goo blog サービス終了のお知らせ 

Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

鋭い知性とは

2009年05月17日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 よく「一を聞いて十を知る」と言いますが、知性の優れた方はそうですね。

 私たちは普通、甲は乙、乙は丙、従って、甲は丙、と理解します。しかし、知性の鋭い方は、すぐに甲は丙!と結論まで見通すことができるのです。

 ものごとの原理・基礎・始めは大切で、ここでほんの少しでも狂うと、重大な結果の誤りに辿り着いてしまいます。ミサイルも、最初に少しでも角度が狂うと、到着地点が狂うようなものです。

 ダムを崩壊させるのには、小さな穴を開けるだけで十分ですし、タンカーのような巨大な舟も、小さな穴一つが開けば沈没してしまいます。

 ものすごいエンジンを持ったポルシェも、ハンドルの切り方が少し狂えば、スピードが出ていればいるほど、大事故につながります。電車であれば、少しの狂いで始まった事故も、乗客が多く乗っていればいるほど大惨事になります。

 鋭い知性の持ち主は、そのたったほんの少しの狂いでも理解して、その狂いの結果どれほどの大きい狂いが生じてしまうかがわかってしまうのです。天才なのです。

 あまりに天才的理解なので、私たち凡人には、そのような天才的理解を、天才が生きている間には理解することができないこともあるでしょう。

 ベネディクト十六世は、2005年の聖金曜日に、教皇に登位する前に、カトリック教会を沈没しかかっている舟に例えました。何故でしょうか?何故、不沈のカトリック教会が今、沈没しかかっているのでしょうか?カトリック教会の大部分のメンバーが「沈黙の背教」(ヨハネ・パウロ二世)を行っており、カトリック信仰を失っているからです。カトリック教会の司教でさえも、キリストと七福神とを同じレベルで考えているからです。ベネディクト十六世は、カトリック教会の現実を知り尽くしてこう言ったのです。司祭も信徒も虚ろな心でミサをしている、と警告したのです。カトリック教会における表面化された現象を見て、内部の危機つまり信仰の危機を見抜いたのです。

 世間一般の方々の中には、このカトリック教会の全世界的な信仰の喪失という事実にまだ気がついていない鈍い方もあります。それを認めたくない方もいます。信仰のことはどうでもよく政治のことと勘違いしている方もいます。この世で権力にありつければ後は何でも良い式に考えている方もいます。だから多数派でいるために教会の危機について認識することは都合が悪いのでしょう。

 しかし、ベネディクト十六世はその優秀な知性でこの信仰の危機の現実を見抜いています。そのことをはっきりと発言しています。

 今から45年前、第二バチカン公会議の内容を理解して、その結果を見通して惨憺たる結果になることを見抜いた司教がいます。聖霊に照らされ、この司教は結果まで見通すことができました。ほんの少しだけど、第二バチカン公会議の一部の原理が狂っているために、時間とともに、その原理が徐々に適用されて、ますます正しい道から外れてしまうだろうことを見抜いたのです。この司教は、当時、聖霊修道会の総長、元ピオ十二世の教皇使節、ルフェーブル大司教です。

 ルフェーブル大司教は、第二バチカン公会議の適用として、新しいミサができた時、ラテン語でできたその新しいミサを見て、この新しいミサが持つ狂いのために、時間が経つにつれてこのミサがどっちの方に飛んでいってしまうのかを見抜きました。このミサによって、人々が信仰を失ってしまうだろうことを見抜いたのです。たとえラテン語のミサであっても新しいミサが本質的に持つ性格によって、カトリック信徒は信仰を失うだろうことを理解しました。

 ただし、この聖なる司教の鋭い信仰が理解したことを、必ずしも人々が理解できたとは限りません。かえって、ルフェーブル大司教様の天才的理解は、誤解され、罵りの対象となりました。しかし、ルフェーブル大司教様は、カトリック教会のために自らを犠牲としても、カトリック教会に備え付けられた「時限爆弾」が爆発しないように、それを取り除くために身を投げ出したのです。ルフェーブル大司教様は、考えられる全てをしました。バチカンに足を運び、枢機郷たちに会い、教皇様に会い、発言し、全てをしました。

 私たちは、このような聖なる鋭い知性の持ち主なる司教であるルフェーブル大司教を受けるにふさわしくないものでしたが、私たちにこのような偉大な信仰の男を与えてくださった天主様に感謝します。

 今からちょうど100年前の1909年2月28日、北海道旭川の塩狩峠で、いきなり乗客を乗せたまま、少しの狂いで連結器がはずれ、滑り落ちだした列車。それを止めて多くの乗客の命を救うために自分の命さえ投げ出した方がいます。長野政雄さんです。乗客とその家族は、どれほど長野政雄さんに感謝したことでしょうか!!日本全国がその勇気ある心にどれほど感動したことでしょうか!!簡単に真似できることではありません。

 今からおよそ45年前、第二バチカン公会議による「悪魔的な方針の誤り」(シスター・ルチア)のために、それによって、カトリック教会は聖伝との連結器を外して、現代化をはかろうとしました。そのために、多くの信徒たちをつれて「沈黙の背教」(ヨハネ・パウロ二世)の坂を下り落ちだし、「沈没しかかっている舟のよう」(ベネディクト十六世)なカトリック教会。それを止めるために、自らの名誉と命さえも投げ出して、聖伝と連結さえようとし続けたルフェーブル大司教。多くの人は、何のことか理解できず、非難を浴びせました。

 ルフェーブル大司教の後継者として、フェレー司教は、カトリック教会の全体的善のために、この暴走を止めるために、身を投げ出し続けています。無理解な方々からは「聖ピオ十世会は第二バチカン公会議を受けないからダメだ」と、その何故かを理解したくない方々から非難を受けつつ、そうすることによって信仰の問題に目を向けさせようとしているのです。

 聖ピオ十世会が、司教に「従順」し、「合法化」するには、カトリック教会の過去の教えに矛盾しなければなりません。過去に排斥され禁止されていたことを、実践しなければなりません。そして、カトリック教会の全ての信徒の方々に、過去との断絶を押し付け、カトリック教会の崩壊とカトリック信仰の喪失に協力しなければなりません。

 たとえ非難と無理解に押しつぶされ、踏みつけにされ、名誉を傷つけられたとしても、聖ピオ十世会は身を挺して、教会の危機を止めることを望んでいるのです。ルフェーブル大司教様の尊い遺志を継いで。カトリック教会の危機を止めるために。

 受けるにふさわしくない私たちに、ルフェーブル大司教というこのような偉大なカトリック司教を与えてくださった天主様に感謝します。願わくは、弱き愚鈍な私たちをして、教会の危機の暴走を止めるために少しでも、何かすることができますように!

ファチマの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!
聖母マリアの汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

追伸:今日のミサ聖祭では、初めて聖伝のミサ聖祭に与った方が6名いました。天主様に感謝!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】