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七旬節:どのようにしたら私たちはイエズス・キリストの御恵みを受けて聖となることができるのでしょうか?

2022年02月18日 | お説教・霊的講話

2022年2月13日(主日)七旬節の主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は、七旬節の主日のミサを捧げています。七旬節は、四旬節への準備の期間です。

今日、聖パウロは私たちにこう言います。「賞を受ける為に走れ。彼らは走っているけれども、たった一人しか賞を受ける事ができない、しかも朽ちる栄冠の為に。私たちは、朽ちない栄冠の為に走っている。この栄冠を受けるように走れ。」

では、聖パウロの言うこの「栄冠」というのは何でしょうか?もちろん、「天国の栄光」の事です。
私たちがその天国に入る事ができるように、それに相応しい者となる事ができるように、私たちを「聖化せよ、聖なる者とせよ」という事です。これが聖パウロが言っている、この「天国の栄光を目指して走れ。聖なる者となれ」という事です。

では一体、私たちが聖となるにはどうしたら良いのでしょうか?どこに向かって走れば良いのでしょうか?どうしたら聖となる事ができるのでしょうか?
私たちを聖として下さるのは、イエズス・キリストです。イエズス・キリスト以外、誰も私たちを聖なる者とする事ができません。なぜかというと、イエズス・キリストこそが真の天主であって、私たちを聖とする事ができる方だからです。イエズス・キリストこそ、私たちが聖となるモデルだからです、その模範であるからです。私たちのゴールであって、私たちがイエズス・キリストのようになる事こそが、私たちにとって聖となる事です、聖人となる事です。

では、どのようにしたら、イエズス・キリストの御恵みを受けて、どのようにしたら、イエズス様は私たちを聖として下さる事ができるようになるでしょうか?
それは、私たちがイエズス・キリストの、私たちを聖とする源に、その泉に、その根源に、そのこんこんと湧き出るその聖徳の源に行く事です。

それはどこでしょうか?
十字架です。イエズス・キリストが私たちを聖とするその全ての功徳の恵みの源は、十字架の木に、そこから湧き出ているからです。

この一体どこに、この十字架の源があるのでしょうか?十字架が立っているでしょうか?
ミサ聖祭です。なぜかというと、ミサ聖祭は、イエズス・キリストの十字架のいけにえの再現であって、全く同じ効果を持っているからです。

この大阪の聖母の汚れなき御心聖堂の入り口に、一年か二年くらい前、あるアメリカの若い女性が手紙を書いてくれました。「日本の信者の私たちの為にお祈りをしている」と。
そして「私たちの人生の目的は聖人となる事である」と「同じ目標を持っている事を嬉しく思う。その同じ目標に向かって生きている人々が日本にもいる事を嬉しく思う」と。
そしてそう言いつつ、彼女は聖人になることを目指して、今、ローマに行って聖伝の修道女と今なっています。

同じような話は世界中どこでもありました。例えば、朝鮮の迫害時代(1801年)に、唯一生き残っていた北京からの中国人司祭である福者ヤコボ周文謨神父が亡くなり、20年間以上司祭がなく、秘跡を授けて下さる神父様がいない、洗礼を授けて下さる神父様がいない、ミサを捧げて下さる神父様がいない、そして告解を聞いて下さる神父様がいない、信徒たちは非常に苦しんでいました。

ある時、そのグループの一人であった劉進吉(유진길)が、貴族なのですけれども、1824年の10月に北京に外交官として派遣される事になりました。朝鮮王国の代表としてです。劉進吉は、やはり貴族のカトリック信徒パウロ丁夏祥(정하상)を自分の「しもべ」として同行させました。彼らが北京に行って、最初に探したのは教会でした。
北京の司教様に会って、劉進吉は中国語でこう話しました。「司教様、ぜひ私に洗礼を授けて下さい。私は公教要理を勉強しました。どうぞ洗礼を授けて下さい。そして朝鮮にも司祭を送って下さい。私たち千余の人々は司祭を待っています。ミサを待っています。」
司教様はこの大使に質問をするのです。「洗礼を受けるのは良いことだけれども、一体ちゃんと公教要理を勉強したのか?」そこで公教要理の最初の質問をします。
「人間は一体、何の為にこの世に生まれてきたのか?」
すると彼は答えて、一字一句間違いなく、公教要理のそのままを答えました。
「はい、司教様、『人間は天主を知り、これを愛し、それに奉仕して、そして遂には霊魂を救う為にこの世に生まれてきました』と。」
その他の質問をすると、全て公教要理のままを答えました。
すると北京の司教様は非常に驚き、「迫害を受けている教会でこのように深く信仰を学んでいるなんて、奇跡だ!実は司祭を朝鮮に送ってあげたいけれども、中国でも迫害があって、自由に行き来できない。だから教皇様に是非、それをお願いするのが良いのではないか」と答えました。

後に劉進吉はアウグスチヌスという名前で洗礼を受けて、朝鮮に戻り、教皇様に手紙を書きます。これが聖パウロ丁夏祥 (성 정하상 바오로 1795-1839)と、聖アウグスチノ劉進吉 (성 유진길 아우구스티노 1791-1839)が教皇さまに書いた手紙です。この手紙は非常に有名で、当時フランス革命直後で、教会が迫害されボロボロになっていた時に、朝鮮から、「私たちは司祭が欲しいのです。カトリックを信じています。千人以上が待っています。どうぞ司祭を送って下さい」と言って、当時の教皇であったレオ十二世教皇(1823-1829)はとても慰めを受けました。「世界に広がるカトリック教会は、どこでも同じ聖徳を求めている、救霊を求めている、と確信した。」そして、これを読んだ次の次の教皇様、グレゴリオ十六世(1831-1846)が特別に、朝鮮に特別な代牧区として創立した(1831年)という歴史があります。

こればかりでありません。世界中どこを見ても、アメリカのインディアン(たとえば聖カテリ・テカクウィタ(Kateri Tekakwitha: 1656-1680))、あるいは南アメリカの黒人(たとえばペルーの聖マルティン・デ・ポレス)、あるいはアフリカの片田舎にいる奴隷だった女性(たとえばスーダンの聖女ヨゼフィーナ・バキタ)、あるいは世界中どこでも、皆カトリックの教えに触れて、聖徳を求めて、「聖なる者になりたい、ゴールに向かって生きたい。」そして遂に、列福・列聖された、という方々がいます。先ほど私が申しましたアウグスティヌス劉進吉は韓国の103位聖人のうちの一人となっています。

その源は全て、イエズス・キリストであって、ミサ聖祭であって、そして秘跡でありました。

私たちも、このゴールに向かって、聖徳に向かって、イエズス・キリストに向かって、走る準備を致しましょう。私たちの過去の先祖たちが走ったように、多くの聖徳を獲得したように、私たちもこの聖徳を受ける事ができますように、良い遷善の決心を立てましょう。
私たちは金メダルではなくて、永遠に朽ちない、永遠の天主の命の為に走っています。

最後に、ルルドのマリア様にお願い致しましょう。ルルドのマリア様は私たちに、「痛悔をしなさい」「回心をしなさい」「悔悛をしなさい」「罪を償いなさい、そして罪人の為に祈りなさい」と言われました。
私たちもマリア様の呼びかけに応えて、良い四旬節を過ごす事ができるように、特別の御恵みを求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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