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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

マルコによる聖福音の日本語の朗読録音ファイルのご紹介

2017年05月04日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんにちは! 聖マテオによる福音の朗読、数名の方々が感謝して下さり、より多くのファイルをご紹介することを励まして下さった方々がいました。大変うれしく思います。調子に乗って、マルコによる聖福音の朗読もご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


マルコによる聖福音の朗読

マルコによる聖福音の朗読 第一章
マルコによる聖福音の朗読 第二章
マルコによる聖福音の朗読 第三章
マルコによる聖福音の朗読 第四章
マルコによる聖福音の朗読 第五章
マルコによる聖福音の朗読 第六章
マルコによる聖福音の朗読 第七章
マルコによる聖福音の朗読 第八章
マルコによる聖福音の朗読 第九章
マルコによる聖福音の朗読 第一〇章
マルコによる聖福音の朗読 第一一章
マルコによる聖福音の朗読 第一二章
マルコによる聖福音の朗読 第一三章
マルコによる聖福音の朗読 第一四章
マルコによる聖福音の朗読 第一五章
マルコによる聖福音の朗読 第一六章



御復活祭からカトリック教会は特別な季節になりました。復活節です。Tempus Paschale.

2017年05月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!


愛する兄弟姉妹の皆様、

 5月1日、勤労者聖ヨゼフの祝日です。聖母の月が始まりました。5月は、シュテーリン神父様が日本に来られます。5月3日から5日までは秋田巡礼です。

 5月の初金と初土に大阪で、5月7日(主日)は東京です。
今回は、ドイツで最初に聖ピオ十世会の修道士となったクラウス修士(Br. Klaus)も来日される予定です。

 5月は、都合により、聖伝のミサはこの一回だけになってしまいました。(予定されていた5月21日は、フェレー司教様のマニラ訪問のためにフィリピンにいなければならなくなりました。)愛する兄弟姉妹の皆様の多くが聖伝のミサにお越しになることをお待ちしております。

 ところで、御復活祭からカトリック教会は特別な季節になりました。復活節です。Tempus Paschale. 復活祭から聖霊降臨後の土曜日(三位一体の主日の直前の土曜日)までの特別の期間を「復活節」と呼びます。

 カトリック教会は、大祝日には、七日プラス一日の、八日間(オクターヴ)付きで祝います。例えば、聖霊降臨や御降誕祭がそうです。復活祭もそうです。しかし復活祭の場合、大祝日中の大祝日なので七日プラス一日、復活祭のオクターヴ(第八日目)が終わるその日から数えて、さらに、七日掛ける七プラス一日(7x7+1)の五〇日の間、更に祝います。五〇は旧約聖書によると大きな喜びを象徴する数です。

 御復活祭が始まる前の季節はバビロン捕囚の七十年に例えられ、七旬節があります。七旬節の間、私たちはアレルヤを歌うことが出来ません。逐謫・流刑にあったようです。

 復活節にはアレルヤが追加されます。絶え間ないアレルヤの歌は、天国にいるかのようです。あたかもユダヤの民がバビロンから、乳と蜜の流れる約束の地に戻ってきたかのようです。御復活直後のイエズスも、弟子達の前で蜜を食べます。復活の主日の直後の主日には聖ペトロの書簡の言葉が響きます。「新たに生まれたみどりごのように、それによって救いに成長するために、まじりのない霊的な乳をのぞめ。」

 復活節の間(聖霊降臨の主日とその八日間を除いて)ミサ聖祭では司祭は喜びの白の祭服を着ます。復活の栄光の白、幼子のような汚れのない白、乳よりも白い輝きです。

 イエズス・キリストは、ご自分の血によってみどりごである私たちを養って下さいます。十字架の上での死によって、ご自分の羊の群れに命をお与えになります。御復活によって、道を迷って失われた羊である私たちに赦しと慰めと導きを与えます。聖ペトロはその書簡で言います。「あなたたちは、羊のように迷っていたが、今はあなたたちの霊魂の牧者と番人とのもとに帰ったのである。」私たちは全て、イエズス・キリストの元に群れをなさねばなりません。

 イエズス・キリストの生まれる二〇〇〇年前、異教の中から天主はアブラハムを選び、アブラハムから偉大な民を作り上げました。この民は、天主によって聖化され、天主のために聖別されました。

 ユダヤ民族が偉大なのは、アブラハムに由来するからではなく、この民からイエズス・キリストが生まれるべきであったからです。ユダヤの民は、祝された天主の御一人子なるイエズス・キリスト、約束された贖い主の故に特別なのです。

 天主はこの民を特別に愛し、保護し、この民から人類の贖い主と、贖い主の御母、使徒たちが生み出されました。ユダヤの民は、キリストにおいて、人類のために偉大な善を運びもたらしたのです。なんと祝された民でしょうか!

 しかし、残念なことに、ユダヤの民は書かれた律法と預言に不忠実でした。残念なことに、ユダヤの民は、救いの実体であるキリストよりは、印と陰にこだわっていました。イエズス・キリストを信じず、イエズス・キリストを拒否してしまいました。

 キリストは霊的に全世界を自分の元に集めようとしました。しかし、残念なことに、ユダヤ教は全世界の政治的な支配を求めていました。ユダヤ教は、霊的な救い主の代わりに、政治的なこの世的な救い主を求めます。

 イエズス・キリストは、全世界の民族を霊的に統治することを臨んでいます。イエズス・キリストは、霊的な救い主です。そこで、この復活節 Tempus Paschale の間、イエズス・キリストの昇天があります。私たちの祖国は天国にあることを教えるために。イエズス・キリストの統治が霊的であると教えるために。イエズス・キリストは、ご自分の霊、聖霊を私たちに送ります。聖霊によって教会を統治するように。新しい霊的なイスラエルであるカトリック教会の霊的な指導の下に、諸国が合い互いに助け合うように、望まれます。

さて、お便りを頂きましたので、ご紹介させて下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【お便り】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんにちは! お久しぶりです🙂 もう少しで 秋田巡礼ですね!

 昨夜 マテオによる聖福音の日本語の朗読を拝聴いたしてました、ありがとうございます。この朗読ファイルは、「天主様」で統一されていて、バルバロ訳の聖書も開いて時々聖書にも目を通しながら聴きました。貴重です。神父様のお声 若いです。時折ワンちゃん🐕の鳴き声が聞こえました、最後の28章になりましたら 「待て!おあずけ!」となりましたゆえ、神父様に御礼とお願いのメールを差し上げております。28章の件 どうぞよろしくお願い致します。また 神父様の聖書の朗読を 他のもお願い申し上げます。

 少し前のことですが、「イエズス・キリストが死なれた日は」(4月13日)にては、その説明を読みすぐに、神父様の説明と照らし合わせて 聖書の四つの福音書を開いてじっくりと読んでみました。過ぎ越しの食事をとる日が 共観福音書とヨハネ福音書において、ずれがあるというところです。そう言われてみると本当にそうです、自分が何も考えずに聖書を読んでいることをあらためて知らされています。これまで自分はそのような違いにも気づかないで聖週間を過ごしてきたのだなとわかりました。十二人の弟子たちや一般民衆と、上流階級・司祭階級・衆議所などというような人たちでは、過ぎ越しを異なる日に行っていたということを とてもくわしくご説明いただいて、・・まだ私は十分には理解できていないように思いますが・・感謝申し上げます。聖ヨハネは神殿に魚を卸していて、司祭職の人達の習慣にもよく精通していたのだという説明が思い出されました。また、用意日という言葉が福音書の中にあることも、すっかり見逃して読み過ごしていることにも気づきました。(用意日のことを バルバロ訳以外の聖書では、準備の日と訳していました。)イエズス・キリストが死なれた日は、ユダヤ人にとって 天主の子羊を裂く時、過ぎ越しの食事の時であった。そして イエズス様におかれましては 同時にその日 すべてを成し遂げられ、御父からのみ旨をすべて終えられた(安息日)だったのかなと 想像しました。聖書を読むということは、とても奥深いことであると感じさせられました。いつもご指導ありがとうございます。今年の四旬節は おかげさまで 聖書に親しむようになれたことも、とても嬉しく思っております。(ヨハネ福音書の公教要理の宿題もご報告したいともっていましたが・・・後ほどに。)

神父様の4月8日のお説教を読ませていただいて、悲しみ苦しみと喜びのコントラストをずっと思っていました。民衆からの栄光と司祭長からの冒涜というコントラスト、聖金曜日と復活の主日のコントラスト、十字架と復活というコントラスト、というお話がレフレインのように響いてきていました。

 枝の主日でも、その民衆がホザンナと歌って喜び歓迎したこととイエズス様の悲しみの両方が歌われましたが、その意味はこのお説教の中で話されていることと同じかもしれないと思いました。地上的な物事しか見えない時は、悲しみ苦しみ辱めの面だけ浮かび上がりますが、聖寵をいただいて天上のことまで見やる視野をいただけるなら、そこ(悲しみや苦しみ)に喜びや永遠の幸福が透けて見えるようになるということかなと 感じました。

ファチマで 三人の子供たちは天国からいらした光り輝く聖母マリア様を見たと同時に地獄の光景も見させられた、とあります。光と影、そして永遠とこの世。美しい典礼、グレゴリア聖歌や素晴らしい彫刻や絵画、それらは、天主様の栄光を讃えるために作られたと感じることがあります。(先日 美容院で渡された雑誌の中にミケランジェロのピエタの写真があり、ミケランジェロのマリア様の理解の仕方がなんて素晴らしいんだろう感動してしまいました)。わたしがカトリック教会の扉を叩いたのも、永遠という言葉がきっかけになっていたことを思い出します。人間の心の奥底には、永遠への憧れが息づいているのでしょう。天国からいらっしゃったマリア様の美しさと地獄の恐ろしさの対比の中で、ファチマの子供たちは永遠を思い信仰を生きたのですね。

そして4月16日のお説教では、力強い励ましをいただきました。イエズス様が復活されたことを受け入れることを選ぶ人は少ないかもしれません。特にこの日本では! イエズス様が復活されてマリア様が天の元后であることを信じる人・知る人はほんのわずかで、家族がカトリック信者でない人は孤独に信仰生活を送ってます。復活祭の主日のお説教をUPしていただいて、お説教を読んで 復活の喜びをようやく味わいました。ありがとうございます。一人でも多くの人に その喜びが伝えられますように 祈ります。

四旬節の前の準備の期間から、四旬節を良く過ごせるようにと大小斎や犠牲と祈りをよくできるようにと、そして 受難節のなかでの喜びと苦しみ悲しみのコントラストを強く意識させていただきました。大小斎も 四季の斎日や決められている日以外にも家族の協力もあり、たくさんお捧げできましたことを感謝しています。おかげさまで わたしは今年 復活の喜びの意味をよりよく黙想できたように思います。神父様ご指導ありがとうございます。

 今朝 復活節の主日の朝に わたしは マリア様の“イエズス様の復活”を待つ愛のことを黙想していました。イエズス様が最初に復活のお姿で現れてくださったのは 御母マリア様であったとのことを お説教でも触れてくださいました。受胎告知によって喜びだけでなく天主様への愛と人々の救いのために苦しむことを受け入れた聖マリア様の汚れなき御心は、聖土曜日に十字架上で苦しみと悲しみの中で罪に打ち勝ち死と地獄に勝って復活されたイエズス・キリストを待ち望む喜びに満たされていたことを 思いめぐらしました。マリア様は、喜びの中で実は苦しみをも受け入れられたということとコントラストするかように、深い悲しみ苦しみの中でも希望を失うことなく喜びを待ち望まれていたということを、今年ははっきりと理解できたように思います。(ロザリオでもこうしたことを思いめぐらしながら祈れて感謝です。2015年6月28日のブログ Ecce ancilla Domini Fiat! 大好きです。)勝利された主イエズス・キリストと いつもともに歩めますように。汚れなき御心のマリアに助けられ、いつも喜びに満たされていますように。

長々と乱文を書き連ねてしまいまして 失礼をお許しください。
秋田巡礼に一人でも多くの方が参加されますよう 私も微力ながらお祈りします。秋田のマリア様の警告は とても現実的です。胸が痛みます。
秋田の聖母 我らを憐れみ給まえ!

聖マリアの汚れなき御心のうちに!アレルヤ!

【お便り】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ブログにマテオ様による聖福音の日本語の朗読録音ファイルをご紹介して下さってありがとうございます!

既にCDにして食事の時や、車の運転時などにずっと聞かせて頂いているのですが、この音源のおかげで福音書に接する機会がとても増えて、内容もよく知ることが出来て、とても嬉しく思っております!是非、さらにご紹介して頂けると、新約聖書に接する機会が皆さん増えられてとても良いのではないかなぁと思います!小野田神父様の朗読もとても聞きやすいです(o^^o)♪

デオ・グラチアス!アレルヤ!



マテオによる聖福音の日本語の朗読録音ファイルのご紹介

2017年04月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

改めて私たちの主イエズス・キリストの御復活のお喜びを申し上げます。

今回は、マテオによる聖福音の日本語の朗読録音ファイルをご紹介いたします。これは愛する兄弟姉妹の皆様のしもべが約十年ほど前に新約聖書を全て朗読して録音した時のものです。

もしも好評であれば、準備ができ次第、愛する兄弟姉妹の皆様に新約聖書の録音ファイルを、さらにご紹介していきたいと思っています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


マテオによる聖福音の朗読


マテオによる聖福音 第一章
マテオによる聖福音 第二章
マテオによる聖福音 第三章
マテオによる聖福音 第四章
マテオによる聖福音 第五章
マテオによる聖福音 第六章
マテオによる聖福音 第七章
マテオによる聖福音 第八章
マテオによる聖福音 第九章
マテオによる聖福音 第一〇章
マテオによる聖福音 第一一章
マテオによる聖福音 第一二章
マテオによる聖福音 第一三章
マテオによる聖福音 第一四章
マテオによる聖福音 第一五章
マテオによる聖福音 第一六章
マテオによる聖福音 第一七章
マテオによる聖福音 第一八章
マテオによる聖福音 第一九章
マテオによる聖福音 第二〇章
マテオによる聖福音 第二一章
マテオによる聖福音 第二二章
マテオによる聖福音 第二三章
マテオによる聖福音 第二四章
マテオによる聖福音 第二五章
マテオによる聖福音 第二六章
マテオによる聖福音 第二七章
マテオによる聖福音 第二八章


モーゼとキリスト

2017年03月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

旧約のモーゼはキリストの前表でした。モーゼは選ばれた民イスラエルの救い主、指導者、養育者、教師となることを天主に選ばれました。
ファラオとの対決の後、過ぎ越しの夜、過ぎ越しの子羊を屠って食した後、モーゼはエジプトの奴隷状態から選民を解放します。
モーゼは、天主に命じられた通り、杖を持った手を挙げて、紅海を二つに割り、その中を、天主の民を、足を濡らせずに歩いて渡らせます。
彼は、民を砂漠の中で導き、マンナという天からのパンで養い、岩から水を湧き出させて乾きを癒やさせます。
モーゼは、過ぎ越しの50日後(過ぎ越しの後に命じられたとおりした40日間の断食の後)、シナイ山の上で、石に刻まれた天主の十戒を受け、これを民に与えます。天主と親しく語らい、イスラエルの仲介者であり、取り次ぎ者でした。民の弱さとかたくなさを堪え忍ぶ特別の忍耐が必要でした。

天主御父によってこの世に送られたキリストは、新しいイスラエルである贖われた人類の救い主、指導者、養育者、教師として、地獄の勢力(ファラオ)と戦います。
過ぎ越しの夜、キリストは、新しいイスラエルを罪の奴隷状態(エジプト)から解放します。イエズス・キリスト御自身が、屠られ、食される天主の子羊でした。
キリストは、天主の民を、洗礼という紅海を通して渡らせ、ご自分もその先頭に御受難という紅い海を通り抜けました。
キリストは、私たちをこの世の砂漠の中で導き、私たちを天からのパンであるご自分の御聖体で養い乾きを癒やして下さいます。
シカルというサマリアの町にあったヤコブの泉のかたわらで、サマリアの女にイエズスはこう言います。「この水をのんでもまたかわきをおぼえるが、私の与える水をのむ者はいつまでもかわきを知らないだろう。私が与える水は、その人の中で、永遠の命にわき出る水の泉となる」と(ヨハネ4章)。

またイエズスは、カファルナウムの会堂で、こうもおおせられました。「まことにまことに私はいう。天からのパンをあなたたちに与えたのはモイゼではない。私の父が、天からのまことのパンをあなたたちにくださるのだ。天主のパンは、天からくだって、世に命を与えるものである。(…)命のパンとは私のことだ。私に来るものはもう飢えることがなく、私を信じるものは、いつまでも渇きを知らないだろう。(…)まことにまことに、私はいう。信じる人は永遠の命をもつ。命のパンは私である。あなたたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べたが、死んだ。しかし、天からくだるパン、それを食べる人は死なない。天からくだった生きるパンは私であって、このパンを食べる人は永遠に生きる。そして私の与えるパンは、世の命のためにわたされる私の肉である。(…)まことにまことに、私はいう。人の子の肉を食べず、その血をのまなければ、あなたたちの中には命がない。私の肉を食べ、私の血をのむ人は永遠の命を有し、終りの日にはその人々を私は復活させる。私の肉はまことの食物であり、私の血はまことの飲み物であるから、私の肉を食べ、私の血をのむ人は、私におり、私もまたその人のうちにいる。生きておられるおん父が私をつかわし、そのおん父によって私が生きているように、私を食べる人も、私によって生きる。天からくだったパン、これは、先祖が食べてもなお死んだそのようなものではない。このパンを食べる人は永遠に生きる」と。(ヨハネ6章)

キリストは、復活の後50日目に、私たちに聖霊を送り、愛の掟を肉の心に刻んで下さいました。
イエズス・キリストは、大司祭として、天主御父と親しく語らい、しかも、私たちの弱さとかたくなさを堪え忍ぶ特別の憐れみと忍耐とで、私たちのための仲介者として、天で御父に取り次いでくださっています。
復活祭は近づいています。天主なる「モーゼ」イエズス・キリストは、私たちをして「エジプト」から解放してくれます。
復活祭に私たちに与えられる、天から下る生けるパンイエズス・キリスト!それが私たちに与えられるために、私たちの主はどれほどの苦しみと悲しみと辱めを甘受しなければならなかったことでしょうか!

復活祭には、新たな心で主の御聖体を受けることが出来るように良く準備しましょう!ファチマの天使が教えてくれたとおり、次の意向で御聖体拝領を御捧げいたしましょう。
「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」

シスタールチアは、1931年8月29日にこう言っています。彼女はその当時24歳でしたが、私たちの主イエズス・キリストが来られて彼女に話しかけられたとき、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパ、ロシアそして世界の回心のために祈っていました。主はこう言われました。

「あなたはそれらの国々の回心のために祈ることによって私を非常に喜ばせる。そしてあなたはそれらの哀れな国々の回心を求めることによって大いに私を慰めている。『マリアの甘美なる御心がロシア、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパそして全世界の救いでありますように』と言うことによって私の御母にしばしば願いなさい。」

では、私たちも御聖体拝領の時にこう祈りましょう。
「聖マリアの甘美なる御心よ、ロシア、ヨーロッパ、アジア、特に中国、韓国、日本、そして全世界の救いとなり給え!」

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【参考資料】
Jacinta’s own preferred ejaculatory prayer was: “Sweet Heart of Mary, be my salvation!”

On August 29, 1931, Sr. Lucy said: “As I was asking God for the conversion of Russia, Spain and Portugal, it seemed to me that His Divine Majesty said to me: ‘You console Me very much by asking me for the conversion of those poor nations. Ask it also of my Mother frequently, saying: Sweet Heart of Mary, be the salvation of Russia, Spain, Portugal, Europe and the whole world. At other times say: By your pure and Immaculate Conception, O Mary, obtain for me the conversion of Russia, Spain, Portugal, Europe and the entire world. Make it known to my ministers that if they follow the example of the King of France in delaying the execution of my request, they will follow him into misfortune. It will never be too late to have recourse to Jesus and Mary.’”

ルフェーブル大司教様の伝記の出版準備中

2016年07月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!


愛する兄弟姉妹の皆様

ルフェーブル大司教様の伝記を出版する準備を進めています。

出版のために、祈り、クチコミ、宣伝などしてくださることができましたら、大変幸いに存じます。

愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご援助を、感謝いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

ルフェーブル大司教様の伝記の出版

2016年07月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!


愛する兄弟姉妹の皆様

ティシエ司教様の来日に合わせて、ルフェーブル大司教様の伝記を出版する計画があります。

印刷のためにあらかじめ予算が必要となります。もしも、印刷のために献金してくださることができる方がいらっしゃいましたら、大変幸いに存じます。

今、2枚しか在庫がありませんが、ルフェーブル大司教様の記念メダルを、最も多く援助くださった2名の方々に、その外の方々にはその他の記念品をお譲りしたいと思います。

愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご援助を、感謝いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

聖グリニョン・ド・モンフォールによる聖母の黙想会へのお誘い

2016年07月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

8月のご予定は、如何でしょうか?
今回、黙想会のお招きを申し上げます。

今年の8月には、聖ピオ十世会日本として初めて、シュテーリン神父様のご指導の下に「聖グリニョン・ド・モンフォールによる聖母黙想会」を行う予定です。

来年2017年のファチマ100周年準備のために、この黙想会はとても大切です。ファチマの聖母の100周年をふさわしく迎えるためにも、黙想会に参加されることを強く推薦します。

特に、世界中から要望を受けているシュテーリン神父様が黙想会を指導して下さるのは特別の機会です。最初で最後の機会かもしれません。何故なら、シュテーリン神父様は世界中から黙想会の指導を頼まれているからです。

来年(2017年)の8月は私たちはファチマとローマに巡礼をする予定ですし、再来年(2018年)は、聖ピオ十世会の総会が開かれる予定で、アジア管区長もそれに参加されるからです。総会でシュテーリン神父様が高い地位に選ばれてると、アジア管区に戻られないこともあり得るからです。

ですから、今年の聖母黙想会に参加されることを、改めて強くお願いいたします。

◆黙想会形式: 聖グリニョン・ド・モンフォールによる聖母の黙想会
◆指導司祭: アジア管区長シュテーリン神父様(日本語通訳 小野田神父)

◆日時: 8月10日夕方現地集合、15日 お昼頃まで。全日程の参加をお願いします。

8月11日(木)【山の日】朝7:00AMのミサから黙想会が始まります。
8月15日(月)午前9時30分から始まる歌ミサと聖体降福式をもって、黙想会が終了します。

◆黙想の場所: ホテルコスモスクエア国際交流センター 大阪市住之江区南港北1-7-50 http://www.kensyu-center.jp/

◆交通:
10日、15日は新大阪駅←→ホテルをバスが送迎してくれます(無料サービス)。
詳しくはアクセスのサイトをご覧下さい。
http://www.kensyu-center.jp/access/

◆宿泊費: シングル ひとり 61,000円
◇ツインをご希望の方々は、55,500円です。もしツインご希望の方がおられる場合はなるべく早く連絡すれば変更できます。ツインをご希望の方々は、その旨ご連絡ください。

◇部屋の数の都合により、必ずしもご希望に添えない場合もあるかもしれません。どうぞご容赦くださいますようお願いします。

◆御ミサは、会議室を仮の聖堂として使います。また、同じ場所で講話を行います。

◆持ち物: 祈祷書、ミサ典書、キリストに倣いて、新約聖書、筆記用具やノート類。個人で使用する衣服など。

◆参加ご希望の方は、メールでご連絡下さい。

◆申し込み締め切り:2016年7月24日までによろしくお願いします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年7月10日 東京で午前10時半から聖伝のミサが、午後4時からマーチ・フォー・ライフがあります。

2016年07月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 今日は、有名なスンモールム・ポンティフィクムが発表されて9年目ですね。

このあがむべき古くからの典礼の使用に対してふさわしい敬意が払われなければならない。
「福者ヨハネ二十三世によって発布され、決して廃止されたことのないローマ・ミサ典礼書規範版に従って、・・・ミサのいけにえを行うことは許される。」

 明日7月8日(金)と9日(土)は、大阪で、この聖伝のミサがあります。

 7月10日の主日は、東京で聖伝のミサがあります。

 7月10日の午後の公教要理の時間は、例外的に、いつもより早めに午後1時45分には開始して2時45分には終わらせる予定です。
 何故なら、この日は選挙の日ですが(私はすでに事前投票を済ませて参りました)、この日の午後4時から「マーチ・フォー・ライフ」に参加する意向だからです。

 「マーチフォーライフ」は、1973年1月22日にワシントンで、ひとつの最高裁判決が下ったことにより、アメリカは全州にわたってABORTION=人工妊娠中絶が「合法」になりました。その日から今日までに五千万件以上の中絶がおこなわれ、中絶問題はアメリカ社会に大きな影を落としています。

 一方、この判決に疑問を抱いた市民が立ち上がり、翌1974年から「March for Life=マーチフォーライフ」が始まりました。判決のあった日にワシントンDCに集まる参加者の数が年々増えつづけるとともに、すべてのいのちを守る「Pro-Life=プロライフ」の価値観が草の根でアメリカ全土に浸透していきました。





 アメリカ合衆国では、1973年以来2007年までのの中絶数は、49,551,703名でした。

 いのちのための大行進の参加者の大半は、10代、20代の若者たちです。彼らはPro-Life Generation=プロライフ世代であると言われ、世論調査でも今の若者は上の世代よりもプロライフの傾向が強いことが明らかになっています。

 今年の1月22日(金)のワシントンでは、吹雪のなかでも、マーチが行われたそうです。今年は、聖ピオ十世会の総長のフェレー司教様も参加されました


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 日本では、残念なことに、1948年7月13日に、現在の母体保護法の前身である優生保護法が成立しました。

 今から2年前の2014年7月13日、日曜日の午後、国会をめざして日本で初めてのマーチがスタートしました。産まれる前の赤ちゃんが、声をあげられないように、マーチ参加者も静かに、でも、満面の笑顔で歩きます。お腹の赤ちゃんが、声はあげられなくても生きていることそれ自体を喜んでいるように。

 こうして、声なき行進、祈りの行進がはじまり、毎年、7月の第二日曜日は、日本のマーチフォーライフの日となりました。

 先日、私たちは深い悲しみと憤りを持って、バングラデシュのダッカでのテロの事件を知らされました。日本人7人とイタリア人9人とを含む罪のない犠牲者20人が、平和にレストランで食事をしている間に殺害されたのです。週末で喜びと会話に満ちたレストランが、突然として恐怖に包まれ、血の海となりました。大使館のそばの高級レストランです。もっとも安全なはずの場所においてなされた卑劣な蛮行でした。過激で、憐れみもない悲劇でした。犠牲者たちは、バングラデシュにどんな悪事を行ったというのでしょうか?すこしでも助けたいと思ってバングラデシュにいたのに。何故、問答無用に、邪魔者として殺害されなければならなかったのでしょうか。「自己責任」なのでしょうか?それとも政府が邦人の安全確保のための責任を行使していなかったのでしょうか?

 優生保護法が施行されて、日本では、平和に安らかに眠っている日本人が、お母さんの胎内という赤ちゃんにとってもっとも安全で守られなければならない場所で、殺害され続けています。犠牲になった赤ちゃんたちは、手足を切りとられ、頭は砕かれ、虐殺されてお母さんのおなかの中から引きずり出されます。非常に残酷な話です。

 お母さんのおなかの中という赤ちゃんの場所が、突然として恐怖に包まれ、血の海となるのです。これは、胎児にとって、恐るべきテロ行為でなくてなんでしょうか。卑劣で、野蛮で、過激で、憐れみもない悲劇ではないでしょうか。赤ちゃんは、どんな悪事を行ったというのでしょうか?何故、問答無用に、邪魔者として殺害されなければならないのでしょうか?だれか守ってあげる人はいなかったのでしょうか?赤ちゃんには「自己責任」はありませんから。政府は、何故、赤ちゃんの安全確保のための責任を放棄してしまったのでしょうか?

 バングラデシュのダッカでのテロの罪のない犠牲者20人にたいして、私たちは深い悲しみと憤りと追悼の念を持って祈りますが、それと同じく、お母さんの胎内で殺害され続けている多くの赤ちゃんたちを守りたちと願います。しかも、10代の子供たちさえも中絶をしていて、その数は、日本が世界で一番いちばん多いのだそうです。

 そこで、7月10日には、このマーチに参加しようと思っています。そのために、いつもの晩課を愛する兄弟姉妹の皆様と一緒に歌うことができなく残念に思いますが、どうぞご理解下さい。

 愛する兄弟姉妹の皆様もどうぞご参加下さい。


 午後4時常盤公園出発、外堀通りに入り、呉服橋、鍛冶橋、数寄屋橋を通って、午後5時日比谷公園中幸門内解散というコースになります。

 常盤公園は、となりに京王プレッソインというホテルがありますので、目印にしてください。

 当日が参議院選挙の投票日となるので、デモ行進中に特定の政党や候補者の支持を訴えるような行為は謹んでくださいとのことです。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


「その他の多くの権利の前提である基本的人権は、生命それ自身への権利である。これは受胎の瞬間からその自然な終わりまでの生命に関して真である。従って、堕胎は人権であり得ない。まさに人権に反対している。」(ベネディクト十六世


洗者聖ヨハネの賛歌 Ut queant laxis resonare fibris

2016年07月04日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

6月24日は洗者聖ヨハネの祝日でした。そこで、聖ヨハネの祝日に聖務日課で歌う有名な Ut queant laxis resonare fibris という賛歌にまつわるお話をご紹介します。

洗者聖ヨハネの賛歌(モンテカシーノのベネディクト会修道士であった助祭パウロ (Paulus Diaconus)の作った、サッポー詩節(Sapphicum)という韻律で書かれたもの)でその第1節は、11世紀にグィド・ダレッツォ(Guido d'Arezzo)によってソルフェージュの名前をつけるために使われました。

サッポー調というのは、次のようなリズムを持った詩のことです。

UT queant laxis || REsonare fibris
― U ― ― ― || U U ― U ― x

MIra gestorum || FAmuli tuorum
― U ― ― ― || U U ― U ― x

SOLve polluti || LAbii reatum
― U ― ― ― || U U ― U ― x

Sancte Iohannes.
― U U ― x
(― は長い、Uは短い、xはどちらでも可を意味します。)


グィド・ダレッツォ(Guido d'Arezzo)は、この賛歌の最初の三行の、ut, re, mi, fa, sol, la という最初の音節がドレミの音階の名前として使いました。最後の行(Sancte Iohannesの部分)はその時は特に使いませんでした。

しかし16世紀に7番目の音に名を付けるために Sancte Iohannes の最初の文字を取って SI をつかうようになりました。これは、フランダースのアンセルム(Anselme de Flandres)によるとのことです。

最初の ut は16世紀にイタリアで、do と置き換えられました。1536年には既に、ピエトロ・ダレッツォの書いたものの中に、イタリア語として使われた記録があります。このピエトロ・アレティーノ(1492 - 1556, Pietro Aretino, フランス語では Pierre l'Arétin)は、グィド・ダレッツォとは別の人です。これについての研究は、音楽家であった Corselis 神父(Mr l'abbé Corselis, Professeur de solfège et maître de chapelle du Collège du Sacré-Cœur de Tourcoing)のものがあります。

フランス語の語源辞典によると、17世紀初頭の人であったジョヴァンニ・バッティスタ・ドニ(Giovanni Battista Doni)が自分の名前の最初の音節から取ったのではないことになる、とあります。さらに、1673年にボノンチニ(Bononcini)が、イタリアの音楽家ドニの名前からとって ut を「ド」とした、という説もあるのですが、ドニとボノンチニとが生きている前から、既にドの名前が音符の名前として使われていた記録が残っていることから、ジョヴァンニ・バッティスタ・ドニを「ド」のゆかりとする説は否定されています。
Prononc. et Orth. : [do]. Ds Ac. 1878 et 1932. Étymol. et Hist. 1768 (ROUSSEAU). Mot ital. attesté dep. 1536 (l'Arétin ds BATT.) inventé pour remplacer ut*, moins facile à énoncer en solfiant; l'attest. de l'Arétin prouve que le mot n'a pas été inventé par G. B. Doni (1re moitié XVIIe s.) d'apr. la 1re syllabe de son nom. Fréq. abs. littér. : 68. Bbg. HOPE 1971, p. 360. SAIN. Sources t. 3 1972 [1930], p. 162.

http://atilf.atilf.fr/

http://www.cnrtl.fr/definition/do

Découvrir la musique médiévale は、以上のことを指摘して、ラテン語の Dominus から「ド」の名前が来ているという説を支持しています。

ラルース(Larousse)の音楽事典 « Dictionnaire de la musique »の Ut queant laxix の項によると、

このメロディーは、11世紀以前には(つまりグィド・ダレッツォ以前には)、そのソルフェージュのメロディーでは歌われたことがなかったこと、
そこでしばしば信じられていることとは反対に、グィド・ダレッツォは、この賛歌だけを利用したのであってもともとのメロディーを利用したのではなかったこと、
このメロディーは、同じサッポー詩節で書かれたホラティウスの叙情詩を歌うためにあった学習用の歌のメロディーから取られたか、あるいは、グィド・ダレッツォがソルフェージュのために作曲したか、のどちらかであること、
などが指摘されています。

実際、Silvia Walli の書いた Melodien aus mittelalterlichen Horaz-Handschriften. Edition und Interpretation der Quellen あるいは Jan M. Ziolkowski 著の Nota Bene: Reading Classics and Writing Melodies in the Early Middle Ages (Turnhout: Brepols, 2007)によれば、ホラーティウスの『歌集』4巻11歌1-20 Est mihi nonum superantis annum という叙情詩にこれと同じメロディーが付けられて11世紀の写本(Montpellier, Ecole de Médecine 425H)に残っています。

上記のラルース音楽事典は、ジャック・ヴィレ(Jacques Viret)とジャック・シャイエ(Jacques Chailley)が1981年に発表した発見についても言及しています。

それによると、よく「いろは歌の謎」などと言われる、例えば「とがなくして死す」というようなやり方の、深い意味がこの助祭パウロの詩には隠されていたとのことです。私の思うには、こじつけですが。

ジャック・ヴィレとジャック・シャイエによれば、この詩の中央に SOL という音節があり、これはラテン語では「太陽」を意味する。この「太陽」を文字でイメージすると SOL の真ん中の O の文字である。この O は、ギリシア語の最後の文字であるオメガに対応する。黙示録で天主は「私はアルファでありオメガである、はじめであり終わりである」と言っている。
この賛歌では SOL が、 FA と LA の音節に囲まれているが、これは ALFA アルファにつながる(中世ではアルファを ALPHA の代わりによく ALFA と転写した)。
ファの前は MI だけれども、これは M と I とから成立している。 M はラテン語では千を意味し I は一を意味する。マクロな世界とミクロな世界である。
FA と LA を ALFA と読んだように、SANcte IOhannes を IONAS と読むことができる。これは旧訳の予言者でキリストの復活の前兆である。云々。


では、 Ut queant laxis resonare fibris という賛歌の翻訳をご紹介します。

ラテン語

Ut queant laxis resonare fibris
mira gestorum famuli tuorum,
solve polluti labii reatum,
Sancte Iohannes.

このラテン語に一番正確なフランス語の訳は次の通りです。

« Afin que les serviteurs (de Dieu) puissent clamer à pleine voix les merveilles de tes actions, ôte l'erreur de leurs lèvres impures, saint Jean. »

インターネットで見つける訳では、本当は、gestorum tuorum (あなたの行為(複数)の)という意味なのに、リズムの関係で famuli tuorum となっていることに引きずられてか、famuli tui (あなとのしもべたち)という意味で訳したもののコピペが氾濫しています。

洗者聖ヨハネには、しもべたちがおらず、これは天主のしもべたちが、あなた(つまり洗者聖ヨハネ)の驚くべき生涯を歌うことができるようにして下さい、という意味なのです。そのところをこのフランス語はちゃんと理解しています。

英語で凝った訳として、ラテン語のリズムを生かして訳した次のものあります。

Let thine example, Holy John, remind us
Ere we can meetly sing thy deeds of wonder,
Hearts must be chastened, and the bonds that bind us
Broken asunder.

あるいは、

O for thy Spirit, Holy John, to chasten,
Lips sin-polluted, fettered tongues to loosen,
So by thy children might thy deeds of wonder
Meetly be chaunted

ベネディクト会のシスターであった Cecile Gertken, OSB (1902-2001) は次のように、ド・レ・ミという音を生かして訳しました。英語では Do が「ド」ではなく「ドゥ」ですけれど。

Do let our voices
resonate most purely,
miracles telling,
far greater than many;
so let our tongues be
lavish in your praises,
Saint John the Baptist.

日本語では、次のような意味になります。

しもべらがゆるやかな声帯で
御身の驚くべき行為を歌い響かせ得るように
けがれた唇の罪を赦したまえ
聖ヨハネよ。



韓国語の訳は次の通りです。

세례자 요한이여 들어주소서
위대한 당신업적 기묘하오니
목소리 가다듬어 찬양하도록
때묻은 우리입술 씻어주소서

中国語では、次のようです。

神的僕人以誠摯的歌聲
讚美令人驚嘆的神蹟,
以除去他們言語間的罪惡,
啊!聖若翰我們讚美你。

==2016年12月19日追記==

洗者聖ヨハネと使徒聖ヨハネ、の「ヨハネ」は、日本語では同じですが、中国語では(そして韓国語でも伝統的に)、別人だということを区別させるために、別の言葉で訳します。

天主教(カトリック教会)では、中国語訳(汉譯)として、
洗者聖ヨハネを「圣若翰洗者」と「若翰」とし、
福音史家使徒聖ヨハネを「约翰」として訳し分けています。

プロテスタント(新教)では、どちらも「约翰」とされているようです。

韓国語では、現代伝わるカトリックの教えは中国語経由で導入されたので、当時の漢字の韓国語読みを採用し、洗者聖ヨハネと使徒聖ヨハネとでは「ハン」に当たる漢字が別に当てられていたために、

洗礼者聖ヨハネを、요안
使徒聖ヨハネは 요왕
と訳し分けていました。

天主様の祝福が豊かにありますように!

==追記終わり==


では、日本語をもう一度ご紹介します。
聖務日課では、晩課、朝課、讃課の三回に分けて歌います。

【晩課】

Ut queant laxis resonare fibris しもべらがゆるやかな声帯で
mira gestorum famuli tuorum, 御身の驚くべき行為を響かせることが出来るよう
solve polluti labii reatum, けがれた唇の罪を赦したまえ
Sancte Iohannes. 聖ヨハネよ。

Nuntius celso veniens Olympo 高き天より御使いが来たりて
te patri magnum fore nasciturum, 偉大なる御身が生まれることを
nomen et vitae seriem gerendae 御身の名とその一連の生涯を
ordine promit. 正しく御身の父に預言する。

Ille promissi dubius superni 父は天からの預言を疑い
perdidit promptae modulos loquelae, 意のままに話す力を失った
sed reformasti genitus peremptae しかし御身は生まれると
organa vocis. 失われた声の喉を直した。

Ventris obstruso positus cubili 御身は閉ざされし母胎にあるとき
senseras regem thalamo manentem; 寝室にいる王を察知した
hinc parens nati meritis uterque ここから両の親は子供の功徳により
abdita pandit. 秘密のことを明らかにする。

【朝課】

Antra deserti teneris sub annis 御身は少年のとき民の喧騒を避けて
civium turmas fugiens petisti, 荒野の洞穴におもむいた
ne levi saltem maculare vitam 軽薄な会話でその生きざまを
famine posses. せめて汚すことがないように。

Praebuit hirtum tegimen camelus 駱駝が剛毛の衣服を、羊が腰紐を
artubus sacris, strophium bidentes, 聖なる体に与えた
cui latex haustum, sociata pastum 飲物は水であり食物は
mella locustis. 蜂蜜といなごであった

Ceteri tantum cecinere vatum 他の予言者達が予感の心で告げたのは
corde praesago iubar adfuturum, ただの光の到来にすぎなかった
tu quidem mundi scelus auferentem ところが御身は世の罪を取り除くお方を
indice prodis. 指を指して明らかにした。

Non fuit vasti spatium per orbis 広き世界の中でもヨハネに以上に
sanctior quisquam genitus Iohanne, 聖なる人が生まれたことはない
qui nefas saecli meruit lavantem 彼は世の罪を洗い清めるお方を
tingere lymphis. 水で濡らすを許された。

【讃課】

O nimis felix meritique celsi, ああ余りにも幸福で高き功徳の人
nesciens labem nivei pudoris, 白い純潔の汚れ知らず
praepotens martyr eremique cultor, いとも力ある殉教者にして隠遁の信奉者
maxime vatum! 最大の予言者!

Serta ter denis alios coronant 三十の果実をつけた冠が、他の人達を飾り
aucta crementis, duplicata quosdam, 別の人達をその倍の果実の冠が飾る
trina centeno cumulata fructu ところが聖者よ御身を飾るのは
te, sacer, ornant. 三百の果実を盛った冠なのだ

Nunc potens nostri meritis opimis 最善の功徳もて力ある御身は今こそ
pectoris duros lapides repelle, われらの胸の堅き石を除きたまえ
asperum planans iter et reflexos 起伏多き道をならし
dirige calles, 曲がれる小道を伸ばしたまえ

Ut pius mundi sator et redemptor 世の優しき救い主かつ贖い主が
mentibus pulsa livione puris 邪念の去った清い人々の心に
rite dignetur veniens sacratos 正しく聖なる足取りを置いて
ponere gressus. かたじけなくも来給わんことを。

Laudibus cives celebrant superni 天の住民は御身を称賛し奉る
te, Deus simplex pariterque trine, 一にして三位なる天主よ、
supplices ac nos veniam precamur, われらもまた伏して許しを願い奉る
parce redemptis.  贖われた者たちを容赦し給え。

Sit decus Patri genitaeque Proli 聖父および生まれし聖子に
et tibi, compar utriusque virtus, 聖父と聖子との等しく両者の力なる聖霊よ御身にも、
Spiritus semper, Deus unus, omni 唯一の天主よ、常に栄光あれ
temporis aevo. いつの世にも

Amen.アーメン

韓国語の訳もご紹介します。

세레자 요한이여 들어주소서
위대한 당신업적 기묘하오니
목소리 가다듬어 찬양하도록
때묻은 우리입술 씻어주소서

저높은 하늘에서 내려온사신
위대한 주님탄생 알려주시고
이름과 생애까지 일러주시며
낱낱이 아버지께 예고하였네

그약속 의심했던 당신아버지
그즉시 언어능력 잃으셨으나
당신이 이세상에 태어나시자
잃었던 목소리를 돌려받았네

어머니 모태속에 숨어계실때
태중의 임금님을 알아보시니
양친도 당신덕에 눈이밝아져
놀랍게 숨은사실 드러내셨네

드높은 하늘나라 시민들이여
하느님 삼위일체 찬미하여라
저희도 겸손되이 용서비오니
저희죄 사하시고 구원하소서

높은덕 빛나시는 세례자요한
죄없이 눈과같이 깨끗하시네
사막의 은수자요 크신예언자
용감한 순교자로 복되시도다

꽃으로 곱게꾸민 빛나는화관
성인들 머리위에 올려지나니
어떤이 이중화관 받아쓰지만
당신은 삼중화관 받아쓰셨네

무수한 공로세운 능하신이여
저희의 굳은마음 녹여주시고
함한길 고르시어 평탄케하사
굽어진 오솔길도 곧게하소서

만물을 지어내신 우리구세주
마음의 어지러움 물리치시고
깨끗한 저희마음 찾아오시어
거룩한 당신거처 마련하시리

드높은 하늘나라 시민들이여
하느님 삼위일체 찬미하여라
저희도 겸손되이 용서비오니
저희죄 사하시고 구원하소서

아멘.



レネー神父様のお母様が亡くなられました。お祈りください。

2016年06月02日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

レネー神父様のご母堂様が霊魂を天主様にお返しになりました。

霊魂の永遠の安息のためにお祈りください。RIP

トマス小野田圭志神父

聖霊降臨の主日、おめでとうございます。大阪でのミサは新しい住所です

2016年05月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖霊降臨の主日、おめでとうございます。

今日から、大阪でのミサ会場の住所は新しくなります。ご注意ください。

天主様に感謝します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父

パーフォーマンス課題にチャレンジしてみて下さい。Try this Performance task

2016年04月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
Ave Maria Immaculata

愛する兄弟姉妹の皆様、

「真性パーフォーマンス課題」と言われているものを提案したいと思います。これの目的は私たちのカトリック信仰の理解が深めるためです。ただ頭の中で知っているだけでなく、それを使うことができるためです。単語や文章の意味だけではなく、自分で発見して何故かの理由が説明できるようになるためです。

 もしよろしかったら、GRASPS によると言われている、パーフォーマンス課題にチャレンジしてみて下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


この課題の目的:
日本の歴史におけるカトリック教会について理解を深めること。
日本においてあまり知られていないカトリック教会の歴史についてもっと知りたいと興味を抱くようになること。

この課題を実行するに当たって、背景になる疑問
日本において、特別に知るに値するカトリック信仰の実り、記念碑、場所、出来事とは何があるか。何故それらが、日本におけるカトリック信仰を代表するのか。何故重要なのか。
日本において、キリシタン時代には、いつどこで何が何故あったのか。
聖フランシスコ・ザベリオが日本に到着した後の100年間(1549-1649年)、日本におけるカトリック教会には何が起こったのか?
いろいろな国籍の多くのカトリックの先祖たちは、何故信じられないような拷問や苦しみを終わりまで耐え抜くことができたのか。
拷問を苦しみ抜いていったいどのような利益があったのか。
カトリック教会を迫害した人々の動機は何なのか。迫害した人々は幸せだったのか?どのような終わりを遂げたのか。
様々な国々のいろいろな時代に亘る殉教者たちの共通の特徴はあるか、あればそれは何か。ローマ帝国や、李氏朝鮮、ヴェトナム、イスラム諸国におけるカトリック殉教者と、日本の殉教者とを比べると、どのような違いとどのような似ている点があるだろうか。
もしも聖フランシスコ・ザベリオの来日の時代の日本に生まれていたとしたら、私はカトリック教会のために、日本のために、何ができただろうか。

役割(Role):
小教区教会の主任司祭から依頼を受けて、東京におけるカトリック関係の観光ガイドを一日することになった。

対象(Audience):
日本に観光・巡礼に来たフィリピンのカトリック信者の観光客(日本は初めて)


想定状況(Situation):
今年の5月に、フィリピンから初めて巡礼・観光に日本に来る10名からなる観光団体のために、一日、東京見学を計画するように、東京都内の或小教区の主任司祭によって依頼されました。
グループはその日は文京区で朝七時から聖伝のミサに与って、午後の七時まで自由時間があり、日本と、日本におけるカトリック教会と、日本とフィリピンについて、文化的、歴史的、地理的、経済的、政治的な理解が深められるような場所を訪問することを望んでいます。
ただし旅行のための予算はあまりありません。

パーフォーマンスで求められていること(Product Performance and Purpose):
出発地は文京区で、終点地は上野になるような一日の観光計画を立てること。単に訪問場所と道のりだけではなく、何故、その場所を選んだのか、その場所の重要性、関連性、意義、歴史性、などを、主任司祭に説明する必要があります。
司祭が良く理解できるように、地図(パワーポイント)などの視覚資料を使って司祭に説明して下さい。


パーフォーマンスの評価のスタンダード基準 (Standards and Criteria for Success):
次の点に照らし合わせて評価されます。

*選ばれた訪問場所の重要性、意義。日本とカトリック教会とにとってどれほどの意味の深さを持っているかその理由。
*日本人にとってだけでなく、外国人観光客にとっても、意義や重要性を見いだせるか。
*選ばれた訪問場所を、訪問する物理的・経済的な制約が考慮されていて、現実的であるか。
*説明は、はっきりしていて、明確で、分かりやすく、説得力があるか。
*視覚資料は、有効に選ばれていて、説得力を増すものであるか。


今日は聖グリニョン・ド・モンフォールの帰天300 周年です

2016年04月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は聖グリニョン・ド・モンフォールの帰天300周年です。

聖グリニョン・ド・モンフォール、我らのために祈りたまえ!

今日の大阪のミサ会場は302です

2016年04月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日と明日の大阪でのミサ会場のお部屋は、本館の302号です。

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

聖ピオ十世会 2016年 4ー5月の聖伝のミサの予定 Traditional Latin Mass SSPX JAPAN 2016

2016年04月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2016年 4ー5月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】



4月の意向:聖なる復活節を過ごす
実践すべき徳:天主を愛するために苦難を甘んじ受ける
守護の聖人:悲しみの聖母マリア

◎2016年 4ー5月の予定

【大阪】昨年4月よりミサの場所が変更になりました!
大阪コロナホテル(アクセス
大阪府大阪市東淀川区西淡路1丁目3番21号 (JR新大阪駅の東口より徒歩3分)
「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」 (月によって会場の部屋が異なりますので、入り口に貼り出されてある案内をご覧ください。)

   4月1日(初金) 復活の金曜日(1級)白 
           午後5時  ロザリオ及び告解
           午後5時半 ミサ聖祭
           午後7時  御聖体顕示式 聖時間

   4月2日(初土) 白衣の土曜日(1級)白 
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   4月10日(主) 復活後第2主日(2級)白 
           午後5時半 ロザリオ及び告解
           午後6時 ミサ聖祭

   4月11日(月) 教会博士証聖者教皇聖レオ1世(3級祝日)白
           午前6時半 ミサ聖祭

   4月15日(金) 平日(4級)白
           午後5時  ロザリオ及び告解
           午後5時半 ミサ聖祭

   4月16日(土) 聖母の土曜日(4級)白
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   5月15日(主) 聖霊降臨(1級及び1級の八日間付き)赤 
           午後5時半 ロザリオ及び告解
           午後6時 ミサ聖祭

   5月16日(月) 聖霊降臨の月曜日(1級)赤
           午前6時半 ミサ聖祭

   5月20日(金) 聖霊降臨の四季の斎日 金曜日(1級)赤
           午後5時  ロザリオ及び告解
           午後5時半 ミサ聖祭

   5月21日(土) 聖霊降臨の四季の斎日 土曜日(1級)赤
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

   4月3日(主)  白衣の主日(1級)白
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   4月4日(月)  童貞聖マリアの御告げ(1級祝日)白
           午前7時 ミサ聖祭

   4月17日(主) 復活後第3主日(2級)白
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   4月18日(月) 平日(4級)白
           午前7時 ミサ聖祭

   5月22日(主) 聖三位一体(1級祝日)白
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   5月23日(月) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
           午前7時 ミサ聖祭

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

◎アジア管区では、これからロザリオの時に「主よ、われらに司祭を与え給え 云々」の最後に、次の呼祷を付け加えることになりました。宜しくお願い致します。

「主よ、我らに多くの聖なる家族を与え給え。」
"O Lord, grant us many holy families".

◎愛する兄弟姉妹の皆様を2016年「長崎・秋田巡礼」へお招きいたします。

 聖ピオ十世会日本 2016年 長崎・秋田巡礼 10周年記念 天主の憐れみを感謝して

 SSPX Japan Nagasaki Akita Pilgrimage in 2016



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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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