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アジア管区長 クチュール神父様へのインタビュー part3

2011年08月18日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 アジア管区長 クチュール神父様へのインタビュー part3を日本語に訳して下さった方がおられるので、感謝しつつ愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


 クチュール神父様のインタビューの原文は次の通りです。

アジア管区長 クチュール神父様へのインタビュー part1
アジア管区長 クチュール神父様へのインタビュー part1 日本語訳

アジア管区長 クチュール神父様へのインタビュー part2
アジア管区長 クチュール神父様へのインタビュー part2 日本語訳

アジア管区長 クチュール神父様へのインタビュー part3

 神父様がアメリカにこられたのは、信者が祈りに加えて、援助をお願いするため、そして神父様が広めようとしていらっしゃる本のためでした。この本では、ある中国人女性がマルクス政権によって投獄された話でした。これはすべての章がとても美しく神聖なお話で、とても読みやすい話です。どうしてこの方をお知りになりましたか?そしてこの本は、神父様のお仕事や、聖伝ミサやアメリカにおけるカトリック教徒の役に立つものですか?

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クチュール神父様
  彼女は中国、毛沢東の下、強制収容所で、1955年から1981年までの26年間を費やしました。その後、1989年にアメリカに渡りました。約10年間彼女の教区で新ミサに預かったあと、聖伝ミサに出会いました。だれかが彼女の手による聖体拝領について、手による聖体拝領は悪いと教えたのです。そして彼女は聖ピオ十世会と出会いました。今、彼女は、聖ピオ十世会の第三会員です。彼女は次のような普通では考えられない説明をしました。「共産党の監獄における26年間は、聖ピオ十世会の会員となるための最もすばらしい準備期間だったでした。私にとって最高の修練期間でした」と。

 彼女の本「苦しみの中の喜び」(アジア管区サイトあるいはアンジェル・プレスでお求め頂けます)は、最近、韓国の聖ピオ十世会で再出版され、現在第2刷です。この本は、フランス語やスペイン語に翻訳され、もうすぐ日本語にも翻訳されつつあります。この本は、彼女の話、とても簡潔な、いうなればとても美しい章が書かれています。彼女が逮捕されたとき、彼女は20才でした。彼女は16才のときに改宗したのです。4年後、彼女はレジオ・マリエの会員であったために逮捕されました。レジオ・マリエのすべてが毛沢東によって監視され、その最初のターゲットが中国におけるカトリック教会となりました。中国のレジオ・マリエの話は普通では考えられないことです。(詳しくは、SSPXアジア管区ウェブサイトをご覧ください)1948年、教皇大使であったリベリ(大)司教様は1947年革命が来ることを感じました。(毛沢東は1949年に政権を手にしました。)それから、大使はアイルランド人のマックグラース神父様を送りましたが、すでに神父様の中国での小教区ではレジオ・マリエが普通では考えられない状況になっていました。教皇大使はマックガース神父様に言いました。「毛沢東は、まもなく政権を掌握するでしょう。私はあなたに、中国全土でレジオ・マリエを設立することを命じます。なぜなら、カトリック教徒は、司祭なしで信仰を守らなければならなくなるからです。」2年以内に、神父様はおよそ2千もの祈りのグループをつくり、カトリック教徒の信仰をそこで守り、多くの人が殉教の準備をしたのです。


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 ローズ・フーさんは、上海のオーロラ女学校の学生でした。これは、マックグラース神父様が中国での布教の一環として始められた学校でした。豊かな家族のための学校で、予想に反してこの学校は成功しました。学校は、まるで草がすくすく成長するように成長しました。この学校は、天主様の恩寵を受けていました。この学校出身の多くの若い少女が後に拷問にあいましたが、多くが固く信仰を守りました。この本は、彼女の当時の霊的指導者マックグラース神父様(2000年帰天)への従順によって彼女が書いた証言集です。

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 神父様は、ローズ・フー夫人に言いました。「ローズ・フーさん、あなたの体験した話を文章にまとめなければなりません。」最初は中国語でかかれた彼女の本は、バチカン中国語放送ラジオで放送されました。ですからこれは重要な証言集です。この本は、ちょうど英語に翻訳されたところです。そして、今から1年から2年位先には、フランス語、スペイン語、日本語、そしておそらくドイツ語にも翻訳されるでしょう。

 彼女は、私たち司祭にとってすら教育的な模範です。そしてこの金欲的、物質的な社会において、天主様への奉仕の召命をもたらすでしょう。なぜならこれは、若い人が英雄的な方法で固く信仰を守った模範だからです。

 この本から、ひとつの例を引用しましょう。この本の中にはたくさんの逸話があります。あるとき、ローズさんは、肺炎にかかりました。2週間、ベッドで寝たきりになっていましたが、薬を探すことはできませんでした。ついに、彼女は誰かに手紙で知らせ、どうにかして薬を得ることができました。それから、彼女の具合は少し良くなりました。でも、立てるようになったときから、すぐに畑で働かなくてはならなかったのです。彼女が友人のテレーズとビルの横を通りかかったとき、地面に卵が一個落ちているのを見つけました。それは、ごく普通の鶏の卵でした。彼らにとっては、卵はビタミンの壺のようなものです。これは天からの贈り物でした。ですから、テレーズは卵を手にとって言いました。「ローズ、見て。善良な天主様は、あなたの健康が戻るように卵をくださった」ローズは答えました。「でもまだ病気の人たちがいる、私に限っては、今は良くなってきています。でも、まだずっと病気の人がいます」「そうです、でも、ローズが卵を食べないといけません、善良な天主様がローズに働いて欲しいとおもっていらっしゃいます」「だめだめだめ、この卵はいただけません、このことは今夜お話しましょう」このようにして、彼女らは夕方まで畑で働きました。そして、夕方6時ごろに帰宅しました。彼女らはカトリックの友人達と集まり、そこでローズさんは言いました。「だめだめだめ、この卵はいただけません。まだずっと病気の人たちがいるから」そこで彼らは、卵を人から人に回しました。15人の人が集まっていましたが、卵は最終的にローズさんの手に帰ってきました。皆それぞれが言いました。「自分よりもっと悪い状況の人がいる。」そのうちの数人は、もうほとんど餓死しそうなのに、彼等は言ったのです。「だめだめ、私よりもっとその卵を必要としている人がいる」この労働収容所で、英雄的な愛徳と犠牲の精神を見出すことができるでしょう。最終的に、彼らは卵を割り、水を張ったボウルにいれ、ひとつの卵でスープを作ったそうです。皆がそれぞれスプーンひとすくいずつ食べたそうです。ローズさんに次のように尋ねました「卵の殻はどうしたのですか?」ローズさんは、答えました。「ああ、みんなで食べました。だって、形跡を残してはいけないのです。」


神父様、インドはいつも、アメリカから多大な援助を受けてきました。アメリカは、多くの寄付をインドに送ったり、宣教師をインドに派遣したりしてきましたので、インドから光栄なことに感謝していただいてきました。今日、叙階されたばかりの若いインド人の神父様について、お話をしていただけますか?もし、クチュール神父様が若いインドの神父様にお言葉や激励をなさるとしたら、あるいは今後司祭を目指す人にアドバイスをなさるとしたら、どのようなことをおっしゃいますか?

クチュール神父様 
 明日の朝に行われる彼の初ミサで私が何を言うか、ということを言っておられるのですね?こういうことです。私達は今朝、フェレー司教様がおっしゃった司祭職の理想に生きなければならないということです。この理想は聖ピオ十世会の召命です。これは、私たちが叙階式の時に補助をした司祭方や司教様方のことを申し上げています。その一方で、聖ピオ十世会はもっともっと新しい時代に入りつつあります。聖伝ミサを守ったばかりではなく、ミサを執り行う司祭職を守ってくださったルフェーブル大司教様のおかげです。

 ルフェーブル大司教様は、おっしゃいました。「彼らは私個人を攻撃しているのではありません。彼らは、聖伝を攻撃しているのです。」これになぞらえてみましょう、(もしこれと同様に比喩したらですけれど)いうなれば、私たちの伝道において、玉座に座るのは私たちではありません。私たちが代理を務めさせていただいている方が伝道において玉座に座るのです。実際、このようなことを理解している司祭は、ほとんど残っていません。私は、このことを彼に伝えるつもりです。

 司祭は、真のカトリック司祭職が、次に挙げる宝に密接につながっていることを名言しなければなりません。それはミサ、秘跡、カトリックの説教です。フランスで数年前に出版された本には、パリの私たちの教会である、シャルドネの聖ニコラス教会で改宗した人たちのことが書いてあります。著者は、ある女性大学教授が、司祭が説教の前後に十字のしるしをするのに心を打たれ、改宗という聖寵のお恵みを受けたことを書いています。私たちはいつでも十字の印をするので、それを大したことではない、些細なことととらえる考え方があります。でも、考えてください、大学教授が単純な十字の印で聖寵を受けたのです。私は、アジア管区でも、医者で元プロテスタントの方で、彼女が25才か26才のときに彼女の友人が彼女に、司祭が祝別した十字架をプレゼントしたときに改宗した信者がいます。

 新しく叙階された司祭に明日、次のように言うつもりです。「いつもあなたがどなたの代理をしているか思い出してください、そして、人々は私たちが聖寵という宝を持っているので私たちのところにやってくるでしょう。その宝とは、秘跡、カトリックの教義などでしょう」またその一方で、これらだけでは十分ではありません。私たちにとって、そして若い司祭にとっても、理想に生きることが必要です。

 司祭は、ミサを立てる、ということでは列聖されません。それでもなお、すべての司祭は列聖されるかもしれません。司祭がいつも行なっている善徳によって、そして聖なるミサに生きることによって司祭は列聖されます。これは他の人にもあてはまります。私たち聖ピオ十世会の若い司祭は、この事実を絶え間なく心に留めなければなりません。聖ピオ十世が「Haerent Animo」の中で司祭の理想の善徳の奨励をお書きになったとき、聖ピオ十世は部下の司祭たちが聖なるものであるように、望んでいらっしゃいました。そして私が思うにこれは私がお捧げする最も美しい模範です。そして、私たちが司祭を送ることになる地の人々に私たちがお捧げする最も美しい贈り物です。教会という宝を携えた司祭、そしてその宝にふさわしい生活に彼らを導くことを義務だと確信する司祭。こういった司祭を彼らに贈ります。


 神父様、信者に少しでもお言葉をいただけますか?特に信者におっしゃりたいことはございませんか?そして若い人に特別にお言葉をいただけますか?

 まず第一に、宣教のためにお祈りいただいているみなさまに感謝いたします。私は、あらゆるところで宣教のためにお祈りが捧げられていることを知っています。家庭で、学校で、大人から子供まで。なんども私はそのことを確信しています。毎年、私はお手紙やハガキを聖ピオ十世会の学校からいただいています。小学生からも「神父様、こんにちは、私たちは、宣教のために四旬節の犠牲をお捧げしています」というお手紙をいただいているほどです。これらは私たちの原動力になります。大司教様はしばしば、庭のホースのたとえ話をなさいました。私たち司祭、つまり宣教師は、ホースの先端部分です。そして、水が溢れているのを見つけます。信者が宣教のために世界中あらゆるところで祈っているのを知っています。これは、水道の蛇口です。ですから、私は、皆さんが祈ってくださっている聖寵をホースの先につなげるでしょう。信者の皆さんが祈ってくださっている恩寵は、ホースの先まで来ていることを断言できます。恩寵は行き交うのです。先週の土曜日、つまり一週間前、私はシンガポールでイスラム教だった女性に洗礼をさずけました。その一週間前は、仏教徒に洗礼をさずけました。そこでは成人の改宗があります。私はそれを見ています。これは神秘的です。本当に恩寵は行き交うのです。時々、神秘的なことは同時に起こるのです。私はなんどもこれを証明する事実に出会いました。私は自分の目で諸聖人の通功である祈りの力を見てきました。だから、皆様のお祈り、皆様の犠牲、皆様が捧げて下さる聖体拝領、皆様のロザリオ、皆様が宣教を心に留めて下さることに、心から感謝を申し上げます。

 一方で、収穫はあふれるほどです。人生を豊かにするかもしれない冒険を求める若い人よ、宣教生活は今も存続しています。召命のために祈ってください。たぶん、自分自身の召命のために祈ってください。若い人よ、自分自身に問いてください。豊かな実りを見てください。「天主様は私も必要とされているのではないだろうか?」あるいは預言者が言ったように「私を送ってください、主よ!もし、わたしが主をお助けすることができるなら、私はここにおります!天主様はわたしに何をお望みになりますか?」これは、ソルボンヌ大学の卒業生である聖フランシスコ・ザビエルが1544年にお書きになった言葉で、ローマのイエズス会に送った最も有名な言葉のひとつです。「私はできるなら、ソルボンヌ大学の廊下を走りぬけながら、学生に向かって叫びたいです「君たち何をやっているのだ?永遠について考えろ」」

 「あなたが死ぬ日、善良な天主様の御前で、何を申し開きしますか?もし、あなたに時間と才能があれば、時を浪費してはいけません。あなたの才能、あなたの全人生を無駄で役に立たないことに使ってはいけません。行って、収穫の仕事をしなさい、いつの日か、永遠の実りをもたらすために」聖フランシスコ・ザビエルは当時インドにいらっしゃり、そのようになさりました。彼は今日も同じことをおっしゃるでしょう。

 では、ありがとうございます。勇気を持ち続けなさい。そして、この世の人生と永遠にいついて考えてください。もし迷いがあるなら、または、もし、自分の生き方を探しているなら、黙想会に参加してください。多分、ある生き方ともう一つの生き方を始める前に、物事をはっきりさせておくのは良いことでしょう。「私が自分の人生を設計するにあたって何が一番よいことか、天の栄光と永遠のことを考慮すべきか?」同時に、お祈りをお願い致します。祈りのうちに、自分の中で確信が生まれ、特に善良な天主様が若い人の中に数多くの宣教の召命の種を蒔かれることでしょう。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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