Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖霊によりて童貞マリアから生まれたイエズス・キリストを信じ奉る。聖霊は永遠の昔から御托身の道具としてマリア様を使う事を望み聖母を準備された。「無原罪の御孕り」だ。

2019年07月26日 | お説教・霊的講話
2019年7月6日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年7月6日、聖母の初土のミサをしています。

今日このミサを、御聖体拝領を、マリア様の汚れなき御心への償いとして、このミサの後には、初土の信心、御聖体降福式を行ない、そして15分間の黙想も致しましょう。「マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う」という意向で捧げて下さい。

とても良いニュースがあります。

それは、5月の第3の主日に、私たちは聖母行列をして、大阪の私たちの御聖堂をマリア様の汚れなき御心に奉献し、その奉献を更新しました。聖母行列をした後にそうしました。

先月は6月には、大阪の大司教区、前田枢機卿様のご指導の元で、大阪の大司教区がマリア様の汚れなき御心に奉献されました。

私たちはいつも、日本の全ての司教様たちが、日本の回心の為に、日本の本当の幸せの為に、日本の平和の為に、日本が本当に世界をリードする国になる為にも、マリア様の汚れなき御心に全ての司教様が日本を奉献するという事をして下さるように、いつも願っていましたけれども、大阪の大司教区は、その一歩を踏み出されました。

そこで非常にこの嬉しいニュースで、私たちももう一度、私たちの御聖堂を、大阪の大司教区を、そして日本を捧げて、マリア様の汚れなき御心に奉献したいと思っています。この御聖体降福式の時にそれを行ないたいと思っています。

その意向は、大阪大司教区のみならず、日本の全ての司教様たちが、日本を全てマリア様の汚れなき御心に捧げて下さいますように、です。

特に11月には、その23日から4日間の予定で、教皇様が日本に来られるというニュースがあります。是非教皇様が一緒に、日本の司教様と、マリア様の汚れなき御心に日本を奉献して下さいますように。

日本の方々にとって、これが「教皇様の来日」という事が、単なるどこかの外国の大統領や王様が来た、というのではなく、日本の回心の為の良いきっかけになりますように、日本の方々がイエズス様と福音とカトリック教会、そしてまた本当の救い主がどこにあるか、という事を知る、あるいはその興味を持つきっかけになりますように、日本の方が光を受ける、その御恵みのきっかけとなりますように!

是非それらを願って、御聖体降福式の時に、聖母マリア様の汚れなき御心に対する奉献を更新したいと思います。どうぞ皆さん、心を合わせて参加して下されば嬉しく思います。


「そして、弟子たちに向かって言った、『汝の母を見よ。』」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、昨日夕食の時、とても興味深い話をしました。それは、マリア様、「聖霊によりて、童貞マリアから生まれたイエズス様」の事です。一体、イエズス様が人となられた、天主の御言葉が私たちの救いの為に人となられたその玄義に、マリア様は一体どう関わっていたのか?「聖霊によりて、童貞マリアより生まれ」という事はどのような玄義であって、私たちにどのように関わっているのか?私たちにどんな意味があるのか?私たちに何をするように提案しているのか?という事を一緒に黙想したいと思っています。

この世で、被造物を激震させた2大事件がありました。「激震した」というのは、「被造物の存在それ自体が、根本から大変化した」という事です。

2回あったその1つは、「創造」の時です。それは、私たちが無で、全く無かった、存在していなかった、何も無かった、それが有るようになった、という事です。これは私たちにとって、存在の根底を変える大変化の時でした。創造の時です。天主には変化がありませんでしたが、私たちは無から有に大変化しました。

第2の時は、この創造よりも更に素晴らしい大変化が起きました。それは有限の、無に等しいような私たちの、無きに等しいような小さな存在が、特に「人間が、天主と一致した」という事です。つまり、「イエズス・キリストが、永遠の御言葉、天主の聖子、無限の知恵が、私たちの人間性を取って、そして人となられた」という事です。

その時、天主にとっては全く変わりがなかったのですけれども、変化がなかったのですけれども、被造物である、特に人間の本性は、今後「天主と一致する事ができる」という、特別の高みに上げられました。無に等しいような存在が、無限の天主と一致する可能性を受けたのです。

天主が人となられた。この天主の聖子が、天主の永遠の御言葉が人間となる事を、託身、「御託身」と言います。これは最高の、聖霊の為した業でした。聖霊はこの時に、天主の本性と人間の本性を、イエズス様の天主の三位一体の第二のペルソナにおいて、一つにしました。分離できないほど一つにしました。

聖霊はしかし、この究極の無限の存在である天主と、有限のちっぽけな存在である人間の本性を一つにする時に、そうする必要性は全くなかったのですけれども、しかし聖霊は永遠の昔から、その事が起こる為の道具として、マリア様を使う事を御望みになりました。

マリア様、その最高の傑作を作る為の、いわばそこに於いて、マリア様に於いて、マリア様と共に、マリア様から、マリア様を使って、それを起こす事を御望みになりました。自由にそれを御計画されました。

そしてその為に聖霊は、マリア様を準備されました。どうやって準備したかというと、それが「無原罪の御孕り」でした。

マリア様は、ご自分のお母様聖アンナのその胎内に孕るその瞬間から、聖霊の特別な働きによって、原罪の汚れを全く無しに、聖霊の天主の聖寵の充満を、充ち満てる御恵みを受けて、最初から存在しました。つまり天主に反するものは全く無い状態で、無原罪の状態で御孕りになりました。無原罪の御孕りです。

ルルドでマリア様はこの事を仰いました。
「あなたのお名前は何ですか?」
「私は、無原罪の御孕りである。」

この事は、マリア様が無原罪の御孕りであるという事は、旧約の時代から既に預言されていました。

例えば、ゲデオンと言う旧約の太祖は、天にしるしを求めました、「もしもあなたの言う事が本当ならば、この毛皮の羊毛の羊のマントだけがぐしょぐしょに濡れていて、他の草はカラリと、露が一つも落ちないようにして下さい。」それを見たら、『確かに天主からのものだ』と信じましょう。戦いに出ましょう。たとえ少数でも。」

すると、その通りになりました。

これはマリア様が、聖寵の充満を受けて、聖寵に充ち満てる御方、「主、御身と共に在す」という事を、「常に在す」という事を前兆していました。

ゲデオンはその次に更に言います、「これでは、もっとしるしが欲しい。今度は、この私の持っている毛皮の、羊の羊毛のマントだけが乾いて、他が皆露で湿っても、これだけはカラリと乾くようにして下さい。

その次の日には、そうなりました。これは、マリア様が無原罪の御孕りであり、マリア様だけが、天主の子羊を産むべきマリア様だけが、原罪の汚れを受けずに、カラリと綺麗である、という事の前兆であった」と教父たちは言います。

これを以てゲデオンは、「確かにそうだ。」戦いに出ます。

マリア様はまさに、この羊の衣でした。

マリア様のこの無原罪の御孕りを通して、汚れない聖母を通して、聖霊は、天主の聖子のペルソナにおいて、天主の本性と人間の本性が一つになるように働かせました。最高の傑作を作りました。無原罪の御孕りの為に。

そこで聖グリニョン・ド・モンフォールはこう言います、「聖霊は、マリア様と共に、マリア様に於いて、マリア様から、御自分の、『人となった天主』という御自分の最高傑作を作った。その為に聖霊は、マリア様と婚姻をした。マリア様と愛によって一つになった。あたかも聖霊とマリア様は全く一体となったかのようであって、もう切り離す事ができないほど一つになっているかのようであって、あたかも聖霊がマリア様の身に写ったかのようになって、」教父たちによると、「聖霊のイコンとなって、聖霊の見える御姿となって、マリア様が行動された。そこで、天主聖子を御胎内に孕す事にした。」

もちろん聖霊は天主であって、マリア様は肉体を持った人間ですから、婚姻などという事は全くありません、ふざけています。

「しかし、あまりにもマリア様が聖霊と一つだったので、人間の言葉で表現するには、『婚姻』という言葉を使うしかなかった」と教父は言います。聖グリニョン・ド・モンフォールも、どうしてもその愛による一致を言う為に、全くそうではないのですけれども、そうしか表現しようがなかったのです。

こうして聖霊は、マリア様と完璧に全く一致していました。マリア様はあたかも聖霊の生き写しであるかのように、この地上で存在していました。

ちょうど、聖霊によりて童貞マリアからイエズス様が生まれたように、「キリストの神秘体の頭」が生まれたように、聖霊によりてマリア様から、その「神秘体の肢体」である私たちも、キリストの一部として生まれなければなりません。これがこの神秘の論理的な結論です。

愛による一致によって、マリア様は天主の婢女、奴隷として行動しました。そしてこの愛によるこの御謙遜と、その奴隷として、婢女として、主の御旨を果たそうとしたその望みは、御自分をはるかに超える業を、「天主の本性と人間の本性を一つに結ぶ」という業を成し遂げる事ができるようにしました。

マリア様の愛は、聖母の天主に対する愛は、「天主の本性と人間の本性を一つに結ぶという天主の最高の業を生み出した愛」です。「これに比べるものが全く無いほどのとてつもない巨大な愛であった」と言わなければなりません。

もしもマリア様が聖霊の生ける似姿であって、イコンであったとしたら、御影(ごえい)であるとしたら、マリア様の下で30年間従順に従っていたイエズス様は、マリア様に於いて聖霊を見ていたに違いありません。天主の愛である聖霊の生き写しをイエズス様は常に見て、そしてマリア様に従っていました。

これは私たちにも「どれほど聖母に対する奉献が必要であるか」という事を示しています。

なぜかというと、もしも私たちが天主の御旨に従って、聖霊の息吹に従って生活しようとするならば、マリア様に奉献されるのが一番の近道であるからです。もしも私たちがこの地上で、霊的にも、あるいは肉体的にも、奇跡が必要なほど必要に迫られている時に、マリア様に行かなければなりません。

最初の奇跡で、7月2日に私たちが記念した、マリア様の御訪問による洗者聖ヨハネの聖化。これはマリア様の介入によって、お言葉によってなされました。あるいはカナでの、水がぶどう酒になる奇跡も、マリア様によってなされました。

今でも、もしも必要であれば、マリア様によってのみそれがなされます。私たちの身も心も、マリア様によって奇跡が起こります。聖化の奇跡です。必要な全ての恵みが与えられます。

ある日イエズス様は言われました、「私の母とはどこにいるのか?聖父の御旨を果たした者、それこそが私の兄弟、姉妹だ。」

聖父の御旨を果たした、完璧に果たした、そして聖霊の生ける御姿であるマリア様。これこそ、聖父の御旨を完璧に果たした最高の方ではないでしょうか?

イエズス様は、そしてその御言葉に続けてこう言われます、「聖父の御旨を果たす者こそ、私の兄弟、姉妹、そして私の母だ。

愛する兄弟の皆さん、マリア様のその聖霊との一致の神秘の中に、ますます入って下さい。そして今日その黙想をなさる事によって、私たちがマリア様の聖霊の御孕りとしてしつらえられた、マリア様の汚れなき心がどれほど大切であるか、黙想致しましょう。そしてこの御心に奉献される事がどれほど必要であるか、黙想致しましょう。

そして私たちがそのマリア様の御心の中にますます入る事ができますように、そしてイエズス様に倣って、マリア様の汚れなき御心に奉献されて従って生活する事ができますように、つまりそれこそが聖霊の息吹に従う事になる、という事を理解できますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


人類を裁くべき最高の裁判官イエズス・キリストの聖心には赦しと憐れみと愛のみで満たされていた。私たちの考えとどれほど離れている事か。

2019年07月26日 | お説教・霊的講話
苦しみの玄義 第2玄義黙想 2019年7月6日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 小野田神父

『苦しみの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主が鞭打たれ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、罪を償う恵みを乞い願わん。』

初土の信心として、15分間、ロザリオの玄義を黙想致しましょう。今日は7月は御血の、イエズスのいと尊き御血の聖なる月ですので、苦しみの玄義の第2玄義、イエズス様が鞭打たれ給う、そして全身で御血を流され給う、その玄義を黙想する事を提案します。



イエズス様の聖心の、燃えるような私たちへの愛、この愛は、何をもイエズス様をひるませませんでした。どのような苦しみも、辛い事も、残酷な拷問も、喜んで受けて立つ、その愛で燃えていました。

私たちがその受けるべき、肉の罪によって受けるべき苦しみを、罰を、イエズス様が全て、御自分の身に引き受け給い給うたのです。刑吏の残酷な鞭の前に、清らかな肌を晒し給うて、マリア様からお受けになったその繊細な御体、頑丈な肉体、それが鞭によって砕かれ、傷付き、血潮でまみれ、御筋肉も、肌を通して骨が見えるかのように、鞭はイエズス様の御肉体をえぐり、傷付け、痛めつけました。

イエズス様は、不平を漏らさず、この侮辱を、私たちの為に御捧げになっておられます。

「私は彼に、何の罪も見出さなかった。だから、鞭打ちの罰を凝らして、解放しよう。」

罪が無かったにも関わらず、残酷な鞭打ちを受けたイエズス・キリスト。イエズス様のこの御痛みと、私たちに対する愛を黙想致しましょう。

鞭打たれ給うイエズス様の聖心の御考えは、何だったのでしょうか。

受けた不正義への不平、文句、あるいは皆の前で受ける屈辱、辱め、それへの抗議、あるいはその痛みと苦痛の、それに対する反感、あるいは復讐の思いだったのでしょうか?

いえ、イエズス様の聖心は、ただ「聖父への愛」と、「哀れな私たちに対する愛」だけで満たされていました。

「私たちを赦そう。」聖父に赦しを乞う、その祈り。「苦しみを捧げよう」というその望み。「人類を赦したい」というその愛。それしかありませんでした。

人類を裁くべき最高の裁判官、イエズス・キリスト。イエズス様のその聖心には、赦しと、憐れみと、私たちに対する愛のみで満たされていました。私たちの考えとどれほど離れている事でしょうか。

不正な裁判を受け、人民によって裁かれた、不当な宣告を受けた天主。辱めに飽かされ、全身傷だらけになりながら、私たちの罪を償う事のみ望む、イエズスの聖心。

その聖心を遠くにご覧になったマリア様の心は、どれほど感動と、祈りに満ちておられた事でしょうか。

イエズス様を馬鹿にする、冒瀆する人々の声を聞き、イエズス様に対して為される暴力を見て、その鞭の音を聞き、飛び散る血潮をご覧になり、悪の、罪の重さを目前にして、マリア様の汚れなき聖心は、イエズス様と共に、私たちへの愛と赦しを求める心でますます満たされます。

「マリア様、イエズス様のこのような御苦難を見て、鞭打ちを見て、私の心はあまりにも冷淡で、無関心で、冷たい心をいつも取っていました。マリア様の汚れなき御心にあやからせて下さい。」

イエズス様を打つ鞭の音が聞こえます。イエズス様を罵る人々の呪いの声が、冒瀆の声が聞こえます。

「私はあまりにも無関心でした。非常にしばしば、冒瀆の声に一緒になってイエズス様を鞭打っていました。マリア様の心にあやからせて下さい。聖母と共に、イエズス様をお慰めする恵みをお祈り下さい。イエズス様を冒瀆する声は、テレビで、インターネットで、映画で、ラジオで、新聞で、雑誌で、ますます声が大きくなっています。マリア様の心に、御心に近付くを得させて下さい。」


来年の復活のロウソクを準備中です

2019年07月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

来年の復活祭のために、復活のロウソクを準備中です。






天主様の祝福が豊かにありますように!


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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