goo blog サービス終了のお知らせ 

Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

うそをつくこと: ブノワ・ワリエ神父様お説教(東京、大阪) 聖霊降臨後第十九の主日

2019年10月21日 | お説教・霊的講話
聖霊降臨後第十九の主日―うそをつくこと(2019年大阪、東京)
ブノワ・ワリエ神父様(聖ピオ十世会司祭)


「正義と真実の聖徳において、天主にかたどってつくられた新しい人を着なければならない。だから、偽善[うそ]を捨てて、おのおの隣人に真実を語れ。あなたたちは互いに肢体だからである」(エフェゾ4章24-25節)

A.うそをつく五つの方法

聖トマス・アクィナスによると、人は通常の会話において、五つのやり方で天主の第八戒に反することがあります。



a.第一は中傷によってです。「中傷する者は天主を憎んでいる」(ローマ1章30節)。なぜでしょうか? それは、「良い評判は大きな富にまさる」(箴言22章1節)からです。しかし、中傷する者は、この良い評判を取り去るのです。「ヘビは沈黙のうちに噛みつく[bite]が、秘密のうちに悪口を言う[backbite]者もそれとかわらない」(伝道書10章11節)。それゆえに、もし中傷する者が、この良い評判を回復させないなら、救われることはあり得ません。

b.第二に、人は中傷する者に進んで耳を傾けることによっても、この掟を破ることになります。「汝の耳を茨で囲い、悪しき言葉を聞かず、口に扉とかんぬきをつけよ」(集会書28章25節)。

c.第三に、うわさ話をする者は、聞いたことを繰り返し話すことで、この掟を破ります。

d.第四に、甘い言葉を話す人々、お世辞を言う人です。「ああ、わが民よ、汝を祝された者と呼ぶ人々、その同じ人々が汝を欺くのである」(イザヤ3章12節)。

e.この掟が禁じていることの中には、あらゆる形のうそもあります。「どのようなうそもつかぬよう気をつけよ。そこからは、どんな善も生まれない」(集会書7章13節)。


B.なぜうそをつくことは禁じられているのでしょうか。


これには四つの理由があります。

1.第一には、うそをつくことは悪魔になぞらえられるのであり、それは、うそつきは悪魔の子と同じとされるからです。さて、人の話し方からその人の出身の地域や国が知れる、ということを私たちは知っています。そうであっても、ある人々は悪魔の種族に属しており、悪魔の子と呼ばれています。なぜなら、彼らがうそつきであり、悪魔は「うそつきであり、うその父」(ヨハネ8章44節)であるからです。

2.第二の理由は、うそをつくことは社会の荒廃をもたらすからです。人は社会の中で共に生きているのであり、互いに対して真実を言わないとしたら、社会生活はすぐに不可能になってしまいます。「偽善[うそ]を捨てて、おのおの隣人に真実を語れ。あなたたちは互いに肢体だからである」(エフェゾ4章25節)。

3.第三の理由は、うそつきは、真実を語るという自分の評判を失うからです。うそをつく習慣のある人は、たとえ真実を述べても信じてもらえません。

4.第四の理由は、うそつきは自分の霊魂を殺すからです。なぜなら「うそつきの口は霊魂に死をもたらす」(知恵1章11節)からです。また、「あなたはうそをつく者をすべて滅ぼす」(詩篇5章7節)からです。


うそをつくことは、次の二つの場合、大罪となります。

a.信仰の問題でうそをつくこと。これは、教える者、聖職者、説教師にかかわることであり、ほかのあらゆる種類のうその中でも最も重い罪です。

b.隣人を不当に扱うためにうそをつくこと。「互いにうそを言うな」(コロサイ3章9節)。


**************************************

うそは社会で大変広範に行われており、カトリック信者の中でさえそうです。うそをつくことは簡単な逃げ道ですが、常に罪であり、重大な罪にもなり得ます。

しかし、天主に対する、そして隣人に対する私たちの崇高な立場と義務を忘れないようにしましょう!

「正義と真実の聖徳において、天主にかたどってつくられた新しい人を着なければならない。だから、偽善[うそ]を捨てて、おのおの隣人に真実を語れ。あなたたちは互いに肢体だからである」(エフェゾ4章24-25節)


【英語原文】

Nineteenth Sunday After Pentecost – Lying (Osaka and Tokyo 2019)


“Put on the new man, who according to God is created in justice and holiness of truth. Wherefore, putting away lying, speak ye the truth, every man with his neighbor, for we are members one of another” (Ephes. IV. 24-25).


A. Five Ways of Lying

According to St. Thomas Aquinas, in ordinary conversation one may violate the 8th Commandment of God in five ways.

a. The first is by detraction: “Detractors are hateful to God.” Why? Because “A good name is better than great riches.” But detractors take away this good name: “If a serpent bite in silence, he is no better that backbites secretly.” Therefore, if detractors do not restore this reputation, they cannot be saved.

b. Secondly, one may break this precept by listening to detractors willingly: “Hedge in thy ears with thorns, hear not a wicked tongue, and make doors and bars to thy mouth.”

c. Thirdly, gossipers break this precept when they repeat whatever they hear.

d. Fourthly, those who speak honied words, the flatterers: “O My people, they that call thee blessed, the same shall deceive thee.”

e. The prohibition of this Commandment includes every form of falsehood: “Be not willing to make any manner of lie; for the custom thereof is not good.”


B. Why Lying is Forbidden

There are four reasons for this.

1. The first is that lying likens one to the devil, because a liar is as the son of the devil. Now, we know that a man’s speech betrays from what region and country he comes from; even so, some men are of the devil’s kind, and are called sons of the devil because they are liars, since the devil is “a liar and the father of lies.”

2. The second reason is that lying induces the ruinof society . Men live together in society, and this is soon rendered impossible if they do not speak the truth to one another. “Putting away lying, speak ye the truth, every man with his neighbor; for we are members one of another.”

3. The third reason is that the liar loses his reputation for the truth. He who is accustomed to telling lies is not believed even when he speaks the truth.

4. The fourth reason is because a liar kills his soul, for “the mouth that lies kills the soul.” And again: “Thou wilt destroy all that speak a lie.”


Lying is a mortal sin, in the following two instances:

a. To Lie in matters of faith. This concerns professors, prelates and preachers, and is the gravest of all other kinds of lies.

b. To lie to wrong one’s neighbor: “Lie not to one another.”[26]

**************************************

Lying is very well-spread in society, even among Catholics. It is an easy escape, but it is always sinful and it can be seriously sinful.

But let us remember our royal rank and our obligations towards God and towards our neighbor!

“Put on the new man, who according to God is created in justice and holiness of truth. Wherefore, putting away lying, speak ye the truth every man with his neighbor, for we are members one of another” (Ephes. IV. 24-25).

聖ピオ十世会 聖伝のミサの報告 2019年10月20日 Traditional Latin Mass in Japan, SSPX

2019年10月21日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

今回は、ワリエ神父様が日本にミッションに行かれました。私に代わって日本に言って下さった神父様には心から感謝します。ありがとうございます!

愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、マニラでミサを司式しておりました。ミサの間、聖霊降臨後第19主日の集祷分を祈りつつ、ラテン語の祈りにいつもながら感動しておりました。

出てくる3つの動詞がすべて、前置詞 ex- で始まっている。
同じ音の言葉や同じ母音が繰り返される。versa とか、-te, -re, ter, とか、sunt, -bus, など。

Omnípotens et miséricors Deus,
univérsa nobis advérsantia propitiátus exclúde :
ut mente et córpore páriter expedíti,
quæ tua sunt, líberis méntibus exsequámur.
Per Dóminum.

全能の憐れみ深き天主よ、
御慈悲をもって、われらにとってすべての[=uni-versa]妨害を[=ad-versantia]排除し給え[=ex-clude]。
精神と身体とがともに、重荷を取り除かれ[=ex-pediti]、
御身のことに、我らが自由な心で従わん[=ex-sequamur]がためなり。
天主として、(…)。

お説教では「新しい人を着る」「婚姻の服」について、三位一体の霊魂に住まうことである成聖の聖寵の状態について黙想を提案しました。

日本でのミサの報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日はシンガポールから、16年ぶり(?)にワリエ神父が東京にいらっしゃってミサを捧げて下さいました。

御説教ではうそをつくことにについて、天主の第8戒に反してしまう5つのパターンがあること、うそをつくことが禁じられている4つの理由があること、そして私たちはうそをつくことに逃げず、自分の天主と隣人に対する立場と義務を忘れないことが大事であることを教えて頂きました。

午後の霊的講話の第一部では、まず現在ローマで行われているアマゾンに関するシノドスの状況について説明して頂きました。いまこのシノドスでなされている議論、特に妻帯者を司祭に任ずる案を推しているグループがどのような目的を持ってそれを行っているか、そしてそれがいかにカトリック教会の伝統に反しており、そのような案が実行されることによってどのような悪影響が予想されるか等についてお話しくださいました。

第二部では福音史家聖ルカについて、彼の書いた福音書の特徴やその背景、特に彼の聖母に関する記述が恐らく聖母から直接聞いた話に基づいていることなど、「トリビア」のようなことも色々教えて頂きました。

霊的講話の後は聖霊降臨後第19主日の晩課を歌って終わりました。

今日の東京でのミサ・霊的講話・晩課の参列者数は下記の通りです。

ミサ
男: 28人(内、子供6人)
女: 32人(内、子供5人)
計: 60人(内、子供11人)

霊的講話
男: 15人(内、子供3人)
女: 10人(内、子供3人)
計: 25人(内、子供6人)

晩課
男: 4人
女: 2人
計: 6人


【報告】
今日のミサのお説教は第八戒のことを詳しくお話しいただきました。
自分は決して嘘をつかないというなら、それこそ大ウソつきだというブラックジョークもあったように思います。
正直でいることは霊魂を滅ぼさないためにも大切なことだと思いました。
お話しいただいたことはとても大切なことで、こういう話をきちんと聞く機会をいただけて、とてもよかったです。

霊的講話の前半では、アマゾン・シノドスのことに触れてくださいました。あまりに不気味でどう考えたらよいかわからず、できたら考えることすら避けたいと思うことでした。
お話を伺えて、だいたいどういうことかを少しわかるようになりました。これまで日本の教会で問題になっていたようなことを世界的規模でやりはじめたいとする人たちの行動の一つではと思いました。でも、単に日本の司教団で行うというのと、ローマで行うというのでは桁が違うことでしょう。

教会にいろいろな問題が起こっていて、そのために救われるべき人が教会に来られなくなるというのはとても悲しいです。でも、もしこの聖ピオ十世会のミサに与っていなかったら、私は、教会にいろいろな問題が起こっていることすら考えることを恐れたでしょう、正しく考える規範をどこに見つければよいかもわからないままにいたことでしょう。いつのまにかプロテスタント(近代主義・フリーメーソン)の考え方に汚染されていることすら自分でわからなくなっていたままだったことでしょう。それが現実に今起こっている恐ろしいことの一つだと思います。

「変わらないものがあるはずのところに、変わらせる動きが見えた。」でも、ワリエ神父様のお話は落ち着いていた内容で、これまでもカトリック教会はこのような動きの危機を乗り越えてきたこともわかりました。

また、教会というのは超自然のものなので、イエズス・キリストのものなので、ある日すべてをきれいになさる日が来るというお話が心強く思いました。

さらに、こういうことをよく知ることも大事だけれど、死んだ後にイエズス様にあったとき、教会にどういう問題があったかと聞かれるのではない、そうではなく自分がどうしたかを聞かれるというお話を心に留めました。イエズス様にお会いしたときにどれほどイエズス様をお愛ししたかを聞かれるのでしょう。

講話の後半は、ルカ福音書、聖ルカのことをおはなしくださいました。そのなかで善い盗賊の話に触れてくださいました。イエズス様と一緒に処刑された二人の盗賊のうち天国に行くことになった盗賊の方です。

このごろ、この善い盗賊のことを考えるときが時々ありました。
自分も罪を犯した人類のうちのひとりだということをわかるようになってきていて、それなら、目に見えないだけで本当はすでに十字架に架けられているようなものなのではないだろうかと、思ったことがありました。人間は、自分で自分が罪を犯していないと思っているかいないかにかかわらず、すでに生まれた時から罪を犯した者のうちの一人だというのが、カトリックでの人間観でそれが実際のところかもしれないととらえた時がありました。
そういう意味で、人間というのはすでに十字架に架かった者であり、最後の時イエズス様にむかってどのような思いをもつかが、その最後の息を吐いた後の運命になるのかなとおもいました。
私も今まさに十字架にかかっているようなものであるなら、この善い盗賊のようにイエズス様に向かって善い言葉を言えるような心を持ち続けていたいと思いました。

この善い盗賊は罪のゆるされる条件を満たしていたとのこと、ワリエ神父様はそれをお話しくださいました。ゆっくりそのことを黙想したいと思います。

ワリエ神父様、今日のミッションを本当にありがとうございます。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】