ルフェーブル大司教は、ある偉大な原理の為に尽したしもべだ。それは「万事をキリストに連れ戻す事」であった。それ故に彼は偉大な指導者だったのだ。さらに
「彼は偉大で美しい威厳を持ち、その面影は好意と善良さに輝いていた。彼が姿を現せば、早速強烈な感動を与えた。彼は、人を惹きつける独特な性質を持っていた。それは魅力以上の何かであった。彼は何時もこの非凡さを漂わせるオーラを、つまりこの抗しがたい個人的な力をいつも保っていた。 」
彼の知性は直観的に諸原理にまで到達し、問題の中核を識別するに至るその能力において群を抜いており、驚くほど解りやすい言い方を駆使して、自分の説明している文書に潜む思想や、根本的誤謬を指摘した。彼はものごとや場所や出来事に関しては卓越した判断を下した。が、未来についてとなると平凡な預言者でしかなかった。彼は、鋭敏な心理学者として個人個人を熟知していた。しかし時折、協力者たちが持っていたと想定される短所、あるいは期待された資質の点では、考え違いをしないわけではなかった。
彼は何事においても事情を知っているように心がけた。政冶一般や、宗教界の情勢、自分の修道会の諸施設の順調な管理などだ。「彼は常に見張っていた。」彼の頭脳は、新しい、矛盾さえする湧き出る豊富な着想に満ちていた。時々、大胆さにおいてとても個性的であり、エマニュエル・バラ(Emmanuel Barras)神父によれば、“非常に心が広く、ある意味で前衛的”であった。
年齢は彼の活力を10倍にしたようであった。ダカールでは人々は気づいた。「彼には自由に使える5分間もありませんでした。」さらに、大司教総代理は不思議に思った。「彼は何でもうまくやる!どうすればそう出来るのだろうか?」
彼は実践的な事柄に心が傾いていて、“物質的問題を扱う事では並外れていた”が、これも、常に霊的事柄への奉仕のためだ。必要な資金提供やよい秩序をよりよく構築することであり、良い精神状態を保つためのものだ。モルタンの“養父”は、このようにして教義と霊的生活を伝えたのである。グラヴラン(Gravrand)神父が言うように、彼は“霊的人間であるだけではなく工場経営者”でもあった。
“極めて優秀な創立者”である彼には、目指すべき目標と、事柄がそれに従って遂行されるべきである秩序に対する観念が備わっていた。彼は、“極めて重要な事を何一つ怠らずに、利用可能な手段によって最大の利益を得る為には十分な投資をする”という考えを持っていた。
彼は行く先々に秩序をもたらした。修道会のカピトゥルム や、修道女達の禁域 を強調し、司祭によって享受されている司牧上の権能を明確化したり、共同の祈りにおける規則正しさを要求したり、共同生活を保護し、さらに堅振式においては望ましい秩序を確保した。ある日、チリを訪れた彼は、“事が相応しく準備されるまで”堅振の授与を拒み、何をすれば良いのか彼らに説明した。
彼には人々や事柄への並々ならぬ影響力があった。「私は自分の司祭たちを近くで見守っています」と彼はダカールで言った。これは例え遠くマダガスカルの離れ島に離れていようともそうである、という意味だ。彼は司祭たちの使徒職の進展の情報を得て、聖霊司祭修道会総長のグリファン神父から活気ある補充兵【補充司祭‐訳者】たちを要求する術を心得ていた。「突破作戦を敢行中により、私たちには援軍が必要であります!」
彼は、管区長や神学校の教授など、自分の配下にいる人々を信頼した。それが彼の基本原理だ。聖ピオ十世会会則の内に彼が規定した事を除けば、組織的な事柄に関して彼は押し付けがましくなかった。人々は彼に助言を求めることを知らなければならなかった。助言を求めるならば、彼は明確かつ簡潔に答えただろう。視察をしている時の彼は、観察はしても、父親譲りの過度な心遣いによって、一切質問することはなかった。そのようなことは、信頼の欠如を見せることではないだろうか?と彼は考えた。自分が好奇心に満ちているかの王に自分を見せるのを好まなかった。ある日サン・ダミアーノを訪問中、その幻視者【マンマ・ローザと呼ばれる婦人‐訳者】に挨拶に行って欲しいと彼は頼まれた。20分の間、彼は彼女のところに留まった。何があったのか? 彼に対する天からのメッセージがあったのだろうか?戻ってくるなり彼は言った。「彼女はとても親切で単純な方のようです。一緒にロザリオを唱えましたが、それだけです。何も尋ねようと思いませんでした。」
しかしルフェーブル大司教は、意見の相違を示す事に躊躇いはなかった。例えば、聖ミカエル校に到着したこの日のように、 “ムーア人【北アフリカのモーリタニアの原住民、ベルベル族とアラブ人の混血のイスラム教民族‐訳者】のような”濃い肌色をした学校校長の司祭が、全ての木を伐採させるよう勝手に決めてしまったのだ。眼前の光景に驚いた彼は叫んだ。
「貴方という人は本当にムーア人ですね!貴方はムーア人のように振舞っています。貴方の通った後に残っているのは砂漠だけですよ。」
彼は通常、からかいで相手の誤りを矯正した。ルフェーブル大司教以上に大胆に多くの修道院を創立した、聖ピオ十世会総長職における後継者【シュミットバーガー神父‐訳者】に対し、大司教はエコンのテーブルでこうからかった。
「うぁー!あなたは月にも支部修道院を創立してしまうかもしれませんよ!」
より個人的な落度を扱う場合、彼はよく内密に説明した。大司教は、唇の合間に舌の先端を覗かせながら、やや当惑した含み笑いをしつつ、この叱責も、さらに優しく行われるとますます相手の心に伝わった。
大司教は、問題の解決において、素早く必要な決断を下すことの大切さを良く意識し知リ尽くしていた。彼はある悲惨な状況が“悪化”するままにしては置かなかった。時々彼は、強引に行動し、高位聖職者としての権威を行使した。 しかしながら、彼は殆どの場合、自分が完璧に考え抜いて下した断固とした決断を、大いなるデリケートさをもって、少しの臆病ささえとも言えるものをもって、明らかにした。彼は“重苦しくのし掛かる”司教ではなかったが、権威に満ちていた。「皆が彼に従いましたし、これまで誰一人として拒否しませんでした。」とビュサール神父は言う。「彼が言う事にはあ私は何時も賛成でした。」と言ってグラヴァン神父は続ける。「何故なら、私は彼が大好きでしたし、誰かが好きな時、彼のする事をしたいと思うのです。」大司教は“ビロードの手袋をつけた鉄の拳”と呼ばれた。その結果は「高い効率」だった。