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二〇一二年六月二十九日、エコンでのフェレー司教様の説教「私たちは最初の出発点に戻っている」

2012年07月10日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

 二〇一二年六月二十九日、スイスのエコンで、フェレー司教様が叙階式でなさった説教を日本語に訳して下さった方があります。遅ればせながらご紹介いたします。日本語に訳して下さった方には、心から感謝いたします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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二〇一二年六月二十九日、スイス、エコン、フェレー司教説教


原文はこちら
http://www.sspx.org/news/econe_ordinations_2012/econe_ordinations_2012.ht
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エコンにて十一名の新司祭が叙階
二〇一二年六月二十九日、スイス、エコン


 六月二十九日金曜日、聖ペトロと聖パウロの祝日に、ベルナール・フェレー司教(聖ピオ十世会総長)は、十一名の新司祭を、スイス、エコンの聖ピオ十世会神学校で叙階した。十名は聖ピオ十世会、一名は御変容修道会(Society of the Transfiguration)の司祭である。

 叙階式の説教の間、フェレー司教は、司祭職に関する感動的なスピーチをし、同様に、聖ピオ十世会とローマの現在の状況への鋭い識見を示した。ローマとの状況に関する引用文を以下に提示する。

*****


「聖ペトロと聖パウロのこの祝日を祝う時、私たちはローマについて考えずにはいられません。また、私たちの創立者【ルフェーブル大司教】が、このローマに対して抱いていた愛、彼がその子どもたちに教え込むことを願い、望んだ、この愛を忘れることはできません。私たちはローマ・カトリックです! このことを忘れ去ることはできません。私たちがたとえ困難な時代に生きており、今日のローマから苦しみを受けなければならないとしても、ローマに対する実際の、そして心からの愛というこの真実を完全に弱めてしまうことはできません。この都を教会の頭(かしら)たるべくお選びになったお方は、善き天主であられるからです。これは、私たちが誤謬を愛するつもりだ、ということにはなりません。決してそうではなく、私たちはそのようなローマを耐え忍びます。ですが、今起こっていることに背を向けたままで、断念してしまうこともできない、と言えます。そうではありません。私たちは、やろうとしていることをやり通す必要があります。

 確かに、皆さんは私に「ローマと何が起きているのですか?」お尋ねになります。今に至るまで私たちがほとんど何も申し上げられないということは、皆さんにお伝えするだけの充分な情報がないからです。今のところ、私たちが申し上げられることは、物事は全面停止の段階にあるということです。あっちに行ったりこっちに行ったり、多くのやりとりがあり、実際に取り引きや提案がありました。しかし私たちは最初の出発点に戻っています(最初の振り出しに戻りました)。私たちが受け入れることのできない、サインすることができないと申し上げた出発点にです。私たちはそこにおります。これが申し上げられるすべてです。一方で、この状況は複雑になりつつあるこの状況を見ています。この状況は、私が以前、ローマにある矛盾を前にして、そう申し上げた時から、二年、三年続いています。

 二〇〇九年からずっと、私はそのことを繰り返し述べてきました、毎日のように起きています。それは教会の状態のことです。仕方がありません。進歩主義へと、進歩主義の結果へと、さらに先へと動くことを望む人々がおり、修正をかけようと望む人々がいます。私たちはその真ん中で、ピンポン球のようにあらゆる人々から打たれ続けてきました。

 結局のところ、最後には、教会は己の真の姿をふたたび見いだすだろうこと、そして、ある種のいわば「居心地のよさ」に満足できないという熱望を私たちが持つことを私たちは知っています。まったく正常でない状況に満足できない、ということです。私たちは、私たちは望むことを何でもすることができる状況にあるので、ついには、そのような私たちの置かれている状況が正常である、と考えることに慣れてしまうようなことは出来ません。これは間違っています。まったく正しくありません。私たちがもちろん必要とするすべての条件を忘れることなく、明らかに私たちが所有する権利があり、私たちのものであるこの称号、カトリックであるという称号を回復することを探し求めるということは、正常なことです。このことは、私たちが単に自分たちを近代主義者たちに委ねてしまわなければならない、ということにはなりません。そのこととは無関係です。

 ですが、困難な状況です、困難で、すべてが緊迫しているように思われ、悪魔たちが鎖から解き放たれて、あらゆる方面で走り回っていることがはっきりとわかります。ですから、今こそ祈るべき時です。困難な時です。私たちに対して、私たちについて、さまざまなことが言われています。聖主(みあるじ)よ、私たちが願うただ一つのことは、天主のみ旨を行うことです。天主のみ旨は多くの事実の中に示されます。……ルフェーブル大司教様のこの遺産に忠実に留まること以上に、全教会にとって善をもたらすことはできない、ということも、またはっきりしています。そこから、例の有名な「『条件』『保証』がどんなものになるか私には分かりません」という、何度も繰り返した言葉が出てきています。この『条件』『保証』は、聖ピオ十世会が今あるままであり続けることを保証しなければなりません。ある時、もしも【ローマとの】協力が可能なら、です。しかし何時か、どうやってか、については、そのときの状況が、はっきりと示してくれるでしょう。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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