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「ロザリオの秘密」ロザリオの祈りのすばらしさとその起源と名称について:第一、第二、第三のバラの花

2021年10月21日 | カトリックとは

ロザリオの祈りのすばらしさとその起源と名称について

第一のバラの花:ロザリオの祈り

ロザリオの祈りは二つのことを含んでいる。すなわち、黙想と口祷である。聖なるロザリオの黙想とは、イエズス·キリストとそのいとも聖なる御母の生涯と死と栄光の主要な神秘を黙想するに他ならない。ロザリオの口祷とは、主の祈りを一度唱えた後に続く、十回のアヴェ・マリア十五回を唱えることで、それと同時に、聖なるロザリオの十五の玄義においてイエズスとマリアとが実践された十五の重要な聖徳を黙想し、観想することにある。

ロザリオの最初の五連では、五つの喜びの玄義を敬い、黙想する。二番目には、五つの苦しみの玄義を、第三の五連は、五つの栄えの玄義を敬い、黙想する。こうして、聖なるロザリオは、イエズス・キリストと聖母マリアとの御生涯と御受難と御死去と栄えとの玄義とその聖徳を敬い模倣するために、黙想と口祷とからなる聖なる祈りである。

二番目のバラの花:その起源

聖なるロザリオは、その基礎とその実体において、イエズス・キリストの祈り(主祷文)と天使の挨拶(天使祝詞)、すなわち「天にまします」と「めでたし」、そしてイエズスとマリアの神秘を黙想することからなり、これは疑いなく、信者らの最初の祈りであり最初の信心である。この祈りは、使徒たちや弟子たちの時代から、今日に至るまで、何世紀を通じて使われてきたものである。

しかし、聖なるロザリオは、現在私たちがそれを唱える形式と方法については、1214年になってようやく、カトリック教会に息吹かれ、聖ドミニコに聖母マリア様からアルビ派の異端と罪人たちの改心のために与えられた。

その与えられた方法については、福者アラノ(ラテン語で Alano de Rupe 或いはフランス語で Alain de la Roche)がその有名な「詩編(ロザリオのこと)の尊厳について(De dignitate Psalterii)」と呼ばれる本の中で語っている通り、今から私がお話しよう。

聖ドミニコは、人々の重い罪の数々がアルビ派異端者らの回心を妨害していることをご覧になって、トゥルーズの近くにある森の中に入って三日間昼も夜も続けて祈りと苦行をした。天主の怒りをなだめるために、嘆き、泣き、自分の体を痛めつけるむち打ちを続け、半死半生の状態になった。

聖母マリアが三位の天使を連れて聖人に現れてこう仰せられた。「私の愛するドミニコ、あなたは聖三位一体がこの世を改革するために使った武器がどんなものか知っていますか?」 

聖ドミニコは答えて「ああ!聖母よ、御身は私よりももっとよく知っておられます。何故なら、イエズス・キリストの次に、御身こそが私たちの救いの主要な道具だったからです」と答えた。

すると、聖母はこうお答えになった。「戦いの主要な武器は、天使的な詩編であったこと、これこそが新約の基礎であることを知りなさい。したがって、あなたがこれらの頑固な心の人々を天主に導くことを望むなら、私の詩編を説教しなさい。」

 聖人はこの言葉に慰めを受けて立ち上がり、この民々の救いのために情熱に燃えて、司教座聖堂に入った。天使たちが鐘を鳴らして人々を集め、聖ドミニコが説教を始めようとすると恐ろしい嵐が起こった。地が揺れ、太陽が暗くなり、雷と稲妻が鳴り響き、そこにいたすべての人々が恐れて震えた。高いところに置かれていた聖母の御影が腕を三度天に上げて、もしも、悔い改めずに天主の聖母の保護を求めないならば、彼らに対する天主の復讐を求めるのを見て、人々はますます恐怖に駆られた。

天はこのような超自然的な方法で、聖なるロザリオの新しい信心を増し、より広く知られることを望んでいた。ついに聖ドミニコの祈りで嵐は止んだ。聖人は説教を続け、聖なるロザリオのすばらしさについて熱意と力をもって説明したので、トゥルーズのほぼすべての人々は、ロザリオを受け、今までの自分たちの間違った生き方を放棄した。非常に短い時間で、道徳と生活の大きな変化が行われた。

三番目のバラの花:聖ドミニコ

この奇跡的な方法で聖なるロザリオの信心が確立されたことは、全能の天主がシナイ山で世界に律法を与えた方法と似ており、その価値と重要性を明らかに証明している。

聖霊に息吹かれ、聖母に啓示され、また自らの経験から、聖ドミニコは生涯にわたって聖なるロザリオを説教した。都会でも田舎でも、身分の高い人にも低い人にも、学者にも無学な人にも、カトリック教徒にも異端者にも、模範を示しながら説教をしたのだ。

彼が毎日唱えていた聖なるロザリオは、毎回の説教の準備であり、説教の直後にはこれによって聖母とのささやかな密会を行なっていた。

ある日、彼はパリのノートルダム大聖堂で説教をしなければならなかったが、その日はたまたま聖ヨハネの祝日であった。彼は主祭壇の後ろにある小さな礼拝堂で、いつものようにロザリオを唱えて祈りながら説教の準備をしていると、聖母が彼に現れてこう言った。

「ドミニコ、あなたが言おうとしていることはとても良いことかもしれませんが、私はもっと良い説教を持ってきています。」

聖ドミニコは、聖母が差し出した本を手に取り、その説教を注意深く読み、理解して黙想すると、聖母に感謝を捧げた。

時間になると、彼は説教壇に上がり、祭日にもかかわらず、聖ヨハネについては一切触れず、彼は天の女王の守護者としてふさわしいと認められた、とだけ述べた。会衆は神学者やその他の高名な人々から成っており、通常とは異なる洗練された講話を聞くことに慣れていた。しかし、聖ドミニコは、世間から見て賢明な学識ある講話をすることが自分の望みではなく、聖霊の素朴さと力強さをもって話すことが望みである、と告げたのである。

そして、ロザリオの説教を始め、子供たちに話すように一語一語、「めでたし」を説明し、聖母から頂いた本の中にある非常に簡単なイラストを使った。

偉大な学者であるカルタヘナは、『De Dignitate Psalterii』の中で、福者アラン・デ・ラ・ロッシュの言葉を引用しながら、この出来事がどのようにして起こったかを説明している。

「福者アランは、ある日、ドミニコ神父がビジョンの中で彼にこう言ったと書いている。

『わが息子よ、説教するのは良いことだが、霊魂の救いよりも賞賛を求める危険性が常にある。私は聖母マリアに捧げられた偉大な教会で説教をすることになっていたので、プライドからではなく、信徒の知的水準の高さから、特に素晴らしい説教をしたいと思っていた。

説教をしなければならない時間の一時間前、私はいつも説教をする前に行うロザリオを思い出しながら唱えていると、恍惚とした気持ちに陥った。私の最愛の友人である天主の御母が、その御手に本を携えて私に向かってこられるのが見えた。“ドミニコ”と聖母は仰せられた。“今日のあなたの説教は確かにとても良いものかもしれませんが、どんなに良いものであっても、私はあなたにもっともっと良いものを持ってきました。”

もちろん私は大喜びして、その本を手に取り、一字一句読んでみた。聖母の言われた通り、私の説教にぴったりのものが見つかったので、心を込めて聖母に感謝した。

始まる頃になると、大学に大勢の貴族たちが集まっていた。彼らは皆、良き主が私を通してなさった素晴らしいことを見聞きしていた。そこで、私は説教壇に上がった。

その日は使徒聖ヨハネの祝日であったが、私は彼について、天の女王の守護者としてふさわしいと認められた、ということだけを話した。そして、私は会衆に向かってこう言った。

『諸侯の皆様、そして大学の輝かしい博士の方々、あなた方は、あなた方の美しい言葉使いの好みにピッタリした、学識ある説教を聞くことに慣れています。今、私は人間の知恵の学問的な言葉ではなく、逆に天主の霊とその偉大さをお見せしたいのです』。」

ここで福者アランの引用は終わり、その後カルタヘナは自分の言葉でこう続けている。

「そして聖ドミニコは、日常生活の中での簡単な比較や例を用いて、『天使祝詞』を彼らに説明した。」

カルタヘナによると、福者アランは、他にも何度か主と聖母が聖ドミニコに現れて、罪を拭い去り、罪人や異端者を改宗させるために、もっともっとロザリオを説教するように勧め、励まされた、と述べている。

別の箇所でカルタヘナはこう言っている。

「福者アランは、聖母が聖ドミニコに現れた後、その祝福された御子がドミニコに現れてこう仰せられたと語った。

『ドミニコ、私は、おまえが自分の知恵に頼らず、人からの空しい賞賛を求めるのではなく、霊魂の救いのために謙遜に働いているのを見て、大きな喜びを覚える。

多くの司祭は、最初から罪の醜悪さを厳しく説教しようとするが、しかし病気の人間に苦い薬を与える前に、その薬の恩恵を本当に受けることができるよう心の状態を準備しておく必要があることを理解していない。

だからこそ、司祭は何よりもまず、人々の心に祈りの愛を、特に私の天使の詩編の愛を呼び起こすよう努めるべきなのだ。皆がそれを唱え始め、真に忍耐するならば、天主はその御憐みで彼らに恵みを与えることを拒むことはできないだろう。だからおまえには私のロザリオを説教してほしい。』

別の場所で福者アランは次のように言っている。「すべての司祭は今、説教の前に信者と一緒にめでたしを唱えて、天主の御恵みを乞い求めている。彼らがこれを行なうようになったのは、聖ドミニコが聖母から受けた啓示によるものである。ある日、聖母はこう仰せられた。

『私の息子よ、あなたの説教が期待した通りの結果を出せなくても、驚かないでください。あなたは、雨の降っていない土地を耕そうとしているのです。さて、全能の天主が地球の表面を新しくしようと計画したとき、天から雨を降らせることから始めましたが、この雨が天使祝詞なのです。このようにして、天主は世界を作り上げるのです。

だから、あなたが説教をするときは、私のロザリオを唱えるように人々に勧めなさい。そうすれば、あなたの言葉は霊魂のために多くの実を結ぶでしょう。』

聖ドミニコは時間をおかずに従い、それ以来、彼は説教によって大きな影響力を発揮したのである。」

この最後の引用は『聖なるロザリオの奇跡の書』(イタリア語)からのものであり、ユスティンの著作(143番目の説教)にも見られるものである。

私は、聖なるロザリオの驚異的な力について疑問を抱いている司祭やその他の学識豊かな者たちのために、これらの有名な著者の言葉を一語一語、オリジナルのラテン語で引用することを非常に嬉しく思う。

聖ドミニコに倣って司祭たちが聖なるロザリオへの信心を説教していた間は、キリスト教世界やロザリオを重んじていた修道会の中で、信心深さと熱心さが栄えていた。しかし、人々がこの天からの贈り物をないがしろにして以来、あらゆる種類の罪と無秩序が広範囲に渡って広がってしまったのである。


【参考情報】ヴィガノ・テープ質問8と9:ヴィガノ大司教「私たちを憂慮させているのは、大衆が自ら専制体制下に置かれるのを許していることです。」

2021年10月21日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ・テープ:「子どもを守れ」
質問8

The Vigano Tapes: “Protect the Children”
Question #8

【質問8】つまり、大司教様が本当におっしゃりたいのは、混沌には二つのタイプがあり得るということですね。一つは合法的でない命令に対する卑屈な服従というタイプで、もう一つは合法的な命令に対する反逆的な不従順というタイプです。この二つをどのようにして区別するのでしょうか? そして、この二つを区別するとき、濫用に抵抗するために私たちにできることは何でしょうか? 具体的にどのようにして、これらの濫用に抵抗することができるでしょうか?

【回答】世俗の領域では、現在のパンデミックのナラティブ(物語)や、すぐにパンデミックに代わるかもしれない「気候変動の緊急事態」への協力を、拒否する必要があります。違法な規制や、市民を具体的な健康リスクにさらすような規制を無視することは、道徳的に合法であり、状況によっては義務でさえあります。報復の恐れに直面していても、自分や自分の子どもの命や健康を危険にさらすことは決してできません。なぜなら、その場合、私たちが参加することは、私たちが天主の御前で有罪となり、天主の罰を受けるに値するからです。実験的な遺伝子血清の投与は、絶対に認められません。その血清の製造の過程で子どもたちが妊娠三カ月で殺されています。その子どもたちの血は、それを製造する人々、それを押し付ける人々、そしてそれを受ける人々に降りかかるでしょう。

犠牲者の数がワクチンとされるものの犠牲者よりも少ない疑似パンデミックが、天賦の自由や市民の権利に規制や制限を加えるためのアリバイとなることは、いかなる場合でも容認されるべきではありません。そして、権力の奴隷であり、この陰謀の共犯者であるメディアが、反対意見をすべて検閲するならば、ジョージ・オーウェルが描いたディストピア社会が、単一の方向性のもと、正確な台本に沿って実現されていることを確信させるはずです。私は昨年の「訴え」でそのことを非難しましたが、今日それを読み返しても、私が不当に警鐘を鳴らしたと告発できる人はいないでしょう。

忘れてはならないのは、2010年以降、ロックフェラー財団がこの数年間の四つのシナリオを予測し、そのうちの一つがパンデミックの「ロックステップ」(lockstep)【足並みをそろえる】だったことです。これらすべてのシナリオについてロードマップが研究されていますが、パンデミックに関係するロードマップが本質的に予測通りの結果となっているのは憂慮すべきことです(「テクノロジーと国際開発の未来のためのシナリオ」[Scenarios for the Future of Technology and International Development]はこちら)。

ここ数日、世界各地で発生した何千もの火災は、主流メディアに気候変動の緊急事態について叫ぶ口実を与えています。その緊急事態の名の下に、彼らはすでに、新たな都市封鎖や、新たな形の自由・権利の制限に備えなければならないだろうと私たちに警告しています。しかしその後、世界的なサイバー攻撃や経済危機など、すでに研究され、綿密に計画され、その最初の兆候を私たちが観察できるものもあります。これらの戦略はすべて、個人への攻撃を目的としています。つまり、個人の情動性や日々のリズム、仕事において、孤立させられ、攻撃されるのであり、また、均一かつ匿名の方法で大衆を攻撃するのです。

反対する人々、つまり、モルモットにされることを受け入れず、世界の人口が慢性病患者の集団に変えられて一割が減少するのを見ることを受け入ない人々は、前世紀の他の独裁政権の時代と同じように、いや、それ以上に不従順が必要であることを理解しなければなりません。第二次世界大戦後のレトリックを反ナチズムに基づいて構築してきたのに、強制収容所を可能にしたのと同じ差別が、より冷酷な形でいま再び発生していることを誰も認識していないのは憂慮すべきことです。20世紀の全体主義体制は、イスラエル国家をはじめとする今日起きている事態の準備実験ではなかったのだろうかと疑問に思われるでしょう。

そして、私たちを憂慮させているのは、大衆が自ら専制体制下に置かれるのを許していることです。しかも、現代はまさに、革命が近代性の重要なテーマの一つであるにもかかわらず、さらには、この革命の原理が、第二バチカン公会議によって、まさに聖なる領域に入り込んだ時代であるにもかかわらず、です。しかし、純粋なカトリックの見方からすれば、混沌(カオス)は、良き権威への反抗と、悪しき権威への卑屈な従順の両方で、いま私たちの目の前にある転覆において、自ら姿を現しているのです。これは、その時代錯誤的な傲慢さを見せて、私たちを信じられない気持ちにさせます。

 

ヴィガノ・テープ:「私たちは決して受け入れない」
質問9

The Vigano Tapes: “In no way can we accept”
Question #9


【質問9】大司教様、大司教様はもう一度、人々がモルモットとして使われていること、健康対策のために人間が慢性的な病気になっていることについて、非常に劇的な言葉で語っておられます。また、大司教様が一種の新しい全体主義と呼んでおられるものに抵抗することを私たちに求めておられます。しかし、本当の事実を理解することができず、自分たちの立場が本当のところはどうなのかを実際に知ることができない状態で、私たちが直面している脅威について、本当に統一された結論を出すことができるでしょうか? 大司教様は何を提案なさいますか? 大司教様、例を挙げていただけますか?

【回答】私は、私たちが直面している欺瞞を指し示して人々の目を開かせることが重要だと考えています。それは、誤った前提に基づく欺瞞であって、あらかじめ巧みに作られ、ドグマ的(教条的)に押し付けられたものです。それは、すでに計画され・実行された誤った解決策を正当化するためのものでした。

パンデミックは、通常の状況であれば大衆に軽蔑をもって拒否されるような社会的統制を押し付けることを目的としていましたが、メディアによるテロリズムと、医師、政治家、裁判官、法執行機関の共犯のおかげで、多くの国々で、さらには教会施設そのものにも、導入ができるようになりました。サンタマルタ(ベルゴリオが住む住居)では、グリーンパスがなければカフェテリアで食事をすることができず、多くのカトリック学校や大学では、すべての職員と学生にワクチンの接種が義務付けられています。まもなく、私たちは、旅行や官公庁への入館、投票、教会へ行くために、ワクチンパスポートの提示を求められるようになるでしょう。

私はこの点を明確にしたいと思います。問題の次元を理解することがなければ、問題の作者を認識してその目的を見極めることがなければ、私たちは決してその問題から抜け出すことはできません。なぜなら、主は私たちを助けに来られるために、私たちが、自分を苦しめている悪を認識し、その原因を理解し、その後、主に赦しを願って償うことを望んでおられるからです。

ですから、この地上が地獄のようになってしまった原因は、天主を捨ててしまったことであり、この世的・霊的な主権において天主を否定してしまったことであり、王冠を奪って敵【悪魔】に与えてしまったことです。現在の社会が、キリストの十字架を踏みにじることができるという錯覚の中で、自らをサタンの奴隷にしてしまったことを理解したとき、初めて私たちは天主の御あわれみを請い求め、天主のご介入を懇願することができるのです。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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