Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズス様は良き牧者、百匹の羊の内のたった一頭が、子羊が失われた、それを探しに行く牧者。これはまさに、イエズス様の聖心の祝日の続きです。

2020年06月25日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

2020年6月21日(主日)聖霊降臨後第3主日のミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教の書き起こしを御紹介いたします。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、聖母の汚れなき聖心聖堂にようこそ。
今日は2020年6月21日、聖霊降臨後第3主日のミサをしています。

3つほどお知らせがあります。

来週も、いつもの時間でミサがあります。金曜日の夕方18時から、土曜日の午前中の10時半から、そして主日の夕方の18時、そして月曜日の朝の6時半にあります。いらして下さい。

第2のお知らせは、7月24日、体育の日スポーツの日ですけれども、大阪のど真ん中を、マーチ・フォー・ライフを、大阪で初めてしたいと思っています。どうぞ皆さんいらして下さい。24日金曜日です。

第3のお知らせは、8月13日・14日・15日と3日間(12日の夕方18時のミサから)、秋田巡礼を行ないたいと思っています。今年は日本政府から給付金も来ましたし、そして政府が色んな所に旅に出るようにと励ましております。私たちもこの機会に是非、マリア様にお祈りに行きたいと思っています。

特に、今まで毎週主日にここでミサがずっと、聖週間もずっと捧げられた事、たとえ他の教会が閉められたとしても、ここだけは特別に守られていた事を感謝して、そして聖ピオ十世会の最初の修道院が日本に与えられる予定ですので、その御恵みを感謝して、そしてそれが実現しますように、そして今年は聖ピオ十世会創立50周年、今私たちがこうやって、昔ながらの尊い宝である聖伝のミサを捧げ続けている事ができるのも、本当にルフェーブル大司教様、そして聖ピオ十世会という、教会が公認した修道会があったからこそ、これを感謝してしたいと思っています。どうぞ皆さんいらして下さい。


愛する兄弟の皆さん、

今日、聖霊降臨後第3主日の福音は、イエズス様が良き牧者である、そして百匹の羊の内のたった一頭が、子羊が失われた、それを探しに行く牧者の例えをしているものが読まれました。これはまさに、イエズス様の聖心の祝日の続きです。

イエズス様の愛、天主の愛、無限の愛は、私たちの想像を本当に超えるもので、感謝しても感謝し尽くせません。

天主は、永遠の昔から、全く至福の、何の不自由もない御方でした。しかし、私たちを創ろうと、存在させようと、そして私たちに御自分の幸せを与えようと思われました。そして私たちを無から創られました。

そして私たちにものすごい御恵みを下さいました。不死の恵み、死なない、苦しまない恵み。そして全被造物を、この目に見える全てを支配する恵み。守護の天使をつけて。

そして更に天主は、その愛の極みにおいて、私たちを天主の似姿として創ったのみならず、私たちを天主の子供として、養子として下さいました。成聖の恩寵を下さり、そして天の全ての至福を、相続人として、子供として与えるとされました。

愛の永遠の計画を、私たちに無償で与え、与え、与え尽くして下さいました。

人間はそれに対して、その愛に対して、罪で答えました。不従順で答えました。全人類はもはや、永遠に失われてしまいました。もうこれで万事休すでした。私たちにはどうしても回復の力がありませんでした。呪われたもの、捨てられたもの、反乱したもの、そしてもうこれで失われて、永遠に失われたものだったのです。

しかし、この人類を救おうと、無限の愛はその形を変えました。「憐れみの愛」になりました。この哀れな人類に対して、寄り添い、身をかがめて、これを救われようとされました。そしてその為に、私たちを探して来られました。

天主三位一体の第二のペルソナ、天主の永遠の御言葉は、王の王は、天主よりの天主、光よりの光、真の天主からの真の天主は、私たちを探す為に、人間の本性を取って、私たちの為にお生まれになりました。

見て下さい。そして30年間、貧しい労働の生活、従順の生活を送りました。私たちを探す為に。

3年間の公生活。そして十字架の贖い。

ご覧下さい。私たちを買い戻す為に、御自分の尊い天主の血を全て流されました。悪魔のその支配下から買い戻す為に。

そのそればかりでありません。私たちを養う為に、私たちが「罪」という癩病で汚くなり、形も醜くなり、そして変形してしまって、この病気、どのような医者も治す事ができない罪という癩病を治す為に、医者として、世の終わりまで、慰め主として、私たちを癒す為に、私たちを慰める為に、私たちに祝福を与える為に、私たちと共に居る為にのみ、愛のあまり、パンになって、私たちの食べ物となって、王がしもべの食べ物となって、私たちの傍におられました。

「憐れみの愛。」私たちの一体、天主の愛、全能の愛でなければこれほどの事を、想像する事すら思い付きませんでした。

そしてこのような愛を受けた私たちは、ただこの良き牧者の手に抱かれて、イエズス様の胸に、聖心に帰って行くしか、私たちにはする事がありません。

私たちは発見された、天主の似姿を付けているドラクマ貨です。昔のコインは、昔の銀貨や金貨は皆、王の像が描かれていました。天主の似姿が私たちの霊魂に備わっている、失われた硬貨です。発見されたドラクマ貨です。

イエズス様のこの愛、この憐れみの愛を、ぜひ皆さん知って下さい。そしてこの愛にもかかわらず、その愛に答えようとしない人々があまりにも多くいるのを、私たちは知らなければなりません。イエズス様は仰いました、「見よ、この聖心の愛を。これほどお前たちを愛している愛を見よ!しかし、この愛は愛されていない。無視されて、軽蔑と、冷淡と冒瀆とで答えられている。少なくともお前たちは、私を愛してほしい。私の方にやって来て欲しい。」

そして愛する兄弟の皆さん、イエズス・キリストは、イエズスの聖心は、この同じ聖心の愛に燃える司祭を、カトリック司祭を作りました。カトリック司祭の心は、イエズスの聖心と全く同じでなければなりません。つまり「救霊」を、救霊をのみ追求しなければなりません。霊魂の救い、霊魂を永遠の死から救い、そして御聖体で養う、良き牧者の代理者。

私たちに、この多くの聖なるカトリック司祭たちが与えられますように、お祈りしましょう。そしてその牧者が、イエズス様のその聖心の愛を私たちに深く悟らせて下さるように、お祈り致しましょう。

マリア様にお祈り致しましょう。マリア様は、マリア様の御心は、イエズス様の聖心と全く瓜二つです。私たちもマリア様の御心によって、このイエズス様の聖心をよく知り、これを愛する事ができますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





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