2021年9月12日(主日)聖霊降臨後第16主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
一つ、お祈りの意向のお願いがあります。昨日山形のミカエルさんの奥さんから電話がありました。私たちの兄弟であるミカエルさんが、どうも調子が悪かったので病院に行ったところ、緊急に入院されるとの事でした。癌の末期で、全身に癌が広がっていて、もう何もする事ができない、…との事です。お祈りをお願い致します。
今日は主日で、イエズス様の前に出た二人のグループの人がいます。
一つのグループは、ファリサイ人たちで、イエズス様の行動を見計らっていました。
もう一つは、イエズスがいらっしゃると聞いてやって来た、水腫を患った人でした。
私たちは、今日、このミサに水腫の病を患った人の態度で、イエズス様の前に近付きましょう。
この人は、水腫の為に体中に水が溜まってむくんでいて、体中全体が痛くてたまらず、イエズス様がいらっしゃると聞いて近くにやって来ました。そしていきなり前に姿を現しました。何も頼みませんでした。ただ目で、「主よ、憐れんで下さい!」と叫んでいました。「この姿を見て下さい」とも言うかのように、自分の姿を見せて、イエズス様に全幅の信頼を置いて、憐れみとそして恵みを乞い求めていたかのようです。「イエズス様ならば、私の姿を見て憐れんで下さる。そして私を癒して下さる」という信頼に満ちていました。
彼を見たイエズス様は、律法学士やあるいはファリザイ人たちに問いかけます。
「安息日に癒やす事は許されているのか?」
彼らは何も答えませんでした。イエズス様はこの水腫の男を癒して、家に帰らせます。
ファリザイ人たちは何故答えなかったのでしょうか?何故イエズス様を見張っていたのでしょうか?
何故かというと、イエズス様のなさる事のどこかに悪いところがあるか、攻撃の内容があるかないか、という事を探っていたからです。ドン・ゲランジェによると「それはファリザイ人たちが傲慢であり、妬んでおり、イエズス・キリストのその力を、その成功を、それを悲しんでいたからだ」と言います。
「ちょうど悪魔がルチフェルが、人間が天国に行くのを妬んで悲しんだように、あるいはカインがアベルの犠牲(いけにえ)をねたんで、アベルの犠牲が受け入れられたのを悲しんだように、ファリザイ人も、イエズス様のその良さに、その善徳を見て悲しんだからだ」と言います。
ですから、今日、私たちはファリザイ人たちのようではなく、この水腫の男のように、謙遜に、イエズス様の愛の聖心に、憐れみの聖心に近寄りましょう。
「他の人ではなく、私の欠点、私の惨めさ、私の足らなさ、私の罪、咎、私の不足、弱点、弱さを御覧下さい。イエズス様、御身が憐んで下されば、全能の力で私が望んだよりも以上の事を更にして下さる事ができます。」
そのイエズス様の愛の深さと、広さと、高さと、その崇高さと、それは計り知れないものですから、イエズス様の愛の聖心に近寄って、その御憐れみを乞い求めましょう。そして私たちがその憐れみによって癒されますように、マリア様の御名によって、私たちの御取次ぎを乞い願いましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
ミカエルさん秋田巡礼には必ず来ていましたね👼
主祷文 天使祝詞 7回づつ
ミカエルさんのために
聖ヨゼフの栄光のため
煉獄の霊魂のために
お捧げします