して、聖子(おんこ)にふさわしい住居を準備し給うた。願わくは、同じ聖子の御死去を予見して、聖母をすべての罪の汚れより防ぎ給うた御身が、聖母のとりつぎによって、我らも潔められ、御身に至るよう恵み給え。その同じわれらの主(…)。
.Léctio libri Sapiéntiæ. 智慧の書の朗読
Prov. 8. 22-35. 箴言、8ノ22-35.     
Dóminus possedit me in inítio viárum suárum, ántequam quidquam fáceret a princípio. Ab ætérno ordináta sum, et ex antíquis, ántequam terra fíeret. Nondum erant abýssi, et ego iam concépta eram : necdum fontes aquárum erúperant : necdum montes gravi mole constíterant : ante colles ego parturiébar : adhuc terram non fécerat et flúmina et cárdines orbis terræ. Quando præparábat cælos, áderam : quando certa lege et gyro vallábat abýssos : quando .thera firmábat sursum et librábat fontes aquárum : quando circúmdabat mari términum suum et legem ponébat aquis, ne transírent fines suos : quando appendébat fundaménta terræ. Cum eo eram cuncta compónens : et delectábar per síngulos dies, ludens coram eo omni témpore : ludens in orbe terrárum : et delíciæ meæ esse cum filiis hóminum. Nunc ergo, filii, audíte me : Beáti, qui custódiunt vias meas. Audíte disciplínam, et estóte sapiéntes, et nolíte abiícere eam. Beátus homo, qui audit me et qui vígilat ad fores meas cotídie, et obsérvat ad postes óstii mei. Qui me invénerit, invéniet vitam et háuriet salútem a Dómino. そのはじめ、創造のはじめより、主は私を有し給うた。永遠より、世の創造以前、太古より、主は私を立て給うた。深淵(ふち)がまだない時に、すでに私は孕された者であった。水の泉がまだほとばしらず、山々がまだその重々しい高さにそびえ立っておらず、数々の丘もまだつくられていない時、私は生まれた。主が、まだ地球をつくり給わず、川の流れもつくり給わず、地の軸もつくり給わず、天をつくり給うた時、私は在った。主が、深淵(ふち)をほって、その則(のり)を定め給うた時、蒼空(あおぞら)をつくり、水をほとばしらせ、海をほり、陸の水に則を定め給うた時、地球の基を置き給うた時、私はすでにそこに在った。私は、すべての秩序を立てるために、主とともに在った。そして、日々、主とともに在り。その御前でたわむれ、地上で遊ぶことが、私の喜びであった。人の子らとともにいることも、私の喜びであった。故に、子らよ、私のいうことを聞け。私の道を守る者は幸せである。私の戒めを聞いて、智(さと)い者となり、上智をすてるな。私の言葉を聞き、私の門前で日々警戒しつつ、私の家の門に立つ者は幸せである。私を見出す者は生命を見出し、主において救いをくみとるであろう。
   
Graduale. Iudith 13, 23. 昇階誦、ユディット書、13ノ
Benedícta es tu. Virgo María, a Dómino, Deo excélso, præ ómnibus muliéribus super terram. 童貞マリアよ、御身はいと高き主なる天主によって、地上の全ての女たちよりも祝福された。
V/. Ibid. 15, 10. Tu glória Ierúsalem, tu lætítia Israël, tu honorificéntia pópuli nostri. V/. ユディット書、15ノ10. 御身はエルサレムの栄光、御身はイスラエルの喜び、御身は私たちの民の名誉。
Allelúia, allelúia. V/. Cant. 4, 7. Tota pulchra es, María : et mácula originális non est in te. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ、 V/. 雅歌、4ノ7, マリアよ、御身は全く美しい、且つ、原罪の汚れは御身においては無い。アレルヤ。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Lucam. ルカによる聖福音の続誦
Luc. 1, 26-28. ルカ、1ノ28
In illo témpore : Missus est Angelus Gábriël a Deo in civitátem Galilǽæ, cui nomen Názareth, ad Vírginem desponsátam viro, cui nomen erat Ioseph, de domo David, et nomen Vírginis María. Et ingréssus Angelus ad eam, dixit : Ave, grátia plena ; Dóminus tecum : benedícta tu in muliéribus. そのころ、天使ガブリエルは、ガリラヤのナザレトという町の、ダヴィド家のヨゼフといいなづけである、マリアという乙女のもとに、天主からつかわされた。天使はマリアのところに来て、「あなたに挨拶します、恩寵にみちたお方!主はあなたとともにおいでになります。あなたは女の中で祝福された方です」といった。
Credo 信経
Ant. ad Offertorium. Luc. 1, 28. 奉献文、ルカ、1ノ28
Ave, María, grátia plena ; Dóminus tecum : benedícta tu in muliéribus, Allelúia. めでたし、マリアよ、聖寵に満ちみてる方よ、主は御身と共にまします、御身は女の内にて祝せられ給う、アレルヤ。
Secreta 密誦
Salutárem hóstiam, quam in sollemnitáte immaculátæ Conceptiónis beátæ Vírginis Maríæ tibi, Dómine, offérimus, súscipe et præsta : ut, sicut illam tua grátia præveniénte ab omni labe immúnem profitémur ; ita eius intercessióne a culpis ómnibus liberémur. Per Dóminum. 主よ、聖なる童貞マリアの無原罪の御孕りの荘厳な祝日において、われらが御身にささげ奉る救いのいけにえを受け入れ給え。また、御身の聖寵の介入により聖母がすべての汚れより免れ給うことを我らが宣言し奉るごとく、聖母の御取次によって、われらがすべての罪より解放されんことを与え給え。天主として、(…)。
Præfatio de B. Maria Virg. Et te in Conceptióne immaculáta. 序誦 聖母マリアの序誦 (序誦中、「無原罪の御孕りにおいて」とかわる)
VERE dignum et justum est, æquum et salutáre, nos tibi semper, et ubíque grátias ágere: Dómine sancte, Pater omnípotens, ætérne Deus. Et te in Conceptióne immaculáta beáte Maríæ semper Vírginis collaudáre, benedícere et prædicáre. Quæ et Unigénitum tuum Sancti Spíritus obumbratióne concépit: et virginitátis glória permanénte, lumen ætérnum mundo effúdit Jesum Christum Dóminum nostrum. Per quem majestátem tuam laudant Angeli, adórant Dominatiónes, tremunt Potestátes. Cœli, cœlorúmque Virtútes, ac beáta Séraphim, sócia exsultatióne concélebrant. Cum quibus et nostras voces, ut admítti júbeas, deprecámur, súpplici confessióne dicéntes:  Sanctus, ... 聖なる主、全能の父、永遠の天主よ、われらが、いつも、どこにても、主に感謝を捧げ、又、終生童貞なる聖マリアの無原罪の御孕りにおいて、御身をたたえ、祝し、宣言し奉ることは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。聖母は、聖霊の能力によって、御独り子を宿し給い、童貞性の光栄を損なうことなく、永遠の光明なるわれらの主イエズス・キリストをこの世に生み給うた。彼によって、天使らは、主のみいずをほめたたえ、主天使は礼拝し、能天使はふるえおののく。天と天の力天使と、福(さいわい)なる熾天使は共に喜び、それをたたえ奉る。願わくは、彼らの声に、われらの声をも交えさせ給え。われらは深く礼拝しつつ、こう歌うであろう。 聖なるかな、…
Ant. ad Communionem. 聖体拝領誦
Gloriósa dicta sunt de te, María : quia fecit tibi magna qui potens est. マリアよ、御身について偉大なことが言われた、何故なら力ある方が御身に偉大なことをなさったからだ。
Postcommunio 聖体拝領後の祈
Sacraménta quæ súmpsimus, Dómine, Deus noster : illíus in nobis culpæ vúlnera réparent ; a qua immaculátam beátæ Maríæ Conceptiónem singuláriter præservásti. Per Dóminum. 主よ、我らの天主よ、我らが受け奉った秘蹟が、われらにおいて、かの罪の傷を修復せんことを。その罪から、御身は、聖マリアの無原罪の御孕りを特別に守り給うればなり。天主として、(…)。

 



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