Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

四旬節第一主日のミサの後で日本と世界の平和のために、朝鮮半島での平和のため共産化による統一が避けられるために、中国のカトリック信徒の方々のために御聖体降福式を行う予定です。

2018年02月13日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日2月14日は灰の水曜日です。大小斎の日です。

 大阪では2月16日は四旬節の金曜日ですから、ミサの前のロザリオの代わりに「十字架の道行き」を行いましょう。

 東京では、2月18日の四旬節第一主日のミサの後で、灰の式を行います。灰の式の後、四旬節をよく過ごすために、日本と世界の平和のために、朝鮮半島での平和のために、共産化による統一が避けられるために、中国のカトリック信徒の方々のために、コロンビアのために、御聖体降福式を行う予定です。


天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2月18日は四旬節第一主日で、東京で10時半から聖伝のミサがあります。典礼のテキストをご紹介いたします。

2018年02月13日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日、2月14日は灰の水曜日で大小斎の日です。
 2月18日は四旬節第一主日で、東京で10時半から聖伝のミサがあります。典礼のテキストをご紹介いたします。

Dominica Prima in Quadragesima 四旬節第一主日  
I Classis 一級主日 紫
Statio ad S. Ioannem in Laterano (指定巡礼聖堂。ラテラノの聖ヨハネ大聖堂)
Ant. ad Introitum. Ps. 90, 15 et 16. 入祭文(詩篇、90ノ15-16)
Invocábit me, et ego exáudiam eum : erípiam eum, et glorificábo eum : longitúdine diérum adimplébo eum. かれが私に願えば、私はかれの願いをきき、かれをすくい出し、かれに光栄を与え、長い生命を与えるであろう。*
Ps. ibid., 1. (詩篇、90ノ1)
Qui hábitat in adiutório Altíssimi, in protectióne Dei cæli commorábitur. いと高き者に守られて住む者、天の保護の下にある者は、幸いである。
V/.Glória Patri. ℣. 願わくは、聖父と・・・・(栄誦)。
Invocábit me, et ego exáudiam eum : erípiam eum, et glorificábo eum : longitúdine diérum adimplébo eum. かれが私に願えば・・・・(*までくりかえす)

Oratio. 集祷文
Deus, qui Ecclésiam tuam ánnua quadragesimáli observatióne puríficas : præsta famíliæ tuæ ; ut, quod a te obtinére abstinéndo nítitur, hoc bonis opéribus exsequátur. Per Dóminum. 天主よ、御身は、年毎に行う四旬節をもって主の教会を浄め給う。願わくは、主の家族が断食を行って御身から求めんとすることを、善業によっても得させ給え。天主として・・・・。
Léctio Epístolæ beáti Páuli Apóstoli ad Corínthios. 使徒聖パウロの、コリント人への書簡の朗読
2 Cor. 6, 1-10. (コリント後書、6ノ1-10)
Fratres : Exhortámur vos, ne in vácuum grátiam Dei recipiátis. Ait enim : Témpore accépto exaudívi te, et in die salútis adiúvi te. Ecce, nunc tempus acceptábile, ecce, nunc dies salútis. Némini dantes ullam offensiónem, ut non vituperétur ministérium nostrum : sed in ómnibus exhibeámus nosmetípsos sicut Dei minístros, in multa patiéntia, in tribulatiónibus, in necessitátibus, in angústiis, in plagis, in carcéribus, in seditiónibus, in labóribus, in vigíliis, in ieiúniis, in castitáte, in sciéntia, in longanimitáte, in suavitáte, in Spíritu Sancto, in caritáte non ficta, in verbo veritátis, in virtúte Dei, per arma iustítiæ a dextris et a sinístris : per glóriam et ignobilitátem : per infámiam et bonam famam : ut seductóres et veráces : sicut qui ignóti et cógniti : quasi moriéntes et ecce, vívimus : ut castigáti et non mortificáti : quasi tristes, semper autem gaudéntes : sicut egéntes, multos autem locupletántes : tamquam nihil habéntes et ómnia possidéntes. 兄弟たちよ、我々は天主の協力者であるから、あなたたちが、天主の聖寵を無駄に受けないようにとすすめる。「私は恵の時に汝にこたえ、救の日に汝を助けた」と天主はいい給うた。実に、今は恵のとき、今は救の日である。どんな場合にも、どんな人にも、我々の職がけなされないように、我々は躓きをあたえない。かえって、どんな場合でも、我々は、天主の役者としての自分を示す。患難のときも、窮乏のときも、苦悩のときも、傷つけられたときも、牢に入れられるときも、騒動のときも、労働のときも、徹夜のときも、断食のときも、大いに忍耐し、廉潔・学識・寛容・仁慈・聖霊・偽りなき愛徳と、真理の言葉と、天主の力と、攻撃と防禦との正義の武器によって、光栄と、恥辱と、悪評と、好評とによって表わす。人をだます者と思われても真実であり、知られざる人のようであるが人に知られ、死に赴く人のようであるが、見よ、生きており、懲罰される者のようであるが殺されず、悲しみにしずむ者のようであるが常に喜び、貧しい者のようであるが多くの人を富ませ、何ももたない者のようであるが、すべての物をもっている。
Graduale. Ps. 90,11-1 2. 昇階誦 (詩篇、90ノ11-12)
Angelis suis Deus mandávit de te, ut custódiant te in ómnibus viis tuis. 天主は、その天使らに、あなたのすべての道を守れと命じ給うた。
V/. In mánibus portábunt te, ne umquam offéndas ad lápidem pedem tuum. ℣. かれらは、あなたの足が石につき当らぬように、手でささえるであろう。

Tractus. Ibid., 1-7 et 11-16. 詠誦 (詩篇、90ノ1-7、11-16)
Qui hábitat in adiutório Altíssimi, in protectióne Dei cæli commorántur. いと高きものに守られて住む者、天の保護の下にある者は、幸いである。
V/. Dicet Dómino : Suscéptor meus es tu et refúgium meum : Deus meus, sperábo in eum. ℣. かれは、主にいうであろう、主は私の守り手、私のひなん所である。主よ、私は御身によりたのみ奉る。
V/. Quóniam ipse liberávit me de láqueo venántium et a verbo áspero. ℣. なぜなら、私を、かりうどのわなから救い出し、悪口から守り給うからである。
V/. Scápulis suis obumbrábit tibi, et sub pennis eius sperábis. ℣. 主は、そのつばさであなたを守り給い、そのつばさの下にあなたは避難する。
V/. Scuto circúmdabit te véritas eius : non timébis a timóre noctúrno. ℣. 主の真実は、あなたを保護する楯である。あなたは夜をおそれないであろう。
V/. A sagítta volánte per diem, a negótio perambulánte in ténebris, a ruína et dæmónio meridiáno. ℣. あなたは、ひる飛ぶ矢も、くらやみの企みも、ひるの悪魔もおそれることはない。
V/. Cadent a látere tuo mille, et decem mília a dextris tuis : tibi autem non appropinquábit. ℣. 左に千人がたおれ、右に万人がたおれても、あなたはたおれないであろう。
V/. Quóniam Angelis suis mandávit de te, ut custódiant te in ómnibus viis tuis. ℣. 天主は、その天使らに、あなたのすべての道を守れと命じ給うた。
V/. In mánibus portábunt te, ne umquam offéndas ad lápidem pedem tuum. ℣. かれらは、あなたの足が石につき当らぬように、手で支えるであろう。
V/. Super áspidem et basilíscum ambulábis, et conculcábis leónem et dracónem. ℣. あなたは、へびとまむしとの上を歩き、獅子と龍とをふみくだくことができよう。
V/. Quóniam in me sperávit, liberábo eum : prótegam eum, quóniam cognóvit nomen meum. ℣. かれらは私によりたのんだから、私はかれを助けよう。かれは私を礼拝するから、私はかれを救おう。
V/. Invocábit me, et ego exáudiam eum : cum ipso sum in tribulatióne. ℣. かれは私に願い、私はかれの願いをきく。かれの苦しみのとき、私はともにいるであろう。
V/. Erípiam eum et glorificábo eum : longitúdine diérum adimplébo eum, et osténdam illi salutáre meum. ℣. かれをすくい出し、かれに光栄を与えるために。また、かれに長く生命を与え、私のすくいを示すであろう。

Sequentia Evangelii decundum Matthaeum マテオによる聖福音の続誦
Matth. 4, 1-11. (マテオ4:1-11)
In illo témpore : Ductus est Iesus in desértum a Spíritu, ut tentarétur a diábolo. Et cum ieiunásset quadragínta diébus et quadragínta nóctibus, postea esúriit. Et accédens tentátor, dixit ei : Si Fílius Dei es, dic, ut lápides isti panes fiant. Qui respóndens, dixit : Scriptum est : Non in solo pane vivit homo, sed in omni verbo, quod procédit de ore Dei. Tunc assúmpsit eum diábolus in sanctam civitátem, et státuit eum super pinnáculum templi, et dixit ei : Si Fílius Dei es, mitte te deórsum. Scriptum est enim : Quia Angelis suis mandávit de te, et in mánibus tollent te, ne forte offéndas ad lápidem pedem tuum. Ait illi Iesus : Rursum scriptum est : Non tentábis Dóminum, Deum tuum. Iterum assúmpsit eum diábolus in montem excélsum valde : et ostendit ei ómnia regna mundi et glóriam eórum, et dixit ei : Hæc ómnia tibi dabo, si cadens adoráveris me. Tunc dicit ei Iesus : Vade, Sátana ; scriptum est enim : Dóminum, Deum tuum, adorábis, et illi soli sérvies. Tunc relíquit eum diábolus : et ecce, Angeli accessérunt et ministrábant ei. そのときイエズスは、悪魔に試みられるために、御霊によって荒野に導かれ給うた。四十日四十夜断食して後、飢え給うた。試みる者が来て、「もしあなたが天主の子ならば、命じてこれらの石をパンにせよ」といった。答えていい給う。「“人はパンだけで生きるのではない、天主の口から出るすべての言による”とかきしるされてある。」 そこで、悪魔は、彼を聖なる都につれゆき、神殿の頂に立たせて、「あなたがもし天主の子ならば、身を下に投げよ、それは、“天主はあなたのために天使達に命じ給うであろう。あなたの足が石にうち当る事のないよう、彼らが手であなたを支えるであろう”と記されているからである」といった。イエズスはいいたもうた。「また、“主なるあなたの天主を試みるな”と記してある。」 悪魔はまたかれを、非常に高い山につれゆき、世のもろもろの国とその栄華とを示して、「あなたがもし平伏して私を拝むならば、これらを皆あなたに与えよう」といった。そのときイエズスはいいたもうた、「サタン、退け、“主なる天主を拝み、ただ彼にのみつかえ奉らねばならぬ”と記されてある。」 ここにおいて悪魔ははなれ去り、見よ、天使たちが近づいて彼に仕えた。
Credo 信経
Ant. ad Offertorium. Ps. 90, 4-5. 奉献文(詩篇、90ノ4-5)
Scápulis suis obumbrábit tibi Dóminus, et sub pennis eius sperábis : scuto circúmdabit te véritas eius. 主は、その翼であなたを守り給い、その翼の下にあなたは避難する。主の真実は、あなたを保護する楯である。

Secreta. 密誦
Sacrifícium quadragesimális inítii sollémniter immolámus, te, Dómine, deprecántes : ut, cum epulárum restrictióne carnálium, a noxiis quoque voluptátibus temperémus. Per Dóminum. 主よ、四旬節をはじめるに当り、われらが聖なるいけにえを主にささげ、肉身のかてをつつしみ、有害な快楽をも遠ざけうるよう守り給え。天主として・・・・。
Præfatio de Quadragesima. 四旬節の序誦
Ant. ad Communionem. Ps. 90,4-5. 聖体拝領誦(詩篇、90ノ4-5)
Scápulis suis obumbrábit tibi Dóminus, et sub pennis eius sperábis : scuto circúmdabit te véritas eius. 主は、その翼であなたを守り給い、その翼の下にあなたは避難する。主の真実は、あなたを保護する楯である。

Postcommunio. 聖体拝領後の祈
Qui nos, Dómine, sacraménti libátio sancta restáuret : et a vetustáte purgátos, in mystérii salutáris fáciat transíre consórtium. Per Dóminum. 主よ、主の秘蹟にあずかって、強められ、古い人間のけがれより浄められたわれらを、救霊の玄義にあずからせ給え。天主として・・・・。

晩課

Hymnus ad Vesperas 四旬節の晩課の讃歌
Audi, benígne Cónditor, Nóstras préces cum flétibus, In hoc sácro jejúnio Fúsas quadragenário. 良き造り主よ、聞き給え、この四十日間の 聖なる断食において涙と共に 注がれた我らの祈りを
Scrutátor álme córdium, Infírma tu scis vírium: Ad te revérsis éxhibe Remissiónis grátiam. 人々の心を養い探る方よ、御身は人間らの病を知り給う、御身にたち戻る者たちに、赦しの聖寵を示し給え。
Multum quidem peccávimus, Sed párce confiténtibus: Ad nóminis láudem túi, Cónfer medélam lánguidis. 我らは多く罪を犯せり、されど告白する者らを容赦し給え、御身の聖名の賛美のため病める者に薬を授け給え。
Concéde nóstrum cónteri Córpus per abstinéntiam, Cúlpæ ut relínquant pábulum Jejúna córda críminum. 我らの体を節制を通し、克己を与え給え、犯罪を断食せし心は、罪悪の飼料を捨て去らんことを。
Praésta beáta Trínitas, Concéde símplex Unitas: Ut fructuósa sint túis Jejuniórum múnera. Amen. 至福の三位一体よ、単純なる一者よ、願わくは御身の聖寵により、断食の勤めが実り豊かならんことを。アメン



福音の働き手の聖性 ― その土台は内的生活である 第三部 内的生活が善徳への進歩を保証してくれなければ活動的生活はむしろ危険である その三、【ドン・ショタール著「使徒職の秘訣」】

2018年02月13日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

恒例のドン・ショタール著「使徒職の秘訣」L'Ame de tout apostolat
第三部 内的生活が善徳への進歩を保証してくれなければ活動的生活はむしろ危険である
三、福音の働き手の聖性 ―― その土台は内的生活である
 をご紹介します。山下房三郎 訳を参考に、フランス語を参照して手を加えてあります。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



第三部 内的生活が善徳への進歩を保証してくれなければ、活動的生活はむしろ危険である
三、福音の働き手の聖性 ―― その土台は内的生活である

 聖性とは、人間の意志が天主のみ旨と極めて密接に一致合体するまでにおし進められた内的生活、これ以外のなにものでもないのだから、恩寵の奇跡でもないかぎり、一般には、霊魂はこの内的生活の絶頂に、多くの苦しい努力をはらって、浄化の道と照明の道との段階を全て通ってでなければたどり着かない。
La sainteté n’étant autre chose que la vie intérieure poussée jusqu’à l’union très étroite de la volonté avec celle de Dieu, d’ordinaire et sauf un miracle de la grâce, l’âme n’arrive à ce terme qu’après avoir parcouru au milieu de multiples et pénibles efforts, toutes les étapes de la vie purgative et illuminative.

 霊魂の聖化の過程において、これは霊生の常則としてとおっていることだが、天主のお働きと霊魂の働きは、逆比例して進行する。天主のお働きが、霊魂の聖化の役割において、日に日に、勢力をましていくにつれ、霊魂の働きは逆に、聖化のイニシャチブをとる役割においては、日に日に、すこしずつ減少していく。それも、初心者の聖化において、また完全者の聖化において、天主のお働きはそれぞれちがってくる。

 初心者の聖化において、天主のお働きは、そんなに目にみえて明らかではない。それは、とりわけ、霊魂に、被造物への“警戒”(la vigilance)と、天主の探求の“嘆願”(la supplication)をしげきし、これを支え、確保させる、恩寵のすすめの形であらわれる。このようにして、天主は、霊魂に、新たな努力をさそう恩寵を獲得させるための手段を、お与えになる。
 完全者の聖化において、天主はより強く、より深く、より広範囲に、お働きになる。そして、ときとしては、霊魂を、ご自分のお働きに一致させるために、霊魂にはただごく簡単な、内心の承諾しかお求めにならない。

 初心者も、冷淡者も、そして罪びとまでも、聖主がこれをご自分にお近づけになろうとする時には、まず、天主を求めるように仕向けられる衝動を、心のなかに実感する。次に、天主をおよろこばせしたいとの誠意を、すこしずつ証拠だてようとする。最後に、自愛心の偶像をほふって、その代わりに、イエズス・キリストだけを、おのれの心に君臨させるために、天主からおくられるいっさいの出来ごとを、心から歓迎する。このばあい、天主のお働きは、霊魂をはげますことに、霊魂を助けることに、限定されている。

 “聖人”の内的生活において、天主のお働きは、前記の二者よりも、いっそうはるかに強い。そして、いっそうはるかに全面的である。あらゆる疲労、あらゆる苦悩のさなかにあっても、あらゆる屈辱のさかずきを飲み、あらゆる病苦の重圧のもとにあっても、聖人は、ただ天主のお働きにおのれを打ちまかせ、天主からされるままになっている。このおまかせの精神がないなら、死の苦しみにもひとしい毎日の十字架をたえしのぶことは、とうていできない。そして、この十字架こそは、天主が彼の霊魂を、超自然の生命に成熟させるおぼし召しから、み摂理の計画として与えられる。
 完全者の霊魂においてこそ、「天主は万物を、キリストの足もとに従わせた。それは、天主がすべての者にあって、すべてとなられるためである」Deus subjicit sibi omnia, ut sit Deus omnia in omnibus(コリント前15・28)という聖パウロの言葉が、みごとに実現する。

 この霊魂は、ただイエズス・キリストによって生きる。「生きているのは、もはや、私ではない。キリストこそ、私のうちに生きておられるのである」Vivo autem jam non ego; vivit vero in me Christus(ガラツィヤ2・20)という聖パウロの証言を、かれもまた、おのが一身に、実現している。かれにおいて、考え、判断し、行動するものは、ただイエズスのご精神だけであって、かれ自身ではない。むろん、栄光の生命なる天国で、はじめて達成される完全天主化の境地には、まだ達してはいないだろう。だが、霊魂はすでに、至福直観による天主との一致の性格を、おのれのうちに、ほかのに反映している。

 いうまでもないことだが、初心者や冷淡者、さらにただの信心家は、こんなに高い、天主との一致にとどまっている者ではない。かれらの霊生の状態には、それにあてはまる独特の、一連の手段があるのだから、この手段を用いて、霊生をいとなめばよい。しかし、初心者は、なんといっても、内的生活の見習者であるから、つらい苦労をする。進歩も、いたって緩慢である。おぼつかない手つきでやるものだから、内的生活の仕事も、きわめてお粗末である。

 これに反して、完全者はすでに、内的生活の熟練工なのだから、仕事も手っとり早く、そして立派にやってのける。困難も、ないことはないが、あってもわずかで、とにかくすばらしいものを作りあげる。天主との一致の殿堂を、やすやすと築きあげるのである。

 しかし、使徒的事業にたずさわる人たちが、その内的生活の深い浅いによって、右に述べた種類に区別されはしても、その各自にたいする天主のご意図に変化はないのだ。天主は、かれらのだれにたいしても、そしていつも、そのたずさわる事業が、当人にとって、聖化の手段であることを、お望みになるのである。

 だが、使徒職というものは、すでに聖性の域に達している人びとにとっては、なんの危険もない。その心身のエネルギーを無駄に消耗させることもない。かえって善徳に進歩し、功徳をます機会をゆたかに提供する一方において、前にも述べたように、天主との一致の度合いがまだ弱く浅い人たち――念禱にさしたる興味もなく、犠牲の精神も、とりわけ、心の取り締まりの習慣もさほど発達していないひとたちにとっては、かえって、たやすく霊的貧血症をおこす原因となる、したがって、完徳修業の道程において、くじけ折れる機縁ともなる、という悲しむべき事実が厳存するということを、心に銘記していただきたい。

 心をよく取り締まる――という、この立派な習慣は、これを熱心に祈り、切に願いさえすれば、天主から与えられる。機会あるごとに、天主におのが奉仕の忠実さを、証拠だてさえしたら、天主もきっとこのよい習性を、お与えになるであろう。天主への奉仕に、いかなる犠牲も惜しまぬ大きな心の持ち主だったら、天主はこの霊魂に、心の取り締まりのよい習慣を、あふれるほどお与えになるであろう。

 かくて、霊魂は、幾度となく努力を重ね、何度も失敗をくりかえしたのち、彼の能力をすこしずつ刷新して、キリストのそれに変容させ、かようにして、聖霊のインスピレーションによくなびくもの、よくきき従うものとなす。したがって、いかなる反対も、不成功も、失敗も、幻滅も、これをよろこんで天主のみ手から、受けとることができるようになる。

 内的生活が、霊魂の深部に根ざしたとき、いかようにして、彼をまことの善徳に定着させるか――以下にそれを、六つの項目にわけて、説明することにしよう。

(この章 続く)

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