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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

罪の無かったマリア様は、想像をはるかに超えたような苦しみをお受けになりました。

2021年09月22日 | お説教・霊的講話

2021年9月18日(土)証聖者クペルチーノの聖ヨゼフのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(修道院)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日、クペルチーノの聖ヨゼフのミサを捧げています。

しかしマリア様の七つの御悲しみの祝日がつい先日ありましたので、一緒にマリア様の悲しみについて黙想致しましょう。

マリア様は罪の無い御方でした。ですから私たちはともすると、マリア様は一生の間、平和に、何も苦労もなく、何も心配する事もなく、天主様から愛された方ですから、そのまま平安な喜びに満ちた、幸せな生活をされたに違いない、と私たちはつい想像してしまいがちです。

しかし、罪の無かったマリア様こそ、罪の無かったイエズス様と共に、私たちがおそらく経験する事もできないような、私たちの想像をはるかに超えたような苦しみをお受けになりました。マリア様の受けたその苦しみを、全世界の今生きている40億人の人にちょうど等しく分けて、その私たちの配分の、その等しく分けられたものの一つをもしも私たちが感じたとしたら、あまりにも辛い事なので、苦しくて、苦しいあまりに心臓が痛くなって、息もできないほど苦しくなって、もうそのまま気絶してしまうか、息を引き取ってしまうほどの苦しみだった、それをマリア様は更に集めて、御一人でイエズス様と共に苦しまれた、と言われています。

マリア様の七つの悲しみにまとめられるこの苦しみは、

1.まず、シメオンの預言。

考えても見て下さい。赤ちゃんが生まれたばかりの若い16か7になる若い、汚れの無いお母さんが、イエズス様を苦しみもなくお産みになって、そして初めてそのモーゼの掟の通り、40日目に初子を、初めての赤ちゃんを御潔めの式に与り、その時に老人が全てを知っていて、「この子は、イスラエルの全ての民の栄えと滅びの原因となる。この子によって全ての良心が明らかになる。イスラエルの栄光であって、異邦人を照らす光だ」とシメオンが預言します。「そしてあなたの心も、剣で刺し貫かれるだろう。悲しみで貫かれるだろう」と預言されました。

2.マリア様の第二の御悲しみは、エジプトに脱出しなければならなかった事です。

人類の為にお生まれになった天主の御言葉、御一人子、救い主が、地上の王によって命を狙われている。何という忘恩。

3.第三の悲しみは、イエズス様が神殿で12歳の時に行方不明になられた事です。

マリア様は、「もしかしたら自分のせいで、自分の過失で(そんな事はあり得ないのですけれども)もしかしたら、なぜイエズスはいなくなったのか。」3日間、暗黒のような暗闇のような気持ちで、イエズス様を探されました。

イエズス様を神殿に見出された時に、イエズス様は「何故あなたは、私が聖父の仕事をしなければならない事を知らなかったのですか?」とも言いました。マリア様はこの言葉がその時には分かりませんでした。ずっと汚れ無き御心の中に留めて黙想しておられました。イエズス様が十字架に付けられて3日目によみがえるその時に、その深い意味がお分かりになる事だった事でしょう。

残る四つは、「イエズス様の御受難だ」と言われています。

4.マリア様が、十字架を担って十字架の道を歩まれる、傷だらけの、血にまみれた姿の、目も当てられないイエズス様とお会いになった事。

どれほどの苦しみだった事でしょうか。

5.第五が、イエズス様の十字架での釘付け。

かつて殉教者の母が、自分たちの子供が殉教するのを励ましながら見た、聖なる母親たちがいました。マリア様はこのイエズス様の御苦しみの為に、血は流さなくとも、多くの殉教の苦しみを受けました。

今日書簡の中で、「聖クペルチーノの愛徳があまりにも熱烈だったので、その体さえも天に上げられた」という史実の、歴史の本当の話から、聖パウロの「愛」についてのコリント人への手紙が読まれましたが、「もしも私たちが、天主の成聖の恩寵の愛の状態になければ、全く虚しい」と聖パウロは言っています。「もし私が体を焼かれる為に与えても、自分の持っている財産を全て貧しい人々に施しても、天主への愛がなかったら全く空しい。」

マリア様がイエズス様の十字架の足元に立ったのは、この天主への愛に燃えていて、成聖の御恵みの、成聖の状態の極みにあったからです。天主の御母にふさわしい、ほぼ私たちが理解する事のできないほどの巨大な御恵みを持っていたからこそ、マリア様はそれほどの、イエズス様と共に苦しみを捧げる事によって、「共贖者」と、共同の罪の贖いをする事ができる方となりました。

イエズス様の苦しみとマリア様の苦しみは、分かち難く一つになりました。アダムとエヴァの罪が二人で犯されたように、第二のアダムと第二のエヴァの贖いの業は、二人で完成されました。

6.マリア様の第六の御悲しみは、その傷だらけの御子を胸に受け取られたこと。

7.そして第七に、お墓に葬られます。

このマリア様、このような苦しみを何故お受けになったのでしょうか?

それは、私たちを愛する為でした。イエズス・キリストと共に、私たちを愛する為でした。ですから、マリア様に是非、私たちにもマリア様の御心にある炎をできるだけ頂いて、そして私たちの日常の辛い事や苦しみを、御捧げする事ができる御恵みを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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