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2016年聖母小黙想会 8月14日 シュテーリン神父様 ミサのお説教「聖マキシミリアノ・コルベ神父様に取り次ぎを求める」

2019年01月18日 | お説教・霊的講話
2016年8月14日(主日)聖母黙想会 聖霊降臨後第13主日のミサ
シュテーリン神父説教

同時通訳:小野田圭司神父


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日、75年前聖マキシミリアノ・コルベ神父様が殉教した、その今日まさにその日です。

今日から10日前、ちょうど一緒に監獄にいた一人の家族の父親が泣いていて、その飢餓室に行くのを苦しんでいて、「もしも自分が死んでしまったら、この家族はどうして生きていくか分からない!食べさせる事ができない!」と言うその父親の代わりに、自分を差し出したのでした。

そこでコルベ神父様は、他の9人の囚人たちと飢餓室に入れられて、自分たちが死ぬまで、何も食べる物もなく、飲む物も与えられませんでした。こうやって一人の囚人の命を助けたばかりか、一緒に死ぬ事になった9人の他の霊魂たちの永遠の命も救う事になりました。なぜかというと、もしもそうでなければ、この9人たちは絶望と、そして呪いと、恨みの内に死んでいた事でしょうから。

ところで、この飢餓室は、コルベ神父様が入った途端、全くその様相を変えてしまいました。なぜかというと、この部屋ではいつも、マリア様に対する聖歌、マリア様に対するお祈りがいつも満ちていたからです。この最後の飢餓室の殉教という事については、皆さんよく知られていますけれども、しかしこれは単に、コルベ神父様の全生涯の冠であって、最後に成し遂げたその事なのです。

このような行為をする事ができる為には、深い信仰がなければなりません。この深い信仰はまず、両親たちから、そしてカトリックの雰囲気に満たされたその自分の祖国から受け取りました。これは、信仰の真理を彼に教える事ができた健全な公教要理だけの話ではありません。そうではなくて、生ける信仰であって、信仰を生きていた家族のおかげです。

もしも皆さんが、そのような信仰の実りをもたらそうと思うのでしたら、信仰を生なければなりません。生ける信仰というのは、イエズス・キリスト様が、皆さんの家庭に生きておられるという事です。イエズス様がいるという事は、家族にとって、家族がミサの神秘、あるいは典礼の神秘、あるいはイエズス様のその玄義の中に深く入るように、霊魂たちを互いに準備する、という事です。

コルベ神父様が最初から聖人の位の高みに達していて、簡単に聖徳を受けたのではなくて、コルベ神父様が最初に与えられたのは、この深い確信でした。

実はコルベ神父様は、子供の時は本当に難しい聞かん坊で、やんちゃで、もうどうしようも手がつけられないような子供でしたが、そのような子供でも、勇敢に聖徳に向かって進んだので、そのような聖人になれたのです。それは私たちに希望を与えてくれます。

聖人たちというのは、天から降ってくるのではなくて、最初はみんな惨めな罪人です。ですから私たちは誰も、「あぁ、このコルベ神様は特別だ。あぁ私にはとてもできない」等と言う事はできません。なぜかというと、誰もが皆同じ状況に置かれてスタートするからです。マリア様だけを除いて例外として、私たちは皆全て、相応しくなく、資格もなく、惨めな罪人なのです。しかしこの最初に必要なのは、深い確信であって、この深い確信は、私は「生ける信仰」と言います。

たとえ自分が弱くて、天主の十戒を守る事ができなくても、天主の掟を守る事ができなくても、しかし彼は、「しかしこれはしなければならない。これこそが道だ」と知っていました、確信していました。

では、私たちの信仰が深まる為には、どうやってそれを養ったら良いでしょうか?

コルベ神父様はどうしたでしょうか。
まず第1に、コルベ神父様は、絶対的な確信を持っていました。その確信は、「イエズス様が、私たちの心に、そしてカトリック教会に、そして御聖櫃の中に真に在し、現存し給う」という確信です。
第2に、「この人生は非常に短くて、この人生の間には戦わなければならない」と確信していました。この戦いというのは、イエズス様の為の戦いであって、悪魔に敵対する戦いです。
第3に、コルベ神父様は、マリア様が私たちの人生において果たす、非常に極めて高い役割について確信していました。これが理由で私たちは、秋田と、この今も聖母の黙想会をしているのです。深い確信を持って、私たちの心の中に、そして頭の中に、そして精神の中に、それを染み通らせて下さい。

私は皆さんが、聖人である皆さんがここに来ているとは期待していません。もしも皆さんが既に聖人の位の地位に達していたら、ここに来る必要はなかったでしょう。

コルベ神父様がこの確信を持ってやった事は、その第2にやった事は、「この確信を実践に移した」という事です。まず、「やるべき事は何か」という事をよく知り、次に、「自分ではそれができない」という事をよく分かりました。

皆さんも同じ事を思っていると思います。私たちがしなければならない事、美しい聖人たちの模範、その高貴な理想、その私たちがなすべき事に比べると、私自身の持っている絶対的な全面的な無能さ、不可能さを前に、その乖離に驚きます。

このジレンマ、この違いの大きさの前に、私たちの態度は2つしかありません。1つは傲慢、もう1つは謙遜です。

傲慢は、「これは私は同意しない。その事はあり得ない。」そこで、「そんな事はあり得ない。私は自分でこの高みに達する事ができる」と思う事です。あるいは、「あぁ、結局私にはそんな事はできない」と弱気になってしまう、「あぁ、私にはとってもできない。あぁ、もうそんなのは遠いこの誰かの話で、私にはダメだ」と言って、がっかりして、落胆して、絶望してしまう事です。皆さんの生活をよく吟味すると、この2つの極端、このやり方がよくたくさん起こっている事に気付くでしょう。

何度私たちはがっかりして、失望してしまった事でしょうか。何度私たちは怒って、「あぁ、できなかった!何だ!」と自分を叱ったでしょうか。この事をコルベ神父様は、「臭い傲慢」「鼻につく傲慢」と言っていました。

ところが、謙遜の態度はこれとは違っています。この謙遜の態度は、このできないものすごい距離があるのを見て、お母さんに行きます。「マリア様は私たちを助ける事ができる」という確信と、「助けたいと思っている」という確信を持って行きます。

この「マリア様に行く」という態度は、コルベ神父様は10歳の時に持っていました。その時に、コルベ神父様のお母さんはこのコルベ神父様について、「あぁ、こんなに悪い餓鬼はもう子供は、もう将来ヤクザになるか」と心配するほどでした。そこでコルベ神父様は子供の心でマリア様の方に行って、そのマリア様が助けてくれるように、マリア様によって良くなるように、と謙遜にお祈りしました。謙遜というのは、謙遜な祈りなしにはあり得ません。

マリア様はこれにどうやって答えるか知っていますか?マリア様はコルベ神父様の子供の頃に、2つの冠を持って現れました。既にマリア様は、コルベ神父様の後の殉教が起こる、という事を予告していました。コルベ神父様に2つの冠を見せたのは、2つの報いであって、戦いと苦しみの報いです。

この世に幻覚を幻想を持ってはいけません。この世にあるのは「戦い」、そしてあるいは「苦しみ」、この2つだからです。しかしこの戦いと苦しみの後には、栄冠が待っている、「永遠の栄冠」が待っている。

コルベ神父様の答えは寛大でした、「私は2つ欲しい。」

こうやって、天主様は私たちを聖人に作り上げるのです。コルベ神父様が「2つ欲しい」と言った時に、「天主の御旨を果たさなければならない」と知っていました。天主の御旨を果たすという事は、「インマクラータの御旨を果たす」という事です。なぜかというと、無原罪の聖母インマクラータは、天主の御旨をいつも必ず果たすからです。

ですから、自分に信頼する、自分を信じるというよりは、「マリア様を信じ、信頼する」という事です。自分の感情とか、あるいは自分の気まぐれな思いつきや、自分の自己利益に従うのではない、という事です。必ずいつも、マリア様の御旨を求めるという事です。これは従順の徳です。この従順の徳なしに聖人にはなれません。

コルベ神父様は従順が何か知っていました。本当の従順が何か。本当の従順とは、「インマクラータを通して、天主に従順である」という事です。天主、そしてインマクラータの御旨というのは、「掟を守る」という事です。「教会の掟を守る、合法的な長上の明確な命令を果たす」という事です。そして「天主が私たちに与えるその状況に従う」という事です。そして自分のやりたい、自分の意思を全て放棄して、マリア様の御旨を、マリア様のお望みを果たす、という事で、非常に喜んでいました。たとえそれが自分にとって高い支払いをしなければならないとしても。

この事を、「愛」と言います。愛というのは、感情的なこう感傷的なフィーリングではなくて、「天主の御旨を果たす」というところにあります。

コルベ神父様は、現代的な私たちが聖人になる為のプログラムを与えています。75年前の話、まだ私たちの両親が生きている時代の話です。つまり現代の私たちの同時代の人です。難しい時代に生きた人です。こうして、コルベ神父様がどうやって生きたのか、そのどれほどマリア様に祈っていたのか、という事を見ながら、私たち自身のものとして、聖人になる事ができます。

もしも皆さん今日の集祷文をご覧になるなら、集祷文の中には、「私たちの信仰・希望・愛を増やして下さい」とあります。これをマキシミリアノ・コルベ神父の生涯の光を照らして、その角度で見ると、コルベ神父様がそれを求めたのみならず、それを実践したと分かります。

コルベ神父様は力強い取次ぎ者でもあります。コルベ神父様が創立した、聖母の「無原罪の聖母の騎士」の会員である、皆さんは全て会員である、という事を知って、コルベ神様はどれほどお喜びになっている事でしょうか。生ける聖母の、無原罪の聖母の騎士として、皆さんがもっと寛大な心でコルベ神父様に求めるならば、きっと喜んで取り次いで下さる事でしょう。この混乱の中において、信仰がますます深まり、成長するでしょう。インマクラータに対する愛も成長するでしょう。そして私たちも全て、永遠の命の冠を頂く事になるでしょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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