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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 20.4.2.不屈の人間による気さくさ

2013年04月06日 | ルフェーブル大司教の伝記

不屈の人間による気さくさ

  優しさとは、精神力と密接に関連している。マルセル・ルフェーブルの優しさは周知の事実であった。それは僅かばかりの臆病さの混じった謙遜な優しさであった。彼の“小さな声”は思い違いをさせていたのだ。モルタンでもランバレネ(Lambaréné)でも、彼はブラザーだと見做された。ダカールでは、良く断言したものである。「自分は、何一つしない恥ずかしがり屋となっていたかもしれません。」ところが彼は、この断言とは正反対の人間であった、とはブュッサール神父の言葉である。

 セネガルにおいてルフェーブル大司教を訪問した弟のミシェルは、大司教が“国の統治者たち”とくつろいでいるだけではなく、後日には、貴族たちとさえくつろいでいる”しかも“自分もその流儀に精通し、楽しんでいる”とメモした。彼はこの貴族たちに対しては、自ら彼らの手の届く態度を取り、耳を傾け、窮屈であるとは決して思わず最善を尽くした。

  エコンのテーブルでは、デュビュイ神父が気が付いたことがある。
「大司教は、大公・公爵に対しても、貧しいブリキ商に対しても、まったく同じでした。全く同じように愛想良く近づきやすい方でした。私はそれを目撃しましたし、それは実に私の心を打ちました。それを見て私は大いに敬服しました。彼はいつも同じでした。しかしそれは不自然ではありませんでした。彼はまさに牧者でした。」

 彼は叙階式後の昼食の終わりになると、気の利いている、あるいはユーモアのある乾杯の掛け声に関しては彼の右に出る者はいなかった。

 至る所で、マルセル・ルフェーブルは“注目に値する、人々と接する能力がある人間的な温情”を示した。彼になら何でも話す事が出来るほど、彼には受け入れ態勢があった。モルタンでの司牧から8年後、バラ(Barras)神父はニジェール川で彼と再会した。

「なんと老けてしまったことでしょう、モンシニョール!」と、彼はうっかり口に出してしまった。大司教はそこでほほえんだ。

  この優しさと気さくさとが、彼の強固な意志力を覆い隠していた。彼が決断し計画する事は、彼の予定通りに実行されなければならなかった。彼は如何にして物事が遂行されているかに注意を払った。友人や自分の聖ピオ十世会の司祭たちと議論する際には、オカロル神父が指摘するように、彼は思っている事を驚くほど率直に発言した。そしてもしも原理に関することに触れるなら、例えば、コロンビアにおける人口過密は家族計画によって解決出来るだろうなどと提案するなら、大司教は「とんでもありません!問題外です!問題解決の原則を放棄などしてはいけません。」と反論しただろう。自分の見解を表明する時の彼には“活気と信念”が満ちていた、と回想するのは弟のミシェルである。

 しかしながら、「確固たる見解があったとしても、彼はとても穏やかにお話になりましたし、彼の声の調子は決して聞く者を傷つけるものではありませんでした。」と聖霊司祭修道会司祭のベルクラス神父(Père Berclaz)は付言している。父兄たちに対しては控えめな注意をした。「皆さんには聖ピオ十世会経営の学校があるでしょう。」彼の忠告は肯定的で、人々を個人的に叱り付けようとはしなかった。彼はキリスト教自分の見解を説明するために、文書を送付するか、父兄との会合を受け入れた 。

  それでも、マルセル・ルフェーブルは自分の考えを押し付けない術を心得ていた。彼は並外れた聞き方であり、誠実に隣人を理解しようと務めたのだ。彼は相手の意見を喜んで受け入れたし、もし結果として他者を真理に導く事が自分に出来ると思えるなら、出来る事は何であれ容認した。

 彼は神学生たちに戒めた。「信徒たちと議論する際は、愛徳深くあってください。そして無用な不寛容さを一切見せてはいけません。私たちは真理を不愉快なものにするような義務など負っていませんよ!先ず、耳を傾け、それから慎重な意見を表現することを知りましょう。」

  例えば、かつてシオンのシュヴェリ司教はエコン視察中に、“キリスト教徒の誰一人として一致に関心のない者などいないからエキュメニズムを実践しなければならない”と言う主張を大司教に何とか承認させた。おそらく大司教は、二つの「エキュメニズム」がある【他州は・他宗教の人々ともにどこか別のところに歩んでいくエキュメニズムと、他宗派及び他宗教のカトリック信仰への改宗を意味するエキュメニズム‐訳者】と応酬しただろう!

  品行に関して言えば、彼は協調的でもあった。ある日彼は、エコンで最後の福音を省略して退堂したメルル神父の後に自分のミサを捧げた。そこで、大司教も最後の福音を省いた。

「彼がきっぱりと断定的だったとしても、人には迷惑はかけまいとする非常に人間的な優しさがありました。」と、このメルル神父が批評したように、その通りなのである。

  別の機会に、義理の妹モニックの死去をちょうど耳にした彼は、故人の兄弟ザヴィエ・ルフェーブル神父と共にいた。彼はイエズス会士で、カリスマ刷新運動賛同者であった。感情をかなり露わにするルフェーブル神父が提案した。
「さあ、跪いて主に祈りましょう。私たちが集まところには天主はいらっしゃるのです!」

 大司教の弟ミシェルに拠れば、このことは、かりそめにもマルセルが好まないようなすこし熱烈なやり方で行われた。しかし、例えこの司祭の好みに合わせて、この祈りがかなり派手に行われたとしても、それは大司教にとって、祈りに対する同意の妨げにはならなかったのである。

 しかしある原理が危険にされている場合、ルフェーブル大司教は何一つ譲歩しなかった。エコンのテーブルでの大司教との会話で、あるドミニコ会司祭が思い切って言った。

「今の所、多元主義に関する無駄話が余りにも多く存在していますが、それについてペラペラしゃべる人々は、より聖伝的な概念の合法性を拒絶しています。【多元主義を認めるなら、聖伝も多元主義の一つとして認めるべきです。訳者】」
 「貴方がしている論証は全く不十分ですよ、親愛なる神父様!」と、洗練された形而上学者である大司教は答えた。
 「ですが、何故そうなのですか?」
 「真理は一つだからです。決してそう言うべきではありません。【多元主義を容認するような発言をするべきではありません。訳者】」

 それを聞いたドミニコ会神学者は、この哲学的に明白な真理の打撃によって口を閉ざしてしまった。しかし、この司祭は後日「彼は非常に親切にそう仰って下さったのです。」と付言している。


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