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モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)は革命について教える

2009年05月13日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は5月13日、ファチマの聖母マリア様が1917年に最初に三人の子供達に現れた日ですね。1917年と言えば、ロシアのボルシェビキ革命の年でもあります。

 1856年、クレチノ・ジョリ(J. CRÉTINEAU-JOLY)は、教皇ピオ九世の命を受けてカトリックに反対する陰謀が本当に存在することを暴き出すために「革命に直面するローマ教会」(L'ÉGLISE ROMAINE EN FACE DE LA REVOLUTION)という本を上下二巻上梓しました。

 その四年後、モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)は、「革命」(La Révolution)という小冊子を出版しました。

 この小冊子はクレチノ・ジョリ(J. CRÉTINEAU-JOLY)によって明らかにされた文書が皆に知れ渡るため、また革命とは何かその本性を皆に明かすため、また教会が革命に荷担することができないその理由を説明するためでした。

 モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)は説明します。革命とは単なる政治問題ではない、宗教問題でもある、革命の究極の目的は「地上において天主の建てた秩序を完全に破壊し尽くすこと、この世にサタンの完全な支配をもたらすこと」であるといい、従って「革命に反対して闘うことは、信仰の行為であり、第一の宗教的義務である」と。

 モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)曰く
 「革命を理解するためには、すべての革命の父にまでたどり着くべきである。つまり最初に「Non serviam, 私は従わない!」と、この言葉を敢えて言った者、そしてこの言葉を時の終わりまで敢えて言い続ける者にまで。つまりサタンにまで。
 サタンは革命の父である。革命はサタンの業である。まず天で始まり時代を重ねて人類において繰り返される反乱の業である。
 ピオ九世教皇が1849年12月8日に回勅 Nostis et nobiscum で確認したように「革命はサタン自身によって息吹かれており、その目的はキリスト教の建設したものをその根底から破壊し尽くすことであり、その廃墟の上に異境の社会秩序を作り上げることである」と。」


 モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)は言葉を続けてこう言います。
「(アダムとエワの時代から人類が始まって)六千年たって初めて、革命は、天と地の前でその本当の悪魔的な名前を見せた。その名が「革命」つまり「大反乱」である。・・・
 世界史は、二つの軍を率いる頭の巨大な戦いである。一方は、キリストとその聖なるカトリック教会、他方ではサタンと、サタンが邪悪の道に引きずり込み反乱という呪いの旗の下に集ったすべての人々である。全歴史に渡るこの戦いは恐るべきものである。私たちはもっとも危険な戦いのフェーズ(段階)のただ中に生きている。・・・」



 この戦いにおいて、中立を保つことはできないのです。革命と教会とを調和させることもできません。それは光と闇、水と油、善と悪、生命と死、天と地獄、私たちは必ずどちらかを取らなければなりません。教会と革命との間に和解はあり得ません。

 「この天主に反対する戦いにおいて、もしもあなたが革命に反対して天主の側にたたないなら、・・・革命の冒涜的野心を増加させ、その野蛮な希望を高揚させるだけである。あなたの弱さを強みとし、あなたを共犯者として、まだ十分ではない、あなたを自分の奴隷としてあなたを使い、革命はあなたをそのいとわしい事業の最終段階まで招集するだろう。あなたから世を驚かせるような妥協を引き出した後、革命はあなたの良心を仮借でさいなますことをなおも要求するだろう。」

 革命がイエズス・キリストを憎むことを説明してこう言います。

「対立は完全である。従順か反乱か、信仰か不信かである。両者は近づきあうこともできない。いかなる同盟も結ぶこともできない。このことをよく覚えなさい。革命がしなかったことは、革命はそれを憎む。革命が憎むことをすべて革命はそれを破壊する。今、革命に絶対権力を与えてみなさい。どのような抗議があろうとも、革命は昨日そうであったように明日そうあることであろうし、常にそうであることだろう。宗教と社会と家庭に反対する徹底的な戦いを挑むだろう。革命を誹謗するなと革命は言ってはならない。革命のやった行為は雄弁に物語っている。1791年と1793年に革命がしたことをよく記憶せよ。」

 モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)は革命の使う武器を説明します。

「キリスト信者らを腐敗させるために、カトリックの感覚を取り除くために、革命は教育を間違えさせて使い、教えに毒を盛ってこれを使い、歴史を歪曲してそれを使い、マスメディアを使い、自分を守るために法律を使い、革命が息吹く政治を使い、霊魂を誘惑するために宗教の外見を使い【例えば近代主義や進歩主義の謬説など】、天主に対立させるために科学を使い【進化論など】、芸術を使い、公衆道徳の喪失と肉欲の神聖化に役立てる。」

 モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)はフリーメーソンの一つであるカルボナリ党のアルタ・ヴェンディータ(Alta Vendita)の計画を恐れに震えながら引用します。これは、1824年4月3日付けのヌビウス(Nubius)とうコード名を持つアルタ・ヴェンディータの頭から別のヴォルペ(Volpe)という偽名を持つ人物への手紙の引用です。

「われわれは教会の不道徳な教育を行い、よく段階を踏んだ小さな複数の手段(たとえうまく定義されていないとしても)を通して、教皇による革命のアイデアの凱旋までたどり着かなければならい。この計画は私にはいつも超人間的な計算によるものであると思えた。」

"Nous devons faire l’éducation immorale de l’Eglise, et arriver par de petits moyens bien gradués, quoique assez mal définis, au triomphe de l’idée révolutionnaire par un Pape. Ce projet m’a toujours paru d’un calcul surhumain."


 モンシニョール・ド・セギュール(Mgr de Ségur)は、こうコメントをしています。

 「確かに超人間的だ。何故なら、この計画はサタンから直接来ているからだ。ヌビウスという名前の元に隠れている人物は、この革命家の教皇が出ることを期待し、彼をこう描写している。弱く、お人好しで、深みの無く、誠実で、尊敬を受けているが、民主主義の原理に染まっている教皇、と。」

 つまり、革命は「いつの日かカトリック教会を墓に葬る」ことを期待しているのです。


主よ、我らを憐れみ給え!
天主の聖母終生童貞なる聖マリアよ、我らのために祈り給え!
ファチマの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【参考文献】
L'ÉGLISE ROMAINE EN FACE DE LA REVOLUTION TOME PREMIER
PAR J. CRÉTINEAU-JOLY

L'ÉGLISE ROMAINE EN FACE DE LA REVOLUTION TOME SECOND
PAR J. CRÉTINEAU-JOLY

La Révolution expliquée aux jeunes gens
Par Mgr Louis-Gaston de Ségur

あるいは、
La Révolution expliquée aux jeunes gens
Par Mgr Louis-Gaston de Ségur


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