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カトリック教会の4名の枢機卿から教皇フランシスコへの公開書簡:「アモーリス・レティチア」における結び目を解く要請

2016年12月13日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

四名の枢機卿たちが教皇フランシスコに提出した、「アモーリス・レティチア」における結び目を解く要請を日本語でご紹介します。

ラ・サレットの聖母の祝日である2016年9月19日、カトリック教会の四名の枢機卿たちがフランシスコ教皇と教理聖省長官のミュラー枢機卿とに書簡を書き送りました。それは、「アモーリス・レティチア」(仮訳:愛の喜び)のカトリックの道徳に関する部分を良く理解することが出来るように求めるためでした。

しかし、残念ながら、その回答がなかったために、枢機卿たちはこの手紙を公開しました。この手紙は、四部から成り、公開の理由を説明する「必要な前書き」、「四名の枢機卿たちの教皇への手紙」、「五つの疑問“Dubia”」、最後に「四名の枢機卿による疑問の説明」です。

ここでは、最初の三部を日本語で紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


1. 必要な前書き

四名の枢機卿たちによってフランシスコ教皇聖下へ書簡を送るのは、深い司牧の配慮からであった。
私たちは、多くの信徒たちが教会の生命に関する極めて重大なことに関して、重大な方針の誤りと大きな混乱とを抱いていることを認知した。司教団の中でさえも「アモーリス・レティチア」(仮訳:愛の喜び)の第八章の解釈に、対照的な違いがあることも認知した。
教会の偉大な聖伝は、私たちにこのような状況から抜け出す方法は、方針の誤りと混乱の原因であるこれらの疑問を解いてもらうことを使徒座に求めつつ教皇様により頼むことであると教えている。
従って、私たちの手紙は正義と愛徳との業である。
正義の業:この手紙によって私たちはペトロの聖務は一致の聖務であり、信仰において兄弟達を固める奉仕は教皇に属している、ということを告白しているからである。
愛徳の業:私たちは、教会における分裂と対立とを避けるために、全ての曖昧さを取り除いて下さるように頼んで教皇を助けることを望んでいるからである。

私たちは特別の義務を遂行した。教会法349条によると、枢機卿たちは、個人個人であっても、普遍教会の世話をする教皇の職務を助けることが委ねられている。
教皇様は、これに答えないことを選ばれた。私たちは教皇様の決定を、静かに尊敬を込めて考察し議論し続けるように、との招きであると解釈した。
そこで、私たちは天主の全ての民に私たちのしたことを伝え、文書を全て提示している。
この事柄を「進歩主義 対 保守主義」の枠組みによって解釈することを誰一人として選ばないように私たちは期待している。そのような解釈は、全く当を得ていない。私たちは、霊魂の本当の善に、深く気を遣っている。霊魂の善こそが教会の最高の法である。私たちの関心は、教会内の如何なる政治を推進させることではない。

誰一人として私たちを、不当に、教皇様の敵で憐れみのない人間であるかのように裁かないことを、私たちは期待する。私たちがしたこととしていることは、私たちをして教皇と一致させる深い団体としての愛情から、そして信徒たちの善を気遣う情熱とから来ている。

ヴァルター・ブラントミュラー枢機卿 + Card. Walter Brandmüller
レイモンド・バーク枢機卿 + Card. Raymond L. Burke
カルロ・カファラ枢機卿 + Card. Carlo Caffarra
ヨアキム・マイスナー枢機卿 + Card. Joachim Meisner


2. 四名の枢機卿たちの教皇への手紙

フランシスコ教皇聖下へ
及びゲルハート・ミュラー枢機卿閣下へ

教皇様、

聖下の使徒勧告「アモーリス・レティチア」の発表の後、神学者たちや学者たちは、様々に異なっているのみならず、矛盾対立している解釈を提案しました。特に、第八章に関してそうです。更に、マスメディアはこの論争を強調しました。そのために信徒の多くの間で、不確かさ、混乱、方針の誤りが発生しています。

このために、以下に署名をした私たち、そして多くの司教や司祭たちは、様々な社会階層の信徒たちから、使徒勧告の第八章に正しい解釈を与えるように要請を受けています。

私たちの司牧の責任に良心上動かされ、聖下が私たちにお求めになったシノドの精神をよりよく果たすために、深い尊敬を持って、復活した主に、兄弟達を信仰において固めるように召命を受けた、信仰の最高の教師としての教皇様に、質問をすることを敢えていたします。それは、私たちがこの手紙に添付した疑問(ドゥビア)に善意によって回答を与えて下さることによって、不確かなことを解き、明確さをもたらすためです。

願わくは、聖下が私たちを祝福し給わんことを。私たちは祈りの内にいつも聖下を思い出しております。


ヴァルター・ブラントミュラー枢機卿 + Card. Walter Brandmüller
レイモンド・バーク枢機卿 + Card. Raymond L. Burke
カルロ・カファラ枢機卿 + Card. Carlo Caffarra
ヨアキム・マイスナー枢機卿 + Card. Joachim Meisner

ローマにて
2016年9月19日


3. 疑問“Dubia”

1. 「アモーリス・レティチア」の断言(nn. 300-305)に従うと、
有効な婚姻の絆に結ばれているにもかかわらず、「ファミリアリス・コンソルチオ」第84番によって与えられ、その後も「レコンチリアチオ・エト・ペニテンチア」34番と「サクラメントゥム・カリターティス」29番とが再確認した条件を満たさず、別の人と"more uxorio"婚姻しているかのように一緒に生活している人に、改悛の秘蹟において赦しを与えることが可能になり、従って、聖体を授けることが出来るようになったのか、を質問します。
使徒勧告「アモーリス・レティチア」の註351(305番)にある「ある場合には」という表現は、新しく同棲をしていて"more uxorio"婚姻しているかのように一緒に生活し続けている離婚した人々に適応されうるのでしょうか。

2. シノド後の使徒勧告「アモーリス・レティチア」(304番参照)の発表後、聖ヨハネ・パウロ二世の回勅「ヴェリターティス・スプレンドル」79番の、聖書と聖伝とに基づいた絶対的な道徳の規律、内在的に悪の行為を禁止し例外なく守らねばならない絶対的な道徳律が存在する教えを、有効であると見なす必要がまだあるのでしょうか?

3. 「アモーリス・レティチア」(301番)の発表後、習慣的に天主の掟に逆らって生活している人、例えば、姦淫を禁止する掟(マテオ19:3-9参照)にもとって生活している人は、重大な習慣的な罪の客観的状態にいる(Pontifical Council for Legislative Texts, Declaration, June 24, 2000、参照)と断言することはまだ可能なのでしょうか?

4. 「アモーリス・レティチア」(302番)の「道徳的責任を緩和させる状況」についての断言の後、聖ヨハネ・パウロ二世の回勅「ヴェリターティス・スプレンドル」81番の聖書と教会の聖伝とに基づいた教えを、すなわち、「状況や意向は、その客観的対象のために内在的に悪である行為を、"主観的に"良いものへと、或いは、選択肢として擁護されるものへと変容させることは、決して出来ない」という教えを、有効であると見なす必要がまだあるのでしょうか?

5. 「アモーリス・レティチア」(303番)の後、
聖ヨハネ・パウロ二世の回勅「ヴェリターティス・スプレンドル」56番の聖書と教会の聖伝とに基づいた教えを、すなわち、良心の役割の創造的な解釈を排除する教え、行為の客観的対象のために内在的に悪を禁止する絶対的な道徳の規律に、良心が例外を正当化させることは決して許可され得ないという教えを、有効であると見なす必要がまだあるのでしょうか?


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