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聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:聖母の被昇天

2013年08月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
二 十 八 日 聖 母 の 被 昇 天

     門、汝の頭をあげよ。永遠の戸よ、あがれ、
栄光の主(しゅ)入(い)り給わん。             (詩篇二三。七)

これは昔ダビド王の時代に、かの貴(とうと)い聖(せい)櫃(ひつ)をエルザレムに運び、町の最(もっと)も立派(りっぱ)な場所に安置(あんち)した時、司祭達が歓喜(よろこび)に溢(あふ)れて歌った讃美歌(さんびか)である。
 さて我等は聖マリアを屡々(しばしば)旧約時代に於けるエルザレム神殿の聖(せい)櫃(ひつ)になぞらえて、新約(しんやく)時代に於ける聖(せい)櫃(ひつ)と申し上げるが、この新約の聖(せい)櫃(ひつ)が天国に挙(あ)げられて、永遠の住み家に安置(あんち)せられた時も、天の於(お)いてどれほどの歓喜(よろこび)があったろうか。
 先ずセラフイムやケルビムなどの大天使は勇みに勇んで天の元后(げんこう)を迎え奉った事であろう。次に人(じん)祖(そ)アダムとエワは、怨(うら)み重(かさ)なる蛇の頭を踏(ふ)み砕(くだ)き給うた聖マリアを始めて見奉って、心から感謝したに相違ない。また旧約(きゅうやく)時代の予言者、太祖(たいそ)を始め、多くの聖人方は彼等の希望を成就(じょうじゅ)し給うた聖母を仰いで、如何(いか)ばかり讃(ほ)め称(たた)え奉ったであろう。更に聖マリアの御両親なる聖ヨアキムと聖アンナ、浄配(じょうはい)聖ヨゼフ、洗者(せんじゃ)聖ヨハネ、罪なき殉教(じゅんきょう)の幼児(おさなご)達も聖マリアを待ちかねて、どれほど歓(よろこ)び迎えたか知れない。実にそういう栄誉かくかくたる聖マリアの被(ひ)昇天(しょうてん)を考える時、地上の我等も聖会と共に「門よ、頭を挙(あ)げよ、永遠の戸よ、あがれ。栄光の元后(げんこう)聖マリア入り給わん」と叫ばずにはいられぬのである。
 かような歓迎の内に天国に凱旋(がいせん)し給い、光輝(こうき)燦爛(さんらん)たる聖(せい)三位(さんみ)の玉座(ぎょくざ)の前に至り、御父、聖霊や懐かしい聖子(おんこ)に見えて親しく御物語りあり、次いで御自分の為に備えられた玉座に着かせ給うた聖母の御歓喜(おんよろこび)や御光栄(おんさかえ)の程に至っては、我等には到底想像も出来ない。何となればそれは全知(ぜんち)全能(ぜんのう)全善(ぜんぜん)なる三位(さんみ)一体(いったい)の、此の上もない御寵愛(おんいつくしみ)の玄(げん)義(ぎ)であるからである。
 我等は今少しくイエズス・キリストとその御母(おんはは)聖マリアとの御臨終(ごりんじゅう)の有様を比(く)較(ら)べて見よう。主イエズスは云うまでもなく、世の罪を贖(あがな)い総(すべ)ての人々を救う為に、潔白(けっぱく)の御身を最も残酷(ざんこく)極(きわ)まる刑罰(けいばつ)の犠牲(ぎせい)として、御死去になった方である。所が聖マリアはそれに反し、世にも恵まれた平和な臨終を遂げ給うた。けれどもこの麗(うるわ)しき御最期(おさいご)は決して偶然(ぐうぜん)に得られたものではない。
 その御生涯の豊(ゆた)かな御功績(ごこうせき)、殊にカルワリオの十字架の下(もと)で耐え忍び給うた云い尽くし難(がた)い御苦悩(おんくるしみ)の報酬(むくい)として、聖(とうと)き御子(みこ)の御功徳(おんくどく)により与えられた特別の御恵(おんめぐみ)であったのである。
 美しい終わりを遂(と)げた聖人、殉教者(じゅんきょうしゃ)達は外(ほか)にも沢山(たくさん)ある。然し聖マリア以外の人は、いずれも原罪の結果を蒙(こうむ)っているので、罪の罰としての死を免(まぬが)れる訳にはゆかぬ。従(したが)ってその最期(さいご)を聖母のそれと比べる事は到底(とうてい)出来ないのである。
 我等も罪に汚(けが)れている者であるから、いつか一度は是非(ぜひ)共(とも)死の大いなる苦痛を忍び、それによって我が罪に対する最も重い償(つぐな)いを果たす必要がある。我等の生涯はその重大な時を迎える為の永い準備期間に他(ほか)ならぬ。されば我等はこの期間を徒(いたづら)に費(つい)やす事なく、却って善業を積み、一生の終わりの償(つぐな)いの負担を、少しでも軽からしめるよう励むべきである。
 なお臨終(りんじゅう)に当たって最も頼もしき扶助者(たすけて)は、古往(こおう)今来(こんらい)例(ためし)なき幸福な死を遂(と)げ給うた聖マリアの外(ほか)にはない。故(ゆえ)に我等は常日頃から聖母に縋(すが)って善(よ)き終わりを遂(と)げる御恵(おんめぐみ)を願い、日毎に「今も臨終の時も祈り給え」の祈祷(いのり)を繰(く)り返してその御助けを求めよう。そうすれば聖母は必ず我等を臨終(りんじゅう)の床に守り、我等の霊魂を御胸にかき抱(いだ)いて、地獄の深淵(ふち)の上を飛び越え、輝く天国に導いて下さる事であろう。

   祈   願

 ああ、天国の元后(げんこう)なる聖マリアよ、我等は御身の御光栄(みさかえ)に輝く被(ひ)昇天(しょうてん)を衷心(ちゅうしん)より歓(よろこ)び、御身が天主より受け給いし比類(たぐい)なき其の御恵(おんめぐみ)を讃称(ほめたた)へ奉る。
 我等は拙(つたな)く繊(かよ)弱(わ)き者にして、過失(あやまち)に陥(おちい)る事も屡々(しばしば)なれど、御身の御慈愛(おんいつくしみ)を恃(たの)みとして、一期(いちご)の大事なる臨終の時に、過(あやま)って滅亡(ほろび)に至らざるよう御助けの程を求め奉る。
 冀(こいねがわ)くは我を死の床より挙(あ)げて天国に導きたまえ。しかして、諸聖人と共に限りなく御名を讃(ほ)め、御恩恵(おんめぐみ)を謝(しゃ)し、共に天主を愛し、且(か)つ仰ぐを得(え)せしめ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。


(天使祝詞 三度)



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